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2022-11-29

日本人の正しい排便姿勢についての考察

正しい排便、残便感のないスッキリ排便は、多くの人民にとって興味深い事ではないだろうか。

最近吹聴されている良い排便フォームとして、ロダン彫刻「考える人」姿勢をとることが推奨されている。

まり、片肘を腿に付けるような深い前傾姿勢が排便に適切なのだそうだ。

しかし、これを日本人がそのまま受け入れるのは問題がある。

基本的牧畜民族であった西洋人と違い、農耕民族である平地部の東洋人は、基本的姿勢が悪い。勿論モンゴルなど東洋においても中央アジア牧畜民族であるから、基本姿勢は良い。

牧畜民族は広い平原を見渡しながら羊や牛を追っているので背中はまっすぐに伸びるが、農耕民族は地面に向かって作業を続けるので猫背になる。

から農耕民族基本的姿勢が悪い。その中でも特に床に座って生活する文化民族さら姿勢が悪くなる。床に座って胡座をかいたり壁に寄りかかると背中は湾曲し猫背となる。

東洋農耕民族主体としていても、例えば中国大陸においては床に座らず椅子に座っている地域が多い。これはカンフー映画中国時代劇映画などを観ると分かるが、室内でも椅子に座っており、床や地べたに座ってはいない。だから自然姿勢は良くなっている。

東洋農耕民族でありしかも長年にわたって床に座ってきたのが日本民族である

日本においては何かというと「背筋を伸ばしなさい」「姿勢を正しなさい」と口酸っぱく言われるのが、それは日本人の基本姿勢が極めて悪いことの裏返しなのだ。元々背中がまっすぐ伸びている中央アジア以西の牧畜民族世界ではそんなことをいちいち言うことは稀である

さて、話をうんこに戻そう。

言うまでもないが、「考える人」西洋芸術作品であるから、元来は牧畜民族しか椅子に座って生活している西洋人姿勢である。だから実際には背中比較的真っ直ぐに伸びているのである。あれをリラックスすると自然猫背になる日本人が真似しても、外見上は似ていても実態は異なる状態になることは最早言うまでもない。

日本民族にとって、もっとも排便しやす姿勢は、あの和式便器姿勢である。これは俗に「ウンチングスタイル」と呼ばれていたがこれは不適切であり、より正しくは「ウンチグフォーム」と呼ぶべきであろう。この状態では比較的に背中は真っ直ぐに近くなり、それでいて膝や腿は胸のすぐ前に来るのである

我々日本民族は、この状態洋式便器上で再現すべきなのだ。以下にのその方法を示す。

1. 便座に座り、受勲式に望む軍人のように背筋を伸ばし胸を張る。

2. 上半身のその姿勢を崩さずに、乳首を膝の方へ近づけていくように前傾する。

これはロードバイクの乗車姿勢における俗に言う「やまめ乗り」に似ているかもしれない。だから言い換えれば「やまめうんこである

2022-11-15

anond:20221115053650

1941年の日本アメリカ要求を飲んで三国同盟を破棄して中国大陸にある領土放棄します」

これをやれば日本人300万人が死ぬことも無く、国土焼け野原になることも無かった。

なんて、本気で受け入れられるのかな?

2022-10-28

anond:20221028142901

第二次世界大戦終結の5年目に起こった朝鮮戦争は、「冷戦の中の熱戦」として第三次世界大戦危機となった。国際世論イギリスなどを動かし、世界戦争の再発は回避された。しかし、現地司令官マッカーサー北朝鮮支援する中国大陸に対して原爆使用計画し、一時は核戦争の勃発が危ぶまれた。そのときすでに49年のソ連原爆実験成功しており、さら朝鮮戦争の1952年にはアメリカが、53年にはソ連がいずれも水素爆弾実験を行っていた。このような核兵器の急激な高性能化は、かえって米ソ両国に恐怖心を与え、「核抑止力」が働くこととなって、核戦争回避された。

なるほどね

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

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 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-08-27

漢音テストに受かったら中国大陸上陸して仏法典を会得してくる

韓国には統一教会が襲来してるけどキリスト一派は強敵だな

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-08-04

戦争がなぜ起きたかっていうの

もともとロシアが無理な南下政策して周辺の中国日本がそれに危機感を覚え起きたのが日清日露戦争

この頃までは列強日本に味方してくれていたがここで戦争やらかしたことで中国大陸に火種が残り国民世論メンツもあって始まったのが日中戦争

ダメなまま引っ込みがつかず突き進んでしまったのが大東亜戦争ってイメージなんだけど合ってる?

