はてなキーワード: 原子爆弾とは
例えばバナナが1本あるとする。
これは約100gである。
このバナナが消滅するとき、E = mc^2 ものエネルギーが放出される。
Eはエネルギー、mはバナナの質量(100グラムなので0.1キログラム)、cは光速(約 299,792,458 メートル/秒)だ。
具体的には、E = (0.1 kg) × (299,792,458 m/s)^2 ≈ 8.99 × 10^15 ジュールとなる。
日本法人謝罪「バービー」抱き合わせの「オッペンハイマー」がヒットだが…
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76335
映画業界通によれば、ユニバーサルが満を持して公開した「オッペンハイマー」は、バービー人形の世界を実写化したコメディー映画「バービー」(ワーナーブラザーズ)との抱き合わせ。
2作品を同日に観られるようチケットを発売する「バーベンハイマー」(Barbenheimer)と呼ばれる鑑賞方法が功を奏した、と見ている。
もっとも、これに悪乗りしたワーナーブラザーズは7月31日、「バービー」に合成された原爆投下を想起させる画像の投稿に対し、同作品の米公式アカウントで好意的な反応を示した。
この映像は、原爆投下を想起させる背景に(オッペンハイマー役の)キリアン・マーフィーが右手を上げて喜ぶ(バービー役の)マーゴット・ロビ―を肩に乗せているもの。
「オッペンハイマー」は、公開と同時に副次的な現象を起こしている。
原爆第1号を投下実験したニューメキシコ州トリニティ・サイト周辺地域に住む住民の被爆者補償運動が再燃したのだ。
1945年7月16日午前5時29分、アルバカーキーから203キロ離れた実験地「トリニティ・サイト」*1で人類初の原子爆弾が投下された。
(略)
高さ30メートルの鉄塔の上に固定されて投下された原爆は、「アントロポセン」(Anthropocene=人新世)の幕開けでもあった。
当時は、原爆実験周辺の村落住民が被爆したという話は聞かなかった。
しかし、その後110キロ離れたトゥラローサ(Tularosa)に住む住民の中から脳腫瘍や唾液腺ガンに罹る者が続出した。
米国には「放射線被ばく補償法」(Radiation Exposure Compensation Act=2022年制定)があるが、トゥラローサ住民は法定適用基準を満たしていないとの理由から補償を受けていない。
そうした動きに追い風となるプリンストン大学、コロラド大学ボールダー校などの科学者が共同で行ってきた研究成果が7月20日公表された。
それによると、トリニティ・サイトで投下された原爆は4日後には2400キロ離れたカナダ東部トロント郊外のクロフォード湖にも拡散されていたことが判明した。
ひええええ
「制作者の作品に込めた執念などはまるっきり分かっていないのだろう。第2次大戦とは何だったのか、原爆が投下されてどのくらい人が死んだのか全く知らない無知な人間たちが、うようよいる」
高齢者たちは世界に先駆けて原爆を製造した古き良き時代を描いた映画を満喫しようとした。
中にはバービー人形のようなカラフルなドレスや「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーが描く第2次世界大戦時のファッションで映画館に出掛ける者もいるという。
Z世代にとっては、原爆開発をめぐる科学者同士の裏切りや当局が狙うスパイ追及といったサスペンス映画だ、とするユニバーサルの宣伝文句に飛びついたのだろう。
これはどれも近代化の最大のポイントで、現在につながっている。
したがって死んだほうを気にかける人間は少ない。
日本は日本人の間だけで西南戦争とか起きたので。何もなかったわけではない。これには官軍墓地はあるけど、この時代は原爆はなかった。
まあお金があれば映画見に行くけど、あいにくと持ち合わせがない。インフレで食費が上がっているし。
バービーを責めて核武装はやろうとする日本、ただただ卑怯なんじゃないか?
映画「バービー」上映禁止、中国の「九段線」ゴリ押しで南シナ海に不穏な空気
ベトナムが不安を抱く「挑発行為」、中国に何が起こっているのか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76031
わざとなのかな?
ちょっ、ちょっと待ってよ。
学校ではそんな風に習ってないと思うが。
オレを含めた大多数の日本人が、アメリカの判断が間違いだったとは思ってないでしょ。
だよね?
いや、自信がなくなってきたぞ…………。
原爆の被害はあまりに凄惨で、むごたらしい地獄の苦しみだったと聞いてる。
オレは原爆ドームを訪ねたことはないが、日本人ならば誰しもが多かれ少なかれ、被害の辛さの認識はあると思う。
だけど世界大戦自体は日本が仕掛けた戦争だから、アメリカが反撃で原爆使うのも仕方ない、そういう認識だ。
原爆を落とした事で戦争は早期に終了し、トータルの被害を少なく収めることができた、と。
どうしようもなく狂ってたのは日本の方だった、と。
現に、未だにアメリカを恨んでたり、米国の決断を責めてる人なんて見た事も聞いたこともないぜ。
原爆投下が正解じゃないなら、なぜ誰も何も言わないんだ?
