昔、一回ジャンルの壁サークルと企画本一緒に出すことになって合同スペースを取ったとき
相手方の止まらない客足と友達との会話、バンバン売れる本、袋に投げ入れられる英世に諭吉
そんなんを見てたら俺この人のおかげで今この瞬間売れてんだなあとか、金稼いでんだなあ、とか
映っている風景とか、生活とか、人間関係を眺めていると、いまの日本よりもゆったりしているというか、こまやかなところがあって、懐かしいというか、そこはかとなく憧れを持ってしまう感じだ。
『旅の重さ』という1972年の作品は、母子家庭から家出した主人公(女)が、四国でお遍路さんをしながら、いろいろな人と出会っていく話だ。
少女と大人の女の中間にいるような主人公の独特なありかたを描こうとしているようで、当時としてはかなりきわどかっただろう性的な描写もある。
とくに印象的だったのは、旅芸人の一座と合流した主人公が、女優の一人と海水浴をするシーンだ。
奔放な大人の女という感じの女優が、人気のない入江へ走って行って、服を脱ぎ捨てて海に入っていく。
主人公は最初のうちは戸惑っているのだけれど、やがて自分もパンツ一枚になって、海に入って二人で遊ぶ。
その後、主人公は女優にすっかり心を打ち明けて、泣きながら抱きつくうちに、二人は身体を重ねる。
この一連の流れを観ていて、村上春樹の『スプートニクの恋人』が思い浮かんだ。
すみれは憧れのミュウとギリシアの島に行って、全裸で海水浴をする。
結局上手くいかないのだけれど、すみれはミュウと身体を重ねようとして、一夜を過ごす。
この映画と小説の一部分に出てくるレズビアン的な関係は、細かいところは違っているはずなのに、全体的な雰囲気としてはとてもよく似ているように感じる。
村上さんは若い頃『旅の重さ』を観て、後年にこのイメージがどこか心の片隅に残っていたということはなかったのだろうか。
こういう影響関係は、だれか研究している人がいたりするのだろうか。
知っている人がいたら教えて欲しいと思った。
http://shotworks.yahoo.co.jp/sw/contents/sp/landing/quick.html
俺を含めてニートってのは働きたくないんじゃない。
履歴書書いたり面接受けたりの働けるようになるまでの過程がめんどくさくて怖くて進めないんだ。
薄給だし昇給もないけどお前が死ぬまで死なない程度にお前ができる程度の作業でこき使ってはやるから
明日からどこそこに何時に来い、詳細はそこで指示する、とか言われたら俺は喜んで行く。
やりがいとかどうでもいい、てめえ一人食わせられて法に引っかからないことならなんでもいいよ。
あの二人のおっさんはまあしょうがねえよな。うかつすぎるし。もう間に合わないでしょ。ごめんね。
でも日本人を殺した奴はもれなく皆殺しにしなくちゃね。ロシア風に。なめられちゃいかん。
おっさんの身代金に2億ドル出すぐらいだったら、ごめん敵は取ってやるっていうことでさあ、ISのテロリストをひとり殺すたびに10万ドルぐらい賞金出してさあ、先着2億ドルまで出しますよみたいなことに使っておっさんたちには許してもらおうよ。
「行動指針」と「行動規範」だから違う<ロールモデルとジェンダー
規範がなくても歩いて行くことはできるが、指針がなくてはそもそも歩き出すことができない。
知人が見たら身元を特定できてしまいそうなので、ちょっとぼかしつつ書く。
成人するまで知らなかったのだが、わたしは片方の親が在日韓国人の家系だった。
わたしが産まれるずっと前に帰化し、日本人として日本人と恋愛し、結婚し、わたしが産まれた。
知らされるまでずっと自分は生粋の日本人だと思っていたので、その事実にとても驚いた。
とはいっても、親は既に日本国籍を持っているし、韓国の生活習慣は我が家には全くなく(そもそも親も日本で産まれ育っているので、韓国の習慣をあまり知らない)、韓国に行ったこともなく、韓国語も話せない。
DNAに半分血が混じっているというだけで、わたしは普通の日本人だ。
わたしもそこそこの年齢を重ね、恋をした。
相手はとても素敵な人で、お互いに結婚を考えている。
そのため、わたしは隠し事を作りたくなくて、どうしても自分の親が韓国の血を引いていることを言わなければ!と思い、相手に親のことを話した。(今思えば、言わなくてもよかったと思っている)
相手はそれを受け入れてくれたものの、いざ結婚の話を先に進めるにあたって、相手の親にそれを話そうと考えているらしい。
本人曰く、「おそらく驚くだろうけど、問題なく受け入れるだろう」とのこと。
わたしは相手のことを全面的に信用しているので(付き合ってきて信じるに足る人だと感じている)、そう思うのであれば、言えば良いと思った。
ただ、相手の親はそれを受け入れてくれるならよいけど、仮に他の人にそれを話してしまったら?
