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はてなキーワード: 軍手とは

2021-08-30

やまないコロナ エイサーだけは やめないからな

衛生意識文字の上手さも文章力も全部低い県…

2021-08-23

anond:20210823083530

会社は行ってないの?

よくなるといいね

清掃車のおっさんがコロってて、ゴミ箱の取っ手から感染したのだったら、軍手を定期的に使い捨てもしくは使い捨てビニ手袋を使えば

2021-07-13

[]めちゃめちゃ頑張る

玄関の門に表札を貼る(ずっと天気悪かったので)

裏庭のフェンスのポリカ板。固定金具のサビ気になってて

(下のブロックにまでサビが)

震災時にブロック倒壊して、そのあとフェンス貼ったけど

見えるので、うちだけをポリカ板貼ったみたい(謎)

【さぁ外そう】

固定金具はフックタイプで50個

事前にサビたボルト外しのスプレー購入済

暑い、雨降り

・裏の人通りが激しい

今日は平日だし外すぞー!!\(^o^)/

 ラッシュガードみたいなパーカー

 部屋着の半そで

 部屋着のスカート

 麦わら帽子ペンキつき)

 ゴム付き軍手

 ネジザウルス

 

意外とフック固定化が具がサビまくり

上手く緩むのであっというまに外せるけど

六角ボルトと固定するわっかにネトネトしたボンド?が。

これが一番苦手でした。

時間くらいかな。

そのあと2階ベランダの目隠しオーニング

貼りました。

風通し良くなった。👍

サビ、ダメ絶対ステンレスの結束バンドでとめた。

30分くらい。ベランダは新しい真っ白の目隠しオーニングを貼ってます

掃除タイム(15分ほど)


さらに散水ホースデッキブラシで掃除

自主的にのけて下さったプランター

境界線超えてうちにきてたものね。ほぼ100%

すっと置いてあったの知ってる。

作業するし、サビたリング金具を外すから

サビ落ちる可能性あったからね。

いつも細いネギ?みたいなの植わってたけど何だったんだろう。

のけたあとの土そのままあったので

掃きましょうねと思ったら……。ナニコレ。

昆虫たくさんわらわら出てきて、叫びそうになった。

凍らすスプレーかけたけど数が凄い。

けどなんとか掃いた。ポリに入れた。

綺麗な土なら、要るか効こうと思ってたけど論外。

これを綺麗にしないと……。やだよー。NIOIもなんだろう。

虫とんできたし。これは、散水ホースデッキブラシしかなさげ😨

掃いてポリ3重にした。でもなんか湿ってて掃いただけじゃとれない。

アスファルトごと擦らないと無理な感じ。


【割り切る】

掃除すれば綺麗になるんだから。疲れてたけど、散水ホース持ってくる。

(そういやうちの処にお隣が長い事置いてた。私はそういうの多少我慢は出来るのと忙しかったので何も言ってなかった)

裏のお家に土やなにやかやが残らないように、とにかく水流で流す。かなり水使った💦

ブロックと床のコンクリなどのコケとカビを散水ホース掃除

デッキブラシ。+食器用洗剤うすめて霧吹き

めちゃ綺麗になった。

やっぱ片付けと掃除はセット

コンクリ床のクラック

余ってるロックタイトの速乾セメントで少しだけうめた。

明日

外したポリカを切ります

たぶん少し大きいので💧


では掃除で着ていた服が

いま洗えたので干してくるね。

😼👍

2021-06-26

anond:20210626164345

軍手してたの?軍手ごとすっぱり?電動吸盤とかないの?

2021-06-15

猫とドライブ

 買い物に行こうと車を運転中、道路の真ん中に仔猫死体があるのを見つけた。車にはねられたようだ。朝ここを通った時には見なかったし原形を留めているので、まだ死んで時間は経ってないのかなと思った。買い物から帰ってきてもそのままだったら拾おうと思って出掛けた。

 買い物中も罪悪感がすごかった。やっぱり見た時点で家に引き返して、空き箱持って駆けつければよかったかなぁ、と。もし買い物してる間に仔猫が再び轢かれて猫煎餅化してたら、どうするんだ。さすがに平たくなった猫を道路から引き剥がす勇気は私にはない。

