はてなキーワード: 司令部とは
「陸自では削除したけど陸幕が持ってた」と同じロジックでごまかすと思われます。この件は、実は防衛省幹部からの指示での削除だったことはマスコミで報道されましたが、大した騒ぎになっていないので、ディレイディフェンスは有効です。
www.fnn-news.com: 日報問題 去年7月に「隠ぺい」指示 05/29 12:31
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00359599.html
今回、FNNの取材で、2016年7月、南スーダンの情勢が悪化した直後に、別の情報開示請求があり、この際、陸上自衛隊の幹部の指示で、日報の存在を隠ぺいしていたことが明らかになった。
複数の関係者の証言によると、「日報」に対する最初の情報公開請求は、2016年7月に首都ジュバで大規模な武力衝突が発生した数日後に受理され、派遣部隊の司令部が置かれている「陸上自衛隊の中央即応集団と、南スーダンの派遣施設部隊との間でやりとりされた全ての文書」の公開を求めるものだった。
中央即応集団の担当者が、「日報」のデータが残っていることを確認して、上司に報告したところ、上司は「バカ正直に出せばいいってもんじゃない」などと叱責(しっせき)し、「日報」を開示しないよう命じたという。
これを受け、担当者は、陸上幕僚監部に「『日報』は、個人保管の資料で、開示すべき行政文書に該当しない」と説明し、陸上幕僚監部も了承したため、2016年9月中旬、「日報」以外の文書だけが請求者に公開された。
参院内閣委員会の委員長は、民進党の難波議員ですから、解任動議をする可能性はあります。平成25年12月に、水岡俊一、大久保勉委員長をそれぞれ与党提出法案の採決を決定しなかったカドで解任していますから、難波さんも解任した上で、参院内閣委員会のこれ以上の開催を見送る可能性はあります。ちなみに野党委員長の解任は安倍政権しかやったことが無いです、これ豆知識な。
参院、民主・水岡内閣委員長を解任 与党から選出へ :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0404X_U3A201C1000000/
2013/12/5付
参院は5日未明の本会議で、民主党の水岡俊一内閣委員長の解任決議を自民、公明両党の賛成多数で可決した。同委で審議中の国家戦略特区法案の今国会成立を確実なものにするため。参院はこの後に開く本会議で、水岡氏に代わる新委員長を与党側から選出する。
奇しくも? 4年前の解任決議の理由が「国家戦略特区」を巡る動きだったのね。
かつ、国家戦略特区法案の裏で動いていたのがこの時の国会での注目だった特定秘密保護法。内閣委員会の民主党委員長の解任決議の2日後に成立してたのか
戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。
C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。
「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。
隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。
東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。
D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。
A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。
C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。
東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。
軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。
E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。
B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。
F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。
A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。
天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。
D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。
E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。
C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。
都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。
E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。
B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。
A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。
F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。
90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。
A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。
米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。
財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。
F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。
グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。
のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。
これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。
A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。
F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。
A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。
C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。
もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。
B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。
F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。
徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。
A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。
C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。
しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。
この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。
分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義のインチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。
A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地や自衛隊施設へ変わった。横田基地は在日米軍司令部であり、すべての在日米軍と自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。
とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイ、グアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋・東アジアを管轄する兵站補給基地だ。
東京都港区の六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。
そのほかにも府中、由木、大和田、硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。
地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。
B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。
羽田空港や成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。
A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。
B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党の支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。
F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。
司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる
http://anond.hatelabo.jp/20170116162327
リンク先『婆ちゃんに戦争の話聞いてきた』で語られている「婆ちゃんの工場を襲った」空襲はおそらく、1945年8月1日深夜から2日未明にかけて行われた富山大空襲のことだろう。
それ以前、7月にも市街地に対する比較的小規模な空襲は度々行われている(模擬原子爆弾、いわゆるパンプキン爆弾の投下も行われた)が、8月の空襲は市街地の実に99.5%を焼き尽くす大規模なもので、ブコメでも言われているように「空襲で全部なくなった」。燃え盛る炎が明々と夜空を照らしていたという証言はネットでも複数読める。
で、だ。問題は
ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。川に逃げた人はみんな死んだ。
というくだりである。この「川」というのはおそらく、富山市街地を貫流する神通川を指す。皮肉にも、上空から夜目にも目立つ神通川と広大な河川敷そのものが攻撃目標となって多くの犠牲者が出たといわれているが(富山大空襲 浅田 高明|戦争の記憶~寄せられた手記から~|NHK 戦争証言アーカイブス http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/kioku/31/ )、そのいっぽうでこんなことも行われていた。
(あの戦争「富山大空襲」 : 勝手に言ってます http://yosirin.exblog.jp/21519632/ )
火たたき・バケツリレーなどによる「防火演習」がしばしば行われ、空襲の際には、避難する道路に、警防団・警察・憲兵などが立ち、「戻って火を消せ」、「非国民!」などと、避難を押し止めた
(イントロダクション | 「富山大空襲」のことを知って下さい! http://www.geocities.jp/toyamakushunokaii/introduction.html )
逃げたらアカンかったわけである。何故か? これは日中戦争が始まる前に公布された「防空法」という法律に拠っている。直接的には、真珠湾攻撃の直前に行われた防空法の第一回改正、およびそれに基づく内務大臣の通牒で、空襲時の退去の禁止(罰則を伴う)と応急消火義務が国民に課せられたことに由来する。この規定が、10万人の死者を出した東京大空襲のあともなお有効だったことは、まさに富山大空襲でのエピソードが物語っている。
富山空襲ではまず市街地の周縁部に焼夷弾を投下し、市民の逃げ道を断ったうえで存分に焼き払うという手法が用いられたが、地上でも軍や官憲によって逃げ道が断たれていたわけである。その結果が婆ちゃんの語った戦争の話、ということになろうか。
最後に、いち地方都市にこれほど大規模な空襲が行われた理由がふるっている。
「これ(=第13回の大挙出撃)は、陸軍航空部隊の第28回記念日にふさわしい祝賀であった。またカーチス・E・ルメイ少将に対するすばらしい餞別となった。同少将は米国戦略空軍の参謀長となるため、第20航空軍の司令官を辞任する前に、この攻撃を自ら計画し、かつ指揮したのであった。」 (1945年8月2日付ニューヨークタイムズ)
「陸軍航空軍記念日である8月1日の攻撃は、持てる空力を駆使し、あらゆる努力を払うよう指示する。(米本国陸軍戦略航空軍司令部から、第20航空軍「現地」司令官への指示文書)
(富山大空襲と母のこと: 壺中山紫庵 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/08/post-78e5.html )
参考:防空法について
「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制 / 大前治 / 弁護士 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/politics/13238
シン・ゴジラの大きな感想は他の方に任せて、細かいところをメモっていくよ。
画面切り替えが多すぎてめまぐるしいんだけど、 何かしら各シーンに仕掛けがあるんで、挙げればきりがないよ!
・初回登場で死んだ魚の目。これだけで意思なんかおぼつかないことがすぐわかる。グロイ。
・手の形を成していない手。溶けかかったような造形。後ろ足だけで腹を引きずりながらただ進む。キモE 。
・二回目。やっぱりもう心中察するとか不可能な面構え。小さい眼に乱杭歯。なんなんだよ。よってこないで!
・ダメージ → 気分悪い・・・ゲロゲロ → んー、こうかな? → ボオォォ → もうちょっとこうして絞って… → キュイイイン → 大惨事
・どこまで届くんですか。
・足音「ドォーン」「ドォーン」
・瓦カタカタ。
・なぜ北品川。
・なぜ泉岳寺。
・自主避難に任せる?
・それほっとくって事でしょ。
・うああ。
・「やったか!」
・そんなわけないよね・・・
・でも無力感伝わる。
・揺れる司令部。
・シンゴジラは一貫してこれですよね。感情表現抑えた分、クる。
・まあ水のめ。
・悪かった。
・最後の武器は兵器ではなく、電車、高層ビル、ポンプ車、タンクローリー。はたらく乗り物たち。な、泣けてきた・・・
・指令部の空を掠めていく背びれレーザー。
・一発でも来たら死ぬよ。。。
・みんな微動だにしない。
・無人在(略)
・京急のかたき!(言ってない)
・第一陣、全滅!
・ぐ・・・
・特攻になりかかる。でも、そこまではキチンと準備された作戦ですし。無人機フル稼働だったし。
・現実をみてみろよ。上から巨大バケツで水かけたり、ロクな装備なしで消防隊突撃させたり・・・。やっぱり映画はドリームだよね。クソッ
・まあ落ち着け、水のめ
【閣僚。】
・無能そうに見えるが全部無能というわけではない。立て直していく様が秀逸。
・大杉漣!
・平泉成!
・外遊のため欠席中。
・手塚とおる。慌てたりにらんだり。
・「こりゃあ捕獲は無理そうだな」 そうでしょうね。
・甘利さんそっくりな方。
・「え?うごくの?」
・「生き物ですから」
・「しっぽだな」「しっぽ」「しっぽ」
・外務大臣、経産大臣のじじい。まあ、立場からそれなりのことを言っている。みんな頭の回転速いね。現実はどうなんでしょ。
・ア゛ア゛!!バアン!
・もうこれまでです!
・だめだ!
・自衛隊の偉い人たち。
・暗いところで会議。
・かっこいいぐんじん
・もう好きにしたらどうですか
・ハンコどこに押せばいいの?←これ好き。
【メンバーとか。】
・動画だけなのに。
・なんでそんなに詳しいんですか・・・
・「冗談ポイですよ」→「アアン?」(顔だけで)
・「ごめんなさあい」
・安田「うわあ!うわあ!うわあ!」→傍目にスッと長谷川さんに寄る尾頭さん。
・途中で昇格してるテロップが。
・ニッコリ。
・アメ関係者もスタスタスタ(計2回)。早えよてめえら。
・みんな必死。表に出ないけど。
・洗面器を持って外に出る避難民。外に自衛隊お風呂が来てるのかな?
