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2021-02-24

ネットサービスあいつ今何してる?(90年代蛇足編)

前のつぶやきが予想外に見てもらえたので、続編をやってみる。

まぁ、大概こういうのはコケるんだけど、自己満足のアレで。

何か、コメント90年代も語ってほしいなんて無茶要求があったので、

中途半端インターネット老人らしく早く目が覚めてしまい、今日が平日で数時間後に勤務と分かりつつ無理に書いてみる。

前のつぶやきでは分かりやすさのため自身属性2000年代高校生と称していた。

正しくは2000年代高専生であった。

呪術廻戦で多少有名になった感があるが、バトルはしない理系変態が行くアレなところと思ってもらえば差し支えない。

そういう経歴なので、90年代ネットというのは余り知らない。

Windows95パソコン時代の潮流を眺め、Windows98時代ネットとともにJOINした程度にしか知らない。

親父がオタクだったせいもあり、5インチフロッピーのPC98のゲームかには触れていたものの、ネットへの邂逅は98年前後位だ。

とは言え、3.5インチフロッピーからRPGツクールを遊び、宝箱のフラグ制御による実現については学んでいた自負のある中途半端なガキではあった。

なんで、自宅はテレホタイムでのWindows学校ではFreeBSD、寮ではVineLinexでインターネット接続していた。

そのレベルなので、あまりこの時代インターネッツは知らない。

知らないけど、知らないなりに触れて覚えているそれを記したうえで、諸先輩方にご教示頂ければあと3日で到達できる週末のggりライフ捗るというもの

なんてスケベ心で、知っている限りで書いてみる。

そうやって浅薄知識を挙げることで情報収集できるってツーチャンネルで学んだんだ、僕は詳しいんだ。


芋くさいHP⇒洗練されたHPSNSとかかな:

それこそ、インターネットHPホームページ)というノリだった。

ただ、個人の糞つまらない趣味を載せたページや、形だけの企業サイトなど、

インターネットって何が楽しいの?って感じだった。

目がチカチカする効果や、嫌がらせMidi音源文字無駄な移動、キリバンとかそれしかないのという楽しみ…

と、そこで展開される日記とやらもまぁ面白くはなかった。

同じく、当時の論調を見れば「こんなつまらないものを見るのにお金をかける人なんていないよ。普及しないね!」なんてのもあって

なんかすごいらしいけどつまらないなぁ、なんて思っていた。

それが今やテレビより接するメディアになるなんて思ってはいなかった。



窓の杜Vector窓の杜Vector

今やブラウザでほぼ完結する世界Windowsだけど、昔はツールがなければただのチラシの裏代わりのメモ帳だった。

なんで、いろいろしたいときにはこれらのサイト巡回して「Toolスゲー」って感じで入れて飽きてアンインストールのローテーションだった。

この時期はストレージが数百メガメモリが数十メガゴミみたいな時代なので、Tool入れ放題なんてそんな優しい時代ではなかった。

それこそ十年以上前にこれはからブラウザですべて完結するってgooglechromeを出したとき

「ご冗談をw」って思っていたけど正にそうなっていて、googleノストラダムス力に西野プペルカナ以上に震える限り。

とは言え、かゆいところはtool必要なのでこれらのサイト需要は低くなったけど今も必要だよね。

今は会社ネットワークからは使えないけど。。。


検索という未知の沼⇒ggrks:

当時の検索と言うと、自分認識的には鉄板Yahoo!ロボットが広くあまねくのgooという認識だった。

初めはYahooで当たり障りのないページを探しつつ、goo(同名ドメインエロサイトはまぁ別途)から派生し、

InfoseekAltaVistaなど、よく知らない世界への入り口を紹介してくれるロボット検索エンジンにたどり着いた。

この時は、google?ゴーグル?なんて感じで90年代の後半に出てくるくらいで知りもしなかった。

それこそ、2chトップかどっかにgoogle検索窓があって、それで知った位な感じ。


アングラHP漫画村とかそんな感じ:

検索で色々未知の探求をしていくうちにたどり着いたのは、図書館ネット放課後はつなぎだしたのはいわゆるアングラだった。

街の灯、日本海溝メリーゴーランド等、まぁワードで分かる人は分かるアレですね。

眺めつつ、アレしつつ、うわースゲー、ここは別世界だ!なんて図書館テレホタイムに興奮していた。

ニュースになるのは2000年のだけど、ファミコン決死隊とか労務課の倉庫とかそいう感じのアレで逮捕される人が出てきて現実だと改めて認識した。

そういうのはいつか消えるかと思えば、まだ形を変えて主に中華系で生きている。

法や制度が整備されても、人の欲望の忠実さを表すこれらは人間らしい。



OutlookメールHotmailgmail

コミュ障ボッチだったので、Outlookメールの発する妙なメール着信音にいちいち狂喜乱舞していた。

あの頃なので、スパムなんてなくて知り合いとかのメールで喜んで長文返信してそこで途絶えるなんてのをしていて、学ばないなと改めて思う。

とは言えそういう、一人一つと思っていたメールWebメールとして取得できるHotmailはその存在を知り喜んで取得した。

が、まぁ上述の状況から取得しただけで終わった。

この後、フリーメールは各種ドメインで乱立するんだけど、今はgmail収束した感がある。


FreeBSDFreeBSDLinux系列

これはネットというか、管理者思想の甘さというか。

ディレクトリパスは学籍番号で切られていた。

なんて、過去の先輩の学籍番号を特定してアクセス出来て、そこからレポートをパクッて提出が出来ていた。

ただ、これが後にバレて不可を教員から受けるというドラマがあり、そのぐぬぬを何とか乗り切ったのはまた別の話。

FreeBSD自体は今も生きてはいるけど、Linux系列の方が多いのかな、少なくとも仕事の上では見ない。


なんて思うけど、自分自身90年代ネットへの関わりがうっすいので、

このあたりのあれやこれやを知っている人が教えてくれると嬉しい。

2021-02-12

森 喜朗に寄り添ってみる

以下はWikipediaコピペが大半である

森の年表

1937年生まれる。

小学1年生の1944年に、母が亡くなる。

小学2年生の1945年に、第二次世界大戦終結する。

中学1年生の1950年に、北朝鮮韓国朝鮮戦争を起こす。

高校1年生の1953年に、冷蔵庫洗濯機トースターなどがようやく登場する。

高校2年生の1954年に、ゴジラ映画一作目が上映される。

21歳の1958年に、東京タワーが完成する。

27歳の1964年に、東京オリンピックが開催される。

32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙立候補する。

以下はWikipediaから引用である

選挙直前一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。

らしい。時代である

40歳1977年に、内閣官房副長官就任する。

46歳の1983年に、文部大臣となる。

51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。

57歳の1994年に、日本標準的な定年が60歳となる。

58歳の1995年に、テレホーダイが始まる。

61歳の1998年に、Windows98誕生する。

63歳の2000年に、当時の小渕首相脳梗塞で倒れる。その3日後に第一森内閣発足。日本国の長となる。

以下は、Wikipediaから引用である

前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという

64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。

2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。

69歳の2006年に、Twitter誕生する。

73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。

75歳の2012年に、議員引退する。

76歳の2013年に、アルゼンチンブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。

77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長就任する。

82歳の2019年に、#KuTooが誕生する。

84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。

寄り添ってみる

森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である

森が小学2年生のとき第二次世界大戦終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。

そのような教育を通して、森は育ったのだ。

日本インターネット誕生し、私達がWindows98テレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。

森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来性格とみるか?育った時代教育環境も影響しているはずだろう。

私達の感覚では、「時代に合わせて感覚アップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。

特別に森がというより、一般論としての森の世代であるTwitter誕生たころには70手前の世代である

自分母親父親職場上司に「感覚アップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代人間である学生時代戦後経験した世代である

PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代人間は、感覚アップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚アップデートすればいいのかわからないのではないのか。

この世代人達は恐れているのではないか自分の古くさった感覚アップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか

哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である

森内閣時代、私は中学生であった。胡散臭い爺という印象であった。私と同世代で森が好きなやつは少ないのではないか

しかしこうして年表を並べてみたら、お疲れ様でしたとしか言いようがない。

2021-02-11

続々:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

匿名自分ログを世の中に浮遊させ、そして拾って頂けるのは楽しかったです。

長く続けるとバカなので何処かで絶対にボロが出る。なのに書きたくなってしまった。

投稿です。きちんと上がらなかったように見えたので、消してしまって、もうええかと思ってしまったのだけど、

たかったというコメントを見て、少し修正して上げることにしました。こんな駄文ありがとう

45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210130001953

続:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210131035752

これらの続きです。

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前回のエントリでずっと4GBのメモリとともに作業していたと書いたが4GB以下が正しい。

最初現場は128MBだった。あと、盾を鉾と書いていた。この誤字脱字と誤用の多さで私のプログラマとしての質の低さもなんとなく察して頂けるだろう。

結婚した話◯

何故か結婚の話が書かれていないという書き込みが幾つかあったので結婚の話から

30歳を越えてから趣味が充実していた事もあって周囲には煩く言われるものの、結婚を考える事はあまりなかったし、結婚分岐に入ることが必ずしも幸福につながる選択肢とは限らないと考えていた。

この考えは今も変わらないが私は運良く幸福につながるほうへ入ったようだ。すまんな。

何せ30歳を越えてからは同じ趣味おっさんの友人たちと焼き鳥屋であーだこーだいいながら企画を練り、イベントを立てたりするのが楽しくて仕方がなかった。

20代があまりにも労働をしすぎた。22歳から28歳までの6年間、年俸制なので一円残業代が出ないのに月300時間勤務を2年半はやったと思う。最初のうちはISDN接続テレホタイムでのネトゲ自分ゴールデンタイムであり、息抜き時間だった。

時代が今なら渋谷凛か風野灯織に貢いでいたことだろう。長い労働時間人生搾取だ。

嫁は異業種の人で、友人のボカロPファンだった。彼のライブに通ううちに顔なじみになり、少しだけ会話をするようになった。

ある時行ったライブが月曜夜の開催ということもあって若い人が多く、ライブハウスの中でスーツを着た客が私と嫁しか居なかったので思い切って「今日スーツ、我々だけですね」と話しかけ、そこから色々な話をしたのを覚えている。いやらしい。

ボカロPライブでの出会い、つまり私が結婚出来たのは初音ミクさんのおかげだ。

30歳になったあたりからようやくIT業界に過残業を何とかしようという機運がやってきた事、そして定時で上がる精神的な胆力がついた事で音楽を作る時間精神的な余裕が出来、人との交流が生まれライブに行く機会が出来たから私のような人間でも結婚出来たのかもしれない。しらんけど。

国勢調査によると35歳を過ぎてから結婚した男性は約3%らしい。私は一生分の運をこれで使った。(正しくは6.8%だと何処かの教授が言っていたが)

自分が居た現場の雑感だと、同じシステム開発現場でも大手SI大手SI子会社のほうが結婚している人が多かったように思う。多重派遣はやはり収入面で結婚に対してネガティブ意見を聞くことも少なくは無かった。

若い頃は親にも親戚にも「そろそろ結婚も考えないといけないだろうから派遣社員辞めないとね」と言われたことを思い出した。SES増田は一度は言われたことがあるだろう。

世間一般的には技術職というイメージよりも派遣社員というメージが強く、収入面も相まって世の中の反応厳しい。

一般派遣請負資本金

普通一般派遣請負派遣の人が混在している現場が多いと思うが、前者は1人でも派遣が出来、上位会社現場リーダーが直接指示をすることが出来るので最近はその方が多いように思う。

ところが、一般派遣会社として登録するには資本金が多くないとダメで、派遣法が改正されたあたりで資本金が少ない会社請負の道を選ぶしかない。

そうすると複数人現場に行き、自社のリーダー仕事の指示をされる形になる。ただ、コレは守られていない現場が多い。

さらに、大手大手子会社取引を直接行うのにも資本金の大きさ・設立してから何年等の条件があったりもする。

資本が少ない会社資本金の多い「別な会社を迂回して」契約する。そこに多重派遣ができる仕組みの1つがある。上位請負営業が◯◯社経由しろという場合利権癒着場合もあるのだろう。