 

最初から領土争いに首を突っ込まなければよかったけど、一度突っ込んでしまった以上外交ドヘタな日本うまいところで収める力量がなかった

そもそも諸悪の根源ロシア南下政策って認識

2022-06-07

anond:20220607085903

中国大陸はいぜん魅力的だろう

自己紹介ホンマ乙(苦笑)

ごくごく一部の、それこそアンタらの国民性みたいな、ウチらのとこでの跳ねっ返りだけみてワイらを判断(笑)せんといてほしいわー

2022-05-06

anond:20220506121956

江戸社会は寧ろ酷かったからこそ娯楽が栄えたという話を最近知ったが、

日本人は不満があっても社会を変えるのではなく、

現実逃避に走るという国民性如実に表れてる気がする

そのへんが白人北アメリカオーストラリア原住民から奪い取れたのに対し、

東南アジア中国大陸でパッとしなかったことにもつながる気がする

要はお上に逆らわず、かといってそのお上支配を逃れるために新大陸を奪いもしない、

アニメゲームに走ってリアル幸福を追求しない、欲望を実現しようとしない

島国根性内弁慶なのだろう

まり日本列島というコンフォートゾーンがすでにあるため、

他人土地を奪わなければ自分たちの住む場所がなくなる、

という危機的な状況に追い込まれたことがないため、

今持ってるもので無理にでも満足しようとしてしまうのである

アメリカイスラエルはそうではなかった

からこそガツガツとしなければ生きていけないわけで、

その足元の不安定さこそがダイナミックな動力になっているのである

2022-03-14

anond:20220313145709

そりゃ勝ち筋を選べる国の方が良いよね

ロシアと手を組んでたら2022年に日本領があったかどうかすらわからん

多分1946年辺りにヒノタマカミカゼイチオクソウコウゲキアメリカの一部隊ぐらいは始末できただろうけど、その後に支那やら露助やらに全文化更地にさせられてアメリカと戦う為の大きな港にさせられた可能性も有り得る

 

そして中国大陸に渡って細々と生きた少数の日本族が戦争の愚かしさを中国語混じりで語るのだ

2022-03-01

 どうなんだこれ?識者の知見もとむ

https://anond.hatelabo.jp/20220301132244

ロシアウクライナ戦争で中国台湾に侵攻すると安易に考えない方がいいこれだけの根拠

デイリー新潮

 ロシアウクライナ戦争を仕掛けたことで、次は中国台湾軍事攻撃を仕掛ける番だという論調日本国内で見られる。

 安倍元総理は25日、「台湾に対し中国がどのような対応を取っていくかを占う意味において、日本にとっても深刻な出来事である」と話した。また、アメリカトランプ前大統領も直近の米ラジオ番組で、次は中国が動き、“absolutely”=「絶対に」台湾に侵攻すると指摘した。

 ロシアウクライナに侵攻した同日、中国軍用機9機が台湾防空識別圏侵入したこともあり、SNSなどでも「どさくさ紛れの台湾侵攻説」はまことしやかに囁かれている。

 しかし、私は断言する。今の中国には、台湾を侵攻するだけの能力もなければ、意思もない。【武田一顕/ジャーナリスト

 ***

 能力とは、一にも二にも軍事力だ。戦闘機を例にとってみよう。中国空軍の保有する戦闘機は約2000機とされており、これは自衛隊の5倍以上にあたる。こう聞くとやはり脅威に感じるかもしれないが、中国国土日本の25倍である国境線の長さも考え合わせると、むしろずいぶん少ないとさえ思える。では、戦闘機の性能はどうか? 中国の主力戦闘機は殲-20と言う。通称J-20殲滅(せんめつ)=皆殺しにすると言う禍々しい名前の最新鋭ステルス機だが、軍事に詳しい専門家によると、アメリカ製のF-16たった1機で20ものJ-20撃墜できるという軍事シミュレーションの結果もあると言う。これではむしろF-16殲滅されてしまう。台湾はそのF-16をはじめ、アメリカから数億から数十億ドル単位戦闘機武器を購入している。台湾2022年の防衛費は約1兆8600億円。九州本島とほぼ同じ面積に対してこの莫大な防衛費である。そんな台湾中国共産党の人民解放軍明日にも侵攻するかも、などというのはおとぎ話なのだ台湾独立宣言しない限り、少なくとも向こう10年、中国台湾に侵攻することはないだろう。

