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2024-05-16

羅針盤「さけび」のコード進行

[intro]

F F Dm7 Dm7

Bb Bb C C

----

[verse 1]

F-A Bb F C

Bb F C C

x2

---

[bridge]

Bb Bb F F

(なんどもくりかえし)

Bb Bb G A

Bb

----

[verse 2]

F-A Bb F C

Bb F C C

F-A Bb F C

Bb Dm7 G A7

----

[chorus]

F F Dm7 Dm7

Bb Bb C C

2024-05-12

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

2024-03-11

頭に「ら」を付けると別なものになる

フランス → ラフランス

ブコメ → ラブコメ

新盤 → 羅針盤

2023-12-17

幻想

これは誰の幻想

自分幻想

他人幻想

価値観の海中で溺れる。

価値観の潮流に流される。

結婚して家庭を持つことは誰の幻想だったんだっけ?

1人で自由気ままに生きることは誰の幻想だったんだっけ?

人を愛する事は誰の幻想だったんだっけ?

羅針盤は既に多様性という名のペンキで塗りつぶされ、固まってしまった。

羅針盤には従うことができない。

目指すべき場所はわからない。

何を求めていたのか。

それさえ見失った。

2023-10-15

羅針盤アコースティック」のコード進行

[chorus]

F G Em7 Am7

F G Em7 Am7

F G Em7 Am7

F G C Csus4

---

[verse]

G F C Csus4

G F Am7 Am7

F G Em7 Am7

F G C Csus4

----

[bridge]

FM7 G Em7 Am7

F Em-Am F G

FM7 G Em7 C7

F Em-Am F Dm

G

---

[verse(2)]

G F C Csus4

G F Am7 Am7

F G Em7 Am7

F G Em7 Am7

----

[outro]

F G CM7/E FM7/A

CM7/E FM7/A ....

2023-10-06

羅針盤の「会えない人」コード進行

[verse]

C C C C(たまにCsus4をおりまぜる)

C C C C

Gm7 F C

[chorus]

Bb Am7 Bb Am7

Bb Am7 Bb Am7

Bb Am7 Bb Am7

Bb Am7 D7 D7

[bridge]

Gm7(353333) Csus4/G(3333xx) (このコードよくわかんない)

Bb Bb C

2023-06-15

anond:20230609183108

氷河期世代だけど半分くらいは共感できる

一方で、表面だけ見て批判してくれるなよとも思うのよね

個人的氷河期世代の不幸は経済状況だけじゃないと思ってる

それに伴う社会価値観の転換とハイティーン就活の時期がかち合ってしまったんだよな

氷河期世代の親って団塊世代バブル初期の上昇気流の影響モロに受けてるから

俺らはその価値観の中で育ったわけ

「男は受験勉強死ぬ気で頑張れ、そして大企業に入れれば終身雇用で一生安泰」

「そのうちお嫁さん貰って家事育児はやってもらって、より一層仕事に注力してお金を稼ぎましょう」

簡単に言うと「上手にレールに乗れよ、脇道にそれるなよ」って強く言われて育ったのが俺たちの多数派

それで社会に出る直前まで育ってきたのに、

いざってときにはバブル弾けてレールがなくなったわけ

社会が急に「レールに頼るな、自分の頭で考えて自分の足で歩け」

って言い出すわけ

でも俺たちはレールに乗る未来しか描いてこなかった

道はぬかるんでて水たまりだと思ったら底なし沼だったりするんだけど、俺たちはその見分け方を習ってない

一度足を踏み外して沈んだら一生沼の底でもがかなきゃいけなくて、そうなったらそれは自己責任だという

誤解を恐れずに言うと、俺たちは心の準備ができてなかったわけ

ウソだろ…」ってポカーンとしたままトコロテン方式背中を押されて沼地に放り出されたわけ

もちろん鋭くて早く時代適応して成功した奴もいた

増田もこういうやつのことは「努力した」って認められると思う

でも大多数が幼少期から教育呪縛を逃れて現実を見られるようになったのは、

社会に出てから数年後だったんだと思う

俺らの学生時代なんてmixi一般公開するかどうかって時期だから

ネットも今みたいに羅針盤にはなってくれなかった

人生設計を考えるなら上の世代を参考にするしかなかったのだが、それが突然何の参考にもならなくなったわけ

逆恨みは醜いと思うし、全てを時代のせいにもできないだろう

けど、やっぱり当事者としては明確に被害者意識はあるよ

受難だと思うし、真っ当に生きられない材料が多すぎたと思う

からやっぱり嫌いだわ

沼の底を覗き込んで虫けらが勝手にもがいてるみたいに嘲笑ったり

したり顔努力が足りないとか言ってくるような

お前らみたいなやつらのことは

2023-05-20

就活諦めたのでおすすめステーキレストラン教えて

もう就活諦めたわ。

志望動機なんてないもん。適当なこと言ったらまた「うちじゃなきゃダメなの?」とか嫌味ったらしく根掘り葉掘りすんだろ?

