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2021-01-18

パン人間欲求

炊飯と違いパンは製粉して発酵させて成形して焼くという複雑な工程があり、人類の叡智が詰まっている。

パンを作るために人間の脳は大きくなったと言っても差し支えないだろう。

2021-01-16

公的機関医療機関)の情シスをして分かったこと→DXなんて絶対無理

公的機関とある病院)で情シス部員として、もう何年か勤務しているが、なかなか酷い。

公共機関全部が一緒じゃないことは分かっている。

 

でも、これが医療情報学会が育てた医療情報技師の姿なのか?

 

理由1:請負業者外部業者に丸投げ

保守運用管理を別業者委託するのはよくあるにしても、

保守運用管理以外の仕事」も丸投げしてしまう。

理由は単純で、正職員が「定時で帰りたいか」と、「やっかい仕事はやりたくないか」(正職員のくせに)。

あと人によっては、実務担当職で採用されているのに「研究がしたいか」を理由請負業者に丸投げしている(口では言わないが、見てたら分かる)。

ちな、請負業者契約を切られたくないから、理不尽でもやらざるを得ない。

 

医療情報部的な部署がある医療機関になると診療情報管理士がいることもあるのだけど、

ITとか全然知らない人も多いので、文書とか診療情報のことに関しても、

ITとか全然からいか」ということで「保守運用管理」だけが契約範囲業者に丸投げする人もいる(管理士の仕事なのに)。

ただ、診療情報管理士が個人的に丸投げしているわけではなく、当病院では部署ぐるみ

実際はできないから投げているのではなく雑用だと決めつけ、やりたくないから、投げているのが実態

職員を甘やかしている。

 

まぁ、でも、当院の診療情報管理について言えば、とりわけ、丸投げとか「これは私の仕事じゃない」とすぐに逃げたりするのですけどね(システム職ではないが)。

システムことなんて分からない」と言えば、すぐに誰かに押しつけれる(請負業者に)。

そして、甘やかしてそれを認めてしま文化

 

それに対して、請負業者非常勤職員雑巾のように扱われる。

請負非常勤が大変な状態になっていても、「役割が違うから」と手助けすることは一切ない。

反対に、正規職が大変な時は、請負非常勤は手助けをするように求められる。

 

医師看護師が怒っても責任も含めて丸投げしているのが現状から改善しない。

現場から怒られるのは責任の重いはずの正規職員ではなく、半分は組織の外側にいる請負業者社員非常勤職員

逆に、忙しい人間を尻目に、半日以上も政治雑談したり、業務的に必然性のない資格勉強をしている職員も実際いる。

健全でしょ?

で、「自分公務員だぞ、いいだろ」という態度出てるんですよ。

 

そのくせ、指示されなければ何もしないのだけどね(当院について言えば、これは管理士・事務方に多いな)。

 

発注側」という高みに立って上から目線になっているのもあるし、

から見ていると「自分たちは公務員で誰もが羨む天上人」という意識があるようで、

公務員になれたというゴールを達成」したものから自己研鑽するという意欲さらさらない(実際にない)。

 

ちなみに、自己研鑽をしなくても怒られることはない。評価も下がらない。民間企業ではありえないぬる職場

 

あと、簡単な帳票を作成する作業でさえ、業者に頼らないといけない。

Accessレベルを使いこなせない、のが実態

 

ああ、あと、公的機関予算は全部使い切るのが基本なのも一因かもね。

手が空いている人もいるのに、請負非常勤に実務はそちらにふって、業務中に業務関係ない資格勉強をする人もいるのだけど、

請負非常勤存在がないと、そういう仕事の仕方は成り立たないでしょ。

 

腐ってるけど。

 

ちなみに、非常勤職員は1年の任期付きなのだけど、確信犯的に継続を繰り返して任用することが普通になっている。

時短勤務をしているだけの常勤職員」のはずなのに、経費の安い非常勤にしているだけ。

 

理由2:実務経験者が少ない

あとでも書くけど、特定大学のある研究室の就職の受皿になっているせいで、競争試験形骸化している。

医療情報学会経由かつ、その大学人間が優先的に採用されるのが実態

 

こういう人は大抵がSE実務の経験はないけど、「研究だけはしたい」奴ら。

 

帳票作れば多少の業務改善もできるのだけど、そんなこともできない

ただ、研究は大好きらしいので、医療情報学会とか論文の書き方は詳しい。

 

だけど、現場医師看護師さんが困っていても、

 

研究>>>>>>>>実務

 

という優先順位

 

大丈夫仕事が溜まったら請負業者時短勤務の非常勤職員ねじこめばいい。

 

こうして、

 

 

という構図ができあがる。

 

医師看護師の実務を改善してそれを研究成果にする、なら納得するのだけど、

あいにく、そうではない(あまり書くと身バレするが)。

 

技術的に分からないことがあったらどうするか?

これの解決方法は、簡単

 

外部業者請負業者に分かりやす資料作成させて説明させればいい。

説明するのは、お前らの仕事だ」と恫喝してね。

 

こうして、専門知識勉強していくわけさ。

 

理由3:正職員目標管理制度がザル(形式だけ)

そりゃあ、自己研鑽義務づけたら自分たちが大変になるのが分かってるから上司ぐるみちゃんとやらない。

 

DXもくそもない。

 

理由4:ずっと同じ作業しかできなくても評価は下がらずボーナス満額もらえる

公務員絶対首にならないからね。

 

しろ、DX推進なんてやったら仕事が増える。

から、やらない。

 

やっても、やらなくても給料は一緒だから

だったら、やらないほうが楽だよね?

現場医師看護師は大変だけど、「別業務で大変だから」とか「できない」と言えば、何とでもなる。

実態は、暇で手の空いてる人もいるけど。

 

ちなみに、現場医療職が怒っても、電話は受付対応非常勤職種請負業者に全てやらせている。

これについては、ある診療情報管理士の正規職員がこう言っていた。

 

電話や受付対応をすると怒られたり、トラブル対応のために走り回って調べないといけないから、やりたくない

 

「専門知識がないか対応できない」とか「正規職員業務差し支えから」、という理由なら理解できる。

でも、そうじゃないのは見れば分かる。

ただただ、ストレス仕事仕事の種類として嫌だから、えり好みしているだけ、なんだよな。

 

病院という組織立場に立って責任ある地位いるから高い給料を貰っているのに、ね

 

実際、正規職員SEも含めて、後ろに隠れたがる。

責任感ある正職員もいるが、全員がそうじゃない。

回答の責任も丸投げし、現場の怒りは請負業者非常勤職員対応させる。

 

正規職員責任なんてどこへやらだ。

 

博士課程で採用された人は、「私、博士卒だから給与はいいですよ〜(笑顔」と言ってた。

 

6時間勤務のはずの非常勤職種にも、常勤職員には与えないような詰め込みの仕事残業が発生しやすトラブル対応仕事を与えることも普通

見る限り、時短勤務の職員残業をする率が高く、申請もきちんとしていない(あまりきちんとやると「なんで多いんだ」と怒られる)。

 

請負業者も同じような境遇だ。

人の入れ替わりが多く、どんどん人が辞めていく。

でも、直接雇用しているわけじゃないから、何も問題視はされない

 

でも、こうなって一番困るのは、現場医師看護師コメディカルなんですよ!

 

理由5:特定大学出身者でポストが独占されてるから外部者が入らず、改善余地がない

まぁ、これも大きいよね。

 

能力じゃなくて出身大学で取るものから、実務能力関係ないし、公正な競争もない。

白い巨塔で育って来た人に実務ができるわけがない。

クビにすることもできない。

 

できないか請負業者非常勤職種に丸投げするしかない。

 

ちな、公的機関独立行政法人も)は、採用にあたっては必ず公募をしないとけない。

でも、特定の人しか入れないようにするための抜け道がある

 

これは、自分職場で実際していることなのだけど、

採用条件を他の人が応募できないような条件にしてしまこと。

 

博士課程保持者」とかね。

 

実際は博士課程の人間じゃなくても十分できる仕事なのだけど(そもそも実務の仕事博士課程は必要とは言えない)、

特定大学特定研究室の就職の受皿になっているから、要するに、特定者に便宜を図った不公平採用が行われいんですよ。

公平な競争なんて、一切無い世界ですよ、公共機関なのに。

法令遵守してんのかよ。

 

で、来た博士課程の人と言えば、院卒なのに実務的な対応能力なんて無いんですよ。

実務を担う職種研究職を無理矢理ねじ込んで研究活動してるもんだから現場から問合せが来ても他の誰かが代わりに対応しているのが実情。

 

理由6:職場組織問題に対して当事者意識がない、現場対応から逃げたがる

現場医療からの問合せに対して、受付対応・回答(調査をさせたりも)を請負非常勤職種やらせ

正規職はコア業務へ集中したいからと称して、ネットニュースサイトをずっと見ていたり、資格勉強をする者もいる。

 

正規職には現場の怒りは届かない。

彼らは後ろに隠れたがる。当事者意識なんてものはない。

なんだろうな、こういう意識の持ち方は公務員特有だという気がする(当然人によるよ)。

 

ああ、そいや、正職員の方々の中には、情報収集に熱心な人がいて、

管理する立場でもないのに請負業者が記録している対応履歴業務時間中にやたら細かく見てる人も、一定数いる

職務上は明らかにする必要ない行為なのだけど、そんな時間をわざわざ作る余裕があるから不思議

で、現場対応、窓口対応は嫌だと言う。

情報収集に熱心なのは、重たい仕事自分に来ないよう注意してるからだが。

 

現場対応はできればやりたくないか請負業者非常勤職員やらせ、これは本当に多い。

これは本当に正規職員給与に見合った責任ある行動なのか?

正規職員のイスはもらった。大変なことは別の人にやらせて、楽もしたい。でも、しっかりとした給与退職金福利厚生もほしい

それが実態

理由7:そもそも経費削減・業務効率化という意識がない。経費の使い方ガバガバ

 

だって、年間の予算全部使い切らないと次年度から減らされますから

備品必要ないのに買いまくってます

 

数名は職場自分PCに、iMac使用しています

当然、予算で買っている。

Macを買う業務上の必然性は一切ありません

ていうか、職場システムWindowsベースなんで。

なぜMacか?

当人達いわく「かっこいいか」「Macがいいか」だそうです。

同等の性能ならWindowsのほうが絶対安いですよ。

 

でも、Macがほしいから」というだけの理由Macを買ってました

いいねー、公務員

こういうことをするのは大抵、公的機関純粋培養された職員です。

 

職場全体は慢性的赤字なのだけど、経費は使い切るものという意識があるようで…。

 

さすがに自分Mac買ってません。

無駄遣いすぎることが分かっているので。

 

あぁ、あと、ブレードサーバーわざわざ買った人いるけど、

あんまし使ってらっしゃいませんね。

 

研究費は使い切るもんだという意識もあるみたいですが、それにしても無駄遣いでは?

業務効率化も糞もないのに、ボーナス満額もらえるんですよね、国の財源で

 

これが、公共機関情報システム部門ですよ。

 

DXなんてできない、というより、DXなんてそもそもやる気がない。

だって自分のことしか考えていないからね。

 

こうしている間にも、医療職はどんどん疲弊しているというのに。

 

くたばっちまえ。

 

医療情報学会も嫌いになりました。

 

これが、お前らの言う、コミュニケーションコラボレーション、コーディネーションの本当の姿だったんだな?

言っても何も変わらないんだ。

から、ここに書いて残す。

2021-01-12

anond:20201231002038

その後~2週間後まで経過。

キズの痛みや不具合などは、1cm程度の切り傷相応にあった。すなわち、たいしたことはなかった。今ではもう強く患部をつまんだりしない限り、痛みはない。かゆみやその他不快感もない。

性欲については変わりない。これはまったく、そう言って差し支えないと思う。

術後の射精感については、正直に言って以前との違いはあまりからない。多少、変わった気もするが、気のせいか、とも捉えられる。

射精後のだるい感じがなくなる、副交感神経が活発化しなくなる、という情報についても、個人的には違いがよくわからない。これらは完全に内分泌系のため、個人差が大きいのかもしれない。

2021-01-04

anond:20210104165808

んなアホなwww

歴史を学べよ

キリスト教イスラム教もどんだけ血を流してると思ってんだよ

悪いどころか諸悪の根源と言っても差し支えないレベル

2020-12-30

パパ活サーバレスアーキテクチャだと思う

恋人を作ろうと思うと、普段からちょこちょこヘルスチェックしたり、常時稼働してる分だけメンテナンス費用がかかる。

パパ活ならどうか。まず恋人が出来ることなら大抵カバーしている。

完全にビジネスな感じが良いのか、もうちょっと深い関係を望むのか、そのあたりも自分に合う相手を選ぶことでクリアできる。

お金時間がかかるのは会っている間だけ。

これはもうサーバレスと呼んで差し支えないのではないか

2020-12-28

動物アレルギー人間ペットに住処を追われて都内に住む場所が無い

コロナ不況の影響を受け自社所有の社宅が廃止になったため急遽物件探しをしているが住む場所が見つからず困っている。

正確に言えば建物全体でペット飼育禁止している完全ペット不可のファミリー向け物件が見つからないのだ。


=====


私には動物アレルギーがある。

具体的に言うと薬を猫を飼っている親戚宅の玄関先で5分間立ち話をしただけで涙が止まらなくなり喘息発作が出て呼吸困難になるレベルの重度アレルギーだ。


血液検査の結果も猫アレルギーに関しては堂々のレベル6(測定不能

ランクが低い犬アレルギーレベル4(中〜高程度)ここまでアレルギー反応が強いと薬でどうこうなる範囲を越えているらしく医師からも「動物がいる家には行かないこと以外対処法は無い」と宣告されてしまっている。

ペット不可の物件以外は住むことができない状態と言っても差し支えないだろう。


しか世間知らずかつ能天気な私は不動産屋に行くまではペット不可の物件はすぐに見つかると思っていた。

集合住宅なのだからペット禁止が基本でペット可の物件イレギュラー中のイレギュラーだと。

しか賃貸不動産屋は開口一番「ファミリータイプマンションですと建物全体でペット不可の物件殆ど無いと思ってもらった方が良いですね」と言ってきた。



は?

建物全体でペット不可の物件が無い?

賃貸マンションなのに?



詳しい話を聞くと昨今のペットブームの影響で築年数が新しい分譲マンションペット可の物件が多く、貸している部屋はペットNGでも建物全体ではペットOKなので隣人がペットを飼っていたりエレベーターペットに遭遇する可能性も非常に高いのだとか。

賃貸マンションでも最近は空室防止のために最初からペットOK募集をかけている物件も多く、今時全室ペット不可が貫かれているのはペットブーム以前に建てられた相当築年数の古いマンション地震で生き埋めになっても自己責任と言われるレベル)か戸建を賃貸で貸している場合などに限られてしまうんだとか。


かに子供よりもペットの数の方が多い世の中ではある。賃貸管理会社商売なのだから何百人に1人の動物アレルギー患者人権よりもお犬様・お猫様を飼ってる顧客ニーズに合わせて建物販売したりマンションルールを変更する方が儲かる事は確かだ。資本主義の世の中で需要がある方にシフトしていくのはある意味仕方がないのであろう。自分ペットを飼わなくても他の家が飼う分には無関心な住人が多数派なんだろうし。


オマケに運良くペット不可マンションに入り込めたとしても途中からペット可に規約が変わったり、ペット不可マンションでこっそりペットを飼う人も増えてきているらしく集合住宅に住む以上動物アレルギーリスクを0にはできないと言われてしまいもう泣きたい。税金を納め人権保証されているはずの自分ペットが原因で住む場所に困るなんて想像しなかったししたくなかった。


そうなると一番安全なのは戸建となるが都会で戸建の賃貸そもそも数が少ない。

動物アレルギー由来の喘息発作で入院歴がある以上少なく見積もっても3年間は団信に入れないため住宅ローンも組めず戸建を買うこともできない。

犬猫人間が住処を追われ、地震で生き埋めになる可能性があるボロ賃貸しか住めないだなんてあんまりではないだろうか。

(あまりにボロ家だと今度はハウスダストやカビで喘息が出るのでどっちにしろ地獄なのだが…)



こう書くと


「少数派なお前が悪い」

「値段の安い地方の戸建を一括で買え」

「戸建・車移動が主体田舎に行けば良い」


という意見も出てくるだろう。


しかし都会の狭苦しい家でペットを飼う事自体動物幸せを考えたら避けるべきでは無いだろうか?

ペットだって狭苦しい集合住宅に閉じ込められるよりは庭付き戸建の方が自由に走り回れて幸せでは無いのか?

飼い主も鳴き声や足音騒音問題に困ることもなくなるだろうし、むしろペット飼いこそ郊外でも地方でもいいから戸建に住んでくれたら良いのにと思わずはいられない。

(ついでに言うと地方は成人アレルギーを診察ができない病院が多い上に花粉症で昼夜問わず発作が出るので動物アレルギーと同じくらい地獄



ペットブームも、ペット不可物件が増えないのも、自分アレルギー体質ですら自分の力ではどうすることも出来ずここで呪詛を吐くことくらいしか出来ない。

生き埋めにならない築年数の全棟ペット不可ファミリー物件通勤範囲内に1軒でもいいか奇跡的に出てきて契約出来、自分が住んでいる間マンション規約ペット可に変わらず、隣人がペットをこっそり飼って発作が起こらないことを祈るしかない。


頼むからペット飼うならできるだけ戸建に行ってくれ。

管理会社タバコ禁煙喫煙ではっきり層分けされているように、生き埋めにならない築年数のペット完全不可マンションを分譲・賃貸わずもっと増やしてくれ。

あとペット不可マンションペットを飼うのはマジ辞めて。端的に言って死ぬ

=====

2020-12-26

私が男の娘が嫌いな7の理由

 男の娘おとこのこ、おとこのむすめ)とは、肉体的な性別男性でありながら女性しか見えない容姿を持つ人物を指す言葉である

 漫画アニメゲームといったサブカルチャーに触れている人であれば、一人か二人は該当するキャラクターが思いつくであろう程度にはよく知られている存在である。言い換えれば、一定需要のあるジャンルなのだ

 だが私は、この男の娘というジャンルが嫌いだ。

 地雷と言っても差し支えない程に苦手である

 不満が溜まりに溜まってしまったので、今回は「私が男の娘を苦手な10の理由」をここに吐き捨てていく。

 先に言っておくと、私の肉体的な性別は男で、性自認は男、恋愛性的関心の対象女性である

 いわゆるシスヘテロである

 それを前提とした上で読んでいただきたい。

 

 

(1)一見して判別が難しい

 

 冒頭で挙げた通り、男の娘女性しか見えない容姿をしている。

 

 これがもうとにもかくにも厄介である

 

女の子だと思って作品を観賞し始めたら、実は男だった」

 というのは男の娘が登場する作品では日常茶飯である。私も何回かやられた。

 

 女の子恋愛性的関心の対象にしている人間からしてみれば、男の娘詐欺や罠としか思えない。この悪質さがよく分からない人は性別を逆にした「男の娘に見せかけた女の子」をイメージして欲しい。本質的にはそれと同じだ。

 

 一番悲惨なのは男の娘キャラクター女性だと思い込み女性キャラクターとして性愛対象にした後に判明するパターン。強烈なトラウマになるほか、一部の猛者はそれが原因で“目覚める”らしい。

 

 風の噂では、同人作家とあるキャラクター同人女の子であること前提で作っていたら、後に男の娘であることが判明し、ちんちんを描き足す作業必要になったとか。

 

 今日も「男じゃねえか!」という悲鳴インターネットの海に反響する。

   

 

(2)幅広いジャンル作品にいるので回避が困難

 

 これは男の娘メジャーになったが故の(私にとっての)悲劇と言える。

 女児向けアニメにすらいる。ポケモンにすらいる。深夜アニメにも当然のようにいる。

 というか草分け的存在の一人、「男の桜ちゃんが好きなんや」でおなじみの有栖川桜はコロコロコミック連載『バーコードファイター出身だったりする。

 もはや「この作品なら男の娘は出ないやろwwww」みたいなのは通用しない。震えて眠れ。

 

 

(3)本物の女の子よりも女の子らしいという風潮

 男の娘女性しか見えない容姿を持っていることは再三述べた通りだが、彼らは性格や振る舞い、言葉遣いも女性であることが多い。理由は様々であり、「女性的な外見がコンプレックスであり、それを指摘されないよう最初から女性のように振る舞う」「女性として育てられた」「性自認女性」といったものがある。

 

 その結果、同じ作品に登場する他の女性キャラクターボーイッシュだったりお転婆だったりすると、女性的な振る舞いをする男の娘がより女性的ではという風潮が出来上がってしまう。

 

 そこまではまあネタとして許せる範疇なのだが、それが発展して「ヒロインよりも可愛い!」「こいつが真のヒロイン」とか言われてるのを見ると他のヒロイン推している人からしてみれば腹が立つ。

 

 こんな記事を書いている私にこれを言う資格はないかもしれないが、何かを褒めるときに何かを貶める手法は多大なヘイトを買うのでやめた方がよいだろう。

   

 

(4)本物の女の子よりも理想的女の子であるという風潮

 上と近いことを言っているが、微妙ニュアンスが違うので分けた。

 

 性別の違いがある以上、男性目線で言えば、女性には怖いものであるとも言える。 

 それを考えると、女性の見た目をした男性である男の娘は、「女の面倒くさい部分が嫌な人向け女の子」と言えなくもない。ヴィーガン大豆で作った肉を食べるように。

 

 だが、それを理由に本物の女の子否定して欲しくはない。何かを褒めるときに何かを貶める手法は(以下略)。

 

 

(5)男の娘が受け入れられないことによる劣等感

 男の娘が登場する作品において、以下のようなシチュエーションを見たことはないだろうか。

 

 男性主人公男の娘ヒロインが仲良くなり、ついに恋愛にまで発展する。

 だが、男の娘自分が男であることに負い目を感じており、このように尋ねる。

「私(僕)は男なのに、それでもいいの?」

 男性主人公は広い心でこれを受け止め、男の娘と結ばれるだった。

 

 私はこのようなシチュエーションを見ると、「いや、女の子じゃないと無理でーす! なぜなら私は女の子が好きだからでーす!」とか考えてしまう。

 男の娘を受け入れることのできる主人公と、受け入れられない私。

 完全に被害妄想なのだが、「お前は俺と違って、男の娘を受け入れられない差別主義者だ」とマウントを取られているような感覚一方的に陥ってしまう。

 

 最近ではポリコレ圧力があるので、それと男の娘悪魔合体して本物の女の子が好きな我々が攻撃されるのではと、内心ビクビクしている。

 

 

(6)男を辞めたい人間の苦しみが分かるから

 一口男の娘と言っても様々なタイプ男の娘存在する。

 ただ顔が女っぽいだけのタイプ趣味女装しているタイプ女の子として育てられたタイプ。 

 その中でも私が特に苦手なのは、男である自分が嫌で本気で女の子になりたいと思っているタイプ男の娘である

 

 男はつらい。

 

 いや、女の人にもつらい部分があるのも分かっている。生理があれば体調はしっちゃかめっちゃかになるし、性犯罪に遭遇する危険性もある。

 

 だが私は男なので、どちらかと言えば男のつらさに共感してしまうのだ。どうしても。

 強くあれという圧力。女の人と比べて性的価値が低いことによる、支援や同情を得ることの難しさ及びそれによる孤独・将来への不安。異性から性的承認を得られないことによる悔しさ。自分の肉体や性欲を汚らわしいと感じてしま自己嫌悪。それら全てに心当たりがある。

 最近オタクが「美少女になりたい」と語っているのをしばしば見かけるが、これは男であることのつらさが関係していると思える。

 

 私は男でありながら女性らしくあるタイプ男の娘が持つ「男である苦しさ」がなんとなく分かってしまうので、見ていてつらいのだ。「生物学的メスに成り損なった落伍者」「性別ガチャの敗者」といった悪口を吐き捨てては、それがブーメランになって返ってくる。創作物世界ぐらい、正真正銘女の子を見て癒されたい。

 

 

(7)荒れやす

 男の娘というジャンル殺伐としている。

 その理由の一つは男の娘という属性が、他の属性混同されやすいからだろう。

 具体例としては女装男子というものがある。これは単に女装している男を指すので、一目で男と分かる場合でも含まれる。つまり男の娘女装男子は異なる定義を持つのだ。混同すれば、愛好家からバッシングを受けることだろう。

 他にも、美少年ショタ・TS娘・ふたなりといったもの男の娘をごっちゃにした言動を取れば、炎上すること間違いなし。

  

 このように定義付けで荒れる男の娘界隈には「怖い」という印象があるのだ。

 

 長々と男の娘が苦手な理由を語ってきたが、これをもって男の娘を滅ぼそうとは思わない。

 こんなにも広まってしまった以上、男の娘蛇蝎のごとく憎んでいる私の方が時代に取り残された淘汰されるべき存在なのだろう……そう考えているからだ。

 私は世界から隔絶された洞窟に潜み、生物学的に女性であることが保証された女の子だけを愛好し続けることにする。

 

 余談だが、私は「男である可能性が低い」という理由巨乳女性キャラが好きだ。

2020-12-16

アホから80億を騙し取った光本さんは日本起業家最大の成功

汗を流して必死社会必要とされる事業を創り、その対価としてキャピタルゲインを得る

まさかそんな真っ当な稼ぎ方を日本起業家が目指していると思ったら大間違い

脱法スレスレでも情弱ビジネスでも、目下一番盛り上がっているフィンテックという名の貧困ビジネスでもなんでもいい

とにかく効率よく金を手に入れることが日本IT起業家の考える賢いやり方

その意味じゃ、中身のない事業を80億円という途方も無い金額で売りつけた光本さんの実績は、まさに起業家成功例としては最高峰

我々のような庶民ならともかく、彼の周りにいた起業家やその予備軍が事の顛末を聞かされていなかったとは思えない

しろ光本さんくらいの人なら、自分いかに上手いことやったかを嬉々として武勇伝として語り歩いたはず

それを知ってなお彼の周りにいた人間は、同種の価値観を共有していたと言われても仕方ない

そんな人物が、この事件が明るみになるまでスタートアップ業界の大物、成功者という顔をして持て囃されていたのだから

やはり日本起業家界隈はそういう人たちが中心を成していると思って差し支えないのだろう

彼が表舞台から追放されるのは当然として、これと一緒に事業をやっていた連中も近づかない方が身のためなのではないか

いざとなれば信義より金を選ぶような人々が、メディアでは美辞麗句を並べて夢を語っていたと考えると身の毛がよだつ思いがする

2020-12-13

腐女子コロッケそば長文です

腐女子お気持ちですが増田の皆様におかれましてはいい加減腐女子用語でAとかBとか言われるのも飽き飽きかと思いますのでコロッケそばの話と致します。

カツコロッケそばおいしい

増田には10年来の友人がいました。中学から同級生親友と言っても差し支えない間柄でした。

ある日友人が「カツコロッケそばにハマった」と教えてくれました。

私もカツコロッケそばの事は知っていました。市民権があり割とどこでも食べられる、カツとコロッケそばという皆が大好きなヤツのおいしい相乗効果でした。

友人がカツコロッケそば論文を出すと言うので手伝いをしたり、家に遊びに来た時には私がカツコロッケそばを振舞ったりしました。ココイチで新メニューが出るという時にはつきあったりしました。

ただし、友人はハンバーグコロッケそばの事がものすごく嫌いでした。コロッケそばに乗ってるハンバーグはネチョネチョしててキモい、といつも周囲に語っていました。

ハンバーグコロッケそばもおいしい

しかしある日の事、私はハンバーグコロッケそばを食べてしまいました。セブンイレブンでした。

私は元々ハンバーグの事が好きだったので、うすうすハンバーグコロッケそばもおいしいのではないかな、と思っていたのです。

思った通りハンバーグコロッケそばはとてもとてもおいしくて、私は隠れてハンバーグコロッケそば毎日食べました。罪の味に私は苛まれる事になりました。

罪の味に苛まれながらも、毎日毎日ハンバーグコロッケそばを食べているとつい話題に出してしまう事がありました。

昨日何食べたの?なんて聞かれたらハンバーグコロッケそば食べた・・・しか言えません。何せ毎日食べているので。太りました。嘘をつく日もありました。

そんなやり取りをごく稀にSNSでしていました。友人はあまりSNSを頻繁に覗くタイプではなかったので多少ならいいか。と。

コロッケそば確執

しかとんこつラーメン大好きの別の友人とその友人が同席している時に、「増田ハンバーグコロッケそば好きだよね」とバラされてしまったのです!

このとんこつラーメン好きの友人はカツコロッケそばハンバーグコロッケそばの間の確執を知りませんでした。なので罪はないのですがあの時の冷たい空気を覚えています

「まあ別に好きなものは人それぞれだし」と友人は気にしていないように見えました。でも明らかにキレていました。SNSも見ていたようでした。

とんこつラーメンはわかっていませんでしたが私にはわかりました。とんこつラーメンハンバーグコロッケそばはデミグラスっぽいコロッケそばの方がうまいとか話すので冷や汗ダラダラでした。

これは他人に話を振られてしま可能性もあると考えて、私はハンバーグコロッケそばSNSアカウント作りました

そして誰がどうとは名言しませんでしたが他所で私にハンバーグコロッケそばの話を振るな、と明記しました。これで友人からハンバーグコロッケそば話題は見えないはずでした。

ハンバーグコロッケそばに乗せるのやめろ

私は友人と一緒に居る時は出来る限りカツコロッケそばを持ち上げました。サクサクの衣にコロッケそばがついた瞬間が最高!タンパク質も取れて健康別にカツコロッケそばが嫌いな訳では無いので本心でした。

一方で私はハンバーグコロッケそばアカウントを作った事で自由ハンバーグコロッケそばの話が出来るようになりました。ハンバーグコロッケそば写真をアップしたりしました。

ご存知の通りハンバーグコロッケそばはカツコロッケそばに比べるとあまり人気があるとは言えません。ハンバーグコロッケそばハンバーグコロッケそばという皆が大好きなヤツの相乗効果とは思うのですが。

なので細々と、数少ないハンバーグコロッケそば信者お話する程度でした。嫌がられるのが目に見えていたのでハンバーグコロッケそば論文など書く気は更々ありませんでした。

ある日の事でした。通話中、私が「カツコロッケそばって本当安心する味でいいよね、ソースもあうし」とカツコロッケそばを話の流れで持ち上げました。

すると何が気に障ったのか、友人は「じゃあなんでハンバーグ乗せてんだよ」とキレはじめてしまいました。私は突然のことに青ざめました。

ハンバーグコロッケそばに乗せる具として人気ないんだからもうちょっと自重してほしい」「ハンバーグコロッケそばに乗せるのやめろ、コロッケそばに失礼」などと言われ私は泣いてしまいました。

いやハンバーグコロッケそばに乗せてもええやろ

私はハンバーグコロッケそばアカウントを消しました。ハンバーグコロッケそばを食べるのはそんなに悪い事なんだ、もう一生ハンバーグコロッケそばを食べるのはやめよう・・・。そう思いました。

そう思ったのですがハンバーグコロッケそばを食べることを私はやめられませんでした。以前のように誰にも見えない所でハンバーグコロッケそばをモリモリと食べました。

ハンバーグコロッケそばをモリモリと食べていると、「いややっぱハンバーグコロッケそばおいしいやん」という気持ちが込み上げてきて、なぜそんな批難を受けねばならないのか疑問に思いました。

声高にカツコロッケそばの話をする友人と違って、私はいつでも気を使って、こっそりハンバーグコロッケそばを食べてきました。誰にも迷惑をかけたつもりはありません。

でも友人の言い分からするなら恐らく、「ハンバーグコロッケそばを食うやつが1人でも存在する事が許せない」んだと思います。いや好きなもんくらい好きに食わせろや?常識的に考えてそう思うのですが、許せないらしいのです。

