はてなキーワード: 野良猫とは
正直、動物の肉を食うのとペットを買うことに倫理的な違いがるとは思えない。
肉を食べるのがダメでペットを飼うことやカフェで使役することはOKなのはなんでなのか。
命を奪っているかどうかという違いはあれど、人間のために動物の命を利用していることは同じではと思う。
野良猫を保護するのも猫のためではなくて人間のためでしょ。野良猫が増えると困るから管理してくれる人を探しているだけ。
人間に飼われることが動物にとって本当に幸せだと、なんでそう信じられるのか。
狭い部屋に閉じ込められ、食事を管理され、生殖機能を奪われ、子供を生むことも育てることもできず、生き物として大事なものを全部奪われた状態で、人間に媚びへつらって生きていかなければならないなんて地獄のようじゃないか。
老人は僕に紙を見せた。何も書かれていなかった。老人は僕に、これが意味のある問いに見えるかと尋ねたのだった。
「森に老人が一人で暮らしている。何年も前からそうしているんだ。その間ずっと、彼は何を考えていたと思う?」
質問を終えた老人は、その深い瞳でまっすぐ僕を見ていた。だから次は僕が話す番だったが、僕はこの質問に対して何一つ考えなくていいと思ったから、黙ることにした。
老人は僕の目を見ていた。僕は老人の鼻を見た。僕は、深い瞳でまっすぐ老人の鼻を見たのだ。すると老人も僕の鼻を見るようになった。鼻を見るのは退屈で仕方なかったが、他にすることもないのでそうした。
しばらくそうしたあと老人が何か言ったが、内容は思い出せない。そのとき僕は、記憶の中のとある廃校について考えていたからだ。
しかしそうやって記憶を曖昧なままにしておくのは簡単だ。僕は、なんとしてでも老人の言葉を思い出したいと思った。だがそれは叶わなかった。机に向かう僕の背後で、大きな、そしてとても耳障りな音がして、僕の集中は完全に途切れてしまった。
僕の部屋のドアから落ちたドアノブが、すでに床にあったティーカップに入っていた。
カップは二つに割れたが、ドアノブに傷は付いていなかった。そのカップが割れているところは今までに見たことがなかったから、割れてしまったのはひどく心外だった。
割れたカップを眺めていると、それが老人がよく使っていたティーカップとよく似ていることに気が付いて、僕はうんざりした。
老人のティーカップに関する記憶など、使うのが好きなんだと言って空のティーカップを楽しそうに使っている様子を見てこの人はもう普通ではないのだと思ったことくらいしかない。その時僕は、空のティーカップを使うくらいならドアから取れたドアノブを使う方が楽しいに決まっている、とも思っていた。
しかしそう感じていたことも老人には全てお見通しなのだろう。将来、僕が老人と似たティーカップを使うようになることさえ、その時から知っていたのかもしれない。
僕は、どうやっても老人の意図の外には出られないのだ。それはここ数年間で揺らいだことのない結論だった。
さっきから僕は机から一歩も動いていないから散歩にでも出ようかと考えたが、ドアノブが取れているのでこの部屋からも出られないことに気付く。僕は椅子から立ってドアまで歩いた。
ドアノブの付いた扉に付いていたドアノブが付いていた扉のドアノブが付いていたドアから床に落ちたドアノブを拾うと、ドアノブが付いておらずこれからも付くことはドアノブがない窓に向かって放り投げた。ガラスを突き破ったドアノブは、僕からは見えないが昼寝をしていた野良猫の鼻に当たってしまう。
僕が気付かないで猫に怪我をさせてしまうのは、森を出てからは久しぶりのことだった。
幼い頃よく遊んだあの森は結局どこにあったのだろうか。破片になったティーカップを拾い、老人の真似をして使ってみたが、それはひどく退屈な行為だった。僕は頭がおかしくないはずだから当然だ。
ドアから取れたもう一つのドアノブを使いながら、老人はなぜ頭がおかしいのか考えてみた。何も思い出せない。老人は僕に思い出してほしくないことがあるのだろうか?