・作戦終了後。静かに肩をたたいたり。控えめに「お疲れ」見たいな感じ。
・アチチ!
・カップめんに「ごちそうさまでした」 こうありたい
3回見たが、気付かなかった小ネタもいっぱいありそう。
「65カイリ基準」米軍否定 普天間県外移設断念の根拠
2010年に鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設を断念する判断材料となった政府の内部文書を朝日新聞が入手した。米軍の「基準」としてヘリコプター部隊と訓練場との距離を「65カイリ(約120キロ)」以内と明示しているが、在日米軍司令部は朝日新聞の取材に「そのような基準はない」とした。
文書は「普天間移設問題に関する米側からの説明」。10年4月19日付で「極秘」と押印されている。「65海里(約120キロ)の問題」として「回転翼航空部隊の拠点と同部隊が(陸上部隊と)恒常的に訓練を行うための拠点との間の距離に関する基準であり、米軍のマニュアルに明記されている」と説明している。
普天間飛行場の県外移設を模索した鳩山氏は、この時期、鹿児島県・徳之島への移設を検討。だが、沖縄海兵隊のヘリ部隊の訓練が行われる沖縄本島中北部と徳之島とは約104カイリ(約192キロ)離れ、「65カイリ基準」を満たさない。
じゃあこれ↓何なのよ?
海兵隊の地上とヘリ「120キロ以内」 米が日本に伝達
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、米政府が、海兵隊の地上部隊とヘリコプター部隊について「65カイリ(約120キロ)」以内の距離に配置する必要があると日本側に伝えていたことがわかった。鳩山政権が移設先として検討している鹿児島県徳之島は、地上部隊が駐留する沖縄本島から200キロ弱離れており、この要件を満たしていないことになる。
政府高官が21日、明らかにした。日本政府はヘリ部隊の大部分を徳之島に移す案を検討しており、岡田克也外相とルース駐日米大使が話し合いを続けている。米政府筋によると、米側は沖縄本島と移設候補地の距離などをもとに技術的な検討作業に入っていた。同高官は「(65カイリは)徳之島との距離の半分だが、米国がそこをどうするかだ」とし、今後の調整の焦点になるとの見方を示した。
甲
通常艦隊
対潜メイン
改修済み対潜装備した4スロ対潜4艦+航戦で2順しても運がないと倒せないボスってどんだけだよ
十数回出て発狂しそうになったので、気分転換にギミックでもやってみっかと5回くらい随伴の補給倒した
ほんとは5回すいぼせいき倒してSとりたかったけど、めんどかったから5回随伴補給倒すだけにした
そんでいざ向かってみたらあっさり1回で倒せた
甲
通常艦隊
礼号メンバーで固定できる
E1より運ゲー要素がぐっと下がるのでかなりラク
集積地のボスはなんかこっちに罪悪感覚えさせる感じであまり気持ちよくなかった
でも巨乳ではなかったな
攻略中に沖波がきてくれて驚いた
巻雲と若干かぶる
初月も着任
無感情な僕っ子だった
甲
で、潜水が2回ある+通常でまれに大破する→ボス到達率が微妙な割に、支援なしだとA勝利以上が難しい
司令部は罠
退避させたら、決戦支援がいいとこ当たらないとまず勝てないから、素直に撤退するほうが自分の場合はよかった
エロサイトの編成でいけばSで140いけるから、甲(500)でもこれまでの輸送ゲージよりは削りやすい
風雲は未所持かつ前回はめんどくて掘らなかったからマジでBINGOだった
あとは戦力ゲージだ
3.11でも自衛隊、海保、消防、各県警察、ドクターヘリと、あらゆるところからヘリが出動して救出にあたったけど、一度検索した家屋をそれぞれ違う管轄のヘリが検索に入るなど、二度手間三度手間があった。
ヘリの管制はそのヘリ所属の司令部から無線で連絡がくるが、救助要請の通報はおのおのの司令部に重複して連絡されてた。
だもんで自衛隊が検索した地域を、海保がまた検索するなんていうような重複検索が行われて、時間が無駄に費やされた。
無駄な時間で命のリミットである72時間をあっというまに使い切る。
でもって、当時役場や学校現場に大量導入するかしないかのラインをもやもやしていたタブレットでなんかできないかとかネタを探していたJAXAのひとが、この無駄を解消するべくシステム作りに励んだそうな。D-NETって奴。
詳しくは、TBSのオンデマンドで『夢の扉 2014年5月4日放送 「“間に合わなかった”という悔しさを力に」』を見ようず。
で、その放送を見てD-NETの存在を記憶していた小生は、どうせあと30年くらい経たないと津波なんかこねーからつかわねーよとか、タカを括っててたわけだが、まさが3.11からたったの4年で本格運用する機会がきたのである。
D-NETどうよ。役にたつのかよ!!とか思いつつ、ヘリが電柱の人を助ける映像なんかを見ていたわけだが、その効果はまさにてきめんだったようです。
ニュー山王ホテル
ニュー山王ホテル
ニュー山王ホテル(ニューさんのうホテル、New Sanno、ニューサンノー、New Sanno U.S.Force Center、ニューサンノー米軍センター])は、
東京都港区に所在する、在日米軍の施設である(管理者はアメリカ海軍)。
この施設はホテルの形態をしており、アメリカ軍関係者が東京を訪問した際の宿泊施設、及び在日米軍のための保養所、社交場として機能している。さらに、駐日アメリカ大使館関係者にも開放されている。
日本人は勿論、アメリカ人であっても軍と無関係の民間人は、原則として立ち入ることは不可能である。施設内で使用される言語は英語、通貨は米ドルとなる。当施設では他の在日米軍基地と同様、日本人の雇用例もみられる。利用や宿泊の条件は、アメリカ海軍の規定に拠って厳しく規定されているが、とりわけ週末には満室となり、宿泊予約が取れないことが多いという。
日米地位協定などについての協議を行う、「日米地位協定各条に関する日米合同委員会」の会合が開催されることでも知られる。
第二次世界大戦終結後の1946年(昭和21年)、アメリカ軍は旧日本軍の山王ホテル士官宿舎(東京・赤坂)を接収、以後占有した。
1983年(昭和58年)10月、同地は旧山王ホテルのオーナーであった安全自動車などの所有者に返還された。その代替として日本政府からアメリカ軍に提供されたのが、現在のニュー山王ホテルの土地・建物である。
現所在地は、安立電気本社跡地であり、部屋数(149室)、床面積(15万平方フィート)から、駐車場台数(74台)に至るまでのすべてが、移転前の旧山王ホテルのそれらと同一となっている。1981年6月に建築着工され、1983年6月に完成、同7月の閣議決定と日米間の政府協定の締結を経て、同年7月16日にアメリカ軍に提供された。
1983年11月に、日本の国の関係機関、ニュー山王ホテルの代表、地元町内会等から構成される「ニューサンノー米軍センター地域連絡協議会」が設置され、定期的な協議が行われている。
2004年から2006年にかけて、内外装に対する大規模な改修工事が行われた。作業は大成建設が施工し、特別な大理石を敷き詰めたロビーを始めとする重厚で華やかな仕様の工事には、1,000万ドル以上が費やされたという。
客室数:149(全室禁煙)
建物:地上7階、地下1階
管理部隊:極東海軍施設技術部隊(アメリカ海軍横須賀基地司令部)
売店
東大とか京大とかそれなりのところに行ってると、それこそ明らかに凄い奴がいるんだ。
どうしたって追い付けねー、って人たちが。
そこまで無いにしても俺より5年先、10年先いってるって人たちもごろごろいる。
ちなみにその明らかに凄い奴も、自分はたいしたことないって言う。
上の世界に行くと、凄い奴の中でも超絶凄い奴が見えてくるらしい。一般人には区別がつかんけど。
まともな奴なら上には上がいるってことが見えてるからそんな強いエリート意識は持たない。
エリート意識持ってるとしたら、それより上が見えてないってことだから、たいていはそのレベル止まりだ。
これって勉強だけでなくスポーツとか職人とかオタクの世界でも同じだとおもう。
おんなじ提督でも司令部Lv.100なんてどうやったら到達できるのか、俺的には神レベルなんだが、
実際 司令部Lv.100の提督に聞いたら「俺なんか全然たいしたことない」って7割くらいが言うんじゃないかな。
司令部Lv.60の俺でも始めたばかりの新人提督にはすげえって思われてるかもだけど、特に自慢する気にはならない。
Lv.60なりの矜恃はあるけどさ。
野球も「甲子園出場経験」とかでフィルタリングするのが慣例だし。それ崩すには地方大会で余程の成績を上げないといけない。
映画とかアニメとかでいろんなメカやらロボットやら司令部やらが出てくるのを見るたびに、
「あぁーこんなシステム全部メンテしたらどれぐらいの工数なんだろう」とか、
「これ敵の攻撃方法わかってないとちゃんとテストとかできないんじゃないの?」とか、
「このユーザーインターフェイスってちゃんとグラフィックデザイナー入れてるんだよね?」
そういう観点でツッコミどころを探す楽しみ方もおもしろいんだけど、
これがオトナになるというやつなのか。
でも、すごくいいシナリオや演出だとそのへん気にならないんだけどなぁ。
みんなどんどんメディアを消費していくし、インターネッツで矛盾やらはすぐ調べたり広まったりするし、
中の人も大変だ。がんばれ。
すごく不自然な世界なんだけど、登場人物の誰も疑問に思わなくて怖い。
提督は声も姿もないし、補給や整備のオッチャンとかのスタッフもいないし、司令部は艦娘3人だけだし、鎮守府の周りには町が見えるけど遠景だけしか描写されてない。
鎮守府以外の世界は全部敵の手に落ちて滅んでるけど鎮守府の周囲だけ平和に見えてるんですかね?(結城友奈は勇者であるとかマトリクス的な世界?)
