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2021-07-06

場に合わせた服着てこれない奴をお洒落と呼べるのか

あぁもううんざりだ.

その服はここに着てくるものだったか,本当に?

うざい,うざい,キモいキモい

取り乱した.おかしいな最近野菜ジュースを欠かさず飲んでるんだが.

かくいう僕も昔はイケイケだった.金髪坊主ゴリゴリピアスにつけ放題のリングバングル.紫のスネークスキンシャツに着丈60くらいのタイトバンドT.下はレザーフレアにチェーンを自分であしらった今となっては随分有名になったEytysのブーツだった.もう訳が分からないだろう.ジャンルは違うがクルエラが大好きで,服にのめり込んだ.

こんなファッションしてたのももう3年以上前のこと.

今回の敵は,そんな旧友たち.

ではなく,

お前だよ,お前.

ある程度範囲があるが,ど真ん中にいるのは,

そうだな.マッシュYohji Yamamoto着てるやつ

ずっとお前が嫌いだった.俺らのことを貧乏みたいに見下しやがった.大体なこっち側にいるやつは,大体ヨウジ狂いなんか経験済みなんだよ.

一周回った100gなんだよ.予習復讐が足りねぇみたいだから教えてやる.

ヨウジを着ていいのは栗原類だけなんだよ.

おっと横から自由主義者が斧を振り上げてるのを感じる.まぁ落ち着け.どうどう.

今回は場面ごとの服装住み分けの話だ.

マッシュでヨウジ着るやつ,友達微妙なやつが多いよな.服装的の意味で.

服装に興味がない集団に一人はいるんだ,お前みたいなやつが.

それも東京のような都心に住んでいなければもっと悲惨だ.

キモいまじでこちら側から見てて滑稽だ.

もうやめないか?それ.

僕はそういう奴をお洒落と言わない.まだ黒スキニーグッチドルガバロゴベル巻いてる奴の方が飽和的で見てて目に優しいし,なんならデニムジャケットバレンシアガキャップ被ってる奴の方が気持ちがいい.いまだにイージーやトリエス履いてる奴の可愛さたるや,この俺もにっこり.

お前はグッチカバンを持った女性服装的な魅力を感じたことはあるか?ないよな.そんな感じだ.あれはもうコモンセンスとして気持ちいんだよ.こちら側としても.

だが,お前はダメだ.それはダサい.ダサすぎる.

服に着られている,とかそんな垢のついた議論を超越した俺のパンチラインを浴びせるために俺は今,それはそれは重い腰を上げて筆をとっている.感謝しろ野菜ジュース飲んでるから,少し優しく書いてる.

服に疎いオタクがいるコミュニティにヨウジ来ていくやつとか,学校私服での集まりでここぞとばかりに,バチバチに決めていくやつとか,キモいキモいキモいキモい.これには僕もニッコリできない.俺らはそういう場面でこそ,粛々とcase by case洒落をして休日仲間たちとパーリーする楽しみを謳歌してるのに,俺らが本気出してないのをいいことに,俺がこの場で一番お洒落だ!だって5万のTシャツ着てるし!このスニーカープレミアついてるし!みたいな顔してるのがすげームカつく.お前らのせいでなぁ,俺らはSupreme着れなくなったんだよ.意味がわかるか?わかんないならもういいよ,鼻くそなめくじが.





もうなんかどれだけ罵詈雑言を並べたところで,僕の力じゃそこらへんのファオタの見にくいジャンル論争と変わりなくなっちゃうし,お前らにはきっと響かない.俺だってマッシュウルフに毛のはえたようなガキンチョに馬鹿にされたくない.

から,ファオタの頂点を極める俺が実際にどう振る舞っているのか教えてやつ.歯を食いしばって聞け.その指にはめたマルジェラリングを外せ.部屋の壁に誇らしげにかけている服も畳んでしまえ.金がなくてもコートクリーニングに出せ.パンツ用のハンガーは高いのを買え.プリントTシャツを3枚以上もつな.なんの話だったっけか.まぁしかと聞け.

まず,ガチで服に興味のない人が集まるコミュニティ.少し色気づいたやつもいないところ.黒スキニーに白カットソーを合わせることをようやく始めた,でも靴は相変わらずダサいし.そんなやつがギリ一人いるような場面だ.

