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2024-02-21

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「関鍛冶伝承館×花の慶次~関鍛冶と戦国日本刀展~」を見てまいりましたわ

関の刀匠様がジャンプ漫画花の慶次に出てくる朱塗りの槍と秀吉殺しの短刀再現したものが展示されていました

漫画的誇張表現プロが全力で立体化するところが面白いですわね

ヒデヨシキラーの重量1.5kgが参考の脇差し1.0kgに比べて思ったほど重くないと感じたのですが

おそらくヒデヨシキラーが分厚い代わりに短いせいですわ

なんと!関の孫六様や和泉守兼定様の刀剣常設展示されていましたわ

現代刀工作品では新型コロナウイルス撃滅祈念の刀や

奈良太郎藤原兼永様の刀身に和歌や平安の絵を細かく彫った狂気産物

印象に残りましたわ

眼鏡で絵を確認ですわ 参考でし:https://twitter.com/sekikaji/status/1207936976789204992

あと「別人孫六」(まこ六)様は関の孫六様と技量は互角らしいのに「孫六じゃない方」で覚えられていて気の毒ですの

たくさんお客さんがいらしてましたわ

近くのフェザーミュージアムでは髭博士とフェザーちゃん説明アニメをみて

二階でフランベルジュやヴァイキングソードを拝見してきましたわ

説明する高齢男性質問する若い女性ですわ

メスなどの人体を切る刃物に対して工夫が「面白い」というフェザーちゃん

じゃっかんブラックものを感じましたわ・・・

2024-01-09

平将門祟りを信じる=幽霊を信じる、なのかどうか

別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学説明の外にある現象……思念怨念呪い妖怪

死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか

祟りは信じていない。しか祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる

祟りは信じていない。しかし何か起きたとき祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる

幽霊非実在を完全には証明できない?

では龍であればどうか

「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか

タブーを侵さない=龍神(の実在)を信じる、なのかどうか

実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう

いや、これは本当に自信が無い

ルールから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし

シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう

これは例えば江戸時代明治時代史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかい記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話

「野暮と化け物は箱根から西」という江戸時代ことわざがある

箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎バカにする言い回し

これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか

それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか

また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回し存在する

この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……

南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい

そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ

こういう言い回しがある時点で当時既にお化け実在は信じられていなかったのでは?と感じる

でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ

お化け妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?

当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい

江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査

しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?

竜巻あたりも同じ話だ

明治時代錦絵竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある

貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室

その絵には

怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり

という文も添えられている

「これぞ謂る龍の昇ならん」というのはどう解釈したものか?

この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか

「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか

あるいは「あれこそ龍が昇天するとき現象だ」という文意なのか

「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文によると、

明治維新以後も、龍の実在を信じていた人が少なくなかったことがうかがわれる。

大正初期ごろまでに、龍はほぼ消滅したと考えられる。

との記述がある

「怪雲現る」が明治23年なので矛盾はしない……

妖怪の話は西洋だと妖精の話と近いように感じる

コティングリー妖精事件」についても調べるべきか……

ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に

なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。

というフレーズがあるようだ

テンペスト』の最古の上演記録は1611年11月1日

だいぶ古い!

やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで

ユニコーン聖書に登場するのが話を厄介にしているんだよな~

キリスト教知識が無いとよくわからない箇所が多くある

グリフィンなんかはこれより少し後の時代実在否定する人が出てきたようだ(しか実在から反論を受けている)

『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

グリフィン実在否定した作家トーマスブラウン反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。

グリフィン想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物存在するからであるアコスタスペインイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランス探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である

そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ

なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジー誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ

こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果

日記

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大鯰信仰について調べたが、今「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文について再考すべきかもしれない

明治時代の人が何にリアリティを感じていたか」という視点で串刺しにして考えをまとめることが出来るかもしれない

2022-12-10

anond:20221210125833

南冲尋定(なんちゅう えろさだ)とは、戦国時代初期、明応〜大永年間(15世紀末〜16世紀初期)に活動していた刀工である

2021-02-11

さら初恋よ、物語たちよ。

こちらへの投稿は初めてで、また自分は作文が得意ではなく、ただの(夢女子の)戯言といえばそうかもしれない。でも「王様の耳はロバの耳」の如く、吐き出して心を整理しなければ心が死んでしまうところだったので許してほしい。