そんで人間はみんな遺伝子操作で環境適応したか呪力によって言葉を奪われ妖精に変えられたんですかね?(クロスアンジュとか新世界より的な世界?)
鎮守府の外にまともな世界があるのかどうかが、どうでもいいことのように扱われているのが怖い。
さらに、唯一描写されてる鎮守府の外側の存在である深海凄艦ですらもコミュニケーション取れるのか怪しくて怖い。
ストライクウィッチーズのネウロイや蒼穹のファフナーのフェストゥムの方がまだ話し合いできそうだ。
そもそも主人公サイドがミュニケーションを試みる気配がないというのが、地味に怖い。
ナウシカをやれと言うつもりはないが、進撃の巨人やファフナーでさえ、敵を理解しようという動きがあるのに無いんだから怖いわ。
世界の誰も深海凄艦に疑問や興味を持たずに駆逐しようとしているのには、多分エレンもドン引きですよ。
主人公が日常アニメのように転校してきて、格好いい先輩にあこがれて艦娘として訓練がんばってると思ったら、普通に轟沈があるんだからインキュベーターにでも騙された気分だ。
赤城さんは崇高な使命として過酷な運命を受け入れているようだけど、那珂ちゃんとかは洗脳か宇宙世紀的な意味で強化されているか幼児退行しているようにしか見えない。
誰だよ、小学校低学年くらいの少女たちにこんな過酷な運命強いているやつは!
これらが作中ではすべて当たり前のように描写されてて、しかもこの狂気に満ちた世界が日常として永遠に続くんだろうなって感じがしてとても怖いです。
○委員長(郡祐一君) 昨日これも問題に提供されました全国農民大会のデモ隊に対する米兵の汚物投下事件について山口国警本部刑事部長が見えておりますので、説明をお願いいたします。
○説明員(山口喜雄君) フアイナンス・ビルから汚物を投下したというふうな事件につきまして赤松委員からお尋ねがございましたので、私どものほうでわかりました点を御説明申上げます。
本月の四日芝公会堂におきまして凶作対策全国農民大会が参会者約一千五百名ということで催されまして、その大会が終了後大体午後一時頃からかと思いますが、国会への陳情デモ行進に移り、午後三時半から三時頃までの間多分二時四十五分頃、その最終の第四班の列がフアイナンスビルの北側道路にさしかかりましたときに、同ビルの窓から何かが落ちて参つて、行進中の農民等に液体がふりかかつたという事件が起きたのでございます。麹町署におきましては、直ちにその液体をふりかけられた者、それから目撃者等の取調を開始します一方、米軍側に通知いたしまして、米軍側との憲兵司令部、犯罪捜査部、MP、IDでございますか、ビル内の全員に禁足を命じまして捜査をいたしたのでありますが、この結果犯人は見習水兵でデービツト・バーガスという十八歳の少年であることが判明したのであります。で彼はビルの最上の窓から新品のコンドームに水道の水を入れたものを三度に亘つて投げたことを自供したのであります。初め何か糞尿等の汚物を投下したように新聞等で言われておりましたが、犯罪科学研究所等の鑑定の結果によりましても泥水である、汚物ではなかつたようであります。又その場に居食わせた者が拾得して提出したコンドームも三個でありまして、その犯人の自供と合致しておるのであります。犯罪の動機は、デービツト・バーガスの述べるところによりますれば、彼は最上階の窓からデモ隊の通つているのを見下して、同僚にあれは何かとこう聞いたところが、あれはコミユニストである。こういうふうに言われたので、日頃コミユニスト嫌いであつたので、ついそのゴムの袋に水を入れたものを投げた、こういうふうに言つておるようであります。本件は駐留軍施設からその外へ物を投げたという案件でありますが、これは本人の公務執行中の犯罪とは言えないわけでございまして、我がほうとして暴行罪と認定して五日、昨日でございますが、麹町署に本人の出頭を求めて取調をしたのであります。なお今朝東京地検に事件が送致されるはずになつておりますが、同地検において慎量捜査の上処理を決する予定でおります。なお米軍憲兵司令官においても遺憾の意を表すると共に、今後かかる事件の発生せんよう関係部隊に厳重警告を発したということであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/017/0488/01711060488006c.html
「もうずっと戦前」というレトリック、というかロマン、はもうアレなんじゃない。
塹壕でタバコを吸いながらずっと突撃命令を引き伸ばされている歩兵としての生、という気だるいロマン。
そんなの司令部はとっくに解散して顔の見えない株主会になっちゃってるのに。
「勝負を求める我ら」ってそんな勝ちも負けもねー。ねーからロマンなんだ。きっと。
ずるずる気づいたら景気は後退して回復して後退して、緊張も後退して回復して後退して、気づいたらバカにしてた中国人観光客のファッションセンスは上がってて、気づいたらサムソンは世界のTV屋になってて、ピクサーはジブリをはるかに追い越してて、ただそれはショウダウン! フェイスオフ! の「勝負」ではなく世界のいろんな国と企業と人がずるずるやってきた総体の中で、「にほん」に主体を置いて見た時にそう見える、ってだけの話だ。
日時:2014年6月28日(土) 18時30分開演(第2回公演)
入場無料だが、ハガキによる事前応募・抽選制である。つまり私の個人情報は防衛省に把握されたw
原題は「シェルタリング・スカイ」。
同名の映画があるが、特にそれとは関係ない模様。ちなみに映画の方の音楽は坂本龍一氏の担当で、ゴールデングローブ賞受賞らしいので、今度聞いてみようと思う。
曲は終始穏やかで、オーボエの澄んだ音色とトランペットの柔らかな音が印象的だった。
「オリエント急行」「ドラゴンの年」「ハーレクイン(ユーフォニアム独奏曲)」などで有名なスパークの曲ということで楽しみにしていた。期待通りのスパーク節を、厳選された編成の音楽隊が見事に演奏した。
これ以上吹くと崩れる、というギリギリのところで荒ぶるホルンの音が、吹奏楽サウンドのホルンで、とても気に入った。
トランペットは途中で舞台裏で演奏するのだが、舞台裏から聞こえるフレーズとしては相当難易度が高く、スパーク先生鬼だ……と思った。
パーカッションは、上手からひな壇にかけてかぎかっこの“「”字状に配置されていたが、上手手前に「パチン」と打ち合わせる楽器(名前が分からない……スラップスティック?)、上手奥にタンバリン、上手中央にスネアと、結構離れているのに終始揺るぎないリズムを刻んでいて安心して聴けた。
ロビーでも放送で流れたのは、カフェで休憩中の身にはありがたかった。
1部はウィンド・オーケストラ編成、2部は大編成のシンフォニック・バンド編成とのことだった。
これも期待していた曲。上手に吹くととてもカッコイイ。
曲目紹介で、1964年の東京オリンピック、そして先日の国立競技場での編隊飛行の話があった。「F-86F」「T-4」とちゃんと紹介するあたり、ニヤッとしてしまった。
演奏は文句なかったが、特にトリオのサックスが美しかった。そしてドラムセット!どこまで譜面に書いてあって、どこまでアドリブなんだろう。普通の曲ならアドリブだろうと思うのだが、なにしろ斎藤高順「航空中央音楽隊第4代隊長」の作である。一音一音忠実に……なんてことも???
服部克久氏の息子の服部隆之氏の曲。「機動戦艦ナデシコ」「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」など劇伴の分野を中心に活躍されている方が、航空自衛隊50周年(つまり10年前の2004年)に委嘱により作曲したもの。
トゥッティの音圧と、それに負けないツインスネアドラム。迫力のある曲だった。
この曲は、航空自衛隊60周年記念で募集した作品の中から選ばれた、コンサート・マーチ。
東京藝術大学トロンボーン専攻で首席で卒業、入隊1年3ヵ月の田中裕香さんの曲。
この曲も60周年記念。こちらは歩ける行進曲。
国立音楽大学卒のトランペット奏者で、北部航空音楽隊所属の和田信さんの曲。
トリオがEuphの旋律(対旋律ではなく)で始まるのが意外だった。
曲自体は弱起で始まり、装飾的な動きや音量差も多く、歩くのに向いているかどうか……
二人は曲目紹介でそれぞれマイクを握ったが、ちゃんと階級を名乗るのか、と思った。
一般の方で「○○会社課長の△△です」という機会はそんなにないと思う。
航空自衛官の16階級中、2等空曹は12番目、空士長は14番目である。ちなみに航空中央音楽隊長で指揮の水科克夫さんは2等空佐、4番目である。
「春になって、王達が戦いに出るに及んで」を知っていたので、期待していた。
複雑な拍子の曲で、非常に難易度が高い。「危険な空でぶつかり合う2つの対立した力を表現」とあるが、まさにそんな感じだった。
アメリカ軍のことは全く知らないのだが、第564戦略空軍司令部軍楽隊の委嘱による作曲と聞いて「564」という数に驚いた。
アンコール1曲目は「一旦地上に降りて(水科克夫さん)」ふるさと。
ここで、楽団のメンバー紹介が行われたが、北部、中部、西武、南西の各音楽隊からのメンバーが想像以上に多くて驚いた。
アンコール2曲目は空に戻って。
おそらく音楽会最後の曲として定番になっているのだろう、公式の行進曲。
やや大きなシンフォニック・バンド編成になった第2部だが、野暮ったく分厚くなることはなく、高いレベルの合奏による心地よいサウンドが維持されていた。木管の弱奏の際に一瞬、弦?と思うような、ふわりとした音が鳴った瞬間があった。
この日の空は荒れ模様だったが、ホールの中は澄んだ、濁りのない吹奏楽サウンドで満たされていた(すみだ、だけに)。
ロストがある理由、戦闘システムが簡素な理由、内部データをあまり開示しない理由は
.
http://www.4gamer.net/games/205/G020591/20130911062/
.