お前の会社しかできない仕事なんてねえよハゲ。自惚れてんじゃねえぞ。

どんだけ性格悪いんだよ。性格いかハゲんだよ。

みんながみんな積極的に働きたいわけじゃねえんだよ。消去法で選んでんだよ。

現代社会でやりたいことなんてねえわ。帆船に乗ってイベリア半島から出港して、羅針盤だけ頼りにしながら未知の大陸上陸して、邪悪先住民共を粛清し、聡明先住民達にはキリストの教えを布教し、金銀財宝を獲得して故郷凱旋する。そんな面白いロマンのある人生現代じゃ送れない。何もやりたいことなんてない。

就活諦めた。進路が決まった。明日就職できそうにないし働けそうにないか大学卒業したら実家に帰るって親に伝える。進路決定祝いに美味いステーキ食いたいかおすすめステーキレストラン教えてくれ。

あとハゲは全員死んどけな。正直「まだハゲって生きてたんだ⁈」ってみんなから思われてるから

2023-05-08

anond:20230508161752

じゃあワイは車輪とかゼロとか羅針盤発見しとくわ 同じ異世界に行っても取るなよ!

2023-05-07

anond:20230505084631

映画とか小説とかって

表現の裏側には造り手のメッセージがあるみたいな感じにいつの間になったんやろな。

商業書き手の側の視点説明すると、「そのほうが完成できる可能性が高いから」ってのはかなり大きいです。

メッセージってのをテーマ、と呼んでみるとして。

映画制作はそこまで詳しくないけれど、小説だのシナリオだのを一本設計して書くって結構ボリュームがあって、そのボリューム構造体を作るってのはノープランだと途中で失敗したり完成しなかったりコスパ悪いわけです。物語設計する以上、建築なんかと同じく、間取り決めて柱を立てて梁めぐらせて屋根床壁ってつくってのが効率いいし楽だしスケジュール見えるんで便利なんですよ。

テーマっていうのは柱や梁に相当するものなわけで、最初にそれを立ててそこに屋根壁床に相当するエピソードをはめ込んでっていう手法で作るのが、安定するし出来が良くなる。こう説明ちゃうと「楽したいだけかよ」って思われるかもしれませんが、そういう設計技術を使ってすら往々にして失敗して空中分解するのが物語設計やら小説執筆なわけで、そういう設計無しで作るって至難なんです。

テーマメッセージが全く存在しない物語を作れって言われるのは、羅針盤無しで太平洋突破とか、そういうレベルものすごく難易度が高い。水気が多くてすぐ溶けちゃうドロドロ粘土だけで家建てろってくらいつらい。しかも、そうやって頑張って柱も梁もなしで作り上げた物語ですら、建築後には柱っぽい、つまりテーマっぽいものが見える可能性すらある(誤読含む)わけで、そういう意味では油粘土オンリー建築よりもさら難易度高いと言えると思います