この時僕の思い出せる範囲はどんどん縮んでいた。反対にこの部屋は広くなるばかりだ。今では恐竜が歩き回れるほどの面積がある。
老人は本当に「これが、意味のある問いに見えるかい」などと言っただろうか。老人は本当に森に住んでいただろうか。僕とひとしきり互いの鼻を見つめあったあと老人は「私は昔、ここの校長だった」などと、本当に言っただろうか。
私⇒30代、子ども二人
広い方がいい。狭いと予想以上にストレス。ベビーカーとか置くのはもちろんのこと、子どもがいなくても大きめの荷物(宅配物)とか一時的においておきたいもので案外場所をとる。玄関は広くしよう。
庭
芝の管理が面倒すぎる。夏場は2週間に一度は芝刈りをしないと草ボーボー。1~2時間つぶれる。汗びっしょ。狭いし虫もたくさんいるし野良猫の糞もあるしでまったく使っていない。結局芝を全部引っこ抜いて人工芝にした。とても快適。芝刈り機はメルカリで売れた。夏場にプール出して子どもと遊ぶとか、家庭菜園をしたいとか、明確な目的があるんだったらいいと思う。要はメンテするコストに見合った価値があるのかどうか。うちは無いからあきらめた。砂利を敷き詰めても良いと思うよ。雑草が生えにくいように防草シートはちゃんと敷こうね。
木
邪魔。なんであるのかわからない、と思ったけどお隣さんの玄関の目隠しになってるっぽかった。緑があるに越したことはないんだけど、放置するとこれも草ボーボーで通り道をさえぎられるから仕方なく定期的にメンテやっている。これ全部抜けば駐輪場スペースが新たに生まれるから数年以内にやろうと思う。
外壁
汚れてきた。特に北側。もう少ししたらヒビが出てくると思う。定期的に塗りなおししなきゃいけないのが憂鬱。お金もかかる。家建てるときには案外考えていなかった費用。ちなみに田舎の実家は20数年間で一回も塗り直ししてないからいたるところにヒビがある。
宅配ボックス
置き配が浸透して使用頻度減ったけど、まあまあ使っている。割と入りきらない荷物も多いから選べるなら大きめ(奥行)のを選ぶといいと思う。
いらない。洗濯物は乾燥機と浴室乾燥が毎日だからもう何年もベランダを使っていない。何年も使わないと汚くなるから余計使いたくなくなる。布団も布団乾燥機だ。雨漏りの原因になるからメンテしなきゃいけなくて少し憂鬱。これが無ければもっと家が広くなったかもしれないのに。
日当たり
冬場は特に超重要。晴れの日はカーテン開ければエアコンいらないくらい暖かくなる(窓には目隠しシートを貼ろう)。太陽は偉大だ。分譲住宅でどの家にするか選ぶときに、事前にマップみながら日当たりの一番よさそうなところを選んだよ。これが正解だった。お隣さんとか日中でも向かいのマンションにさえぎられて真っ暗だもん。Shade Map(https://shademap.app)がすごい。日当たり具合が地図で確認できるよ。試しに我が家も見てみたけど正確。
郊外といえど土地に限りがあって、一階に廊下が無くて二階への階段と洗面所&脱衣所へはリビングから直接アクセスする間取り。子どもが大きくなったらお互い気を遣いそう。せいぜい7-8年くらいだろうけどね。地元の姉の家は廊下があって羨ましい。
