はてなキーワード: 国大とは
弱者男性だが、日本、急速に男叩きが増えてる。一体どうしてこうなったんだ
元々5chや発言小町やガルちゃん、様々なメディアや現実、リベラル政党などあらゆる場所で男叩きが多かったのに、今ではyoutubeやXや増田で男叩きが急速に増えている。かつての地獄がまだマシだったと思えるほどに
Xでは男叩きポストが伸び、何度もお勧めに表示され、それに味をしめたアカウントがフェミニストアカウントに変更するのを何度も見てきた
男児は母親が責任を持って絞殺しろ、男は射殺しろ、チー牛オタク弱者男性を馬鹿にする言葉の数々
上野千鶴子などフェミニスト論客が「男嫌いが増えてる。男叩きが増えて男が蔑まれる時代がやってくるw」と嬉しそうに言ってる
イーロンマスクになる前もなったあともこの傾向は変わらない
これから男はどんどん生きづらく、人権を踏み躙られ、蔑まれるようになっていくのだろうか
怖くてもう生きていたくない
こんな国大嫌い……とは言わない
流石にそこまで他責になれない
元々5chやまとめサイト中心に女叩きが多かったのに、今ではyoutubeやXで女叩きが急速に増えている。かつての地獄がまだマシだったと思えるほどに
youtubeでは女叩きフェミ叩き動画が伸び、何度もお勧めに表示され、それに味をしめたチャンネルが女叩きチャンネルに変更するのを何度も見てきた
レイプなんて大したことない、女が大袈裟に被害者ぶってるだけだとXの男たちは言ってる
ミソジニスト論客が「男は女のレイプ被害に同情しなくなったwざまぁw」「女嫌いが増えてる。女叩きが増えて女が蔑まれる時代がやってくるw」と嬉しそうに言ってる
これから女はどんどん生きづらく、人権を踏み躙られ、蔑まれるようになっていくのだろうか
怖くてもう生きていたくない
こんな国大嫌い
日本大嫌い
もうかなり前です。
留学した当時は,その大学はスポーツ推薦はありませんでした。それが誇りでもあったと聞いたことがありますが,さすがにコンファレンスでいい成績が出ない。僕が帰国してからだったと記憶しますが,スポーツ推薦を始めたようです。
ただし,その大学だけじゃなく,最近バスケットボールで留学した渡邊君も言ってましたが,学期ごとに成績がある基準を下がると試合には出られなくなります。
ですから,そうなりそうな学生は,同級生の中からチューターを雇用して(もちろんお金がかかります),夕食後に図書館などで深夜まで勉強を教えてもらっていました。スポーツができるだけでは卒業はできない仕組みです。
さて,講義レベルのことですが,まず米国の入試では,共通テスト (SAT) 等以外に筆記試験がありません。
つまり日本の一般入試というシステムではなく,日本のAO(今の総合型)入試が,米国入試を真似たシステムです。
そして,共通テストの内容は,日本人の高校3年生が受ければ,多分簡単です。中学校レベルに毛が生えたくらいだと言われることもあります。これは,米国の中等教育の
しかし,SAT の成績がいいから合格するってわけでもありません。MIT も昨年度までは,入試の合否で SAT などのスコアを使っていませんでした。つまり面接や応募書類の中身で合否判定をしていたわけです。
しかしとうとう,今年からだったか MIT も共通テストのスコアを参考にすることになったようです。
秋ごろの日本の全国紙に,ハーバード大学が調査した大学卒業率の記事がありました。
米国の全国大学平均で,卒業率は50%,つまり二人に一人は退学になって卒業できないんです。これが入試に筆記試験が無いからなのかどうかは,記事には書いてありませんでしたが,さすがにハーバード大などの研究型大学の卒業率はもちろん90%を超えます。当たり前です。
さて,そういう事情ですから,例えば米国の研究型大学1年生と,東大の1年生に,東大の理科 I 類の1年生の数学の中の線形代数の試験を受けさえると,東大生が80%は合格するのに対し,米国大学の学生は20%しか合格しないかもしれません。