自分とある刀剣ゲームが好きなアラサーであるゲームのものは元々ブラウザのものであるが、自分ゲーム歴はスマホ版が出てしばらくしてから始めたので4年半くらいだろうか。始めたきっかけは同じ県出身で好きなイラストレーターキャラクターデザインをしていたことだった。ただし当時は期間限定登場キャラクターだったため、始めた頃にはそのイベントは終了していて、それを知って崩れ落ちたのだが。

さて今年はゲーム開始6周年、そのゲーム存在は6年前の当時はちらっと知っていた程度ではあった。でもどうしても擬人化というのに対しては色物からと苦手意識があった。テレビで刀の展示が特集されて「会いに来たよ〜」とか言って映っている女子も苦手だった。だがこの辺りは同族嫌悪なのかもしれない。自分も元々漫画などが好きなオタクで、マスコットキーホルダーなど好きなものを鞄や携帯にジャラジャラ付けたい収集癖のあるオタクではあったのだが、人型イラストのないイメージグッズならともかく、ひと目でわかるキャラクターが描かれたグッズには抵抗があった。

そんな折、まだゲームも始めていない頃、地元本屋で刀の雑誌を見かけた。キャラクターが全面に押し出されたものではなく、有名な刀剣を扱った図鑑だった。今引っ張り出したらゲーム実装刀の名前が表紙にズラっと書いてあるし、発行年月日も2015年6月とあったかゲーム開始直後に出た本といえばそうなんでしょう、審神者(ゲームプレーヤー総称)を狙ったといえばそうかもしれない。その本で、運命出会いがあった。

それは表紙にも名前が載ってはいなかった。

でもピンナップとして取り上げられるくらい、綺麗な刀だった。

自分の生まれ月が名前に入る、名の響きも姿も、美しい刀だった。

また刀工も同じ県だというのもあって、気にならないわけがなかった。

1番美しいと評判なのは別の刀だけど、刀に興味を持つきっかけになったのは間違いなくこの刀だった。

その刀が先日、ついにゲーム実装されたのだ。

自分は、趣味の合う友人達TwitterグループDMでひたすらに騒いでいた。キャラクターデザインもまぁ悪くは無いなと思っていた。ひたすらやかましかったので申し訳なかったとは思う。

でも後にキャラクター紹介の文面を見てびっくりした。別の方がはてなブログに書いてらしたように「なぜそんな内容をピックアップした!?」とは思った。自分リアルにそのお刀と対面できたのは1、2年ほど前のたった1回、現在収蔵の美術館がある県の外に住んでいる関係もあって自分はろくに美術館周回もできてないので、その投稿者の方ほど熱狂的かというとそうでもないかもしれない。でも同じ美術館にある別の刀との回想など楽しみにしていたのもあって、実装後すぐには無かったので残念ではあった。そのあたり今後あったらええなとは思っている。

さてそのお刀であるが、つい先日、ミュージカル出演というのが明らかになった。ゲーム最近登場した、同じ刀工で別のお刀の姿もお披露目された。

周りがキャーキャー騒ぐ中、自分はというと……本当は、来ないでほしかった。

このようなゲーム発のミュージカル舞台はいわゆる2.5次元と言われ、最近ではTVにも出てくるようになって発展が目覚ましいといえる。こうしたものから名前が知られてテレビ番組にも出てくる俳優の方も増えつつあると思う。間違いなく見目も整ってるし、こうした俳優さんの活躍は嬉しい。

ミュージカルの方は先日5周年を迎え、記念のミュージカルが上演された。このコロナ禍の中、運営側感染対策をしっかりして、またライブビューイング配信など、ファンに向けたサービスをよくやってくださった。ただ残念なことに現地では、今回はいつもある客降りがなく、また来場者も声出しができずにペンライトを振ったり拍手のみだった。きっと皆さんもっと騒ぎたかたことだろう、愛を叫びたかたことだろう。

