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はてなキーワード: 在日米軍とは

2023-11-06

anond:20231106113842

秋だから航空ショーも多いけど

低空飛行が相次いでいることについて、

防衛省は「安全保障環境が厳しさを増す中、日米同盟抑止力対処力を高めるため在日米軍が各種の実践的な訓練を通じ、即応性を向上させる必要性が高まっている。

らしいよ

2023-10-30

anond:20231030190147

在日米軍がいなくてもいいように防衛費増やせるところと言うとやっぱり自民しかいないんだよな

そんなん政党関係なく日本の国力じゃ無理だろ

anond:20231030184145

在日米軍がいなくてもいいように防衛費増やせるところと言うとやっぱり自民しかいないんだよな

野党無能すぎる

2023-08-02

anond:20230802023752

在日米軍の流血を前提にした平和謳歌してる子供部屋国家の分際で偉そうなこというなよって感じでしょうな

2023-07-31

戦後アメリカ人日本でのレイプマジでえぐい


記録に残っている集団強姦事件

東京都の事例

スヴォボダおよび田中調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16]


名古屋市の事例

また、田中によると、同1946年4月11日名古屋市住宅街侵入した30人から60人の米軍兵士地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10から55歳の女性強姦している[17]。

ダワーの調査によるとRAA活動終了した1946年以降、日本女性に対する占領軍将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。

在日米軍による犯罪は続き、1952年5月から1953年6月警察資料でも殺人8、過失致死435、強姦51、暴行704など合計4476件の犯罪が報告されており、1954年2月には宇治市大久保小学校4年生の女子児童強姦されたあとに陰部から肛門まで刃物で引き裂かれる事件が発生し、ほかにも4歳の幼児強姦され、危篤状態になった事件や、突然狙撃されて死亡した事件などが多発した[9]。

2023-05-02

日本人女の奪い合いで平均的容姿白人男に勝てる日本人男子ってほぼいないんじゃないか

自分彼氏旦那が凄い金持ちとか有名俳優やってるとか図抜けたステータスや才能があるとかの事情でもない限り、

ちょろっと現れた本国基準フツメン以上の白人男に魅力されない日本女性なんぞこの世にほぼいないんじゃないかって気がしてくる。

向こうが遊びじゃないガチ求愛してきたら今の恋人捨ててもいいくらいにほとんどの日本女性は思わされちゃうんじゃないか




敗戦国に生まれ育ったせいか知れないけどこういう謎の確信がある。


あと周り見てる限り、白人男と結婚する日本人女めっちゃくちゃ増えてる。

危機感覚えるのは、彼女らは英語得意なわけでも高学歴であるわけでも国際的仕事してるわけでもないという点。

それでも果敢に、なりふり構わず白人男をピンポイントで狙って結婚してるとしたら、お先真っ暗日本日本しか扱えない大半の男などとはおっかなくて結婚できないという危機感によるものなのかもしれない。

もしこの推測が当たっていて、なおかつ日本人女のこの身の振り方が当たり前になってくれば(敗戦20年くらいは進駐軍在日米軍を客にするパンパン日本各地に大発生したように)、

恐らく独身日本人男は東大だろうが年収1000万だろうが、弱者男性のような「現状、令和の倫理観と照らし合わせても例外的差別していい枠」の仲間入りになるぞ。

2023-04-07

anond:20230407142911

まり、「在日米軍のせいで私たち怪我させられた」と主張するデモ隊がいたら

その人達米軍戦争したくて仕方がない人たちということでしょうか?

2023-01-21

松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』の感想

専守防衛自衛隊合憲と認め、自公政権下でも、よりまし政府民主連合政府の段階でも自衛隊を存続させ活用するという提案には同意

綱領上の位置づけや憲法解釈問題についても納得できる整理がされている。

付け加えるなら、自衛隊の反国民的・反民主的部門廃止改革も取り上げたい。


一方、米帝評価核抑止抜き日米安保についてはなかなか難しい。

松竹氏は本書で「日本周辺で平和と安定の環境がつくられ、国民多数も他の野党も『アメリカ通常兵器にも頼る必要がなくなった』と考えるようになれば、『日米安保抜きの専守防衛』の段階に進む」と述べる。


