はてなキーワード: 剽窃とは
まずもってあの吊し上げがかなり異様だったからな。
あの事件のときに、日本歴史学協会(色んな歴史系学会の寄り合いみたいなやつ)が「日本中世史を専攻する男性研究者による、ソーシャルメディア(SNS)を通じた、女性をはじめ、あらゆる社会的弱者に対する、長年の性差別・ハラスメント行為」を糾弾する声明文出してたんだけど、俺にはめちゃくちゃ異様に感じられた。
http://www.nichirekikyo.com/statement/statement20210402.html
日歴協の声明って、過去のを見ればわかるけど、「学術会議問題で政府を批判する」とか「建国記念の日に反対する」とか「貴重な遺跡を保全してくれ」とか「ロシアのウクライナ侵略に反対」とか、そういう、何といえばいいかわからんけど「大きな問題」に対する声明が多かったんだよね。賛否は別にして、こういった問題になら、学会の寄り合いがわざわざ声明を出すのもわかる。
http://www.nichirekikyo.com/statement/statement.html
でも、呉座への糾弾だけ、公人ではない個人に対する攻撃で、なんだか異様なんだよな。呉座のやったことが良いか悪いかといえばそりゃ悪いけど、日歴協に日本学術会議とか建国記念の日とかウクライナ戦争とかと並んで声明出されるレベルで悪かったか? って言われると、そこまででもねーだろ、バランス失してないか? って思うよ。万引き犯に向けて発砲してるみたいなやりすぎ感がある。
考えてみてほしいんだけど、たしかに呉座は知名度もあって、大河ドラマの監修に抜擢されたりしてたけど、たかがテニュアトラック助教やぞ? 終身雇用でも何でもない助教のやらかしで、歴史学界全体がこうも右往左往する必要があったのかね。直接の雇用者である日文研が右往左往したのはまあわかるけど、何であそこまでの蜂の巣をつつくような大騒ぎになったのかがまるでわからん。
ネット上で害悪垢を運営して、見ず知らずの他分野のテニュア持ち准教授を誹謗中傷してました、なんて、見聞きしてきた中ではもっとやべーやついるしな、程度の感じ。同じ分野の若手研究者に圧力かけて発表済みの論文を修正させようとしたり単著で剽窃やら出典捏造やらをやらかしたりした教授(ちなみに女性)はのうのうと逃げおおせて「あいつヤバいんだよね」と陰口叩かれながらも世間ではそこそこ名の知れた研究者として通ってるし、そういうの見てると呉座へのオーバーキルがますますわけわからなくなる。
パクリ:
Casual Scholar - The Shocking Truth About How Cuba Became Insanely Poor (23:05)
分数が伸びてるのは、ゆっくり解説が「ゆっくり」なのと「2人の掛け合い」になってるせいかな。
脚本ほぼ丸パクリの割に、映像関係はぱっと見た限りパクってるのはサムネくらいで、本編では丁寧に(!)CC画像を活用してたりする。
下記のコメントをしてみたら、速攻で削除されちゃった。(URLを含むせいで自動削除された可能性もある?)
叱咤激励をしたい。
明らかに立派な編集をして、そのままなら日本人にはほとんど伝わらない価値ある情報を日本人向けに提供しているんだから、堂々と参考情報として元ネタの動画を概要欄にクレジット表記したらええのよ。むしろ例え現状でホワイトではなくグレーゾーンだとしても、先方に正式に許諾取っていくらか払った上で十分な利益を得てもいいだけの立派な仕事だよ。
Casual Scholar - The Shocking Truth About How Cuba Became Insanely Poor (23:05)
https://www.youtube.com/watch?v=oXYEWeBMK-E
こそこそサムネを一部改変したりせずに、オリジナルのサムネ作ってもいいのでは?
むしろリスペクトなの?だったらサムネもこそこそ改変せずに概要からもリンクしたら?
画像引用にCC活用したりして、著作権に気を使ってる風の姿勢とは、ずいぶんちぐはぐじゃないか?