そこに超おしゃれで,髪型普通ウルフと一線を画す俺がどんな格好をしていくのか,よく聞けよ.

スラックスに黒のTシャツビッグサイズじゃない←重要).ベルトはフォーマルなやつ.リングネックレスピアスも一切なし.ただ,シャツインはするし,靴はジャーマントレーナーマルジェラじゃない←重要).

これだ.3秒やるから少し考えてみろ.

これの何が絶妙か,分からなかったやつ.もうセンスいからファオタやめれば?他責的な思考しかできないカスがよ.俺らのやり方デーンって一生言い訳してろ.

まぁ説明するわ.

お前が他人でな,町で俺らの集団に会うとするわ.横断歩道を挟んでな.そんくらいの距離感から見た時.全く違和感ないのは想像できるよな.イカツイものは身につけてないからな.ここで一人だけヨウジライクなやつがいようもんなら,俺がお前なら,連れと指差して笑い転げることこの上なし.

ミソはな,少し離れたところからだと,シャツインもジャーマントレーナー認知できへんのや.要素単位では弱すぎてな.でもな,すれ違う時に自称ファオタのお前は一応相手の服を吟味するよな?見下しながら(笑)

その時気付くんや.あれ一人だけちゃうって.

こいつよく見たらこつのスラックスめっちゃリーツ入ってるし,こんなマットなベルト中々見ないけどどこのだろ.髪型もこんな長くてクルクルやけど,実はウルフパーマになっててんや.あれジャーマントレーナー履いてるやん.どうせマルジェラ,,,じゃない!?だと...

ここらへんで気付くんや.深淵側もお前を覗いてたって.お前はびびる.俺より戦闘力高いやつがいた.ってそんで心のどっかでヨウジを着ている自分に引目を感じるお前は恥ずかしそうにする.

そんな奴を見る時,俺は絶頂と似た感覚を覚えながら,歩幅は倍になりつつツレと目をあわせハイタッチをする.さながらスラムダンクだ.



次に少し色気付きだしたやつが多数をしめるコミュニティ

ここでも俺は本気を出さない.まぁ本気というかcase by casecaseの一つとして服装を設定する.お前らは馬鹿の一つ覚えみたいに,一軍(笑)しか着いひんのやろうけど,こちとら服は全部一軍ですねん.がはは.失敬,野菜ジュース飲んでんのにな,おかしいな.

色気付き出したってのは,インスタでコーデ載せてる奴らくらいのレベル感.

ストリートに染まってコーチジャケットとか着出したり,ウサギ男子とか言われるように白系統ベストとか着出したり,服に数万もかける機会がちらほら出てくるような,それに対する忌避感がなくなってきてるような奴ら.

正直そのレベルまでいくと俺も着ていく服に幅が出るんだけど,一例を載せとくと,

えんじ色のスーツパンツに,柄シャツ.上にシンプルジャケット羽織る.

これだけでもコミュニティから逸脱してないかつ量産からは抜けているのだが,お前らバカは,このくらいだとお洒落に興味がない人が↑の格好してるのと区別がつかないことがある.そうした勘違いによる見下しを喰らうのが俺は大っっっっっっっきらいなので,

シャツにブローチをつけたり,リングを1,2個つけたりする.あとは差し色になるようなスニーカー履いたり.ピアスあんまりきじゃないので,そこを派手にすることはよっぽどない.まぁ普通にお洒落な格好をしてる訳だが,本気度としては70~80%といったところだ.

あ?なんだって?「もう周りもお洒落に気を使ってる人なのに100%を出さないのかって?」

あんバカァ?自称ファオタのくせにここまで何を読んでたんだよ.この自分勝手なオナニークソ野郎.まじでセンスないな.

キモいキモいキモいキモい.あぁ,また発作が出ちまった.すまん.

まぁいい.説明してやるよ

こういうレベル感のコミュニティで俺が一番懸念してる(お前はしていない)ことは,お洒落に興味が出てきた友達の機嫌を損ねない,というか尊厳を傷つけないことなんだよ.バカが.言わせるな.