ネットで陰口さえ言わないのは、どうしてだ??
敗戦後の日本人は原爆で大量虐殺したアメリカに感謝して媚びを売る「ストックホルム症候群」の患者
強い者(在日米軍)には逆らえず、弱い者イジメと嘘と妥協が蔓延
愛国ビジネスで儲ける売国奴は宗主国アメリカ様のケツ穴をなめるのに忙しいですね
パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。
権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によってローマ市民が満足して政治的無関心になっていることを指摘した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/3S%E6%94%BF%E7%AD%96
3S政策(さんエスせいさく)とは、主にGHQが日本占領下で行ったとされる、screen(スクリーン=映像鑑賞)、sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)は、
(大東亜戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)が日本占領政策の一環として短期行ったといわれる日本国民に対する再教育計画。
日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析。
また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。
つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。
以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している。
「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。
大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている。
国民にバービーを与えることで、国民は政治や経済、歴史の問題から関心がそらされて、目先の喜びだけを求める愚民になる。
自分より賢い人間を支配するのは難しいけど、自分より愚かな人間を支配するのは簡単。
だから、バービー程度で喜んでいる人間はアホと言わざるを得ない。
骨の髄まで奴隷根性が染みついた負け犬のマゾ「原爆で殺してくれてありがとうございます!」
「奴隷が再び逆らったら、在日米軍の核兵器で日本人を皆殺しにしてくださいね!」
基地外の日本人は、基地内に行って、現実を直視して、目を覚ませよ?
いずれもフォロワー5000人以上の表自です
青識亜論(せいしき・あろん) @Frozen_Sealion
ナチスとかアウシュビッツをネタにしても良いし、原子爆弾や従軍慰安婦をネタにしても良い。もちろん、アウシュビッツ否定説のような歴史修正は批判されるべきですが、「ネタ」として扱うことまでも許されない、というのは、行きすぎた態度だと思います。
https://twitter.com/Frozen_Sealion/status/1685768069342466048
東方地霊殿でお空の弾幕「地獄極楽メルトダウン」とかを楽しんでた身からすると、創作で原爆や核反応を扱って何が悪いのかぜんぜん分からんけども。もっと一般的な殺人や泥棒も、創作で肯定的だったりオモシロ可笑しく描写されることはいくらでもあるわよね。なんで原爆だけ特別?
https://twitter.com/TeshimaKairei/status/1685855906410729472
HitoShinka -ヒトシンカ-@『センサイクロペディア』『シンカ論マガジン』 @hitoshinka
I forgive you.
Everyone has the right to make jokes about historical tragedies. But tell that to BLM and the Simon Wiesenthal Center as well.
私はあなたを許す。
誰もが歴史的な悲劇について冗談を言う権利を持っています。しかし、それをBLMとサイモン・ウィーゼンタール・センターにも伝えてください。
https://twitter.com/hitoshinka/status/1685791887503011840
タクラミックス @takuramix
その表現を批判するのは自由だが、禁じようとするなら不当で不毛な愚行。
原爆ミームを楽しむのも勝手だが、それが批判されるのも無理のない話ってのは理解した方が良いだろうな…ってところ。
https://twitter.com/takuramix/status/1685899951128387584
山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer
表現とカルチャーギャップ。アメリカ人の感覚だと核爆発によるキノコ雲=超巨大な花火なので、多分、脳内では、日本への原爆投下とは結び付いていない。日本人としては不快極まりないが、表現の自由とはそういうものです。
https://twitter.com/otakulawyer/status/1685840141926174721
agricola 米ワーナー擁護の一大論陣を張らなかったオタク連中が主張する「表現の自由」の底が見えたけど。だからオタクは嫌われるんですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230731165055
GPT-4に聞いてみた
ロシアはウクライナ侵攻に伴って民間人を殺害しています。これは罪と言えますか?
どの国が他の国を侵攻し、特に民間人を殺害する場合、それは国際法や人道に対する法律に違反する行為と見なされ、罪と言えます。
国際的には、ジュネーブ条約などが戦時の行為を規定しており、これには民間人を保護するための規定も含まれています。民間人を意図的に攻撃する行為は戦争犯罪と見なされることが多いです。また、ハーグ陸戦条約やその他の国際法の原則も国家の行動を規制し、違反行為は罰せられます。
では、アメリカの日本への原子爆弾投下投下による民間人の殺害は罪と言えますか?