しかし、次の疑問が出る。

安保条約がある下で「日本周辺で平和と安定の環境がつく」ることが可能なのか?すなわち、安保条約を廃棄してこそアジア平和環境をつくることができるのではないか

核抑止抜きの日米安保といっても結局は軍事同盟にほかならない。軍事同盟必要悪として認めるのか?暫定政権構想で日米安保一時的にタナ上げする、というのなら理解できるが。欧州左翼党グループNATOから離脱基本方針としているようだし、非同盟スローガンは掲げたいところ。

核抑止抜き日米安保になったとしても、中国北朝鮮在日米軍基地ミサイル標的にするのをやめないのではないか台湾有事の際に中国からミサイル攻撃を受けないようにするには在日米軍撤退してもらうしかないのではないか

④氏は在日米軍合憲位置付けていると思われる。憲法で許容される軍事力専守防衛必要必要最小限度ということであれば、在日米軍はその限度を超えていると思うのだが、そのあたりどう整理するのか?

⑤氏が核抜き安保を主張する理由は、それが今よりましだからなのか、それとも核抜きであってもやはり日米安保必要ものからなのか、どちらなのか?言い換えれば、自公改憲志向政権を打破して野党連立政権を目指すためのやむを得ない譲歩なのか、それとも、現在台湾情勢や中国情勢などから導きだされる必然的選択なのか?

⑥従来話法で端的に言えば、アメリカ帝国主義の侵略性にたいする過小評価にならないか


いずれにしろ、本書が提案する、安保防衛政策に関する全党員ブレーンストーミング必須だろう。


マスコミ報道では「党首公選」が大きくクローズアップされているが、それはあくまで党内における安保防衛政策(それ以外の政策も含めてもよいが)についてのブレストのための一手段と考えるべきだ。政策論争や基本路線論争なしの党首公選意味がないからだ。実際に党内討論が活発に行われているのであれば「党首公選」などしなくてよいのである党大会代議員による選挙でもよいくらいだ。


しかし、日本共産党は61年綱領確定後数十年にわたり党内で路線論争や政策論争をしてこなかったものから、党内討論のやり方・おさめ方が未経験で不慣れであり、中央中間指導機関積極的に討論する気風を醸成してこなかった。大会決議案はいつも大会3~4か月前に発表され、支部総会→地区会議都道府県会議大会という「全党討議」のプロセスを経るが、実際のところは「決議案を"学習"して"全面実践"しよう」という見出し赤旗に堂々と見られる程度の"全党討論"なのだ


この慣行を打破するには、「党首公選」というやり方が一番効き目があるのは確かである。末端の党員でも議論に参加しやすいからだ。たとえば「○○の政策を掲げている池内米沢投票したい」とか「私は、神谷坂井推し理由は△△だ」とか人物評をきっかけにして政策討論を起こしやすいし、投票という自分の行動を決めるものからその分討論も真剣になる。


なので、氏の提案する党首公選等にもおおむね同意だ。

ただ私見だが、党首公選実施するなら党員候補制の復活をお勧めする。入党して6か月間は党員候補党首公選選挙権はない、6か月ちゃん活動したら党員と認められ党首公選選挙権を持つことができる、という制度設計にしないと、党首選挙のためだけに一時的に入党する十条党員が増えてしまい、支部活動に支障をきたすからだ。

2022-10-13

沖縄戦で激戦区だった地域に生まれ育った私が基地問題について思うこと

沖縄基地問題が騒がれているけど、ブコメヨッピーさんの記事を見てると、明確な沖縄県民差別もあったり、自覚してなさそうなナチュラル差別もあって、とても悲しい。

まず、私が体験してきたことを記したい。

・生まれ育った地域は激戦区だったので今でも不発弾が見つかる。そのためか大規模な開発はあまり行われていない。周囲に米軍基地も無かった。小中学校では、体験者の話を聞くのはもちろん、轟壕と呼ばれる防空壕の中に入って真っ暗で冷たい空間体感するなどした。他にもいろいろな学習があったが、とにかく戦争悲惨である記憶けが色濃く残っている。

卒業後、辺野古に7年住んだ。近くには米軍基地があったため、産まれて初めて基地が近くにある日常を目の当たりにする。銃声や爆発音がなんの予告も無しに当たり前のように響く毎日に驚いた。オスプレイと呼ばれる軍用機が飛行する際には、教室の窓が振動し、授業が中断することもあったらしい。

・在学中、在日米軍迷惑行為(校門で爆竹を鳴らし大声で騒いでいた。近くの学生寮に住んでいたので当時かなりうるさかった)もあった。ただし、地域運動会には米軍の人も参加するし、米軍基地の中に入って軍の人と交流するイベントもあったので地域住民との交流大事にしているんだなという印象もあった。

