はてなキーワード: ゆとり世代とは
退職代行サービスを利用する人間に対し「クズ」「社会人としてなってない」「非常識のゲボカス」「退職の申し入れや交渉くらい自分でしろ」「料金の無駄」というネットでの意見をよく見かけるが、常識があってクズでないまともな社会人ならそもそも退職代行なんて利用しないのだ!
当方は新卒一社目でメンタル休職ののちに退職し、その後正規非正規職を転々としてきた。そのうちクビ3件、職場バックレ4件、うち退職代行使用が3件というどこに出しても恥ずかしくない経歴のクズである。こんなクズでものうのうと生きている経緯と現状とお話しし、もし今の職場のことで悩んでいる誰かの参考になったら幸いだ。また、こんな開き直り底辺ゴミにだけはなりたくないという意味で皆さんの癒しになれば嬉しい。
・なんでそんなゴミなの?
1社目でメンタルをやってか以降当日欠勤しまくり、朝起きられない、寝込む日が激増し勤怠不良の積み重なった結果です。心療内科でも相談し改善を試みたが現在も全快はしていない。ASDやADHDの検査もしたけれど健常域と結果が出て、社会性のないウンコ健常者になってしまった。
また、性格的にもストレス耐性が低くキャパ狭なのと、コミュ障以前の人嫌いが災いし、どの職場でも基本的に孤立してしまう。他人に興味がなく無関心のため、みんなでの昼食や飲み会や、職場の噂話や世間話が苦痛に感じる。人間関係の難の大部分は自分の傾向にすべて起因する。勿論申し訳ないが本当に合わない職場、上司同僚もいた。
何社か非正規で食いつないだが、その後正社員に転職した。経済的安定も目的だったが、世間体が主な転職理由だったと今では思う。仕事は生産支援の窓口部隊だったが、その部署は真夜中までの対応が多く、上記の当欠癖も治らず、致命的なミスをして現場の人に怒鳴られ修復不可能なまでに信頼を損ねた。リカバリーとか善後策など考えられず、自分のミスのせいなのにパニックになり保身に走り、「もう二度と出社できないから辞めるしかない、だがもう退職を伝える勇気も気力もない。そもそも会社の人ともう話せないし顔など合わせられない。絶対に無理」という状態になった。
その際、無い知恵を振り絞り「便利屋」という単語を思いつき、退職の電話などを請け負ってくれる便利屋をネットで探した。当時は2010年代中盤で、まだ「退職代行」に特化したサービスや企業はなかった記憶だが、不倫の密告や興信所や探偵まがいの業務をしている便利屋の中に退職の電話代行というものがあり、実家の母親のなりすましで体調不良を理由に退職の意志を伝えてもらった。その間は職場に連絡できず、無断欠勤していた。なお、現在の退職代行ではおそらく親族やパートナーなどのなりすまし設定での電話はNGだと思う。また、今も自分が依頼したような類の電話代行の業者は存在するが、どちらかというと、不倫やクレームの密告代行の意味合いが強い。
・使ってどうだったか
上記の当時利用したサービスでは、今の退職代行のように「利用したら最後まで会社の人間とやりとりが必要なく、代行経由で連絡可能」というシステムはまだなかったが、それでも「引継ぎもせず、最低限のやりとりで会社をやめられた、逃げられた」ということは自分にとって本当に救いで、命と心が助かったことに感謝した。料金も、会社の人に顔を合わせたり、謝罪をしたりという精神苦痛を鑑みれば、タダのようなものだと感じた。時を経て、退職代行会社が雨後のタケノコのように出現し世間で話題になった際も、「やはり自分のようなダメ人間がこういったサービスを利用するのだろうな」という納得感があり、ニーズが形となって顕現したのだと感じた。
なお、その後2社でも業務についていけない、ミスの連発、人間関係、勤怠不良などが原因で退職代行を利用させてもらった。加えて1社もブッチしたが、その際は貯金が少なくお金をケチって自分で辞めると伝えたが、資金に余裕があったら絶対退職代行を利用したかった。
・コロナ禍、そしてテレワーク普及という僥倖により長年のバックレ要因が偶然すべて解決
