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はてなキーワード: 犬猫とは

2017-10-20

モフモフの威力

よく行くスーパー衣料品コーナーがあるんだけど

そこでたまたま見つけた犬猫イラスト柄のかわいいブランケット買ったのよ

やばい

あったかすぎ

ちゃう

俺は罠に落ちたのか

2017-10-18

人間思想や行動は身体環境によって決まっているのではないか

人間の考えや行動は身体環境によって決まっているのではないかと感じる。

そう感じたのは、ある選挙演説を聞いた時だ。

はっきりと演説には勢いというものを感じた。

ただ、演説には中高年が多い印象を受けた。

投票率若者が低い傾向にあるから、当たり前なのかもしれない。

しかし、自分を含めて若い男はぽちぽちといた。

はっきりと数えていないが、自分の隣に立っていた男も若かった。

雨の中、演説を聞いて満足して駅地下に潜ると若い女がたくさんいるではないか

自分演説の聴衆の中で一番見なかった属性若い女だと気付いた。

駅ビルにいた若い女が演説を聞かない理由ペットショップ犬猫のゲージを見ればわかる。

見た目が愛くるしい犬猫は昼間から寝ている。

変に政治に関心を持つ必要はなく、見た目がよければどんな為政者の世でも生きていける。

ただ、犬猫若い見てくれのいい女も時が経った時にどうなるのかは分からない。

しかし、今現在の見てくれというアビリティーを全力で使って楽しむのが合理的なのだ

彼女たちの行動や考えも身体環境が決めている。

男を勃起させる、自尊心を満たせる身体が行動を決めているのだろう。

慶應大学に行った高校時代クラスメイトであるマナカちゃんは尻がでかくて透き通る肌の女だった。

彼女は、現代文教師特定秘密保護法案反対デモに参加した時の感想として小汚い人が多かったというのに笑っていた。

おそらく、政治なんか興味を持つ必要なんかないだろうし、持っていないだろう。

身体環境がそう決めている。もっと有意義楽しいことがある。

彼女慶應大学に行けたのは、自尊心を満たせる容姿と色々と記憶できる頭脳だろう。

こんな環境身体があれば、日本北朝鮮みたいな国になったとしても西欧ペニスをしゃぶっていけるだろう。

何もかも身体環境なのだ

一方、自分高校時代に醜い容姿いじめられて、悪い頭でチンパンジー大学しか行けなかった。

豚みたいな顔したネトウヨと昼食をたべ、つまらない政治の話で喧嘩をする。

それしか身体の都合でできなかったのだ。

他にも容姿が醜い人間がいたが、図書館で一人寂しく本を読んでいた。

全ては身体環境が決めているみたいだ。

色々と虚しくなるもの

2017-10-12

猫を20匹殺した男がいて、それが許せないと・・・

から正義ぶってそいつを殺せ」とか言う人たちが沢山現れてるのね。

そもそも犬猫わたしたちの知らないところでかなりの数が殺処分されてるんだよね。

自分に見えない所でやっていればそれでいい。

そいつらが自分に見える所にやってくれば差別すればいい。

そういう構図が見えてきて、それって、部落差別のものだよね。

変わらないなー。

2017-10-10

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53120

こういうの、犬猫ならOKって意味わからんのよね

人が管理してきた歴史が長い動物ならいいよねって、じゃあフクロウはただの過渡期やないか

フクロウもそのうちその管理歴史が長い動物に加わるんだから、長い目で見たらいいんじゃないのか

フクロウカフェ別にいいじゃん

フクロウカフェ残酷なのだそうだ。劣悪な環境猫カフェ残酷なのだそうだ。犬や猫のペットショップ販売は悪なのだそうだ。たしかフクロウや猫が死ぬのかかなしい。かわいいから。でも同じ口で,金魚すくいは風情があっていいねなんて言うひとも見かける。金魚すくい水槽は,たいていが劣悪な環境なので,一部の強靭な(そして幸運な)個体を除けば,どんどん病気で死んでしまうのに。