カツコロッケそばハンバーグコロッケそばも仲良くできたらいいのに

そんな感じで私はカツコロッケそばを見ると気分が悪くなるようになり、その友人とは会わなくなりました。

ほんとめんどくせえな、どうしたらよかったんだよ と未だに思うのですが、私がハンバーグコロッケそばをおいしいと思った時点で人間関係が終わってしまったんだろうと思います。そんなことで終わる人間関係がかなしいし、長年付き合って来た友人だけど本性を見た気がして、今は若干軽蔑感情があります

ある時友人はカツコロッケそばを好きな理由を「一番ファン母数の多い揚げ物に所属してるとマウント取れるから」みたいなことを言っていました。

いやカツが好きとかじゃないんかい!そんなヤツに侮辱されたハンバーグコロッケそばの事がかわいそうです。もうちょっと平和に生きられないのかなと思いますかしこ

2020-12-11

腐女子カレー長文です

腐女子お気持ちですが増田の皆様におかれましてはいい加減腐女子用語でAとかBとか言われるのも飽き飽きかと思いますのでカレーの話と致します。

カツカレーおいしい

増田には10年来の友人がいました。中学から同級生親友と言っても差し支えない間柄でした。

ある日友人が「カツカレーにハマった」と教えてくれました。

私もカツカレーの事は知っていました。市民権があり割とどこでも食べられる、カツとカレーという皆が大好きなヤツのおいしい相乗効果でした。

友人がカツカレー論文を出すと言うので手伝いをしたり、家に遊びに来た時には私がカツカレーを振舞ったりしました。ココイチで新メニューが出るという時にはつきあったりしました。

ただし、友人はハンバーグカレーの事がものすごく嫌いでした。カレーに乗ってるハンバーグはネチョネチョしててキモい、といつも周囲に語っていました。

ハンバーグカレーもおいしい

しかしある日の事、私はハンバーグカレーを食べてしまいました。セブンイレブンでした。

私は元々ハンバーグの事が好きだったので、うすうすハンバーグカレーもおいしいのではないかな、と思っていたのです。

思った通りハンバーグカレーはとてもとてもおいしくて、私は隠れてハンバーグカレー毎日食べました。罪の味に私は苛まれる事になりました。

罪の味に苛まれながらも、毎日毎日ハンバーグカレーを食べているとつい話題に出してしまう事がありました。

昨日何食べたの?なんて聞かれたらハンバーグカレー食べた・・・しか言えません。何せ毎日食べているので。太りました。嘘をつく日もありました。

そんなやり取りをごく稀にSNSでしていました。友人はあまりSNSを頻繁に覗くタイプではなかったので多少ならいいか。と。

カレー確執

しかとんこつラーメン大好きの別の友人とその友人が同席している時に、「増田ハンバーグカレー好きだよね」とバラされてしまったのです!

このとんこつラーメン好きの友人はカツカレーハンバーグカレーの間の確執を知りませんでした。なので罪はないのですがあの時の冷たい空気を覚えています

「まあ別に好きなものは人それぞれだし」と友人は気にしていないように見えました。でも明らかにキレていました。SNSも見ていたようでした。

とんこつラーメンはわかっていませんでしたが私にはわかりました。とんこつラーメンハンバーグカレーはデミグラスっぽいカレーの方がうまいとか話すので冷や汗ダラダラでした。

これは他人に話を振られてしま可能性もあると考えて、私はハンバーグカレーSNSアカウント作りました

そして誰がどうとは名言しませんでしたが他所で私にハンバーグカレーの話を振るな、と明記しました。これで友人からハンバーグカレー話題は見えないはずでした。

ハンバーグカレーに乗せるのやめろ

私は友人と一緒に居る時は出来る限りカツカレーを持ち上げました。サクサクの衣にカレーがついた瞬間が最高!タンパク質も取れて健康別にカツカレーが嫌いな訳では無いので本心でした。

一方で私はハンバーグカレーアカウントを作った事で自由ハンバーグカレーの話が出来るようになりました。ハンバーグカレー写真をアップしたりしました。

ご存知の通りハンバーグカレーカツカレーに比べるとあまり人気があるとは言えません。ハンバーグカレーハンバーグカレーという皆が大好きなヤツの相乗効果とは思うのですが。

なので細々と、数少ないハンバーグカレー信者お話する程度でした。嫌がられるのが目に見えていたのでハンバーグカレー論文など書く気は更々ありませんでした。

ある日の事でした。通話中、私が「カツカレーって本当安心する味でいいよね、ソースもあうし」とカツカレーを話の流れで持ち上げました。

すると何が気に障ったのか、友人は「じゃあなんでハンバーグ乗せてんだよ」とキレはじめてしまいました。私は突然のことに青ざめました。

ハンバーグカレーに乗せる具として人気ないんだからもうちょっと自重してほしい」「ハンバーグカレーに乗せるのやめろ、カレーに失礼」などと言われ私は泣いてしまいました。

いやハンバーグカレーに乗せてもええやろ

私はハンバーグカレーアカウントを消しました。ハンバーグカレーを食べるのはそんなに悪い事なんだ、もう一生ハンバーグカレーを食べるのはやめよう・・・。そう思いました。

そう思ったのですがハンバーグカレーを食べることを私はやめられませんでした。以前のように誰にも見えない所でハンバーグカレーをモリモリと食べました。

ハンバーグカレーをモリモリと食べていると、「いややっぱハンバーグカレーおいしいやん」という気持ちが込み上げてきて、なぜそんな批難を受けねばならないのか疑問に思いました。

声高にカツカレーの話をする友人と違って、私はいつでも気を使って、こっそりハンバーグカレーを食べてきました。誰にも迷惑をかけたつもりはありません。

でも友人の言い分からするなら恐らく、「ハンバーグカレーを食うやつが1人でも存在する事が許せない」んだと思います。いや好きなもんくらい好きに食わせろや?常識的に考えてそう思うのですが、許せないらしいのです。

カツカレーハンバーグカレーも仲良くできたらいいのに

そんな感じで私はカツカレーを見ると気分が悪くなるようになり、その友人とは会わなくなりました。

ほんとめんどくせえな、どうしたらよかったんだよ と未だに思うのですが、私がハンバーグカレーをおいしいと思った時点で人間関係が終わってしまったんだろうと思います。そんなことで終わる人間関係がかなしいし、長年付き合って来た友人だけど本性を見た気がして、今は若干軽蔑感情があります

ある時友人はカツカレーを好きな理由を「一番ファン母数の多い揚げ物に所属してるとマウント取れるから」みたいなことを言っていました。

いやカツが好きとかじゃないんかい!そんなヤツに侮辱されたハンバーグカレーの事がかわいそうです。もうちょっと平和に生きられないのかなと思いますかしこ

"差別"とは何なのかとそれへの私見

追記意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)

 私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能属性による区別の話は憲法規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。

日本国憲法14条

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。

 そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能属性に基づく差別第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれから少しでも選択余地のある問題に関しては差別禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。

 加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間バイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性客観的なようでその人の価値判断目的などに左右されるきわめて主観的ものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的ものなのである。ただ、社会的意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサス形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。

追記ここまで

中学受験に関しての増田を端に発した議論はてな界隈で盛んになっている。

大方ブクマカダブルスタンダード批判したものであるが、そもそも差別はてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態区別を明示し、その日本社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別肯定するものではない差別とは何かを考える指標としていただきたい。

1. 日本国憲法第14条に定める属性および性的志向による区別

 これははてなーはもちろん、現在社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例存在する。ここでは憲法議論意図したものではないのでこれ以上は触れない。

2. 病気による区別

 これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由解雇した事件についてはその解雇無効であるとした判例存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。

3. 年齢による区別

 このあたりから判断が難しい。現在社会的定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。

4. 学歴学校による区別

 これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルター存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しか厚生労働省ガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。

5. 嗜好(性的志向はふくまない)による区別

 いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロ視点に立つならそもそも区別存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人ミクロ視点にたつならそういった嗜好を理由ハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメント問題とされるのではなく、そのハラスメント自体問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的問題視はあまりいであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性もつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。

 と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別定義は「絶対選択不可能属性事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択自由意志に基づくものである経済的事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別問題として扱うのではなく、公的機関から財政支援などによる学習の機会均等や学習環境改善問題還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。

 また、学歴問題は、生来変更不可能ものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。

 ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である公立中学問題に関してもそれを差別であるから議論提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来理想状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないかである偏見差別現在の不完全から生まれる。差別問題センセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたこである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正きっかけとなればうれしく思う。

anond:20201210074954

2020-12-10

国策をあげつらうことで金を生み出すビジネスモデルがあるということを忘れてはいけない。

なんか最近自民党をとにかく非難していればいいみたいな言説をたくさん見るので長文を書き散らす。

こういう事を言うとネット右翼だの安倍信者だの言われるのが目に見えているので先に述べると私は自民党政権を支持していない。

その上で、こういった事があるよと言っている事を前提としておく。

 

表題の件で何が言いたいかと言うと、社会的正義を建前としてメディアを通じて国民煽り、自らの利益につなげるという商売スタイル存在するので相手立場善悪関係なく全ての情報懐疑的評価しなければならないという事だ。

 

ここまで言うからには、もちろん実例を用意してある。

その実例とは、「ゆとり世代円周率は3」というものである

未だに真実として語られるこの事実であるが、実は嘘と言って差し支えないほどの曲解拡大解釈である

これによって「ゆとり教育=テキトーを教える教育」というイメージが固着し、メディア広告を通じたゆとり教育批判によって当時の小学生達は自尊心ガリガリ削られるという状態になっていたのだ。

円周率は3」という事実はどのようにして形作られたかと言えば、90年代末に学習指導要領改定され、小学校算数について「円周率目的に応じて3を用いる」「小数小数点以下第1位までしか扱わない」という文言が登場した。

目的に応じて3」というのは、円っぽい図形の時のみなし計算や、見積もりみたいな大雑把な計算をするときにとりあえず3としていいよ。ということであり、小数第一位の件についても、円周率に関しては3.14で扱うという旨が明記されていた。

まりそもそも3では教わらなかったのだ。

そこで、とある学習塾が「ゆとり教育では円周率は3!(だから塾に行こう!)」という感じの広告を撃ち、メディア批判精神観点からゆとり教育問題点の旗印として「円周率は3」を掲げて日夜教育批判を行った。

実際にはそうではなかったのにも関わらず、「円周率は3」という見出しインパクトによってこれは広く受け入れられた。

それがテレビや親を通じて、当時の小学生達に「お前たちは失敗作になる」というメッセージで突き刺さった。

もちろんそういった意図があった人は一人も居ないだろう。しかし、「頭が悪くなるから塾に行こう!」「間違いだらけの教育!」といったメッセージが日夜飛び交っていれば、結果そういったメッセージとして当人たちに届いてもおかしくはない。

 

ここまで読んだ人なら想像がつくだろうが、私はもろにその世代である

全員が全員ではないが、私達の世代には子供の時から「何をやっても無駄」「頑張っても無意味」という価値観の人が多い。

これはゆとり教育批判の流れ弾を子供自体に食らったからではないか?と思っている。

私もいい大人であるから自分無能怠惰というのは自力解決すべきことであると思っているし、教育メディアのせいにする気はサラサラ無い。その責任を取れとも全く思わない。

しかし、そのような環境に於かれていた当人たちは大人ではなく、第二次性徴も迎えていないような子供である

精神が未発達でこれから人格形成していくという子供に対して「失敗作になるぞ」といったメッセージを浴びせ続けるのは果たして円周率を3で教えるよりも良いことだろうか?