・また、在学中に民主党政権になり、例の「最低でも県外発言もあったせいか基地反対派の活動もそれなりに活発だったと思う。基地反対派の基地のゲート前道路座り込みの影響で、テスト間中なのに学校に辿り着けない学生もいた。基地反対派の活動うんざりしている学生も多かったように思う。私もうんざりしていた。

卒業後、県外で就職し働く。当たり前だが、県外の人の基地問題の無関心さに驚く。沖縄とは距離が離れてるから、そりゃ当たり前か…と思うも少し悲しくなる(私も沖縄県外にある基地のことは詳しく知らないので、あまり言えたもんではないが)

その他、肌で感じたこと。

・当時、日本兵自決を命じられたという戦争体験者の証言があり、高齢者特にナイチャー(県外の人)に対する差別意識が根強い人もいる。私の祖父母例外ではなく「ナイチャーとは結婚しないでねー」と度々言われていた。

しかし結局、私は県外の人と縁があり結婚した。だが祖父母は煙たがりもせず理解を示してくれた。本当にありがたいことである。思わず泣きそうになったことを覚えている。

基地問題については、本当に根深問題であると感じる。今回の騒動で注目されたことは良いことかもしれないが、いたずらに対立を煽ってほしくない。イチ沖縄県民として非常に心が痛む。

・まずは基地問題について少しでも知ってほしい思い。とっつきやす漫画だと、新里堅進さんの漫画などがオススメ

2022-10-08

anond:20221008094340

トランプ大統領になるずっと前に、

在日米軍撤退による米国コストカットを訴えた広告新聞掲載させたが、

そのとき広告掲載のための多額の寄付金ロシアスパイからだったらしいので、

在日米軍撤退運動をしている人たちはロシアスパイなのかもしれない

2022-10-04

anond:20221004104428

じゃあ9条改正にいったいなんの意味があるの?

もともと日本国憲法日米安保(在日米軍)とセットのドクトリンだった

少なくとも終戦直後はそういう前提条件だった

しか戦後すぐに始まった米ソ冷戦の本格化でその前提はあっさり崩壊してしまい、なんだかんだで自衛隊設立され、改憲敷居が高い硬性憲法ゆえに解釈変更の弥縫策が何十年とダラダラ続いてもはや憲法のもの形骸化してしまってるのが現状

それでいいの?解釈変更で対応するにも限界あるけど?というのが改憲論議なわけ

「どうせ誰も守ってないんだから憲法なんかわざわざ変える必要なくね?」とか「憲法を律儀に守ってたらにっちもさっちもいかなくなるから憲法違反も仕方ないよね」という未来をお望みなら憲法放置すればいいよ

2022-06-14

anond:20220614202016

本当に?

たとえば決して軍事力の強化にいそしんだわけではない日本世界屈指の平和を誇りましたよね。

というと「在日米軍がいたからだ」と言うでしょうが、ではそのアメリカ日本よりも平和なのかといえばまったくそんなことはありません。

軍事力を持つことによって集団安全保障にもとづく海外派兵に参加させられて現地住民の恨みを買うだとか

軍事同盟への加入を目指すことでそれを脅威に思った隣国に先んじて侵攻されるということもあります

軍事力を持つということはそのぶん国際社会の何らかの枠組みのなかに嵌められるということでもあるわけです。

逆に言うと軍隊を持たなかった日本ある意味無責任立場謳歌できた。

それに軍事費のぶんを他の分野に自由に振り分けることもできたわけです。

それは「選択肢を増やす行為ではないんですか?

2022-06-06

anond:20220606144955

戦後

占領直後の性的暴行強姦件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3,500人以上の女性連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている[8]。

その後も在日米軍による犯罪は続き、1952年5月から1953年6月警察資料でも殺人8、過失致死435、強姦51、暴行704など合計4476件の犯罪が報告されており、1954年2月には宇治市大久保小学校4年生の女子児童強姦されたあとに陰部から肛門まで刃物で引き裂かれる事件が発生し、ほかにも4歳の幼児強姦され、危篤状態になった事件や、突然狙撃されて死亡した事件などが多発した[9]。

占領の恐怖と特殊慰安施設協会

日本占領後、多くの市民連合国軍上陸によって日本女性強姦されることを恐れていた。こうした懸念から内務省警保局をはじめ各省庁および都道府県庁は、女性らに自宅待機、避難日本男性から離れずいるようにとの注意喚起、また米兵との接触回避するよう勧告をしている。