キャラ同士の関係とか物語の展開とかを排除して、シュールギャグだけで一本小説書くとかってのが、それに近いものだと思いますけれど、そういうのは本当に難しいです。

2023-03-23

anond:20230323020114

昔は海に守られてたけど羅針盤と航海術が出来上がったら日本は負けたんや

2023-03-22

anond:20230322135417

学問芸術に関してはローマよりギリシャの功績のほうが大きいように思える。

お隣にアラビア文明もあったし。

中華文明からしたら「まず西洋予選を勝ち上がってこいよ」って感じじゃん。

中華文明は押しも押されもせぬ東洋代表チーム

「紙」「絹」「白磁」「火薬」「羅針盤」などの発明品はヨーロッパに対しても大きな影響を与えている。

逆にローマ中華に与えた影響ってめちゃくちゃ小さいのでは。

2023-03-12

中国感謝しよう

中国発明したもの

紙、火薬羅針盤印刷

中国から日本に伝わったもの

米作り、漢字、暦、機織り、仏教貨幣制度政治の仕組み


中国がなかったら今の日本はなかったんだよ

日本人は中国感謝しようね。日本からのお願いでした

2022-08-09

anond:20220809203746

火薬羅針盤の作り方を教えなかったらヨーロッパの台頭を許さなかったのにな。

2022-05-31

製図道具のコンパス羅針盤compassで、動詞としては、理解する、という意味

Compassion は思いやりという意味

海事用語にそんな意味があるとは

2022-05-27

anond:20220527104016

教える練習したいし、元増田に限らず誰でも連絡してくだませ。

ゆうて私が無職ですけどね!

「もう怖くて何も始めれない/踏み出せない」

っていう肯定感の底が抜けた状態さえ伴走つけて補修できれば、自走を始められるから

以降はいわゆる「自助努力」を再開できると思うのでした。

追記

私は職訓(Java) → Prgate → D◯tinstallである程度勉強してみたけど、

・P社はRubyRails

https://prog-8.com/lessons/info

・D社はJS, PHP → Laravel ※最近Python

https://dotinstall.com/lessons

特に充実してると感じた。

・P社のスライドレッスンは超細切れでわかりやすくて、ゲームっぽく楽しく進められた

・D社の動画レッスン後半はかなり実践的かつ難しくて初学者置いてけぼりにする勢いだったから、なんとかクリアできた人の伴走があるかないかでは、修了率かなり変わると思った(のが教える意義あるかもと思った理由

https://dotinstall.com/lessons/todo_app_fetch_php

このJS非同期通信編まで繰り返しやって自分ゼロから完成できるようにして、

Laravelレッスンやって、あと自分で調べてUser実装(古いレッスンはあるけど)まで出来るようになれば

大抵のものは作れるようになるから言語学習コストも格段に下がるし、

バイト程度なら経歴や年齢問わずさせてもらえるようになるのではと勝手に思っている。

あと別の問題として

いわゆる駆け出しエンジニア界隈の誘惑が強烈すぎるので、理性ある第三者がいないと

不安定な状況の人ほど数十万のスクールとかサロンとか、

一見キラキラデザイン方面(または◯ffice)に誘い込まれしまいそう

https://twitter.com/i/events/1495044681947750404

その意味でもチョットデキル人がマッタクデキナイ人の羅針盤兼務サポートして、

教える側ももう一段成長する互助ループ作れないかなと思っている…

2022-01-11

王将戦第1局

 渡辺明王将名人棋王)に藤井聡太竜王王位叡王棋聖)が挑む第71期ALSOK王将戦七番勝負は、2022年1月9日静岡県掛川市掛川城で開幕した。王将含む三冠を保持する渡辺と、竜王含む四冠を保持する藤井三冠と四冠によるタイトル戦は史上初で、文字通りの頂上決戦である。両者によるタイトル戦はこれが3回目だが、2日制のタイトル戦を戦うのはこれが初めて。より深い次元で互いの読みをぶつけ合う、最高峰舞台がここに整った。過去2回のタイトル戦では、藤井の前に敗れ去った渡辺。初となる2日制の対局で、藤井相手にどのような将棋を見せるのか。戦前に今回のタイトル戦を「(自らにとっての)正念場」と語った渡辺過去6戦全勝と抜群の相性を誇る掛川城で、最強の挑戦者を迎えた。

昼休前、突然の嵐

 戦型は相掛かり。振り駒で後手番となった渡辺は、比較的穏やかな形を選択し、自然な駒組みを続けた。先手番の藤井がどのような作戦に出てくるか、その動きを静かに待つ。

 盤上に突然の嵐が吹いたのは41手目。藤井が指した▲8六歩という一手は、盤上に突如緊張を走らせた。この▲8六歩という一手は、将棋をある程度知っている人からすれば、思わず何事かと凝視してしまうような衝撃の一手である。この8六の地点は、盤上にある一つの火種」。後手からは、△8六歩▲同歩△8五歩と合わせる継ぎ歩の攻めや、△8六歩▲同歩に△8七歩と垂らす垂れ歩の攻めがある。さらには桂馬を跳ねてくる手もあり、やられる先手としてはどれも相当に嫌らしい攻めである。できれば先手としては触りたくない火種に自ら歩を伸ばしたのだから解説陣は騒然。立会人永世名人資格保持者の森内俊之は、「何が起きたのか、すぐには分からいくらい衝撃的な手」と評した。