たとえば金魚よりもニワトリが,ニワトリよりもフクロウや犬や猫が,人間から見て命が価値が重いのだと考えてみる。それはそれで仕方がないように思う。賢い生き物はかわいい特に犬や猫などは,その歴史的経緯から人間以外の動物の中では最も人間に近い権利を持つ。人間は生き物を恣意的に線引きしてきた。善悪はともかく,それは事実だし,そしてそのうえに今の平和で便利な世界がある。

フクロウカフェ犬猫ペットショップ販売の話は,「動物権利」の話ではなく,「フクロウ権利」や「犬の権利」「猫の権利」についての話だ。なのになぜか,「動物権利」などと主語を広げ,あたかもそれが絶対的正義であるかのように信じている人間もいる。恣意的に命の線引きをしたうえで,まるで平等であるかのように話をしている。傲慢だ。けれど人間はいだって傲慢なのかもしれない。

フクロウカフェ猫カフェ経営者傲慢なのだろう。

ペットショップ経営者傲慢なのだろう。

では,産業動物の肉を食べ,牛革の靴を履き,家猫を愛で,アニマルカフェペットショップ批判する,それは傲慢ではないのか?

厳格なヴィーガンなどは,ペット飼育についても反対するのだと聞いたことがある。そこまで厳格でなければ,批判一つ言ってはならない――それは窮屈だ。だから,身勝手に,批判をぶちあげればいいと思う。身勝手であることは権利だ。けれどペットショップフクロウカフェに石を投げているひとびとがいる場所は,果たして安全地帯なのだろうか。善なのだろうか。彼らが知らないだけで,あるいは気付かないふりをしているだけで,その背中には無数の石が投げられているのではないかフクロウカフェ残酷なのかもしれないが,フクロウカフェに石を投げているひとのことを,残酷でないとは自分には思えない。

anond:20171010150949

水で洗ったつもりになっても濡れてると菌が繁殖するんやでその点で言えば乾きやすいとこにしょんべんする犬猫のほうが人間より賢いですな

2017-10-04

犬猫殺処分に敏感なくせに馬のことは何とも思わないのは

勝負に勝てなかったか自己責任ということなのか?

2017-09-28

犬猫とか動物人間の年齢に換算すると・・・かいうけどさ

換算する意味がよくわかんないんだけど。

てか、換算できる根拠あるの?

キトー死ぬ時期とか見て合わせてるだけでしょ?

犬の寿命は何歳。猫の寿命は何歳。

で、平均より生きたね〜とか言ってればいい話じゃん。

くだらな。

2017-09-25

ここ数年ずっと

2、3年前位からうろ覚えだけど、2ch犬猫大好き板が殆ど機能していない

正確に言えば動いてるスレもあるけど、荒らしが暴れて住民がほぼ居なくなってるスレがある

(ひとり暮らしの猫飼いや猫の質問スレとか)

どこの板でも荒らしが居るのは2chの常だから分かるけど、こんなにずっと執着し荒らし続けてる板は自分は見たことない

最初動物グロ画像連投、その後質問にみせかけた長文連投だった記憶

一部は諦めて別に避難してると思ってるけど、これどうにかならないのかな

2017-09-21

魚の命って軽いよな

ぼんやりと生きてた父親の唯一情熱を捧げて取り組んでいた趣味であったアクアリウムに対して母親が「これ邪魔だし目障りだからやめろ」と言った瞬間父親が無言で水槽を床にひっくり返して魚を全部殺し大切にしていたはずのアートを自らぶっ壊す所を目の前で見せられた経験が今の俺を作っている

というツイートが回ってきた

これ、殺したのが犬猫あるいは小鳥爬虫類なら、文句を言われた瞬間可愛がってた子猫風呂にぶち込んで窒息死させたとかなら、たとえ一匹でもそれぞれをペットとして愛する人が騒いだ案件だったろうに、魚を沢山殺した程度では騒がれない

魚の命は本当に軽いなと切なくなった

2017-09-20

オタク婚活

もうやめたけど、ちょっと前にオタ系の婚活したことがあって、とら婚で思い出したから書いてみる。

オタ婚行こうかなって思ったきっかけは、普通街コンとか婚活パーティーに行ってみて、あまり漫画読む人とかゲームする人がいなくてビックリたから。

映画見る人がいれば良い方。アニメ見る人なんてまずいない。多いのは食べ歩き、旅行(書いてみただけっぽいやつ)、フットサルとか野球観戦とかそういう。

私はオタクだし、漫画アニメの話がしたいから、彼氏と共有できたら楽しいだろうな〜 あといい加減家の同人誌とか隠すのめんどいな〜とかそのくらいの気持ちだった。

で結果、会場に入った瞬間に、充満する匂いが辛すぎて吐きそうになった。

コミケ3日目ってこんなに酷かったっけ?密室なのがよくないの?