中国にもその意思はナシ

 次に、意思だ。

 仮に習近平国家主席台湾軍事侵攻し、ウクライナ戦争のどさくさに紛れて祖国統一を実現したいと考えていたとしても、今の中国共産党指導部の中には台湾侵攻を考えている人は少数派だ。チャイナ7とも呼ばれる中国共産党政治局常務委員7人のうち多くは、中国が今も発展途上国であり、アメリカ製の武器人民解放軍太刀打ちできないことを理解している。

 ただし、「台湾独立宣言しない限り」という条件は付く。台湾独立宣言することはすなわち国家分裂に当たり、これは、中国共産党として許すことはできない。習近平もかねて「台湾独立勢力に対して武力行使放棄することはしない」と強調している。台湾独立を許せば、中国共産党の統治能力疑問符が付き、政権転覆しかねない危機感を持っているからだ。そこは台湾も分かっているため、本心では独立である台湾蔡英文総統独立宣言するまではいかない。

 なお、習近平国家主席プーチン大統領との友好関係を大切にしている。中ロ関係重要ということだけではなく、長期政権を目指す習近平にとって、超長期政権を維持しているプーチンある意味お手本なのだ

 他方、習近平プーチンのように独裁権力を振るえるかというのは別の問題だ。習は軍の意思決定機関である中央軍事委員会主席兼務しているが、実は軍人としての功績はない。無謀な台湾侵攻を訴えても、職業軍人から猛反対に遭うのは目に見えている。軍を掌握していることと実際に軍を動員することは別次元問題で、中国の仕組みはそうは甘くない。

台湾政府も「ウクライナとの比較はできない」

 さて、ここからが肝心な話。日本ではほとんど報じられていないが、ウクライナ台湾を重ね合わせて考えることについて、実は台湾政府自身によって見当違いであることが表明されている。対中国政策を所管する大陸委員会トップ閣僚級)を務める邱太三・主任委員は25日、メディア取材に対し、「地政学から言ってもウクライナ台湾を比べることはできない」と明言し、その理由として以下の3点を挙げた。

 第一は、台湾アジア太平洋地域第一列島線上で最も重要場所を占めているため。第一列島線とは日本から台湾フィリピンへと続く軍事防衛ラインで、中でも台湾は真ん中に位置するため、戦略的価値が最も高い。

 第二に、台湾世界20前後GDPを持っており、経済で言えば特に半導体供給地として極めて重要であるため。農業天然ガスしか産業がないウクライナとは比べられない。半導体パソコンスマホはもちろん、軍事兵器にも使われている。

 そして第三に、ウクライナ国境を接しているロシアは今回の侵攻で戦車を直接投入することができるが、中台戦争戦車を使おうとする人はいないため。中国大陸台湾の間には台湾海峡が横たわっている。当たり前の話しだが、戦車は船で運ぶ以外、海を渡る方法がない。ミサイル戦闘機軍艦だけで敵地を占領することは不可能なので、陸軍台湾派遣しなければならないが、海を渡る作戦は多大な犠牲を伴う。このような理由から台湾ウクライナ比較できないとすることで、中国台湾軍事的手出しはできないことを暗に言ったことになる。

 台湾内で一笑に付されているような議論まことしやかに日本国内議論する人たちは、ただの野次馬、もしくはわざと危機感を煽って日本軍事力をよりいっそう増強させようとする意図があるとしか思えない。

 戦前日本は当時の中国蒋介石の力を見くびり、中国全土を手に入れることができると妄想したため泥沼に陥り、挙句の果てに世界最強のアメリカとの戦争にまで踏み切って、滅亡の瀬戸際まで追いやられた。

 翻って今日日本では、中国怖い論が跋扈している。地図で見るだに巨大な隣国の「等身大」を測るのは難しいが、せめて極端な過大評価は避けなければならない。さもなくば、戦前過小評価今日過大評価という誤解の連鎖で、東アジアを混乱に陥れかねない。冷静な中国分析で世界リードする。これこそが、いま日本に求められている役割ではないだろうか。

1945年日本敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府官僚軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目台湾行政を引き継いでいた。

