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はてなキーワード: キングギドラとは

2022-09-19

三大ちんぽ

ちんぽ

ちんぽ

ちんぽ

キングギドラだぞー!

2022-01-29

空想上の存在が由来になった生き物とか

ここ数日でおしりかじり虫とかキングギドラとかのニュースが続いた

他になんかあるかなーって考えたけど日本発って意外と少ない

鬼系とかリュウグウノツカイとか、生き物じゃないけどウラシマ効果かぐらい?

昔話は沢山あるけど、日本童話とかって妖怪以外にはファンタジー要素少ないなあ

で、妖怪は元々生き物由来だったりするから鎌鼬とか)逆輸入されにくい

2021-10-15

anond:20211015140510

JASRAC管理下からなあ。

オマージュとかミックスとかサンプリングとか言っておけば許される。カルチャー的には。



キングギドラ 公開処刑 feat.BOY-KEN 歌詞https://j-lyric.net › artist

BOY-KEN」は、作詞:BOY-KEN作曲ZEEBRAです。 ... (K DUB SHINE)俺もボーイケンとは同意見 あれば話し合う相違点何か近頃 最近 突然さあ ラップ増えてきた ...

2021-09-27

ラジオ宇多丸さんがキングギドラDJオアシス発言批判していたが

おじさんには事実関係と何がどう悪いのか、がよく分からんかった。

とりあえずラッパーには困った輩が多いのは分かった。

2021-08-21

anond:20210820192755

いや、昭和60年代生まれでも、特撮再放送は余裕であった。

初代ライダーV3、X、ウルトラマンセブン、タロウなどは見た記憶があるし、友人との話題にも上がっていた。

この増田自身も雑な先入観が多くて、批判してる「特撮嫌い」と同じことをしてると思う。

庵野だってすべての「和製特撮」を手放しで褒めてるわけじゃないでしょ。むしろ偏ってると思う。

ただ、俺自身もそこまで詳しいわけではないので、あまり増田批判できないが。

以下、個人的な当時の観測

シリーズで言えばウルトラマン海外での「USA」や「グレート」があったりして、見てはいなくとも話題には上がってブランド延命していたし、辛うじて「ウルトラマンキッズ」とか「パワード」があって、「ティガ」に繋いでいた。

ソフビを集めてる子とかはそういうのすごい詳しくて、「USAみてー!」とか話してた記憶がある。

テレビマガジンとかの雑誌情報もあったし。

玩具とかアニメとか海外展開、あと「ヒーロー戦記」とかのゲーム結構キモだったと思う。

※「パワード」に関しては、庵野と仲いい樋口真嗣ガメラ特撮)が関わってたんだけど、まあ本人たちがネタにするような出来だったりする。

映画で言えば平成ゴジラなんかはあれでもみんな割と楽しんでてメカキングギドラとかデストロイヤかっこええーってなってたし、忘れてはならない「平成ガメラ」も登場してる。

和製特撮でいえば地味に「学校の怪談」とかもあるんだよな。


ただまあ石森系は「真 仮面ライダー」とか「ZO」とかあとなんか「ハカイダー」とか、ビジュアルグロめだったり「大人に向けた内輪向け」感が強い作品だったのが、なんだかなあ感はあった。

でも子供向け漫画雑誌仮面ライダーシリーズがあったり、やはり漫画アニメ役割は大きい。

「ポワトリン」とかもあったな。

そんな中でも一番偉かったのは東映スーパー戦隊メタルヒーローか。

「女リーダー」「全編ギャグ」といったエポックな「カクレンジャー」や「カーレンジャー」は94年、96年に登場してる。

特撮」の本道とは少し違うかもしれないが、でもまあ本当に東映はよくやってたよ。

ここからさら個人的偏見だが、昭和50年代かそれ以前の人の方が「本物の特撮」をリアルタイム体験してる分、その後の特撮平成ガメラ以外)にケチをつけてる印象がある。

ただこれも仕方ないというか、少年時代に「本物」を見た後には「劣化コピー」が続き、さらには「海外の本物」を同時に見てるんだもんな。

ルーカススピルバーグ世代」なわけでしょ。

映像的にも「アビス86年、「ターミネーター2」91年、「ジュラシックパーク」が93年。

ジュラシックパーク」を見た前後に、じゃあ日本はどうなのかっていえば「REX 恐竜物語」とか「水の旅人KIDS」とか「北京原人 Who are you?」なんだぜ・・・そりゃキツイよ。