はっきり言って10人に9人は口臭が酷くて面と向かって話すのがキツい。

口臭がないだけで「この人、良いかも…」とか思ってしまうくらい。(会場から出ると魔法は解けるんだけど)

あと口から泡出てる人が多い…。

いや、まあそれは置いといて、百歩譲って改善の見込みがあるとして、人柄を知ろうと頑張って会話を続ける。

オタク婚活の最大の特徴はプロフィールシートの「好きな作品」の欄だと思う。

…うん。

知ってる作品名が1つもない!!

オタク限定パーティーでも、男女で興味ある作品って、決定的に違うんだなと思った。

私が少年誌青年誌漫画を読んでるとすると、相手は大体深夜の萌えアニメラノベタイトルも聞いたことないやつ。

私は女性向けとかのニッチ作品は知らなくてしょうがないというスタンスから、なるべく無難作品…極端だけどドラゴンボールとかジョジョとか、ドラクエとか、の話をしたりするんだけど、驚くほど通じない人が多い。

通じないから、共通話題なんて無い。

もちろん進撃の巨人ベルセルク寄生獣も通じない。

共通話題いから、別の話題探そうとするけど、それこそ皆無。

犬猫の話でもできればまだ間は持つのかもしれない。

から、とら婚の言ってることは正しい。

両者がオタクであっても、偶然同じ作品を観て読んでいなかったら、その時点で会話は詰む。

かといって、好きな作品共通すれば上手くいくのかと思いきや、それはたった1つの共通話題しかなくて、それ以外の部分で合わなければしょうがないのよね。

結局、普通街コンと同じような無難話題を振って終わった。

当然会話は続かなかった。

わかったことは、私にとって相手オタク非オタかは大した問題じゃなくて、気があうかあわないか、好みかそうでないか という方が1億倍大事だということが知れた。

なんか書くのめんどくさくなってきたからここで終わる。

9/22

…なぜかホッテントリに拾われてたから追記する。

共通の好きな作品がなかったとき沈黙回避する方法として「推し作品の好きな所を聞く」というのは方法としてはあるんだけど、オタ婚でそれをすると、会話じゃなくてプレゼン、一人芝居、説明文、になっちゃうんだよね。で、結局どんな人なのか全くわからないまま持ち時間が終了するという。

作品説明をしつつ1人で喋り続けない「コミュニケーション」として成立させるのはかなりコミュ力必要から、それなら天気の話の方がまだ会話になると思ってる。

どうやらオタク系の婚活パーティーは非常に男性の集まりが良いので、それを見てとら婚も婚活業界に参入したのかもしれないけど、単にパーティー開いて出会いの場を作るのと、相手ありきで成婚まで結びつけるのは天と地ほど難易度に差があるよなぁ、と。

そもそも社会人として完全アウトな感じの人もたくさんいたから、とら婚はどこからどこまで会員を指導するのだろう。それこそママになる覚悟必要そう。想像すると胃が痛い

追記2

ブコメ読んだ。一応書いておくと、「オタ婚活で女と話すならこれらの作品を抑えておけ」といいたい訳じゃない。これさえ抑えておけばオッケーな作品なんてない。おそ松さん刀剣乱舞勉強したところで、好みの女性がそれを知らなかったら意味がない。もっと汎用的な、オタクジャンル以外でトークできる話題重要だよということを言いたかった。

