はてなキーワード: 観劇とは
https://kageki.hankyu.co.jp/sp/revue/2021/fortississimo/index.html
人並み以上にはクラシック音楽をやってた増田が、さらに結構気合を入れて改めて学習・整理して臨み、観劇した時に脳内で埋めた行間など記録。
公演開始後は一切情報を入れず(開始前も稽古場レポートは見ないようにした)、プログラムも買っていないので、場面のタイトル等の情報は記事を書くにあたりネットから拾った(ルサンク電子版だけ買っている。物理本は原則買わない主義。ルサンク以外も電子化希望)。場面の切れ目は感想の切れ目。起こしたセリフの文字遣いも脚本と違うだろう。
※ひょんなことからプログラムと紙版ルサンクが手元に。チラ見してそれぞれなるほどと思うことは多いが、今のところその内容には触れない方向でいく。ルサンクで脚本をしっかり見たの初めてだけど、面白いなあ。
(1808)
ケルビム「おつかれーさまー、じーんせーい」
これは、、タカラヅカ!しびれる
モーツァルト死去1791(35歳、ベートーヴェンの14歳上)
バッハ死去1750、ヘンデル(バッハと同い年)死去1759、テレマン(ヘンデルの4歳上)死去1767。ヘンデル30年以上、テレマンも20年以上審査待ち。
!
1793処刑
モーツァルトが亡くなる2年前にフランス革命。モーツァルトが6歳の頃アントワネット(モーツァルトの1歳上)にプロポーズしているエピソードを思い出して微笑ましいことこの上なし。そしてアントワネットは天国に行けるんだな。
資本主義…
智天使ケルブ「奢るな人間よ、ひとりの短い人生で決着のつく問題ではない。お前たちの後継者が、受け継いだ音楽をどうするか。神のお与えになった美しい音、その連なり、それを人間が何のために使うのか、最後まで見届けてから全員で連帯して裁かれるのだ」
大事な箇所なのでたくさん。
ケルブが話すときにBGMがチェンバロのバッハっぽい音楽に変わって清々しい。
偉人オンパレードすぎて大きく出たなと。市民社会創成期の芸術、自由主義という大きなテーマを持ってくるなと思っていた。(トップ娘役が謎の女であることはまだ謎。)
事前に配役を見たときに、音楽史やベートーヴェン(古典派〜ロマン派)との絡みという意味でも、
のエントリーは納得。古典派ハイドンはまだ生きているし(1809死去)。問題は、バロックからのもう1人のエントリーが、なぜバッハではなくテレマンなのかだった(しかも若手路線男役)。答えは、尊敬とか影響受けたとかじゃなかった。
しかしバッハは役としてはなくても、やっぱり名前は登場するよね!
そういえばテレマンが一番歳上(死んだ年齢も)なのに、なぜ縣さんだったんだろう。背の順?一般的なネームバリュー?
彼らももちろん配役にあり、しかも専科の重鎮。どのように絡んでくるのか、第九の歌詞に出てくるし、第九でも歌うんかな歌うまい子もいるし、と思っていた。ちがった。ケルブ様おこだった。
第九の歌詞「智天使ケルビムは神の前に立つ」。なおこの前にトートさまがいる「死の試練を受けた友」。どちらも予習時にスコア見ててたまたま見つけた。昔ドイツ語詞の下に英単語書いたりして学んでいた模様。
芸術史・音楽史の流れ、芸術という概念自体が最近のものであること。それ以前は芸術家は例えば大工と同じような職人という扱いであったこと。"art" は芸術ではなく技術を指していた。"fine art"になって芸術が誕生。アーティストではなく、アルチザンだった。
このあたりは美学史や風景画の講義で叩き込まれてきた。高校生の時に読んだ渡辺裕『聴衆の誕生』も。確か高校の国語の教科書に載ってた阿部謹也氏の文章もかな(ぐぐっても何だったかわからなかった)。暗い中椅子に座って静かーに聴くクラシックコンサートの今当たり前の風景は、ベートーヴェンよりも後、ワーグナーが始めたもの。
今回テレマンが引っかかって新たに電子書籍で購入して関係しそうな箇所だけさくっと読んでた片山杜秀『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』も役に立った。
ピースがはまって大変に納得感のある第1場。
フランス革命が起こった年、ベートーヴェンは19歳(ナポレオン20歳、ゲーテ 40歳)。神から王侯貴族のものになった音楽を、彼はどうするのか(それはそのまま現在まで続いている)。それは如何にして起こったか。ケルブ様のご機嫌はなおるのか、テレマン・ヘンデル・モーツァルトは天国へ行けるのか。
こちらへの投稿は初めてで、また自分は作文が得意ではなく、ただの(夢女子の)戯言といえばそうかもしれない。でも「王様の耳はロバの耳」の如く、吐き出して心を整理しなければ心が死んでしまうところだったので許してほしい。
自分はとある刀剣のゲームが好きなアラサーである。ゲームそのものは元々ブラウザのものであるが、自分のゲーム歴はスマホ版が出てしばらくしてから始めたので4年半くらいだろうか。始めたきっかけは同じ県出身で好きなイラストレーターがキャラクターデザインをしていたことだった。ただし当時は期間限定登場キャラクターだったため、始めた頃にはそのイベントは終了していて、それを知って崩れ落ちたのだが。
さて今年はゲーム開始6周年、そのゲームの存在は6年前の当時はちらっと知っていた程度ではあった。でもどうしても擬人化というのに対しては色物だからと苦手意識があった。テレビで刀の展示が特集されて「会いに来たよ〜」とか言って映っている女子も苦手だった。だがこの辺りは同族嫌悪なのかもしれない。自分も元々漫画などが好きなオタクで、マスコットやキーホルダーなど好きなものを鞄や携帯にジャラジャラ付けたい収集癖のあるオタクではあったのだが、人型イラストのないイメージグッズならともかく、ひと目でわかるキャラクターが描かれたグッズには抵抗があった。
そんな折、まだゲームも始めていない頃、地元の本屋で刀の雑誌を見かけた。キャラクターが全面に押し出されたものではなく、有名な刀剣を扱った図鑑だった。今引っ張り出したらゲーム実装刀の名前が表紙にズラっと書いてあるし、発行年月日も2015年6月とあったからゲーム開始直後に出た本といえばそうなんでしょう、審神者(ゲームプレーヤーの総称)を狙ったといえばそうかもしれない。その本で、運命の出会いがあった。
でもピンナップとして取り上げられるくらい、綺麗な刀だった。
自分の生まれ月が名前に入る、名の響きも姿も、美しい刀だった。
また刀工も同じ県だというのもあって、気にならないわけがなかった。
1番美しいと評判なのは別の刀だけど、刀に興味を持つきっかけになったのは間違いなくこの刀だった。
自分は、趣味の合う友人達とTwitterのグループDMでひたすらに騒いでいた。キャラクターのデザインもまぁ悪くは無いなと思っていた。ひたすらやかましかったので申し訳なかったとは思う。
でも後にキャラクター紹介の文面を見てびっくりした。別の方がはてなブログに書いてらしたように「なぜそんな内容をピックアップした!?」とは思った。自分がリアルにそのお刀と対面できたのは1、2年ほど前のたった1回、現在収蔵の美術館がある県の外に住んでいる関係もあって自分はろくに美術館周回もできてないので、その投稿者の方ほど熱狂的かというとそうでもないかもしれない。でも同じ美術館にある別の刀との回想など楽しみにしていたのもあって、実装後すぐには無かったので残念ではあった。そのあたり今後あったらええなとは思っている。
さてそのお刀であるが、つい先日、ミュージカル出演というのが明らかになった。ゲームで最近登場した、同じ刀工で別のお刀の姿もお披露目された。
周りがキャーキャー騒ぐ中、自分はというと……本当は、来ないでほしかった。
このようなゲーム発のミュージカルや舞台はいわゆる2.5次元と言われ、最近ではTVにも出てくるようになって発展が目覚ましいといえる。こうしたものから名前が知られてテレビ番組にも出てくる俳優の方も増えつつあると思う。間違いなく見目も整ってるし、こうした俳優さんの活躍は嬉しい。
ミュージカルの方は先日5周年を迎え、記念のミュージカルが上演された。このコロナ禍の中、運営側も感染対策をしっかりして、またライブビューイングや配信など、ファンに向けたサービスをよくやってくださった。ただ残念なことに現地では、今回はいつもある客降りがなく、また来場者も声出しができずにペンライトを振ったり拍手のみだった。きっと皆さんもっと騒ぎたかったことだろう、愛を叫びたかったことだろう。
━━ただ申し訳ないのだが、おかげで自分は今回、安心して配信を視聴できたのである。
書き方が悪く、性格悪いなという自覚はあるが、自分は客降りでのファンサービスやファンの歓声が苦手だ。観劇の上で、自分以外の存在があるのが苦手なのかもしれない。ライブビューイングや映画における応援上映なども行けず楽しめない、強火な同担拒否勢なのである。まぁひょっとしたら騒ぐのや人の目があるのが苦手と言うだけかもしれない、でもアーティストのライブは平気だったりするので本当になんなんだ自分、メンヘラなのか。
……まぁ刀剣絡みではないのだが、リアルでは自分の推し(ただのシスコンなので申し訳ない)である妹が「実家に彼氏を連れていく」とか言っていたのもあるので、正直荒れている。自分に浮いた話もない癖に年齢が年齢だけあって焦っているのかもしれない。ただ自分は、信頼していた既婚者大学OBと一緒に出かけたタイミングで突然キスされたのが原因で人間不信と男性恐怖症になったので、もう普通の恋愛はできないとは思っている。ごめんね、家族。ほんまはちゃんと自分の子に自分の愛すべきお刀を代々伝えてってほしいと思っていたが、結婚もできなさそうでまして子供なんてと思うので、自分が死んだら妹の家に相続してもらうとしようか。多分あっちの家の方が家柄もしっかりするだろうし、美術系好きな血筋ではあるから、しっかり守ってくれるさ。とりあえず自分が今後障害になりそうだったら、姿消すなりして迷惑かけないようにしようと思う。ま、生きてる限りはしっかり守り刀してもらうつもりですが。
もう行け、僕は少し泣く。
……話が逸れてしまった。救いといえば、どの作品でも「とある本丸」と明記していてくれることだろうか。よそはよそ、うちはうち。ましてただのゲームといえばそうなのだ、ただのフィクションなのだ。ならば自分の役目は、フィクションはフィクションなりに、その物語ごと愛すことだろうか。自分は周りと同じように楽しめないかもしれないけれど、今後ますますの発展、お祈りいたします。
通勤中イヤホンでランダム再生で近侍曲を聴いていることも多いのだが、同じ美術館所蔵の短刀の曲が流れると、やっぱりあの刀を思い出す。
長文乱文失礼しました。
匿名で自分のログを世の中に浮遊させ、そして拾って頂けるのは楽しかったです。
長く続けるとバカなので何処かで絶対にボロが出る。なのに書きたくなってしまった。
再投稿です。きちんと上がらなかったように見えたので、消してしまって、もうええかと思ってしまったのだけど、
