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はてなキーワード: 原爆投下とは

2018-03-16

anond:20180315124332

原爆投下は事前に予告ビラ落として計画性は100%なのに裁判なってないよ

2018-02-18

アジア復興

アジア蹂躙した欧米列強

中国の弱体化とともに、アジア欧米列強蹂躙された。

イギリスフランスアメリカアジアの各地を植民地にした。

日本軍アジア進出して、欧米列強アジアから撤退させた。(大日本帝国は、アジア豊富資源を欲していた)

太平洋戦争日本軍が負けて、頭を押さえつけていた重石が除去された。その結果、アジア各国は独立を勝ち得た。

 

漁夫の利

アジアの結束を分断して、再びアジア支配下に置きたい欧米エスタブリッシュメントたちは、アジアの各国同士を敵対させ、戦争させる姦計を練っている。

アジア人が愚かであれば、まんまと引っかかり、アジア人同士で戦争することになるだろう。

人種差別主義者たちは、アジア各国を分断し、弱体化させることで、漁夫の利を狙っている。

 

黒龍会の残党

戦後日本人3S政策によって骨抜きにされ、オナニーにふける馬鹿ばかりになってしまった。

黒龍会の残党は「和僑」となって世界中へ散って行った。南米ではラストバタリオンと協力して戦後復興に邁進した。

チャイナセブンロシアアジア戦争回避する方向で動いている。(利益よりも損失の方が大きいと計算

 

30億人に膨れ上がったセム的一神教ユダヤキリストイスラム

アジア破壊の導火線に使われようとしている日本人が哀れだ。原爆投下の教訓をすっかり忘れてしまっている。

再び、日本は「滅びに至る民族」の汚名を着せられるのか? それとも、世界平和リーダーシップを発揮できるのか?

その答は、日本人ユダヤ末裔セムの人々)を説得することができるかどうかにかかっている。

 

大和民族が失われた10支族の1つなら、セムの人々との対話可能である

しかし、カバラタルムードトーラー意味説明できる日本人は、果たしてどれほど残っているのだろうか?(現状の神道では皆無に等しいのではないか?)

 

anond:20180217235829

2018-02-12

anond:20180212110105

増田にしてはスゴイ長文だね?(ネットで宣撫工作するプロ?)

昔の日本人アメリカ相手戦争をする民族だった。

原爆投下されて完全敗北を喫してからは、売国奴奴隷根性丸出しのポチ犬だけになった。

 

まあ、アメリカ民主主義の方が、天皇崇拝の全体主義よりましだから、負けて良かった面も少しはあるかも?

それにしても、アメリカの宣撫工作になびくだけの現代日本人は、世界中で笑い者にされて恥さらし。情けない。

アメリカから独立するのは無理でも、対等なパートナーにしてもらえるように交渉した方が良い。

 

日本アジアから欧米列強支配を追い出して、戦後アジア各国の独立の契機となった。

日本人悪党汚名を着ることで、アジア平和がもたらされた。

日本人もっと気概を持って、Good Loserとして正々堂々と世界平和を訴えるべき。

 

在日米軍横田基地日本人自由に出入りできない=日本アメリカ植民地FA

もう日本アメリカの1州になった方がましだよw

anond:20180212181134

イエローモンキージャップ実験台にされてる。

我々日本人太平洋戦争で無条件降伏を受け入れアメリカ奴隷にされたままだけど、タダでは転ばない気概を持っている。

大和魂英霊たちは、今も我々を見守り続けている。

少子化の試練を乗り越えて、少数精鋭の天才民族進化しよう!(ピンチはチャンス)

2017-11-29

右翼の人に(左翼の人でもいい)真面目に聞きたいんだけど

慰安婦問題が最終的不可逆的に解決した」ら慰安婦像を建てられないっていうのはどういう理屈なの?