書いた通りなのだが、その自分で辞めると伝えてバックレた職場の次に決まった契約社員の仕事が始まったとたん、コロナによるテレワーク普及が起こった。すると、長年のバックレの原因だった「朝起きられない」と「職場で孤立してしまう」という問題が解決してしまった。例え朝起きられなくても、始業ギリギリに起きパジャマ姿でPCに勤務開始の報告をしてちゃんと業務をすれば、ひとまず出勤したとされる。そして、コロナ禍では会食なんてもってのほか、職場での飲み会やランチもNGになり、いつも頭を悩ませていた食事の場でのコミュニケーションと、会社での雑談自体消滅した。そのため、いつでもどこでもボロボロだった勤怠が他の社員と何ら変わりない状態になり、偶然だが仕事ぶりを評価され、現在正社員となっている。
何の努力も改善もしていないのに、環境だけで社会的に助かってしまった気分だ。現在は在宅リモート半々で働いている。たまに心身の不調で起きられず寝込んでしまい病欠になる日もあるが、それでも昔に比べると勤怠は飛躍的に改善した。
これはクビになった職場で担当していた業務で実感したことだ。フェイクを入れるが人材会社で就業開始するスタッフの勤怠管理業務に関わっていた。すると、自分より遥かに優秀で立派な経歴の人でも、第一印象がいい人でも、家族や子供がいても、突然会社に来なくなる、無断欠勤をする、試用期間終了前に合わないと泣きながら電話してくる、まるでかつての自分のような人を結構な頻度で見た。Z世代とかゆとり世代はおろか、年代や性別や家庭状況は関係ないようだ。また、勤怠不良や能力不足で試用期間終了前に雇用主から契約終了にされる人も多く見た。
以前は自分のような人間はネットでは観測すれど現実ではなかなか見ないから、異端の社会不適合者なのだと確信していたが、同類はいるところにはいるのだなと肌で感じた。
・退職代行を使うべき人
ここで、退職代行を使ってもいいんじゃないかなと想像する人の特徴を挙げる。
仕事や職場の人間関係だけが自●の原因なのなら、使ったほうがいい。できれば心身が完全にやられる前に、体力気力があるうちの利用を推奨する。一度完全に折れると、その後の社会復帰が困難になるし時間を要するためだ。ただ、増田は自●自体は仕方ないんじゃないか派なので、仕事以外にも持病や家庭の悩みや慢性的な生きづらさを抱えた人が、己に鞭を打ってまでつらい状態のまま生きる必要はないとも考えている。
「あの人は退職代行を使った」と噂されたり、それを知られた関係者にはある種の偏見を抱かれることは間違いないので、それが気にならない人は役職や雇用形態問わず利用していいと思う。逆に自分の挫折や失敗を受け入れ難い、プライドがある人はまず退職代行は利用しないんじゃないかな・・・自分はプライドがないので、バックレた職場の方々に対し本当に申し訳ない気持ちがあれど、二度と生きてお会いしたくないので、自分は練炭自●などで死んだものと思って忘れて生きていってくださいと念じている。
・退職代行を使うべきでない人
上記のように、心身が死の淵に追いやられている人はまず命を守る行動を取ってほしいが、使うとリスクがあると想像する人を列挙する。
増田は現在都市部在住だが地方での暮らしも経験している。その際近所の無職の人が外で散歩するだけで恥だから家の中にいろ!という親御さんに叱られている話を聞いたことがある。退職代行を使ったことが近所や職場に広まり、今後の就職どころか生活に支障をきたす、あるいは詰むレベルの支障が出る場合はそのリスクを考慮したほうがいいのではないかと思う。
増田が退職代行を使ったのはいずれも一人暮らしの時期だ。バレなければいいと思うのだが、同居家族やパートナーに知られて干渉されそうな人は警戒しておいたほうがいい。5ちゃんの職場バックレに関するスレッドで、バックレ常習犯は緊急連絡先の家族の住所は電話番号はでたらめを書いておくというアイデアを参考に、増田も緊急連絡先は最寄りの水道局の住所電話番号に設定している。