見たかったというコメントを見て、少し修正して上げることにしました。こんな駄文にありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20210130001953
https://anond.hatelabo.jp/20210131035752
これらの続きです。
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前回のエントリでずっと4GBのメモリとともに作業していたと書いたが4GB以下が正しい。
最初の現場は128MBだった。あと、盾を鉾と書いていた。この誤字脱字と誤用の多さで私のプログラマとしての質の低さもなんとなく察して頂けるだろう。
◯結婚した話◯
何故か結婚の話が書かれていないという書き込みが幾つかあったので結婚の話から。
30歳を越えてから趣味が充実していた事もあって周囲には煩く言われるものの、結婚を考える事はあまりなかったし、結婚の分岐に入ることが必ずしも幸福につながる選択肢とは限らないと考えていた。
この考えは今も変わらないが私は運良く幸福につながるほうへ入ったようだ。すまんな。
何せ30歳を越えてからは同じ趣味のおっさんの友人たちと焼き鳥屋であーだこーだいいながら企画を練り、イベントを立てたりするのが楽しくて仕方がなかった。
20代があまりにも労働をしすぎた。22歳から28歳までの6年間、年俸制なので一円も残業代が出ないのに月300時間勤務を2年半はやったと思う。最初のうちはISDN接続のテレホタイムでのネトゲが自分のゴールデンタイムであり、息抜きの時間だった。
時代が今なら渋谷凛か風野灯織に貢いでいたことだろう。長い労働時間は人生の搾取だ。
嫁は異業種の人で、友人のボカロPのファンだった。彼のライブに通ううちに顔なじみになり、少しだけ会話をするようになった。
ある時行ったライブが月曜夜の開催ということもあって若い人が多く、ライブハウスの中でスーツを着た客が私と嫁しか居なかったので思い切って「今日はスーツ、我々だけですね」と話しかけ、そこから色々な話をしたのを覚えている。いやらしい。
ボカロPのライブでの出会い、つまり私が結婚出来たのは初音ミクさんのおかげだ。
30歳になったあたりからようやくIT業界に過残業を何とかしようという機運がやってきた事、そして定時で上がる精神的な胆力がついた事で音楽を作る時間的精神的な余裕が出来、人との交流が生まれ、ライブに行く機会が出来たから私のような人間でも結婚出来たのかもしれない。しらんけど。
国勢調査によると35歳を過ぎてから結婚した男性は約3%らしい。私は一生分の運をこれで使った。(正しくは6.8%だと何処かの教授が言っていたが)
自分が居た現場の雑感だと、同じシステム開発現場でも大手SI や 大手SI子会社のほうが結婚している人が多かったように思う。多重派遣はやはり収入面で結婚に対してネガティブな意見を聞くことも少なくは無かった。
若い頃は親にも親戚にも「そろそろ結婚も考えないといけないだろうから派遣社員辞めないとね」と言われたことを思い出した。SESの増田は一度は言われたことがあるだろう。
世間一般的には技術職というイメージよりも派遣社員というメージが強く、収入面も相まって世の中の反応厳しい。
普通の一般派遣と請負の派遣の人が混在している現場が多いと思うが、前者は1人でも派遣が出来、上位会社の現場のリーダーが直接指示をすることが出来るので最近はその方が多いように思う。
ところが、一般の派遣会社として登録するには資本金が多くないとダメで、派遣法が改正されたあたりで資本金が少ない会社は請負の道を選ぶしかない。
そうすると複数人で現場に行き、自社のリーダーに仕事の指示をされる形になる。ただ、コレは守られていない現場が多い。
さらに、大手や大手子会社と取引を直接行うのにも資本金の大きさ・設立してから何年等の条件があったりもする。
資本が少ない会社は資本金の多い「別な会社を迂回して」契約する。そこに多重派遣ができる仕組みの1つがある。上位請負の営業が◯◯社経由しろという場合、利権・癒着の場合もあるのだろう。
新人の時、パワハラの教育担当に私が毎日何度も怒鳴られているのが流石にプロジェクト内で目に余るようになったらしく、私はドキュメント整理という新たな仕事を貰う事になる。
炎上プロジェクトの為、全く作られて無かったクラス図をソース等からRational Roseで自動生成し、体裁を整えて他の設計書も含め印刷をした。同じものを2部作るのだが、何故か同一性保持という理由で一部はコピーで制作。分厚いバインダーに綴じた。
印刷とコピーで休憩もせず毎日終電の生活をしていた時、PMに「広島の二番バッターみたいだなおまえ」と言われたのを覚えている。コツコツやるけど面白みがない人間だと言われたのだ。
要領の悪い私に休憩のタイミングなんて解らなかった。ましてやパワハラマンに使えないと毎日散々どやされ続けた後なので尚更である。
その経験から私は同じプロジェクトに居る若手に「そろそろ1回休んだら?」「いつまで働いているの?増田がそろそろ帰れって言ったって言ってもいいよ」となるべく声をかけるようにしていた。モテそう(モテなかった)
この時、たまたま席が空いているという理由で隣に座っていた方が、のちに難易度が高い事で有名な銀行統合の現場の某SIのトップになっていた。プロジェクトの雰囲気は良くなかったが、いつもにこやかで私のような末端にも優しかったのを覚えている。出来る人は余裕がある。
印刷業務が終わった後、入社してからずっとテストだけをやらされていた1年上の先輩のアベさんと、とうとうプログラムの修行に出してもらえる事になった。
新規開発のプロジェクトである。プログラムも一杯書けてラッキーなのではと思っていたのだが、自社の人間はアベさんと私だけで、あとは上位会社のPMと、更なる下請けで構成されていた。
現場のリーダーも下請けの人で、この人が私とアベさんの教育係という事になった。
自社の営業が初日に来て「この子達よろしくね」とリーダーに伝えた所、「任せてください!」と良い返事をしていたが、自社営業が居なくなった翌日から面白いくらい態度が一変することになる。
何を聞いても露骨な悪態をつき教えてくれず、技術的な質問も一切受け付けない。
流石にアベさんと自社の営業に伝えたのだが、翌日朝私のところにやってきて「チクったな」「自社の人間でも無いお前らに教える余裕はない」と言われてしまうだけで特に事態の改善はされなかった。パワハラ上司の次はこれだ。駅のホームドアは大事なので全駅に付けて欲しい。
救われたのはインターネットが使える現場だった事だ。とはいえ、なんせソースレビューも私とアベさんで互に行うので、技術的な進歩がまるで無い。
ある時、私が書いたプログラムがメモリを使いすぎてフリーズするようになり、問題になってしまった。他にも技術的に問題のあるプログラムを書いてしまった事が続いたのと、リーダーに対してハッキリとモノを言うことも災いし、PMの判断で半年でプロジェクトを出ることになってしまった。
もっとうまく立ち回る事も出来たように思う。しかし、若造は人生の経験値が足りなかった。
多重派遣の大きな問題として、現場ガチャにより環境が大きく変わるというのがあるだろう。2~3年も我慢すれば大抵の場合次の現場に行けるのかもしれないが、短い人生の2~3年は少ない数字ではない。
請負ではなく一般派遣扱いで来る技術者の中には新人なのに1人で派遣されてくる人も多い。そんなのは新人教育とは言えないと思うのだが、どこの会社の募集要項にも新人教育はバッチリと書いてある。
その「新人教育」とやらの実態というのは大抵の場合、外部で行われる初心者研修と、自社の営業が「この子よろしくね」と現場に伝える程度の事でしかない。
社会人としての新生活での不安、技術的な不安、誰が教えてくれるのかも解らない不安、定時になっても誰も帰らない・帰って良いとも言われない、作ったものの品質の不安、数多くの不安を抱えて過ごさなければならない。ちゃんと相談出来る人も現場に居ないのである。
技術的な所は勿論、精神的なケアも必要な時期だと思うのだが、このような体験を20代前半でしないといけないのはどうも無駄な苦労をしているようにしか私には思えない。
ただ、新人が伸びる為に必要なのは「経験者によるソースレビューによる指摘」が必要不可欠だと私は思う。レビューを先輩・上司が行い、新人が書いたコードの信頼性の担保が出来ないと、余計なバグを生み、可読性・メンテナンス性も落ちるだろう。
なによりバグを出してリーダー・PM・顧客に「こいつ大丈夫か?」と思われるストレスの大きさと自信喪失感は長く忘れられない。
余談だが、最初の教育担当のパワハラ先輩とはその後別な現場で一緒になった。しかも彼は会社の倒産後、上位請の会社に転職していたので私に仕事を振る立場として現れたのだ。全く知らなかったので顔を見た時は「ヤバい現場に来た」と焦ったのだが、「あの時は俺の頭がどうかしていた。申し訳ない」とまず謝られてしまった。驚くほど柔和な性格になっていて棘が全て抜け落ちていた。その後一緒のプロジェクトの間はたまに昼飯を一緒に行くまでになった。
約1年一緒に働いたが一度もドヤられる事は無かった。許せるか許せないかは別として、パワハラをするほうにも何かしらの事情や背景があるのだなと一つ学んだ。
社会人1年目の忘年会はゲイのショーパブの観劇だった。そこでアベさんはダウンタウン浜田の高校(全寮制男子校)の同級生というママに唇を「むちゅーーー!!」と音が聞こえるような熱烈な口づけをされ、人生のファーストキスを奪われていた。私は隣でただ震えるしかなかった。
知人もなく上京してきた為、他の社員と交流する帰社日をそこそこ楽しみにしていた私は怒りのあまり社内報に若気の至りで”ボロクソ”に書いた所、社長の目にとまり、翌年から忘年会の幹事を任されることになってしまった。なにせショーパブの観劇は社長の要望だったのだ。
そして、普通の居酒屋で特に弾まない会話をして終了をする忘年会を2年繰り返した。
自社の忘年会を面倒に思うベテラン社員は多く、各現場に電話で来てくださいねと念を押して来て貰ったのに参加者が全然楽しそうではないのだ。
普段それぞれが別の現場に居る人なのでそれほど同僚感も無く、特に仲も良い訳でもないので会話が弾まないためだ。良かれと思って2時間半飲み放題にしたが、本当に盛り上がらない。
「なるほど、これで会話をしなくて良いイベント(且つ社長の趣味)がブッキングされたのか・・・」と理解した。
その経験があり、”自社”に缶ビール等の各種アルコール・ノンアルコール飲料とテイクアウトの料理を用意し、16時開始、17時から随時帰りたい人は帰る。という方式に変えた所、立食(椅子も勿論ある)で仲の良い人の所に居て彼らとだけ話すことも出来るし、色々な人と交流することも可能になった。時間が短いために会話のネタに困ら無い事も功を奏し、思った以上に盛り上がる事が出来た。
子供が出来た今ようやく思うに至ったが、子育て世代も延長保育やパートナーにお願いすることもなく早めに帰れて良かったはず。殆どは17時から続々と退社していたが、以前は無かった有志の二次会組もいくつかあったようだ。参加者にも総務部長にも「毎年これで良いね」と言われ、ほっとしたのを覚えている。