熱意と才能ある職人が、コソコソしている様がもったいないのよ。立派になってほしい。
逆によ、正式に打診した上で、正当な対価を交渉してもなお相手が許諾しないとしたら、相手のほうを批判することだってできちゃうよね。だって、明らかにこの世に追加の価値(日本人向けのコンテンツ提供)をもたらすことができるはずなんだから。
(最初にこっちがコソコソ剽窃した点で怒りを買ってしまったら仕方ないけど、少なくとも、コソコソする前に最初からホワイトな形で打診してれば、という話)
このコメントを削除「しない」ことで、まずは度量を見せてくれよな!
以下引用
taskyは本件について「弊社としては、原作を管理し、縦読み版の制作を進める立場として、関係各所に確認等を取りながら、真摯かつ必要な対応をして参りました。
『小悪魔教師サイコ』の原作作家様、縦読み版のクリエイター様に一切の非はないと認識しております。
そもそもこれはトレースだという見解を示したのは、ぶんか社(合田氏が契約している先発漫画の出版社)であって、後発漫画側ではないし
トレースだの構図パクリだのと言う主張から始まった担当者とのゴタゴタすら合田氏側の一方的な証言に基づくものに過ぎなかった
いやおかしくね?
「アーサー王は女でした!」に比べたら「源義経は承認欲求ゾンビのクソ雑魚メンタルだった!」の方が全然マシじゃね?
「コロナ禍なのに銭湯行ってんじゃね―よ」とか「付き合ってた女が浮気してた話いる??」とかどうでもいい批判してるやつまでいて地獄すぎる。
つうかマジで男オタクって都合のいい時だけリアリティ持ち出してくるからキモいよね。
多少歴史的考証してようが性別変えたら全部変わっちゃうってのに、性別そのままで出したキャラの性格がちょっと今風なだけで文句言うとか頭おかしいだろ。
AIは絵筆とは異なる性質を持っています。絵筆は人間の手によって完全に制御され、その出力は個々の芸術家の表現によって形成されます。一方、AIは複雑なアルゴリズムとデータに基づいて動作し、予測困難な結果を生成することがあります。AIは人間の思考や創造性を模倣するわけではなく、あくまでプログラムに基づいて処理を行うツールです。
スタンプが既存の絵の剽窃を引き起こす可能性がある場合、それは利用者の責任であり、スタンプ自体の問題ではありません。スタンプを製造・販売する業者は、法的な規制に従い、剽窃や不正行為を助長しないようにする責任があります。ただし、AIの場合と同様に、AIの出力が不正行為に用いられる可能性がある場合、利用者の行動が問題とされるべきです。
確かに、AIの内部の処理がブラックボックス化しているため、出力の正確な理由やプロセスを解釈することが困難な場合があります。しかしながら、AIの透明性や説明可能性に関する研究が進んでおり、AIの判断を説明するための手法やアプローチが模索されています。透明性の向上は、倫理的な観点や社会的な信頼を確保する上で重要です。
AIを奴隷のように使用して、代わりに逮捕されるスキームを作ることは倫理的に問題があります。AIは人間の権利や尊厳を侵害するような使われ方をすべきではありません。AIの使用には倫理的な考慮が必要であり、法的な制約も遵守されるべきです。
AIの学習は人間の学習とは異なる側面を持っていますが、それはAIが大量のデータを利用してパターンを学び、統計的な傾向を抽出するという点においてです。AIの学習は人間の学習を模倣するものではなく、自律的な思考や倫理的な判断を持つわけではありません。AIの学習はプログラムやアルゴリズムに基づいて行われ、人間が設計および監視する必要があります。
以上のように、上記の主張は誤解や誤った比較を含んでいます。AIに関する議論では正確な情報と相互の理解が重要です。AIの利用と倫理的な問題については、適切な規制や倫理観を持つことが求められます。
たとえばこれが絵筆じゃなくてスタンプだったらどうだ?