 盤上に嵐を読んだこの手だが、藤井がこの手を昼食休憩の直前にさらりと指したことにも衝撃が起こった。このような大胆な手があったとして、普通は休憩後に一呼吸置いてから指すのが定跡である。大胆な手は後に引き返せないし、休憩前に指してしまえば、休憩中に相手渡辺に考える時間を与えてしまう。勝負術という面でも、休憩後に指すのが有効と思われるところ、藤井は何事もないかのようにその一手を指した。ただ、この「▲8六歩」という一手は、初見なら相当な衝撃を受ける一手だが、すでに類似形の将棋も現れており、トッププロの間では水面下で着々と研究が進んでいるという見方もある。藤井にとっては、この手は大胆でも何でもなく、すでに嵐は過ぎ去った後なのかもしれない。現代将棋は、ものすごいスピードで変質を遂げている。昔は、2日制の将棋といえば、1日目は互いの了解で通い慣れた手順をなぞるだけ、本格的な解説ほとんどないというような時代もあった。しかし、現代ではそんなことは全く通用しない。2日制の1日目から研究がぶつかり合い、激しく火花が散るのが現代将棋である。1日目の、まだ昼食休憩も迎える前に時間に放たれた「▲8六歩」の一手は、かつての常識が全く通用しない、むしろかつての常識を全て疑ってかからなければ始まらないという、現代将棋の一端を高らかに宣言しているかのようだった。

 藤井に大胆な一手を提示された渡辺は長考に沈む。藤井が自ら突っかけてきた▲8六歩を咎める手順はないのか、それともこれは「罠」か。非常に悩ましい時間だったと思う。長考すること1時間31分、昼食休憩も含めば2時間30分以上も考えた末、渡辺は△1四歩と反対の端の歩を突いた。藤井突き出した歩には触らず、引き続き戦機を窺う一手だった。

 藤井の▲8六歩は、本当に突いて大丈夫な一手なのか。危険はないのか。それは、これから研究が深められる点であり、まだ分からないとしか言えない。ただ、盤上の形勢を示すAIは、▲8六歩が指された後も特に波打つことはなく、「互角」を示し続けていた。盤上に嵐が来たと人間が騒然とする中、その静かな波形はどこか不気味だった。嵐とは、これまでの価値観に囚われた人間けが見てしまう、幻のようなものに過ぎないのかもしれない。

羅針盤のない戦い

 その後はじりじりとした難解な手順が続いた。互いに間合いを取り合い、ひりひりした駒のポジション取りと鍔迫り合い。何がどうなっているのか。つかみどころのない将棋だった。この将棋には「羅針盤」が見当たらない。羅針盤を取り出したところで、針は決まった方位を示すことはなく、ただ揺れ動くだけである羅針盤機能せず、どこにどのように進めばいいのか分からない。そのような中で、二人の対局者は(AIが示すところによれば)均衡を保ちながら進めていく。これが現代将棋最先端かと、半ば呆然とするような気持ちで盤面を見つめた。

 戦機は熟し、堰を切ったように局面は動き出した。ここから応酬も難解を極めており、私には手の解説をすることなど到底できない。ただ、難解な応酬の中で感じられたこともあった。それは、渡辺明が、今回の王将戦に向けて、自身将棋観を相当にアップデートしてきたということである

 「玉の守りを固めた後、細い攻めをつなげる」。かつての渡辺が得意にしたスタイルはもはや見る影もない。渡辺現代将棋対応するため、バランス型の将棋に棋風をシフトさせたが、今回はそれをさら進化させてきたということが随所に感じられた。戦いが始まり渡辺の玉の周りには守り駒がほとんどない。74手目、△4四金と強く盛り上がって、玉の周りの8マスにはついに一つも駒がなくなった。裸の王様藤井の攻め駒が前に出てきており、傍目には相当に怖い。しかし、これでも均衡は保たれている。堅さより「広さ」「バランス」。ここにも現代将棋価値観が現れていた。このような将棋において、「囲い」の概念はすでに消失している。戦いは、盤上の空間を広く使って起こさなければいけない。駒の価値、手の価値に定まった指標はなく、局面によってその価値微妙に揺れ動いている。玉はもはや、周りの駒に囲われ、ただ守られている駒ではない。玉もまた戦っている。盤上を泳ぎ、時には自らが攻め駒にもなる。盤面は液状化され、局面羅針盤はない。難解熾烈を極める現代将棋だが、37歳の渡辺明はここに来てさら自身将棋観をアップデートさせてきた。新時代棋士藤井聡太挑戦者に迎えた番勝負への覚悟は並大抵のものではなかった。そうして、濃密で難解な異次元ねじり合いは演じられた。