何が正解かは解らないが、業務時間内で終わる自社での短い時間の立ち飲み(椅子席あり)は好評だったので、幹事をやらされがちなSES増田は参考になれば良いなと思う。
基盤まわりの仕事をしていた時、あまりにもプロジェクトでメモリの初期化漏れが頻発して問題となり、プロジェクトのお偉いさんが捻り出したアイデアが「”物理”メモリ全部を定期的に端から終端まで0で埋める」というものだった。
そしてそれをどう実現するか?という会議に呼ばれたのだ。
指を使い「物理メモリを”端から””端まで”全部、プログラムが動かない時間に定期的に一回ゼロで埋めればいいじゃない?」との説明があった。
これは良いアイデアだとご満悦の上役と、違和感を覚えない他のベテランの参加者達。
「まず、仮にこれが実現出来たとして、サーバーが立ち上がった時点でOSやミドルがメモリを利用していますが、どうしますか?OSもミドルも当然落ちます。」
「メモリですが、皆さんが普段変数宣言やmallocで受け取っているメモリの番地ですが、全て仮想メモリのアドレスなのはご存知ですか?」
「我々のような庶民は直接物理メモリアドレスに仕組み上アクセス出来ません」
「物理メモリにアクセスするにはカーネルのプログラミングが必要になります」
「メモリにはユーザープログラミングで触れる事が出来る層と、カーネル層という仕切り、さらに仮想メモリ・物理メモリという仕切りがある為に、堅牢性を保持している云々」
ここまで伝えても皆ピンときていない。文章にすればまだ解るが所為オタクの早口の説明なので当然、私の話術にも大いに問題はある。
もしかして自分が間違っているのか?このままだと私がこの対応をやらされる羽目になる。
私は交渉事でうまく立ち回れる技を持っては居なかった。なので、最後の手段に出た。
「だからこんな方法は絶っっ対 実現できないんですよ!!!」と突然のブチギレ。いや、出来るのかもしれんけど。
一同ポカーン。突然のメガンテを使った私に皆パルプンテ状態になり、
「増田がココまで言うのなら出来ないんだろう」という事になった。
正直、高い技術も必要ない汎用的なシステムの開発現場のなんてこんなものだ。AWSもGitHubも触ったことのない私があえていおう。
最初のエントリーに業務時間内に勉強させろと書いたが、目的が無ければおそらく時間があっても、「私は完全に仕事をしています」という顔をしながらviで青空文庫やアマチュアの小説を読んでいた時間の方が長かったのではないかと思う。
「――舞台『DREAMBOYS』が千秋楽を迎えたよ。観客の収容人数50%や、検温、換気などさまざまな対策を――……」
冒頭は2021年1月28日、FBS福岡放送「バリはやッ!ZIP!」というワイドショー(以下、WS)でアナウンサーが読み上げたものだ。東京・日比谷の帝国劇場にて2020年12月10日~2021年1月27日まで実施されていたジャニーズが多数出演する舞台「DREAMBOYS」(通称、ドリボ)の千秋楽公演が無事終了したことを告げるエンタメニュースだ。ジャニーズ以外のオタクの人はびっくりするかもしれないがジャニーズは舞台の制作発表からゲネや初日、千秋楽まで、あらゆるWSエンタメニュースで全国各地で取り上げられる。広告と大手事務所の力はすごい。
今回取り上げたいのは「観客の収容人数50%」の部分だ。これは全くの間違いである。わざわざテロップまで表示して強調しているが(ジャニオタは権利関係に疎いのでWS名と舞台名でインターネットの海を検索すれば出てくる)、間違いだ。ドリボを観劇した人間、あるいはジャニーズ現場をウオッチしていた人間は分かると思うが、観客の収容人数は100%だった。確かに、当初は50%で観劇者を募った(そのおかげでファンクラブ会員でも当選者が少なく、当落時点での相場は高騰した。余談である)が、20年11月ごろに追加応募を募り、観客の収容人数100%での公演実施を決定した。年明け、政府による緊急事態宣言が再度発令された後も主催である東宝は「内閣官房より各都道府県に通達された1月7日付の事務連絡にのっとり、『1月11日までに販売済のチケットについては収容定員制限を適用せず、キャンセルも不要』という内容を受け、下記の対応を行ったうえで、上演させていただきます。」として払い戻しには対応するのみで、強制的に50%になるといった措置は実施していない。詳しくは東宝の公式サイトを参照してほしい。
https://www.tohostage.com/dreamboys/info20210108.html
ただ、東宝の言う通り政府からは強制されていないため、観客の収容人数を50%にしなければならなかったわけでもない。東宝とジャニーズ事務所の対応は政府の通達に則っており、なんら問題ではないのだ。筆者は実際に十数回あるいは数十回帝国劇場に足を運んだが、確かに検温や換気はしているものの開演前のロビーは人でごった返していた。とはいえ、別にそのことは問題ではないのだ。ただ、先述したバリはやという番組でわざわざテロップまで示して「観客の収容人数50%」と誤魔化した意味は一体なんだったのか、それが気になる。コロナ禍で舞台を実施していることの体裁を保つためか、FBS側の単なる誤解なのか、それとも――。
余談中の余談だが、帝国劇場は座席が狭く、前や横にいる人がかなり近く感じる。通路横や最前列でない限り観劇中にお手洗いに行くことは憚られるし、前方は座席の傾斜も緩いため、舞台がよく見えないことが多い。帝劇信仰の強いジャニオタはあまり文句を言いたがらない傾向にあるが、古くて伝統があるだけで観劇体験に優れた劇場ではない。できることなら50%でやってほしかった。そっちのほうが見やすそうだし。そう思う。
新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っているさなかではあるけれど、これまでの人生で屈指の贅沢体験をしたので書いてみます。
まず、宝塚歌劇団雪組トップスター、望海風斗さんをご存知でしょうか。
妻がドはまりしている宝塚のなかでももっとも気に入っているスターのひとりでいま最もチケットがとれないと言われているスターです。その望海風斗さんの退団公演が今年の1月1日(正月!)からはじまっているのですが、退団公演ということもあって、ファンクラブに入会している方でもチケットをとるのに難儀しているそうです。妻もチケットをとろうとさまざまな経路で応募したり模索したなかで唯一、だめもとで応募していた旅行会社の宿泊プランとセットが2席分とれたというところから今回のはなしがはじまります。
うちには0歳児がいるので最初は自分が家で面倒をみて友達と行くのだとばかり思っていたけれどチャイルドルームに預けられるからということで一緒に行くことにしました。自分よりも強く観たいと思っているファンにも取れない人がいると思うと申し訳なさを感じつつも当代随一のスターの舞台を観る最初で最後のチャンスという思いです。
自分は大劇場は観劇するのは初めてですが(観劇する妻に同行してロビーで本を読んで時間をつぶしたことはある)、よくよく聞いてみるとこれがなんとSS席でかつ、セットになっている宿泊というのも帝国ホテル大阪。
帝国ホテルといえば、日本でもっとも格式の高いホテルのひとつ。一度、東京で間に合わせで日比谷の帝国ホテルのロビーにいたときはその異常な空間ぷりその場にいる人間の立ち居振る舞いから階層の違いを実感したのを憶えています
ちなみに、大阪帝国ホテルはまったく別で道頓堀そばのビジネスホテルなのでご注意ください。大阪帝国とは・・・。
そんなこんなで観た雪組公演「fff フォルティッシッシモ」はなかなかよい作品でした。
ストーリーは、音楽家ベートーヴェンは失恋や孤独、失聴に苦しみつつも、なぜ交響曲9番歓喜をつくることができたのか、というもの。そんなに構えずに観に行ったんだけれど、とてもよい人間賛歌でした。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、これは演劇でしか表現できないだろうという仕掛けがいくつかあっておもしろい。あるシーンでの2人のセリフは、Linuxをつくり世界を変えたリーナス・トーバルズの「それがぼくには楽しかったから」を彷彿とさせました。
シルクロードをテーマとしたレビュー(宝塚では、ストーリーの演目と合わせてストーリーがほぼないレビューと呼ばれるショーが上演されるのが定番なのです)は音楽提供を菅野よう子がつとめなかなか見ごたえ聞きごたえがある。これは、チャイナドレスのシーンがインパクトがあってすごかったのとグレーのサテン地の変わったスーツがかっこよかった。
そしてSS席ということで席が前から一桁列目。めちゃめちゃ近い。出演者をほんと間近にみることができてDVDでは気付けなかった衣擦れ音や舞台後方でのざわめき、スポットライトにゆれるミスト、また月並みだけれど息遣いまでも感じることができました。銀橋(という観客席に一番近い細い舞台)を通る出演者のライトを受けてきらめく装飾の細かさや顔の小ささなど、観劇に際して得る情報量がDVDとは桁違いです。ただ、近すぎるからか音響の問題か、声が逆に聞き取りにくいシーンもありましたが。
あと、近くのSS席の観客が何度か同じタイミングでサッとオペラグラスをとりだしたり、拍手タイミングがわからなかったり、幕間に泣いている方がいらっしゃたりと普通じゃない感がありました。
緊急事態宣言下でどうなるかはわかりませんが本公演については2月8日(月)に楽天TVでLIVE配信があるので興味があればご覧ください。
https://tv.rakuten.co.jp/content/366230/
そんな観劇中、我が子は4時間4千円で預かってもらったチャイルドルームにて機嫌よく過ごしていたとのことで安心。駐車場からも劇場からも近くたいへん便利です。しゅっとピックアップして、桜ノ宮の帝国ホテル大阪へ。
観劇後の夕食については0歳児がいる上に、新型コロナウイルスもあって外には食べに行けないので悩んだのですが、せっかく帝国ホテルに行くということとSS席で気も大きくなっているところ張り込みました。
ホテルには前首相の桜の会で話題になったあの久兵衛があるので握りをテイクアウトして部屋で食べようかと思ったのですが、参照していたネット上のメニューが古く握りの持ち帰りはしていないとのこと、さらに、一つしかない個室があいているとのことでここを予約。個室は最低でも16,500円(サービス料別)の握りのコースからということでしたが子がこれから動き回るようになると行けるお店も相当に限られるだろうことから自分を納得させて決行。
これは最高でした・・・。四畳半ほどの掘り炬燵で子がいても気にせず食べることができました。
特に、見た目も美しいさより、吸いつくようなすみいか、未知の味がした寒ブリ、直球のうに、味がする甘鯛(?)、ほっとするような煮はまぐり、異様な旨さのある大トロの炙り、謎のねっとりとした半生のえび、端正なカツオ、箸休めのダイコン、塩味の穴子もたれの穴子も充実。かっぱ巻きと鉄火巻もよい。