 ふがいないなぁ。形を保った仔猫は拾えて猫煎餅は拾えないというのか、猫は猫だぞ! しかし、私どうしてもスプラッターダメもので。

 帰宅するとき、同じ道を通ったら、猫は先ほどと変わらぬ状態で横たわっていた。通る車達は仔猫に気づくと大回りして避けていた。そうして猫煎餅回避されていた。

 家に帰って買ったものを全部冷蔵庫しまってから段ボールの空き箱の中に新聞紙敷いたやつと軍手を持って、現場に駆けつけた。仔猫はやっぱりそのまま倒れていた。よく見たら、猫の周囲のあちこちに血が飛び散っていて、車にはねられた直後はまだ息があってしばらくのたうち回ったのかもしれない。

 幸いにも車は一台も通らない。私は覚悟を決めて軍手をはめ猫を持ち上げた、その時初めて、持ってきた箱が仔猫サイズに地味に合ってないことに気づいた。あっヤベェ、どう入れたらいいんだこれ、と捧げ持った猫を傾けたら、耳からどぼっと血が溢れて箱の蓋に垂れた。これ以上斜めの体勢で持ってたら、血だけじゃなくてなんかもっと出て欲しくないものが出てきそうだと思って、半ば強引に猫を箱の中に突っ込んだ。頭から猫は箱の中に落ち、案の定足が大幅に箱からはみ出た。

 仔猫茶色のししま模様だった。生前はさぞかし可愛かったんだろうが、死体はやけに薄汚れて見えた。足の毛づやが良く、痩せてもいないので、ちゃんご飯を食べさせてもらっていたと思われる。

 半開きの猫の右目のまぶたの中身が無い気がするんだよな……と思いつつ、私は箱を抱えて歩いた。

 実は、この事故現場からほんの数歩のところで、去年同じようなしましま模様で同じような体格の仔猫がやっぱり車に跳ねられて死んでいて、それを私はやっぱり拾いにいったんだけれども、近所のお婆さん達がそこに集まってなんやかんや言っていたので断念した。

 近所のお婆さんが言うには、この近くに猫を餌付けしているおうちがあって、たぶん死んだ仔猫もその家の人が餌をやっていた猫たちのうちの一匹だという。それを教えてくれたお婆さんは、

「でもよかったわね、害獣一匹駆除されて」

 といった。猫の死骸は餌付けしている人に責任を取らせればいいとお婆さん達は言って、一人が餌付け人の家に言ってドアをガンガン叩いて家の人を呼び出し文句を言っていた。そんなわけで、その仔猫は餌付け人か誰かが引き取ったか捨てたかしたらしく、数時間後にはなくなっていた。

 私が今日拾った仔猫は去年のあの仔猫の弟か妹なのかもしれない。見た目がほんとうに良く似ていた。

 今日はお婆さん達はいいから誰にも文句は言われないはずだ。私は箱を持って餌付け人のおうちの前を通りかかった。餌付け人も猫可愛さに餌をやってるんだろうし、最後のお別れくらいしたいのではないか? と思った。仔猫だって、餌をくれる人間が好きだろうし、じぶんを葬ってくれる人間を選べるんなら通りすがり他人よりも馴れた人がいいんじゃないか。

 だけど私は猫の死体を家まで持って帰った。そして、役場環境課に電話をかけて、死んだ猫を拾ったがどこに捨てればいいのか教えて欲しいと言った。電話に出た人は、クリーンセンター処分を受け付けているから直接センターに持ち込んでくれないかと言った。それで、今すぐに行っていいかと私が聞くと、大丈夫だというので、私は猫を箱ごと燃えるゴミ袋に入れて、車の助手席に置いた。

 せっかく猫煎餅回避したのにゴミ袋に入れてゴミ焼却所に持っていくだなんて、これはこれで酷いよなと思うのだが、この辺は田舎だけど勝手に生き物の死骸を埋めていい場所はどこにもない程度に区画整理されている田舎なので、しょうがないのだ。

 死んだ仔猫助手席に乗せて、クリーンセンターに向かう。ちょっとしたドライブだ。こんな知らない人間が連れ回してごめんねって思う。餌付け人の家を訪ねれば、仔猫母親いるかもしれない。猫は賢くて家族の死を悲しむことくらいはするので、会わせてやれたらよかったかもしれない。けど、餌付け人にわざわざ死んだ仔猫を届けるのはなんかやっちゃいけないことのような気がして無理だと思った。運転しながら何度も同じことを考えて、無理だと結論してまた脳内議論をふりだしに戻した。