①②と同じ種類だが、例えば仲間と企業したけど逃げたくなった・・・という場合も人間関係にしこりを残すと想像する。現代ではなかなかないと思うが、同族の小さい企業や少人数のベンチャーなど、職場の人間関係が密で後々の人間関係がトラブりそうな方も要注意だ。(辞めたあとに電話やSNSなどでDMが来るとか)
退職後に休養するのも再就職するのも自由だけれど、その後の人生の責任は自分以外誰も取ってくれない。中には医療や福祉に繋がるほうがいいケースもあるかもしれないが、勤め人を続けたい場合はその後も工夫や行動し続けることが大切だと感じる。男女問わず、経済的に頼れるパートナーを探すというのも生存戦略としては立派なひとつの方策だ。下記リンクは以前ネットでも話題になったもので、今回の趣旨とは異なるが、早いうちから行動することの大切さについては参考になるかと思う。
http://www.carpefidem.com/column018.html
・環境や適性をもう一度考えてみる
職場との相性は、入ってみたら人が定着しない魔窟のようなポジションだったとか、ホワイト大企業だけどその部署だけ何故かモンスターのようなストレッサーだらけとか、運で決まってしまう要素も大きいと感じる。ただ、ある程度自分の向いてる環境や適性について検討し、判断することも必要だと思う。向いてなくて耐えられなかったら、また退職代行を使えばいい。
人付き合いの苦手な人は、できるだけ接客から離れた上流工程の業務内容の企業に応募する(コミュ障も突き抜けると接客適性無双、他人への関心がないのでクレーマーをしゃべる人糞とみなせるという意見もあるが、限られたエースだけの才能だと思う)とか、マルチタスクではパニックになりがちな人は定型業務メインの仕事を探すとか、お子さんや家族のケアで早退や欠勤が続いてしまうひとはフレックス制や裁量労働などで調整できる職場を探すとか、できるだけ自分の苦手に直面する機会の少ない仕事を選んでほしい。
お前が言うなが過ぎるが、テレワーク可能な職場という環境面での選択肢が無かったら自分は社会的に詰んでいた。また、当座の給料のためにコミュ力に自信がないのに、客先/社内問わず大量のストレスフルな交渉が発生する職場や自分のスキルに見合わない仕事内容に考えずに飛びついた経験が少なからずある。
増田は現在「やりたくない仕事は星の数ほどあれどやりたい仕事はない」というドクズ思考で、自分にできる仕事ならありがたく精一杯やって、ダメなら逃げようというスタンスだ。
「好きなこと/やりたいことを仕事にする」は覚悟がないと危険だと思う。インドア派やオタク気質の人は、アニメーターやゲーム会社やエンタメ企業や出版社関連企業への志向性が強い傾向だと思う(かつて自分も就活病で何社か説明会を受けたことがある)が、大手でない限り土日昼夜問わず働かされ、期限納期の厳しいブラックな環境の職場も多い。エンタメやサービス業は、みんなが楽しんでいる休みや余暇の時期が繁忙期だ。また、ブラック企業はある程度公式に開示されている情報や労働条件で判断できる。
近年、教育に関連するニュースがネット上で話題を集めると、TwitterやYahooニュースのコメント欄には、自称・教員を名乗る人々が現れ、学校の教員が不足している、労働時間が長すぎる、部活動を廃止すべきだ、見回りやいじめの対応は教師の仕事ではないなど、さまざまな主張が飛び交う。
こうした議論を目にするたびに、俺は思う。
きみらが学生だった頃の先生は、残業してまで仕事に取り組み、部活動のサポートや問題児への対応、トラブルが生じたら謝罪に行き、いじめが発覚したら話を聞き、保護者からの苦情にも応え、あらゆることに取り組んでいたはずだ。
それこそが、きみらが今の自分たちに成長することができた理由ではないのか。
それなのに、自分たちの番になると、これは嫌だ、あれは嫌だ、こんなことは教師の仕事ではないと、わがままな意見ばかりいう。
現代の社会には、ゆとりの考え方が広まっていると言えるが、その中でも教育現場においては、考え方の変化が社会全体に与える影響は計り知れない。