勿論お願いしやす会社という場合もあると思うが。

新人教育を受けれなかった話◯

新人の時、パワハラ教育担当に私が毎日何度も怒鳴られているのが流石にプロジェクト内で目に余るようになったらしく、私はドキュメント整理という新たな仕事を貰う事になる。

炎上プロジェクトの為、全く作られて無かったクラス図をソースからRational Roseで自動生成し、体裁を整えて他の設計書も含め印刷をした。同じものを2部作るのだが、何故か同一性保持という理由で一部はコピー制作。分厚いバインダーに綴じた。

印刷コピーで休憩もせず毎日終電生活をしていた時、PMに「広島の二番バッターみたいだなおまえ」と言われたのを覚えている。コツコツやるけど面白みがない人間だと言われたのだ。

要領の悪い私に休憩のタイミングなんて解らなかった。ましてやパワハラマンに使えないと毎日散々どやされ続けた後なので尚更である

その経験から私は同じプロジェクトに居る若手に「そろそろ1回休んだら?」「いつまで働いているの?増田がそろそろ帰れって言ったって言ってもいいよ」となるべく声をかけるようにしていた。モテそう(モテなかった)

この時、たまたま席が空いているという理由で隣に座っていた方が、のちに難易度が高い事で有名な銀行統合現場の某SIトップになっていた。プロジェクト雰囲気は良くなかったが、いつもにこやかで私のような末端にも優しかったのを覚えている。出来る人は余裕がある。

印刷業務が終わった後、入社してからずっとテストだけをやらされていた1年上の先輩のアベさんと、とうとうプログラム修行に出してもらえる事になった。

新規開発のプロジェクトであるプログラムも一杯書けてラッキーなのではと思っていたのだが、自社の人間はアベさんと私だけで、あとは上位会社PMと、更なる下請け構成されていた。

現場リーダー下請けの人で、この人が私とアベさんの教育係という事になった。

自社の営業初日に来て「この子よろしくね」とリーダーに伝えた所、「任せてください!」と良い返事をしていたが、自社営業が居なくなった翌日から面白いくらい態度が一変することになる。

何を聞いても露骨悪態をつき教えてくれず、技術的な質問も一切受け付けない。

流石にアベさんと自社の営業に伝えたのだが、翌日朝私のところにやってきて「チクったな」「自社の人間でも無いお前らに教える余裕はない」と言われてしまうだけで特に事態改善はされなかった。パワハラ上司の次はこれだ。駅のホームドア大事なので全駅に付けて欲しい。

救われたのはインターネットが使える現場だった事だ。とはいえ、なんせソースレビューも私とアベさんで互に行うので、技術的な進歩がまるで無い。

ある時、私が書いたプログラムメモリを使いすぎてフリーズするようになり、問題になってしまった。他にも技術的に問題のあるプログラムを書いてしまった事が続いたのと、リーダーに対してハッキリとモノを言うことも災いし、PM判断半年プロジェクトを出ることになってしまった。

2つ目の現場で早速クビを経験した。

もっとうまく立ち回る事も出来たように思う。しかし、若造人生経験値が足りなかった。

多重派遣の大きな問題として、現場ガチャにより環境が大きく変わるというのがあるだろう。2~3年も我慢すれば大抵の場合次の現場に行けるのかもしれないが、短い人生の2~3年は少ない数字ではない。

請負ではなく一般派遣扱いで来る技術者の中には新人なのに1人で派遣されてくる人も多い。そんなのは新人教育とは言えないと思うのだが、どこの会社募集要項にも新人教育バッチリと書いてある。

その「新人教育」とやらの実態というのは大抵の場合、外部で行われる初心者研修と、自社の営業が「この子よろしくね」と現場に伝える程度の事でしかない。

社会人としての新生活での不安技術的な不安、誰が教えてくれるのかも解らない不安、定時になっても誰も帰らない・帰って良いとも言われない、作ったもの品質不安、数多くの不安を抱えて過ごさなければならない。ちゃん相談出来る人も現場に居ないのである

