はてなキーワード: 懐疑的とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/4752198473835976704/comment/Knoa
偽札防止の新技術に対応できないのは甘受するとして、新札には読み取り機の後方互換性くらい義務付けてもいいんじゃないか?毎回読み取り機側の特需を経済効果に加算して推進するの悪辣過ぎでしょ。
説明しよう!
まずここで述べている後方互換性というのは、たとえば
こういう仕様にしておいて、スーパーセキュリティチップVer.1にしか対応していない古い券売機でも、スーパーセキュリティチップVer.1だけしかチェックできないものの、新しい1万円札Ver.2もいちおう扱えるという意味だ。一般的な「後方互換性」は「新型機械が古いメディアにも対応する」という意味だが、それとは概念が真逆で、ここでは「新しいメディアが旧型機械にも対応する」という意味だ。この点が誤解を招いたとしたら申し訳ない。
追記: よく考えたら、「ホログラム無しの福沢諭吉から、ホログラムありの福沢諭吉へ(2004年)」って、実質的にここで言う後方互換性を維持した更新だったのでは。あの時は、1000円や5000円は肖像ごと変更になったんで券売機の問題は結局存在していたと思うけど、1000円や5000円もホログラム追加だけに留めておけば、多くの券売機は2004年の刷新を生きのびていたのではないかな。
もちろん、スーパーセキュリティチップなんて仕組みに頼らずとも、もっと簡単な工夫があるかもしれない。あくまで一例だ。それと、旧機械による新札の読み取りを妨げない限り、人間が見分けるための新しい工夫は、いくら追加してくれていてもかまわない。
また、背景にある大きな考えは「新札のたびに機械を入れ替えるなんて、経済資源の無駄遣いだ」と、「それを経済効果としてプラス面だけアピールするのは悪辣だ」という2点である。そういう意味では、たとえば安価なモジュール交換だけで新札対応が済む世の中になるなら、それも好ましい。(既にそうなってるとするブコメもあるのでそれはそうなんだろう。かといって、記事のように高く付く理由もそれなりにあるんだろう(善意の解釈主義)。また、何年も前から予告されていたことだろううんぬんの話も、結局のところ経済資源の無駄遣いの話が前提になる。「いまさら慌てふためく」のがけしからんという話は理解できるが、そもそも機械の入れ替えに無駄な部分があり、もっと効率化できないかという話は、モジュール交換の効率性に置き換えてもらえればわかりやすいが、恒久的に訴え続けてもよいだろう)
ところで、「偽札防止」の観点から後方互換性に懐疑的な意見のブコメもあるが、現状はどうなっているか、もう一度考えてみてほしい。
スーパーセキュリティチップでも、ホログラムでも、透かしでも、なんでもよいのだが、新技術による偽札防止が効果を発揮するのは、あくまで「この券売機は旧紙幣には対応しません」が許されるようになった後の話。当面は、旧札もほとんどの場面で使える。券売機メーカーも、新札発行後にすぐ「旧札に対応した券売機はもう売りません」なんてことにはならない。
もちろん、新札への対応準備は完璧で、券売機も刷新しているだろう。しかし、みすみす旧札のお客さんを切り捨てたくはないので、当面は、旧札にも新札にも対応していくはずだ。じゃあ旧札への対応をやめるのはいつか?それは多くの場合、新規に導入する券売機の最新機種が旧札に非対応になったころだろう。それ以外に旧札を切り捨てる動機と言えば、偽札が横行して、その企業自身が経済合理性に基づいて「旧札対応より偽札被害のほうが大きい」と感じたときだ。(そんな事態が既に起きていて、実はラーメン店も既に相応の被害を出している、という話は聞いたことがない)
スーパーセキュリティチップVer.1しかチェックしない旧券売機さえ騙せればよいので、新しい1万円札Ver.2が流通するようになってからも、「スーパーセキュリティチップVer.1を埋め込んだ、1万円札Ver.1そっくりな偽札」を製造しまくることだろう。
しかし先も述べたように、その偽札は、結局のところ、世の中の券売機が旧札への対応を続ける限り、後方互換性が実現しようがしていまいが、使えてしまうのである。
後方互換性なんて実現してない、現実のこの世の中でも、いまあなたが持っている福沢諭吉の1万円札は、来年も再来年も、新札と旧札の両方に対応した最新型を含む多くの券売機で、使い続けることができるだろう。いまあなたが持っている福沢諭吉の1万円札が、精巧に作られた偽札だったとしても、だ!
