はてなキーワード: 犬猫とは
昔からのフォロワーがTLから減ったからたまにおすすめ欄を見るんだけど、最近になってまた一段とnot for meになった感がある。
政党間対立、弱者から権力者への罵詈雑言、男女間対立、外国人批判、政権批判、老人への苛立ち、若い子への情けないマウント、陰謀論、反ワクと反反ワク、AI信者とAIアンチ、環境破壊に無頓着な連中と過激な自然保護団体、Vtuberだか生主だかのスキャンダル、経歴や年収詐称のビジネス詐欺師連中、これらに挟まる広告、広告、広告。エトセトラエトセトラ。
ポジティブにもネガティブにも動揺したくないから好悪によらずミュートしてるのにきりがない。
かといって犬猫小動物をつかった承認欲求を満たすアカウントにももう興味ないし。かわいいけど。
芸能人にも野球にも競馬にもソシャゲにも興味がないからトレンドなんてもっての外。第一線で活躍する方々の輝かしい日常やら素晴らしいアートなんてこっちが惨めになるだけだ。押し付けがましい漫画も読みたくない。
最近飼い猫が亡くなった。あと1週間で18歳だった。
今にして思えばどう見てももうすぐ死ぬ猫だったのだが、自分はペットを看取るのは初めてだったのと、3ヶ月前までは一切の不調なくピンピンしてたので、正直もう少し生きると思っていた。
もうすぐ死ぬなコレと思えていたらもっと一緒にいてあげたり、直前まで無理やり飯を食わせたりしなかったと思う
死ぬ直前のうちの猫の容態を書くので、もちろん全ての猫が同じではないが、もしこうなってきたらできるだけ一緒にいる参考に読んでほしい。1人でも自分のように無知と楽観から後悔してほしくない。
まず亡くなる3ヶ月前に突然歩けなくなった。これは後ろ脚を引きずっている老猫の典型的な症状と言われた。
病院に連れて行き薬を飲むと1日で治った。何入ってんだあれ
これを3回くらいやった。
この時の成功経験のおかげでまた薬を飲めば元気になるだろうと思ってしまっていたところがある。
亡くなる1月くらい前から食欲がどんどん落ちた。どんどん自力で飯を食わなくなり、餌皿を押し付けても拒否するようになった。水は飲んでいた。このあたりから部屋のベッドから1歩も動かなくなった。1日中同じ場所で寝ていた。あまり鳴かなくなった。
亡くなる2週間前から一切うんちをしなくなった。おしっこはしてた。あまりにも便をしないので病院に連れて行き腸が動く薬をもらったが変わらなかった。
やる気もない?みたいでベッドから降りようとしてもベッドの下で疲れ果ててそのまま横たわっていた。トイレに連れて行くとトイレをするので部屋にまた持っていった。コレを繰り返せばトイレだけ人の手がかかるけどこのまままだまだ生きてくれるような気がしていた。
亡くなる二日前くらいからおもらしをし始めた。後ろ足がうまく歩けないから仕方なくここでしちゃったんだろうと楽観的に見ていた。前にもらった歩けるようになる薬の残りを与えてみて、3日飲んでよければまた病院に行こうとか呑気に考えて薬を飲ませた。
次の日、亡くなる当日、まばたきをしなくなった。ずっと目を開けていた。やはりベッドから動かず虚空を見ている。口で呼吸をし始めた。まだすごく暖かかった。
2週間していなかったうんちが固まって便秘が辛いから出したくてでもりきめなくてずっと苦しがってるみたいだった。
はいお腹スッキリしたね、ね!ゆっくりしてね。って寝かせたらもう息をしていなかった。
人間も死ぬ直前は筋肉が弱って瞬きをしなくなるし口で呼吸をするようになるらしい。コレが現れたらもう峠だと家族を呼ぶ目安だと。猫も同じなんだなと思った。
自分はまたあの突然歩けるようになった薬でまた元気に鳴るかと信じ込んでいた
もっと一緒にいてやれば良かった
何が言いたいって自力であんまり飯食わなくなった猫っていくら病院で点滴とかしてても頑張って食べさせても、もう長くない。自分も「このまま毎食スポイトで給餌し続ければ、手間だけどまだ何年か生きてくれるかも」なんて当日の朝でも考えていた。
自分で食事取らなくなってくるともう病院で栄養剤打ってもらってても長くない。
犬猫自体はこの世にたくさんいるのに、こういう話が沢山あるはずなのに、まだペットを看取ったことのない知らない人間にもっと伝えなきゃいけないことがあると思った
みんなもかいてくれていい、
子育てに金がかかりすぎるだの賃金が低いだの言うけど、私の感覚だとそれってあまり関係ない気がする。
昔はなんか流れで子供作ってたけど、今は流れで子供作る人は一部で、ほとんどの人は子供作るかどうかを考えるようになった。
そこで考え込んでしまうんだろう。
私は死ぬのが死ぬほど怖いんだけど、たぶん死ぬのが死ぬほど怖い人たちは結構いると思う。
で、そういう人たちは子供が生まれてきたらその子供も死の恐怖を感じなきゃいけないことについていろいろ考えると思う。
別に子供が死ぬ恐怖感じてもいいじゃんって思う人は子供作るんだろうし、子供がかわいそうって思う人は子供作らないんだろう。
犬猫飼えない人は、死ぬのがかわいそうとか思って飼えなかったりする。
犬猫飼える人はそんなの気にしない。
そういう人たちは「生命はいずれ死ぬんだからしょうがないじゃん」って思ってる。
子供作れる人は「子供が(100年後に)死んだっていいじゃん」って思って作る。
子供作れない人はそういう考え方ができない。
自分の人格も記憶も完全に消えて無になるということは生きてる私には想像できないことだ。
私は無を考えることができない。
何もないが永遠に続く。
結局私は死んで無になる。
私は誰なのか。
誰でもないのか。
この世界は何なのか。
そういうことを考えていると子供が作れなくなる。
「生き物が死ぬのはしょうがないじゃん」って思えないといけない。
このハードルがかなり高い。
子供作ってる人たちは才能があるんだと思う。
命ってものがわかっている。
私みたいな死ぬのが死ぬほど怖い人たちってのは生きる才能がないというか命に対する接し方が下手というか。