技術的な所は勿論、精神的なケア必要な時期だと思うのだが、このような体験20代前半でしないといけないのはどうも無駄な苦労をしているようにしか私には思えない。

インターネットさえあれば、プログラムは書くことが出来る。

ただ、新人が伸びる為に必要なのは経験者によるソースレビューによる指摘」が必要不可欠だと私は思う。レビューを先輩・上司が行い、新人が書いたコード信頼性担保が出来ないと、余計なバグを生み、可読性・メンテナンス性も落ちるだろう。

なによりバグを出してリーダーPM顧客に「こいつ大丈夫か?」と思われるストレスの大きさと自信喪失感は長く忘れられない。

余談だが、最初教育担当パワハラ先輩とはその後別な現場で一緒になった。しかも彼は会社倒産後、上位請の会社転職していたので私に仕事を振る立場として現れたのだ。全く知らなかったので顔を見た時は「ヤバい現場に来た」と焦ったのだが、「あの時は俺の頭がどうかしていた。申し訳ない」とまず謝られてしまった。驚くほど柔和な性格になっていて棘が全て抜け落ちていた。その後一緒のプロジェクトの間はたまに昼飯を一緒に行くまでになった。

約1年一緒に働いたが一度もドヤられる事は無かった。許せるか許せないかは別として、パワハラをするほうにも何かしらの事情や背景があるのだなと一つ学んだ。

派遣会社の自社忘年会

社会人1年目の忘年会ゲイショーパブ観劇だった。そこでアベさんはダウンタウン浜田高校(全寮制男子校)の同級生というママに唇を「むちゅーーー!!」と音が聞こえるような熱烈な口づけをされ、人生ファーストキスを奪われていた。私は隣でただ震えるしかなかった。

二次会は無く、特に他の社員との交流も無く忘年会解散

知人もなく上京してきた為、他の社員交流する帰社日をそこそこ楽しみにしていた私は怒りのあまり社内報若気の至りで”ボロクソ”に書いた所、社長の目にとまり、翌年から忘年会幹事を任されることになってしまった。なにせショーパブ観劇社長要望だったのだ。

そして、普通居酒屋特に弾まない会話をして終了をする忘年会を2年繰り返した。

自社の忘年会を面倒に思うベテラン社員は多く、各現場電話で来てくださいねと念を押して来て貰ったのに参加者全然楽しそうではないのだ。

普段それぞれが別の現場に居る人なのでそれほど同僚感も無く、特に仲も良い訳でもないので会話が弾まないためだ。良かれと思って2時間飲み放題にしたが、本当に盛り上がらない。

「なるほど、これで会話をしなくて良いイベント(且つ社長趣味)がブッキングされたのか・・・」と理解した。

その経験があり、”自社”に缶ビール等の各種アルコールノンアルコール飲料テイクアウト料理を用意し、16時開始、17から随時帰りたい人は帰る。という方式に変えた所、立食(椅子も勿論ある)で仲の良い人の所に居て彼らとだけ話すことも出来るし、色々な人と交流することも可能になった。時間が短いために会話のネタに困ら無い事も功を奏し、思った以上に盛り上がる事が出来た。

子供が出来た今ようやく思うに至ったが、子育て世代も延長保育やパートナーにお願いすることもなく早めに帰れて良かったはず。殆ど17から続々と退社していたが、以前は無かった有志の二次会組もいくつかあったようだ。参加者にも総務部長にも「毎年これで良いね」と言われ、ほっとしたのを覚えている。

何が正解かは解らないが、業務時間内で終わる自社での短い時間立ち飲み椅子席あり)は好評だったので、幹事をやらされがちなSES増田は参考になれば良いなと思う。

理不尽アイデアにブチ切れる〇

基盤まわりの仕事をしていた時、あまりにもプロジェクトメモリ初期化漏れが頻発して問題となり、プロジェクトのお偉いさんが捻り出したアイデアが「”物理メモリ全部を定期的に端から終端まで0で埋める」というものだった。

そしてそれをどう実現するか?という会議に呼ばれたのだ。

指を使い「物理メモリを”端から””端まで”全部、プログラムが動かない時間に定期的に一回ゼロで埋めればいいじゃない?」との説明があった。

これは良いアイデアだとご満悦の上役と、違和感を覚えない他のベテラン参加者達。

「まず、仮にこれが実現出来たとして、サーバーが立ち上がった時点でOSやミドルメモリを利用していますが、どうしますか?OSもミドルも当然落ちます。」

メモリですが、皆さんが普段変数宣言mallocで受け取っているメモリの番地ですが、全て仮想メモリアドレスなのはご存知ですか?」

「我々のような庶民は直接物理メモリアドレスに仕組み上アクセス出来ません」

物理メモリアクセスするにはカーネルプログラミング必要になります

メモリにはユーザープログラミングで触れる事が出来る層と、カーネル層という仕切り、さら仮想メモリ物理メモリという仕切りがある為に、堅牢性を保持している云々」

ここまで伝えても皆ピンときていない。文章にすればまだ解るが所為オタク早口説明なので当然、私の話術にも大いに問題はある。

もしかして自分が間違っているのか?このままだと私がこの対応をやらされる羽目になる。

私は交渉事でうまく立ち回れる技を持っては居なかった。なので、最後の手段に出た。

「だからこんな方法は絶っっ対 実現できないんですよ!!!」と突然のブチギレ。いや、出来るのかもしれんけど。

一同ポカーン。突然のメガンテを使った私に皆パルプンテ状態になり、

増田がココまで言うのなら出来ないんだろう」という事になった。

MPHPと色々なものを失い、平和を保つことが出来た。

正直、高い技術必要ない汎用的なシステムの開発現場のなんてこんなものだ。AWSGitHubも触ったことのない私があえていおう。

最初エントリーに業務時間内に勉強させろと書いたが、目的が無ければおそらく時間があっても、「私は完全に仕事をしています」という顔をしながらvi青空文庫アマチュア小説を読んでいた時間の方が長かったのではないかと思う。

今であればダメ理由説明しますので、別途時間を頂けますか?くらいは言えるはず。若さである40歳位の頃の話だが。

次回、起業の話で終わろうと思います

2020-12-24

TeamsとかSlackでの仕事ってさ

TeamsとかSlackとかSkype使った仕事ってさ、よく考えたら、

ワイらが22~3年前に、テレホタイムになるとネットつないで、

ICQとかIRCマルチチャットしつつ、T-Cup掲示板情報交換しつつ、たまに音声通話しつつ、

ゲームを進めてたのと同じじゃないかとオモタ

当時はまさかこれが未来のみんなの働き方になるとは全く思わんかったゾ

2020-11-28

ギガ通信制からテレホマンみたいなAA出来るかと思ったけどもうAA文化じゃないんだな

2020-10-18

DuckDuckGoってやっぱり性能低いよね

Google情報抜かれるからってことで一時期流行たか半年ぐらい使ってたんだけど性能低すぎるからGoogleメインに戻した。

かにGoogleSEOをハックされてしまってトップ5件ぐらい検索汚染なのは事実なんだが……そのあとは結構質がいいんだよ。

対してDuckDuckGoって全部しょっぱいんだよ。

Google最初3つ0点でそれ以降が90点だとすると、DuckDuckGoは全部50点ぐらい。

しかDuckDuckGo検索件数がすげー少ない。

Googleが90~60点ぐらいの結果を100個ぐらい返す時に、DuckDuckGoは50点の10個で終わる。

あとGoogleによくあるかゆい所に手が届く結果みたいのがない。

かといって検索したとおりに出てきてるかと言われると微妙で、コイツ結局何をクロールしてどういう序列で並べてんのってが多すぎる。

テレホタイム時代Googleを知らずにYahooを使ってた頃のYahooと同じかそれ以下。

Googleが凄すぎるんだけど、大抵の検索エンジンってGoogleに対抗するために結構進化してるからDuckDuckGoほどにはひどくない。

DuckDuckGoは本当にただただ個人情報を抜かれないらしいってこと以外が酷すぎる。

これ使うのってよっぽど自意識過剰な人か、悪いことに手を染めようとしてるけど串通す知識もない人とかじゃないのかな?