もちろん、個人の意見や権利も尊重されるべきだ。だがその背後には、昔ながらの先生たちが持っていた献身と責任感があったことを忘れてはならないだろう。
教育は、社会を形成する基盤の一つであり、その土台が崩れれば、将来の社会も揺らぎかねない。
私たちは、ゆとり世代の教師たちが、自身の役割や責任を再確認し、昔の先生たちの姿勢に学ぶことが必要だと信じています。
私たち一人ひとりが、自分の立場や仕事に真摯に向き合い、社会全体の発展に貢献していくことが、より良い未来を築くための第一歩なのです。
若さが武器な時期に、買ってもらえず経験を積めないのは辛いよね。
俺はゆとり世代だけど、本来なら管理側に相当するであろう氷河期世代の人が社内に少ないので、経験足りないのに管理側の業務が回ってくるのが辛いよ。でもこれも贅沢な悩みなのか。
自分はいわゆるゆとり世代。2013年度新卒。希望通りでは無かったが、特段苦労する事もなくトントン拍子で中堅の会社に就職した。周りをみても、就職活動の苦労は、第一希望の業界や会社に入社することは出来ないがどこで折り合いをつけるかだった。無い内定の友人達は、どうしても希望の職業に就きたいか、モラトリアムを延長したいかと言った感じ。
モラトリアムを謳歌した友人達も、自分で何か始める、または数年遅れですんなりと就職。
一方、自分の親はバブル世代で、自分が逆立ちしても入れない企業たちから囲い込みされてその中の一社に入社したらしい。親の就活話しを聞くと、羨ましくて自分達は苦労したものだと思っていた。
ちなみに母親は新卒時に超大手企業に勤めていたため、子育てが終わってからの再就職も経験を買われた為、用意だったらしい。
会社に入ってからは、いわゆる氷河期世代の人達もいたが、自分達や親世代と同じようだと思っていた。たまに飲み会で当時の就活苦労話等も聞いたがイマイチよくわからなかったし、今思えば、彼らは氷河期でも勝ち組の人達だったんだなと思う。
しばらくして、違う事を経験してみたくなり退職。職業訓練校に通う事になった。
訓練校では生産管理を学んでいた。クラスメイトの構成は、バブル世代3割、ゆとり世代3割、残りは氷河期世代だった。バブル世代の面々は、リストラにあった人もいたが、子育てが終わり早期退職し、今後はゆっくりしたい人や現場から管理職へキャリアアップしたい人達だった。一方のゆとり世代は、自分のように違う事を経験したくなった人、モラトリアムを味わいたくなった人、結婚を機に退職した人、フリーターから正社員を目指す人々だった。
自己紹介で今までの経歴を話すのだが、もちろんゆとり世代は学生に毛が生えた内容だった。
驚いたのは氷河期世代で、華やかな経験を持つ人達もいたが、就職に失敗しその後派遣を転々としているとか、40代過ぎてバイトの面接も受からないだとか、就職を諦め今まで資格取得の勉強をしてたが年齢的に諦めたとか、ブラック企業を超える漆黒企業で長年勤め身体を壊したとかだった。
今まで、正直、氷河期とか言ってるけど結局は自己責任じゃないか?と思ってたが、こうも世代が偏ると明らかに不平等さが際立っていた。
氷河期世代の人達は愚痴っぽく、ゆとり世代の呑気さや、バブル世代の経歴について、よく愚痴を吐いていた。気の毒だとは思ったが、話を聞くのは正直辛かったし、氷河期世代で無くてよかったと思った。
訓練校生の就職活動は、ゆとり世代は若さを買われ、バブル世代は経験を買われトントン拍子に進んでいった。
氷河期世代は、漆黒企業の専門職経験者以外は、苦労していた。若くも無く、経験や技能を持たないものは選ばれないのか。
見ていて辛くなったが、どうする事も出来なかった。
んーそれで、私はゆとり世代だから、っていうか、昭和58年以降に生まれているから、代数はともかく、幾何と組み合わせは分野自体が分からないというか、とにかく東大受験日準備でも
解いたこともないので、っていうか、平成14年当時、アレクシ哲っていう、幾何の大家がいて、そういう本が大学への数学の付録についていましたが、そのときは、全然分からないので