私はこれを自分の子供や下の世代絶対に味わせたくない。

社会的正義に目が眩んで子供がどのように感じるかというケアはあの当時全く無かったし、その証拠に、未だに社会的には「当時円周率は3で教えられていた」というのが真実になっている。

 

いつからそうだったのかはわからないが、この時にはすでに日本メディア事実観測から正義行為者へと変貌していた。

正義行使ではなく、事実観測を心がけていれば、ゆとり教育への批判建設的に行なった上で学習塾広告にも批判視線を向けられたはずである

 

メディア観測者の存在しない今、情報受け手である全員が観測者の心掛けを持たねばならない。

「○○政権法案はこういう事実がある!」というような批判に関しても、「そもそもその事実妥当ものか?」という俯瞰的観測精神を持たなければ、容易に誰かの意志に流され、守るべきものを壊しかねないということを忘れてはならない。

感情を動かされる見出しには気をつけよう。

2020-12-09

anond:20201208213349

生の喜びが生老病死愛別離苦と言った生に伴う苦に、総体として勝ってると信じられない人生というのはやはり惨めな境遇と言って差し支えないんじゃないかな。

俺、仏教徒じゃないから、この辺の仏教における捉え方ってどうなってるのか分からないし気になる。

2020-12-05

買い物しようとすると出てくるクソガキの写真なんなん

ネットショッピングしようとして検索すると出てくるあの大量のクソガキの写真

全然かわいくないというか、むしろめっちゃブサイクばっかり

あれみて買う?かわねーよwww

真面目な話をすると、商売のために効果があるかどうかもわからないことに自分のところの子供のプライバシーを安売りするのはもはや児童虐待として扱って差し支えないと思います

普段から気にはなってたけど、年末になると大量発生するのなんとかしてほしい。

2020-12-04

宅八郎」と「保毛尾田保毛男

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]

上記宅八郎についてのブクマ

ホモホモオと何が違うの??

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]

というブコメがあって、ちょっと思うところがあったか

ブコメブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。

侮蔑語としての平仮名おたく

おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的意味に転じた言葉

「クイア (Queer)」がある。


「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、

当事者が、強い意志を持って、ポジティブ意味付与し、

性的マイノリティーの権利獲得の旗印として使用したのに対し、

オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者意思意識とは関係なく、

経産省やその界隈、メディアの都合でメジャー舞台に引き上げられ、なんとなく、

つの間にか、片仮名表記が定着したということ。

(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)


したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、

ゲイプライド文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、

侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツカテゴリーとしての「オタク」の用法は、

なし崩し的にゴッチャになっている。


というか、役所メディア勝手でっち上げメジャー舞台に乗せられてるという自覚がない

今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然

という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした

不満を募らせている (らしい)。というのは…


ホモホモオと何が違うの??

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]

というブコメから保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、

オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。


それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、

明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的意味もつオタク」に読み替えて、

それを世間に認めさせたらいいじゃないの?


萌えキャラや、乳袋や、スカート股間の謎の影がそんなに大事なら、

世間と戦ってプライドを勝ち取ればいい。


…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…

おまけ

ブクマされたスレッド

しかし、彼の「おたく」と今の「オタク」にはかなりの違いがあるように思われるのです。
彼の知識偏重闘争の一環であって、自分趣味への自足ではない。


というのは所謂オタク第 2 世代として感慨深い。


知らない人のために説明すると、「おたくオタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる

ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代80年代、90 年代思春期を過ごした

世代と思ってもらって差し支えないと思う。


第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって

おたく」という侮蔑語発明され、エヴァシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤事件によって

おたく」という言葉世間にひろく知られるようになり、お笑い番組宅八郎ネタとしてイジられたり、

オウム真理教布教アニメ作ったり、秋葉原PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら

十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。


いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫宮崎駿クラス巨匠でも

アニメ漫画なんて下らない。なぜならアニメ漫画からだ」という評価をされる風潮がまだあった。

(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)


そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的自称しないけど)

(1) 「おたくから卒業して、世間的に認められやす映画文学などの周辺領域流れる

(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ

(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う

の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。


そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が

自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…


しかし、彼の「おたく」と今の「オタク」にはかなりの違いがあるように思われるのです。
彼の知識偏重闘争の一環であって、自分趣味への自足ではない。


みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである宅八郎」をもって、

昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような

不思議感覚がある。


冒頭のブコメは、もしかするとこっちのニュアンスかも知れないね

2020-11-26

まれて初めて正月実家に帰らない

今までずっと正月実家だった

年越し蕎麦食って笑ってはいけないと紅白を往復してゆく年くる年を見てとりあえずあけましておめでとうって言い合いそれぞれの部屋に戻って寝て五時間後位に叩き起こされ車を出して地元神社に行き神主さんにお祈り?御祈祷?してもらっておみくじ引いてお守り買って初日の出見てから家にに戻って朝飯食ってもう一回寝る、みたいな流れを経て三ヶ日アパートに戻るというのが一年の終わりと始まりルーチンだった

今年はコロナのために帰れない可能性が高い

地元はもうバカみたいに高齢化が進んだすごい田舎

そこに住んでる奴らの頭も田舎

正直土民と言って差し支えない人間が多い

から俺が帰るだけで家族迷惑がかかる恐れがある

親共喫煙者だったか重症化のリスクとかも考えると車持ちじゃない俺が公共交通機関で帰るのはマジで危ない

地元のよく知らん土民どもは正直滅ぼうがどうなろうが知らんがうちのばあちゃんやら大ばあちゃんに何かあったら嫌だ

ゴールデンウィークも帰りたかったし、盆も帰りたかったけどあきらめて

俺が帰れないでいる間に実家の猫は死んで二度と会えなくなっちゃって

このまま大ばあちゃんにも会えずじまいだったらどうしようかと考えるし

両親にももう会えなかったら?となると結構きついものを感じる

後何回会えるかもわかんないんだからなるべくたくさん会いに行きたいと思ってたし実際そうしてた

この年になってやっと麻雀ルール覚えたからこれで家族全員揃ったら皆で打てるなーとおもったらこの有様だもんよ

最後に会ったのいつだっけどんな話したんだっけ

ただ前より老けたなあ縮んだなあと思ったのは覚えてるからなんだかすごく焦るんだよ

マスクもするし手洗いうがいもするしアルコール消毒も自粛でもするからというかしてるから

早くワクチンでもなんでも作って広めて全部丸く収まってほしい

実家の飯が食いたい

2020-11-25

炎上した二次創作否定の本題もわからないのに語るな

ファン活動としての二次創作を許容しなければならない空気感文化破壊したい」(該当ブログ削除済み)を読んだうえで、同じく二次創作否定からお気持ち表明したくて参上

いうて、私自体は商業どころか同人作家でもなく、駄文を書くことはあるけど基本は消費者しかないことご理解を。

あと該当ブログくんが炎上した後速やかに消えてしまったので、少し彼が本当に商業漫画家だったのか、web炎上させるの大好きマンくんではなかったのか怪しい空気になってしまったので悲しみ。

それでも、性善説を信じ、彼が本物だったと仮定して少し話させてほしい。まず二次創作擁護()派のみなさんに一言いいたい。

「本当に議論しないといけない部分」を無視して、主張の粗いところを責め立てて、論破()して「私たちの主張の勝ち、黙れ」って問題放置したまま勝利宣言するのいい加減やめてくれません?

私、基本はアイドルマスターくんとかいコンテンツオタクやってるんすけど、そっちでも炎上案件があったときによくみられるし、多数派意見をもっている人間がやりがちな行動なんだなぁとしみじみ。

根本問題が何一つ解決されていない、臭い物に蓋をする戦法でしかありません。そのくせ、勝ったという実績だけ手に入れたと対外アピールする最低演出ですよ。

あと「国語力を鍛えろ」も今回は追加で。

ふとTwitterみてたら今回の話だと「こんなこと言う前に『読者を金づるだと思ってるから逃げられたくない!』『編集部から煙たがられて仕事回されなくなったらヤダ』って思ってるところを認めなさーい」みたいなツイートが流れてきて

……言ってたよね? 筆者、その部分認めてたよね? あれ、俺は同じ文章読んでそう読みとったけど、俺が深読みオタクくんしちゃった?? と脳内バグりました。

本文で言及していた「大前提」(そもこれが前提なのか審議)を書いてないかダメっていって意見のもの否定するの卑怯にもほどがある。本文読んで読み取れなかったなら国語力なさすぎなので議論に参加しないでほしいし、

「わかって」やっていたならあんまりにも卑怯だよね。炎上案件なんて、いちいち全文目を通す人しかいないわけではない。そういう、見てない人に対して「あの主張はダメだよ!」っていうレッテルを貼って相手意見反対派に第三者誘導するの、まじで性格悪い。

 では、該当部分について引用して、僕が深読みオタクか、先方が国語よわよわマンだったのか判断お願いしたいと思います

「今、日本創作を行っている個人クリエイターは、二次創作活動を認めることを強制されている。

それが、すごく嫌だ。

「何様だ」って思うだろう。「読者がいなきゃクリエイターは食っていけないんだぞ」って言われるだろう。「好きなことを表現して共有することの何がいけないの?」って感じるだろう。

その通りだ。私は、何様でもなくて、ただちょっと絵が描けて、漫画が描けるだけの人間で、とても弱い。

読者のみんなが、漫画を買ってくれなきゃ、あっという間に死んでしまう、本当に弱い存在だ。』

『でも、結局私は商業作家で、最終的にはお金のために作品を描かなきゃいけないから、読者のみんなに、どうしても媚びなきゃいけない。』

作家が読者に依存していることをここで言及している。「金づる」という言葉は使っていないけど、お金ファンが結びついているので、僕はそういうニュアンスだと理解しました。

『色んな選択肢はある。これから選択肢は増えるだろう。

その選択肢を、消したくない。

読者に嫌われるということは、選択肢自分から消していくということだ。

編集者さんや出版社さんから「面倒な人物」と少しでも思われることは、自分未来を潰すことだ。』

未来=作家人生=仕事 をつぶしたくない つまり、面倒な人物だと思われたくない。単純明快

あと、「編集部にいえ」とか「ファンにいえ」みたいなことで怒っていた人たちはまじで何?