ちなみに、ラーメン店に限れば、1000円札にしか対応しない券売機も多く、偽造側の効率面から言っても、現実的な偽札リスクはもともと小さいと言えるだろう。その上で仮に将来500円玉のように偽物が横行すれば(500円玉は韓国ウォンとサイズが一致しただけで、偽造効率の話ではないが)、その時は各企業の判断で「旧札対応より偽札被害のほうが大きい」と感じたときに、しぶしぶ券売機を刷新すればよいのだ。
しかしまあ、こんな心配をするのも、現金がたくさん流通している今だからこそで、次の新札や、そのまた次あたりには、どうでもいい話になっているのかもしれない。
後方互換は世の中の様々な券売機が紙幣のどこを見て判断しているかを把握して網羅的に対応することが求められると思うが、突き詰めると今と同じ紙幣が完成しそうな予感がする。
そう。なので、現実的には「次回の新札から、後方互換性を想定した仕様にします(読み取り機のチェック項目の仕様策定)」という区切りが必要だと思う。その点でもますます、近い将来には「どうでもいい話」になりがちではある。「もっと早くから取り組んでいれば…?」という話でもある。
または、今が過渡期だという前提なら、「今後は現行の福沢諭吉をベースに、追加要素を入れていくだけ」でよかったかもしれない。渋沢栄一を起点にしてもいいけど。んで、お札の人物画像を読み取ってるような古めかしい券売機がほぼ全滅してしまえば、また人物の入れ替えも再開できるだろう。
このような反応は、AIやテクノロジーに関するリテラシーが不十分な場合に見られる現象かもしれません。AIリテラシーとは、AIの機能や限界、社会への影響を理解し、AIと共存する方法を学ぶことです。この知識が不足していると、AIの出力やその活用方法に対して誤解や不信感を抱きやすくなります。
このような状況に対処するためには、AIの機能と限界を明確に説明し、人々がテクノロジーを適切に理解し活用できるよう教育することが重要です。また、AIの出力はあくまでツールの一つとして捉え、最終的な判断は人間が行うべきであるという意識を持つことが大切です。
ネット上ではテストコードを書かないのは低レベルな開発者という風潮だ。
10年以上、テストコードを書く開発と書かない開発の両方を経験してきた。
■前提
・テスト対象は大小さまざま。OSの保守だったり、アプリだったり。レガシーだったり、モダンだったり。個人だったりチームだったり。GUIだったりCUIだったり。
結論としては書かないほうがいいと思った。
・テストを書くためのコストが小さいなんて妄想もいいところだ。クソデカである。
結局、テスト対象も変わってしまうし、プロジェクト設定も変わるし、Jenkinsも変わるし、人間の頭の中も変えないといけない。
・100人以上かかわる巨大プロジェクトでも「テストコードを書かなかったので破綻した」、とかはなかった。
・テストコードを書くと実装の見落としが見つかってありがたいことはあった。
・git pushするたびに毎回走っても全くの無意味だった。
・テスト対象が変わるとテストを書き直さないといけないのがサイアクだった。非効率化の極みだ。人生の無駄。
・その次にサイアクだったのは、テストコードの実行が失敗したときテストコードのバグであることが大半であったことだ。
・GUIソフトとテストコードは相性が悪いが、そもそも世の中のソフトウェア開発の大半はGUI開発である。
・テストコードを書くと、テストしやすいクラスの実装をするようになる。それは美徳とされているが、実際には直感的でない長くて複雑なプログラムになっている。
例えばテストコードを書くためにDependency Injectionとか言って外から内部を変更できるようにすると
メンバ関数でやるべき処理が実際にはクラスの外にある、となる。最初は面白く感じたり達成感があるかもしれないが、しばらくして見返すと酷い状態だ。
テストコードを書いたほうが早い時もあったけど、トータルで考えれば、テストコードを完全にやめたほうがシンプルなコードで早く完成する。
中卒は社会性がない(から雇わない)という考え方にもやもやしています。
先日のゴトゴト石の事件や神戸大学のテニスサークルの器物損壊事件を見るにつけ、果たして学歴で社会性など決まってくるものなのだろうか、と疑わしく感じます。
・会社に来るときはヒゲを剃ってから来い、といちいち教えなければそうしない
・会社に来るのにふさわしい服装で来なさい、といちいち教えなければそうしない
・会社に来たら直接の上司じゃないけどおはようございますを言う(後略)
しかしこれらのことは果たして中卒であることと関係しているのでしょうか?