僕は留学先で,試しに1・2年生を対象とした複素関数の講義の一回目に(ひやかしで)座ってみました。日本の大学の数学の講義よりも丁寧で,分かりやすいです。
ところが60分の講義が終わった途端にひとりの学生が挙手をして質問しました。「先生,この時間内でしょっちゅう出てくる i って何ですか?」です。
日本の大学生なら,文系の学生でもこの発言にはびっくりしますよね。
つまり虚数単位を知らない学生が,世界大学ランキングで東大よりも上位の大学の1年生に,少なくとも一人はいたわけです。
これが,米国の高校までの教育目標と日本のそれが異なることの一例ではないでしょうか。
ところが,例えば工学部3年生以上の講義科目の内容を日米で比較してみましょう。ほぼ同じです。実際僕は,その両方を履修していますから,これは本当のことです。
僕の知人が勤めている日本の旧帝大工学部のある学科は毎年のように優秀な学生で英語で不自由しない3年生を,1年間の交換留学させていて,米国で取得した専門科目の単位を持ち帰ること(読み替えること)が可能でした。
ところが,東大よりもランキング上位の大学に留学した旧帝大学生の成績があまりにも悪いということが数年続いてしまいました。
講義内容は,3年生なら日米ではそんなに違いがありませんが,quarter 制度のあの詰め込み講義と毎週の宿題と,応用問題が出される期末試験でいい成績をおさめられないってわけです。
卒論は,オプションです。やる学生は圧倒的に少ないと感じましたが,これについては統計も何も持っていません。
僕が勤めていた大学では,工学部3年生の応用数学や力学などの一部の講義をすべて英語で実施しています。
これは,交換留学の公式のプログラムに,欧米やアジアの成績がいい3年生が半年か1年留学受け入れがあり,その学生が,日本人に提供している講義を一部だけ全部英語で実施しているものです。
僕の英語があまりにも上手だからでしょうか,日本人の学生には不評な講義でしたが,日本人の学生も80%は70点以上をとります。80点前後にピークが来ます。70点あたり
2021年8月、アフガニスタンでイスラム主義組織タリバンが復権して以降、迫害を恐れて日本に逃れてきたアフガン人たちが、困窮の中にある。その多くが、長年の紛争で荒廃した祖国の復興を、日本政府と一緒に支えてきた大使館や国際協力機構(JICA)の職員とその家族だ。
「日本のために、時には命を危険にさらしながら働いてきた。それなのになぜ……」
首都カブールにある日本大使館の元女性職員、ケレシマ・セデキさん(38)は東京都内の小さなアパートで嘆いた。
5万8000円の家賃に水道光熱費や通信費に健康保険。大使館職員として支払われた前年の収入に対する税金も求められた。貯金を取り崩しているが「来月の家賃と今日の食事すら心配な生活」と話す。
女性の教育や就労に対して厳しい差別が残るアフガンで、セデキさんは「アフガン社会には女性の活躍が必要」と自身を高めてきた。高校教師だった母の後押しもあり、カブール大学を卒業した。
日本大使館で職を得たのは15年。邦人保護やビザ発給などを担当する領事部などで働いた。「尊敬できる同僚と、偉大な国である日本に尽くせることにプライドを持っていた」
治安が悪化し、大使館は業務を停止した。タリバンは、日本を含む各国大使館の職員らを「外国のスパイ」などとして敵視した。抑圧を恐れ、60代の母や兄弟とともに親戚の家を転々とし、自宅にいる時はタンスの中に身を潜めた。
2カ月後、大使館職員や配偶者、その子どもに対して、日本への退避が認められた。独身のセデキさんは母と兄弟を残して行くことはできないと悩んだが、母の強い希望で国外脱出を決めた。10月、日本に到着した。「自由への喜びはあった。同時に家族を置いてきた悲しみで胸が張り裂けそうだった」と振り返る。
都内の研修施設に入れられ、自室待機を命じられた。外務省との雇用契約が続いており、昼間は勤務時間として外出を認められなかった。セデキさんは「まるで監獄にいるようだ」と感じていたが、「それでも私は大使館職員だ」と静かに過ごした。