永遠を願う

 将棋は激戦のまま最終盤に突入し、双方1分将棋を迎えた。互いにどうなっていたのか分からないと述べた大激戦。「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」。1分将棋では、到底全てを読み切ることはできない。二転三転の展開で、双方にチャンスがあったように見えたが、最後藤井渡辺玉に生じた長手数の詰みを読み切っていた。1分将棋の中を抜け出したのは藤井。大激戦を制し、七番勝負の初戦を白星で飾った。

 この将棋が終わった時にまず湧き起こったのは、勝敗についての感情ではなく、「この将棋永遠に見ていたかった」という思いだった。最後は1分将棋という制約の中で、盤上は1つの結末を迎えた。しかし、この将棋には途中で気の遠くなるような、膨大な数が分岐があり、この結末はその中のたった一つでしかない。もし、持ち時間が無制限で、両者が次の一手を極限まで追求できたとしたら、この将棋はどこまで均衡を保っていたのだろうか、そんなことを思った。実際には、持ち時間が無制限というルール不可能だし、仮に無制限に考え続けたとしても、膨大な分岐さらに膨大に広がるだけだろう。81マスと40枚の先にある結論には、まだ誰もたどり着けていない。人間はいったいどこまで行けるのだろうか。番勝負の行く末のはるか遠くにあるそんなことを思うような、壮大な将棋だった。

 渡辺明藤井聡太人類最高峰番勝負を生で見届けられる僥倖感謝しながら、次局以降も、一局でも多くの熱戦が繰り広げられることを期待したい。

2021-09-03

アジカンの中で特に好きな曲

・青の歌

アジカンの曲の中で一番エモいし聴き終わった後澄んだ気持ちになる

電波塔

すげーテンポが良い!聴いてても歌ってもただただ気持ち良い

無限グライダー

酒飲みながら聴く幸福感がすごいふわふわ

羅針盤

これもめっちゃテンポが良い!ずっとたったったったっ!って感じ

センスレス

こういう曲を聴いたことがなかったからかもしれないけど展開がかっこいい。歌ってても楽しい

ロードムービー

くるり赤い電車と通じるかもしれないけどリズム気持ち良い

堂々巡りの夜

なんで好きなのかよくわからないけどめっちゃ好き。あっさりしてるのが良いのかも

・未だ見ぬ明日

これは歌ってて楽しい。盛り上がりがすごくて良い

ライカ

これも盛り上がりが良い。🐺 < ウオーーーン感がある

転がる岩、君に朝が降る

ザ・王道って感じはあるけど、完璧ではないのはわかってるけどどうにかしようとしてる感じも好き

ライジングサン

低音がかっこいい

疲れたやめる

2021-05-24

コロナから憂鬱だった

2020/1/19(コロナ前)

自分人生、詰み気味なんじゃないかって最近よく感じる。

去年結婚した。結婚に伴い、新卒より働いていた会社をやめ、福岡に越してきた。Web系に再就職したが、給料が安い。自分で選んだとはいえ、みじめだ。仕事はキツくないが、常に追われている感じはずっと続いている。根底には常に焦燥感がある。これならば、前職と変わらないではないか。むしろ、前職の方が良かったかもしれない。

福岡に来て、友達と遊ぶ機会がなくなった。代わりに夫と過ごす時間が増えたが、既にマンネリ気味だ。

他者との交流代替なのか、kポップのペン同士で交流にのめり込んできた。はじめは、EXOが好きだった。今も好きだけど、どちらかというと、フォローしている人とやり取りするのが楽しくなってきているのかもしれない。一度もあったことがないのに、ツイートを見て、リプライして、現実の友人よりプライオリティが高くなっている。情けない話だ。

プライドが高いせいで、フォローしている人と自分を見比べ、渡韓できないのが悔しくなってしまっている。〇〇がしたい!と思っても、夫の目が気になったり、実際に止められれて、出来ないことが増えた。一人暮らしをしていた時より、不自由なことが増えて、ひとりの時間もなくなり、「結婚とはなんだったのか?」と考えるようになった。