個人的に考えてたのは問題解決宣言は抗議賠償etc.に対する政府責任(あるいは当時の当事者責任)の履行終了の宣言であって、

歴史教育や展示物の題材として決して扱わないという宣言ではないということで、後者は他のどんな問題であってもやってはいけない宣言だと思う。

日韓合意の内容だと像を建て続けられそうなのに当時右も左も喜んでたのがずっと謎だったし、実際建ってる。

たとえば広島に貞子像が立ってても原爆投下問題が未解決だとアピールすることにはならないと思う(原爆投下問題解決したと言ってるわけではない)。

右翼のちゃんとした人でも日韓合意を持ち出して怒ってる状況が理解できないから偉い人教えて欲しい。

2017-10-03

昭和天皇みたいなゼニゲバばいなければ沖縄戦原爆投下回避できた

昭和天皇みたいなゼニゲバがいなければ沖縄戦原爆投下回避できた歴史の教訓

2017-09-15

特攻も、沖縄も、フィリピン決戦も全部上手くいった

特攻させられる搭乗員にとっても、沖縄地上戦に巻き込まれ民間人にとっても、フィリピンでとんでもないクソみたいな戦闘やらせれて共食いまでさせられた兵士にとってもたまった話ではないだろうが、これらは全部上手くいった。

事実

戦争終盤のあらゆる戦闘本土決戦可能な限りの遅延を意図していた。そして、上記のような被害の結果、米軍による日本本土上陸作戦を断念させることに成功している。

そして、この結果広島長崎への原爆投下という最悪の事態を招くことになった。

だがともかく特攻にせよ沖縄戦にせよフィリピン決戦にせよ一定の成果を挙げているのは事実だ。無駄ではなかった。

だが結局のところ、何が無駄かといえば対米開戦そのものが大いなる無駄なのだった。 1941 年において、既に日本満州事変以来 10間中国との戦争継続していたのであるが、 10 年かけて中国を全く屈服させることができなかった。ようするに日本軍の実力というのはその程度だったという話で、その程度の実力で対米戦をやったこと自体が大いなる無駄だった。

これはつまり物事をどういう粒度で捉えるかの問題だ。「対米戦なんてどうやったって勝てる訳がないんだからどんな努力も全ては結局は無駄だ」、という姿勢と「それはそうとしてその場において目の前の問題解決したという点は評価しよう」という姿勢は両立するはずだ(さらに、特攻沖縄戦フィリピン戦の残虐さについて批判するを姿勢を並び立たせることもできるだろう)。

2017-09-07

anond:20170907171310

広島市からすれば実験しかしてない他の国は許せても

70年前の原爆投下をやってくれた金一族は許せんわ

2017-08-31

ホロコーストならソ連中共のほうが規模が大きいし、人道に反する罪なら原爆投下アウシュビッツの比ではありません。

日本人原爆を落とされて反省してます

ユダヤの方々は反省したことがないのでしょうか?

一度もユダヤ人迫害したことのない日本愛国者を何故迫害するのですか?

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/903050619174268928

2017-08-25

原爆投下意味とは?