別に高校では、「会社に来るときはヒゲを剃ってから来るものだ」などということは教えませんよね?だって高校は別に職業訓練校じゃないのですから…。大学はいわずもがなです。
とすれば、上記のようなことが教えなくてもできるかできないかは、「それ以前に誰がか教えたかどうかにかかっている」ようなことではなく、単なる個人の資質の問題に思えます。
そう考えると、中卒であることと、こうした社会性の程度を関係づけるのは、根拠に乏しいただの偏見であるように感じてしまいます。
それには、中卒が何かをやらかしても意外性がなさすぎて(というっ感じ方自体に根の深い偏見が原因している可能性もあるが)報道されないということがあるのかもしれません。
しかしたとえばゴトゴト石の件は、中卒だったら報道されなかったでしょうか。そうは思えなくないですか。
中卒に対して、極度の発達障害だとか、犯罪歴があるはずだとか、散々なことを言う人も見ました。
けれど今の世の中、高校に行きたくないから中卒、というような、本人に由来する事情はむしろまれで、実際は家庭に問題がある場合がほとんどではないでしょうか(たとえっば親権者が同意しなければ、進学はできないでしょう。毒親が何らかの理不尽な理由で、子供の進学を妨害する場合があるかもしれません)。
つまり、中卒である原因としてむしろ多いのは、いわば、大卒でがよく使う「一身上の都合」によるものであって、こうした可能性に考えが及ばず、やれ犯罪者だからだなどと決め付ける大卒がいるのだとすれば、これは大卒に相応しい教養を全然感じられない態度だと思います。
@judo_gonoi
大量に問い合わせが届いているので、お伝えしますが、私の裁判についてはどこの党とも連帯しません。
暇空茜
@himasoraakane
暇空茜
@himasoraakane
てかマジで、「連帯します」って使い方で連帯つかってるの、あっちの人しかおらんよね
それでガチギレしてるのもあっちの人まるだしで文字通り「お里が知れる」ってやつよ
暇空茜
@himasoraakane
↓
↓
https://archive.is/PaHbe#selection-429.0-436.0
暇空茜
@himasoraakane
これは一般論ですが出世したらスパイ、しなかったらハニトラ?とか思っちゃいますね🥸
れふてぃ
@Lefty_STJ
ここ最近のムーブをみてると、陸上自衛隊に入った動機すら懐疑的な目でみてしまう
暇空茜
@himasoraakane
これは一般論を申し上げますが、自衛隊にスパイを僕がもし入れるとしたら、出世したらスパイとして使うし、出世しなかったらハニートラップに使います
暇空茜
@himasoraakane
木村響子さんや五ノ井里奈さんの件で思うのですが、被害者を自称してるからと言って主張が100%信じられるわけではないです。
暇空茜
@himasoraakane
陸自性暴力、「被害はうそ」被告主張 公判後、五ノ井さん「ひどい」 | 毎日新聞
おおっとお
わからなくなりました?