大阪府の要請で21時閉店とのことでややせわしなかったのですが、濃い時間でした。。ビールも日本酒もよい。
うっかり持ち帰りの太巻も頼んでしまってお会計は45000円を越えてしまいました。2人で食べに行ってのぶっちぎりの新記録です(次点は入籍した日に訪れたイタリアンで9000円のコースを頼んだものの妻がワインを飲みまくって3.3万円となった日でしたがこれは3-4時間くらいいたので時間別では圧倒的)。
さらに最後までお店にいたことで板前さんに家族写真も撮っていただけました。
ここの撮影の合図はめちゃめちゃ笑えます。久兵衛経験者の一部しか知らないだろうので心の中にしまっておきます。
そして泊まった帝国ホテル。チェックインして部屋に荷物をおいてすぐ久兵衛にいったのでよくみれなかったけれど、部屋もよいしフロントの方の対応もさりげなく素敵で気持ち良い。
頼んでいたベビーベッドもテレビの前に鎮座されているし布団もしっかりしていてよい。
お風呂も熱くて広くてよかった。妻は買ってきたビールを4缶ほどあけてご機嫌。
自分は泊まるところどこでもよいと思っていたけれど、ハイブランドなホテルはちょっと違う。分不相応感の居心地の悪さはありますが。
ちなみに、ホテルの案内で知ったけれど、ルームサービスでコース料理5,600円、久兵衛のにぎりも7,300円からあるので(それぞれサービス料が+10%)、なにかハレの日にコロナの影響を避けて非日常を過ごすのによいかもしれません。
朝食は11時まで、事前にお願いすれば部屋に運んでもらうことも可能だったけれど、混んでそうな時間をさけて10時半ごろにいきました。ゆっくりできて便利。オムレツが火入れも完璧なうえにケチャップが別添えなのが高得点です。ただ、パンとコーヒーは凡庸な印象。あとあと、すらっとしたカトラリーがよかったので調べると燕市のトーダイさんとのこと。チェックアウトも12時だったのでゆっくり過ごせました。
宝塚と帝国ホテルのセット券は妻のポケットマネーから支出されており、金額は教えてもらえていませんが24時間で異常な額のお金を使ってしまいました。ただ、充実した時間でした。新型コロナウイルス感染症と戦っている医療現場、行政のみなさま、経営や生活に大きな影響を受けている観光や小売りや関係産業の方々には悪いと思いつつの消費です。これが今年の贅沢納めかもしれません。しかし寿司がうまかった・・・。
ご贔屓、いわゆる推しもいる。
私は地方民なので、観劇の際は兵庫県の大劇場か、若しくは東京日比谷の東京宝塚劇場のいずれか、若しくは別箱、と言われる梅田芸術劇場や東京フォーラムといったホールに「遠征」する。遠征、つまり、宿泊を伴う移動だ。いずれにせよ、新幹線や飛行機を使わずに行ける距離に私の現場はない。
2020年、世界を未曾有の脅威が襲い、私は一切の観劇遠征を諦めざるを得なくなった。もちろんそれは私だけではない、遠征民と呼ばれる地方在住のヅカファンの多く(全部とは言わない)がそれを余儀なくされた。(中止となった公演もあり、それについてはチケットを持っていた者全員が涙を飲んだ。もちろん、それは劇団側もそうだろう)
春ごろには、夏くらい、遅くとも秋くらいには落ち着いてくれるかな?と、コロナのせいで中止になった公演が、劇団の不断の努力で次々とリスケされていく中で、この公演には行けるだろうか、この公演には絶対行きたい…などと、頭の中で叶わぬ予定を立てたりしていた。
状況は決して好転してはいなかったが、なんとか、ぎりぎり、行けるか…?という兆しがあった2020年11月末。私は、年内は我慢しよう、ここまで我慢したのだから、とにかく今年は我慢だ、そうすれば、2月くらいなら、状況ももっと落ち着いて、ご贔屓様の舞台も見られるはず!そう考え、チケットと宿、交通機関の手配に勤しんだ。ワクワクしていた。1年半ぶりの観劇遠征だ。1月ならGOTOとやらいう恩恵(結局私は使えなかったが)があるが、そんなもん関係ない、2月の観劇遠征に向けて、心は既に関西へ飛んでいた。
私は、いわゆるエッセンシャルワーカーの一端であるため、長距離の移動を伴う遠征は避けねばならないと自重していた。私が感染するわけにはいかなし、無症状の感染でウイルスを媒介することなど絶対にあってはならない。もしそうなったら、私の職場は完全アウトだ。だから遠征をあきらめ、日々感染のリスクに怯えながらも出来る限りの予防策をこうじて仕事を続けていた。
友人とも会えない、外食もカラオケも映画も行けない(鬼滅のムビチケは公開前から買っていたけどもう使うことはできないまま公開終了しそうだ)、帰省もできない、ただただ職場とアパートを往復し、休みの日もスーパー以外は一歩も外に出ず、タカラヅカスカイステージという有料のタカラヅカ専門チャンネルを同居人に遠慮しながらも視聴し、オンラインで購入したブルーレイが届いて喜んだのもつかの間、同居人に「それ宝塚からの荷物でしょ、消毒して」と言われ自分でも驚くほどの心の痛手を負ったりしながらも、黙って、ただただ我慢の日々を過ごした。
夏、秋、と徐々に再開されてきた公演を、配信で視聴しながら、それを観劇してそのレポを嬉しそうにテンション高くあげているツイッターのタイムラインを妬ましく思いながら眺めつつ、もう少し、もう少し我慢だ、年内我慢すれば、きっと、と唇を噛んで耐えていた。
のに。
なんでこんなことに。
私、ものすごく我慢した。お医者さんも頑張ってる。看護師さんも保健師さんも、ものすごい数の人たちが、疲弊しながら頑張っている。
なのになんで。
なんでこんなことに。
ものすごい数の人たちが頑張って、私も含めてものすごい数の人たちが我慢を続けている。
のに。ねえなんで?
政治がどうの、ウイルスの性質がどうの、わかる。そこから目を逸らすつもりはない。正常性バイアスに陥らないように、注意深く、今も、感染予防に努めながら歯を食いしばり続けているよ、私は。そしてものすごい数の人が。
なのに。
ツイッターのタイムラインを眺めると、今日も楽しそうに観劇のレポツイしている人たちがたくさんいる。あのシーンのここがよかった、とか、ここのダンスが最高だった、とか、私のご贔屓様のことも、きれいだった、かっこよかった、etc…
私と同じ地方民であり感染拡大地域に住んでいるにも関わらず、「悩んだけどもう無理!行く!気をつけるし大丈夫だと思う」と観劇遠征している友人からも、「観るべき!贔屓ちゃん最高だよ、なんで行かないの?私あと二回観るわ」というメッセージが来る。
それが悪いとは思っていない。なぜなら、エンタメの世界は瀕死の状態だからだ。公演中止が続けば、利益が出ずに「劇団」などすぐに潰れる。現に潰れた劇団は既に枚挙にいとまがない。宝塚歌劇は、バックが大企業だからまだ持ちこたえているというだけで、106年の歴史が終了することも、この状況ではもしかしたらあるやも知れない。そうならないためには、劇団が存続し続けるためには、今、観劇してくれる人たちが必要なのだ。今観劇できない私のような者が、いつか観劇できる日まで、劇団を存続させてくれるのは、今観劇しているファンたちなのだ。
それは、そのことは、痛いほどに、分かりすぎるほどに、理解してる。
でも。
それでも、どうしても、思わないではいられない。
こんなに何回も何回も観劇できている人が、現にここに(SNSの中に)存在しているのに、どうして私はただの1回も観劇できないんだろう…、と。
確保した、1年半ぶりの、たった一枚だけのチケットを、手放した。
私は、泣いていいだろうか。
https://istnsks2.muragon.com/entry/570.html
宝塚歌劇 雪組 トップコンビ 望海風斗・真彩希帆 退団公演 上田久美子脚本演出 fff
ポスターのコピーが「やるならやってみろ、運命よ」であり、宝塚クラスタは少し沸いた
(ちなみにまだ見てないしコロナで観劇やめたしネットの感想等もまだ見ないようにしている状態)
これ、自分もベートーヴェンの交響曲第5番の「運命はこのように戸を叩く」的な話から上田久美子氏が創作したコピーかと思っていたのだが、
青木やよひ氏の著作を読んでびっくりした。『ゲーテとベートーヴェン』p.193(平凡社新書、hontoにて電子書籍で購入)
つまりは、ハイリゲンシュタットの遺書よりも、交響曲第5番よりも後に実際にベートーヴェンが書き散らしていた言葉であった。ありがとう。よろしくお願いします。
コロナが流行る前は舞台好きでよく観に行ってたけど、いくら対象外になっても今行く気にはなれない。
だって舞台って、数ヶ月前からチケット戦争してようやく勝ち取ってドキドキワクワクしながら日本全国からオタクが集まってくる一大イベントだ。
(そうじゃない舞台もあるだろうけど、自分がそういう舞台ばかり行ってたので)
多少体調悪くても「どうしても観に行きたい」って無理してくる人絶対いる。
コロナ流行ってなかったころは武勇伝みたいに「体調良くないけど推しへの愛があるから来た」
とか言ってる人、劇場の側のカフェとか待機列とかTwitterとかに結構いた。
今は流石におおっぴらに言わなくても、少し具合悪いくらいなら来る人がいてもおかしくないと思う。
そして後からコロナが判明しても、ここで公言したら舞台や推しに迷惑がかかると思って観劇したこと申告しない人も出てくると思ってる。
キャストやスタッフが「幸い感染者もなくやり切りました!」とTwitterで言ってる作品見かけたけど、そんなん分からんやろ。無症状者からもらって無症状のまま誰かにうつす可能性だってあるし。
ただ、こういう発言があることが観劇した人たちが正直に申告しにくい雰囲気を作ってる気がしてならない。
けど人間好きなものが目の前にあったら判断甘くなるし、好きなものに迷惑かけたくない気持ちがあれば正直にもの言えなくなるもんだと思ってる。
劇場の換気とか感染対策とかが不安というよりも、こんな理由で今観劇に行く気にはどうしてもならない。
プラス直前までどうなるか分からず、中の人が感染したら即座に休演になるおそれもあり、行けない時の金銭負担も高い(もろもろ込みで1回数万は行く)などなどもあってすっかり舞台熱が収まってしまったな。
奴等がまた近づいて来たみたいだな・・・
って感じで、最近、人の多い所に行くと左目が痛い
あれは今から遡ること今年の夏の7月のこと謎の倦怠感という体調不良に襲われた
PCR検査受けるきっかけになった嗅覚異常になるちょっと前に左目に激痛が走った
そして嗅覚障害になってPCR検査を受けた病院帰りにも痛みだした
(炎天下とは言え、検査対象者をプレハブに何人も押し込めるとは何事?しかもエアコンガンガンでやべーじゃん)
検査の結果は陰性だったけど(そりゃ体調不良が発症してから3週間後だもんね)
嫁がコロナ発生した劇場で観劇して翌日から左目が疼いたり(その時はコロナの事実は知らなかった)
嫁が会社で謎の流行微熱をもらって帰ってきてから左目が疼いたり
ほんと何ですかね?これ?
病院いっても
で終るし、まともにとりあってもらえないし、自分でも信じられんし
ほんと左目の奥が痛いのだけはガチなので、誰かなんとかして!
次は神経内科にいけばいいのか?