 クリーンセンターに着くと、電話対応した職員さんが出てきて猫の入った袋を受けとってくれた。

「本当に死んでるってことでいいんですよね?」

「えぇ、死んでます

 と言葉を交わしたのち、私はお礼を言ってクリーンセンターを出た。なんかもっと訊かれるかなと思ったけど、あっさりしたものだった。

 帰りには、やっと肩の荷が降りたなと思った。もう二十年くらい前になるけれど、ある夜に元彼の車で東京のどこだかの幹線道路を通っていたら、元彼が道端に猫の轢死体を見つけて、車を停めた。すると私達の車の前を走っていた車もハザードを点滅させて道路端に停まった。

 元彼が車を降り、前の車から女性が降りてきた。女性のほうも猫の死体を見つけて、救助するために車を留めたらしかった。救助しようにも猫はすでに煎餅化していた。女性はじぶんの表着を犠牲にして猫の轢死体を拾おうとしていたが、元彼がそれを止めた。元彼は車のトランクからバスタオルを何枚か出した。元彼仕事デリヘル店長だったために、車の中にはいつもバスタオルストックされていたのだ。

 元彼女性が協力して猫をタオルに包んだ。女性元彼がたくさんバスタオルを出してくれたから、猫の埋葬はじぶんが責任を持ってすると言ったそうで、猫はその女性に引き取られていった。

 元彼は車に戻ってきて、世の中には親切な人もいるもんだなと言った。私は、じぶんが運転手かつ第一発見者だったら確実にスルーしていたなと思った。

 そんなことがあった。元彼とはとっくの昔に別れて完全に縁が切れている。猫を引き取ってくれた女性はただの通りすがりの人なので、いまどこでどうしてるかなんか、もちろん私にはわかる訳もない。けど、あの人たちの善意というか、優しさをまっすぐ行動に移せる強さとか、すごいなと思ったし、これを見たからには私自身も同じことに直面したら彼らのように行動しなければならないという呪いに、その時かかったような気がした。彼らみたいに立派な人になりたいというより、見てしまたからには受け継がなくてはならないと思った。

 だが、轢かれて死んだ猫なり、道端で困っている誰かなりを見かけたとしても、見なかったふりをして通り過ぎるばかりの人生を私はあれから二十年近くも送ってきた。

 でも今日は見すごさなかった。しかし、いいやり方ではないのは明白。結局クリーンセンターという他人押し付けて終わりにしただけなのだし。だけど、見て見ぬふりをするのはもっとダメ。そういう呪いがかかったまま、私は生きていかなくてはならないんだと思う。

2021-05-23

anond:20210522215855

ただダラダラと長い距離歩いてるだけじゃ持久力や最大酸素摂取量ほとんど上がらない。

疲れにくい体にしたいなら短い時間で高い強度の運動をしたほうが断然いい。

 

おすすめ運動は「マウンテンクライマー」。

https://www.youtube.com/watch?v=IO_0KJfGiLg

これなら部屋の中でもできるし高強度も実現できる。

 

このマウンテンクライマー20秒間やって10秒間休む、というの8セット繰り返すだけでいい。

時間にしてわずか4分程度のトレーニング

毎日1回これをやるだけで今より脚の筋力も上がるし圧倒的に疲れにくくなる。

今の季節は手汗で滑りやすくなるので百均とかで滑り止め付き軍手を買ってやったほうがいい。

 

あとはこういう音楽に合わせてやったほうがいい。

https://www.youtube.com/watch?v=760TqMz-TwI

「TABATA」でYouTube検索すればたくさんこの手の音楽が出てくる。

 

このトレーニング効果を実感しやすいのは坂道階段を登った時などだろう。

たとえマスクをつけて歩いている状態であってもビックリするくらい息切れしなくなる。

歩いて帰ってきたらバテバテ状態なんてことも当然なくなる。

トレーニング継続するほどにそれは顕著になっていく。

体力がない人間ほどその効果を実感しやすいのでぜひ頑張ってほしい。

 

ただしやるとき自分の体を徹底的に追い込んでバテさせてくれ。

そうじゃないと最大酸素摂取量は上がらないし疲れにくい体にはならない。

 

