2020-12-01

コロナだけど舞台見に行った

2月下旬、全公演のチケットを取るくらい楽しみにしていた舞台が半ばで公演中止になって、呆然としたまま突然の大千秋楽を迎えることになった。

3月友達が死んだ。東京から遠く離れた地元へは帰れなかった。小学校のころから一緒に趣味の絵を描いて遊んできた友達だった。

4月からこれまで、エンタメが消えた世界は本当に寂しかった。楽しみにしていたことが全部なくなってカレンダースカスカになった。これまで楽しくやってたはずの仕事全然楽しくなくなった。在宅勤務で昼間から家にいると時間が止まったような気がした。そのうち仕事ほとんどやらなくなって、毎日散歩して空ばっかり見てた。なんにもなかった。

ずっと寂しかった。ひとりはさみしい。実家飛行機距離で、仕事はフルリモートで同僚と顔を合わせることはなくなった。それが楽だという人もいると思うけれど、それが辛いと思う人もいて、自分後者だったという話だ。

劇場では一般的に十分と言われるであろう感染症対策をしてはいるけれど、伝染るときは伝染るんだろうなと思った。一週間の行動履歴観劇で埋まったし、まあまあのトンチキ感がある作品タイトルで、これい感染したら一時期の舞台クラスタみたいに晒し上げられたりめちゃくちゃアクティブな人みたいに叩かれそうだななんて思いながら、それでも劇場に通った。

だってエンタメ不要不急じゃないんだよ。

病気で死ななくても、心が先に死んでいく。心が死ぬのはとてもつらかった。病気でもなんでも、死んでも別にいいと思ってしまうくらい。友達が死んでから先に行かれてしまったなという思いがずっとあった。少し前にやっと手を合わせる機会をいただけて、なんとなく、残された側はそれでも生きていくしかないんだなと感じた。生きていかなきゃいけない、そう思っていても、からっぽのまま空を見上げていた時期、うっすらとした希死念慮はずっとすぐそばに漂っていた。楽しいことがないのに生きていくのはつらかった。

やっぱりこの人生には舞台必要だった。春からからっぽになってなんにもなかった心が一気に満たされて、楽しい、好き、幸せ、久しぶりにそういう気持ちがぶわっと溢れてきた。大事ものにやっと再会できて、ああ、自分には必要なんだって思った。

千秋楽を迎えた舞台の上で、大好きな子たちがひとりじゃないと歌ってくれたから、明日からも生きていこうと思った。

元気で、健康に生きていきたいと思った。また会いたいから。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん