はてなキーワード: ストライクウィッチーズとは
ミリタリー監修はストライクウィッチーズの第一人者を付けたけど、あらすじは変えられないからな
他になんかある?
個人的には
ストライクウィッチーズ自衛隊ポスター、まぁ堂々と表に出すもんではない気もする
ラノベ表紙、レジがお姉さんだと買いづらい中学生はようけおったろうな
それ以外、(´・ω・`)知らんがな
って感じかなぁ
Twitter反フェミ論壇史、誰かまとめてほしいけど死ぬほど難しそう
https://togetter.com/li/1925825
↑あたりを見ながら事例を思い起こしてみたんだが
あそこで、「公共」と「性差別」を前面に出して「謝罪」を引き出せた結果
完全にそこが「女性活動家が売名するための戦場」にされちゃった
強気に差別を掲げた踏み絵を続けるんだけど、さすがに2021年あたりから、減速しちゃって
ちょっと前に火をつけようとした「ららぽーと」の件も不完全燃焼よね
(1951) チャタレー事件
~
(2002) 松文館裁判
(2015) 碧志摩メグ
(2016) 駅乃みちか
(2019) ストライクウィッチーズ自衛隊ポスター
(2020) 「君野イマ」「君野ミライ」
(2020) 京都市営地下鉄利用促進プロジェクト「地下鉄に乗るっ」
(2020) アツギのタイツ広告 ⇒ (2021) 透けにくい白トップス
(2021) セーラー服の絵(人体無)
(2021) 千葉県警&松戸警察×ご当地VTuber戸定梨香 コラボ
(2021) 温泉むすめ
(2022) 月曜日のたわわ全面広告 ⇒ ハートクローゼット
もっといっぱいあったと思ったんだけど、あんまし覚えてないもんだなぁ・・・
ストライクウィッチーズとの違いがいまだに分かってない
アメリカのフェミニストがゲームなどの創作物に向ける批判は色々なものがあるが、その1つに、出てくる女性が少なすぎる、みたいな主張がある。
有名な「ベクデル・テスト」なんかもその1つだろう。映画において女性が主体性を持って描かれているかどうかをチェックする際の基準として、「少なくとも2名、女性が出てくる」「互いに会話をする」「話題は男性以外のものである」というものを挙げている(もともとはレズビアン漫画家のジョークだったらしいが)。
しかしこんなものは日本のオタク界隈にいれば「???」となってしまう基準であろう。アニヲタの私が見た範囲において、最もこの「ベクデル・テスト」に適合しているアニメは『ストライクウィッチーズ』や『ガールズ&パンツァー』や『ハイスクール・フリート』や『ウマ娘』であり、最も適合していないのは『刀剣乱舞-花丸-』だった。だが、前者は男性向けで後者は女性向けというのは常識だ。
以前、姉と「(『FGO』や『グランブルーファンタジー』のような)主人公のキャラがある程度立っていて主人公の性別選択が自由なソシャゲをプレイするときはどちらにするか」という話をしたところ、見事に、私は女性を選ぶし姉は男性を選ぶ、という結論になったことがある。そりゃそうだ。私はぐだ子やジータのようなかわいい女の子の活躍を見たいし、姉はぐだ男やグランのようなかっこいい男の子の冒険に興味があるのだ。異性愛者としては当然だ。
しかしこの感覚が意外とアメリカ的なカルチャーの文脈では通用しないのかもしれない。彼らは物語の主人公に自分を投影できることを求めている。
日本でも、子供向けの作品にはそういう傾向がある。女性キャラばかりが登場する『プリキュア』は女児のためのものだし、男性キャラが主役を張る『仮面ライダー』は男児のためのものだ。しかしこれが大人になると逆転する。成人男性オタクは『艦隊これくしょん』のような女ばかりの世界に耽溺し、成人女性オタクは逆に『アイドルマスターSideM』のような男だらけの世界を求める。つまり成人すると、創作は自己を投影させて楽しむものではなく画面の向こうを眺めて楽しむためのものになる。
そこでは、別に自分と同じ属性の者がいなくたって何も困らない。むしろいたところで邪魔である。『ラブライブ!』シリーズを見ていて、見事に画面に男が映らないことに安心する。男なんて鏡を見ればいくらでも見ることができるのに、わざわざ萌えアニメの中でまで見たくない。そりゃかっこいい男キャラを楽しみに見るアニメもないではないが、美少女アニメを見るときにはそういうのは求めてないのだ。
けれどアメリカではどうも違って、自分と同じ属性の者が少ない、という文句が社会的に受け入れられているように思える。もちろん自己を投影して楽しむという楽しみ方も別に悪くはない。それは個々人の自由だ。ただ、その楽しみ方が普遍的であるとは思わないでほしいなぁ、と思う次第である。日本では、主体性を持った女性キャラが大勢出てくるアニメは主に男性によって消費され、女性が好むアニメは男性キャラばかりが出てくるものなのだから。
「人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?
『宇崎ちゃんは遊びたい!』の主人公である宇崎花も、『ラブライブ!サンシャイン』の主人公である高海千歌も、どっちも人格があるように描かれてたじゃん! 作品中で豊かな感情表現しまくってたじゃん!
キズナアイとか戸定梨香とか、VTuberなんだからめっちゃ人格あるじゃん! 「中の人」の自己表現そのものじゃん!
『ストライクウィッチーズ』の宮藤芳佳も、『ハイスクール・フリート』の岬明乃と知名もえかも、めちゃめちゃ人格あるように描かれてただろ! スト魔女劇場版の「だから何なの!?」は彼女がただの従属的な客体なんかじゃないことを示した名シーンだし、はいふり劇場版ではもかちゃんが武装組織の上層部を手玉に取る能動的な主体として描かれてただろ!
ジェンダーの多様性がどうこう言うなら、イケメンを描いた「公的」ポスターもいっぱいあるだろ! Mマスとかとうらぶとか!(anond:20210929114403; anond:20210927203725)
これ踏み絵なんだけど「自衛隊の制服着てるストライクウィッチーズ」はアリだと思う?