司令部レベルによって敵の強さが変化するのは、ゲーム始めて間もない人の救済の為じゃないですかね?
1年近くやってる人と、初めて2ヶ月位の人とでは練度や育ってる艦の数も違う訳ですし、
前者に合わせれば後者はついてこれず、後者に合わせれば前者は簡単にクリアしてしまいますし。
.
新装備については、現在は戦闘機系以外、無くても既存の兵器でクリアできるので
.
ツール使いは、鯖に負担をかけて運営や他のユーザーに迷惑かけるだけではなく
しっかり取り締まって欲しいですね。
.
艦種によって強さが異なるのは仕方無い事では?
.
5については概ね同意。
完全に嘘言ってる事あるので、これは運営改めて欲しいですね。
.
現在艦これは、旧日本海軍は、有名所はほとんど使ってしまいましたので
なんとかゲームの寿命を伸ばそうとして苦慮している感じですね。
勲章の使い方は疑問です。
.
それとゲームバランスの取り方も苦労している感じですね。
.
.
艦これは肩肘はらず、まったりやるのが長く楽しめるコツだと思います。
そして何より自分にとって艦これの一番の問題は、駆逐艦は小中学生設定なのに如月さんはエロすぎないか?
という事であります。
◆0,艦これについて
『艦これ』が一部界隈で話題になり始めた直後にプレイし始め、継続プレイ約1年ちかく。
小規模ゲームであるにも関わらず、すさまじい数のプレイヤーが遊ぶ人気ゲームとなり、
小規模な運営も火の車状態でなんとか回している・・・という現状。
また、ゲーム内容についてもその辺のすぐに「いいから金を出せ!」という化けの皮が剥がれるゲームに比べれば
はるかによく出来ていると思う(実際私も2000円で入渠ドックを2つだけと、関連グッズ、公式書籍等何点か購入しただけで1年近く遊べている)。
しかし、元々「さっさとたたむつもりだった」(白書インタビューより)からか、1周年を迎えた『艦これ』は
いちプレイヤーから見ても「やや雲行きが怪しくなってきた」と感じる。
以下はあくまで私がいちプレイヤーとしてプレイしていて感じた点であり、
決して『艦これ』自体のアンチである、萌えミリアレルギーというわけではない。
艦娘の強さに関しては、ゲーム開始時に規定された数値が継続して使用されている。
だいたいは元になった艦種ごとにスペックを算出し、基礎値+近代改修値(合成)が限界である。
この数値はゲーム開始時に設けられたスペックを使い続けているものであり、新鋭艦でもそれほど大きくは変わらない。
それ自体はキャラゲーとして見れば許容範囲だろうが、この問題は以下で述べる2,3の問題点により構成されている。
要約すれば「新装備・レベルキャップ解放のないMMO状態」である。
現状でプレイヤーが組める最強のパーティーは戦艦・空母編成であるが、その戦艦/空母編成を遥かに越えて敵だけが
インフレしすぎている、というような問題が発生しているためこの後はもう泥沼になる様しか想像できないのである(詳しくは3で述べる)。
キャラゲーとして「好きなキャラを強くする」にも、2の問題が引っかかり数ヶ月単位の時間がかかるという延命仕様であり、
これからアニメ・グッズ展開などをかけていくにあたって「ゲーム自体が落ち目のMMOのような空気」を漂わせるというのが問題点だ。
また、平然とイベントなどで採用されるようになった「司令部レベルで敵の強さが変わるが、報酬は共通」という仕様も悪手で、
早々にプレイヤーが動かせるコマが頭打ちになってしまうので「一部の艦娘を入手し、育てたら後は司令部レベルを上げない」というのが
イベントを楽に攻略する手段だと言うのだからもはや笑うしかない状態である。
そもそも司令部レベルが高くて何故敵が強くなるのか?何故報酬が同じなのか?一切設定や「リアリティ」では説明が付かないし、
艦娘の強さは司令部レベル20でも50でも80でも頭打ちですよ、という話だ。
◆2,「新装備」が入手できない
とにかく「新装備」が手に入らないことが、先に述べた艦娘の強さの頭打ちを更に強めている。
例えば「20.3cm(3号)連装砲」は重巡を少しでも強くしたいプレイヤーにとっては欲しい装備であるが、
この装備は現状手に入れる方法はA,ランキング上位報酬 B,三隈(改)の初期装備 C,利根/筑摩(改二)の初期装備 D,衣笠(改二)の初期装備 の4つだけである。
Bは三隈を入手するというステップ自体が大型建造という全く割に合わないガチャを回すかドロップ堀り、
Cは勲章4つ(通常プレイでは2個/月でしか入手できない)、Dは非常に高いレベルまでの育成を必要とするため余程の根気が必要である。
ではAはどうなのかというと、サーバーにもよるだろうが「ランキング上位者はありえない量の戦果を稼いでいる」のである。
(参考までに述べておくと、横須賀サーバーではランキング1位は4月の集計時に6000近い戦果を稼いでいる)
これらのプレイヤーは24時間張り付いていたとしても手動では稼ぎ得ない戦果をたたき出し、その数値が他のプレイヤーからでも
参照できてしまうという状態、要するに「不正プレイが横行しているし、それをユーザーも確認できるが野放しにされている」という状況。
ほぼ現実的にレア装備を入手しうる手段であるランキング上位報酬も、多くのユーザーが不正プレイを使って優先的に取得している、という状況は
あまりにもまずい、というか普通のMMOなら大炎上不可避なレベルの事態ではあるが、『艦これ』では常態化している。
まあ、これは良い。好きなゲームだから太平洋よりも広い心で許すとしよう。
さて、このレアな装備を「先行」実装した時にははっきりと「将来的に他のプレイヤーも入手できます」と明言されているが、
上の例で挙げた3号砲が最初に配布されたのは2014年4月のランキング報酬である。
つまり、1年以上の間「先行」配信を受け取る資格を得た上位ランキングプレイヤー以外はB,C,Dのうちいずれかで
膨大な手間をかけてやっと1つ入手可能なのである。
これは他の装備(試作晴嵐)などでも同じで、ランキングに入賞できないプレイヤーは入手機会は未だに「イベント」か関連艦娘の装備だけである。
このような状況から、とにかく「自分の好きな艦娘を集め、一番良い装備をさせる」ことも非常に難しい。
元々『艦これ』が流行った要員に「キャラゲーとしての楽しみ」があるのは間違いないにも関わらず、
「好きなキャラを強くする」ことができる可能性が非常に狭められており、プレイしていてストレスに感じる。
「史実」という言葉がある。艦これに登場する艦娘は過去WWⅡにおいて建造された艦をモデルとしており、関連した能力を持つ。
これは『艦これ』というゲームの大前提であり、敵とステージもそれをある程度共有しているのが世界観としての約束であった。
この「史実」をモデルとすることによる豊富なバックボーンは多くのプレイヤーを惹きつけた要素となったわけだが、
残念なことに現在ではこの「史実」はプレイヤーを縛り付けるための方便だけに成り果てている。
『艦これ』では、プレイヤーが敵艦が跋扈する海域に突入し、連戦をくぐり抜け最終的にボスを倒す、というのが目的である。
一度でもゲームを製作したことがある方にあっては態々言うまでもなくご存知のことと思うが、プレイヤーのヘルス=敵のヘルスではない。
プレイヤーのヘルスは最後のリスポーンポイントからそこまで来るだけのバリューを持っており、リスポーン可能な敵のヘルスは軽い。
しかし、このゲームでは後半の海域に差し掛かるに連れて「味方よりも高いヘルスを持った敵」が平然と出現するのである。
『艦これ』がアクションゲームでなんとかガードを決めればどんな攻撃でもダメージ0どころか反撃できるとか、
プレイヤーの卓越した作戦でうまく行動する前に叩き潰せる等の方法があればこの構造は「ボスモンスター」として問題はない。
プレイヤーが艦娘たちの戦闘に干渉できるのは戦闘前の陣形決定ボタンを押すのみで、押した瞬間に勝敗は決するうえ、
味方の艦隊は敵陣の奥深くに切り込めば切り込むほど燃料・弾薬が減って不利になっていく。
そこで「何度も」味方のキャラクターよりも絶対的に強い敵が登場する、というマップ設計はゲーム制作素人どころの話ではない。
2-4などのようにボスとして配置するならまだわかる。
プレイヤーが使える艦娘は実質的にヘルスのキャップ値は100であるが、これら敵艦は平気で100を越えたヘルスを持つ。
更に道中で連戦・攻撃力も高い・避ける方法はなしとなればプレイヤーサイドでできる事は最早
「一番スペックの高い艦娘を並べて敵が攻撃を全部ミスすることを祈る」だけである。
先に述べたようにはっきりいって『艦これ』のゲームとしての戦略性は下の下どころの話ではない。祈るだけである。
いわば「味方を一切操作できないWizシリーズで何の対策もなしにクソ固いボーパルバニーと連戦」状態だ。
その状態でいくら「強敵」を出現させられても、「高難易度でやりがいがある」とはならずただ面倒なだけである。
そもそも、長門の2倍のHPを持ち、加賀の2倍の艦載数を不自然に一箇所に割り振られ、軽巡以上の対潜能力を持った艦とは何なのか?