絵筆だっつってんだろ。前提というか、相手の主張を即ねじ曲げてるじゃん
買ってきたスタンプをぽんと一度おしたら既存の絵の剽窃がでてきたって、それ単なるコピーアンドペーストやん
全体的にずれてんだよオマエ
どの点において何の罪になると言いたいのか判然としないんだが、仮に厳密に「スタンプを押して出てきた絵が既存の絵の著作権侵害にあたる」という論点においては「スタンプはただの道具で罪はない。罪は使った人のもの」で終わりだぞ
スタンプを売ってる業者を取り締まりたいなら「スタンプそれ自体の造形等において権利侵害がある」を論点にしないと駄目だけど、著作権だと厳しいんじゃねえかな
https://www.keshigomu-hanko.com/archives/9844
著作権はめちゃくちゃ簡単に生える知的財産権なので、そんな広範・強力にガードしてくれるものでもない
>スタンプなら印面を見ればすぐに剽窃とわかるけどAIはブラックボックスになってて出力してみないとわからない
つまり、AIそれ自体から「表現の本質的特徴を感得」できないので、その時点でどうこねくり回してもAIそれ自体を著作権侵害にするのは無理
ブラックボックスとは言うけど、教師データを保存して切り貼りしているのではなく、単に統計データであって教師データの個別の表現を残存させていないことはデータ量からも自明だし
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1506018.html
AI擁護派は「AIは絵筆と同じで、人の手書き絵と同じように出力の類似性と依拠性だけで判断する」で納得して満足してるらしいけど
たとえばこれが絵筆じゃなくてスタンプだったらどうだ?
買ってきたスタンプをぽんと一度おしたら既存の絵の剽窃がでてきたとして、「スタンプはただの道具で罪はない。罪は使った人のもの」とはならんだろ
AI擁護派はAIは絵筆と同じだと思ってるみたいだけど、むしろスタンプの同類では?
スタンプなら印面を見ればすぐに剽窃とわかるけどAIはブラックボックスになってて出力してみないとわからない
これを書いている増田はいわゆる文系の研究をしていて、論文を書くために大量の文書記録を書いて集めてとっておく必要があるので、メモアプリの勧め合いを興味深く読んだ。
読むうちに、ちょっと自分のニーズとは違うかな、自分にとって重要な視点が欠けているなと思ったので、書いておく。
まず自分の場合は、Zoteroで文献情報は管理し、メモはWordファイル(docx)に書きなぐり、すべてOneDriveと外付けのハードドライブ、USBメモリに置いてある。それだけだ。Obsidianを含めていろいろなアプリを試しても、結局この原始的な方法に戻ってきてしまう。
その理由は、
1. Word形式のファイルはたぶん50年後も開くことができる
3. 雑に使える
文書記録があとで参照できることは、研究をしているとめちゃくちゃ大事だ。文書記録から引用の出典にさかのぼって、自分が剽窃をしていないことをいつなんどきでも証明できなくてはいけないからだ。
記録に使っている文書が特定のハードウェアとソフトウェアに紐付けられていて、それらの保守ができなくなり、ファイルが開けなくなると、詰む。
たとえMicrosoftという会社がこの世から消えても、Word形式のファイルは基本的にXMLファイルにすぎないので、いろいろなアプリから開けるし、たぶん50年後もそうである確率が高いと思った。
今あるサービスがこれからもある保証はない。Google Keepだろうと、OneNoteだろうと、iOSのメモだろうと、サ終で終わりだ。ファイルがエクスポートできるかどうかとこれは別の話だ。
他人の都合(サ終)で引っ越すのは面倒くさい。
今無料のものがこれからも無料である保証はない。カネをよこせ(有料化)、もっとカネをよこせ(値上げ)とせまってくる、よくわからない他人の相手はしたくない。
だから特定のアプリやプラットフォームに依存しない文書記録のとり方にしている。利用環境によってLibreOfficeやMicrosoft 365でWordファイルを編集しているが、どれかが使えなくなったらまた別のアプリでやるだけだ。
Markdownは便利なこともあるけれど、あまり直感的だと思わない。
もっと素早く、でも細かいコントロールを効かせて、文字の大きさや色や背景色を変えて、画像のリンク挿入とかを考えずにそのままベタベタ貼りたい。ふせんとか図形も入れたい。
プレーンテキストに近いファイル形式では、このニーズを満たせなかった。
そんなことはしなくても、過去に書いたものを探したいと思ったら、OSのファイルエクスプローラーでWordファイルを突っ込んであるフォルダ内を検索すれば、だいたいなんとかなると気づいた。