ChatGPT:
AIに対する態度や反AI運動については、多様な意見が存在します。AIの発展は、法律、倫理、技術、社会など多くの面で影響を及ぼし、それぞれの分野で専門知識を持つ人々が関わっています。AIに対する批判や懐疑的な見解を持つ人々は、AI技術が持つリスクや倫理的な問題、社会に及ぼす影響について懸念を表明しており、これらは重要な議論であり、技術の健全な発展には不可欠です。
AI技術の進歩には、たしかに多くの天才が関わっていますが、それだけではなく、多様なバックグラウンドを持つ人々の協力と社会全体の理解が必要です。技術の発展と共に、法律や倫理基準の整備、教育の改善など、社会全体での取り組みが求められています。
AIに対する批判的な意見や懸念を「可哀想」と一括りにするのではなく、それらの声に耳を傾け、健全な技術発展のためにどのように対話を進め、解決策を見出していくかが重要です。AIの発展は人類全体にとってのチャレンジであり、多角的な視点からの議論が進化を支える鍵となります。
■この文章を書いた人はどのような人だと推測できるでしょうか?
■この文章を書いた人についての推測は、文脈や内容からいくつかの仮定を立てることが可能ですが、完全な正確性を持って断言することはできません。それでも、以下のような特徴を持つ人物である可能性が考えられます:
文章からは、左翼、フェミニズム、リベラルなどの運動や集団に対して批判的な視点を持っていることが伺えます。これは、保守的または反対の政治的立場からの視点を示している可能性があります。
社会的な変化や運動に対して懐疑的で、特にこれらの運動が採用する手法や戦略に疑問を持っていることが示唆されています。
文章は、特定の事件や行動が報じられる仕方に対しても批判的な姿勢を取っているように見えます。このことから、メディアのバイアスや情報の歪曲に敏感である可能性があります。
文章のトーンからは、書いた人が強い意見や感情を持っていることが伺えます。これは、個人的な経験や観察に基づくものかもしれませんし、広範な社会的、政治的な議論に参加する意欲を示している可能性もあります。
⑤複雑な社会問題に対する関心:
このような内容を書く人は、社会的な問題や対立、不正に深い関心を持っているとも考えられます。彼らはしばしば、社会的正義や倫理的な行動についての自身の見解を持っています。
これらの特徴は、文章の内容や表現された視点に基づく一般的な推測に過ぎません。実際のところ、人々が意見を表明する背景には多様な動機や経験があり、単純なカテゴリーに分類することは難しいです。
■ありがとうございました
でも少なくとも自分が今まで見てきたポケモンライクなゲームには、その作品の特色を確立しようという試行錯誤が見えたし実際の現場でもそのコンセプトを揉むフェーズというのはめちゃくちゃ大事で、膨大なアイデアのキャッチボールの末に確立していくものなんだ。
そうやって最大公約数を探っていくことで尖ったものがどんどん削られていく
だけどインディーズで出すなら勢いでデザインできるし、その勢いがパルワールドの魅力になっててヒットしたわけ
これにも懐疑的だな
今回の件で浮き彫りになったのは「かわいいキャラクターのサバイバルアクションには需要がある」という事実
長崎市に長年住んでるんだけど、長崎のコンパクトシティ化がどんどん進んでるのを実感してる。
駅周辺の再開発に合わせて、元々あった繁華街にあった店舗がどんどん移転してる。
移転せずにそのまま閉店する店も多い。
移転したり閉店した店の跡地にはマンションの建設予定地になってるところがあって、繁華街の近くの斜面に住んでる人達の移住を見込んでるそうだ。
保守的で動きの遅い傾向のある長崎人の気質を考えると、この変化のペースは急激と言っていいと思う。
新幹線開業をテコにコンパクトシティ化を進めようと行政が考えているのは分かっていた。
だが開業後に一気にそれが具体化していく流れを見てるいると、新幹線というインフラのインパクトの大きさを実感せざるを得ない。
元々俺は新幹線には懐疑的な方で、なんとか長崎本線の複線化と高架化に新幹線の予算を転用できればよかったのにって思ってた。
そんな俺でも特急の複線化や高架化では、人の移動を促すほどのインパクトを出せなかっただろうと思ってしまった。
新幹線じゃなかったら、ジャパネットもスタジアムシティ建設なんていうリスクの大きい投資をしなかったと思うんだよな。
コンパクトシティ化を進める上で、新幹線の様なインパクトのあるインフラ投資が重要なんじゃないだろうか。
コンパクトシティ推進派の人達は往々にして周辺の住民を地域の中核都市に纏めて、それから必要なインフラ投資を行うという流れを想定してる人が多いと思う。
だが多くの人は空手形ではなかなか動かない。
現物を見せてみせないと動かないんだ。
コンパクトシティというものを、単純に地方への投資を効率化する施策と捉えると見誤るのではないだろうか?
