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2020-09-09

anond:20200909163941

沖縄本島中部小学校女性教員が6月、授業中に特別支援学級児童が騒いだ際、「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」発言していたことがわかった。教育委員会は「不適切言動」として教員を口頭で注意指導した。教員校長児童保護者謝罪した。

 教委によると、問題発言は、特別支援学級児童普通学級の児童が一緒に授業を受けていた際に起きた。発言に対し、手を挙げなかった普通学級の児童に「あなた支援学級に行きなさい」とも発言し、手首をつかむなどしていた。

「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」

はまだいいと思うんだ。

問題は、

「(手を挙げなかった普通学級の児童に)あなた支援学級に行きなさい」

だろう。

これは絶対あり得ない。

憲法保証する思想信条自由侵害している。

どう考えても、教員のほうがガイジだろう

2020-09-06

anond:20200906211118

文盲であるが故にとか、法に疎いが故にとかは、

なろうの取ってつけたような話以外でもそこそこあるけど

割とセンシティブ話題から

奉公禁止なったのが昭和なのでギリ文盲世代は生きとるし

糸満売り(10前後貧困層少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部糸満漁師のもとで年季奉公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E6%BA%80%E5%A3%B2%E3%82%8A

 

生活環境は厳しく労働は長時間におよんだ。雇子達の中には粗末な食事しか出されず、親方から虐待を受ける者もいた。

また年季が明ける度にさらに売りに出される者もいた。さらに泳法の訓練も過酷ものであり、縄で括った上で舟から海へ放り込むようなものであった。

また実際に糸満売りとされた人物証言によれば「ウムカシ(サツマイモから澱粉を取った残りの滓)が常食で、豊漁の時だけはイモがまともに食べられた」とのことであり、

先輩などからリンチやいわゆるいじめも横行していた。

なお年季が明けた(または戦後解放された)後は、幼少期から過酷労働により漁師としての技術を得たかつての雇子たちは、引き続き漁師として生計を立てていく例も多かった。

ただし少年期を過酷漁業の場で過ごしたため、学校での正規教育を受けておらず文盲が多かった。

 

だが必ずしも非人道的なことばかりがまかり通っていたわけでもなく、預かった子をまるで我が子のように養っていたとの証言もみられ、

またやはり雇子は親方にとっても「財産であるため無為いじめたり殺すようなことは損であるとして好まれなかったとされ、

雇子と親方の娘が結婚に至ったり、一部年季が免除されると言った事例もある。

 

文盲かいう深刻なのじゃなくて、

マーケティング知識程度ならそれこそリアリティー番組でもお気軽に見れるよ

まぁ経営をどうするかって視聴者以外にはそんなにお気軽な話でも無いんですけど

2020-07-30

空自緊急発進、元年度は947回 対中国機が増加 - SankeiBizサンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200409/mca2004091724025-n1.htm

防衛省は9日、領空侵犯の恐れがある外国機に対する航空自衛隊機の緊急発進スクランブル)の回数が、令和元年度は過去3番目に多い947回だったと発表した。999回だった前年度に比べて全体では52回減ったが、中国機に対しては37回増加した。中国軍は東シナ海対馬海峡付近活動を活発化させており、緊急発進の多さに表れた。

 947回のうち、対中国機は675回で71%を占め、前年度比7ポイント増。H6爆撃機やY9早期警戒機沖縄本島宮古島の間を航行し、太平洋方面進出したケースも5回あった。

中国公船、過去最多に 尖閣接続水域 既に998隻確認 - 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20191202/ddm/001/010/090000c

沖縄県尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で、海上保安庁によって確認された中国公船が今年1月1日から11月29日までに延べ998隻に上った。

※この後、12月中に1000隻を超した。

  

遅れてきた帝国主義とか言われてるように、中国は絶賛版図拡大中

当たり前だが日本も狙われてる。

2020-07-29

歴史創造は良くない anond:20200729055751

糸満売り(10前後貧困層少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部糸満漁師のもとで年季奉公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E6%BA%80%E5%A3%B2%E3%82%8A

 

生活環境は厳しく労働は長時間におよんだ。雇子達の中には粗末な食事しか出されず、親方から虐待を受ける者もいた。

また年季が明ける度にさらに売りに出される者もいた。さらに泳法の訓練も過酷ものであり、縄で括った上で舟から海へ放り込むようなものであった。

また実際に糸満売りとされた人物証言によれば「ウムカシ(サツマイモから澱粉を取った残りの滓)が常食で、豊漁の時だけはイモがまともに食べられた」とのことであり、

先輩などからリンチやいわゆるいじめも横行していた。

なお年季が明けた(または戦後解放された)後は、幼少期から過酷労働により漁師としての技術を得たかつての雇子たちは、引き続き漁師として生計を立てていく例も多かった。

ただし少年期を過酷漁業の場で過ごしたため、学校での正規教育を受けておらず文盲が多かった。

 