梅芸、tca、宝塚舞台は期末純利直近3年だけ官報決算DBから取れた
単位億円
3月期 | 中間 (按分営利) | 期末 (按分営利) (梅芸/ tca/宝塚舞台純利) | 期末コメント 中間コメント |
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2021年 | 55 (△24) | ※コロナ△138: 減益。新型コロナウイルスの影響を受け、宝塚歌劇の多くの公演を中止したことに加え、各公演の観劇人員がイベント 開催制限措置の影響で大きく減少したこと等により、大幅に減収・減益 | |
2020年 | 179 (58) | 344 (54) (0.5/17/0.5) | ※コロナ△23: 減益。歌劇事業において各公演が好評を博し、また関連商品の販売も好調に推移していたものの、第4四半期に新型コロナウイルスの影響を受けたため、減収・減益 増益。歌劇事業において、各公演が好評を博したことや、関連商品の販売が好調に推移したこと等により、増 収・増益 |
2019年 | 164 (35) | 349 (51) (0.7/0/0.7) | 横ばい。歌劇事業において、関連商品の販売が好調であったことや海外公演を実施したこと等により増収となっ たものの、公演に係る費用が増加したこと等により、営業利益は前期並み 減益。前年同期の歌劇関連商品の販売がトップスター退団により好調であったことの反動減や、演劇事業の 公演回数が減少したこと等により、減収・減益 |
2018年 | 171 (41) | 340 (48) (0.6/9/0.5) | 増益。歌劇事業において、雪組公演「ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~/SUPER VOYAGER!」や花組公演「ポーの一族」等の各公演が好評を博したこと等により、増収・増益 増益。雪組公演「幕末太陽傳/Dramatic “S”!」や宙組公演「神々の土地/クラシカル ビジュー」等の各公 演が好評を博したこと等により、増収・増益 |
2017年 | 168 (38) | 329 (44) | 増益。歌劇事業における宙組公演「エリザベート-愛と死の輪舞(ロンド)-」や、演劇事業にお ける「バイオハザード-ヴォイス・オブ・ガイア-」等の各公演が好評を博したこと等により、 増収・増益 増益。演劇事業において主催・共催公演回数が増加したことや、歌劇事業において 宙組公演「エリザベート-愛と死の輪舞(ロンド)-」等の公演が好評を博したこと等によ り、増収・増益 |
2016年 | 165 (37) | 326 (44) | ※出版事業の一部外部化影響△19: 増益。2014年10月1日付で出版事業の一部を外部化したことや、歌劇関連商品の販売が減 少したこと等により減収となったものの、宝塚歌劇100周年(2014年)に引き続き高稼 働率を維持したことに加え、宝塚大劇場・東京宝塚劇場の公演回数が増加したこと等に より増益 ※出版事業の一部外部化影響△19: 増益。前期(2014/10/1)に出版事業の一部を外部化したことや、演劇事業におい て主催・共催公演数が減少したこと等により減収。一方、利益面では、歌劇 事業において宝塚大劇場・東京宝塚劇場の公演回数が増加したこと等によ り増益 |
2015年 | 187 (39) | 352 (46) | ※出版事業の一部外部化影響△21: 増益。出版事業の一部を外部化した影響があったものの、2014年に100周年を迎えた宝塚 歌劇の各公演が好評を博したことに加え、歌劇関連商品の販売が好調に推移したこ と等により、増収・増益 増益。宙組公演「ベルサイユのばら-オスカル編-」や星組公演「The Lost Glory-美しき幻影-」・ 「パッショネイト宝塚!」等の公演が好評を博したことに加え、歌劇関連商品の販売が好調に推移したこと等により、増収・増益 |
2014年 | 166 (36) | 337 (43) | 横ばい。雪組トップスターお披露目公演「ベルサイユのばら‐フェルゼン編‐」や星組公演「眠らない男・ ナポレオン‐愛と栄光の涯(はて)に‐」等が好評を博し増収となったものの、宝塚歌劇100周年 に向けた拡大宣伝等による費用が増加したため、営業利益はほぼ横ばい 増益。雪組トップスターお披露目公演「ベルサイユのばら-フェルゼン編-」や星組公演「ロミオとジュリエット」が好評を博したことや、演劇事業における主催・共催公演の増加等により増収・増益 |
2013年 | 137 (25) | 282 (31) | 増益。月組公演「ロミオとジュリエット」、「ベルサイユのばら」や宙組・雪組トップスターの退団公演が好評を博すとともに、歌劇関連商品が好調に推移したことなどにより増収増益 増益。宙組トップスターの退団公演や月組公演「ロミオとジュリエット」が好評を博すとともに、歌劇関連商 品が好調に推移したこと等により増収増益 |
2012年 | 126 (n/a) | 258 (24) | (なし) 減益。ステージ事業においては、歌劇公演回数が減少したことなどにより減収減益 |
2011年 | n/a | 261 (n/a) | 歌劇事業において、宝塚大劇場・東京宝塚劇場で、2008年に上演し話題となった「THE SCARLET PIMPERNEL(スカーレット ピンパーネル)」を月組で再演し、特に好評を博したほか、2001年にフランスで 初演されたミュージカル「ロミオとジュリエット」を雪組で上演した。また、演劇事業においても、梅田芸術劇場で、同ミュージカルを宝 塚歌劇団星組により上演したほか、「ファントム」等の話題性のある 公演を催した。 (略) |
当方20代後半、大阪府下(京都寄りの北河内)に生まれ、浪人を経て23歳で京都の某私大の文系学部を卒業し、海運会社に総合職として就職。配属は営業職。大阪で3年間勤めた後、地方転勤を言い渡された。
転勤先は九州のど田舎。海運会社なので港がある町だが、それはもう大変な田舎。人口は3万人をやっと超えた程度で、市内にJRの駅はかろうじて1駅あるも、1日数本程度しか運行しておらず、引越して1年経つまで踏切の音を聞くことはなく、列車の車体を見たのは1年3ヶ月経ってからのことであった。ちなみに新幹線の駅までは100kmほど、車で下道走った場合2時間ちょっとかかる。そんな町で、営業職とは名ばかりの何でも屋をやっている。
転勤が決まった頃は「うわあとんでもない田舎に住むことになってしまった……1年で転職して関西帰ろ……」と思っていた。友人に転勤を報告したLINEでそう発言している記録が確かに残っているし、本気でそう思っていた。しかし、転勤から1年半が過ぎたところだが、私はまだこの町に住んで、同じ会社で働いている。
少し時を遡って、転勤前の大阪勤務時代の話をしたい。2019年1月頃の私は、同じ部署にいた10歳年上の上司から地味な嫌がらせを受け続けて1年以上過ごしており、どこでもいいから異動したくて仕方がなかった。そんな折、人事部長との面談の機会があり、諸事情を話した上で異動したい旨を伝えた。弊社は個人の希望が人事異動に反映されることはごく稀なのだが、若手は2〜3年で部署異動し、様々な経験を積む方針が明らかにあったため、ここで話しておけば早ければ春に動きがあるだろうと見込んでいた。
そして目論見通り、3月半ばに異動を言い渡されたのだが、前述の通り、転勤先はど田舎であった。
内示から着任までの期間は2週間、短いリミットの中でまず足を運んだのは中古車ショップ。そう、家を決めるよりも先に車を買ったのだ。これから暮らす町は車がないと生活ができないレベルの田舎だった。鉄道については前述の通り、路線バスは走っているものの、職場から最寄りのバス停まで3kmほど離れている。徒歩or自転車で通うにしても街灯が少ないため、一応女性の当方としては少しばかりの恐怖心があった。
ここで様々なチェーン店の最寄り店舗まで車でどれほどかかるかを説明したい。田舎度合いを計るにはこれが一番わかりやすいと思っている。
マクドナルド:30分
ユニクロ:30分
ドンキ:30分
イオンモール:50分
ざっとこんな感じである。自宅から車で10分圏内にコンビニ大手3店が揃っていて、謎に100均とドラッグストアも複数ある分暮らしやすいが、娯楽までの距離は遠い。ちなみに鳥貴族とサイゼリヤは県内にない。これが結構つらい。
話を戻そう。そう、こういう土地に住む上で家の次に必要な物が「車」だった。私は内示を受けた3日後、中古車ショップに向かった。その日は家族で白浜に行く予定にしていたため、運良く揃っていた両親のアドバイスを受けながら車を選ぶことができ、手頃な軽自動車を購入した。この時の前提と重視したポイントは以下の通り。
・カーナビ付き。
・5〜6年前までのモデル。
・2〜3年で恐らく関西に転勤になる。
一番最後の項目だが、地方の次は本社がある関西に戻す、という弊社の傾向を踏まえたものである。つまり、「車に乗って生活するのは恐らく2〜3年だが、生活のために車を買おう」という意志のもと、条件に合う車を購入した。奨学金200万を繰上げ返済したばかりの社会人3年目には80万が限度だったが、母に60万借金することでローンを組まずに済んだ。余談だが、明後日振り込まれるボーナスでこれも完済となる。
そして私は車を買った10日後、今住んでいる町に引っ越した。単身者が少ない土地柄のため、家賃5.3万円の2LDKに一人で住んでいる。実は人生初の一人暮らし、家族大好き実家大好き人間のためホームシックになるかと思いきや、旅行好きの性分が幸いし、休日は今まで行ったことがない観光地や景勝地を巡って楽しんだ。それなりにアウトドアを楽しむ才能があったし、なんとなく気づいてはいたが、どうやら女の割に車の運転が好きらしい。加えてオタクの当方、インドアの才能もあった。漫画を読んだりアニメを観たり、家から一歩も出ずに過ごすことも大好きで、つまるところ、適応能力が高かったのだ。
そして九州の田舎の人々はそれはもう優しくて温かくて、当時の上長はじめ職場の人々との相性が良かったのか、大阪勤務の頃よりも伸び伸びと働くことができていた。メンタル面の変化は肌の調子にはっきりと出ており、顔中にできていた吹き出物は姿を消した。職場に行くのが苦ではない生活は久しぶりだった。
ここまで楽しい田舎暮らしをつらつら書いてきたが、そう思えていたのにはもう一つ理由がある。職業柄、自身の財布を痛めることなく毎月、多ければ月2回、大阪の実家に帰ることができていたのだ。これはかなり大きい。田舎暮らしに苦しめられている東京育ちの某方には申し訳ないほどに。関西に住んでいる友人たちと、それなりの頻度で遊ぶことができていたし、趣味の観劇も大阪公演であれば気軽に足を運んでいた。仕事終わりに飲んだりカラオケに行ったり、平日夜にしがちだった遊び方ができない程度だった。
もちろん、田舎でも生きていけそうなくらいにはフットワークが軽い性分を理解していたから転勤をすんなり受け入れたし、この特権があるからこそ、地方転勤がほぼ確実であるにも関わらず弊社への入社を決めたし、なければ田舎暮らしは耐えられないだろうな、と思っていた。今年の2月までは。
コロナ禍により、2月末からしばらくの間帰省禁止となった。当初は1ヶ月程度で収まるだろうと思っていたが、日々状況は悪化し、長期化の様相を呈してきた。3月末の某日、とある舞台の大阪公演に行くため飛行機を押さえていたが、空港に向かう道中「もしあの田舎にコロナを持ち込んでしまうことになったら、特定されて村八分にされるかもしれない」という恐怖に襲われ、半泣きになりながら葛藤している最中、公演の中止が発表され自宅へUターンしたことがあった。飛行機が出発する1時間前のことであった。その後緊急事態宣言が発令され、ど田舎の支店にもテレワークが導入された。
GWも実家に帰らず、田舎で大人しく過ごした。大人しくと言っても、何度か人の少ない場所へドライブには行っていたし、感染者がほとんど出ていなかった県に住んでいるため、映画館の再開が都会よりも早く、再開初日に2作品をハシゴしたり、エンタメに飢えていたオタク心を都会の人より先に潤していた。漫画とアニメとドラマとドライブ、そして友達とのテレビ電話が私の日々を支えてくれていた。そんな生活の中で思ったことは「思っていたよりも一人で楽しく生きていけるんだな」ということだった。
いつのまにか実家に帰らず4ヶ月の時が流れ、6月上旬、久々の帰省を果たした。母の手料理を食べながら家族で談笑する時間が愛おしく、実家への愛着を再確認する日になったが、次に帰省したのは3ヶ月後のことだった。その3ヶ月間も変わらず、仕事をして、アニメを観て、漫画を読んで、ドラマを観て、映画を観て、ドライブに出かけて過ごしていた。家族に会えず、友達と遊べないことはストレスだったが、大阪に住んでいたところでコロナ禍では会うこともままならない日々を送っていただろうし、感染者が比較的少ない土地で過ごしている方が気楽だろうと思っていた。
ここまでつらつらと転勤の経緯や当方の生活ぶりを書いてきたが、田舎暮らしを送る上で思ったこと、これから転勤等で田舎暮らしを送るだろう人へのアドバイスをいくつか箇条書きで書いていきたい。
・電車やバスに乗って出かけられるところは言うほど田舎ではない。
・田舎暮らしを充実させたければ車を買うべし。田舎に馴染む気がないから買わないとか言ってないで買ってみたらいい。馴染めなかった田舎を少しは楽しめるようになる。
・田舎で暮らすには「田舎を楽しむ」姿勢が大事。「住めば都」なのではない。「住んでいる土地を都とする」のだ。
田舎暮らしを肯定するようなことを書いてきたように見えただろうが、正直なところ、最後の一文が一番の本音である。住んでいる土地を都とするのは個人の心持ち次第だと思ってはいるが、そう思う気力は一生続くものではないと感じている。
当方20代後半の女性であるが、転勤前から彼氏はおらず、いろんな意味で身軽に引っ越してきた。1年半以上を田舎で過ごしている間に同級生の数人は結婚していったし、中には親になっている人もいる。しかし、田舎に定住する気がない私のプライベートはというと、完全に停滞しているのだ。何もしていないからだという指摘は存分に受けよう。しかし、遠くないうちに関西に戻ることが9割方確定している女性と付き合う男性がどれほどいるだろう。魅力的な男性相手なら、結婚を機に田舎に定住したくなるかもしれないけど、私は関西に戻ってからプライベートを動かす努力をしようと決めている。
1年半程度を田舎で過ごしてみて、都会の田舎程度でもいいから、都会に住みたい、と改めて思ったからだ。車がなくても生活できるところに住みたい。適当に電車に乗れば梅田とか神戸とか京都に出ていけて、0時を回るか回らないかくらいの終電で家へ帰れるところに住みたいのだ。車の運転は好きだけど、自分の車を持ちたい!という欲は一切ないし、カーシェアやレンタカーでたまにハンドルを握る程度で満足できる。
田舎生活は楽しい!楽しいけど!それよりも!気軽に友達に会えて!実家に帰れて!エンタメに触れられる生活の方が欲しい!!!!