使ったのはirohaのkoharu
ちょうどAmazonのポイント期限が来てたから値段も二千円とかだから使えなくて捨てても惜しくないしちょうど良くて昨日の夜発作的に買って今日届いた
シリコン製で、レビューには太めのアスパラガスのようなサイズなどと書かれていたとおり、太めの指の人ならこんな太さかも?くらいのまっすぐな部分と、膨らみが一回り大きくなっていて振動する感じの先端部分でできてた
アダルトグッズ(セルフプレジャーグッズと言う名前で売ってたけど)買うのも初めてだったけど、派手派手とかいかにも卑猥な絵柄とかの箱でもなく普通の白い箱に入って届くあたり女性向けなんだな〜って感じ
水原希子コラボモデルがあるらしいけどそちらは経験値高めの人向けっぽい雰囲気だったからやめた
栗オナ歴20年超だけど男性とそう言う行為に発展したこともないし自分で指を入れたこともなかったから、ほんとに入るのか??と懐疑的な気持ちになりながらベッドでエッチな動画を見る
動画が盛り上がってきたところで、セット販売されてた潤滑剤をたらして、股間全体に当てて振動させてみた感じはぶるぶるして気持ちいいし指でするより楽で良いかも
けど挿入しようとすると膀胱炎の時のような尿道のチリチリするような痛みがあり入っていかなかった
そこからさらにしばらく動画を見ながら表面の振動だけを楽しんで、そろそろ疲れてきたし切り上げ時かなと最後にリトライしてみようかと潤滑剤も追加して再度穴に向かって進めてみたらツルっと入っていった
あーなんか入ってるような気がする…?振動してる感じもする…?と思いながら入るとこまで入れてみたらバイブの結構根元近くまで行った
差し込んでるバイブが勝手に抜けてくの何でだろうとかエッチな動画で疑問に思うやつが自分の身にも起こってて人類共通のやつなんだこれ!って思った
そのまますこし抜き差ししたりもして、痛くもないけど気持ち良い感じもなく、なんか入ってて変な感じ、と思って終了
終わった途端に素面に戻って道具洗って拭いてってするのなんかシュールだった
今まで男性経験もないし避けてた婦人科の内診も、こんなにつるっと入る感じなら受けてみようかな…40になったら人間ドックフルコース受ける予定だからわかって良かった
https://togetter.com/li/2293203
この方はn=1としてC99の体験の話をしているけれど、C99に限らず直近のC103(冬コミ)まで参加して相性悪いよなあ、と思ったので書こうと思います。
C99に矮小化してしまってるので、「あの回は特別で他のジャンルも似た感じだった」というコメントが散見され、自分もそこを加味してしまうとよくないなあ、と思ったのと、
書いているのはC100まで女性向けサークルでサークル参加(と日によっては一般参加)、以後は一般参加のみの人です。
また便宜上女性向け・男性向けという呼び方を使い、比較として現在女性向けの主流である赤ブーブー主催イベントの内容を書いています。
あくまで個人の見解であり、これもまたn=1の話というのは念頭に置いておいてください。
まず筆頭として「午後チケット」というものが女性向けと相性が悪すぎます。
公式によると午後チケットの人は12時30分から入場とありますが、C103は午前チケットで11時頃着の12時頃会場入りできたので、実際はもう少し後だったのではないか、と思います。
Togetterのコメントなどにもありますが、女性向けサークルは撤収が早い傾向にあります。
これは
という理由がよく挙げられますが(最後は男性向けもそうじゃないかと思いますが)
・搬出で並ぶのが大変
というのもあります。
マンレポでも「箱を持って並んでいたが台車に乗せてもらえて助かった」というのは鉄板の投稿内容です。