主な理由ににソ連への牽制実証実験が挙げられるだろうがこれだけでないように思う

個人が思うにトルーマンソ連を引き摺り出して米ソの対立基軸を決定的にさせること

ソ連の対日参戦が決まっていたためこれと協力して日本本土を労力をあまり使わず降伏させること

原爆投下ソ連対日参戦により早期の無条件降伏を引き出し日本本土日本勢力圏へのソ連侵入を最低限に抑えること

これによって日本戦後運営アメリカ主導で確実に行うことまた日本西側陣営に確実に引き込むことなどを画策したのではないかと思う

備考

原爆投下ソ連にどんな影響を与えたかってのが分かりづらいんだよな

これのどこまでが予測可能範囲なんだろうか

時期的に原爆投下に誘発されてのソ連対日参戦だとは思うんだけどね

ソ連通じての和平交渉の話があったか

ソ連の対日参戦を誘発させて日本との切り離しを図るってのは理解できる

米ソの対立基軸を決定的にさせるって点は微妙なとこだけど

他の点ではそのような思惑があったのも確かな気がするまあ正式資料漁ったりしてみないと分かんないからねー

これはあくま個人的見解

共産主義封じ込め政策であるトルーマン・ドクトリン原爆投下から二年後の1947年にだされてることから

そういう意図があった可能性も十二分にあるだろうが

これはあくまトルーマン個人的にもってた考えだろうし明確な思想としてあったかも分かんないだからこうだよって示すのは無理そう、そう言う意味微妙ってこと

2017-08-11

から自分がどう見られてるのか想像できない人たち

原爆投下の日の慰霊式典で反アベデモをしてた人たちって何がしたかったんだろう。

「式典参加者やら一般国民からどう思われようがしったことか。俺たちゃ安倍叩いて内輪でワイワイできりゃそれでいいんだよ」ってのだったらシンプルだ。「死ね自己中」で済む。

でもこれで国民を反安倍へと駆り立てることができると信じたうえで、本気で政権打倒を説得しようという意図の下に行われたんだったら、この人たちの想像力貧困さにゾッとする。

こういう場でそんなことすれば人からどう見られるのか、全然想像がついてないんだぜ?

どんなに正論だと思ってても、法的にはセーフでも、こんなところで主張すれば反感買うだろうなって思うだろ、普通

わけわかんねえよ。

2017-08-09

この時期フェイスブックとかツイッター原爆投下直後の写真とかケロイド状や焼けた人間写真を載っける奴

素直に不愉快

原爆投下の日に見るのは『この世界の片隅に』では無く…

上映やってるから映画この世界の片隅に』見ようぜ見ようぜ~ってのもわかるんだけど

原爆に特化した作品か?というと、違うよね。

から同作者の『夕凪の街 桜の国』を漫画で見てほしいなぁと思うよ。

(実写でもいいけどね。実写ならではの問題として綺麗にし過ぎちゃった部分があるね。)