帝国海軍が戦っていた相手にビッグセブンをはるかに越えたスペックを持つそのような化け物が居たということなのだろうか。
残念ながら筆者はWWⅡの時代の艦船の専門家ではないため、そのような存在がいたかどうかについては判断のしようがないのだが。
そして一方で、味方のステータス、装備はいつまでも「史実」に沿った数値のままで一向にパワーアップしない。
ケッコンカッコカリなどのシステムが追加こそされたものの、上がるステータス自体は微々たるもので
一部『if改造』の入った大井・北上は超パワーアップを遂げたという例を除けば「史実」は多くの艦娘にとって
実質的な「能力キャップ」として機能するだけのペナルティと化している。
戦艦で最強クラスの大和・武蔵が実装され、この「史実」をモデルにしている以上プレイヤーにはこれ以上強い戦艦は手に入らないのである、
それこそ大和が宇宙戦艦になったり武蔵がゲッターロボに乗るif改造でもなければ。
◆4,艦種の扱い
・大艦巨砲主義化
上述した難易度調整の結果、一部の艦以外の存在意義は非常にあやふやで、
周回して何度もボスドロップ等を入手しようというプレイヤーでなければ戦艦・正規空母以外を使う価値は非常に薄い。
そもそも強い強い敵と正面から殴りあうしか攻略が無いので、耐久と火力の高い艦以外は後半海域になると一気に出番がなくなる。
既存のマップがほぼすべて「戦艦や正規空母を含む敵と連続で会敵し、戦う」という構造を取ってしまっているため、
駆逐・軽巡などは道中に潜水艦が居る場合でもなければ入れる価値が非常に薄い、ただ大破撤退を引き起こすキャラと化している。
その潜水艦に関しても後先考えない実装をしたせいで味方の潜水艦だけは一瞬で敵駆逐・軽巡に大破させられるキャラとなっており
(対潜水艦装備をしていない駆逐・軽巡でもどんどん「敵だけは」攻撃を当ててくる)、通常マップではかなり有用性が薄い。
実際に後半海域で出番が回ってくるのはごく一部の戦艦娘や大鳳と赤城・加賀を除けば大井・北上ぐらいのものである。
一般的なMMOで「終盤MAPでジョブや装備が絞られる」というのはまだわかるが、『艦これ』のゲーム性はそこまで深くない。祈るだけだ。
艦これがウケた理由の一員である多種多様なキャラクターたちは実質的に後半海域では20人以下まで絞りこまれ、
後は後述するハンデキャップマッチのお荷物役にしかならないというのはキャラゲー部分にも影を落とす設計である。
空母が烈風ガン積みで制空権を取ったら戦艦だけが殴りあう。WWⅠどころか大航海時代レベルの海戦ゲームである。
・艦種縛り
代表的な例としては、3-2をクリアするために必要な「駆逐艦縛り」などであるが、これらマップは「史実」をベースにしたと言われている。
このキス島作戦の時点で駆逐艦を編成して突入しても普通に戦艦と遭遇し、ここをいかに中破で乗り切ってくれるか祈るだけ・・・というマップ構造になっている。
しかし、モデルになったと言われるキスカ島撤退作戦では駆逐艦は敵艦には「遭遇していない」。
これを再現しろというのはさすがに無理だが、後々の艦首縛りマップでもだいたいの場合普通に敵主力とは会敵し、撃破する必要がある。
結局のところ、この「艦種しばり」も「史実」にかこつけたプレイヤー側への一方的なハンデキャップであり、
将棋で言えば飛車角落ち、ひどくすれば金銀桂香全落ち程度にまで行くというのが実情である。
お荷物を抱えれば道中を通過しやすくなりますよ、というのが2-4以降での方針らしいが
自分の好きなキャラクターをお荷物扱いされて気持ちの良い人がいるのだろうか?その辺りの考えが非常に浅い。
駆逐艦縛りや軽巡縛りにすることで事前工作活動を行い、主力攻略を有利に進められるようなシステムであれば良いものだが、
残念ながら現状の『艦これ』の戦闘は操作不能のボーパルバニー連戦モードだけである。
また、重雷装巡洋艦は先手で敵の数を減らすまたは削れるというかなり強い特徴を与えられたのに対し、
航空巡洋艦は非常にその特徴が薄く、いつまでも劣化重巡のまま(そしてその重巡も戦艦の劣化版)である。
申し訳程度に引き上げが入ったものの、早々に"if改造"が適用された雷巡とは違い劣化重巡、ひいては劣化戦艦という色が強く、
専用装備である水上機は2で述べたようにほぼ手に入れる手段が皆無ときている。更に言えば、弱い。
開幕の爆雷攻撃で落とせるのは精々低レベル雑魚駆逐のみであり、更に潜水艦がいれば無意味な攻撃を繰り返すという仕様で
どうもこのあたりから「開発方針を決定する人のお気に入りかそうでないか」という格差を感じるのである。
どうも最近の新規マップを見る限り、開発方針は「ドラム缶でも運んでろ」という事らしいが。
このあたりの艦種縛りに使うために都合よく部分的に引用される「史実」と、
その史実から外れることができる・できないの基準が不明瞭極まる点がプレイしていて非常に不満点として持ち上がってくる、
というか2-4実装までとそれ以降で明らかに設計基準が違うことを感じるのである。
特に後に実装されたものになればなるほど「史実」を使った理不尽なプレイヤーいじめがひどく、
敵は好き放題パワーアップしていくという印象が強い。
0で述べたように艦これの運営はオーバーキャパ状態で回している。大変だと思う。
いつも新規解放などに追われていて、大変そうにしている・・・それはわかる。
が、艦これの運営新実装に関するアナウンスはいい加減で、「かろうじて嘘はついていない」レベルのものが多い。
2で述べた「先行配信」で1年以上、勲章実装時の「持っていたらいいことがあるかも・・・?」からの後出し設計図。
新装備実装の「~するといいことがあるかも?」というような物言い。
元々『艦これ』自体がかなりマスクデータの多いゲームで、プレイヤーは解析でもしない限り情報を与えられないが
(事実として公式に轟沈の発生する条件も未だに伏せられているままである)、その中で公式の物言いが
「ギリギリ嘘ではない」レベルのアナウンスを運営スタッフにさせる点はかなり不誠実な開発方針である。
「運営は大変そうだけど開発からのアナウンスがあまりにも不誠実だよね」という点は間違いなく艦これ運営の問題点だ。
なんとなく維持運営が大変そうなので心情的に同情してしまいがちだが、その影で開発からのアナウンスに関しては
後出しでイベント報酬を追加する、後出しで勲章を重要アイテムにする(うえにリアルタイム縛りにする)、
決して嘘は言っていないというレベルの適当な新装備の説明、先行実装(1年)という装備の出し渋り等、枚挙に暇が無いのである。
twitter上だとアカウントがひとつで巧妙に偽装されている上に、だいたいここらへんの不満を率先して
袋叩きにしにくる憲兵が居るので口が裂けても言えない話なのであるが。
◆まとめ
まとめると、2014年5月現在艦これはアニメ化、グッズ展開、コミック展開等をかけていくに「これから」という時に
肝心のゲーム側の鍍金がボロボロと剥がれ、末期臭を漂わせながらキャラゲーとして楽しんでいる人にまで影を落としつつある。好きなキャラが使えないのだ。
コミカライズやこれから放送されるアニメ、同人誌や関連グッズだけで『艦これ』に触れる人は良いかもしれない。
だが、その一方でゲーム本編ではどんなかわいい新キャラも潜水艦退治かハンデキャップマッチ以外に仕事がなく、
そのキャラが気に入っても全く強くすることはできず、嘲笑うかのように敵は遥かに強いものが出現する。
強い強い深海棲艦に比べあまりに艦娘は貧弱で矮小、無限にリスポーンする敵に対して一度死ねばロストという儚いもの。
肝心のゲーム部分で「艦娘」というキャラクターの価値を落とすようなことをしているのは非常に残念、というのが私の思いである。
「プレイヤーがどんなにキャラクターに愛着を持っても、開発方針がそれをシステムで
徹底的に否定するようなアプデ・イベントを繰り返すのはやめてほしい」、ただそれだけの話だ。
・まずソウルに短時間でミサイル数十発を叩き込んで焦土にする。北朝鮮からソウルまでの距離では迎撃ミサイルが機能しないらしいのでその穴を突く。最初にソウルを焦土にすることで政治機関と軍の司令部を麻痺させる。
・次に南部にミサイルを数百発打ち込んで焦土にすると同時に38度線を超えて軍事展開、北部の都市を制圧する。
・ここまでの作戦行動を24時間以内に行うことで外国に情報を掴まれるのを遅らせ干渉を遅らせる。
・アメリカがもたついているうちに韓国が滅亡しているので、アメリカは北朝鮮と事を構えるのを避け、非難はすれど軍事行動はしない。日本はそれに追従。中国はもともと親北朝鮮なので無問題。
・制圧した朝鮮半島南部は国土の7割が焦土で使い物にならないが、北朝鮮に占領されればどっちみち焦土同然になるので、無問題。
これを読んで、なんでアメリカは5000発しか予備がないのか不思議に思ったので調べてみた。喫緊に危機が迫っている韓国軍の予備弾が少ないのはもともと戦闘を想定していなかったというのは納得なんだが、しかし2000発程度しか予備がないとの情報もあり、なぜ各国で予備弾数がこんなにも違うのかというのはやはりわからなかった。
で、いろいろ調べてみたんだが、まずPKOでは兵站は一元管理しているようだ。
http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison13.html