編集部に言ったら、自分の首を絞めることになる。ファンにいったら、ファンに離れられてしまうかもしれない。これらが実行した際に本当にそうなるかまでは確かではないが、

少なくとも筆者にとっては死活問題なんだと考えた。そう書いてあるのにいったい何を読んだら「これで反論してやったぜ」みたいな顔できるのかわからん

実際問題、「二次創作を許容すると宣言する作者」と「二次創作全面的否定する作者」のどちらが心証がいいかなんて明らかだろう。許容派の作者さんのその旨のツイートがバズってたし、

みんなわかってるんだろ? そして、二次創作を許容する人が言うように二次創作作品を盛り上げるうえで貢献する部分があるのだって事実でしょ? なら、企業として編集社はあやかりたいと思わない?

二次創作が許されている、つまり二次創作によって知名度があがる可能性がある作品と、二次創作を許されない作品。どちらも同程度に面白かった作品場合、どちらを選びたい? 前者だよね。

その二次創作を許されなくても人気が出るくらい面白作品を作れるなら、そういった意味も込めての「超大御所」という文章内での言葉だろう。それなら変わる、でもそこまで人気作家ではないと言っているんだから

そこで文句いうのは筋違いだ。

もし、そういった反論が書きたいなら「編集部に言うことも、ファンにいうことも売り上げや今後の仕事契約上、1mmも不利にならないこと」を論理的証明してから言えよ。

その証明が通れば、彼の増田でのアプローチおかしいと言えるだろう。

ここで一回区切るが、お気づきだろうか?

これらの反対意見、「増田に書くな」というご意見であり、本題である二次創作についてはなんも言及していないのだ。

これで「反対しました」とか「こういう雑な文章書かれると、本当の否定派も言いづらくなっちゃうよね~~」とか言ってくるのだ。

タチ悪いよねほんと、悪い癖にこんなガバガバ反証なんだからもっとやになっちゃう。

というわけで、ここから本題に入ろうと思います

筆者は「二次創作を許容しろという空気感文化が嫌い」と言いつつも、自身も「二次創作」をしたいと思う気持ちはあるという話をしている。

彼が本当に嫌っているのは何か。それは最後『むしろ「好き」を表現する手段として和気藹々と二次創作を行っている人達の方がはるかに『厄介』です。

自分達を善き人だと思い込んでいる人達に向けてこのメッセージを書いています』という言葉で語られる部分から考えていくことができる。

だって作品って私のもので、キャラクターストーリーも、本当に、精魂を込めて、精神と魂を削って描いて放出しているものなんですよね。

それを好き勝手されると、嫌な気持ちになることがどうしてもある。

作品を1匹のぬいぐるみだとするなら、二次創作ってのは、そのぬいぐるみを分解して、紐解いて、目をくりぬいて、

自分の好みの別のぬいぐるみにしてるような、そういう行為。』

とも書かれています。わかってきましたね?

そう、この人は「二次創作」そのものではなく、「二次創作と謳いながら作品自分好みに魔改造する行為」に辟易としているのです。

そして、そんなクソみたいな行為を「肯定」するしかないことを嫌だって言っているんです。

から私たちが今回の炎上で本当に考えないといけないのは「二次創作って何をもって二次創作っていうんだろう」ということなのです。

僕は最初二次創作否定派と言いましたが、一つ訂正します。僕は本当はそこらへんのオタクよりもよっぽど二次創作が大好きです。

でも、世間一般で「二次創作」として流れてくるほとんどのものが僕にとって二次創作とはいえない粗末なものばかりで、問題提起したくて

二次創作否定」という強い言葉をつかわせてもらっているだけです。

ですので、彼の意見賛同するものとして、君たちの「二次創作」が間違っているということをこれから話させていただきます

このことについて、まず私たちのもっている違和感感覚的に理解してもらいたいのでいくつかキャッチー言葉を考えて来ました。

いくつかあげますが、これらが伝わりやすさを重視し、正確さは少し度外視しているのでこのコピーに関する反対はご遠慮ください。

同人ゴロは「売れるものを売れるように描く」やつら、お前らは「好きなものを好きなように描く」やつら

②if設定で二次創作するとき、要素を変えすぎれば対照性が失われるから同一作品とは呼べなくない?

③それ創作じゃなくて、好きなキャラを好きなように動かして楽しんでいるだけのお人形遊び、いやもはやオナニーですよねそれ

自分で1から設定を練る力も考えた設定で継続してかいていく力もないから、既存の設定に乗っかって、

愛とかいって自己アレンジくわえて原作無視してるだけなのに「創作」者気分味わうのは気分よさそうですね^^

考察ではなく、願望によって展開されるもの二次創作ではなく妄想じゃない?

⑥そこにあるキャラを読み取るのが解釈なのであって、自分妄想押し付け行為のどこに解釈意味があるの?

原作ではありえないシチュエーション原作にありそうなシチュエーションを考えるのが二次創作であって、

原作ではありえないキャラの動きをさせるのは二次創作ではないのでは?

⑧ありえない事象シチュエーションについて「俺の宇宙では音が鳴るんだよ」と名だたる人が言及したことをあげて反論する人がいるけど、あれは一時創作

お前は二次創作、おわかり?

キャラクターから話を考えるのではなく、エモい展開にキャラを無理やり当てはめて描くんだからそりゃあバズりますよ。

消費者キャラじゃなくてお話評価下すんだから

打線組んだことないかセオリーからないけど、9つあるからなんか打線っぽくなったや。

まあ、伝えやすさ=過激さ重視なのであんまりいうと自分の足元掬われかねない言葉たちではあるんだけど、

一貫して言いたいことは「愛さえあれば何しても許されるわけないだろ」といったことだと思っていただければ。

「このキャラ好き、あのキャラも好き、その二人のカップリングが好きだし、公式でも絡みあったし、このキャラはあのキャラのことキチレベルで好きって設定にしよ!」

とか、「こういった恋愛関係が私性癖から、私の好きな二人にそういった恋愛させよ」とか、もしくは「このキャラ好きだからエッチ絵描きます!」とか、

そうやってあなた達が描いたキャラは、あなたが好きだっていったキャラがとりうる行動なんですか? 本来キャラなら取らないだろうなって思うなら、

それはそのキャラじゃないですよね。一次のキャラデザをパクり、性格を少し真似ただけの、貴方オリジナルキャラクターじゃないですか?

オリジナルから二次じゃないし、でもオリジナルというには既存キャラといろんな要素が一致するので、二次創作じゃなくて「パクリ」てすね。

そのくせ、パクった張本人は「二次創作だ」とか「私、この作品大好きなんです!」とかのたまっているんだから一次創作者で切れる人がでてきても全然おかしくないですよ。

そりゃあ、自分の好みのキャラデザ、設定を自分の好きなように動かせるなら大好きにでもなりますよ。

二次創作擁護する人達はいったい、どうしてこういった「妄想」や「パクリ」を擁護するのか教えていただきたいです。

彼らは善意作品雰囲気を壊す無邪気な子供みたいな邪悪さをもっているように思えます

その、作品雰囲気を壊すことが今の二次創作の大部分を占めているわけです。それで活発になるのは本当に原作にとって益なんですか?

作者にとって不本意な盛り上がり方になっている可能性は考えられませんか?

それとも、たとえどんな道であろうと、原作にたどり着いてもらえればそこで適宜消費者個人個人修正してもらえばいいとかいう考えですか? 

そして、何より、この妄想パクリというもの二次創作といって差し支えのないものなのか、本当に「愛」ゆえの行動と言えるのか、この部分を中心に議論していければよいなと思っています

それでは、対戦、よろしくお願いします。

P.S. もしくは蛇足

まあ、こうして否定しましたが、表現の自由とか考えれば「あなた方が妄想すること」自体否定するつもりはないんですよ。

ただ、それを自分一人で楽しむだけならともかく、他人に見せて自分承認欲求にあてたり、金稼いだりするのが気にくわないし

何より、それを「受け入れている」消費者が一番許せないって思っているのが私です。結局、問題同人ゴロと同じなんですよ。

彼らが存在するのは彼らを受容し、需要もつ消費者いるからです。誰も彼らの本を買わなければ、金稼ぎをしている彼らは描かなくなりますよね。

結局、こういう質の悪い「二次創作」、妄想しかない「二次創作」がTwitterに出回り、同人イベントであふれかえるのもそんな

他人を誑かすためだけに作られた作品をまんまと求める馬鹿消費者いるからなんですよ。

ですから、私、二次創作否定派ですが作者側には今一度、在り方を見直してほしいとは思いつつも「変えろ」という気はありません。

変わっていただければ私があなた消費者になるだけです。あなた気持ちが変わらないなら変えようと思いもしませんでしょう。

あくまで、私はそれを消費する消費者に「それを二次創作だっていって受け入れていいのか」と問いたい。そして、二次創作と呼べない粗末なものなら触らない。

別に妄想を書きたいだけの人なら、他人に見られなくても描き続けますし、承認欲求で描いてる人は、質のいいものを描こうと努力してくれるはずです。

そう、変わらないものは変わらないし、変わるものは質が良くなります。少なくとも「悪くなる」ことはないのです。

あなたも、キャラクターが好きで二次創作を追うだけなら魔改造されたキャラ設定を「良い」っていう必要がないのわかるでしょ? もはや、魔改造されたほうを好むなら

キャラクターが好きという言葉が適さないのもわかるでしょ? 