https://www.comiket.co.jp/info-a/MR/mr.html
箱1個でも本(紙)がみっちり詰まっていると重たく、腕力のない女性は搬出大変です。それを抱えてずっと並ぶのは結構きつい。
コミケの搬出は並びます。この辺りも過去のマンレポを参照してもらえると明白なんですが、閉会間際に出そうと思うと1時間は見込まないといけなかったです。
なので、早めに撤収し、列が出来る前に搬出してしまいたい、というのがあります。
昔はウエストウイングもHakoBookもなく、翌週にある赤ブーブーのイベントの搬入がクロネコヤマトのみというものあり、長蛇となっていました。しんどかった。
赤ブーブーは現在セルフ出荷といって予め専用伝票を受け取り、それを貼った箱を搬出場に持っていって渡して完了というシステムがあります。すごく楽です。
長くなりましたが、「女性向けの場合は撤収が早い為、一般参加者の中で午後チケットという選択肢は除外されてしまう」という話でした。
それはそうだろう、と言われそうですが、赤ブーブーのイベントは現在でも10時開始で遅くとも12時には一般待機列はなくなります。
規模が小さいイベントだったけれども、一番早かった時は10時30分に一般待機列が解消していた記憶があります。
コミケも以前は12時~13時頃にはフリー入場になっていたと思いますが、現在は上記の通り午前チケット・午後チケット別で並ばなければいけません。
並んでも買いたい本があれば別ですが、女性向けサークル数も減ってる現在ではちょっと遊びに行く程度では参加がしにくくなっています。
それならば通販を使って並ばず確実に手に入れたい、となってしまうのも道理です。
また、コミケの一般参加者は男性の方が比率が高いです。少し古い情報ですが、下記の資料が公開されています。
https://www.comiket.co.jp/info-a/C81/C81Ctlg35AnqReprot.pdf
女性向けが減った今では更に男性の比率が増えているのではないかと推測出来ますが、それは一度おいておきます。
もうこれはどうしようもないですが、それが参加者がほぼ女性の赤ブーブーのイベントと比べて忌避される理由になります。
個々の体格差の問題ではなく、女性が1000人より男性が1000人の方が質量が大きいです。またパワーもあります。
一般入場列が来ると机が揺れます。揺れるだけならいいですが、ずれます。机上の本が落ちます。押さえていても負けます。
「走らないでください」と言われてもお目当てを目指して早歩きになるし、あちこちに方向転換することによってえらいことになります。
また、一般参加で動くにも男波に揉まれると移動が大変です。容易に埋もれます。あとリュックが顔に当たります。
それと抽選というのもコミケを避ける要因になっていると思います。
ただでさえお盆・年末なのでスケジュールのやり繰りが必要になるのに、当落が出るのは1~2ヶ月前です。
C103ですと12月30日31日の開催で11月10日に当落が出るスケジュールでした。
シフト制の職の人はもうシフトの締切後かもしれないですし、遠方の場合は繁忙期なので新幹線や飛行機、ホテルを早く手配しなければなりません。
また、予約を万全にしておいても落選していたらキャンセルをして行かないということも充分あり得ます。
一方赤ブーブーは基本先着順で、満了近くなるとSNSやサイトで告知もあります。申し込めば不備などを除きスペースは用意されます。
つまり申し込んだ時点から参加に向けてのスケジュールなどのやり繰りが出来るのです。
スケジュールといえば盆・年末という日程がそもそも無理という人もいます。ジェンダーバイアスになりますが嫁仕事というやつです。