説明したトレーニング法は世間では「田畑プロトコル」とか「田畑トレーニング」等と呼ばれている。

このトレーニング有効性を証明した田畑教授立命館大学)の名前にちなんでつけられた俗称だ。

これ以上詳しく知りたい場合は以下のページを読んでくれ。

http://www.ritsumei.ac.jp/rs/category/tokushu/151106/

https://www.youtube.com/watch?v=KzqXqbgQDS0

http://nikutai-repride.com/wp/article-79/

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/exercise/ys-028.html

2021-04-28

[]いっぱい頑張った日

👊🏻😼押忍❕ネコチャンやで。

今日

ナナなんと。

縦180横130奥行き75という超巨大ロボじゃなく

物置Sサイズくらいを分解しましたニャ。

小雨降る中、「絶対今日やるぅぅぅぅやってやるぅぅぅ」と思いつつ

ダメだったら業者さんに電話しよっと内心思ってたかもしれないニャ。

だって、ほんとドライバーの先っちょが刺さったまま外れちゃうんだよ

あとでみたら、十字がかけてた。そらまわらんわーニャ💦

つかったもの

☑ ドリルドライバー

☑ ドライバー

☑ 金槌(先の細い物)

☑ 呉55のサビ取りもできるやつ(赤くて小さい缶)

☑ 台車

☑ 脚立

☑ ネジザウルス

物置ってねじで留まってるだけ。

レッツトライ!テキニージー

正直、業者さんに電話して大人しく回収して貰うのが吉。

自分で出せば安い。

お金をとるか、マンパワーをとるか。

屋外に置いてる物置は、変なもの入れてなくても

貰いサビなんかもあって

ぜんっぜん回らない。そして、なぜか一番下のだけなんかねじ長すぎとか!

まぁ取りあえずできたので(軍手も)服も全部洗濯したので今日増田にいてもいいニャ。

そして案外、鋼って重いのね。

明後日頑張って出そう。

お疲れニャン、自分

褒めて使わすぞ。


🐈膝とかいたーい。

2021-01-04

……換気扇掃除終了

……アルミサッシ掃除終了

……ぬいぐるみ座布団雑巾軍手洗濯終了

……これも全てカレー粉3箱を煮立たせた結果

……言うならば油脂で埃が寝て

……掃除ポイント

……なんと言うかこう段丘状に意識されて

……まぁカレーは偉大だったと言うことで

……よろしくお願いしました

2021-01-02

……去年ついた嘘訂正する

……軍手は洗わ無いって言ったが

……軍手は下洗い後に洗濯機にぶち込む

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-10-17

楽園から出ていってしまう話

家の近所で猫が子どもを産んだ。

そのことを知ったのが今から一ヶ月くらい前のことで、夜、親とはぐれたらしいやつの鳴き声と、迷子を呼ぶ親猫の独特の声が聴こえるようになったからわかったのだ。しばらく声だけの存在だったのが、先日、隣家の軒に出ていた室外機の上で子猫が三匹、”だま”になって眠っているのをうちの親が見つけ、姿かたちもわかるようになった。

そのときに撮った写真を見せてもらうと、白地に橙、キジトラ、白地に黒の八割れ、の三匹がみっしり集まって、互いの境界がなくなるぐらい身を寄せ合い、ひと塊になって眠っていた。

室外機があった隣家さらに隣は寺の敷地で、大げさな表現だが小さな野原のようになっている。三匹はそこで一日中遊んで、たぶん母猫が帰ってくるのを待ちながら、疲れたらこうやって兄弟で一緒に眠っているのだろう。一匹が疲れて室外機の上に跳ねて飛んで行ったら、残りの二匹は私も俺もとついていき、写真のような子猫の塊になるのだろう。

なんだか楽園のようだな、と思った。ノラ猫の生活が大変なことは知っているが、それでもこいつはまるで楽園だな、と思った。

今日都内は雨で、買い物の帰り道で白地に八割れ路上で死んでいた。全身はきれいで、ただ眼球だけが飛び出していた。車にはねられたんだろう。血が雨と混じってアスファルトに流れ出していた。

家に帰ってから、少し悩んだが、軍手ビニール袋で覆って、八割れの体を路上の脇にのけた。これ以上轢かれたら体が散らばると思ったからだ。

手で触ると、芯のあたりにまだぬくもりが残っていて、泣きそうになってしまった。もう少し早くこの道を通っていたら、何か違っていただろうか、なんて思ってしまった。市に電話したが終業していたので、月曜にまたかけなくてはいけない。