当初、少なから本省人台湾の「祖国復帰」を喜び[要出典]、中国大陸から来た国民党政府官僚軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人官僚は、当時の国共内戦の影響で(人格的にも能力的にも精鋭と呼べる人材大陸前線に送られており)質が悪く、強姦強盗殺人を犯す者も多かったが、犯人処罰されぬことがしばしばあった。

もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収横領され、上海市の国際市場競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的物価は高騰、インフレーションによって企業倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。

日本統治時代の台湾では、厳しい同化政策皇民化教育)などはあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、インフラストラクチャも整備した台湾経済は、日本内地地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本統治体験した台湾人にとって、治安の悪化役人の著しい汚職軍人兵士などの狼藉さら経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。

当時の台湾人たちは、「何日君再来」を歌ったり、「犬去りて、豚来たる」(意味:犬〔日本人〕が去れば、今度は豚〔中国人〕が来た。)と揶揄した(犬〔日本人〕はうるさくても番犬として役に立つが、豚〔中国人〕はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味が込められている[3])。

2022-02-26

そういや第二次大戦時の中華民国

日本軍にボロ負けしてたんだけども、諦めずに膠着状態に導いてたら、太平洋戦線日本がボロ負けして、中国独立どころか、日本中国大陸から完全に追い出すことに成功したんだよね。

国際世論が完全にロシア批判に傾いている状態で、各国の制裁エスカレートしていけば、ロシアは完全に干上がる。

ウクライナはなんとか頑張って欲しいね

2022-02-21

オリンピックの食の祭典増田すまん定差のくょ市のくっピンリオ(回文

おはようございます

冬の北京オリンピックわっちゃったわね。

ビンドゥンドゥンが超可愛かったんだけど、

扉に挟まったビンドゥンドゥンに金メダルあげたいぐらいなんだけど!

でもみんなビンドゥンドゥンって言いたいのよ、

私もビンドゥンドゥンって言いたいもん。

きっとあなたもビンドゥンドゥンって言いたいでしょ?

そんでさ、

あと

あんまりというかほとんど競技は見なかったんだけど、

最後やってたカーリングテレビ付けたらやってたので、

見てしまったわ。

リードセカンドサードモグモグ

ポジションあると思うんだけど、

あの後ろで北海道物産展やってたら絶対美味しいもの取り扱ってるから行きたくなるわよね!

北の味自慢でお馴染みの菊水の生ラーメン試食をしていたりしたら、

ぜったいもぐもぐタイムそれ試食したい!って思ったし、

でもあれ案外最近浸透してきているので、

近所のマーケットの麺売り場で取り扱っていたから、

伊達カーリング人気あるんだなぁーって思ったわよ。

貢献してるわよね。

あのもぐもぐタイム

もぐもぐパート競技化して、

ストーン投げている後ろで

椀子そばみたいに一目で分かる競技感のある食のもぐもぐ祭典をしていたら、

絶対食べたくなるじゃない。

中国からたぶん中国にちなんだ食材の椀子そば的な競技にもってこれる食材がいいのかも知れないわね。

でも逆に言うと、

休憩中あれ何かもう食べないといけないとなると

食べるハードルが高くなるから

協議の内容とは別に

休憩合間のタイム時間にもぐもぐしてない!って

大荒れ大炎上必至必須紙一重的な感じでもあるし、

きっとこれ北海道物産展の人気の食材を扱うメーカー癒着してて

いやーモグモグして下さいよーって

もはやモグモグって言葉隠語になって

陰でモグモグのやり取りがされていると思うと

イオーシーって思っちゃうわ。

実際どうだか分からないけど、

現にうちの商品モグモグでって言ってるところもあるかも知れないわ。

そんでさー、

よくカーリング競技の後ろの場所で私がやって欲しいと思っている北海道物産展位置時計おいてあるじゃん

あれもやっぱり競技中考える時間が限られていて、

まさにモグモグタイムにふさわしいと思わない?