私は、2011(平成23)年9月よりハイチの首都ポルトープランスのデルタ・キャンプにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)軍事部門司令部兵站部において「兵站幕僚」として勤務しています。編成は7名、国籍はチリ、ブラジル、アメリカ、ヨルダン、フィリピン、ハイチそして日本とバラエティに富んでいますが、これだけ異なる国が揃うと仕事のやり方もそれぞれ異なることは言うまでもありません。兵站部では、具体的にはCOE(派遣国保有装備品)及びUNOE(国連保有装備品)の定期的な現況調査、使用弾薬の管理、国連車両の管理、派遣部隊に対する任務支援(主に輸送任務)、補給品調達及び生活環境の構築・改善等を行っています。2010年10月よりコレラの流行が問題となり、特に生活環境(汚水処理施設やゴミ処理方法)については適時確認、改善させる等、万全の態勢で臨んでいます。私のこの他の任務としては、MINUSTAHと日本隊との連絡幹部的役割を担ったり、本邦とMINUSTAH関連情報のやり取りを実施しています。
その兵站支援の方式としては平和維持軍に参加する一国が担当する一国支援担当方式、相互依存の原則に基づき複数の参加国が他国分担方式、地域ごとに担当区域を定めて行う分権方式がある。[13]
と思って調べてたらばっちし兵站部のひとの話があった。
http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison22.html
兵站幕僚は、UNMISS軍事部門司令部(Force Headquarters(FHQ))兵站部(J4)に配置されています。FHQは司令官(Force Commander(FC))以下約90名(23カ国)から成る、UNMISSの中で唯一軍人だけで構成される組織で、兵站を所掌するJ4はチーフ(オーストラリア陸軍中佐)、副チーフ(オーストラリア海軍少佐)、部員2名(スウェーデン海軍少佐と私)の計4名で構成されています。
派遣部隊との業務上の関係については、UNMISSに派遣された部隊は全てFCの指揮下にありますが、FCが運用権限を有するのは歩兵大隊(インド軍、ケニア軍、ルワンダ軍、モンゴル軍、ネパール軍)に対してのみで、支援部隊に区分される派遣施設隊の運用権者はFCではなくミッション支援部長(文民)になるため、直接的なつながりはありません。しかしながら同じUNMISSという枠内で活動する自衛官として、日本の現地支援調整所や施設隊とは定期的に情報共有を図っていますし、新規部隊の派遣・展開といった他国部隊の動向に関する情報はFHQに集約されますので、情報収集の観点からも自衛官をFHQに配置している意義はあると考えます。
というわけで、日本・韓国の兵站は独自にやっているもよう。ちなみに兵站はかなり困難な状況のようだ。
http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html
さて、それで実際どの程度の武力を持つことができるのかというはなしだが、Wikipediaには
無撃的武力は車両による道路封鎖など、加撃的武力は小火器の使用などが挙げられる。最終的手段としての加撃的武力の行使は自衛戦闘においてのみ認められている。自衛戦闘とは兵士個人または部隊の一部が危険に陥った場合、対立勢力の一方が平和維持軍を撤退させようとして平和維持部隊の安全が危険となる場合、武力で平和維持軍の武装解除を行おうとする場合、平和維持要員を逮捕・誘拐しようとする場合、平和維持軍の資産を武力で侵犯した場合がある[12]。
という記述がありかつ、FCの指揮下にいるので、各部隊には予備弾などのルールもあると思われる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20131224-00030921/
これでみると日本は330人位(二個中隊?)、韓国は273名(一個中隊)、アメリカはよくわからん。予備弾1万発を330人で分けると一人あたり30発(弾倉1個分)。どれくらい予備弾を保持するのが可能なのかと推測すると一人あたり弾倉2個くらい?予備でないの含めると弾倉3個が一人あたりの分配なのかなという感じ(自衛隊は首都にいてUNMISSも近くにあるので全部渡しちゃったのか?だとすると弾倉2個が持ち分の可能性もある)。とりあえずアメさんが出してきた量からアメさんの人数を想定するとおそらく150人程度(一個中隊)かな。韓国も同じ割合で保持しているとすると、約2万5千発(うち予備約1万6千発)を保持、今回足りないかもで足した分が1万5千発。だいたい予備が二倍になったくらい、かな。
重武装の反乱軍部隊1000名(しかも戦車もいる)のに、小火器で弾倉五個(下手したら四個)というのはかなりつらそう。まぁ三個しかないよりはマシだが。
~~~追記~~~
色々見てたら自衛隊の予備弾薬8万発、韓国の戦闘員は40~50人という情報も出てきた。
たしかに工兵中隊は文民扱い文民指揮下だから、戦闘員40人x弾倉2個(60) = 2400発。だいたい整合性が取れる感じ(追記2万発の間違いくさい。たびたびすみません)。これを非常時ということで工兵にも分配したらそりゃ足りないわ。1.5万発は本当にありがたいだろうね、現場の人的には。そしてそれくらい切羽詰まってるってことでもあるような気も…。しかし自衛隊の予備弾薬多いな。一人あたり弾倉8個分か。兵站が困難なことが予想されてたから予め多めにおいといたのか。
アメリカは戦闘員しかいないので、自衛隊と比べてはいけなかったな。多分一個師団くらいできてるよなぁ…
http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf
一次ソースを読み直してみたら、武器数はちゃんとかいてあった(自衛隊の)。今回の弾薬提供に関係する武器は89式小銃と5.56mm機関銃MINIMIなので、計302丁。所持弾薬数8万発の話がほんとだとすると、一丁辺り260発。でもたぶん機関銃が100発ずつ確保するとなると、200発弱ぐらいというところか。弾倉7個程度なので平和維持活動をすると考えるとまぁそんなものなのかなぁ…普通どの程度かがわからない。
なお、10月から自衛隊は組織改編して増員(5次要因)している途中で12月末をめどに400人になる予定だったようだ。入れ替えで陸路を通らないといけないということでちょっと多めに予備を持っていたのかもしれませんね。
~~~追記ここまで~~~
しかしこれで反乱軍部隊におそわれて弾薬等を奪われてしまったら危険だなぁ。大丈夫なんだろうか。中立ルールにのっとって大量虐殺を阻止できなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナやルワンダのようになってほしくはないが、かといってヒャッハーせんそうだぜぇ!を国連が許すとは思えないし、とっととPKFで介入しろというのが結論の気がする。
なお弾が足りないとか公言したらむしろ危ないだろなどというコメントが散見されるが、地理的に近い+UNMISSが関与しているので、閣議決定された時点で弾薬の受け渡しが開始され、それが済んでから発表されたのでは?というか閣議決定される前から動きはじめていたのでは?という感じだなぁ。現場のことはわからないけど。海外ニュースではちょろっと日本が初めて他の国に武器をあげたよっていう話題は出ているが、それほど大きく取り上げられてはいないので、あちらさんには弾が足りないとかいう情報は殆ど伝わってないだろうし。そもそもガラパゴスな日本語と韓国語の応酬だからなw
余談だが、弾薬提供は逆に戦闘力があると見做されて攻撃を受ける可能性を作る事になりかねない、ってのを見かけてちょっと笑った。いやいやいや…たしかにPKOで武器をできるだけ持たないのは現地民からの反感をかわないためだが、避難民が狙われている状況ではむしろきちんとした装備を持っていることをアピールしないとまずいですよね。
なんか申し訳ない感じなので一応まとめておきます。間違ってたら指摘してください。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html
もとは1956年に独立したスーダン共和国の一部。二回の内戦と一回の紛争の後、2011年に南スーダン共和国として独立した。
4世紀頃からキリスト教徒が多い国だったが、その後エジプトの支配が強まり、北のほうからイスラム化、途中エジプトが英国領になった影響でそのまま英国領になった。で、19世紀の後半にイスラム教徒が蜂起して乱を起こし、国家を設立。この時に噛んだのが多分フランスで、その後はフランスとイギリスの代理戦争の場となる。
一応その騒ぎは収まって結局イギリス保護下になったんだが、北側は独立の意思が強く、南北で分断して統治をすることになった。これが今も南北で仲が悪い遠因らしい。北は独立するために自治政府をつくり、第一次内戦をへて56年に独立、以後イスラム系が強い国になる。
が、石油が南部で発見されてしまったため、北部の人たちが無理やり地域区分を変えて利権獲得に奔走したり、イスラム原理主義に走ったので、これに南側の非イスラム系が反発してまたもや内戦勃発。この後はウガンダとかエチオピアとかマリあたりもごたごたしてぐっちゃぐちゃしてるのでようわからんが、とりあえず最終的には2003年にイスラム系と非イスラム系の間で紛争がおこり、暫定政府を作ってようやく集結……かとおもいきやナンバー2が事故死してカオスになったりしつつも、2011年にようやく南スーダンが独立することに住民投票で決定した。
ほとんどはイスラム系と非イスラム系の戦いではあるが、一部部族間抗争だったり、二回目の紛争の遠因になった油田をどっちの国にいれるかでもめてたりなどするので、単純な宗教対立ではない。南側は地下資源が豊富だというのもキーポイントのようだ。どこの国でも同じですね。
で、このスーダンと南スーダンは近年落ち着いてるかって言うと、全然そんなことはなくて、未だに国境ラインでもめている。
スーダンは内戦と紛争で荒廃しきっているので、とりあえずインフラ敷設とかやろうというわけでPKO派遣が決まった。決まったと言っても未だごたついている地域なのでそれでいいのか、なんだがまぁやっちまったもんはしょうがない。日本がスーダンへの派遣をきめたのは2008年の福田首相の時、実際に派遣が始まったのは2011年7月からなので菅首相のとき。現場はあんまり乗り気でないムード(要出典)だったみたい。