━━ただ申し訳ないのだが、おかげで自分は今回、安心して配信を視聴できたのである

書き方が悪く、性格悪いなという自覚はあるが、自分は客降りでのファンサービスファンの歓声が苦手だ。観劇の上で、自分以外の存在があるのが苦手なのかもしれない。ライブビューイング映画における応援上映なども行けず楽しめない、強火な同担拒否勢なのである。まぁひょっとしたら騒ぐのや人の目があるのが苦手と言うだけかもしれない、でもアーティストライブは平気だったりするので本当になんなんだ自分メンヘラなのか。

……まぁ刀剣絡みではないのだが、リアルでは自分推し(ただのシスコンなので申し訳ない)である妹が「実家彼氏を連れていく」とか言っていたのもあるので、正直荒れている。自分に浮いた話もない癖に年齢が年齢だけあって焦っているのかもしれない。ただ自分は、信頼していた既婚者大学OBと一緒に出かけたタイミングで突然キスされたのが原因で人間不信男性恐怖症になったので、もう普通恋愛はできないとは思っている。ごめんね、家族。ほんまはちゃん自分の子自分の愛すべきお刀を代々伝えてってほしいと思っていたが、結婚もできなさそうでまして子供なんてと思うので、自分が死んだら妹の家に相続してもらうとしようか。多分あっちの家の方が家柄もしっかりするだろうし、美術系好きな血筋ではあるから、しっかり守ってくれるさ。とりあえず自分が今後障害になりそうだったら、姿消すなりして迷惑かけないようにしようと思う。ま、生きてる限りはしっかり守り刀してもらうつもりですが。

もう行け、僕は少し泣く。

……話が逸れてしまった。救いといえば、どの作品でも「とある本丸」と明記していてくれることだろうか。よそはよそ、うちはうち。ましてただのゲームといえばそうなのだ、ただのフィクションなのだ。ならば自分の役目は、フィクションフィクションなりに、その物語ごと愛すことだろうか。自分は周りと同じように楽しめないかもしれないけれど、今後ますますの発展、お祈りいたします。

通勤イヤホンランダム再生近侍曲を聴いていることも多いのだが、同じ美術館所蔵の短刀の曲が流れると、やっぱりあの刀を思い出す。

きっかけを、ありがとう

初恋を、ありがとう

そして家族や周りの人達、縁たち、自分のお刀、全てに愛を。

長文乱文失礼しました。

この文章を読んでくださった、あなたにも愛を。

2021-01-26

史実厨と謗られて境遇改善するならば

私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。

その間に刀剣男士と関係なく推しができた。

その名を五月雨郷という。

五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家徳川美術館所蔵となった刀である郷義弘が作刀、江派打刀だ。

チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推し実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。

でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。

それでやってきたのは回想なし犬耳忍松尾芭蕉ファンだ。

公式の紹介文がこうである

越中国刀工郷義弘作の打刀景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。

行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21

松尾芭蕉が生きた時代五月雨郷は尾張徳川家にいた。

北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀江戸である

私は俳句に明るくない。必死松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。

中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり10以上残しているらしい。私が適当地元図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。

五月雨江との関係は?

忍どっから出てきた?

犬耳なんだ?

一番許せないのはここで引用された俳句である

『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

犬の尿に時雨である五月雨関係ないじゃん。

五月雨を使った句は素人適当図書館行くだけで10以上見つけられる。

集めて早しがダメなのは艦これいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?

※この俳句意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)

ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである

この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。

そして顕現セリフもまたひどい。

郷義弘が作刀、名物五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの

それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』

これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である

前の主の一人である徳川綱吉の話だろう。

犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。

だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。

公方蔑称である

義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑クズ男士になってしまうから

なお、多分八犬伝関係ないですごめんなさい。

五月雨江を不義理な刀にしないでくれ。

また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたこからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述確認できるものはない。由来は

五月雨の頃の極められた

五月雨のように美しい刃文

このどちらかとするのが現在の有力な説である

創作というか嘘をつくな。

もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良伊賀の間辺りなので本当に五月雨関係ないぞ。

さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である

歴史に興味のない人間がこのキャラを見て何を思うだろうか。

松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句関係する何かがあると思うだろうか?