から出る泡についてそんなに突っ込まれるとは思わなかった…

2017-09-16

ネットで愉快になれない

ネットってネガティブ意見が集まりやす場所だとは思うんだけど、それでも昔はネットならではの楽しいやりとりやコンテンツが色々あったように思う。でも最近は、見るたびにただただストレス不愉快気持ちが蓄積するだけで、ネットコンテンツで愉快な気持ちになったことが殆どないような気がする。他の人は、今でもネット上で愉快な気持ちになっているんだろうか?自分ネットを見て不愉快気持ちや暗い気持ちになる方が圧倒的に多い。

よく犬猫動画ばかりシェアされることをバカにしている人がいるけど、ネット上で愉快になれるコンテンツなんて最早動物動画ぐらいしかないんじゃないか。だからそれくらいシェアさせてやれよと思う。ブコメを開けば誰かが誰かの批判をしてる。集まるニュースネガティブものばかり。Twitterではヘイトスピーチ炎上が繰り返される。ネット上に気持ちいい場所なんて、最早残ってないのかな。ネット上の負のオーラが実生活にも影響してきて、最近世界がグレーにしか見えない。

2017-09-10

ペットを飼ったら結婚が遠のくというアレ

しろ犬猫で満足する程度の甲斐しかないんだったら結婚なんかしない方がいいと思います

2017-09-01

貧乏人や年寄り独身者ペット飼うな論

その根底にある理論はわかるし正当性もあると思う

ひどい飼い方をしてしまう恐れがあるなら飼うべきでない、という考え方だ

じゃあ貧乏人は子供産むなと言うのか、みたいなことも言えなくはないが、ペット人間の子供を同列に語るのも違うだろう

でもその一方で、そもそも人はどうしてペットを飼うんだろう? という観点からは疑問も感じる

寂しいから、無味乾燥日常で鬱になるから生き甲斐が欲しいから…

もちろんそれ以外の理由だって多いだろうが、そういう切実な理由だってあると思うのだ

そして、そういう点で言えばむしろ社会から孤立しているような人にこそ、ペット必要なんじゃないだろうか

結果的にその人が孤独死してペットが飢えたり殺処分されるとしてもだ

だってそもそも論を言えば、ペットを飼うこと自体人間エゴだろう

ならば人間幸せを一番に考え、ペット幸せはそれに反しない範囲で最大限考慮する、という形が人間社会ルールではないのか

はい自分は正直、人間よりは犬や猫の方が好きなので、犬や猫の幸せを一番に考えてほしいという気持ちもなくはない

でもそれは犬猫好きの傲慢であり我儘だという風にも、明に暗に教えられても来た

一番嫌いな人間と一番好きなペットの命を天秤にかけたとき、前者を選ぶのが人間として正しいのだと(実際そうできる自信はないが)

2017-08-27

ドイツ犬猫殺処分ゼロカラクリ

ドイツでは犬猫殺処分が非常に少ないことは普通の人も割と知られていて

ペットショップですぐに買えないからとか捨てられても保護施設があるからってのが同時に紹介されるけど

そんなものは大した効果はない

実際に一番殺処分ゼロ威力を発揮しているのは「ドイツ連邦狩猟法」という法律である

この法律の言ってることは狩猟動物保護する目的野良犬・猫の駆除を認めるという物

まり趣味ハンティングとして合法的野良犬・猫を殺すことができるのだ

これによってドイツでは年間猫40万頭、犬 6万5千頭合法的処分している

ドイツを見習えなんていうが肝心なことを出羽守は伝えない

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170816233834

予防接種に関しては、飼い主が負担に感じにくい仕組みを作るべきだった。

例えば、犬猫飼育税でも設けて、予防接種コストはそこから出すようにするとか。

予防接種自体の見た目のコストゼロになれば消極的接種拒否もなくなるだろうし、

ついでに予防接種拒否への罰則をつければ、積極的拒否もなくせるだろう。

獣医師団体政治力がどれほどのものかは知らないが、現状を守ることに汲々として世の中をよりよい方向に導くことを怠れば取り残されるだけだ。

そのとき他人非難しても、どうにもならない。

2017-08-13

下の階の人がが犬猫飼ってた。

多分中国人韓国人カップルなんだけど、ペット禁止アパート犬猫飼ってる。

ペット禁止なんだからバレないように小細工ぐらいしろよと思うんだけど、その家のベランダの前に人が通ると焦って窓閉めたりカーテン閉めたりする。(共用部から丸見えだし網戸開けっ放しなので鳴き声もダダ漏れ)