広い方がいい。特に一階のトイレが狭い。でも優先度は低いかな。二階は広めだからそっちを使っている。あと、トイレタンクの中は数年に一度は開けて掃除した方がいい。えげつないことになってるから。
5年で一回しか使ってない。しかも間違えてOnにしてただけ。快適だったけどね、別にエアコンで暖かいし?とか思うと別に使わない。
自動洗浄の機能はいらない。きれいにならないし業者に頼むときに料金割り増しされる。結局プロに一年に一回キレイにしてもらうのが一番。先日数年ぶりに掃除してもらったら黒い水がドロドロ出てきて、そのあと明らかにエアコンの効きがよくなったから驚いた。
照明
ちょっと高くても調光調色のやつがいい。特に夕方から夜にかけて、段々暖色に変えていくと大人も子どもも徐々に寝るモードになる。スマートリモコンで自動的に設定している。夜に真っ白のライトはもう無理。まぶしすぎ。
ご近所づきあい
最高。分譲住宅だから同じような世代、家族構成(小さい子どもがいる)、みんなその土地は初めて、みたいな家族ばっかりだからすぐに仲良くなる。子どもと一緒に何度もお互いの家々で遊んでる。どんなに立派な家でも周りの人間関係が最悪だとストレス半端ないからこの点すごいありがたい。都心に近い郊外だからもっとドライかなって思ってたけど、結構ウェット(いい意味で)。賃貸だとドライだけど、持ち家だとみんなそこに長期居住する前提だから、自然と関係を築こうとするマインドが働く、気がする。
立地
メインの道路沿いはマジでうるさい。できれば住宅街がいい。片側一車線でもうるさいバイクや車は一定数いるから避けられるなら避けたい(これまでの賃貸アパートの経験)。一軒家だと防音性能高めだから気にしないのかな?よくわからん。あと庭が道路に面していると人によっては子どもと遊ぶときに人の目を気にするかもしれない。あ、あとハザードマップ的には割と終わってる場所だった。100年に一度の大雨で河川が氾濫するとおしまい。これは祈るのみ。何年か前の台風直撃でも大丈夫だったから若干楽観的。はてなにある、家が浸水した時のまとめはちゃんと保存して定期的に見かえしている。
満足?
満足。いろいろ不満言ってきたけどトータルでは大満足。コロナ前で住宅価格が上がる前だったし。純粋に家が広くなったし子どもの足音とか叫ぶ声とか夜泣きとかあっても周りを気にしなくていいし、周辺の人間関係が良好なのも大きい。注文住宅とかおしゃれな家憧れるけどねーーー。でも吹き抜けで天井付近にある窓とかみて「あれどうやって掃除するんだろ?いまたぶんホコリめちゃたまってるよね?」とか思ってしまう。無意識な僻みもあるのかも。これ妻に言ったら「そういう余計なこと言わない」って怒られた。
飼い猫はね。野良猫は違う。
以下 メールより
沖縄県条例(案)から「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除してください
11,290人が公益財団法人 どうぶつ基金さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数15,000を一緒に目指しましょう!