お前だっておしゃれして意気揚々と家を出て,電車乗って原宿行ったら,バカみたいに量産型がいてそれをお前は見下して,悦に浸るんだろう.でも時々見つけるんだ.圧倒的に戦闘力の高い俺ら先輩たちをな.それは古着屋の店員かもしれないし,刺青の入った美容師かもしれないし,パンクミュージシャンかもしれない.お前は畏怖する.俺っておしゃれじゃないかも.この格好,あの人たちに見下されてるかもって.いつも見下すことが癖になったお前はここぞとばかりに不安になるよな.

そんな経験が仲間内でもあると俺は身をもって知ってるから上記コミュニティで本気は出さない.

だってSupremeやオフホワイト知ったばかりのストリートキッズ友達の前で,めちゃくちゃモードな本気見せて心折るのもやってないし,俺の服のブランド聞いてきた友達(本人としては一緒にSupremeやオフホワイト凄さトークに持っていきたい)にそいつが知らないようなブランドをたくさん浴びせて,気まずくなるのもやってない.だから古着をよく着ていくし,ブランド古着だったとしても,古着しか言わないかブランド名言うけど値段がめっちゃ安いって嘘つくかをするようにしてる.

これ見て自分勝手なお前はどう思った?やりすぎだと思うか?

俺らはお前らみたいなだった過去も抱えているからこそ,こういうことを都っっっっっても大事にするんだよ.

俺らはこういうお洒落に対して見下すことをまだ覚えず真摯に服に向き合ってる無知野郎なダチが大好きなんだよ.全てを教えたくなる.

でも全てを教えない.「教える」作業には俺でも承認欲求が混ざっちゃうからだ.必要以上に知識をひけらかしたり.それは自分勝手だ.だから相手キャパギリギリを責めるようにちょっとずつ教えてく.オフホワイトが好きなやつには,やんわりこういうブランドあるよ〜ってRick Owens教えたり,育ってきたらSacaiやAuralee,Ganryu等ドメブラを教えてだんだんストリート一色から抜けていかせる(この教育方針に関しては徹頭徹尾,俺の趣味

下手したらこコミュニティレベル帯が一番お前が気持ち場所なのかもな.周りはある程度お洒落に気を使ってる奴らがいて,それに対して一線を画している(つもり)のお前が奇抜な服着てる.友達もお洒落に興味あるから,お前に対して素直に尊敬に近い感想一言添えてくれる.あぁなんて気持ち良さそうなんだろう.

クソが.ぬるま湯に浸かっていい気になる糞虫.

俺はそういう奴を唾棄する.

お前がやってんのはぬるま湯に水を差す行為だ.周りの温度を下げている.お前が享受している気持ちよさは,周りの一瞬引きつった顔や苦笑いから抽出されていることを忘れるな,絶対絶対に忘れるな.そういう経験をしたファオタは強い.

人の痛み(という言葉は少々強すぎるのかもな)を知ってるファオタは,他人配慮できる.

洒落に興味がない人から興味ある人(ある人には範囲があることも考慮して)に対してcase by caseでファオタとして「服装」で対処する.



から他人の「服装環境」に対応して可変に服装を設定できないお前らが大嫌いだ.大嫌い.本当に大嫌いだ.

これは至極個人的な話であり,そいつらは悪くないし,こんなに口の悪い俺も広く見れば同一視されるのも納得している...し,マクロな話で言えば,ブランドメジャーライン(Supremeのボックスロゴとか?)を買ってくれる層としてファッション界では重要なのは知ってる.


最後に注意書きとはなんとも手遅れというか後付け感があるのは重々承知だが,この文章徹頭徹尾俺の殴り書きの愚痴であり,「整合性」「揚げ足」「そもそも論」「ブーメラン」「同族」などのキーワード付属しそうな感想を持たれることに関して,全く異論反論がないことをここに表明して,文章の終わりとしようか.