米軍最初上陸するものと推測された神奈川県では、県警は若い女性や少女避難勧告をしている[10]。内務省警保局の情報にも「神奈川県ハソノ特質上敵ノ最初上陸地点タルベシトノ想像モアリ「敵ハ十八日ニ神奈川上陸スル」ノ流言多シ」とあり、戦争関連の諸文書が一斉に焼却廃棄されるなか、行政機関当局にも相当の混乱があったことが窺える。主要港湾を擁する横浜市では、幹部職員の全員逮捕処刑を前提として、緊急措置として市民のうちの婦女子の疎開避難女子職員の全員解雇などを決定し、これをきっかけとして丹沢方面への疎開騒ぎが広まっていた。

これに呼応し、政府内務省警保局長名で特殊慰安施設協会RAA)の設立について全国都道府県に打診し、東京都下の料理飲食業組合、芸子置屋同盟、待合業組合連合会など7団体代表者により、特殊慰安施設協会が急きょ設立され、協会を通し「性の防波堤」となる志願女性募集した[11]。これにより、各所に「進駐軍将兵慰安施設」が設置され、一例として横浜大阪商船ビル日本造船大丸谷寮、箱根江ノ島の新設施設などがこれに利用された。GHQ当局1946年1月に、「非民主的であり、女性への人権侵害である」との理由から施設の閉鎖と公娼禁止宣言したが、占領兵士相手とする「私的売春継続され、兵士たちの間で性病蔓延した[12]。

米軍による強姦

ジョン・ダワーによれば、特殊慰安施設協会設置の効果もあり、占領軍の規模と比較すると日本政府の想定よりは強姦の発生率は低かったが、同時に性病集団感染引き起こした。一例としては、検査の結果1個師団の70%が梅毒、50%が淋病の陽性反応を示したため、これを主因として売春施設は閉鎖されることとなった[12]。

公娼施設廃止後、強姦の発生率は約8倍に増加し、ダワーの調査によるとRAA活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。これに対してブルマは、「毎日40件以上の強姦が行われた可能性があるが、ほとんどの日本人は、アメリカ人は恐れていたよりも規律的だと認識していただろう」と述べている[14]。

テレーズ・スヴォボダは、慰安施設閉鎖後に強姦の報告件数が急増した事から兵士に対する慰安婦の提供強姦事件抑制一定の効果があった事を認めている。スヴォボダはまた、一例として慰安施設営業開始前に、待ちきれなくなった数百人の米軍兵士が二棟の施設乱入し、そこにいたすべての女性強姦した事件についても言及している[15]。 また、スヴォボダによると特殊慰安施設協会廃止後少なくとも二件の大規模な集団強姦事件が発生している。

記録に残っている集団強姦事件

東京都の事例

スヴォボダおよび田中調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16]。

名古屋市の事例

また、田中によると、同1946年4月11日名古屋市住宅街侵入した30人から60人の米軍兵士地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10から55歳の女性強姦している[17]。

占領上陸直後の事件件数

マイケル・S・モラスキー日本文学、日本語学研究者)によると、日本警察の報告を読むかぎり、強姦やその他の重大犯罪海軍を中心に広まっており、横須賀基地横浜周辺における占領最初の数週間の犯罪件数が突出しているが、日本本土全体では一般的ではなかった[18][19]。

上述のように、駐留米軍兵士による拉致強姦殺人日本全体には波及していないものの、警察記録と報道記録が示している通り、凶悪犯罪を犯す兵士の多くが、1945年日本上陸し、最初の数週間の間に記録的件数犯罪行為をおこなっており、占領最初10日間だけで1336件の強姦事件が報告され、その後も9月一か月間の横浜市内での強姦事件119件にのぼっている[20]。ダワーによれば、被害者が数人以内の場合には警察に報告すらされなかった。[21]

北海道の事例

歴史家の竹前栄治、ロバート・リケッツらは、米空挺部隊上陸後、札幌市内において略奪、強姦、酔ったうえでの日本人への暴行などを働くことはまれではなく、強姦被害者の中には自殺した者も少なからずいたと述べている[22]。

ロバートアイケルバーガー第8軍司令官は、非番兵士から女性保護するために日本人が自警団組織した際、第8軍の装甲車に協力を命じ、事件の首謀者を逮捕したことを記録している。しかしダワーによれば、一方で強姦事件の中には警察に報告されないものもあった。