生き物はなんで死ぬんだろう、とは、若いころと違ってもう思わなくなったが、別に納得する答えが出たからではなく、単に「そりゃ生きてるんだからいつか死ぬだろう」という回答に対して、そういうことじゃないんだけどな、と思いながら、何が違ってるのか説明できないからだ。

ただ、このままだと「そうか、生きてるんだからいつか死ぬよな」という具合に、しっくりこないはずの回答に合わせて自分の疑問まで変わってしまう気がして、仕方ないので、質問を何度も変えることをずっと、30歳過ぎても繰り返している。

今日思ったのは、なんで生き物は楽園から出ていくんだろうな、ということだった。ろくな未来が待っていないのに、なんであえてそこから出ていってしまうんだろうな。

子猫兄弟が眠っていた隣家から今日道路までは、自動車の往来が激しい大通りを一本またがなくてはならない。

割れはわざわざそれを越えてきたのだ。あの楽園から離れて。

純粋好奇心か。単に道に迷ったのか。そうしないと得られないものがあるのか。ただ生きていることよりそれは意味があるのか。

くだらない不運以上の意味をそこに与えるのに、自分は、生命尊厳とか希望に伴うリスクみたいな概念を持ち込まないとものを考えられない。八割れは単に物理的に抗えないものに巻き込まれて死んだのだし、それ以上でもそれ以下でもないが、そのことが受け入れられない。

割れの母猫はしばらく子供を探すだろう。兄弟もたぶん、「なんだか、あいつは最近いねえな」ぐらいは思うだろう。そのうち忘れてはしまうだろうが。

2020-10-05

湯船に軍手を浮かべると

背中の後ろにびっしり張り付いた疲れの塊が剥がれ落ちるね。

豚の貯金箱も1つ2つ沈めておくと外がオレンジ色になってワクワクする。

そのままコタツに首だけ突っ込んでるうちに平成が終わってしまった。

2020-07-29

軍手って軍用手袋じゃん

この言葉左翼に取り沙汰されずに今日まで生き残ってるのすごいよね

2020-07-21

遺跡発掘アルバイトのすすめ

 学生時代求職活動中に何度か遺跡発掘のアルバイトをしていました。

 楽しくて貴重な経験ができる上に、どちらかといえばコミュニケーションが苦手で働くのがつらい人に向いているにも関わらず、世間にはあまり知られていないであろう遺跡発掘のアルバイトについて書いてみます

遺跡発掘アルバイトって?

 読んで字の如く遺跡を発掘するアルバイトです。正確には「埋蔵文化財作業員」などと呼ばれてます。ただ、一般的イメージされる有名な古墳や城跡の発掘は大学研究機関プロが中心となって行うので、素人アルバイトときにはやらせてもらえません。我々の担当縄文時代の小さな住居跡とか、ゴミ捨て場とか、そういう世間一般ではマイナーなやつです。地方自治体教育委員会文化財課が管理してる場合が多いです。

 ちなみに日本では毎年7000件以上の遺跡が発掘されていますが、これは文化財保護法で「遺跡発見したら調査して記録を残さないといけない」と決まっているからです。そしてそのうち99.9%は発掘調査終了後に埋められてしまうと言われています。大抵が道路建物工事の途中に出てくるやつで、そのままにしておく訳にはいかないですからね。残った0.01%教科書に載るような有名な遺跡という訳です。もちろん我々のバイト先は99.9%の方です。

どこで募集してる?

 都道府県市町村ホームページ職員募集のページに載っている場合が多いけど、文化財課や博物館のページに載っている場合もあります。他には自治体広報誌なども。遺跡の発掘が決まるとその都度募集があり、どこの自治体でも常に募集している訳ではないので定期的に探そう。なお、最近自治体民間企業業務委託していて一般求人サイトで見つかる場合もあるけど、そっちはあまりおすすめしないです。時給が安いし、民間からたぶん労働環境かいろいろ厳しい気がするので。

 申し込みの後、1時間程度の仕事内容の説明会簡単面接を経て採用となります特別人気のあるアルバイトでもないので、ごく普通の受け答えができれば大丈夫だと思います考古学知識特に必要ありません。

仕事の内容は?