今のところ迷惑被ってないか管理会社に言うか悩んでる。強いて言えばベランダにエサ置きっ放しなのやめて欲しい。ネズミとかゴキブリ寄せ付けそう。

俺はアクアリウムやりたい。

2017-07-25

避妊手術をして数をコントロールするみたいなことって人間にやったらそりゃひどいけど、犬猫にたいしてするのは普通だよな。

肉食反対とか、実験動物は反対って人もいるから、犬猫の数をコントロールするとかもってほかって考えの人もいるかもしれんけど。

スコ猫はかわいそう。ならブロイラーは?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-00010000-sippo-life

こちらのはてブを読んだ。

なるほどスコ猫は優性遺伝形質を持つので,繁殖には注意を要するだろう。イギリスでは実際に繁殖禁止されている。ひろく動物愛護観点から見れば,惨いと思うのは当然の感情だ。だが「かわいそう"だから"やめろ」と批判する論調には,若干の疑問を覚える。感情に訴えた煽情的言い回しについては,詭弁ではないかとも感じる。

スコティッシュフォールド自然発生した突然変異の猫を,1960年代に発展・固定した品種である。耳を折れ曲がる遺伝子変異ホモで持つ猫は耳折れ(いわゆるスコ猫)となり,ヘテロでは立ち耳となる。ホモヘテロいずれにおいても(時期の差はあれ)宿命的関節炎を呈する。この変異遺伝子特定されており,人間において関節炎を呈するものと同じと見なせるのだという。病気個体をかわいがっているのである。猫当人(当猫?)にとってはたまったものではなかろう。ダックスフンドパグなどもそうだ。悪趣味である。本当に,人間は,業が深い。

ところでブロイラーという鶏がいる。代表的な肉鶏で,日本では毎年数億羽が出荷されている。

>> ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する。(Wikibedeiaより) <<

あるいはピンポンパールと呼ばれる金魚がいる。丸々と太った短い尾の金魚で,泳ぐのが極めてへたくそである(そこがかわいいので人気だ)。チンシュリンという品種金魚から,より短尾で丸手な個体を選別交配して生まれた。これに限らず,金魚は異形のオンパレードだ。

猫の先天性奇形動物実験などに比べて,これらがネットで話題になることは少ない。家猫や犬は大事にされているほうだと思われる。それは彼らが人間私生活と深くかかわりあってきたかである繁殖に幾度も手を加えられ,人間にとって「かわいい」「便利」と認識されるような形質が固定化された。

結局のところ全ては人間エゴなのである。この手の話題になると必ず,猫を飼いたいならペットショップではなく保護猫を,という意見が登場するが,わたしはこの意見が好きではない。違和感を感じる。その辺を突き詰め始めたら,そもそも愛玩目的動物など飼育するべきではない(愛玩ではなく家族,などという考え方は個人的には想像の埒外なので納得できない)。愛玩動物産業動物も,人間人間のために動物を利用しているのである

もちろん,薄利多売を目的とした無責任繁殖業者擁護したいわけではない。それらは当然批判されるべきで,専門性の高いブリーダー繁殖を行うべきだ。そして供給というのは需要のあるところに生まれるので,飼育者側の倫理感も重要である。そしてイオンで鰻丼を買って食べなければ鰻の絶滅が遠のくわけじゃない(水産庁による介入が必須)ように,本件についても結局のところ行政による介入が必要であろう。思うに犬猫はもはや市場が大きすぎる。そのためには地道なロビー活動必要だ。それはわかる。

でも,人間人間のために生き物を飼育しているという大前提から目をそらし,「猫がかわいそう」などというきれいな言葉大衆扇動する。そういうやり方に関しては,詭弁を感じるので,わたし不快感を覚える。

病気の猫をかわいがってもそれが人間の業だと思う。我々がすべきことは,その種が他種と不用意に交雑せぬよう適切な管理下飼育していくことではないだろうか。持続可能ペット社会。それがひいては人間のためである。決して猫のためではない。

2017-07-17

噛むだけで歯を磨けるおしゃれな商品があった

スーパーをウロウロしてたらそんな商品が棚からぶら下がってるのを見つけた。

デザインもおしゃれだし、出先で歯を磨けない時にこれいいな。

と思って手にとってみたら犬猫用だった。

紛らわしいんだよ。いかにもなところにぶら下げるなっつの

でもなんか気になるんだよね。買って使ってみるか?