イギリス連邦占領軍による強姦

竹前とリケッツらによると、オーストラリア英国インドニュージーランド軍の一部によって構成され、中国及び四国の9県を占領していたイギリス連邦占領軍 (BCOF)も、また多くの強姦に関与していた。

オーストラリア軍は1946年広島県呉市上陸するとすぐジープ若い女性を拉致強姦していた。被害者がほぼ毎晩助けを求めて泣き叫ぶのを聞いていたが、占領軍による犯罪行為の報道封殺されていた[22]。中には、一人の少女20人以上の兵士に回姦される事件もあった[23]。

イギリス連邦占領軍の公式報告では軍所属将兵1946年5月から1947年までの期間に57件、1948年1月から1951年9月の間に、さら23件の強姦を犯し、有罪判決を受けたされる。しかしながら、1946年2月から4月にかけての英連邦占領軍による占領当初の重大な犯罪公式統計存在しない[24]。オーストラリア歴史家ロビンゲルスターによれば、イギリス連邦占領軍の重犯罪公式統計米国と同様に過小評価されているが、これには日本警察被害報告を占領軍に提出していない場合があり、これにより英憲兵隊調査を行わなかった事も少なからず影響していると述べている[25]。

日本被害報道への検閲

ジョン・ダワーによれば、GHQ当局1945年9月から1952年占領終了までの間、幅広い検閲プレスコード)を日本メディアに対して実施しており、開始当初には左翼活動軍国主義超国家主義的な思想といった思想分野が差し止め対象となっていたが、占領開始から数か月後にはこの範囲を大きく逸脱し、占領軍による強姦などの重大犯罪社会問題も幅広く検閲対象となっていた[26]。

竹前栄治とロバート・リケッツによると、占領軍は、1945年9月10日付連合国軍最高司令官総司令部令「占領活動敵対的な全ての報告・統計発行物の違法化にむけた報道発表と事前検閲に係る規則」を定め、強姦などの重大犯罪に関する報道を統制していた。占領終了後、一部の日本雑誌アメリカ軍人が犯した強姦件数を発表している[22]。

2022-05-23

戦争実体世代がいることが平和のために重要だというけど

戦争経験のある世代人間がいようといなかろうと、関係なく戦争は起きる気はするんだけど。

1941年12月の時点では、当時の日本政府中の人間のほぼ全員は「戦争実体世代」だったよね。

日清日露戦争から始まって第一次世界大戦干渉戦争と約10年~20年おきに戦争を繰り返していたのだから

しろ戦争経験がある方が、戦争を起こすハードルは低くなると思う。

プーチン大統領だってソ連時代アフガニスタン戦争経験している。

戦争実体世代最後の生き残りが、今ウクライナ戦争をやっているのだ。

戦後日本戦争に巻き込まれなかったのは、戦争実体験の世代がいたからではなく、日米安保在日米軍がいたから。

2022-04-24

横須賀キチガイの街

明治時代横須賀鎮守府海軍砲術学校が置かれ、ずっと基地外の街として基地と共に歴史を歩んできた。

敗戦後は在日米軍の第7艦隊司令部が置かれていて、異国情緒を味わうことが出来る街でもある。

横須賀カレーとか、一度食べてみたいよね。

2022-04-10

anond:20220410165236

ロシア海軍極東方面戦車などの装甲の厚い車両をは運ぶ船を殆ど配備してない。

強襲揚陸艦の類をそれなりの数再配置しようとしたらほぼ確実に米軍にバレる。

軽装備・少人数の特殊部隊を小型挺で送り込むことは可能かもしれないが、戦車機動戦闘車をわんさか抱えた自衛隊基地を壊滅させるのは不可能だし、そこに行き着くまでに在日米軍が合流されたら勝率は完全にゼロになる。

とはいえプーチンにそういった客観的情報があげられてる可能自体ちょっと怪しくなってきてる。

あのチビハゲ脳内には、米第七艦隊比肩するロシア海軍の大艦隊が今まさに編成を追えようとしているのかもしれんし、日本政府から弾圧されている(という設定)のアイヌ末裔ロシアからの救援を心待ちにしていて、国際社会が「アイヌ解放」に理解を示すと思いこんでるのかもしれん。

anond:20220410114533

どうにかしていまの内閣を全員辞めさせて立憲民主党共産党臨時政府立てるのが一番早いと思うよ

そうなれば自衛隊在日米軍連携にもかなりの支障を来すはず

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