制限時間内に規定の椀子そばクリアしなくてはいけない!って

フィジカル運動得意な人だけがオリンピックで輝けるだけじゃなくて大食いの人もフィジカルオリンピックの表舞台で大活躍必至必勝みたいな、

ゆくゆうくは

ドキメンタル番組北京オリンピックの裏側で競技用椀子そばを茹でているスゴいスタッフを取り上げられていて欲しい

やっぱりここは麺の4000年の歴史は桁違いよね。

から

あの寒い中走って射的して最後鍋食べて温まる、

いや本当は温まる悠長なことは言ってられないかも知れないけど、

あのバイアスロンスタイル最後鍋!って競技もあったら、

きっと中国の人気の鍋で地域活性化!ってなると思うし、

競技最後の締めだけに鍋!って最後やっぱり中国から雑炊タイプではなくて麺で締めるタイプの鍋かも知れないわよね。

ますますオリンピックって

そう言う競技色強めの競技ばかりではなくて、

食の祭典といっても過言ではないぐらい地域物産が盛り上がるぐらい

地域各国でオリンピック開催地で美味しいものを紹介する!ってのがあってもいいと思うし、

やっぱりそこはカーリングの後ろのモグモグゾーン北海道物産展やって欲しいわ!

でもさー、

よくよく考えたら、

北海道デパート百貨店北海道物産展ってやるのかしら?

地元地元物産展ってなんかあんまりみんなテンション上がらないのかも?

逆もしかりよ、

九州九州物産展やってもあんまりテンションが上がらないぐらい、

これは北海道とか九州以外の地域九州物産展やるからこそ値打ち意味があるのであって、

地元食材って言っても

しかしたら中国チームのカーリングチームが

地元食材に慣れ親しんでいるので、

あんまりテンションが上がらない反面

でもさ

よくよく考えてみたら

逆に食べ慣れているからこそそのモグモグパートのところは強い強みがあるってことも考えられるじゃない。

から

なんとなく開催国開催国メダルの獲得数が多いのは

オリンピック村で提供される食堂定食地元定食だったたる所以なのかもしれないわね。

そう思うとなるほどなーって

開催国が強い意味がそう言うことだったんだなぁ。

から今回特に中国強いんだなぁーって

食は万里を越えるって言うぐらいだから

中国4千年の歴史クダリ豚肉1日7000キロタマゴ1日5万個鶏肉3000キロ餃子1日100万個!

ドーンっていうあの中国大陸感の迫力は全然違うわよね。

でもさよくよく考えたら億単位人口を抱えている割りには1日餃子100万って少なくないかしら?

でもこれも逆張りで、

中国からみんなが餃子大好き!だとは限らないってペコパさんが肯定するみたいに、

案外餃子餃子ゆーとりますけど、

そんな餃子毎日食べないわよねって、

関西たこ焼き器で物ボケしてよ!って無茶ぶりぶっ込まれるぐらい

餃子って思ったほど私たちが思ってるほど食べていないのかも知れないわね。

から宮崎県餃子消費金額ナンバーワンになるのよ。

でもでも

そう考えるとオリンピックの食の祭典は興味深いものがあるわ。

オリンピック村の定食ランキング知りたいわー。

うふふ。


今日朝ご飯

カフェオレしました。

ブラックは苦くて調子のいいときはいいけど、

マイルドに味わいたいとき

やっぱりミルクたっぷりが嬉しいわね。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラーね。

手軽にホッツが摂れるホッツウォーラー

温活温かくして身体温めてね。

意外と冬も水分補給が大切だからね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-12-25

サンタクロースの由来

 サンタクロース……その起源は、遠く古代中国東晋時代へと遡る。

 その頃、中国大陸一の武術の高手(達人)として名を馳せた肉羅臼(にく・らうす)は、他門派の武術家と決闘する際に、三種類の絶招(必殺技)の何れかを使うと相手に予告することで知られていた。

 そうして、肉羅臼は「三つのうち何れの絶招で、お前は止めを刺されたいか?」と質問して選ばせた上で、必ず、その技によって決闘相手を屠ったという。

 その強さに感銘を受けた時の皇帝・中宗元帝から、肉羅臼は"三択老師(さんたく・ろうし)"の名を下賜されるとともに、当時の民衆から

「三択老師に四招(4つの技)要らず

 三招(3つの技)有れば事足りる」

と詠われて、その比類無き強さを讃えられた。

 しかし、晩年の肉羅臼は、武術家同士が覚悟の上で行なった決闘とはいえ、多数の人命を奪ったことを大いに悔い、武術家としての技一切を封印すると、シルクロードを遥かに西に向けて辿る旅へと出発した。

 長い旅路の果にユーラシア大陸の西・カッパドキアの地に到達した肉羅臼は、その地で入信したキリスト教修道士となると、弱い民衆たち、殊に幼い孤児たちの救済事業晩年を捧げたという。死後、その慈悲深い行ないを讃えて、肉羅臼は"聖ニクラウス"と呼ばれるようになり、幼い子供たちの守護聖人と見なされるようになった。