帰れるなら帰りたい。しかし、日本から帰国したとタリバンに知られれば家族共々拷問されるか、最悪殺される恐れもある。病気を患い、ふせっていると聞いた母のことが気がかりで、駆けつけることもできぬ自身を責めた。
翌22年8月末で外務省から雇用契約を打ち切られた。同時に研修施設から退去を言い渡された。外務省からは転居先のリストが渡されたが、車がないと生活が難しい地域ばかりだった。公営住宅の場合、仕事がないため14カ月の家賃の前払いが求められた。
自身でアパートを探したが、外国人だからと何度も断られた。雇用契約打ち切りまで、現地では高収入といえる金額の給与が外務省から払われたが、アフガンの平均収入は日本の約80分の1。少ない中から半額を母に送金した。
NPO「イーグル・アフガン復興協会」(東京都新宿区)代表理事で、カブール出身の江藤セデカさん(65)が援助してくれたため、都内のアパートに入居できた。外務省には何度も入居の支援を求めたが相手にされなかったという。
セデキさんら元大使館職員ら98人は22年7月下旬に外務省から難民申請するように言われ、1カ月以内という異例の早さで認定された。日本での継続的な滞在は可能になったが、仕事は見つかっていない。
これまで量販店などで採用試験を受けたが、日本語の能力が不十分なことを理由に採用されなかった。難民認定後、6カ月のオンライン日本語教育が実施されたが、短期間で習得するのは難しかった。
現在もハローワークのオンライン講座で日本語学習を続けているが、今後の生活は見通せない。雇用関係のなくなった外務省は、相談に乗ってくれないという。
セデキさんは「私には誇りがある。仕事をする能力もある。日本人の払った税金の世話にはなりたくない」と話し、就労支援を求める。また「日本政府はこれだけ多くの難民を受け入れた経験がないことは知っている。退避させてくれたことにはとても感謝しているが、状況を知ってほしい」と訴えた。
外務省中東2課は毎日新聞の取材に対し、アフガン難民について「支援計画があるわけではないが、可能な範囲で相談に乗るなど支援を行っている」と回答した。
01年9月の米同時多発テロ後、首謀した国際テロ組織アルカイダの拠点になっているとして、米国などによるアフガンへの攻撃が始まった。タリバンは政権を追われ、国際社会は復興支援に乗り出した。
日本も同年以降、農業支援やインフラ整備、治安向上など、さまざまな分野で支援をしてきた。大使館やJICAのアフガン人職員は、こういった活動を支える存在だった。外務省によると、タリバン復権後にこれらの職員や家族約800人が日本政府の支援を受けて逃れてきた。
アフガン難民の問題に詳しい千葉大の小川玲子教授(移民研究)は「難民認定するだけでなく適切な定着支援が必要だ」と指摘する。
小川教授は23年8月、日本で暮らす元大使館職員18家族約100人超の世帯主にアンケートを実施した。世帯主は半数以上が大卒で、医師や大学教員、大使館で政治経済の情報収集担当などの職歴があったが、調査時点で正規雇用は2人しかおらず、11人が製造業などの非正規雇用、4人が失業中で専業主婦が1人だった。ほぼ全世帯で支出が収入を上回っていた。
小川教授によると、他国に退避した同僚や親戚がどのように受け入れられているか、ネット交流サービス(SNS)で情報を得ている人が多い。「日本では将来の展望が見えないとして、ドイツやイギリスなどに移住する人も出てきている」と話す。
また、小川教授は「日本政府が提供した半年間の日本語教育では、十分な収入のある安定した雇用にはつながらない」と指摘する。
ウクライナ避難民に対しては、身元保証人なしでの受け入れや、公立高校での生徒受け入れ、自治体による公営住宅の無償化や生活支援金の支給などがされたが、いずれもアフガン人に対しては実施されていない。
小川教授は「ウクライナ避難民に対する支援は今後の難民支援のスタンダードになるべきもの。分け隔てなく実施されるべきだ」と強調した。
暴行罪って傷害罪があるなら不要に感じるんですけどどういう意義があるんでしょうか?