こっちは『原爆』がもたらしたものを描いているんだ。この世界の片隅にの、後日談とも言えると思う。

そういえば最もらしい評論を書いてた人の中に、この漫画を知らなかったがため、とんちんかんな作者批判をした人が居たね。

良い機会だから、あの人も見たほうが良いと思う。

それで『この世界の~』を見るなという話では無くて、あれは終戦記念日に見るのが良いんじゃないかな。

主人公が怒りに震えるのは、ちょうどその日なわけだから

まぁ、今年については映画館でやっているうちに、あの映画を観とくと良いと思いますよ。描写かいし音が良いんだよね。

2017-08-06

戦時中日本こそ俺らの敵である

アメリカ原爆投下により、国際法違法な非戦闘民の大量虐殺が行われた事実、 そして勝者が敗者を嬲る私的裁判が行われたことは事実だ。

しか事実に囚われすぎてアメリカや他の戦勝国非難することは阿呆しかない。

過程がどうあれ批判すべきは当時の我が国の弱さという大罪で、それを他国すり替えるのはお門違いと言っていい。

これは韓国中国にも言えることだ。 故に戦時中虐殺強制労働慰安婦なんてあるに決まってるだろ。戦争なんだから

しかしあったとしても、謝罪必要はあない。

彼らが謝罪を求めるべきは、負けた自身先祖である

戦争を終えて最も大切なことは、やがては事実事実として学べる環境を整えることだ。 ナチスヒトラーのように当時の思想暴挙をなかったと闇に葬るのではなく、

例えば政治家としての資質、行動に移る経緯を学び反省してことこそ犠牲者が報われる道ではないのか。

その過程ナチファッションが格好いいと評価されたとしてもそれはそれ、瑣末な問題に過ぎん。

改めて先の戦争犠牲になった全ての方の冥福をお祈りします。

2017-07-24

https://anond.hatelabo.jp/20170724090929

東京大空襲原爆を落としたアメリカ核の傘の下で今のところ日本攻撃してない中露や北朝鮮の核を批判するというのがもうね

自分を殴るジャイアンには何も言えずのび太因縁つける卑怯者のスネ夫日本立場なんだから

それを肯定しようと思ったら慰安婦南京否定でなく原爆投下をやったのは金日成だと教科書に書かないと無理なんでは

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170629212902

原爆は例え話なので「規模の違い」とか「具体的な損害の多寡」を直接比較することに意味はない。

猫に小判だ」と言われて「いや俺猫じゃねーし人間だし」という反論がどれだけナンセンスかはわかるだろう。そちらのほうが「詭弁である

いかい、共通する性質を持つがほかの条件は違うようなことがらを二つ以上並べて、その共通する性質をわかりやす摘示してみせるのが例え話だ。

この場合共通する性質とは「結果は手段正当化しない」ということで、条件の違いは規模や場面だ。対比のためにわざと原爆投下という極端に条件の違う例を引き合いに出している。

例えば(例え話ばかりで恐縮だが)同じ足し算であれば100+100でも100万+100万でも性質は変わらない。つまり規模は関係ない。

そうか何言ってるかわからいか

じゃあ君のために噛み砕いてエッセンスだけを書くからちょっと冷静に読んでよ。

A.正しい結果は出たものの、その手段は正しいとは言えなかった

B.正しい結果が出たのだから、その手段は正しかったと言える

このふたつの違いがわかるかな?

Aは結果と手段をそれぞれ別々に評価し、妥当性を吟味している。

一方、Bは手段単体では評価をせず、結果ゆえに正、としている。

今、Bという主張をそこらじゅうで見る。現にこうなったじゃん、だからあれでよかったんだよ、と。メディアまでが(インタビュイーの口を借りるというやり方で)この主張をしている。

そうじゃない。結果と手段は切り離して評価しなきゃ。

しかにこういう結果になった。バニラ対応を改めたし、世間には障害者の生きづらさをあらためて広く知らしめることにもなった。いい結果を残せたと思う。

しかし結果は結果として、それとは別に、あのやりかたはよかったの? 社会通念に照らしたとき市民運動デモンストレーション手法として許容範囲だったの? 航空機の客としてOK? NG

繰り返すが、出た結果の良し悪しと、選んだ手段の良し悪しは、個別評価すべきである

悪者を捕まえられるからといっておとり捜査はしちゃダメよ、とか、違法に入手した証拠裁判では採用しないよ、とかと、まあちょっと違うが、同じ理屈である

────

そのうえで、OKNGかは人によって意見が分かれるところだろうとは思う。だから議論が白熱しているのだろう。

ただ、OKNG判断材料として、その行為が出した結果を再帰的に用いるのはやめれ、という話を俺はしたいのである

2017-06-29

結果として戦争が終わったんだから原爆投下は正しかった、

とでも言うのか?

そうじゃないだろう。結果は手段正当化しない。

結果的バニラエアを動かしたじゃないか。こうやってバリアフリー議論喚起したじゃないか

──みたいな論理木島氏の行為擁護して、批判は「バッシング」とレッテルを貼って封殺するメディアがある。

そうじゃないだろ。誰だって奄美体制おそまつだったねと思ったしバリアフリー必要重要と知ってる。

詰将棋みたいな奸計をめぐらせてマスコミまで利用して企業を罠にハメたその「手段」について人々は疑義を呈しただけだ。

「ここまでやらなきゃ世の中は動かない」は本当か?

原爆落とさなきゃ降伏しなかった」は本当か?

2017-04-26

ヘルパーをしていた母が聞いた戦争ときの話

母がヘルパーをしていた、あるおばあさんから聞いた話


大和の生き残り

おばあさんの旦那さんが戦艦大和の乗組員だったが、その旦那さんのお父さんが旦那さんの上官に

「一人息子だから次の作戦からは外して欲しい」と嘆願して作戦から外れることになった。

その作戦大和沈没してしまうことになったが、その旦那さんは周りに「僕は大和の生き残りなんだ」と

紛らわしいことを言っていたいう。


兵隊さんの扇子

戦争の末期頃、まだ若いおばあさんが駅を歩いてたとき兵隊さんに扇子名前と住所を書いてくれるようお願いされた。

おばあさんが不思議に思い書いて上げると兵隊さんは、自分特攻隊員であり、もし生き残ったらお会いしに行きますと言って

その扇子日の丸鉢巻きに括り付けて去って行った。

その後、おばあさんはその兵隊さんには会っていない。


原爆投下後の一番列車

終戦後、おばあさんが用事九州に向うために広島駅を通る電車が、たまたま原爆投下後初めて広島駅に寄る列車だった。

広島駅の周りにはキャベツの葉を頭に被った多くの被爆者の人たちが集まっていた。(キャベツの葉は頭を冷やしてくれると思われていた)