だが必ずしも非人道的なことばかりがまかり通っていたわけでもなく、預かった子をまるで我が子のように養っていたとの証言もみられ、

またやはり雇子は親方にとっても「財産であるため無為いじめたり殺すようなことは損であるとして好まれなかったとされ、

雇子と親方の娘が結婚に至ったり、一部年季が免除されると言った事例もある。

 

例に持ってきたのは年季奉公の中でもハード漁師だけど、漁師以外の現場においても子どもたちは安く使える労力として扱われた

現代において年季奉公人身売買定義されている

 

もちろんそうじゃなかった子どもたちもいる、 親方ガチャ勝利した子どもたち  だ

 ↓  親方ガチャSSRの例

糸満売り(下)】7年間で150円 家族のために故郷を出て・・・森さん「悪くない人生

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/109819

 

 森さん(99)は「13歳の時、7年間150円」で糸満売りされた。

まれ故郷鹿児島与論島で父1人、子4人の貧しい家だった。「漁で身を立てれば貧乏から抜け出せると思って、後で弟も呼び寄せた」

 

 森さんは泳ぎが得意だったため、じきに年下の雇い子9人のまとめ役を任された。「娘3人だけの家で、息子代わりにかわいがられた」。

米を食べさせてもらい、親方の娘たちからうらやましがられた。

 

 20歳で親方の娘と結婚した。義理の親になった親方夫婦と妻をみとった今も糸満に住み、子ども6人、孫10人、ひ孫14人がいる。

現代では、人権侵害に当たる糸満売り。森さんは「家族のために故郷を出て、家族が増えた。悪くない人生」と話していた。

 

人権がなかったから仕方ないとかいうが、貧しくても売られなかった子どもたちがいる

人権がなかったから仕方ないとかいうが、重度の身体障害者であっても間引かれず、職につくよう教育された子どもたちがいる

 

売られたり間引かれた子どもと、そうじゃなかった子どもたちの違いは何か?

経済レベルがどうこうではなく、ガチャ勝利した ただそれだけだ

 

 

現代も同じことで、養育に困難を覚えるのは親の資質姿勢問題である

2020-01-15

anond:20200115153418

なんや戊辰戦争の頃の話かと思った。すまんな。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E4%BE%B5%E6%94%BB

これ見ると3/4に九州出て3/25日には沖縄本島に着いてるんだな。

昔の人も結構やるもんなんだな。

2019-11-24

anond:20191124161452

日本兵が島民を殺す 久米島戦争

「一番最初に殺されたのは、郵便局の局員で電信保守仕事をしていた安里正次郎という沖縄本島出身者です。朝方道を歩いている時にアメリカ兵隊に捕まり、『鹿山隊長降伏勧告状を届けろ』と依頼されたわけです。持っていかなければ殺される。もちろん日本軍も怖いんだけど、あれは友軍だから殺すまではしないだろうと考えたんでしょう。ところが安里さんは、敵の手先になったとして、鹿山隊長殺害されたのです。銃殺でした」

鹿山隊が住民虐殺に至る経緯として、次のような背景がある。1945年6月13日米軍の偵察大隊久米島上陸した。そして現在空港の近くの北原地区に住む比嘉亀さん宅に侵入し、亀さんと宮城栄明さんの家族拉致する事件が起きた。しばらく経った6月29日、鹿山隊は米軍拉致された人々をスパイとみなし、(米軍から)戻されたことを軍に知らせなかったとして、比嘉さんと宮城さんとその家族さらには北原区長だった小橋川共晃さん、警防分団長ら9人を銃剣で突き殺し、さらガソリンをまいて家ごと焼き払った。これはこの事件で気が動転した兵士が逃げ出し、村人に証言している。

2019-09-12

https://b.hatena.ne.jp/entry/4674287429580883682/comment/vitamin_ace

沖縄だと一瞬で直しちゃうもんな

台風慣れしてると思われてる沖縄本島でも、去年9月末の直撃では丸4日以上停電していたエリアもあった。

復旧作業中に作業員が感電死した事故も発生。

千葉沖縄と比べ物にならないくらい広いからその分復旧は遅れそう。

2019-08-18

日本一メシマズ県は?

よく「日本一メシが旨い県は?」みたいな特集記事があって、そこには福岡とか北海道ランクインされるが、

メシが旨い県でランク付けできるということは、そのランキングの47位の県も存在してる筈。

野次馬な我々が知りたいのは、メシウマ県なんかより、どの県が最下位、「メシマズ県か?」の方だったりするのだが、嫌われ役になりたがらないマスコミは、メシマズワーストワンを発表してくれない。

私見だが、メシマズワーストワンは「沖縄県」じゃないのか?