公益財団法人どうぶつ基金と連名者は沖縄県知事と沖縄県議会議長宛に
「沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」の削除を求める要望書を提出します。
私たちは、沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条について深刻な懸念を抱いています。
第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。
というこの規定は、具体的な餌やり禁止の条件が「県又は市町村が定める方法によらず」としか示されておらず、その方法以外では、飢餓状態の野良猫に対して給餌や給水を禁止するというものです。
この規定は日本国憲法第13条で保障された幸福追求権を侵害し、動物愛護管理法に抵触する可能性があります。また、市民団体から要求された「条例(案)策定過程の議事録の開示」が拒否される等透明性も欠如しています。
私たちは社会全体でノラ猫問題を解決すべきだと考えています。そのため、沖縄県条例(案)から第13条「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除することを求めます。
この問題は私たち全員が関与すべき重要な課題です。今こそ声を上げ、行動に移しましょう。
今スグ!署名して、ノラ猫たちの命と幸せを守る一歩としてください。
沖縄県条例(案)から第13条「何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」を削除すべき理由
愛護動物である猫に対してみだりに、給餌又は給水をやめ、衰弱させることは、動物愛護管理法第44条2項に例示された虐待行為であり、1年以下の懲役刑又は100万円以下の罰金刑が法定刑として定められています。
ノラ猫問題は住民、県民一丸となって取組むべき重大な社会的課題であるのに、ノラ猫への給餌給水に何らかの条件や制限を設けることは、(猫好きVS猫嫌い)のような対立構造を生み出し住民同士の不要な分断を招きます。
また「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養」「人と動物の共生する社会の実現を図る」という動物愛護管理法の目的を阻害しかねません。
無秩序な餌の配散や後片付けの懈怠(置き餌)など周辺環境を汚染する行為に対しては、動物愛護管理法第25条に定める「動物の飼養、保管又は給餌若しくは給水に起因した騒音又は悪臭の発生、動物の毛の飛散、多数の昆虫の発生等によって周辺の生活環境が損なわれている事態」として都道府県知事は必要な指導又は助言、勧告、命令をすることができます。
また、生活環境の保全や公衆衛生上に支障が出るまでの悪質な行為に対しては、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で対応すべき問題です。
そして、生活環境の悪化の原因は飼い主のいない猫に限ったことではありません。
にもかかわらず、このような猫に特化した条例を作ることは、殊更に飼い主のいない猫が住環境を悪化させる(悪者)ものとして印象付け、排除する意図を表徴しており、動物愛護の良俗に反するものです。
【ノラ猫が増える原因と減らす方法】
ノラ猫が増える原因は餌やりではなく、
第一に猫を遺棄すること。
現時点、増えてしまったノラ猫問題の解決方法は給餌給水の制限ではなく、唯一、繁殖制限手術を迅速に実施することです。
(沖縄県行政が2022年度、行った飼い主不明猫や地域猫に対する無料不妊手術は42頭、過去10年間で見てもたった235頭にすぎません)
沖縄県の現状は、「猫を遺棄した者」を取り締まらず、ノラ猫、地域猫の行政による無料不妊手術をほとんど実施せず、多頭の猫の手術を実施できる体制も構築してこなかった無責任な行政の不作為の結果です。
【教育的側面への悪影響】
条例が施行された場合、例えば小さく弱き者に思いやりの心を持った子供が、お腹を空かせてやせ細っているノラ猫にえさを与える行為も、「違法である」と蔑まれる可能性すらあります。
弱き者に手を差し伸べる素朴な優しい気持ちが非難される状況は、果たして、未来を担う子供たちに胸を張って誇れるものでしょうか。
【観光産業への打撃】
世界中から多くの観光客が来訪する沖縄県ですが、素朴で温かい沖縄に住む人との触れ合いもダイナミックな景観と並ぶ大きな魅力です。もし13条案が施行されると、観光客がやせ細った野良猫にエサを与える行為が違法と非難され、衰弱した猫を放置する沖縄県という風評が立ち、イメージに悪影響を与えることが懸念されます。このような評判が広まれば、「気温は高いが、弱者や動物に冷たい沖縄」というイメージが広がり、観光業に大きな打撃を与える可能性があります。