2021-06-26

anond:20210626164457

2021年は790000, 中国は16000000, 世界人口79億。

2050年は500000, 中国は10000000, 世界人口90億。

2100年は300000, 中国は6000000, 世界人口100億。

2200年は100000, 中国2000000, 世界人口80億。

2300年は50000, 中国は1000000, 世界人口60億。

2400年は30000, 中国は600000, 世界人口40億。

2500年は20000, 中国は400000, 世界人口20億。

こういう結果を作るのが民主主義

自由主義者世界破壊者。

anond:20210626060008

自由主義民主主義馬鹿正直に信用すると、2050年新生児の数が500000になる。

2100年で300000。

こうなったことをすべての自由主義者と民主主義者は反省しろ

全体主義国家主義管理主義けが人類を存続させる主義なのである

2021-06-25

anond:20210625155651

まり自由主義民主主義標榜すると、買春率が飛躍的に増加するということね。

そういうことも、民主主義者や自由主義者はすぐ忘れる。

忘れたら死ぬという社会に移行するのが正しい。

2021-06-24

anond:20210624065003

立花さんは自由主義者なんだろうね。

こうやって自由主義はこれだけ馬鹿になるんだということを体を張って証明してるんだよ。

anond:20210622174045

そんな考え方は日本2050年を迎えると消滅する。

2050年には大卒70%を達成する。

しかし、その大学生の半分以上がバイト奨学金で苦しい日々を過ごす。

大学生の1/3は結婚できないまま35歳まで過ごす。

わいせつ教師の数は増加し、未成年男子女子の15-20%は何らかの性被害に親あるいは教師あるいは同級生あるいは先輩あるいは後輩からあっている社会

これが民主主義ね。

どこが正しいの?


大体民主主義者と自由主義者数学もできないし統計もできないからね。

その程度の知能の人間破綻する社会設計するのは自明論理である

田舎が衰退する、とかいってる馬鹿がいるでしょ。

国民を信用スコアで色分けし、スコアごとに強制移住させればいいだけなのに、さっさと実行に移せよ。

できないだろう?だから民主主義者はバカなんだよ。

2021-06-07

胡温体制

これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う

そんな歴史を見ることができないのは残念である

しかしそれ(膨張・威圧非人主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う

理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う

胡錦濤中華人民共和国国務院総理指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差是正と安定成長に努めた。胡錦濤最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪上海万博代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有公有経済管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。

胡温体制中国GDP国内総生産)は世界2位となり、2008年世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動内需拡大十項措置英語版))を断行して世界最速のV字回復金融危機脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界GDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政箱物行政のような無駄公共投資地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍廃止地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部都市部統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。

就任当初多くのヨーロッパアメリカ為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道国内外わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。

しかし、胡はインターネット監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年チベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定インターネット遮断も起きた[77][78][79][80][81]。

なお、2010年2月21日には人民日報運営するミニブログ人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言メッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またことき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。

道徳規範

電光掲示板に掲げられた社会主義栄辱観

2006年3月中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉不名誉」として知られている代わりに、良き国民名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤イデオロギー解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準からマルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。

北京オリンピック上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。

外交軍事

2008年8月ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ中央)と

2009年バラク・オバマ(右)と

2007年ウラジーミル・プーチン(右)と

2008年BRICsの首脳4人。左からマンモハン・シンドミートリー・メドヴェージェフ胡錦濤ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ

胡は外交政策として、後述する日本台湾の例にある通り江の外交政策修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。

胡はアメリカ合衆国・中国朝鮮民主主義人民共和国三者協議さら近隣諸国韓国日本ロシアも加えた6カ国協議北京主催するなど北朝鮮問題積極的従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国仲介要請した米国に対して江は二国間問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日対話拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和解決基調としつつ北朝鮮への圧力必要性理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。

胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和安全寄与することを国際社会保証するとし、世界の様々な地域中国人民解放軍などから部隊派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国国連への影響力を利用して台湾中華民国)との国交断絶リベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア海賊対策では中国人民解放軍海軍艦隊派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国海洋進出推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京中国アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案アディスアベバアフリカ連合本部中国資金企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国米州ボリバル同盟南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスラテンアメリカカリブ諸国共同体設立会議議長ベネズエラウゴ・チャベス大統領米国批判して胡の祝電を読み上げている[101]。

また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高活用してアジアアフリカ中南米発展途上国G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ欧州日本などの先進国G7)にも対外投資を行う走出去推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。

2021-06-05

anond:20210605201510

私はリベラリスト自由主義者)として表現の自由尊重するので、それは別にかまわないです。もっとも、極左意見をまともに聞く人なんていないとおもいますが。

2021-05-31

anond:20210530184818

政府が制約しなくとも、市民障害者自由侵害した場合倫理的問題ですよね?それを差別っていうんですけど。

あとあなたが度々言っている「政府干渉の有無が自由主義・社会主義の違いだ」というのもあなた脳内前提でしかなくて、

例えばリチャード・ストールマンって人がいるんですけど、あの人は自由主義者と言いながらGPLにその思想適用しましたよね?これが政府干渉の有無に関係すると?