(並べて思ったが、この横文字はいってる感じも相当きついな)

で、まあ80~90年代と世の中全体の物差しが「世界基準」になってる中、その世界映画監督が影響を受けたと公言してて、世界で戦えてたのが「漫画アニメ」なわけで。

青少年時代」にそんな体験をすりゃあ「漫画アニメすごい」ってなるのも当然の成り行きよ。

こうした時代感も考慮する必要はあると思う。

繰り返すが、「ジュラシックパーク」のあとに「REX 恐竜物語」を見せられる気持ち想像してみてくれよ・・・

傍らには「ドラゴンボール」とか「スラムダンク」とかあるんだぜ・・・

劇場版パトレイバー」とか「AKIRA」とかあるんだぜ・・・

2021-07-23

消されたかな?

小林賢太郎氏の解任と、わたし責任

8,674

岸田 奈美

2021/07/22 15:29

※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。

21:26追記

過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたし説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません

ラーメンズが好きだ。

小林賢太郎氏が好きだ。

父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める

父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うときわたし孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。

孤独から出会えた笑いで、孤独からつながれた笑いだった。

その小林賢太氏郎が、東京オリンピックパラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したときわたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。

こう、なんか、ものすんごく無責任オタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたし芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである

わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。

その小林賢太郎氏が、今日をもって当該職を解任された。

実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。

情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。

京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。

解任の理由1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。

その決定に、わたしは反対しない。

五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実侮辱されてはならない。

なのでこの文章は、オタクわたしわたしに宛てた、ただの戒めである

小林賢太郎氏は、責任をとるために、当職を解任された。

というかもう、ここ最近責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。

内田樹氏は自著「困難な成熟」で述べた。

責任を取るということは、不可能です。以上、おしまい

シンプルすぎる。

シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、

要は

「ごめん、で済む話はない」

ということだ。

人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。

体だけじゃない、心だって死ぬのだ。

あってはならないことだけど、学校いじめにあった子ども自殺して「一億円の損害賠償請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。

責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。

ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。

まさに今。

そんな世界で心穏やかに過ごすには、どうすればいいのか。

ここから内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。

「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか

勘違いしてはいけない。

これは、わたしは知らん、わたし関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。

それは「わたし責任を持つよ」と、言うことだ。

なんかまずいことが起こったとき責任他人なすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。

「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。

責任は、誰もとれない。

誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間幸福に、豊かに安全に生き延びることができる。

だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかから

さて。

長くなったので、わたしオタク語りに戻ろう。

小林賢太郎氏が過去発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。

映像に映っている観客と同じく、わたしは笑った。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組MC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。

小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。

今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったかわたしはわかる。

それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである

道徳観は、自然に身につくものではない。

教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。

道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。

小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコント演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイック創作であるストイックすぎて芸能界引退したようなもんだとわたしは思う。

年々、彼の思考作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。

世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉パントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。

そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンわたしたちは話さなければならなかった。

ユダヤ人大量惨殺ごっこで笑うのは、アカンかったね」と。

彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。

今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。

20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ

そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。

しろ批判されているコントできるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。

時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。

からこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。

そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。

つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかし揶揄されるのがつらい。

しかし、それもまた、気色悪いわたし責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。

推しは、推せるときに、推せ。

誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。

行き過ぎた悲しみに気づいたときわたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。

「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」

推し世界に魅了され、推し世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。

それもまた、推すという行為なのだと、信じて。

そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。

最後に、蛇足だけど、これだけは。

10年、企業広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念普通に存在する。

完ぺきを畏れる社会で、人は、簡単に謝れない。

しか小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメント自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言かば余地はないが、なかなかできることではない。

ついていくぞ、どこまでも。

(当初ここに、オリンピックパラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)

2020-11-03

anond:20201103143218

20年前にゴジラハム太郎コラボした時に生まれマスコット >ゴジハムくん

映画も同時上映だったかハム太郎目当てで幼稚園児くらいのちびっ子がたくさん見に来たんだけど

コラボ相手ゴジラがよりによって歴代シリーズの中でも屈指のオカルト寄り作品ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣攻撃」で

白目を剥いた凶悪な顔のゴジラが明確に群衆を狙い殺戮するさまに劇場園児の泣き叫ぶ声で埋め尽くされたという

2020-07-05

個人と 企業がぼこりあって 個人が負けるのはしょうがない

モスラをよんでたたかったら キングギドラが出てくるのもしょうがない

なのでいちおう

スクロールぐらいHTNL5でChroeとはくらべなかった せめて 横スクロールぐらい IE11に1フレーム勝ったと・・・宣伝させてくれ・・・ 横スクだけだけどな!(同じマシン比較

 

あの ぼく チーム モスラ・・・ きおくが・・・

2020-05-27

ネットイナゴは蝗なのか?