 時は流れて二十一世紀クリスマス風物詩として、子供たちに贈り物を運んで来る伝説上の人物のことを、我々現代人は"サンタクロース"と呼んで親しんでいるが、その呼び名起源が"三択老師"であることは言うまでもない。

民明書房・刊『さんたく・ろうす〜その起源古代中国武術に求めて〜』より

2021-12-03

anond:20211203103329

ガンガンパクりまくって、国民がそれを賞賛する文化があるし。

誰が初めにやったか重要ではない、誰が一番素晴らしいものを作ったか重要なのだ

勝てば官軍負ければ賊軍!という価値観民族だしな。


やはり日本人故郷中国大陸なのは明確なのである

2021-12-01

anond:20211130193058

科学よりも呪術を信じる暗黒大陸培養されたウイルスが、科学よりも陰謀を信じる反ワク馬鹿によって世界に広がっていく。

ちゃんと「発生」じゃなくて「培養」って書いてるところがえらいな。

「発生源」は中国大陸のどまんなか、武漢市だからな。

書き方ひとつ間違えれば、

「じぶんのとこが世界中に迷惑かけてるの棚に置いてアフリカ叩いてんじゃねえぞ」

ってボコボコにされるとこだったな。

2021-11-28

中国でのエロに関するソムリエっているの?

ファンティアやPatreon見てると、中国在住でもエロ活動している人をちらほら見かける。

中国情報ヤフーなどが大半であり、表現規制の話は広まるが、エロのような表ニュースに載らないのは拡散しない。

そこで中国エロに関して詳しいソムリエなんているのだろうか。

コミケなどの主要なイベント中国から来日する人も多く、軽く中国語圏を検索かけると主要なジャンル日本と変わらない。

ソムリエに聞きたいのは、中国大陸で醸成された独自エロがあるのかどうか。

現代遣唐使のようにそれを日本に輸入できるのかどうか。

2021-11-14

追記

mutinomuti 中国人中国が出来てからしかいないのだけど、そもそもあの論文の話は国という概念あやふやだった頃の話だというのに(´・_・`)かわいそうな増田

あの論文って何のこと?

それを言うなら、日本中国ができてからもまだ国という体制確立されていなかったんだが?

魏志倭人伝が書かれた時期の日本支配体制なんて、その約400年後に編纂された古事記でさえまともに描いてないだろ

Palantir よくわがんにゃいけど、増田がそう思うようになった過程に非常に興味がそそられるよ!語っちゃってよ!

高天原中国大陸の事であり、天孫降臨中国大陸から日本列島への渡来であることは明らかだ

そして、オオクニヌシの国譲りは、アマテラスの子孫(渡来人)へ支配体制が移行したこと物語っているだろ

古事記にも書いてある

そもそも天皇という呼称自体も、中国で生まれ皇帝という称号追随しているじゃないか


https://anond.hatelabo.jp/20211114131507

2021-09-17

中国がTPP加入?ふざけるな

あらゆるルールを破るのがこの国。

お前らの存在がいずれ地球を滅ぼすことはコロナ人工島建設環境汚染証明されている。

中国と、我々民主主義国家欧州インド豪州アメリカ日本韓国台湾)を切り離すのが世界平和の唯一の手段だ。

中国大陸を北朝鮮みたいに隔離できれば世界平和は保たれる。

2021-08-16

anond:20210816101010

でもそれってしょせん島国の話でしょ?

メジャーリーグ中国大陸)で結果残してない張本が歴史的選手みたいに扱われてるような薄ら寒さがあるんだよなあ

2021-07-06

サッカー選手差別発言フランス在住作家

 フランス人サッカー選手フランス語日本人/アジア人差別する発言したことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。

 昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人ダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人である自分例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人結婚してパートナー出身国移住し、日本人向けに「ダメ日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本書籍を出して小銭を稼ぐタイプ人間である

 万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸文化だったかである。実は、昔から日本人舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本ダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメ日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクからである

 仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国人間相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。

 最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本ダメになったのは自分以外の日本人責任である」という考え方である

 さて、人間は大なり小なり、他者差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分日本人から」という理屈である

 「これは嘲笑罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメ日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメ日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。

 件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手から好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリーアイリッシュのC-word発言映像に対して「自分アジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人アジア人が多数いたのも、これも同じ動機である

 日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである

 X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。

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