夢の中では神様が出てきて、見た目はさだまさしにそっくりだった。
その神は天秤のようなものを手にしながら「これから自分の未来のことが全て分かるように出来るけど、どうする?」と聞いてきた。
夢の中の俺は当然、頷いた。
やってくださいと懇願し、神はニヤッと笑うと光に包まれ、姿を消した。
それから起きると自分のアパートで、頭のなかで妄想がブワッと広がった。妄想、というかイメージのようなものだった。既視感のある光景のような。そういう意味では思い出のような感じでもあった。なんだか不思議な気分のまま外出し、記憶を思い出すように「あっ」と閃き、前方をみると野良猫が歩いてきた。脚にすりすりしてきて、この光景には見覚えがあった。
そのとき神様に会ったことも、そこでしたやり取りのことも思い出した。
猫が寄ってくるのが分かったのもそういうことか…と理解し、それからの生活は一変した。
仕事ではミスがなくなり、成果を認められるのは当然で、何故なら既に知っているから。
だから彼女と出会うのも必然で、後に結婚することさえ知っていた。
全ては順調で、不幸に苛まれることもなく、失敗することはなくなった。
子供を設け、家族三人での幸せな生活が始まった。幸福だった。何もかも。
しかしある日の、なんでもない日常の隙間とも呼べる時間でのことだった。
昼休み。オフィス街での昼食、何を食べようか。そんなことを考えながら歩いていたときのこと。強風が吹いた。その風は俺の心を妙な角度で撫で、俺の足を止めた。
あっ…と思った。自省するように鑑みると、自分がこのあと何を食べるのは既に知っていたのだ。同時に、あのとき神がニヤッと笑った顔を思い出す。
ああ、そういうことか…。
全てを知ることは、本当に退屈で、最悪なことだったんだなと。既に全てが遅かった。取り返しはつかない。絶望に浸り、自然に涙が流れたところで目が覚めた。
夢と分かって心底ほっとした。
変な初夢だったなと思い、それでいて非常に印象的だった。それに妙にリアルでもあった。
私の母は、本能のままに生きている。
考えることと、我慢することが苦手。思ったことはすぐに口に出す。
私が子どもの頃、授業参観に来た母は同級生の男子ばかり見ていた。○○君がかっこいい。授業の感想はそれだけ。
当時私は学年一のワルに好かれて、毎日送られてくる下ネタメールに辟易としながら神経をすり減らす日々を送っていたが、母は変わらずいい子いないの?彼氏欲しくないの?と言っていた。早く孫がほしいとも言っていた。もし赤ちゃんができてもお母さんが育ててあげるから、なんて言っていた。
ある日、私が居間でくつろいでいると、母がドタバタと帰ってきて、「聞いて聞いてー!外で野良猫がエッチしてたー!!」と興奮気味に話してきた。野良猫の交尾に、この人は何をそんなに興奮しているのだろうと冷静に思ったのが半分、あとはとにかく気持ち悪いという生理的嫌悪感。
それは高校以後も続く。
高校で学年一のワルに好かれて取り巻きと共に囲まれ神経をすり減らす日々を送るなか、母は変わらず授業参観が終わると○○君がかっこいい。あのかっこいい子は誰?とニヤニヤ顔でそんな話をした。
恋バナがしたいー!なんて言われたが、すでに母に対して積もり積もった生理的嫌悪感があったため、好きな人ができても隠し通した。
中学生の従妹に彼氏ができたと聞いた時、母はニヤニヤ顔で「高校生になったら、一線超えちゃうよね~」なんて言っていた。
母が気持ち悪い。すぐに性的なことに結び付け、それを顔にも口にも出す母が気持ち悪い。
どうやって?
無理。どうせバレる。
面倒くさい。
じゃあ、いらない。
好きな人ができた時は、好きな人と付き合いたい欲>母に対する気持ち悪さ
となるけれど、好きな気持ちが小さくなった時、突然気持ち悪さが勝って、そして消える。
まして、好きな人もいない状態で彼氏を欲しいと思うことは、まずない。
正直母の精神年齢はとても低いと思う。私はそんな母の精神年齢を大きく上回り、なんとも思わない境地にいかなくてはいけない。
だけどまだ到達できない。
母は自分のことを「普通」と思っており、私のことを「変わっている」と思っている。
変わっているから、彼氏もつくらないし結婚もしないんだ。早く孫が見たかったのに、思い通りにならない。
こんな風に書いたけど、私は母のことが好きだ。
愛情をもって接してくれる母のことが好きだ。
放っておいてほしい。干渉しないでほしい。私が恋愛しようと、性的な関係を持とうと、ニヤニヤ顔でニヤニヤ声で詮索しないでほしい。