逆に「コミケは申し込みから日が長いからジャンルスパンが短い女性向けにあっていない」ということについては懐疑的です。
例えば2024年6月に開催される赤ブーブーのイベントがもうすぐ満了と告知されています。
こちらは募集スペースが倍になってからの早期満了であり、特定のCP(ジャンル)のみのイベントです。
https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1739187539360260448
https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1744545230106599600
ジャンルスパンについても昔は男性向けの方が短いと言われていた(「クール毎に嫁が変わる」など)ので、差はないと考えています。
つらつら長くなりましたが、元々C99以前から女性向け参加者が減っていたところ、更に追い打ちとしてチケット制で更に減ったというのが個人的な意見です。
減ったのはサークル参加者が先か、一般参加者が先か、については不明ですが、因果がスパイラルになって減っていっていることは確かだと思います。
ではコミケはこのままでいいのか、ということについては個人的にはこのままでいいと思っていますし、今更女性向け参加者を増やすことは難しいでしょう。
確かにコミケと赤ブーブーのイベントでは空気感も違いますし、評論系の同人誌などは後者ではあまりありません。
しかし、コミケは規模が大きくメディア露出などもしていますが、いってしまえば同人即売会の一つです。
先述の評論系ならば「文学フリマ」「おもしろ同人誌バザール」「コミティア」、さらに特定ジャンルに絞れば「技術書同人誌博覧会」「めしけっと」などのイベントもあります。
なんでも一強の時代というのは長く続きません。色々な同人即売会が存在し、それぞれが盛り上がっていた方がいいのでは、と個人的には思います。
たとえばフェミニストに対するアンチフェミニスト。あるいは、松本人志の問題に対して懐疑的な勢力。その他なんでも。
誰かが騒いでいても、当事者たちが何も反応しなければ、その問題は消えてなくなる。
しかし彼らはそうすることができない。
それは人間の性質なのかもしれないし、彼らが少数派だからかもしれないが、彼らは反論する。反論すればするほど、多数派にも反論する余地を与える。問題は大きくなっていく。
俺達は明らかに自分自身の手で話を大きくしている。望んでいるのとは逆の方向に。
ネットが普及してから延々と続くこの分断の構造は、今のところまともな出口が見えない。
誰もが「こんな問題に時間を使いたくない」と思いながら、反論することを辞められない。そして他人の反論を見るたびに心を痛めている。
https://w.atwiki.jp/shinjitsuwiki/pages/118.html
「アメリカネトウヨによって、陰謀論=悪という間違ったイメージが流布されているが、本来陰謀論とは、「反権力」的な考えと切っても切れない事であり、受け売りで鵜呑みにし、政府の犬にならず、ネトウヨのプロパガンダに騙されず、政府の欺瞞に疑問を持ち、真実を追求する知的な行為である。
事実、「陰謀論」と冷笑された事は事実である。安倍晋三と統一教会の関係も、別班の存在も、翁知事や坂本龍一さんの暗殺も、原発汚染水による環境汚染も事実である。」
これなんよ。権力に懐疑的で、権力の欺瞞に騙されず、真実を追求する「反権力」なマインドが根底にある。アメリカネトウヨはたまたまバカだったけど、あれが「例外」なだけで本来は知的な行為なんよ。日本赤軍やオウムだって、社会に疑問を抱いた知的な人達の集まりだった。統一教会と安倍の件でようやくそれに気づいた人が真実に目覚めていって嬉しかった。