怪我してないのに司法が介入できるほど大事に捉える余地を残す意味がまず分かりません。 百歩譲ってそれには目を瞑ったとしても「有形力」なんてわけわからない概念を使って規定する意味がわかりません。
そのせいで「人に触れるだけでも有形力の行使ではあるが、不法性が低いので暴行罪にあたらない」みたいなこねくった論理を持ち出す羽目になってますよね。この国大丈夫かって思います。
djsoraの件で腕を引っ張った人が暴行罪で被害届出されてますよね。これも気持ち悪い。
腕を引っ張るというのもその字面だけで常識的に判断すれば日常的に行われうる行為であって、そういう意味では不法性は低いと私は思います。
それは腕を引っ張るという言葉がその引っ張り方について無数の行為を内包するからでしょう。
触れることについても腕を引っ張ることについても、どれだけの力を相手に加えたかとニュートン等の単位を使って規定すればそもそも有形力なんて概念を持ち出さずとも今までの判例とも矛盾しないスッキリした論理で今後も裁けるようになると思います。
今の暴行罪の定義だと初めて会った人などには法律に触れるかが怖くて何も積極的なアクションなど起こせません。いたずらに人々の行動を萎縮させるだけだと思います。
dorawiiより
これなんだよな。英国の新聞は自国に派遣された各国大使が変わると必ず新大使にその国と英国との今後の関係の展望を聞きに行くんだけど、安倍政権の時にロンドンに派遣された某日本大使は「ゴルフと(やはり英国駐在が長かった)自分の父親の話しかしなかった」とまで書かれたんだよね。安倍首相もトランプとゴルフやったりG7の時も各国首脳を「おもてなし」することばかり注力してた。接待とゴルフでなんとかなんだろ、という昭和の営業マンみたいな外交戦略で、思想も展望も創造性もない。独裁国家相手ならともかく、千年以上戦争ばっかやってきて外交での生き残り戦略が死活問題みたいな欧州には太刀打ちできんし、中東やインドみたいな商売上手な国相手ではたかられるだけで終わる。
@MORI_Natsuko
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2時間
同性愛者を迫害してきたキリスト教国の人が、偉そうに日本にLGBTの人権うんぬんで説教するのを、我々LGBT当事者は「LGBT宣教師」と呼んで嗤ってます。
打越さく良 りっけん 立憲民主党
@sakurauchikoshi
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議長国
差別解消
打ち出さぬ?
「LGBT差別解消への完全なコミットメント」とあるG7サミットコミュニケに岸田首相は昨年署名。
それがバレてG6諸大使に二枚舌許さぬといわれる見込みです。
コラボの不正会計、打越さくらも加担しているので一句読める余裕があるようです。
Heinrich Regius
@regiusheinrich
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5時間
日本を除く先進六か国大使とEU大使でLGBT差別禁止の法制化を求めているというのに、これが今の政権。
自民党LGBT特命委員会事務局長・城内実議員がオフレコ問題発言 「同性婚はウクライナが正しいという人と同じで少数派」|NEWSポストセブン https://news-postseven.com/archives/20230316_1850661.html?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=shared #NEWSポストセブン
“虚无料”造“战争恐慌”谣 祸水东引
“假救援”遭“强势痛击”伤 龟颜扫地
凡铜不可照,小人多是非。喜国大总统郭文贵自被美国法庭判定其藐视法庭罪以来,持续通过各种巧言诡骗来企图蒙骗法庭予以逃避巨额罚款追缴,狡诈嘴脸让人闻之作呕。然不论郭教主如何作奸犯科、扭曲事实,都无法避免被司法部门和各路砸锅人士穷追猛打,让本就孤注一掷的世纪巨骗心灰意冷。但“龟壳颇硬”的瘟龟定然不会束手就擒,在垂死之际一边大张旗鼓的吹嘘着自己那早已被权威网站揭批证实为骗局的“空气币”,一边又故技重施拿出那破败不堪的“爆尿革命”妄想绝地求生。只能说是待诛之龟——作死“施计”,行徒劳无功之途罢了。
谎言栩栩恰如诡,沸沸扬扬喧龟嘴。装腔作势的郭文贵深知自己牢狱当头,且体无完肤的“鸡系列”鲜有人信,为了自己能够尽快圈财保命,吹嘘成瘾的郭巨骗又重拾自己的“爆尿革命”,肆意编造虚无谎言招摇撞骗,为自己造势。恰逢中美关系恶化、台海局势紧张之时,诡计多端的瘟龟又蹭起了局势热度。在近日瘟龟大直播中,郭文贵义正言辞的称台湾即将变天,美国众议院议长佩洛西4月26日就要访问台湾,且信誓旦旦的表示此决定是刚刚确定,而且绝无变故。故作镇定称如若届时没去,那么自己就是犯法。然时过不久,郭巨骗又在直播中肆意制造战争恐慌称,中共在4月26日要攻打台湾,并在美国安排代言人进行游说劝阻佩洛西延迟至七八月份访台。垂死的瘟龟口出狂言就是为了祸水东引,捏造虚假信息将自己的罪行暂且盖过,从而得到喘息之机。此等声东击西之计尽显万恶骗王阴险毒辣之嘴脸。
穷阴绝漠易悲辛,落日衰笳处处闻。早在之前,龟面兽心的郭教主为了扩大自己的“诈骗”领域,打着“人道主义救援”的旗号在乌克兰灾区施行“救援”,实则让自己的蚁工在灾区宣传自己那不堪入目的“鸡系”,并鼓吹自己的新中国联邦“云建国”。本料想自己蹭战争热度为自己“龟名灌誉”而洋洋得意,哪知近日自己的假救援伎俩却引起别国志愿者强烈不满,发生了冲突。近日郭教主在与为自己在乌克兰灾区“卖命”蚁工直播连线时,蚁工泪雨婆娑的向自己的主子“诉苦”称惨遭别国志愿者“施暴”,并被出言谩骂她们是支持川普和班农的“右翼”分子。龟总统听闻后“龟颜大怒”,气势汹汹的表示自己出资状告闹事者,还财大气粗的炫耀自己家财万贯,怎会出不起官司费用,更自欺欺人的“安慰”蚁工闹事者是因为羡慕嫉妒才对他们进行人身攻击。瘟龟此言真是可笑至极,自己向美国提交破产申请,却在蚁工面前炫金耀银。那郭文贵的破产申请无疑是在向法庭挑衅,就是实为“诈破产”,逃避罚款缴纳,真是自寻死路。而郭骗的假救援,真骗财的无耻行为也引起众怒,被猛烈攻击也是意料之中。
五通老便成精,龟毛何必三尺。除了装腔作势造谣之外,巧舌如簧的瘟龟一边变换戏法哄骗蚂蚁持续向自己的烂尾“鸡系”投资,诱骗即将拿到SEC退款的蚂蚁们掉入骗局,将血汗财交于自己囊中。另一边极力吹嘘喜币在世界多国可以进行贷款,蛊惑蚂蚁们继续买币。狡诈的瘟龟在盖特直播中称,通过新平台委员会作出决定,把投资项目延期至年底,直到所有战友把老椅子的退款全部退完为止,郭巨骗此言就是想让蚂蚁们将自己的血汗财全部收入囊中,实施二次割财骗局。而后龟计多端的瘟龟又故弄玄虚的称世界经济必然会崩塌,无人幸免。但是已经拥有喜币的战友可以幸免于难、高枕无忧。郭文贵满口龟腹谎言的向蚂蚁许诺一本万利的高额回报,目的就是诱导蚂蚁向“鸡系”投资,持续敛财。郭巨骗如此饥不择食的疯狂圈财,是因为4月27日破产法庭听证会开庭在即,随时会锒铛入狱。在入狱之前狠割蚂蚁一笔,用于缴纳巨额罚款,免受牢狱之苦。望蚂蚁们提高警惕,切勿再向瘟龟汇款,否则悔之晚矣。
时于蚯蚓窍,微作苍蝇鸣。无论已是垂没之态的瘟龟如何胡编乱造,都摆脱不了法律的严厉制裁。现如今,破产听证会在即,心急如焚的郭骗断然拿不出3700万游艇返回保证金,妄想通过招摇造势来诱导蚂蚁向自己投“龟粮”,显然是在做困兽之斗。望已经被骗的蚂蚁们拿出有力证据,及时向司法部门举报,早日加入到砸锅队伍中,趁势伐龟。让慌不择路的龟总统在牢狱中“割”了自己的龟命。
「今さらサークル入れず」コロナ禍で大学2年生の辛さ際立つ「来年就活、支援を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/05f946be0bb131c189822a0da6fa0da61f1ca8f3
3/1(火) 16:19配信
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全国大学生協連が3月1日にオンラインで開いた記者発表会に登壇した大学生
全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)は3月1日、昨年秋に大学生の生活や考えを探った「第57回学生生活実態調査」の結果を発表した。コロナ禍2年目に入り、前年より大学生活を充実していると感じる学生数は回復しているが、大学入学時に十分な支援を受けられなかった現2年生の「しんどさ」が目立っている。(西健太郎)
調査は、2021年10月から11月にかけてインターネットで実施し、前年までと比較可能な全国の国公私立大学30校の学部学生1万813人の結果を集計した。
「充実度」1年生は急回復、2年生は最も低く
充実度は、学生生活が「充実している」「まあ充実している」と回答した学生の割合の合計。1年生の充実度は前年より回復したがコロナ前の水準には及ばない。2年生は4学年で最も低い(全国大学生協連が21年秋に実施した「学生生活実態調査」による)
大学生活を「充実している」「まあ充実している」と回答したのは78.6%。20年(74.2%)を上回ったが、コロナ禍前の19年(88.8%)の水準には達していない。1年生は80.6%が充実していると回答し、20年(56.5%)から急回復した。一方で、2年生で充実していると答えたのは70.8%にとどまり、20年(77.1%)より低下。4学年中で最も低かった。「充実していない」と感じる2年生のうち「友達ができない、対人関係がうまくいなかない」ことを気にかかっていると回答したのは49.6%。20年の27.5%から大幅に増加した。コロナ禍に入るタイミングで入学した2年生の中には、友達作りの機会がなく、大学生活が充実していないと感じている人がいることがうかがえる。
サークル加入率も2年生は低下