広島駅に着くと、列車の窓からたくさんの手が伸びてきた。駅に集まっていた人たちが、おばあさんがそのとき食べていたおにぎりを無心しにきたのだった。

おばあさんは、求められるがままに全部のおにぎりわたした。

列車が出発し、お昼抜きになってしまったとおばあさんが思っていると

その一部始終を見ていた車掌さんから、どうぞとおにぎりをもらった。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/katarenakaltutatoukyoudaikuusyuunosinjitu.html

戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカ日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線ガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

 D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書コピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷陸軍省参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑浜離宮上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行三菱商事日本興業銀行横浜正金銀行東京銀行第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町霞ヶ関でも、内閣府国会議事堂警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界アメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構

 A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察マークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞正力松太郎朝日新聞緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。

 イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。

 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省経産省防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一重光葵吉田茂近衛文麿などを「自由主義者穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルン鮎川義介浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカ自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカ共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。

 A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。

 しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。

 この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。

 分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義インチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。

 A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地自衛隊施設へ変わった。横田基地在日米軍司令部であり、すべての在日米軍自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。

 とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイグアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋東アジアを管轄する兵站補給基地だ。

 東京都港区六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。

 そのほかにも府中、由木、大和田硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。

 地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。

 B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県埼玉県神奈川県新潟県山梨県長野県静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。

 羽田空港成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。

 A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。

 B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。

 F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。

 司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる

2017-03-17

被爆者○世なんてそこらへんにいるでしょうに。

福島原発事故に関して、

引っ越した先の学校などで「放射能うつる」とひどい言葉を浴びせる人たちがいることが信じられない。

日本広島長崎原爆投下によってたくさんの人が被爆した国だ。

それでも懸命に生きて、家族を持ってきた人がたくさんいる。

その中で、被爆者○世と言われる人って大勢いるはず。

しかしたら、自分や仲良しの友達被爆者○世かもしれない可能だって十分ある。

なのによく平気で、そんな酷い言葉を浴びせられるなと思う。

私は被爆者3世だ。

私は小学校三年生の授業で被爆者かなにかの勉強したときに母から聞かされて知ったけど、

「お前は何も症状がでていないのだからあんまり人には言わない方がいい」と言われた。

当時はいまいち分からなかったけど、私はその言いつけをなるべく守った。

そういう人はたくさんいるはずだ。

被爆者手帳をずっと隠して生きてきて、死んで遺品整理の際にはじめて家族が知ったという話も聞いたことがある。

きっと、自覚のないまま生きている人だってたくさんいる。

今は移動手段豊富で、長崎広島で生まれて全国各地に引っ越すことも容易。

被爆者○世となる人は全国に何百人という規模に収まらないほどいるだろう。

放射能がどうの」なんて言った人たち自身や親戚が被爆者○世である可能性は十分あるのだ。

たまたままれ時代に起きた事故からって、そんな言葉を浴びせる人が本当に信じられない。

原爆原発、それらに関する言葉ナイフで人を傷つける事件をみる度に心が痛くなる。

もっと優しい心や受け入れる心を持てないのだろうか。

もっとみんな、うまくやれないもんだろうか。

2017-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20170118102748

どうでしょう。結局何をもって虐殺というか、定義問題だと思います

南京において戦闘が発生し、その中で巻き添えを食った民間人が何千人だか1万人だかいた』これが起きた確率は相当な物だと言えますが、

これを虐殺というのなら、東京大空襲原爆投下比較にならない大虐殺と言えるでしょう

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