http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html
南スーダンPKOへの自衛隊派遣における最大の障害は、兵站上の困難さである。自衛隊の要員や物資は、ケニアのモンバサ港から陸揚げされるが、自衛隊が活動拠点とすることを予定しているジュバは、そこから1900キロの、いわば陸の孤島である。陸上輸送ではジュバまで1カ月以上かかり、空輸であれば、大型輸送機がジュバの空港に着陸できないため、隣のウガンダで中型機に積み替える必要があるという。そして、自衛隊の南スーダンにおける活動は少なくとも5年は継続される。このような長距離輸送は、今までに経験したことがないと、自衛隊幹部は指摘している。政府は、ジュバ周辺の安全性ばかり議論しているが、真の困難は兵站にある。(図参照) ジュバ周辺の治安に不安があるという理由で武器使用基準を見直すなどというのは、後付けかつ極めて的外れである。
政治が、自衛隊派遣の政治的目的を明示し、それにかかる軍事的コストを自衛隊側ときちんと擦り合わせるというプロセスが、全く十分であったように見えない点が大問題である。本来、それこそがシビリアン・コントロールの重要な機能である。
このように兵站が大変ということは最初から自衛隊幹部は指摘していた。実際現地からの声にあるとおり、雨季は道がつかえずかなり苦労している模様。竣工式などは和やかにおこなわれているみたいなので、ここ数日で急激に情勢が変化したんだろうなぁ。
韓国軍がいたのはボルという街で、ネパール軍とインド軍がその警護にあたっていた。インド軍は医療部隊も持っていたけど、韓国軍は工兵中隊なのでPKOでは文民。
日本がいるのは首都のジュバで、ルワンダの部隊に警護をしてもらっている。ボルからは真南に15km150km(桁間違えましたすみません。高速道路でいけるらしいです)だそうだ。日本がやってるのは道路の整備とかコンテナ住居の設置とか。
で、今月15日に反政府軍がクーデターを企図、一応未遂にはなってるみたいだが、火花が散れば燃える国なので戦闘が継続している。なんでか特定民族の殺戮も行われていると言う話だが、これはどこまでほんとかは微妙。
http://www.afpbb.com/articles/-/3005548/12849717
戦闘は、サルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍の部隊と、7月に解任されたリヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領を支持する部隊との間で行われている。
キール大統領は、マシャール前副大統領がクーデターを企図したと発表したが、一方の同前副大統領は、同国部隊同士の対立を利用してキール大統領が粛清を行ったと主張している。
大量殺人から逃げ出したとする証言者2人は、自分たちがマシャール前副大統領と同じヌエル民族であるために狙われたと話している。一方の殺害行為を行っている兵士らはキール大統領と同じ多数派民族のディンカ人だという。
ボルのそばでもこの戦闘が行われており、インド兵が死亡するほどだった。しかも睨み合っていた政府軍がとつぜん反政府軍に寝返り、ヌエル族の殲滅にうごいているようだ。それでインドとネパールはやや退却したんだけど、施設に避難民がきている韓国軍は撤退するにできずとどまっている。難民の数は1万~8万との情報があり、ここに反政府軍が雪崩れ込むと大変に危険。今朝の時点ではまだ接触はない、みたいな感じだったが、夕方には迫撃砲が基地のそばに着弾したとのことでなんとなく時間の問題な感じがする。
ちなみに反政府軍が狙っているのは避難民なので、韓国軍はがんばればたぶん撤退できないことはない。撤退したらスレブレニツァコースだが。
で、工兵隊の韓国軍は弾数足りない!誰か送って!となったわけですね。
本来ならインド・ネパールが蹴散らしてくれるはずだったので、装備にそれほど気合入れてなかったのかな。どの程度の武器を所持しているのか調べきれていないのだが、相当の備えをしていても厳しい局面であるとは思う。というかよく避難民残して退却するという選択肢をえらばなかったなというくらいの状況だ。武力行使が起こる前に補給が間に合うか、PKFで介入するほかないのではないかと思われる。
現地の状況(英語多し):http://matome.naver.jp/odai/2138774124472690501
なんかー…
TBとかTBのTBとか一部ブコメとか、なんで韓国と日本のことばっかり言ってるのかわからない。今現在起ころうとしてる民族浄化がどうにかできないかって思わないのかなぁ。なぞだ…
何ごともなく自体が収束すれば、それでよいじゃないですか。なにごとかがもし起こってしまったとしても、それは当事者国の問題でしょう。犠牲者が出たことを悼みはするけど、こちらはせっせと働いて人道的支援のための金を捻出するくらいしかできることはないし、それだけでいいんだと思う。現場の人には無事でいて欲しいし、全部終わったあとに第三国の人間がなにをいおうとどうでもいいよ。
最近の公開文書などによって明らかになってきた、共産主義者による敗戦革命という見方が、前提にあるかどうかで、全然違った見方になるかとも思います。
(各地に無駄に戦線を広げさせ、対ソの戦線をまともに闘えないようにさせられた上で、日米で潰しあわせる。その後、弱ってる所を頂いていく計画)
満洲・朝鮮・樺太千島はどうなりました?北海道は、占守の護りがなければ、どうなっていたでしょう。
また、人民解放軍が、文字通り、アジアの解放を大義として、未だに闘っている事実をどう解釈されますか?
とはいえ、こういった話は、私も元は俄には信じ難かったですし、信じたくなかったのですが、『近衛文麿の戦争責任』や『ヴェノナ文書』などといった本などで、
日本の作戦司令部や、米のルーズベルト政権・GHQらに、コミュニストが大量に紛れ込んでいたという事実を知るにつれ・・・・・。
標準時の変更を 与党議員が発議=韓国 聯合ニュース 11月21日(木)19時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131121-00000045-yonh-kr
【ソウル聯合ニュース】韓国与党セヌリ党の趙明哲(チョ・ミョンチョル)国会議員は21日、日本の標準時と同じ韓国の標準時を韓国本来の標準時に変更することを柱とする「標準時に関する法」の改正案を発議した。
韓国標準時は日本標準時子午線の東経135度を基準とするが、これを韓国の国土の中心を通る東経127.5度に変えるという内容。その場合、標準時は現在より30分遅くなる。
韓国は1908年、東経127.5度を標準時子午線に定めたが、
日本植民地時代の1912年に朝鮮総督府の指示で日本標準時にそろえた。1954年に東経127.5度に戻した後、1961年に再び135度に変更した。
趙議員は、現在の韓国標準時子午線の東経135度は韓国の領土を通っておらず、韓国最東端の独島からも278キロ離れていると指摘。「標準時の改正を通じ、領土主権と歴史を再確立し、国のアイデンティティーと国民の自尊心を回復すべき」と述べた。
mgk1202@yna.co.kr
●韓国標準時 - Wikipedia、フリー百科事典(google翻訳)
http://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%95%9C%EA%B5%AD_%ED%91%9C%EC%A4%80%EC%8B%9C によると
1912年 1月1日:東経135°UTC +9に変更。朝鮮総督府官報第367号(告示第338号)。
1954年 3月21日:解放後、大韓民国の標準時間は、再び東京127.5°UTC +8:30へ変更。大統領令第876号(1954年3月17日)。
1961年 8月10日:国家再建最高会議の決定に基づいて東経135°UTC +9:00へ変更。法律第676号(1961年8月7日)。法律第3919号(1986年12月31日)。
となっていて、詳しいことはわからない。
少し詳しく調べてみると
●日本が奪っ朴正煕がまた奪った '韓国時間' [走る鉄道で見た世界] (17)時間をめぐるいくつかの物語 インターネット紙 「プレシアン」(Google翻訳)
http://www.pressian.com/article/article_facebook.asp?article_num=10131025141140
1945年になるとすぐ時間を取り戻してくるとは、努力があったが、韓国の統治を務めた米軍政は、操作利便性という単純な理由で東京標準時をまだ守った。韓国標準時を再訪れたのは韓国戦争が終わって遠征きた米軍の撤退が行われた後の1954年3月だった。21日午前0時30分部大統領令によって再び東京127度30分を標準子午線とする大韓民国標準を指定します。1954年3月21日、大韓民国は0時30分を二回経験することになる。一度は東京標準時に一度ソウル標準時。しかし、このソウル標準時は長続きしない。7年後にクーデターを起こした朴正熙を筆頭とした軍部勢力は国家再建最高会議で、韓国の標準時間を東京標準時に戻って変えてしまった今まで続いてきている。
もう少し詳しく調べてみると
●良い名前の研究所は標準時を韓国の基準東京127度30分を適用しています(Google翻訳)
元韓国が使っていた標準を日本が強制的に日本のものに変えたし解放が
れた後一歩遅れて1954年に韓国基準の標準に還元したこと以上にも
1961年5月16日の軍事クーデターが起きたすぐ後の1961.8.10から再度東経135度を
標準時に変更したことをご存知ですか?