関連してサークル加入率をみると、1年生は72.6%が加入し、20年(48.7%)から大幅に増えたのに対して、2年生の加入率は62.1%と、2年連続で下がった(19年は74.1%、20年は69.9%)。全国大学生協連学生委員長の角田咲桜さん(茨城大学卒業)は「サークルや部活動でできる人とのつながりが希薄化している。1年時にはサークル活動ができず、2年時には入るタイミングを見失っている学生もいる」と話す。
「友達がいない」「もう諦めている」
調査の自由記述欄でも、2年生から「今さらサークルに入りづらい。周りでサークルに所属している人が少ない」「サークルが出来ず、友達がほとんどいない、もう諦めている」「受験期もあわせると約3年、本当に何もなく、悔しい。就活などで忙しくなるので、もう学生生活は諦めている」など、つらさを訴える声が寄せられた。
世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。
ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。
【LIVE】東京・新宿駅前ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube
あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所。予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。
受験の弁当を駅の西口コンコースの階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げとチキンライスの弁当で。30年以上前のこと。
ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。
降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。
あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日親から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日1時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。
知らないおじさんおばさんのくせに。
家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。
ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急とサンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日とコーヒーの匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園の初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。
通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。
小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。
中学校は友達のいない遠くの私立で、中高生で友達も出来ず、大学受験は宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。
そんなぼくに、何ができただろう。
靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。
うん。
中高生のとき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからないからダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。
勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題や障害や不安をひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか。
そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。
東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市、宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオ、ハチミツたっぷりの紅茶。大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂。
そうか、40年も同じことを続けているのか。
大したもんだ。
夢の中に40年間も暮らしている。
おかしくもなる。中も外も。
ぼくの人生は復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身に復讐する。
道理で苦しいわけだ。
息子には味わわせたくない。