わたしたちの親世代や、それより上の年代の人にはまだまだ在日韓国人に対する偏見はあると思うし、保守的な雰囲気の土地柄なので、その可能性は高いだろう。
相手はわたしと付き合っていて、わたしが純日本人だということを知っている。
ただ、わたしのことを知らない人がそれを聞いて、先入観を持ってしまったら?もしもいやがらせなんてされてしまったら?…と思うと、とても怖い。
そもそも、わたしもこのことは墓まで持っていくつもりでいればよかったんだと悔やんでいる。が、後悔しても仕方ない。
ひとまず、これらの不安をふまえて、やっぱり相手の親に言ってほしくないということを話そうと思っている。
それでも伝えたいと思うのであれば、それを伝えた後に何か起きた時は、わたしを守ってほしい。ということも伝えるつもり。自分勝手だなと思っているけど。
はじめは普通の死んだ男の子だと思って、普通に死後の説明をしたり、
からかったりしていた。
そいつはよく墓場から消え、大事なお墓参りの朝来なかったりした。
手のかかるどうしようもないやつだと思ってた。
だが死んだことは知っていた。
首くくるのもうまかった。
だから気を抜いてたんじゃないかと思う。
お盆が佳境に入って、よく2人で深夜まで見回りしたりした。
私の分もついでに買って来たりするなよなって頼んだ。
それから本当に大変だった。
何が大変かって、お盆は佳境、
毎日大量の参拝客がやってきて、連日深夜まで対応、休みも無い。
死後に集中しなきゃいいのに、そいつの事が気になって仕方が無い。
おかしい、この前までどうでもよかったのに、今日は式を打つのが恐ろしい。
奴が来るのが怖い。
へんなラップ音鳴らしやがって。
いやちがう、ここは死後の世界だ。
死んだことに気づきなと、、、
そう思いながら、とうとう送り火の前夜に。
ある日送り火を無事見送るために、霊柩車で1時間半くらいかけた死体安置所に行く事になった。
準備をしていたら、なんと牛頭が、そいつとふたりで行けという。
翌朝いつもよりうんと早起きして、霊柩車に乗って送り火に出かけた。
2人で死体を食べた。
地獄の作業が始まった。
作業後、何故か一緒にケセランパサランと唱える子どもを殺したり、
この世の終わりみたいだと私は思った。
私だけがね。
その翌月、偶然近所でそいつを見かけた。
家について、決してのぞかないでね、と式を打った。
勢いだった。
答えは最悪だった。
1週間後、そいつと果たし合いをした。
彼と2人で簡単に呪いあった。
悪夢みたいだった。
みたくなかった。
墓場に帰って来てホッとした。
何故こんなにも苦しいのだろう。
もう死んだ後だし、「死人エクソシスト」という特別な立場をやめるわけでもないのに。
でも、もう、朝あいつを式で呼び出す事も無い。
あいつがしようとすることを止めることも、印を結ぶ事も、九字を切る事もない。
恨み晴らしてさしあげようかって提案する事ももう無い。
お先に失礼しますって言う事ももう無い。
もうあいつに九字を切る事も無い。
あいつ、いっつも私が切った九字を跳ね返しやがって。
それを一晩で爆発させたりして、
ねえ、もう一度、
あいつに九字切らせてよ。
今私は決めている事がある。
最後の審判がやってきたら、
神に戦わせろって言うんだ。
すぐにもどって来れる位置を確保してる。
他の世界に行ったお前は元気でな。
あんたがいたから、私はこの世界からやがて消えなくてはいけなくなる。
あんたと、出会いたくなかった。
ただそれだけ。
じゃあそれを逆にすれば、面倒さを克服してる人の心理がある程度推測できるんじゃない?
ネットのそういう話はあまり読まないのかもしれない。子育てがそこまで面倒に見えない例を一杯知っているのかもしれない。
自分の事を考えなくなるのが別に嫌じゃないのかもしれない。自分自信よりも優先できる存在があるってのは、人によっては幸せと呼んでもいい状態じゃなかろうか。
或いは、深く考えていないために子を持つ重責を軽く見ているのかもしれない。で、実際持ってみたら楽しい事も多くて、大変だけどいいやってなるのかもしれない。ならないかもしれない。
子供が面倒な理由ってそれこそネット上に溢れるように落ちてる。
「夫に当事者意識が無い!」という母親勢お決まりのセリフとその背景はよく理解できるから、そうならないようにと考えると(元増田に書いた「滅私奉公スーパーイクメンマシーン」)、これはめんどくさすぎるなって思うよ。
それで、それらがネット上の誇大妄想に過ぎないのかどうかというと、周りの実際の子持ちの人を見てるとそんなに外れてない事実だなと感じる。子育てに追われて自分の事考えることがほとんどなくなってきた、って何度も聞いた。
うまくやってる人は、社会性の塊で根っからの効率主義者という感じで、俺なんかはそういうのと真反対の性格なので、どう頑張っても(頑張ってはいるんだけど)そうはなれないな、と日々実感している感じ。
結婚する気もないけども友達が使って結婚にたどり着いたそうなので婚活サイト登録してみた
メッセ来るの嬉しいけど数件どっと来られるとどれに返事したかわかんないなww
確認したら「礼拝所不敬罪」という罪があった(刑法188条)から、モスクは駄目そうだな。
光を当てるだけでも建造物等損壊になるんだろうか…
隣のビルに映写とかなら多分何か条例に引っかかる(無理矢理引っかけられる)んじゃないかなあ
モスクは器物損壊か礼拝所及び墳墓に関する罪 - Wikipediaをどうこうして裁かれるとオモ
逆質問しちゃうけど、増田はどうしてそんなに子供が面倒だと思うの?
実際に子供と接したことほとんど無いのなら、実体験に基づく感想ではないはず。その面倒なイメージはどこから来たの?
そこら辺を掘り下げると、面倒に思わない人がどうして思わないのかも分かるかもしれない。
ある団体のビルの壁に、向かいのビルからプロジェクターで抗議のメッセージを映写したら、何かの罪に問われるんだろうか。
その文言に虚偽性や脅迫性がなく、業務時間外に窓ではなく壁に向かって光を当てるだけだとしたら、脅迫にも威力業務妨害にもならないんじゃないだろうか。
恋人いる人が贅沢言っちゃいけません