東京127度30分には大韓帝国官報第3994号(勅令第5号)に基づき、1908年4月1日から
それが、日本の日韓併合策の一環として、朝鮮総督府官報第367号に基づき、1912年
光復後、1954年3月21日、李承晩政権は日帝残滓清算の一環として、標準時を
変更して、時間を30分遅らせました。 しかし、当時、米軍は、作戦指揮権を東京
米極東司令部の関係で標準時の変更に従うことができないと頑強に反対した
します。
ところが、1961年8月10日、朴正煕の軍事クーデターが起きた後席月もされていない、
軍事政権は、法律676号(標準子午線変更に関する法律)に基づいて時間を30分
繰り上げ日本と同じ東経135度基準の標準時を使用する法案を可決した。
その時の理由は、国際的に30分差が出る標準時がないことを国際的
習慣と一致させるというものでした。 (これはとんでもない論理です)
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについては、これまで知られていなかったが、
最近入手した1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録による
面が会議に参加した某人が在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために
統一された時間が必要だと標準時の変更を要求してわずか数分で通過させたとされて
ています。
米軍の軍事作戦の便宜のために国の時間を無理やり日本時間に合わせるとんでも
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、どうしてわかったのか。
[緊急提言]韓国時間30分ずらす "いい加減"風土消える 金基德 キム·ギドク 建国大研究教授·韓国史
東京127度30分採択は、「時間の光復」! (Google翻訳)
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_2.html
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_3.html
1961年に国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、これまで知られていることがほとんどなかった。 ところが、
2004年8月KBSがソクジェの事件ファイル "光復59年、時間は解放されなかった"という番組を放送した。 KBSは1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録を入手して、次のように報道した。
「光復」と「不快感」の間
「この会議に出席した関係者は、米極東軍司令部(在日米軍)が、在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために統一された時間が必要だと標準時の変更を要請してわずか数分で通過させたと証言した」
結局、国民の代表機関ではなく、軍事クーデターで成立した「国家再建最高会議」は、米軍の要請があろうクーデターの承認を受けるために、1954年に標準時変更後わずか7年ぶりに東経135°を基準にした時間に変更したものである。 以降の夏時間(サマータイム)の導入根拠を用意するために、1986年に「標準に関する法律」に一回変更しただけで、現在までに我々は、1961年に改正された東経135°基準の標準時をそのまま使用している。
参考資料
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=tyahnstein&logNo=100194115583
韓国語で標準時は現在より30分遅くなる利益・不利益をまとめて書いたエントリー。
艦これにおいて、難易度が跳ね上がる難関ステージとして有名な2-4。
クリア方法は色々あれど、自分的に最も楽だと思う方法を書いてみる。
一番楽にクリアできる方法を一言で言い表すなら「唯一の敵は羅針盤と言い切れる程度に、強い艦隊を育成すること」これに尽きます。
もう少し噛み砕いて言うなら「北東ルートにさえ入れば、ボス戦だろうが道中戦だろうが、やられる前に叩き潰す艦隊を育成する」こと。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」戦い方です。或いは「ロジカル脳筋プレイ」でもいいです。
まず、かなり長丁場のステージです。
ボスまで最低3戦(ボス戦は最短で4戦目)、ルートと運によっては5戦もこなすことになるため、駆逐や軽巡・雷巡といった耐久の低い艦種には非常に厳しいです。
しかもこのゲームには連戦補正といって、4戦目以降は弾薬の残量の関係から、ダメージにマイナス補正がかかる仕掛けがあります。
4戦目でフル火力の80%、これが5戦目になるとなんと40%、更に6戦目以降はたったの5~10%と、恐ろしいくらいに補正がかかるため、ボス戦で多くの敵艦を取り逃がして敗走する一因に。
また攻略ルートのうち、北西のルートでは最悪6戦目がボス戦になるため、それがこのルートでの攻略を絶望的にしています。
ただでさえ艦娘の損傷具合でダメージ補正がかかるのに、その上で連戦補正とはなかなかに深刻な要素です。
願わくば東のルートか、北東のルートで「気のせいだった。」を引きたい所。
また真のラスボスと言われる羅針盤の確率計算は明らかに偏っており、正直このステージでボスまで辿り着ける確率は、恐らく20%もありません。
なので運が悪いとクリアできるまで何度も何度も出撃するハメになります。
更にボスも道中も強敵揃いなので、機先を制して打ち負かすことで、被害を最小限に抑える必要があります。
これらを踏まえて、割と千載一遇のチャンスを絶対に逃さない準備をしない限り、クリアは覚束ないということです。
というタイトルをつけた時点でお察しですが、ここはもうwiki等にある通り、編成は戦艦4正規空母2の王道以外あり得ないでしょう。
もちろん全艦改造済で、特に戦艦の火力と装甲だけはMAXまで近代化改装。空母もできるだけ値を上げておきます。
これ前提です。大事なことなのでもう一回書きますが、大前提です。
何故ならボス戦は複数の敵戦艦に正面から激突する、文字通りガチの殴り合いになるので、相手の攻撃に耐え、かつ総合火力で勝るほうに軍配が上がるということ、道中の被弾で撤退に追い込まれていては話にならないからです。
ですから建造でもドロップでもいいのでなんとしても揃え、改造・改装まで進めて下さい。
多分、殆どの提督さんが扶桑姉妹、伊勢姉妹、金剛姉妹、赤城、加賀、蒼龍の混成になると思います。それでおkです。
なお、オール戦艦編成は正直微妙。というのも戦艦は先に倒せる弱い相手(具体的には耐久の低い軽巡駆逐)を優先的に狙うことが多いので、肝心の本丸(戦艦・空母・重巡)に攻撃を向けさせるためには、空母による開幕爆撃で雑魚を一掃する必要があるからです(でないと高い運用コストに見合った仕事を期待できないとも言える)。
ちなみに空母は戦艦とは別の意味で色々高くつくクセに結構脆く、特に高レベルになると劣勢になった日本海軍が安くて固い基地航空隊に切り替えた気持ちを痛感することになりますが、今の段階でそんなことは考えず、空母の運用に慣れて下さい。
それぞれ火力と耐久に難があるので、確実に足枷になります。戦艦や正規空母の育成用艦隊に組み込むならいいんですけどね。
これだと資材的にキツいのはよくわかりますが、クリアした提督は皆そうやって大きくなったんです。厳しい言い方で申し訳ありませんが。
とはいえ2-4を攻略するくらいの司令部レベルだと、空母のうちクエ報酬の赤城はともかく、もう1隻を建造で揃えるのは正直難しいと思うので(加賀も蒼龍も2面でのドロップ入手が現実的だと思う)、赤城と軽空母1隻で挑戦するのも可。その場合轟沈リスク回避のためにも、必ず軽空母を旗艦にして下さい。
また戦艦1隻を雷巡に変える場合はボス戦まで大破しない、開幕雷撃を確実に当てるといった運が要求される他、夜戦でカットインもしくは連撃を狙える装備(北上ならカットイン、大井なら連撃狙いかな)を施すなど決して簡単な選択ではないので、それでもコスパを取るかはよく考えて決断して下さい。
その上で戦艦に長射程以上の砲を例外なく1門以上装備し、火力120以上を確保して下さい。手段は問いません。
徹甲弾だろうが主砲ガン積みだろうが、とにかく先手必勝、戦艦以外はクリ一発で撃沈してお釣りが来る火力が一番大事なんです(戦艦相手でも二確が理想)。
実際にやってみると、道中戦ではいささかオーバーキルに見えるくらいの破壊力を発揮しますが、ボス戦を昼間の砲撃戦のみで決着させようとした場合、上述の連戦補正もあって結構ギリギリというのが実情。
空母は艦戦スロを確保し、それ以外は艦攻ガン積みor艦攻:艦爆=2:1にして下さい。
一発の破壊力重視で艦攻ガン積みが鉄板なのは勿論ですが、火力の安定性を加味して少し艦爆を入れてもおk(特にホロとかの強力な艦爆なら入れるといいでしょう)。
いずれにしても艦戦は必須。何故か?そう、これだけやっても、どうしても先手を取れない相手がいるからですね。
詳細は次のパラグラフで。
どうしても先手を取れない相手、それは敵空母が繰り出してくる艦載機です。
道中戦にて高確率で当たる、実に嫌~な相手ですね。
開幕爆撃で蹂躙されるわ、こっちの艦載機を撃ち落とされてカスダメになるわボーキサイト吹っ飛ぶわで、散々な目に遭った提督も多いはず。
でもこれ、実は強みであると同時に弱みでもあって、空母の射程は一番短く、開幕爆撃後の攻撃ターンは基本的に最後です。
つまり戦艦の砲火力主体なら、開幕爆撃さえ凌げれば勝ちなんです。
逆に、こちらが空母主体の艦隊を組む時の弱点でもあり、それを補うためにあえて砲撃不可なのに中射程の砲を積む戦法があるのはご存知の通り。
では具体的にどう凌ぐかというと、「艦戦と対空砲火で迎撃する」のが定番。
そのためには「空母の一番大きいスロに烈風等の強力な艦戦を積む」「一番対空値が高い戦艦に三式弾を積む(もちろん火力は120キープで、できれば対空電探も積む)」のが非常に有効です。
なんだ基本じゃんって?じゃあやってみろ。
最初から最後まで単縦陣です。最大火力で短期決戦型なのに、それ以外の何があるんでしょうか?
必ず疲労なし・ダメなしの状態で出撃し(少しでもダメが残っていると集中砲火を浴びますよ)、道中の夜戦は勿論パス、中破までなら構わず進撃します。
ボス戦は旗艦撃沈、もしくは随伴艦4隻以上撃沈で勝利できるはずなので、もし昼戦で達成できなければ迷わず夜戦を選択しましょう。
以上を準備の上で出撃すると、それこそ道中は物凄い勢いで敵が沈みます。
しかも装甲をきちんと強化していれば道中の損害はせいぜい小破、上手く行けばほぼ無傷で済んじゃったり(稀に運悪く大破しても、限界まで強化した結果なら諦めがつくというもの)。
まさに絵に描いたようなワンサイドゲームで、脳汁或いはもっと変な汁が出まくりかも。
ただ興奮し過ぎて、艦娘が大破しているのにミスオペで進撃とかしないように。
さもないと轟沈のトラウマが貴方を待っています(経験者は語る・・・)。
轟沈、特に2-4攻略時の空母轟沈は非常に痛いと思うので、出撃時には細心の注意を払いましょう。
史実におけるミッドウェーの空母喪失がどれだけ深刻だったか体験してみたいなら止めませんが。
公式のアナウンスに従い、決戦艦隊を構成する艦娘のレベルは、平均30くらいになるよう育てましょう。
十分強い艦隊で臨めと書いたそばから矛盾する内容かも知れませんが、どうもこのゲーム、廃人のパワープレイを見越してのことか、ボスに比べて強すぎる艦隊には羅針盤運が極端に悪くなるみたいです(体感)。
ですのでレベルを上げすぎた場合、敵艦の強さ等とは別の次元で海域突破が困難になります。
その時は戦艦を重巡や雷巡に、正規空母を軽空母に替えるなど、艦隊を編成する艦種を見直す(弱くする)と効果的なようです。
見方を変えれば、遠征で資材を補充=北東ルートに行くまで継戦能力をキープする簡単なお仕事っすよ。
確かに出撃回数が数十回になることは珍しくありませんが、運と根気さえあればサルでもクリアできるステージってことです。
それでは、健闘を祈ります!