沖縄県メシマズワーストワンだと推測する理由

1.野菜など、沖縄本島で自給できない。従って本土から海運輸送になり、鮮度が落ちる

2.植物は寒暖差があると糖度が増して美味しくなるが、沖縄にはその寒暖差がない

3.水が硬水。ダシは取れないし、コメを炊いても美味しくない

4.暖流しか流れてない。魚の種類が貧弱。脂のノリも悪い

ということで、科学的・地理的に「沖縄メシマズ」になるしかないのだが、そういう不都合な真実沖縄観光邪魔になるからマスコミは報じないよね、、

2019-07-25

anond:20190724123204

母親実家八重山離島なんだけど、現地の親戚が「この間沖縄行った」とか「沖縄に行く時」とか言ってて子供ながらに「いやここも沖縄だろ」と思ってたんだけど、どうやら彼らの言う「沖縄」は沖縄本島の事らしいというのに気づいた。

こういうのは違うのかな?

2019-06-13

anond:20190613160433

久米島守備住民虐殺事件

ハイ論破

「一番最初に殺されたのは、郵便局の局員で電信保守仕事をしていた安里正次郎という沖縄本島出身者です。朝方道を歩いている時にアメリカ兵隊に捕まり、『鹿山隊長降伏勧告状を届けろ』と依頼されたわけです。持っていかなければ殺される。もちろん日本軍も怖いんだけど、あれは友軍だから殺すまではしないだろうと考えたんでしょう。ところが安里さんは、敵の手先になったとして、鹿山隊長殺害されたのです。銃殺でした」

鹿山隊が住民虐殺に至る経緯として、次のような背景がある。1945年6月13日米軍の偵察大隊久米島上陸した。そして現在空港の近くの北原地区に住む比嘉亀さん宅に侵入し、亀さんと宮城栄明さんの家族拉致する事件が起きた。しばらく経った6月29日、鹿山隊は米軍拉致された人々をスパイとみなし、(米軍から)戻されたことを軍に知らせなかったとして、比嘉さんと宮城さんとその家族さらには北原区長だった小橋川共晃さん、警防分団長ら9人を銃剣で突き殺し、さらガソリンをまいて家ごと焼き払った。これはこの事件で気が動転した兵士が逃げ出し、村人に証言している。

2018-12-19

anond:20181219094203

沖縄本島で用地が不足してるなんて話は聞いたことねーな。

実際、そうとうただっぴろいじゃん。

2018-11-29

anond:20181129214603

は?まず大前提がこれだろ

琉球大学大学院医学研究科佐藤丈寛博士研究員木村亮介准教授北里大学統計数理研究所の共同研究チームが、現在琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は台湾大陸の人々とつながりがなく、日本本土により近いという研究成果を発表した。

その上で本土沖縄本島久米島宮古島で意外に細かい差異があるよねという話なんだが?

これはほぼほぼ日本人だろ

2018-03-10

anond:20180310112414

未だに占領されてて、怖くて逆らわないふりしているんだよね。大東京の土手っ腹に沖縄本島のそれより広い米軍地が展開中なんだぜ。

南朝鮮もとい韓国は、その米軍をやっと追い出せそうだな。やはり北は南を吸収する。韓国はいきなり核大国よ。核保有4か国からまれ日本国だ。ますますなにも言えまい。

2018-01-21

ジャポニック



こういう分類だと、沖縄本島南北言葉の違いは、たとえば大阪弁土佐弁の違いより大きいと看做されてるようだ

違う島なら大きく言葉が変わるのも理解できるんだけど

2018-01-12

anond:20180112212414

沖縄本島に行くと、いろいろ感じるものがあると思うよ。地元の人たちは案外現実派というか。

問いの答えにはなっておらんけど‥

2018-01-10

anond:20180110205935

許さんやろ

沖縄本島ってことなら、命をかけて戦う価値あるやん

あげると言っても住民を移動させることもできないし、中国支配下生活させても住民だけで独立軍が結成されればただじゃ済まない

沖縄の本島なら命をかけて戦う合理的理由あるじゃん

anond:20180110205208

沖縄本島ってことならたくさん人住んでるやん

北方領土は既に取られてるから

ロシア人と殺し合って奪い返す価値があるかどうかって話だな

2017-12-15

anond:20171215101443

沖縄地理理解して無いくせに適当なことを語り沖縄県民を貶める卑しい面々

ほとんどの県外人沖縄本島の狭さ(さら居住区域も狭い)にピンとこないか適当なこと言ってると思う。

浜松市の2割の土地米軍基地があるようなもんなんだけど。

2017-08-17

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

※補足※

ブコメで以下のようなご指摘を頂戴しました。

>些細なことだし、現代の人にわかやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代義務教育と照らして分かりやすいように祖母説明してくれたのだと思います

紛らわしくて申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。

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