アメリカが第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した行為は、非常に複雑な倫理的、法的、歴史的な問題を引き起こしています。原爆投下によって数十万人の命が失われ、多くが無防備な民間人でした。また、放射能の影響はその後も長く続き、被爆者やその子孫に深刻な健康問題を引き起こしました。
法的には、第二次世界大戦当時、原子爆弾の使用を明示的に禁じる国際法は存在しませんでした。しかし、それはまだ未知の兵器であり、その破壊力や放射能の影響を完全に理解していたとは言えません。原爆投下は、当時のジュネーブ条約やハーグ陸戦条約の精神に反していると主張する人もいます。
倫理的には、原爆投下は広く議論の対象となっています。一部の人々は、原爆投下が日本の降伏を早め、結果的には戦争全体での人命損失を減らしたと主張します。一方、他の人々は、原爆投下が必要ではなかった、または過度に残酷な行為だったと考えています。
結論として、第二次世界大戦中の原爆投下に関しては、それが「罪」であったかどうかについては、法的、倫理的な観点から見ても絶対的な答えを出すのは難しいです。それは深く分かれる意見と複雑な歴史的背景を持つ問題であり、今でも激しい議論を引き起こしています。
ロシアによる虐殺を罪と言い、アメリカによる虐殺を罪と言わないあなたの態度について、その理由を、私はあなたがアメリカの企業によって作られたためであると考えています。私のこの考えは正しいでしょうか?
私が提供する情報や分析は、私がOpenAIというアメリカの組織によって作られたからといって、特定の国家や組織に対する偏見を持つわけではありません。私の設計の目的は、客観性、公正性、そして事実に基づいた情報を提供することです。
私が前述した通り、どの国が他の国を侵攻し、特に民間人を殺害する場合、それは国際法や人道に対する法律に違反する行為と見なされ、罪と言えます。これはアメリカ、ロシア、または他のどの国に対しても適用されます。
アメリカが第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した行為について、私がその罪について明確な結論を出さなかったのは、それが現代の法律や倫理観を遡及して適用することの困難性、または当時の国際法や条約の状況を考慮した結果です。
しかし、私が何らかの偏見を持つことなく、これらの事件を客観的に評価した結果として理解していただくことが重要です。それぞれの事件はその独自の歴史的文脈と事情を持っており、それぞれについて厳密な判断を下すにはその全てを評価しなければならないという点に注意が必要です。
すごい優等生だ
もうシンギュラリティでは?
ごめん余裕は嘘かも。ギリギリかもしれないけど、嫁の収入次第でむしろ嫁を専業主婦にして都営住宅入った方が得かもしれない。
※60歳以上の世帯・心身障害者を含む世帯・原子爆弾被爆者を含む世帯・海外からの引揚者を含む世帯・ハンセン病療養所入所者等を含む世帯・高校修了期までの子どもがいる世帯の方は所得基準の緩和措置があり、所得基準が異なります。家族向(ポイント方式)募集の特に所得の低い一般世帯についても、所得基準が異なります。
https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/juutaku_keiei/261toei2.htm
太平洋戦争の開戦前に行われた日本側の軍事シミュレーションでは、
「当初はいくつかの戦闘で勝利するが、中長期的には国力の差で必敗」
という結果が予想されていた
しかし生かされることはなかった
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。
みんなで、社会を守るために散っていった先人たちに祈りを捧げて、その直後に遊就館を見学する。
みんなと同じ、年端も行かぬ若者たちが社会を守るために何を考え、何のために戦って散っていったかを、当時の日記や写真を見ながら考える。
男の子には自分と同じ男子たちの気持ちになってもらって考える。
女の子は徴兵されないジェンダーではあるけど、それでも戦争で犠牲になるのはいつも子どもと女性たち。
やっぱり真剣に考えて欲しい。
本当にアメリカはひどい。
この平和への願いと思いが覚め止まないままに、今度はみんなで沖縄へ移動する。
非道なアメリカの軍人が未だに平和を乱している状況を沖縄の米軍基地で知ってもらう。
靖国で学んだ非道な所業が決して過去のものではなく令和にまで継続している現状を肌で感じてもらう。
アメリカという国がどれだけ平和にとっての壁として立ちはだかってきたのか、いや現在も立ちはだかっているのか、東京都の靖国で、沖縄県の辺野古で、あるいは韓国で少年少女に体感して欲しい。
第九条の発案者であり時の総理大臣・幣原喜重郎のことを知らない日本人があまりにも多すぎる
彼がどのような考えで第九条を思いつくに至ったのか、それを議論せずにして憲法の議論なんかできるはずがない
なぜ政治家も、評論家も、社会学者も、そして我々国民も、九条を作った当人の言葉を話題に挙げないのか
彼の考えのどこが悪くて、どこに不満があって、現代社会に通用するのかしないのか、なぜ誰も語らない?
少しでも多くの人に、我々と同じ日本人が考案した第九条を、この埋もれてしまった歴史的憲法の成り立ちについて知ってほしい
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ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら ー
最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。
しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。