と言っても、祈る以外にできることはない。短ければあと3ヶ月ちょっと、長ければ1年以上今の環境に身を置くことになるが、これまでと変わらず田舎での暮らしを楽しむスタンスを崩すことなく、「早く関西帰ってきて!あそぼ!」と言ってくれる友人がたくさんいる幸せを噛み締めながら、1日も早い関西凱旋を夢見て過ごそうと思う。東京生まれ東京育ちの若者が住む場所を都と変えられることも祈っている。
2月の下旬、全公演のチケットを取るくらい楽しみにしていた舞台が半ばで公演中止になって、呆然としたまま突然の大千秋楽を迎えることになった。
3月、友達が死んだ。東京から遠く離れた地元へは帰れなかった。小学校のころから一緒に趣味の絵を描いて遊んできた友達だった。
4月からこれまで、エンタメが消えた世界は本当に寂しかった。楽しみにしていたことが全部なくなってカレンダーはスカスカになった。これまで楽しくやってたはずの仕事も全然楽しくなくなった。在宅勤務で昼間から家にいると時間が止まったような気がした。そのうち仕事もほとんどやらなくなって、毎日散歩して空ばっかり見てた。なんにもなかった。
ずっと寂しかった。ひとりはさみしい。実家は飛行機の距離で、仕事はフルリモートで同僚と顔を合わせることはなくなった。それが楽だという人もいると思うけれど、それが辛いと思う人もいて、自分は後者だったという話だ。
劇場では一般的に十分と言われるであろう感染症対策をしてはいるけれど、伝染るときは伝染るんだろうなと思った。一週間の行動履歴は観劇で埋まったし、まあまあのトンチキ感がある作品タイトルで、これいま感染したら一時期の舞台クラスタみたいに晒し上げられたりめちゃくちゃアクティブな人みたいに叩かれそうだななんて思いながら、それでも劇場に通った。
病気で死ななくても、心が先に死んでいく。心が死ぬのはとてもつらかった。病気でもなんでも、死んでも別にいいと思ってしまうくらい。友達が死んでから先に行かれてしまったなという思いがずっとあった。少し前にやっと手を合わせる機会をいただけて、なんとなく、残された側はそれでも生きていくしかないんだなと感じた。生きていかなきゃいけない、そう思っていても、からっぽのまま空を見上げていた時期、うっすらとした希死念慮はずっとすぐそばに漂っていた。楽しいことがないのに生きていくのはつらかった。
やっぱりこの人生には舞台が必要だった。春からからっぽになってなんにもなかった心が一気に満たされて、楽しい、好き、幸せ、久しぶりにそういう気持ちがぶわっと溢れてきた。大事なものにやっと再会できて、ああ、自分には必要なんだって思った。
韓流は試してみた?
試しに「愛の不時着」見せてみ?連ドラだから少なくとも数日はネット忘れてのめり込むよ。
脈あるようなら息つく間もなく過去の名作韓流ドラマや韓流映画オススメしてくるから自動でのめり込むよ。
タバコや麻薬の離脱と同じでとにかくyoutubeから引き剥がす時間を作って注意を他にそらすことが大事だよ。
なので韓流見れるサブスクならどこでもいいけどYouTuberと隣り合わせなyoutubeの有料プランだけは避けた方がいい。同じ理由でニコ動も×。
修正不可能なくらい亀裂入ってるわけじゃないなら夫婦で趣味共有できた方が話が早い。
父親が無理そうなら増田が一緒に韓流にはまってあげるといいよ。
増田母も元増田の祖父と同じでこのコロナ禍で孤独を熟成してしまってるんだと思う。
コロナでなければ増田が旅行/観劇/ディナーショーなどに連れ回しネットから引き剥がして忘れさせる方法もあるけど今はそれは無理なのでとりま「愛の不時着」。
脈薄そうでも増田自身がはまってるとか理由つけてはまり込むまでリピするといいよ。
増田母の場合もリア充させて興味の矛先逸らした方がいい気がする。
女性はおしゃべりと共感してくれる相手に弱いから身近な人と同じ話題で盛り上がれるのが実は一番嬉しいし楽しい。
よくアイドル歌手や俳優にのめり込む人いるけどあれ実は歌手や俳優本人というよりそれらを好きな人たちと交流するのが楽しいってのがあるから。
多分そこに増田母はつけこまれてる可能性もあるから逆に増田が母専属の韓流ソムリエYouTuberになればいいと思う。
元増田の祖父が抜け出せたのはただNetflix与えてお終いじゃなく、元増田自身がTwitterでも繋がって寄り添い、つかず離れず連絡取りつつ見守ってたとこも大きいと思うんだ。
孤独にさせないこと。
リア充させること。
この二つが大事なのかも。
コロナでこの二つがかなりむずかしくなってるけどね。
それか増田の嗅覚で母親のはまりそうな趣味見つけて波状攻撃してみては?