何も関係ない。残念ながら一切史実関係ない。

刀剣乱舞ログイン画面には「この作品創作であり、史実等とは異なる場合がございますとある

から史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間史実厨と呼ばれ嫌われる。

史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である

行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。

閑話休題

五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまり史実からかけ離れている。

その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。

もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。

何故犬で忍者松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。

から、彼のことはキワモノ実装だなとしか言えない。

史実厨として言わせていただきたい。

からあるものを貶してまで創作しないでくれ。

五月雨郷という刀は犬のおしっこ関係なけりゃ元の主を犬公方バカにもしない。

男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣五月雨郷だ。

由来から来歴から在り方まで全てを作り替えるな。

全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいもの勝手創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。

いっそ関係のない刀だと明言しろ徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。

私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。

人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。

出来上がったものがトンチキキワモノ実装でなければ。

私が求めているのは、五月雨郷という実在刀剣名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである

何度も言われた。刀剣乱舞創作なんだから刀剣乱舞史実とは違うから私自身も何度も何度も創作から仕方ない、創作史実は違うのだから必死自分に言い聞かせた。

でも、やっぱり、許せないのだ。

刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近文化担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当キャラメイクキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。

伝統を残す前に、今あるものを守ってくれ。

今ある刀を蔑ろにしてまで実装するべきなのか?

今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称体現するものとして認識させるのどうかと思う。

創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。

私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である

キワモノからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀である認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。

五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?

信長秀吉家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?

もう一度言う。

私を史実以外許せない史実厨だと謗っていい。

から五月雨郷の本来の歩みを知ってくれ。

五月雨郷の美しさを知ってくれ。

五月雨郷の存在を間違えないでくれ。

五月雨郷は本当に美しい。

五月雨郷という刀剣は何であろうと汚すことはできない。

でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作免罪符ではない。

追記(2020/01/28)

Twitterを見た。

様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。

1.他の刀剣もだろ。

A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?

2.犬公方ってことしか綱吉のこと知らないのか?

生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。

3.犬の尿は汚くない

汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?

第一印象俳句意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。

犬の尿は汚い。人間との比較とかは無駄なのでしないけど。

4.江戸時代だって忍者はい

知ってるよ。でも今出した意見松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。

柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者伊賀町おこし壊すからやめてくれ。

5.五月雨郷・刀剣乱舞史実厨に悪い印象がついた

五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったとき松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。

あと史実厨って元から蔑称なのでいいも悪いも最初から悪い。

私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。

からこうやって匿名チラ裏に書いてるんだ。

6.とうらぶやめろ

やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから

ここ二年、他のキャラには最初から回想がついているのに五月雨江だけない事実を突きつけられて辛くなったから吐き出したんだ。

大体Twitter文句言われていた辺りかな。途中で探すのやめたからこれも書けとかあったらブコメか何かして。

2018-09-30

anond:20180930134615

外道

「俺は仏の教えから外れた道を行く者。名を外道坊。

俺にはお前の前世が見える。

お前の前世は15世紀越前国の南冲得定(なんちゅう えろさだ)という刀工だ。

刀工であった南冲は非常に勤勉であった為周りから禁欲的なイメージが付いて回っていた。

実際には性的なことに関心が人一倍強いことを親しい人には打ち明けていた。」

性的ビデオイラストに「なんちゅうエロさだ」と評するのは、これが由来とされている。」

映画外道坊」はオールインエンタテインメント作品です。

http://all-in-ent.com/ippan/1106/02.html

2015-08-22

擬人化汚染

艦これとか刀剣乱舞流行り、元ネタ情報が埋もれてしまっている。

例えば“虎徹”で検索すると、刀工虎徹のプロフィール横によくわからないキャラクター画像が表示される。

これが10年後になるとどうなるんだろう。CPUクーラー画像が表示されるようになるのかな。

 
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