読むつもりもなくて、んーで、整数とか代数はある程度分かっても、幾何と組み合わせは全然分からないというか、トポロジーとかコホモロジーも分からないというか、ん、考えたこともないので、
何を言ってるのか変わらないのですね。んーで、幾何学って、問題がたくさんあって、凄いのだけど、佐藤っていう人が、今は戦争してるから、幾何も組み合わせも分からなくても答えが用意しているから
解ける必要性がないみたいなテレパシーがあって、んーでも、あまりにもくだらないことをいっているので、私がそれを拒絶しているみたいな、戦争をしているから、解ける必要性がないとか、理解できないし
あーそれで、答えが用意しているのはいいんですけど、戦争してるから誰もネタバレしないから安心しろみたいな、あーでも、ゆとり世代の人たちは、幾何も組み合わせもやってないのを知ってるから、
彼らがネタバレしてしまったらそこで終わってしまうみたいな、ところが、あるんですよね。それで、私が、幾何の勉強をしようとして、木野崎新人セミナーの集会にいったときに、幾何学ってとにかく問題も
エレガントだし、それの証明も由緒正しく非常にキレイに出来るってことで、一つの数学のモデルとして、おもしろいと思って、んーで、色々やったわけですけど幾何って何をするかというと、問題を発見して
問題を証明するだけなんですよね。それで、ここから先に証明の話は、やり始めるとテクニカルになるので省略しますが、っていうか、テクニカルなところがどれくらい難しいかは東大の先生が、高校生向けの
セミナーで、複素数を使ってシムソンの定理を証明しようみたいなビデオがありますので、それをみてもらえればいいと思いますが、それで、あんの、
英語の「Generation Z」とは別の意味になっている。
大本の語源である「Generation X」にあった「理解不能の世代」という意味合いに対してデジタルネイティブ世代というイメージが加わったことで「ひとまずデジタルネイティブな奴ら」という認識となっているのが「Generation Z」だ。
そもそも「Generation X」という概念自体が、「なんとかこの世代を理解しよう」という動きに端を発しており、そこから更に理解に対しての意欲を高めていったのが「Generation Z」という世代解釈である。
対して日本における「ゆとり世代」という考え方は完全な世代の切り捨ててであり「今どきの若者は馬鹿だ」という老害による見下し以外の何物でもなく、そこから「さとり世代」という「今どきの若者は消費も結婚もしないつまらない奴らだ」という更なる見下しが加わってからの、「スマホばっか見ている意味不明な連中」という価値観の元「Z世代」という言葉が使われた。
「Z世代」は「Generation Z」の日本語訳だと言われているが、実際の所は別物である。
あくまでその世代に対しての名称がまだ生まれていなかったために「Generation Z」のネーミングが流用されただけであり、ネーミングの発想は「ゆとり世代」の延長にあるものだ。
次世代に対しての理解を目指した「Generation X」と、単なる見下しと切り捨ての結果である「ゆとり世代」は全くその発想を異にするものである。
そして、この「ゆとり世代」「さとり世代」「Z世代」という言い方は、若者から非常に悪い印象を持たれている。
相手に寄り添うつもりで「僕もZ世代を理解しようとしているんだよ」なんて言おうものなら「俺は今どきのクソバカスマホポチポチグラブル廃課金コミュ障自称甘ったれ人格破綻者にパワハラ扱いされたくないから表向きすり寄ってるフリをしたいね」という意味として若者は捉えるだろう。
そんなことは微塵も思ってないにしろ、本当は思ってるにしろ、思っている自分に自覚がないにせよ、とりあえず人前で使うべき言葉でないのは間違いない。
「僕はLGBTQに理解があるよ」を「僕はクソまみれセックスしているエイズ持ちのゲイを人間扱いせざるを得ない基本的人権の概念を理解して渋々承諾しているよ」と言ったら問題になることは皆分かるはずだ。