 現場責任者自治体勤務の学芸員で、文化財課とか博物館とか埋蔵文化財センターの人。1つの遺跡に1〜3人程度いる)の指示に従って遺跡を掘ります。具体的には、重機でおおまかに掘り返された地面を、園芸用の移植ごてや片手鍬などでちょっとずつ削っていきます作業自体は難しくないですが、正直、非常に地味です。掘っているとごくまれ土器片や石器などが出土します。運がいいと土器がそのままの状態で出てきます作業に慣れてくると、発掘した土器の整理作業や、測量作業などを任される場合もあります自分遺跡図面とかを書いたりしました。

アルバイトの期間は?

 発掘調査が終わったら埋め戻すような遺跡なので、1つの遺跡につき大体数ヶ月〜長くても1年くらい。何度も参加して現場責任者と顔なじみになると、他の地域の発掘調査を紹介してもらえる場合もあります

どんな人が働いてるの?

 近所のおじいさんやおばあさんが多いです(特に農閑期)。大々的に求人をしないので、どうしても地元の人が多くなります。中には経験豊富専門家並みの知識技能を持っているおじいさんおばあさんもいます。他には大学生とかフリーターとか主婦なども。仕事内容のせいかチャラチャラした人は全く見ませんでした。高齢者が多いって聞いて身構える人もいるかもしれないけれど、一応採用面接もあるので変な人はいないと思います。少なくとも自分は遭遇したことがないです。

労働環境待遇は?

 お役所アルバイトなので労働環境はきちんとしています基本的に9時〜17時ぐらいの勤務で昼休みが1時間残業はまずないです。土日休み。雨の日も発掘ができないので休みシフトに関してもかなり柔軟に対応してもらえるので、週1日勤務の人もいれば5日勤務の人もいました。あと、どこの現場も大体45分作業→15分休憩といった感じで実際の労働時間はかなり少ないです(熱中症かになったら大変だからね)。休憩時間プレハブ小屋テントお茶とか飲みながらだらだらと過ごします。一応力仕事とはいえ高齢者でも働けるくらいだし、体育会系でもないので理不尽に怒鳴られるとかそういう事もないです。作業方法も丁寧に教えてもらえます

 時給は自治体によって違うけど、コンビニアルバイトと同じかちょっといくらいかな。ただし、前述の通り実際の労働時間は少ないし環境も良いので、相当割の良い仕事だと思います

 服装は動きやすく畑仕事に適した格好なら概ね自由。ただ土まみれになるので長靴軍手だけは必須自分は基本上下ジャージ姿で、冬場はホームセンターで買った作業着などを羽織ってました。衣類と履物は自前で用意する必要があるけれど、作業必要な道具類は支給されます

どんな人に向いてる?

 黙々と作業するのが苦痛じゃない人。あと、コミュニケーションあんまり得意じゃない人。ゆるい職場なので、初めてのアルバイトや若干引きこもってたような人にも向いてると思います(体力的に心配な人は勤務日数を抑えられるし)。自分は対人接客業絶対無理だと思ってたので、学生時代にこういうバイトがあると知ってすぐに飛びつきました。もちろん純粋考古学に興味のある人や、測量作業に興味のある人にも向いていると思います

どんな所がよかった?

 やっぱり掘ってて土器とか石器が出てくるとかなり達成感があります。大きな壺なんかが出たりするとみんなテンションが上がります。あと、高齢者が多いので若い人は相当チヤホヤしてもらえます。休憩中にお菓子をくれる人が多かったですね。みんな話を聞いてあげるだけでも喜んでくれるので、会話が苦手な人でも大丈夫です。

 あと、就活面接遺跡発掘について話すとすごくウケが良かったですね。中々できる体験じゃないので、そういう意味でもおすすめかもしれません。

最後

 ふと昔のことを思い出して、気がついたらこんなに長々と書いてしまいました。これを読んで少しでも遺跡発掘アルバイト考古学に興味を持つ人がいてくれたら幸いです。いろいろと勉強にもなりますし、趣味としても楽しめますよ。

追記(7/23

 思いのほか反響があってびっくり。みなさん読んでいただきありがとうございました。あと、いくつかの箇所を訂正しました。

埋蔵文化財調査員は現場責任者のことで、アルバイト埋蔵文化財作業員という呼び方が正確ですね。指摘して下さった方ありがとうございました。)