さあ、消費者よ。見栄えに騙されないで、甘言に惑わされないで、まずは私たち作品に「誠実」で在ろうよ。

素晴らしい二次創作はその先にきっとあるので。

2020-11-18

anond:20201118150427

単純に質が低いのに売れてるのはおかしいと言うことだろう。

実際、ストーリー陳腐だし絵も最後まで上達しなかった。相対的評価も混じりつつ、他の傑作とされる漫画と比べるとまあそれ自体事実だと言って差し支えないのでは無いかな。

傑作=売れる作品では無いということだ。

ナルトが終わり、ワンピースもほぼ隆盛を通り過ぎたニッチに綺麗にハマった故に商業的な流れとして、大きく売ろうとしたし、大きく売れたと言う評価じゃ。

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-16

会社員株式投資と向き合っていくために

会社員だ。30代後半。投資歴は約15年ほど。

今回、ふと思うところがあったので、会社員株式投資との向き合い方を3点に絞って説明する。

こういうのには慣れていないので、まとまりがないかもしれない。ご容赦を。

1.会社員が株で勝とうと思ったら長期投資しかない

 あなたは株をやったことがあるだろうか。

 やったことがあるのなら、ほとんどの人が負けているはずだ。特に、数日~数週間以内で完結する短期トレードがそれにあたる。

 実力者以外は負け続ける。株式市場はそういう風にできている。理由は以下のとおりだ。

①値上がり率ランキング

ここの上位に上がっている株を買ってはならない。たいてい落ちていくからだ。「噂で買って事実で売れ」「人の行く裏に道あり花の山」と言われるように、あれは提灯買いを誘うために存在しているようなものだ。買った後は落ちるものの方が多いし、上がったとしても会社員が働いている間に下がることがほとんどだ。値上がり率ランキングというのは、デイトレーダーであるとか、専業であるとか、株式市場に張り付ける人のためにある。

人間の性

損をする人は損切ができない。指を咥えて見ている間に株価さらに下がり、どんどん下がり、どうしようもないほどに下がった後で塩漬けという判断になる。または、株価がガクンと下がった段階で狼狽売りをする。

塩漬けにしている間は、ほかの株に挑戦することはできない。こういう人の場合――塩漬けになった株がストップ高になったとしても、利益が出ていない限り、もっと言うと、損を取り返せない限りは売らない傾向にある。株価というのは1回ポンと上がったらそれで終わりであり、2回目の花火が上がる頻度は少ない。毎日ランキングを見ていればわかる。

仕手株

ランキングで上位になる株のうち、例えば50円とか200円のがあるだろう。それで、いいニュースが出ているわけでもないのに、あるいは大したニュースでもないのに爆上げする。仕手筋は、時価総額の少ない株式であれば、ある程度コントロールできるだけの資金を持っている。日頃はボックス相場を作って株を買い集め、時期が来たら一気にストップ高にしてランキングに載り、一般人が釣られて買い上げ、十分に上がったところで何段階かに分けて売り浴びせて――終わりだ。後は元の株価に戻るだけだ。仕手筋が売りに失敗したと判断した場合、数か月をおいてまたストップ高になることもあるが、最初の上昇よりは小さい。

情報操作

中高年向けの雑誌で、「今買っておくべき株ランキング」みたいなのが載っている。あれは編集者がそれっぽい基準で選んだものの寄せ集めか、過去記事の焼き直しか、はたまた〇〇〇な人達からの依頼であり、一般人に買い上げて欲しい株を掲載しているだけだったりする。インターネット掲示板も信用に値しない。百害あって一利なしだ。「買った方がいい」と言っている人は高値で売りたい人であり、「売った方がいい」と言っている人は安値で買いたい人だ。もちろん〇〇〇な人達情報操作のために利用している。個人的には、インターネット掲示板は逆の視点で利用している。「買うべき」という人が多ければ売り、「売るべき」という人が多ければ買う。本当にいい株は自分で見つけるものだ。他人提示された時点で、いい株ではない。

 要するに、会社員短期投資をやったらダメなのだ日中に売り買いの意思決定ができない時点で論外だ。

 ストレスも多くなる。毎日通勤中や昼休みや、家に帰ってから損益をチェックし、その後の方針を決定するというのは脳の疲労になる。

 会社員にとっての株というのは、副業であり、趣味であり、暇つぶしであり、本業差し支えた時点でNGだ。

 私が長年株をやってきて、一番いいと感じたやり方が長期投資だ。すなわち、社会に新しい価値創造できる会社、なんだかフィーリングの合う会社自分が好きな商品サービスを売っている会社、それでいて、10年単位で見た場合株価が低位を彷徨っている。そういう株を買って放置しておく。

 それで、数か月とか半年とか、1年とかが経った段階で売るのだ。上の条件を本当に満たしている株であれば、たいていは1~2割は利益を得ることができる。

 満たさなければ売る。具体的には、株価が10%下がったら売る。金融機関でも10%を損切ラインにしていると聞くが、これは冗談抜きで有効基準だ。私がこれまで10%ルール損切りした株は30銘柄以上になるが、今のところハズレはひとつもない。みな、10%を超えて株価が落ちた場合さらに下に下へと、けっこうな勢いで落下していった…



2.株で資産を築くための手順

 あなた初心者だと仮定して話を進める。

 20代とか30代で、毎月貯金ができていて、ようやく何百万円かが貯まって、貯まったはいもののどこに投資しようか……みたいな悩みを抱えている。

 株をやってみたいけど、財産を失うのは怖い。でもやりたい。興味がある。

 そんな人に向けて話をする。

手順① 証券口座を作って10万円を入れる

 最初に全財産を突っ込むなど論外だ。「小さく始めよ」はどんな分野でも通用する。

 株というのは、向いてない人がやると一か月で資産の5割以上が吹っ飛ぶようにできている。常に慎重な判断必要になる。株のプロは、自分が勝てる勝負しかやらない。勝ち方にはいろいろあるが、とにかく自分の中で勝率が8割以上みたいなトレードでないと参加しない。

 話は逸れたが、初心者場合は少額から始める。これが一番費用対効果が高い。

 まずは10万円を口座に入れて、適当トレードしてみよう。5万円でも、3万円でもいい。自分にとって惜しいお金ではあるが、別になくなってもいい金額を入れる。初心者SBIにしておけ。

 さて、トレードを続けていったとしよう。最初の1週間くらいの成績はまずまずだが、続ける度に負けが込んでいくはずだ。そして、負けた分を取り返そうとすればするほど、資金を失う速度が上がっていく。

 そういうものだ。反省はしても気に病む必要はない。10万円でこのこと(実力のない者は株式市場お金を吸い取られること)が学べたのなら、その時点でコストパフォーマンスがいい。

 残念ながら、何度やっても資産が増える状態を作れない人もいるだろう。

 悪いことじゃない。別に株式投資で勝てなくても、人生はどうにでもなる。むしろラッキーだ。株式投資で勝てないことがわかったのだから。もしわかっていなければ、遠い将来に退職金の全部または一部を突っ込んでいた可能性がある。あなたはツイている。

 運のない人や愚かな人は、最初に300万円とかを突っ込んで負け続け、さらボーナスで負けを取り返そうとして…みたいな地獄に陥ったりする。

手順② 実力をつける

 これが一番大事。すなわち、時間が経つごとに資産を増やせることだ。

 これができないと、毎年1憶円を稼ごうと意味がない。市場お金を吸い取られるだけだ。

 まずは実力。これさえあれば、最初資金が10万円だろうと数年以内にお金持ちになれる。

 ところで、安定して勝てるという条件を満たしている人は株式市場には2割もいない。では、どうすれば勝てるようになるのか?

 その前に、私の資産の推移(株取引に限る)を教える。社会人3年目の時から8年分だ。毎年、50万円を追加で入金して、それ以外は奨学金の繰り上げ返済をしていた。

当 初 150万

1年目  90万

2年目  40万

3年目  30万

4年目  30万

5年目 140万

6年目 220万

7年目 650万

8年目 900万

 残念ながらアホの子だったので、最初に全財産を賭けてしまった。数年間は胃が痛くなる思いをした。

 5年目のところで資産が伸びているのは当たりの株を引いたからだ。5日くらい連続ストップ高になった。そのうえで、大きな負けがなかった。

 自分なりの簡単ルール確立して、愚直に守り続けた。特に損切10%ルール。これを無条件に守れるようになったのが6年目のあたりだ。

 そう、ルールだ。自分ルールを作って、ひたすらに守り続ける。

 取引の結果が出たら、どうやってトレードたか、どんなことを考えていたかを振り返って、場合によってはルールを変更する。それを繰り返す。

 社会人は短期投資をすべきではないという原則を導いたのも、投資の失敗によるメンタルダメージが仕事に響く経験を何度もしたからだ。

 今だと、1回買った株を売るタイミングはだいたい半年だ。早くても三か月。1年以上持つこともある。

 ひとつの例として、一番最初に完成したルールを以下に公開する。最初はこんなものでいいし、正直、今でもこれに毛が生えた程度のものだ。

株式運用方針

(1)銘柄観測

  ・勝てる銘柄しか勝負しない

  ・日を空けてもう1回見てから売買を決める。

  ・出来高上昇は買いの効果的なサイン

(2)買うとき

  ・有利な価格以外では買わない。暴騰時は1.3倍まで。

  ・短期売買の場合、買いと同時に下限10%程度で逆指値を注文する。

  ・機会損失(※買わないと決めた株、売った後の株が値上がりした)は気にしない。結果論に過ぎないため。

  ・株は上がる時はジワリと、下がる時は滝が落ちるようになる。ジワリと上がっているか横ばいの株を買う。

  ・落ちるナイフは拾わない。上昇のサインが出てから拾う。

(3)売る時

  ・損切10%ルールを徹底する。

  ・利益≧0ならば合格とする。

  ・今が買いか?を基準に売買を判断する。過去に買った時の価格関係ない。

  ・機会利得(※買うと決めた株、売った後の株が値下がりした)は気にしない。結果論に過ぎないため。

  ・頭と尻尾はくれてやる。  

(4)今後について

  ・噂で買って事実で売る

  ・自分多数派にいる時は注意。常に少数派であれ。

  ・相場暴落時は様子見。落ちるナイフでなくなったら暴落した株を買う。たいていは日銀の買いが入る。

 自らのトレード研究するのに併せて、投資に関するベストセラーも読んでみよう。

 アマゾンでたくさん星がついていて、ロングセラーのやつを買うといい。

 以下に、私が読んだ中で勉強になった物を4点挙げる。初心者だったら2冊も読めば十分だ。

 カスタマーレビューゆっくり読んでから購入を決めよう。

 マンガでわかる バフェット投資

 https://www.amazon.co.jp/dp/1646746828

 株式トレード 基本と原則

 https://www.amazon.co.jp/dp/4775972340

 リバモアの株式投資

 https://www.amazon.co.jp/dp/1646747216

 仕手株でしっかり儲ける投資

 https://www.amazon.co.jp/dp/4534039611

手順③ ポートフォリオを決める

 株で勝てるだけの実力が身に付いたとしよう。

 だったら、あとはもう勝手お金が増えていくだけだ。追加資金を投入する必要はない。損をして資金が減ることもあるだろうが、長期的には増えていくだろう。愚かなことを繰り返さなければ。

 この段階では、自分にとってベストであると思われるポートフォリオ資産配分)を決めよう。

 私の場合は、奨学金の返済が終わったタイミングで決めた。自分が持っている資産の種類ごとに、以下のような方針を決めた。

 この時点での私の年収が380万円で、固定費と小遣いを除いた可処分所得は月平均で3~4万円だった。

 国内株式・・・この時点で資産の8割。これ以上の資金投入はしない

 インデックス・・・毎月3万円とボーナスの半分を積み立てる。もし結婚したら見直す

 現金・・・毎月の小遣いが残った分を封筒に入れて貯金する。月に5千円~1万円

 ネットなんかでポートフォリオの作り方を説明しているページの意見をそのまま採用すると、もっと複雑な組み合わせになる。不動産とか、海外債券とか、金とか、ETFとか、とにかくいろんなものを組み合わせてリスクヘッジを狙うべきだと主張している。

 そこまで複雑なのもどうかと思う。大まかにリスクヘッジができていればいいんじゃないか?私の場合は、全世界株式インデックスファンドを買っている。これが暴落して落ち切った時には世界が終わっているので、何を買おうと人生終了! そういう考え方を採用している。