2020-10-02

携帯電話が普及したのはテレホタイムパソコン通信する人が増えて家の電話が使えなくなったか

2020-09-25

今日なんかはてブ重くない?

表示までに4秒くらい真っ白表示される。テレホタイムかよ

2020-06-02

テレ帰宅

コロナ時代通勤はもはやリスクしかない

とはいえ現実に顔を合わさないと成り立たない職種があるのも事実 テレワークは全ての業界通用する万能薬ではないのだ

ここで発想の転換である

「家で過ごし、リモートで出社」ではなく、「職場で過ごし、リモート帰宅」というのはどうか?

自宅に業務はないのだから効率もクソもない テレ帰宅はなにも損なわないのである

バーチャルソファーに座ってバーチャルポテチを食べながらバーチャルテレビを見て、バーチャルベッドでバーチャル睡眠を取る 空間的制約から解放される分、リモート帰宅の方が豊かかもしれない

これからテレワーク時代ではない テレホームの時代だ!

2020-03-05

高校時代からの友人のエンジニアが亡くなった

ただただ寂しい。

パソコン通信時代テレホタイムを待ってはチャットしてたよなぁ、とか。高田馬場カラオケに行ったよなぁ、とか。

働くようになってからはだいぶ疎遠になったけど。何年かに一度はサシで飲みにいったり。

君が亡くなったのを知ってから、一週間?少しは衝撃もおさまったけど、ふとした際に寂しさがこみ上げるよ。大ちゃん、本当にありがとう。本当に。

2020-01-10

anond:20200110141343

windows95ブームからだよ、日本で発売したのは96年だけど

それまでの3.1やMacよりパソコンオタク以外でも扱いやすかったのでパソコンオタク以外にも広まった

PC本体価格も下がったしな(と言っても20万くらいしたけど)

その頃にネットプロバイダも増えてネット安価に繋げられるようになった、テレホタイムなんて言葉もあったもんだ

あと「パソコンが使える」と就職に有利って事で学生PC買って練習したりな

↑の「使える」ってのは精々ネットwordexcelが出来るって程度だけど

それでも履歴書に書けば有利になるって時代だった

趣味インターネット」がネット引きこもりやばい奴ではなく有用学生とみなされた時代

2019-06-01

かつてそこにはインターネットという楽園存在した

父はPC98の時代からパソコン通信をやっていた。通信中に動かすと回線が途切れるだかで、よく近くではしゃぎ回っては叱られていた記憶がある。

それからwindows95が出た。私が高校生の頃だ。父は相変わらずオタクだったから、地元ケーブルテレビ常時接続サービスを探し出して契約していた。ISDNの出回る前からネットが使い放題だったのはかなり贅沢な高校生だったと思う。

仲間はテレホマンが多かったので深夜から明け方まで毎日交流した。自然学校は寝る場所と化したがなんとか卒業させてもらった。

遊んでいた人達には大学生が多かった。研究室という場所から接続している人も多いらしかった。またプログラマー生業としている者もいた。当時よく一緒に同じゲームをしていた奴の一人は院で大層な論文を書き、今はグーグルに勤めていると聞いた。

もちろん中には普通OLなんかもいたが、今から思い返すと今ほどには普通の人はいなかったと思う。あの頃、インターネットにたどり着くだけでかなりのふるい落としがあった。PCも高価だったし、普通の人がなんとなくインターネットをやれることは少なかったように思う。

それから10年が経って、インターネットはかなり一般化したように思っていたが、今から振り返ればまだまだそんなことはなかった。多くの人はガラケーを通じてimodeという閉じた世界に隔絶されていたし、それが紛い物であることにも気付いていないようだった。

思えばインターネットがたしか存在していたといえるのは、このあたりまでかもしれない。我々は明らかに隔離されていて、その状況を好ましく心地良いものとして享受していた。

そしてスマートフォンが現れた。ジョブズの大発明は全てを変えた。ジオシティーズxreaを借りてhtmlを書き、自分の書いた文章世界に発信される感動を知ることもなく、普通の人がごく当たり前にツイッターインスタグラムを使うようになった。