常々疑問に思っていたのだが、ネットイナゴというのは本当に蝗なのだろうか?

調べてみると、ネットイナゴとは「不祥事を聞きつけるとSNS個人ブログなどに駆けつけて、誹謗中傷に該当しうるコメントをすることで炎上誘導するユーザー」のことを言うらしい。

ネット炎上を蝗害に例えているのだろう。しかし、蝗害を引き起こすのはトノサマバッタ等のバッタである言葉の出発点から間違っている時点で相当に怪しい。

検証をする必要がありそうだ。

はじめに、ネットイナゴ日本人男性(30代)と仮定しよう。私と同じ属性である

最初身長を比べてみよう。

日本人男性(30代)の平均身長は171.2cmだ。蝗はどうか。日本でよく見かける、ツチイナゴのオスは体長が5cmほどである

両者を比較すると、およそ34倍もの差がある。これにはびっくりした。

身長171.2cmを34倍すると、なんと58.208mにもなる。これは映画ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣攻撃(2001)』におけるゴジラの体長とほぼ同じである

まり、蝗にとって日本人男性(30代)はゴジラのようなものなのだ。これではネットイナゴが蝗であるとは言えない。

それでは体重はどうか。

蝗の体重は7gほどらしい。ネットイナゴはどうか。日本人男性(30代)の平均体重は71kgほどである

両者を比較すると、なんと10143倍もの差がある。さすがに腰を抜かした。

71kgの10143倍はおよそ720㌧。超大型油圧ショベルと言われる"Komatsu PC8000"に匹敵する。

まり、蝗にとって日本人男性(30代)は"Komatsu PC8000"のようなものなのだ。あの黄色く雄々しく逞しい、コマツ最大の油圧ショベルと同じだとは言えない。