 というか、ポートフォリオをうまく組んで資産形成を~といった案内をしているページのアフィリエイト広告を見ていると、「あ…察し」みたいになるはずだ。あからさま過ぎる。もっとうまく隠してほしい。



3.最後

 これまで投資をしてきた株で、思い出に残っている奴を3つほど挙げて終わりにする。

 ここ数年は買っていないし、今後も買うことはないだろう。

キヤノン(7751)

 今は息も絶え絶えの株価だが、以前は強かった。

 安定企業かつ、大企業かつ、配当金が高い株の代表格だった。元々お金をたくさん持っている投資家が買っていたのだろう。

 コロナのせいで経営の先行きが不透明になり、配当金が下がり、そのせいで株価もガクンと下がり、落ち目の印象がある。

 日本代表する企業ひとつであるため、今後復活する可能性は大いにある。あなたが10年単位投資をするタイプの人であれば、暇なとき株価をチェックしてもいいかもしれない。

ブロッコリー(2706)

 10年ほど前はボロ株だった。10円とか20円だった気がする。株式併合をしているので、今のチャートでは昔の株価を知ることはできない。

 若い頃はアニメをたくさん見る人だったので、応援のつもりで買った。もしあの時、もっとたくさん買っていれば…と後悔したこともあるが、今は気にしていない。

 お金を儲けるために株をやるというのは間違った考えだと思う。株というのは資産運用だ。急激にではなく、じわりじわりと増やしていくものだ。その対象として、自分応援したい事業をやっている会社投資する。専業トレーダー以外にとっての株式投資とはそういうものだ。

テラ(2191)

 廃人向けの株だ。

 もしこの株を1年間運用して利益を出せたのであれば、あなた会社をやめて専業トレーダーになるべきだ。というか、この株で勝てる人間はむしろ社会人に向いていない。

 どうヤバいのかは、風説の流布にあたるのでここでは述べないが、最高難度の仕手株であるということは述べておく。

 ちなみに、がん治療研究や、免疫細胞製造・加工をしている会社だ。四季報には東大ベンチャーとあるが、厳密には違う。創業者東大での研究きっかけに会社を立ち上げたというのが正しい。

 会社のもの技術力のあるところだが、経営ピンチになってからは、ヤバい連中に囲まれている印象がある。いいニュースを知らせるIRが出た翌日に株価が思いきり下がるのは、おそらくここぐらいのものだろう笑

2020-11-08

ATSUGIの件はもうフェミニズムじゃなくて良心範疇では

追記:いくつかご指摘頂き、恥ずかしく反省した点もありましたので追記します。

他の不快広告謝罪の事例

教えていただいた方、特に anond:20201108030121 の方有難うございます。私がガチ寡聞無知というだけでした。ごめんなさい。勉強します。

ワニの話のときは正直言って「ないわー」と思ってた側です。作家さんのことはかわいそうだなと思っていました。とくにレビューとか攻撃はしておりませんが、ダブスタと言われればそれまでかもしれません。

性的かどうかではなくインモラルどうかという切り口にすれば議論が発展したかもしれませんとも思いました。私は無知なので話せませんが…


食べログAmazonレビューにも攻撃的なものはたくさんある

それって飲食店作家謝罪しまたか?その攻撃的なレビュー適当ですか?ということを言いたかったのですが…適当とお考えならそれはそれでよろしいのでは…

攻撃的なレビュー普遍的ものであり、ATSUGIイラストレーターも甘んじて受け入れ謝罪するべきである」と仰りたいのでしょうか。悲しいですね。

anond:20201108024607 あらん限りは言いすぎですね。おっしゃる通りです。ごめんなさい。


not for you です

id:grdgs悪口は駄目」と曖昧倫理的問題を頻繁に提示するミソウヨダブスタを指摘したら、「強すぎるのが駄目」と曖昧ゴールポストを動かした。卑怯者だな。「明文化」も口癖のくせに / 卑怯者は増田宛てじゃない

id:porquetevas 倫理的問題言及して批判してる人も多くいたのに(自分企業倫理的に問題ありと思ってる)そこ無視した前提で語り始めるのは何なの

前置きの通り、「倫理的には問題ないけど、不快マーケティングだね!」と評していた方々についての文章ですので、「倫理的問題がある」とお考えならば特に関係のない文章かと思います。他の文章をお読みになったらいかがでしょうか。

前置きで倫理基準問題にしている人もいる、とも書きましたよね。

ちなみに最後に述べた通り、これは「私が悲しい」というお気持ち文章ですよ。倫理の話ではなく。

コメントを訂正頂いたようですので反映しました。ゴールポストを動かすのはよくないですよね。同意します。繰り言になりますが、批判感想自由だと思います

追記おわり




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anond:20201107053636

これのブコメ読んでぶわーってなったので書きました。マーケティングのほうの話です。もう宴もたけなわからまれいかもしれませんが。

前置き

今回の件はこれまでの性的表象をめぐる議論とは様子が異なっていて、まず批判する主体が実際に購買している層であったということ。次に、これまでの曖昧な(というのは露出度等の客観的基準に拠らない、という意味です)性的表象への批判ではなく、私たちの好みではない」という批判感想)が主体であったこと。これは倫理的問題ではなく、個人としての感覚動機主体であることを示しており、これまでの議論とは一線を画したものだと思いました。そして、これまでのような曖昧倫理基準に基づいた批判を展開する方は得てして少数派だったように見えました(書きながらTLを見ていたらそうでもない気もしてきましたが)。ということで以下の話は、ATSUGI広告使用された表象倫理的には問題ないものの、購買客層を不快にさせるものであるという前提で進めます

私はこの状況を見て、ATSUGIやらかしたね、謝るのも仕方ないね、これでシャンシャンだね、としばらく感じていました。しかしやはり少し違うのでは?と思ったその感想等を以下に書きたいと思います


マーケティング的な理解について

さて、私が最初この一件を仕方ないと捉えていたのはこういう意図によるものです。

ATSUGIはこれまでの客の好みを間違い、客を怒らせた。客は怒り、個人的かつ否定的感想を述べた。これに対してATSUGIは、それまでの顧客層に見放されないため、という資本主義的な理由によって自発的謝罪した。その謝罪の内容は「不快にさせたため」という理由によるものであった。それは商慣習上通常の営為であり、なるべくして収まった。彼等はマーケティングを間違えたのだ。


しかし、本当にそうでしょうか?


不快さへ対する謝罪妥当

上記の考えに至ってからしばらくした本日、私はこうも考えました。これがほかの性的表象ジェンダー無関係マーケティングだったらどうだったでしょうか、と。他のテーマでも不快広告というのは多分にあり得ます。「広告 不快」でGoogle検索すると、うっとうしい広告の事例が多く出てくると思いますしかし、これらの企業謝罪まで出しているでしょうか。

これらの企業には彼らの広告不快に感じる顧客候補を引き留める理由がないか謝罪などのアクションをしないのだ、そういうことがまず皆さんの頭に浮かぶかと思います

それではなんらかのアクションをとり、広告不快と感じた顧客を引き留めたい場合について考えてみましょう。ジェンダー性的表象以外で。ありますか?考え付きますか?広告不快にさせてしまった、失敗したと思ったら、きっと何食わぬ顔で次のキャンペーンからテイストを変えるなどの施策を打っているのではないでしょうか。

性的問題以外で不快さを理由謝罪した事例を私は寡聞にして知りません。もし知っている方がいたら、誰か教えてください。もちろん企業不祥事にかかる謝罪は連日引きも切らないところですが、不快感が不祥事になった事例がありましたでしょうか。

不快広告を出したことに対する謝罪これがまず違和感を覚えた点です。


不快さに対する批判適当

もう一つの点に移ります

かにお客様を怒らせたのはマーケターとしては完全な失態です。謝罪して顧客に戻ってきてもらいたくなるのは自然心理でしょう。

翻って消費者視点を移して考えてみたいと思いますATSUGIのラブタイツに関するSNSマーケティング後、この件に対する既存購買層から批判感想が爆発的に増加しました。ここで皆さんに聞きたいことがあるのですが、これらの批判感想の表明は適当と言えるでしょうか?

もちろんTwitter上の批判非難感想自由にあるべきです。これまで愛用してきたATSUGIブランドが全く違うテイストになり、憤懣やるかたないこともあるかもしれません。しかし、タイツについてはATSUGI以外にも多くのメーカー製造販売していますタイツ供給問題になることもない。いろいろなテイストブランドがある。かに選択肢のあるこの状況でなぜ、ラブタイツキャンペーンにここまでの批判否定的感想)が集中するのでしょうか。倫理的には問題がない広告にも関わらず。

私が今回後になっておかしいと感じたのは、フェミニズム性的表象主体客体に関することではなく、SNSによる国民レビュアー状態消費者第一主義とそこから発生したコメントスクラムです。だってそうじゃないですか?オキニブランドが嫌いになってきた、そしたら普通は黙って他のブランドに乗り換えるのがこれまでの通常の購買行動です。

レストラン対応が悪かったら、あなた情報サイトにあらん限りの攻撃的なレビューを書きますか?今回の件はそれを集団的にやられていた状態だったのではないですか?

「買ってやっているのだからどのような苦言も受け入れるべきだ」そう思っている人は今回の批判者の中に本当にいませんか?これは妥当な商慣習だと本当にそう言えますか?


なぜ倫理的問題はないと考えている人が多いにもかかわらず、ここまで炎上(そう書いて差し支えない状態だと思います)したのか、それは「こういうセクシャル表象については攻撃的な意見を表明していい」という意識の表れではないでしょうか。そうでなければ皆が皆「気持ち悪い」「不快」と声をそろえて言うことがありますか。そんなに気軽に使っていいものでしたでしょうか、「気持ち悪い」という言葉は。

なんとういかコロナ禍におけるタレント自殺率とかを思い出しますね。具体的な名前は出しませんが、SNSで事あるごとに話題に出されるタレントの心労を思うと、なかなか厳しいものがあります。今回の騒動に似ている個所もなくはないと思います


まとめ

まとめます。再度申し上げますが、批判感想自由です。それを受けてATSUGI謝罪したことについても外から口を差し挟むことではありません。それでも本件を広告問題として考えてみると、商慣習上不条理なほど叩かれ批判され「気持ち悪い」と罵られている。

それは多勢が「不快である」という言説を束になって浴びせ、「不快にさせてごめんなさい」と謝罪ATSUGIから引き出したということに他なりません倫理的には問題がないにもかかわらず)。加えてこれを是として顧みない方がTwitterはてブ上にすこぶる多い。この構図がマジ悲しいなって思って書きました。おわり。


てかこれ、フローチャートの人の言っていることと似通ってますし、理路の増田追記で補足してますね。すみませんanond:20201107191444

あとマーケティングマーケティングっていうのすごく違和感マーケティングだと意味広すぎでは…?広告って言おうよ。

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