2020-06-23

庭の草花

マンション1Fに住んでいて、小さい庭が付いている。

庭は放っておくと、すぐに草花が生えてくる。冬はそうでもなく、秋くらいに除草をすれば春まで生えてこない。春以降は本当に草花の力が強い。この前除草剤を巻いて、毎日少しずつ枯れ始める草花を見ていた。庭の中央、最も除草剤が多く巻かれただろう箇所から、全体に草の力がなくなっていく。地面に帰るみたいに、少しずつ縮まっていって、ある時完全に色を失い、倒れる。でも庭の端っこからは、新しい草花が生えてきて、中央に向かって前進していく。今は庭の端から1-2メートル距離で膠着状態生垣や隣の庭に近い場所除草剤を巻くことはできないから、このあたりが限界ラインということになるんだろう。

土曜日に早く起きれたら、端から新しく生えた草を抜くつもり。軍手をして力一杯、抜かせてもらう。

2020-05-27

つつじと蜂

バジルの種を撒いてから2日。曇りときどき晴れ。

今日は変化なし。発芽は10日以内を目安にってことらしいので気長に行こう。水やりの塩梅がわからないのがちょっと心配

昨日のコメントの人がバジル褒めてて嬉しくなった。バジル香りいいよね!夏に毎日数枚ずつ収穫してパリパリ食べたり料理に使ったりするのが目標。芽、出ろ〜。

 

ついでの庭日記(グロ描写あり)

=====

①日陰のつつじに「もち病」が出てたので出来るだけ切り取った。もち病はカビが原因で起こる奇形だそうで、腫瘍イメージを具現化したみたいな見た目をしててとても気持ち悪い。普通の葉っぱが途中でいきなりボコボコと泡立って膨らみ、自重で垂れ下がったような姿。悍ましい。人間感染るようなことはないとわかってても身震いが出るので、あとで軍手を洗った。

 

②庭の真ん中の、15cmほど刈り残した雑草の茎に蜂が巣を作りかけてた。気づかず踏んでしまいそうな場所だったので取り除くことにした。

親蜂が巣を離れた隙に籠をかぶせて様子を見ていると、戻ってきた親蜂が籠のまわりをウロウロ飛び回っている。ごめんな。しばらく時間を空けて戻ったら、とうとう諦めたらしく、いなくなっていた。近づいて巣を折り取ると、20くらいの部屋ができていて、どの部屋にも卵が産み付けられており、すでに孵化してまるまる太った幼虫も3匹いる。刈った草を集めたのと一緒にしてゴム長でドスンとやった。

後で蜂の生態を調べてみたら、見かけたのはアシナガバチっぽい。冬眠から覚めた女王が新しい巣を作りかけるところだったんだろう。3日前に草刈りしたばっかりなので、この3日で20の部屋を作りそのひとつひとつに産卵していたことになる。たった1匹で。すごすぎ。痩せそう。巣を潰してごめんな…。

 

バジル育てたいはずなのに別の生物を殺す話ばっかりになってる。庭づくりもけっこう罪深い。

2020-05-09

anond:20200509095542

安い軍手しかその辺で売ってないんだから貧乏とか金持ちとか関係ないんだが?

anond:20200509095046

高性能軍手を買ったことがない貧乏人だ

おすすめは手の甲はメッシュで汗を逃し手先のゴム引きは薄め

これ

anond:20200507231630

軍手って無能だよね。ものを持つと滑る無駄に分厚いし防水も防寒能力もないし手が汚れるのもトゲが刺さるのも大して防げないし、いつ使うんだよ。知名度はあるのに無能代表

2020-05-08

anond:20200507231630

仕事必須軍手が品薄になるかと思ってドキッとした

2020-05-07

軍手「くっそう。俺の一位は不動だったのに...」

マスク「いまでは俺が圧倒的一位だ!」

・・・道に落ちているモノのランキングより

2020-04-30

今年はクールビズより対コロナビズか?

帽子(麦藁帽や野球ニット帽など) 頭髪保護

メガネまたはサングラス 目の保護

マスクまたはバンダナ 口周り、呼吸器の保護

上下ジャージ(長袖、袖口が密着する) 

手袋軍手ゴム手袋

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