また、蝗には刑法適用されない。

日本人男性(30代)を押しつぶしてしまえば刑法に基づいて罰せられるが、蝗を潰しても罪には問われない。

結論を言うと、ネットイナゴは蝗ではない。

だが、人間を蝗に例える言葉がまかり通っているのだから、「誹謗中傷をすることで炎上誘導するユーザー」を蝗と間違えて踏み殺してしまってもおかしくはない。

はてな諸氏におかれましては、上述した違いを心に留め置き刑法に基づいて罰せられることのないようご注意願いたい。

2020-05-19

anond:20200519124452

護国三聖獣が一体「天の神・魏怒羅」が千年竜王として覚醒したときに「キングギドラ」となるんだぞ

anond:20200519122417

ところで

キングギドラ」が居るからには、

ただの「ギドラ」も生息しているのだろうか

2019-11-27

anond:20191127205536

こちキングギドラ派遣サービスです。

現在、ギドラはアンドロメダ星雲に派遣中です。

天の川銀河への帰還時期は未定です。

帰還まで今しばらくお待ちください。」

ガチャ

キングギドラ

今日取引からムカつくこと言われたので、キングギドラ派遣してくれないかな、誰か

2019-11-26

キメラって…

(程度の差はあり、中には最適な温度で地表に湧いている温泉もたくさんあります)。これは地面から湧いてくる灼熱の水を人間に適した温度まで水で薄めて利用していると言えます。ここで注目すべきはやはりマグマ関係していることと、熱い流体が地下から湧いてくる現象であるということ。そして温泉火山の近くに形成されるということ。温泉はそれこそ風呂なんて概念人類運用する前から自然には存在していて、人類以外の動物も利用してきました。猿が風呂に入っているイメージなんかし易いですが、鹿や熊なんかも温泉に浸かるらしいですよ。それで火山噴火による被害も昔からあったと思います、そりゃ地震火山が原因で起こるので、「地震人類地球上に留まる限りその被害に遭い続ける」と言われるように火山噴火も似たようなもんです。地震ほどもたびたび起こりませんけど(そうだったら人が土地に住めません)。何が言いたいかというと星の中にはマグマが流れていて、これは時に地上に激しく噴出しては火災などの致命的災禍となって人類を脅かしてきたという事実があり、そして鉱石宝石温泉といった、人類利益になるもの火山活動によってもたらされてきたので、人類がいままで継続してきた人類らしい生活を続ける限り、火山の脅威から完全に逃れることはできないってことです。マグマに焼かれる可能性を完全にゼロにしたいならば、既存資源が採れる地上を捨てて空の上に逃げるしか道がありません。キリスト教では人間人間である為に原罪というものを抱えていたので、神の子イエスさまは磔刑にかかるという形で人間原罪を御許しくださったそうですが、罪を抱いたら落ちる先の地獄が灼熱の世界であることと、人類文明依存する金属資源が地下世界流れる灼熱のマグマに由来することはなんだか面白い話に思えています。あとは、火山活動間欠泉の他にはしばしば人間に有毒な気体を地面から吐き出させることがあり、この毒ガスにまかれて人が死ぬ事件なんかも昔からありますドラゴンは火を吐く他には毒の息を吐くなんて話もあるので、地獄火山に由来するものであるならば、ドラゴン活動とはすなわち火山に由来を見出すことができます。これで宗教的で、地理的で、人類学的なドラゴンの話は終わりです。

結びに、あまり触れられなかった気象的なドラゴンの話に急ぎ足で触れたいと思います(こっちは語れるほど詳しくないので一番最後になりました)。

ドラゴンもしばしば気象を操り、毒の息や火を吐く他には雷を吐くなんて言われます怪獣映画ゴジラに出てくる怪獣キングギドラは雷のようなジグザグに飛ぶ光線や、ずばり雷そのものを吐き出しますがあんな感じです。

これは山の天気が変わりやすいという話と関連づけられて話されます。高い山の上は気象学的に雷雨が発生しやすいそうで、ここで発生した嵐がそのまま人里まで降りてきておそろしい災害をもたらしたことヨーロッパでは珍しくなかったそうです。西洋の山々は高く険しい秘境で、ドラゴンの他には魔法使いが住んでるとか言われ、その険しさゆえにとても道路として利用できるような場所ではないので、いまよりも適切な登山道具や技術普遍化されていない昔の時代に住んでいた人が山越えをするとなると、それは決死覚悟で臨むものでした。つまり山の上には滅多に人が行き交うことがなかったので、空想ドラゴンやお伽話の魔法使いが住んでいてもおかしくないと言われたのでしょう(そう言われても嘘か本当か確かめるのが現実的ではない)。