もはや、ネットで通じ合うのはそこら辺ですれ違う普通の人たちだ。かつてあったインターネット消滅して、代わりに現実社会の写し鏡が出来上がった。

ネット空間で人々は毎日諍いを起こしている。口を開けば論争になる。承認欲求共感がより鋭い言葉を生み出す原動力となり、思想は狭量の免罪符に取って代わり、主義主張は単なるコミュニケーション手段に成り果てた。

ウェブ空間アフィリエイター占拠し、ブログビジネス大量生産されたゴミの山の大きさを競うゲームに変質した。SNSでは情報商材のようなマイルド詐欺が横行し、それをインフルエンサーが後押しする。

製品マーケティング付録に過ぎなくなり、人々のコンプレックスにはターゲティング広告容赦なく食い付く。今日もまた、データ至上主義起業家が全能感を振り撒いている記事が流れてくる。

集合知に感激し、Wikipedia感謝していた頃、インターネットにはすべてがあると思っていた。だが必要情報を得るコストは際限なく膨れ上がり、グーグルという神の掌の上にいる我々にはもう何が真実なのかを知る術もない。

インターネットに雷鳴を受け、人生を大きく揺さぶられたあの頃に若者だった人達に問いたい。あなたたちが夢見た世界はこんなものだったのかと。

しかすると梅田望夫さんはとてつもなく未来が見えていた人なのかもしれないと今更にして思う。

このインターネットに対する深い失望が、日本の困難な時期と重なってしまたことは本当に悲劇だ。分断と先鋭化を生み出すこの装置によって、我々は団結することを阻害されている。

この一、二年でインターネット有害ものであることはかなり認識されてきたと思う。でも、そこまでだ。問題存在がわかったところでこのひどい現実を変える方法は見つかりそうにもない。

日本がまだ保っている間に、人々はインターネットの正しい使い方を学び、この地獄から抜け出すことが出来るのだろうか。もう残された時間ほとんどない。

2019-03-26

anond:20190326122510

とにかく今(というか10年前と比べても)より遥かに人が多くて活気があったか

荒らしだか何だかからない状態だったね。

テレホタイム死語)になると数秒で次の書き込みがあるからスレもすぐ数千レスになって

負荷に耐えられず頻繁にログ吹っ飛んで全部消えるけど、その度にすぐ次のスレが建てられてまた数千…ってな世界だった。

掲示板」というより「巨大チャット状態

後の2chでも実況板はそんな感じだったけど、当時は同人板がそういう感じだった。

今みたいに板が細分化もしてなくて、同人関係同人板(同人コミケ板って名前だったけど)一つだけだったか

同人関係話題は全部それに集中してた。

男性向けスレもあったかもしれないけど覚えていない。女性率高すぎて全く目立たなかった)

ついでに同人にもオタクにも全く関係ないスレも多数建てられて

同人関係ないのはそれに適した板でやれよ」「ここが一番人多くて盛り上がるからいいじゃん」ってやり取りもよくあった。

ルール確立した後の2chなら板違いな方が速攻で追い出されたけど、当時はカオス状態なのでさほど板違いにも厳しくなかった)

その後最初期の流行が落ち着いたのか人が分散したのか同人から人が減り、

同人関係以外の人たち(男性多数含む)も2chに入ってきて他板も人が増えて同人板よりニュース系板の方が人口が多くなり、

2ch発の事件だのが起きて報道されて有名になって更に人が入ってきて、

気付いたら「2chは元々男のための場所だったのに女が後から入ってきた!」と言い出す男が多数存在してましたとさ、ってな状況になってた。

同人板ですら「コミケは元々男の為の場所だったのに以下略」というアホが出る始末だったなあ。

2018-04-08

anond:20180408153948

貧民はテレホ使ってたし。

それに右肩上がり経済残像残ってた頃だから将来や老後のことなんか考えないで趣味に金突っ込めた。

二十代でアパート暮らし会社員が数百万の車のローン組んだりしてた時代だぜ?

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