あと、Word形式で文書を持っておけば、文献管理アプリ(zotero/mendeley)からWord/LibreOffice/Google Docs経由で文献へのcitationが一発で入れられることも地味に大きいかもしれない。メモアプリだと無理なので。
イラストレーターとエンジニア志向の人でなんかすげーすれ違ってて面白いなって思うんだけど、コーダーやプログラマを同じ生物だと思ってると永遠に話終わんないと思う
彼らは基本的に道具を重く見てない。必要であればどんどん道具を乗り換えて仕事をする。だからイラストレーターが今の画風を確立するまでの努力とか技能を身に着けたりすることをどうでもいいと思ってる。「なんでチンタラやってんだ!?なんで次の技術に乗っかって練習しないんだ!?」と考えてる。そういう生き物。
i2iでイラストを剽窃された人が「ここまでの道のりにタダ乗りされて悔しい」とか意見を言っても、「なんでこいつら昔話するんだろう。自分の思い出を話すのが好きなのかな」としか考えてないです。そういう価値観にならないと生きていけない環境で育ってきたから。悪気があるとかないとかじゃなくて成果を出せればなんでもいいじゃんと思ってるので、ブラシのパラメータや調色にこだわって固有のタッチを確立するまでの努力とかは最初から興味がない。
あと、基本的に最終的にプラスになれば多少のマイナスは必要経費だと思って無視しますね。
10人が死んで一国が豊かになるという状況があったら「すげープラスじゃん!死んでも良くね?」と考えます。そこで待ったをかけて他の方法を考えるとかしないです。「あっそっか」で終わる。そこで死ぬ10人の家族が何を訴えても「でもものすごい利益出ればいいよね?」って考えなので、自分が損する立場にならない限り推進します。
他人が支払う犠牲なんかどうでもいいと思っているんですね。それは性格がいい悪いとかじゃなくてどんな倫理的に重たい問題も算数の問題だとしか捉えてないんです。
別に悲しい思いしてイラストを非公開にするとかそれ自体は自然なことです。感情という文脈で考えるとそれが間違ってるわけじゃない。ただAI絵師とかコーダーとかプログラマを同じ文化圏で生きてると思っちゃ駄目なんですよ。
彼らの行動原理に則って「こういうことはまずいのでやめてほしい」と話をつけるしかない。そうでない限りは「こいつら頭悪いなあ」と思って笑ってますよ。
自分にとって気に入らない人文系の学者がネット上で気に入らない発言をしたからといって、その発言をブクマしてあげつらったり、コメントでぶつぶついってもなんの効果もない。
これらの人物が本当に忌まわしく感じられ、消えて欲しいと心から思っているのなら、彼らの研究業績の剽窃/
方法は(いわゆる)自然科学系の学者の剽窃チェックと変わらない。
気に入らないと思っている学者の研究ポータルだの大学のプロフィールページ等で論文一覧を入手し、ネット上に転がっているplagiarism checkerにかけて剽窃チェックをし、疑わしい箇所があれば所属研究機関の研究倫理委員会にどんどん通報すればよろしい。
これらの御仁は大学の先生であることが唯一のアイデンティなので、研究業績の不正を指摘し、研究業績の不備を理由として研究機関に所属できなくすることがもっとも効果のある排斥方法となる。
もっとも、日本の人文系のアカデミアは日本語という言語の壁によって守られてきた。つまり剽窃や捏造のチェックが外部から入りにくかったのだ。標的とする学者が日本語の研究業績しか発表していなければ、関連する研究分野の学会誌や地方大学の紀要バックナンバーで全文検索をかけるなどして、地道にマッチング作業を行うしかないかもしれない。本当に相手のことが気に入らず心から消え去ってほしいと思っている人にとって、それくらいの作業は苦ではないだろう。
長野県立美術館で中谷芙二子《霧の彫刻》をファッションブランドが商業目的利用
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyoartbeat.com/articles/-/nakaya-fog-news-202301
はてなぁはWebイラストの関係者が多いらしくものすごく「私の著作権絶対」で大量のコメがつく。偏ってる。
これは例えて言うならば大阪大好きで大阪テーマなファッションブランドが太陽の塔でイメージビデオ撮ったら岡本太郎先生の権利を侵害しているじゃないかと言っているようなものだ。断り入れろやというのはまあわからんでもないけれど。
今回長野がテーマのブランドで美術館で展覧会もやった実績があって、大好きだからビデオにも入ったんだろう。これは剽窃ではなくて社会的に作品が成長したということだ。