ちなみに韓流/旅行/観劇/ディナーショー以外で高齢女子にオススメは宝塚、歌舞伎、落語、綾小路きみまろ、手芸、食べ歩き、ペットなど。
この中では韓流が一番安価でコロナ禍の今も気軽に始められてオススメ。
韓流沼もはまったら被害はせいぜい韓国旅行に行きまくるくらいだけど今は幸いコロナでそれも不可能だし。
夜、コメダに行った
所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる
年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税の申請書、生命保険の契約内容確認や積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。
正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。
この時間にあのハイカロリーな食事も摂ろうとはいささか思えない。
ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。
ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋かチェーン店になる。
ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。
だからコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。
それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。
店内に客はいるのだけど、タブレットで読書をするサラリーマン、参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分の時間を過ごしているようだった。
店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性の店員がお冷を運んで来てくれた。
メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。
以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明、洒落た内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンター、ハンドドリップで淹れる珈琲。
ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。
とはいえ、こんな場所が地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。
木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶のカフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。
しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。
マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近は仕事に忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。
豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。
夜コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペンで文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。
このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。
店の外にでると冷たい風が肌を撫でた
大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。
暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。
どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。
なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。
かくいう自分も歌うまは正義というフレーズを使ったこともあるけども。だいきほのFNSを見た人が実観劇してみたいと言ったときに使った。
あ、ショー。ショーだと、歌うまは確かに正義かもしれん。(でもそうだとしても歌うまは正義って言葉は原理主義みたいで最近抵抗感出てきた。)
RENT。出てくる登場人物みんなこんな歌がうまいって実生活で有りうるか?歌手やパフォーマーと弁護士や大学教授が同じぐらい歌うまいけど(最高だ)
ひかりふる路は気にならなかったかな。凱旋門とファントムはひとまず置いといて、壬生とワンス。もう、吉村貫一郎もヌードルスも、歌で身を立てちゃえばいいじゃん、て思ってしまう。ギャングなんてやめてデボラと一緒にショービジネスの世界に飛び込んじゃえばいいじゃん、って思ってしまううまさ笑。源太もか。
ファントムみたいな、歌がうまいという役柄であればありがとう😊
棒歌唱じゃなく、逃げてなく、気持ちが入ってる歌。歌を歌ってるんじゃなくて、魂が漏れてるような。轟さんの凱旋門はそう思った。あー、ラヴィックはええ男やしお医者さまだし、でもお歌はあまり得意じゃなかったのね、という説得力。
とは言え、井上芳雄はうまい〜て思って満足だったし、小曽根さんの音楽も素敵だった。凱旋門も、ボリスとジョアンありがとう😊だしなー。塩梅はむずかしい
マジで言ってる?元増田を苦しめる実質の座高制限が舞台観劇の上でルールになっているなら、チケット売る側が「座高○cmの方は他のお客様の観覧のご迷惑になりますので入場できません」とか「後部△列のみご購入いただけます」とかきちんと明文化して措置をとらないとだめだよ。
例えばだけどオーケストラ等の演奏会だと「コート類は会場内に持ち込み禁止」ってルールがあるけどこれのためにクロークも用意されてるからね。
声優オタクをずっとやっていて、去年までは主にライブやトーク系の声優さんのイベントに通いまくっていた。
しかし今年はコロナの影響でこれらのイベントにほとんど行けず、その代わりに舞台にたくさん行くこととなった。
当時推していた声優さん目当てに10公演全通し、面白くて、その舞台に出ていて気になった別の子が出る舞台に2月も8回通った。
コロナで一旦途絶えたが、9月以降、ライブ系のイベントはまだほとんどがオンラインの中、舞台は実演が再開し、またちょこちょこ舞台を見に行った。
9月には1月に見た舞台の続編があり、今度は流石にコロナが怖いので全通とは行かなかったが、7公演見て世界観にどっぷりとハマった。
10月にも、9月の舞台で気になった子を目当てに、2回ほど舞台を見に行った。
舞台の良さは、表現は難しいけど、何回も見て世界観にどっぷりとつかることの一体感と個人的には感じる。
ライブは、良い音楽や会場と一体となった盛り上がりが楽しいが、どちらかというその場限りで、かつ一回一回でものすごく体力を消費する。
舞台は一回一回で得られる満足感は良いライブほどではないと感じるが、何回も見て、たくさんある登場人物の特徴、世界観等を理解し、ストーリーの理解度を高め、謎への疑問や考察等を深める。
こういったじっくりと楽しめる点が面白いと感じる。
どっぷりとつかるので、舞台が終わった後の損失感、舞台ロスが非常に強く、しかしそのロスがなんとも気持ちいい、そういった楽しさだ。
長年声優オタクとしてライブ等のイベントに年間5〜60回通っていたけど、少々そういったイベントにも飽きてきていたので、これからは声優さんが出る出ないに関わらず舞台を主現場にして行こうかな〜となんとなく確信してきているところだ。
がしかし、どうしても現場が辛いなと思う出来事があり、迷っている。
今年計27回舞台を見たが、そのうち3回、座席の座り方で文句なり注意を受けた。
この会場はパイプ椅子のため、2時間座り続けるのがとても辛く、脱いだ上着をクッションがわりとして敷いて座っていたら、後ろの席の男性に見えなくなるから勘弁してくれと言われた。
しかも会場はフラット。ただでさえ後ろだと見えにくいのにさらにクッションで高くなったら見えにくいだろうなと思い、その場はそれに従った。
お尻が痛すぎて、観劇中は何度も姿勢をずらさざるを得なかったが。
多分私の座高が低かったら同じことをしても何も言われなかっただろう。
3階の通路席で見ていたのだが、会場のスタッフの女性に横から、『前のめりでの観劇はやめろ』(正確な文言は当然これではないが、見せられた自分の印象としてはこれ)という旨が書かれたシートを見せられ、そこで集中していた観劇がストップし、以降集中して観劇できなくなってしまった。
自分の姿勢は、前のめりかなんなのかは知らないが、確かに背もたれから背が離れて、腕に顎を乗せる形で見てしまっていた。
しかしこれには理由があって、3階席は座席の前後の幅がめちゃくちゃ狭く、自分くらいの身長の人間が背もたれに背をぴったりつけているとエコノミー症候群になるくらい苦しかったからだ。
普段こんな姿勢で見たことはなく、現に同じ会場の1階席で見たときは、座席幅がゆったりとしていたため、普通に前のめりにはならなかった。
また俺の隣(とは言ってもコロナ禍なので1席は空いていたが)のお兄ちゃんも同じような格好で見ていた(しかし俺と違って通路席ではなかったので、スタッフのお姉さんが見せようとしていたシートに気づかずそのまま観劇を続けていたが)。
前のめりで見るなという注意を聞いたのはその会場が初めてで、前のめりってなんやねん、それが一体どんな迷惑になるんだと思って、『舞台 前のめり』でググって上の方のページをいくつか見てみたら、そこには、この表現は適切ではないかもしれないが、俺には地獄としかと思えない光景が広がっていた。
前のめりは後ろの席の人を見えにくくする行為であり、音を立てたり、前の席を蹴ったり、録音録画したりするのと変わらない、いや、それらと違って実際に行われる頻度という意味ではそれらよりももっと怨嗟の対象になりやすい、舞台観劇上の極悪非道なマナー違反だったのだ。
前のめりする人に対する怨嗟、怨嗟、怨嗟の声を見た時は驚きとともに、寒気がした。
『舞台界隈、怖え〜。某◯◯マス警察も可愛く見えるぐらいの地獄の現場だな。』
前のめりの何が悪いんだなんて軽々しく口にしようものなら、完全に犯罪者と糾弾されて、打首獄門晒し首にされかねない勢いだ。
個人的には前のめりだろうがなかろうが、座席の傾斜や前の人との座高差で見えるか見えないか決まるんじゃないかと思ったが、そんな疑問を口にしてスタッフに口答えでもしたら、それだけで迷惑な客、クレーマー客と認定されちゃうんだろうな…
実際今回の席も、後ろに座席は全くなく(客がいないのではなく席がない)、斜め後ろに席はあったが、斜め方向に見ても見える先は会場の壁であり、ステージを見るのを妨げることはあり得ない。
そんな理性的な反論でも、「うぜ~。前のめり禁止は会場のルールなんだよ。従えないんだったら出て行け。」って思われるんだろうな…
なんだかな…
3回目、そしてこの文章を書くきっかけになった出来事が起こったのは10月の舞台の上演中。
その舞台を見る初めての回だったので、どんな舞台なのかなという気持ちで観劇していた。
幸い今回は1階の前の方のゆったりした席だったため、前のめりの心配はない。
背もたれにぴったり背中をつけてじっくりと座って見ていた。
舞台を見始めて序盤、ステージで演者全員で歌うところがあり、この歌が非常に自分にハマり、「おっ、もしかしたらこの舞台結構楽しめるかも」、と思った矢先だった。
『変な姿勢で見るのやめてくれません?』
突然暗闇の中、後ろの女性から言われ、一瞬なんのことやら理解できなかったが、自分のせいでステージが見えづらくなっているから頭を下げろと言われたということは理解し、頭を下げた。
自分はその時、前のめりにはなっていなかったが、席にかなり深く座っていたので、見ているときは気づかなかったが、頭がちょっと出ている状態だったと思う。
ただ、別に座席から腰を浮かせていたわけでも、背伸びをしていたわけでもない。
その劇場で規定されている規則を一切破っていなくても、後ろの人が背が低くて、その人が見えづらくなったら、それだけで迷惑行為なのだ。
そして迷惑行為をする奴ならば、被害者の立場で、相手が同じ立場で舞台を楽しもうとしているという事情など一切汲む必要なく、”正義の鉄槌”を振りかざして悪を退治できるのだ。
その舞台は、もうそれ以降まともに集中して見ることが出来なかった。
なんか俺悪いことしたのか?くそー、ふざけやがって、折角楽しく見ていたのに、今度なんか言われたら反論してやる、とか舞台の内容とは一切関係ない思いが頭の中を駆けずり回り続け、舞台の内容に集中するどころではなかった。
舞台が終わった今になっても、言われた言葉がトラウマになって、思い出しただけでもイライライライラしてしまう(その気持ちがちょっとは落ち着くかなと思ってこの文章を書いてはいるのだが)。
「舞台の現場では、背が高いこと、座高が高いことはそれだけで迷惑行為である。」
ということに。
背が低ければ座席間隔が狭くても前のめりになることはない。
背が低い、または後ろの人の背が高ければ、全く同じ姿勢で見ていても、変な姿勢で見ないでくれと後ろから”正義”の鉄槌を振り下ろされることはない。
背が高くて、後ろの人を見えづらくしてしまえば、劇場の規則に何ら違反はしていなくても、それは舞台の現場では迷惑行為なのだ。
これは長く声優現場に通っていた自分にはかなりショックだった。
声優さんのライブやトーク等のイベントでも、当然座席の構造や前の人の身長によって、ステージが全く見えないまたは見えづらくなることはある。
私は身長は高い方ではあるが、それでも突出して高いわけではないので、前に背が同じくらいの人がいてステージが見えづらくなったなんてことはしょっちゅうある。
それでも前の人にしゃがめと言ったことなんてないし、私に限らず、背が高くて見えないからと言って前の人をどかそうとした人なんて声優現場では見たことがない。
当たり前であり、前の人は自分と同じ立場で、抽選の結果その席を獲得しており、その人の身長には何の罪もなく、そのようなことをする資格は誰にもないからだ。
しかし、舞台の現場では、見えづらくしさえすればそれは迷惑行為として排除することが出来てしまうのだ。
ただ単にゆったりと座ってじっくりと見ているだけでも。
高輝度のペンライトを使ったり、曲の良い所でイエッタイガーと叫んだり、曲と関係なく声を出したり、周りにぶつかるのを気にせずに手足を動かしたり、オルスタで前の人間を無理やりはがして前に行ったり、ステージにペンライトを投げたり、等々。
これらのどれが真に迷惑行為であるかどうかとかはどうでもいい。
言いたいことは、これらの行為は、それを行っているものが自らの意思に従って行っていることであり、それがゆえにその人自身の意思でやめることが出来るということだ。
でも、背が高いことをやめるなんてのは不可能だ。
背が高いから、後ろの人に邪魔にならないように沈んで見ろというのも、2時間という観劇の間続けるのは困難であり、そもそも同じお金を払っている同じ立場の客として、背が高いということだけでそのような不利を強いられる謂れはない。
ただ、べき論とか筋論してはそうであると思うが、実際の舞台の現場では、背が高いことを迷惑行為としてぶったたいても問題ないという状況になっているのだろう。
3回目のようなことを言われたのはその1回だけであるが、前のめりに関する怨嗟の声を見るにつけ、それを行った女性が少数派とはとても思えない。
少なくとも舞台の現場では一定数いる可能性が高いと認識しておく必要があるんだと思う。
舞台にはまるきっかけとなった1月の舞台の続編が、恐らく来年あり、それは絶対に見に行きたい。
その他にも、コロナのせいで今年できなかった舞台が来年いくつか予定されており、それらも見に行きたいなと考えている。
でも、正直上に書いた経験により、私の心の中には舞台の現場は怖いという認識が出来てしまっている。
私の身長が来年縮むことはないので、私が舞台を見に行けば、それだけでステージにペンライトを投げたり、周りの人を押しのけたりという迷惑行為をしているということにされてしまう。
今まで2~300回は行った声優現場で、迷惑行為いやだな~と思うことはあっても、自分自身が迷惑行為の当事者となることは全くなかったのに、舞台の現場では、見に行っただけで、迷惑行為野郎とされてしまう。
本当それを考えるだけでも憂鬱だし、今度後ろからなんか言われたら言い返してやろうか?、とか舞台の内容とは全く関係ないことを頭の中で考えてしまっていること自体が嫌だ。
最近婚活アプリ・マッチングアプリというものをはじめた。恋活ではなく婚活系のアプリ。
俺は今年30になる普通の男性サラリーマンだが、今まで仕事に打ち込んできた。
仕事ばかりだったのと、男性比率が極端に高い職場なので出会いはなかった。
流石にやばい、というか結婚して子供欲しいと思い、婚活をすることにしたんだが・・・。
アプリを使っていたり活動していたりする年齢層的に仕方ないのかもしれないが、売れ残りのヤバいやつしか検索に引っかからないし、申請してくるのもそいつら。
もちろんたまに良さげな人もいるが、ごくわずか。おそらくPairsだとかの上位層と同じ状況になっているだろうから、よほどの超ハイスペックな男性でないとマッチングしないと思う。
とにかく女性側の会員がやばすぎる。
例を挙げるとこんな感じだ。
お前ら今まで何してたんだ?
まあ申し込むのはただだから本人たちは良いんだろうけど、全員釣り合ってないんだよね。身の程を弁えてほしい。
子供欲しいならなんで20代後半、30代前半で結婚しておかないの?出産リスク分かってる?男は馬鹿じゃないのでその辺すごく見てるけど。
実家暮らしで金かからない点は良いと思うけど、金遣いが荒いの見えてるんだよなあ。
旅行とか観劇とかライブとかゴルフとか。これらがプロフに書いてあったら必ずしもNGだとは言わないけど、かなり金は使っているはずなので危険に見える。年に100万以上海外旅行に使ってる女とか、観劇(これは実はジャニヲタだったり宝塚ヲタだったりする)に100万以上使ってる女とか、嫌だよね。趣味が旅行しか書いてなくて頻繁に行っているとか、ヤバすぎる。他に趣味作った方がいい。もっと(結婚目線で)健全な趣味作ってプロフに書いてくれ。
あくまでプロフ見たりしただけで内面が分かっていないので、魔窟と言うには早いのでは?と思うかもしれないが・・・
マッチングしてもメッセージのやり取りをしない、続かない、返事が来ても遅いことがなんと多いことか・・。
お前ら人付き合い舐めてんの?
婚活アプリに限らないが、女性は特に返事が遅い。優柔不断いいかげんにしてほしい。複数の男抱えてるならとっとと決めろって感じ。
基本的に受け身の女性が多い点も気になる。俺はあなたの申し込みを承諾したのだからあなたからメッセージがあっても良いのでは?とよく思うが大抵はメッセージを送ってこない。
どこのサービスかは言わないけど、はっきり言って売れ残りのヤバいやつしかいないので、魔窟と言っても大袈裟じゃない。
さて、どうしたものか。
頭が良いとか、年収が高いとか、身の程を弁えているとか、気立てが良いとか、そもそも若いとか、ハイスペックな女性はどこにいるんでしょうかね。
これは『文豪とアルケミスト』(以下文アル)(「文アルって何?」という人の為に細かに説明するほどの気力はありません。すみません)というゲームのユーザーが、その2.5次元舞台(以下文劇)に深く絶望し、ゲーム共々辞めるに至った話です。
この日記は上記舞台のネタバレを含んでおり、内容もネガティブなものしか無いので、未観劇の人は読まない事をお勧めします。
文豪とアルケミストの原作のゲームが好きで、1と2を観劇し、とても素晴らしい舞台だと思い、今回の第三弾もチケットを購入しました。
京都劇場での初演のチケットをあらかじめ購入し、東京の初日公演をインターネット配信で観劇しました。
その内容の酷さに、京都公演は観に行きませんでした。
役者さん達の演技は今回もクオリティが高く、作品に真摯に向き合われている姿勢が見えてとても素晴らしかったです。
文豪達が為す術もなく殺されていくストーリー。文学が、思想が大勢主義に潰されて、個が殺されていく世界。
それはきっと自分達の文学を守る為に戦う文豪達が立ち向かうからこそ意義があると、創作をする全ての創作者達の強い想いというものを表現する意味を込めて作られた話なのだろうな、と思いました。
しかし、それは本当に実在する文豪達を元にしたキャラクター達を悪戯に殺してまでやり通す話でしたか?
私は原作の文豪とアルケミストというゲームがとても好きでした。
元々キャラクターデザインや世界観、声優さんが好きで始めたゲームでしたが、自分がアルケミストの司書であるという立ち位置もとても好きでした。
第一回公演の余計者の哀歌では、自分がいつもプレイしているゲームの世界の中に実際に飛び込んだような没入感、自分がゲームのプレイヤーである事がとても嬉しく、誇らしくも思えるような素晴らしい脚本だったと思います。
今回の公演ではそれが覆され、否定された気分になりました。
悪役であったアルケミスト・館長の背景も詳しく語られないまま、アルケミストが悪であると、アルケミストと文豪が戦い、敗北させられる所を見せつけられ、没した後の文豪は転生し、余計者の哀歌と異端者の円舞の世界線に繋がるという展開は、希望である描写だったのでしょうが、私にはそれが絶望を乗り越えて立ち向かう文豪達の物語にはどうしても見えませんでした。
文豪達が死ぬ描写も、ゲーム内の「絶筆」という描写も使われず、ただただ「没」という悪趣味な垂れ幕の演出。
文豪達が時に排除され、転生し、苦しみながら戦い続ける事が文豪達の運命であると公式が言うのであれば、それはあまりにも文豪達を愛していたいちユーザーとしてはとてもついて行ける内容ではありませんでした。
愛おしく、大好きなキャラクターの文豪達が悪戯に殺され、身勝手なエンタメの「駒」として使われているようにしか思えませんでした。
史実があり、実在した文豪をモデルにしたキャラクターを作品の中でも殺して、神にでもなったつもりなのかと思いました。
コロナ禍で世界中が大変で、気分が沈んでいるこの時期だからこそ、私はもっと違う形での希望の物語を観たかった。
余計者ノ哀歌や異端者ノ円舞のような、問題がキチンと作品内で完結される、大団円を観たかった。
今回の作品が、前回、前々回の作品へ繋がる前日譚と言うのであれば、それは前回、前々回の作品に対して泥を塗るようなものだと思いました。
それほどに今回の脚本はあまりにも稚拙で、言葉足らずだと思ったのです。
脚本を担当されているなるせゆうせいさんの2.5次元舞台の脚本がとても好きだったので、なるせさんに何かあったのではないかと心配する程です。
舞台装置や役者さん方の事は本当に素晴らしいと思っているので、今後のより良いご活躍を心よりお祈りする所ですし、第四弾があるのであればそれは喜ばしい事だと思いますが、私は二度と観に行きません。
そもそも、原作のゲームも、近年剽窃問題やクリエイターさんの作品をパクった上で公式からの謝罪も無し、終いには「デザインを頂戴しました」と書いてしまうような杜撰を超える対応をしていたのがずっと心に引っかかっていたのを、「でもキャラクター好きなのに変わりないしな」「でも舞台は最高だもんな」で自分を誤魔化し誤魔化し楽しんでいたのですが、今回の舞台で「あーこの製作陣は実在した文豪をモデルにしているにも関わらずそのキャラクターを自分達のエンタメ()の都合で悪戯に殺すような人達なんだな」と感じ、その物語の内容に対してTwitterの文アル経由で繋がったフォロワーが「地獄だった!」「最高!」「感謝感謝圧倒的感謝!」と言っているような意見しか見ないのも違和感を感じてしまい、自分と文豪とアルケミストというコンテンツ、そのユーザーとしての相違が大きくなってしまったと思い、離れるに至ったのです。
「周りの人たちが楽しんでいる中、楽しめなかった自分に拗ねているだけ」と言われたら、そうなのかもしれない。
自分の無意識下ではずっと辞める理由を、決定打を探していたのかもしれない。
でも、私が文アルに感じた違和感は嘘ではないし、これもとある一ユーザーの意見だと思って貰えたら嬉しい。
世界観、キャラクター、自分がアルケミストという立ち位置の設定が本当に好きでした。
キャラクターは今でも好きです。
けれど、公式が「これが公式の答えです!!」と言って地獄()を出してくるのなら、私はもうそれを飲み込めない。
文豪という存在を通じて、自分に新しい世界や繋がりを作ってくれた文アルには本当に感謝しています。
なんとなく急に自分にはほんとの友どちとか居ないし、なんなら嫌われてる気がする時がある
周期的に来るこの感覚、過ぎ去るとなんだよ自分の勝手な思い込みじゃんって思うんだけど、そのゾーンの時は本当にそうとしか思えなくて悲しい
・いつも誘ったり連絡するのはだいたい自分からで相手から誘ってもらえない
・寂しくて自分から連絡した時、返事が遅いとものすごく不安になっちゃう
・誘ったのにスルーされると遠回しに断られてるんだなって思っちゃう
・だから自分の声かける頻度が多過ぎるのかな〜距離感ミスったかもってこわい
すごく人見知りで警戒心も強くて心開けないんだけど、一回この人は大丈夫かも!ってゲート通ると勝手に距離近く思っちゃうんだよな
自意識が強過ぎるのかな
うーん今までの趣味が1人観劇とか一人でコンサート見に行くとかで、コロナでできてないからかも
なんかこういう時恋人っていうかパートナーとかがいて、信頼関係っていうか繋がりを感じられたら安心するのかな?いやべつに彼氏はいらねぇわ
もう素直に寂しい!って言えばいいのかな〜
なんとなく急に自分にはほんとの友どちとか居ないし、なんなら嫌われてる気がする時がある
周期的に来るこの感覚、過ぎ去るとなんだよ自分の勝手な思い込みじゃんって思うんだけど、そのゾーンの時は本当にそうとしか思えなくて悲しい
・いつも誘ったり連絡するのはだいたい自分からで相手から誘ってもらえない
・寂しくて自分から連絡した時、返事が遅いとものすごく不安になっちゃう
・誘ったのにスルーされると遠回しに断られてるんだなって思っちゃう
・だから自分の声かける頻度が多過ぎるのかな〜距離感ミスったかもってこわい
すごく人見知りで警戒心も強くて心開けないんだけど、一回この人は大丈夫かも!ってゲート通ると勝手に距離近く思っちゃうんだよな
自意識が強過ぎるのかな
うーん今までの趣味が1人観劇とか一人でコンサート見に行くとかで、コロナでできてないからかも
なんかこういう時恋人っていうかパートナーとかがいて、信頼関係っていうか繋がりを感じられたら安心するのかな?いやべつに彼氏はいらねぇわ
もう素直に寂しい!って言えばいいのかな〜
全席指定のチケットを発売日に買ったんだよ。ネットで座席指定できるタイプのやつ。
それなのに発券期日を過ぎちゃって無効にさせてしまった。コンビニの発券が23:59しめきりで、0時過ぎに気がついた。
今もう一度買えば自分の予約してた席が出てくるかなって思ってやってみたんだけど、待てども待てども出ないからさ。
ああもうこれは自分が悪い、取り直すしかない… と思って泣く泣く後ろの席を取り直したの。
ちょっと席を諦めきれず、今朝もう一回見たら、なんと発売日当日より多いいくつかのいい席が!どういうこと!
一桁席真ん中のチケット買うことができた。
自分みたいに入金しなかった分が浮いたのかな〜。今回は速攻で発券してきた。
発売日よりちょっとあけた日の方がいい席取れるなんて不思議だなー。どこのシステムもそうなのかな?
ただ、泣く泣くとった後ろの席をまた宙に浮かせることになり罪悪感なんだけど…これ劇場にいったらキャンセルしてくれるもんなのかな??
ほっといていいんだろうか?まぁでもまだもう少し完売はしなさそう