結婚すれば、必ずしも幸せになると盲目的に信じてたわけではないのに、今直面している現実を受け入れられない。不幸なことに、私は金銭的な理由で、離婚なんて決断はできず、おそらくずっとこのままだ。

この状況が好転することはあるのだろうか。薄々気付いているのは、どんな状況でも不平・不満は必ずあると知っていること。それを承知の上で、この先もずっと、この不幸は続いていくのだ。

来年こそはイギリスに行こうと思ったとき、私に来年があるのかと思った。自殺はしないだろうから来年はあるのだけれど、自由に出来る身体なのか、自由決断できる環境なんだろうか。

2018年12月で私の人生は終わった。

あの時はこんなことを考えるようになるなんて、思いも寄らなかった。新しい人生の始まりに胸がわくわくしてた。まさに、一寸先は闇。

「終わった」人生は、とても味気なく、何のためにこの先も生きていかないといけないのかと考える。いや、考えないようにしてるが、もはや私の人生を生きていた時の気力はなくなった。

顕著なのは、外見がそこまで気にならなくなったこと。そこで、カンフル剤のように私の人生に、喝を入れているのが、EXOから、これはもう宗教なのかもしれない。

中高での毎日礼拝は何も響かなかったが、今なら懸命に祈るかもしれない。どこに向かって、人生を進めているかからない者にとって、キリストの教えは羅針盤のように道を照らしてくれる。古くから人々が宗教にすがってきた理由がよく分かる。

この先もずっと続くであろう鬱々とした私の人生の霧が晴れることはあるのだろうか。それとも、「諦めが肝心」と自分を納得させるしかないのだろうか。おそらく後者であるが、現状を打破する方法が皆目検討つかない。いや、わかってはいるが、怠惰自分がそれを選んでこなかっただけだ。

いつから、私の人生は終わっていたのだろうか。絶頂期をすぎ、暗く長い坂をゆっくりと転げ落ちている。行き着く先は地獄だが、あまりにゆっくりとしたスピードなので、到着地が地獄なんて気付かなかった。まあ、人生なんてそんなものなのかもしれない。

結局死に向かって突き進むほかないのだから

この日常に耐えきれなくなったら、その時、また人生について考えようと思う。


2020/5/24(コロナ後)

2020/1/19の私の日記は、私にしてはよく書けていて思わず感嘆してしまった。

いまの私は五月病なのか、暗い日々を過ごしている。2020/1/19に比べ世界は大きく変わった。大袈裟ではなく、あのコロナウイルスによって生活様式が一変した。「世界が変わった」と言っても差し支えないはずだ。

私自身の環境も大きく変わった。生活を良くするために仕事を変えた。元鞘に戻ったというのだろうか。住むところも変わった。

2020年自身生活を良くするために行動した。

なのに、この憂鬱な結果はなんだろうか。

ずっと纏わりつく閉塞感、無気力感。当時感じていた強い絶望感はないけど、じわじわと私の気力を奪っていく。何をしても楽しくない。何も食べたくない。もはや人生目標なんて考えない。目の前の時間問題なく過ごすことで、いっぱいいっぱいだ。

八方塞がりに近く、ただ日々の時間が過ぎるのを待つ人生。これが、これからも続くのだ。ぞっとする。

コロナ罹患したくない。

コロナ死ぬ遺体となっても、家族と対面出来ないまま灰となる。それは、あまりに酷だ。私は魂の救済や輪廻は信じていないが、遺された家族があまり不憫可哀想だ。今までは無かった死に方は、遺された者に多かれ少なかれ影響を与える。なるべくなら、そういう最期は避けたい。

だが反面、不可抗力にも近い形で人生を終わらせることが出来るコロナは、今の私にはとっては福音でもある。恥ずかしい話だが。

まりしまずこの生を終わらせたい。出来れば、交通事故のような突然死ではなく、徐々に時間をかけて自分死ぬ事実を、家族理解できるスピードで終わらせたい。

流行りの病で亡くなった事実は、あまりにやるせないが、死に対して一定説明責任を果たす。本人の精神状態を問わず、運悪く流行りの病に罹患して命を落とした事実けが残る。精神鬱屈していたかどうかは関係ないのだ。無視される。好都合だ。


この世界を変えた感染症収束した時、私の気分は少しでも晴れているといるだろうか。おそらくだが、そこまで明るくなく薄暗いじめめした中をナメクジのように這いずり生きているだろう。最悪だ。

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