また「雨を降らせる」とか「気候を操る」とか言われるとピンと来る方もいると思いますが、東洋の龍はもっぱらそういうことをする存在で、火よりも水と関連づけられていることの方が多いようです。川の化身なんて言われることもあって、こういう姿はジブリ作品千と千尋の神隠しに登場したハクという人物テーマにもなっています。水は高きから低きに流れるとか言う通り、山から人里に向かって川が形成されている様子をじかに確認することが日本では現実的であったので(日本の山でも人死はたくさん出ていますが、山越えに臨めばほぼ間違いなく死ぬと言われるほどではなかったようです)、川の神である龍は山の神もまた兼任することがあり、日本人の昔話的世界観において山と川とは切り離せない親しい関係にあります。というか、ずばり川の中に竜宮城がある(浦島太郎の話に出てくる、海の中にあったというあの竜宮城ほとんど似たようなものです)場合もあります。山の中にあるという鬼の居城もこの竜宮城が零落して悪評に貶められたと考える向きもあり、有名な鬼の祖に龍神が数えられていることもあります(酒呑童子という鬼の祖は伊吹山の神であると言われ、これは素戔嗚尊という英雄に退治された龍神のことだと言われています)。それで「山の気候は変わりやすい」なんて言い回し日本人がよく口にする言い回しなので、山の神である龍が雨を降らせて川を流すという話はそういう思想が背景にあると思われます奈良大神神社に坐す大物主なる神はたいへん好色の蛇神として知られ、イケメン男性に化けてから人間女性と夜な夜な逢引をしていたというロマンチックエピソードがある一方で、機嫌を損ねた時には疫病を流行らせて人を大勢殺したので時の天皇を困らせたとも言われています。この大物主が住むというのも三輪山という名山で、奈良のその周辺は川と山とに囲まれた肥沃な土地であったと言われています。今でも風景が綺麗なので、近くに住んでいるなら見に行くのも悪くないと思います。話が脱線しましたが、疫病が流行るというのはいろいろ理由がありますけど、川の氾濫といった水害が原因でも発生します。川から水が溢れて街が水に浸かると下水道という設備がなかった昔はトイレ汚物が街中にぶちまけられるというのも珍しくなく、川の底のかき混ぜられた汚泥と一緒に環境汚染するのでたいへん不衛生でした。なので的確に対策をこうじなければそこからあっという間に病気流行り始めるのです。川が溢れると畑がダメになって作物…つまり食べ物もとれなくなるので、飢えて体が弱り病気になりやすくなるというのもあります。川がなければ水を畑や田んぼに引くことが難しく農業が瀕するので全く無いというのは困りますが、川が溢れ出しても人間は困るのですね。なので川と龍が縁深い日本では、川の工事(水害対策)に従事していたと言われる仏教僧侶が悪さをする龍神をこらしめて改心させるなんて話も結構あります西洋における聖ジョージジークフリートなんかが、日本においては偉いお坊さんになってしまう訳です。すこしがっかりするような話ですね。そういったように、悪者イメージが根強い西洋ドラゴンに対して、日本の龍というのは非常に気まぐれな存在善悪両方の属性を持ちます人間を助けることがあれば人間を脅かすこともあるし、人間に助けられることもあれば人間に倒されることもある。ところで東洋の龍という括りでいうとそもそも「龍」という漢字と考え方自体は大昔の中国にあったというたいへん豊かで大きな国からやってきたとも言われますが、中国文明は三大文明が一つ黄河文明と数えられている通り黄河という大きな川が育てた土地を耕して発展していったので、そりゃあもう川の整備には手を焼かされたそうです。大洪水で国中が水浸しになってみんなが困ったので、見かねた仙人が龍に乗って山から降りてきて洪水を治めたのでたいへん感謝され、皇帝の座についたという伝説もあるくらいです。というか、日本の坊さんがどこで川の整備技術を学んだかと言われれば当時の中国で学んできました。もっと正確に言えば、治水技術に秀でた仏教僧侶日本布教するのにやってきて広まったのです。ユーラシア大陸から、「龍」という漢字東洋龍のイメージと一緒に、「龍」と形容されるほどの荒れた川を治める技術もやってきたのです。お互い川を見ながら川の周辺で農業やって生活してきた民族なので、当時から生活風景がそこそこ似通っていたのでしょう。なので龍神今日に至るまで日本思想世界に受け入れられ親しまれ、日本独自派生も見られるほどになりました。

誰かの空想からはじまった存在が、国を渡って話されどんどん遠くまで伝わって、その国でしか見られない風景や生き物の姿を継ぎ足して、そこに住む人々の固有の文化におさまっていく様子を前から後ろへと辿ってみるのは大変面白い娯楽でありました。今回は特にドラゴンについて言及しましたが、とてもキメラテックな話だったでしょう? キメラテックなのもたまには悪くないという気持ちに僕はなってきました。

更なる余談ですが、東洋の龍の「胴体が長く、翼を持たず、身体くねくねさせて空を飛ぶ」イメージ(アニメ日本昔話のオープニングのようなやつです)なんですが、胴体のところは蛇をモチーフにしてあるのは一目瞭然ですよね。完全なる受け売りなんですが、この龍の顔の部分は馬をモチーフにしているという説があるそうです(髭があるところとか)。確か神武天皇だったと思うんですが、彼の皇が長旅をされた時に愛馬に水を飲ませようと泉に立ち寄って、その時誤って剣でその馬の首を切り落としてしまったそうです。自分が殺された側なのに、自分が死んで大泣きして悲しむ皇の姿をあまりにも気の毒に思った馬は、首だけで泉の中を泳ぎ始めてやがて馬のような顔を持つ魚になった、なんて伝説があります。空を泳ぐ龍が馬の首を持つ一方で、馬の首が泳ぎ出して魚になったという伝説もあるのは面白く、たまに関連づけて語りたくなります。ただ学問的な裏付けのないこじつけなので、こういう笑い話の場でしか言及しないことにしています

ここまで読んでいただいた方がいらっしゃるなら、たいへん貴重なお時間いただきました。あなたに御礼さしあげますありがとうございました。

(追伸、語り口調で一行が長かったり、誤字脱字が多くて申し訳ありませんでした。ちゃん推敲する習慣をつけようと思います。重ねて、ここまで読んでいただきありがとうございました。)

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