2017-07-15

人の心はどこにあるのか

友人は障害者福祉関係施設で働いている。自分精神を患っており手帳も持っている。二人で会うと四方山話の果てにこの話題になる。

「人の心は、魂は、精神とは何なんだろうか、どこにあるんだろうか」

例えば、急性期発作から治療を受け、治ったと思いこんで怠薬、を繰り返し荒廃した統合失調症患者

重度の痴呆症知的停滞も似たようなものだ。

飲み、食い、その辺でクソを垂れる。意思の疎通はほぼ不可能。はっきり言ってしまえば知的レベルはその辺の犬猫以下だ。

彼らに精神はあるのだろうか。

「ある」とするのはかなり苦しい。人間的な精神活動を観察することはかなりの困難を極める。

しかし、「無い」とするとまた別の疑問が生まれる。

彼らは「いつ」精神を失ったのか。

例えば、器質性の痴呆症と言うものがある。友人はくも膜下出血後遺症痴呆症になった人を見たと言う。

かつてはホワイトカラーであり、英語も堪能、楽器を弾く趣味もあった。

しかし、今は会話も不能、垂れ流しである

だが彼は時々知性を取り戻して昔の話をしてくれることもあると言う。

精神を失ったり取り戻したり、そんなことがあるのだろうか。

例えば、自分双極性障害を患っている。

気分が落ち込んだ時には精神安定剤頓服で飲むし、躁になりそうだと思えば抗うつ剤を減らす。

もちろんこれは主治医許可を得ている。

悲観的・厭世的な気分になっていたのが薬を飲むと消失してしまう。

化学的に操作できる、今、この感情は本当に自分の心なんだろうか?

2017-07-11

https://anond.hatelabo.jp/20170711001224

そのパクチーを食べるんですね。美味しそうですね。犬猫の糞尿が肥料になるから滋養分たっぷりですよ。深夜にときどき酔っぱらいが…以下略

2017-07-05

赤ん坊子供けっこうすきなんだけど

犬猫へ対する感情と同じ感じ・同じくらい好きっていうのは

何かしら問題がありそうなので広言できないでいる

2017-06-29

権利」を謳う人間はなぜあそこまで意地汚く見えてしまうのか

今回ここで、「権利概念が放ってしま暴力性の起源について一人考えてみる

人権」の普及 ーアメリカ独立宣言



1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパ政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というもの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類脳みそ侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。

ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間権利、あるいは公民権解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。

でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこ匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。


 人権を「持つ」とは ー「所有」についての2つの感覚




まりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議草案にもその矛盾を観れるかもしれない

That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.

この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金徴収を困難にするという理由であった。

何が言いたいかといえば、奴隷武器砂糖三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり所有権」が守るベーシック価値は「権利概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明真実ではあるのだが我らは不可侵権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利全般の話である

propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである対象物に対して欲求したことは特別禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考スタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要感覚を孕んでいる。それは「私が支配するもの他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望支配感覚が流れている。


 奴隷(property)の反乱 ー「権利」と「自由」に関する妥協と「身体」ー



しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)


上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利概念議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界人間に対する理解である個人他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由支配他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というもの概念自体にこれは染みついたのだ。


奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家権利自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリート再生産し、根本思想解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法行政の場から常に吐き出され、我々パンピー脳みそにも影響を及ぼしてきた。


権利概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間労働力社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)

 まとめ ー「意地汚い」理由



長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実非人道的支配を読み取った人たちの反発からまれ社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日あの日から人類脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳自由万歳国家万歳


いま苦しんでいるマイノリティも、「支配欲望」の匂い漂う「権利自由概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利自由闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。

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