2021-05-30

anond:20210530184958

調べたんですけど、

自由主義とは、自由平等権利に基づく政治的および道徳的哲学である自由主義者はこれらの原則理解次第で幅広い見解を支持する

とあるので、あなた脳内自由主義と私の脳内自由主義が異なっていても普通ではないでしょうか。

2021-05-18

anond:20210518034531

リベラル自由主義者なんだからそりゃそうだろ。

変えられない属性以外を揃えるとなると自由制限して皆同じにするしかないんだから

2021-05-09

anond:20210508213712

俺は自由主義者からウヨク界隈だけど五輪なんざ招致段階から大反対だっつーの

 

選手同士がカネ出し合うなりスポンサー募るなりしてやるなら構わんけどな

なんで税金運動会やらなアカンのやアホくさい

テメェの都合で他人のサイフに手突っ込んでくんなクソどもが

2021-04-04

自由主義者」は「教育」「勤労」「納税」の義務から自由にも目を向けるべきだと思う。

「そこまで主張するのはアナーキスト」みたいな思考停止は聞き飽きてるので。

2021-04-03

anond:20210403165033

俺は逆に、いわゆるリベラルがよく問題視する女の「雇用差別」も「女性議員の少なさ」も「非モテ」と同じく社会解決すべき問題ではないという立場だ。

モテるモテないは個人問題であって社会的な「問題」ではないと思う。容姿とかは本人にはどうしようもないか自己責任とは言えないけど、お前がモテないのはお前の問題であって社会問題じゃないでしょ。少なくとも俺は振られ経験しかなく告られ経験なんて漫画アニメの中でしか味わったことがないけど、それを社会に訴えかけるべき「問題」とは思わない。

女を雇わないのは雇用者の自由選択の結果(だいたいは男の方が辞めにくく、コキ使えるからだろう。経営としては合理的である)。

女性議員当選しないのも個々の有権者自由意志による投票の結果(女性有権者女性候補ばかりに投票して圧倒的に有利になれば、各党こぞって女性候補を立てるだろう。現状は女性有権者ですら女性候補への投票が少ない)。

非モテ彼女ができないのと同様に社会が介入する問題じゃない。

俺はこの意味リベラル自由主義者)なのだが、「お前はリベラルじゃなくてリバタリアンだ」とよく言われる(どうやら悪口らしい)。

しかし、非モテ社会が救済する(女を宛てがう、女の意思に反して男と結婚させる)のが許されないなら、

雇われない女を社会が救済する(職を宛てがう、雇用者に女を雇うことを強制する)のも、

当選しない女性候補を救済する(議席を宛てがう、女性議員枠を作って有権者選択自由制限する)のも、

個人自由への介入だから許されまい。自由尊重しないリベラルとは何だ?

自分の都合の良い領域恋愛)は個人自由自己責任とし、都合の悪い分野(雇用選挙)は統制するご都合主義ではないか

彼女も職も議席も欲しいなら他人から選ばれるように努力しろ他人自由制限してでも宛てがえなどと訴えるな。

やっぱりまだ日本共産党って中国共産党関係悪いのね。俗に言うところの共産性の違いってやつだけど、面白いよなぁ。

私は資産の共有を全否定する完全自由主義者なので、共産主義とは真っ向から対立しますがそれでも気骨のある共産主義者は好きです。

とは言え共産党や共産主義国において例外なく中央特権的になっていったことを考えると、共産主義というイデオロギーのもの中央集権へ至る要素を内包しているとしか思えず、またその矛盾民主集中性という欺瞞正当化している現実から私は共産主義を支持することはできない。というより、現実に起きた問題として共産主義というもの民主集中制のことだと認識せざるを得ず、そもそも論として標榜する理想組織実態がかけ離れている以上は支持するに値しないと言う他ない。

https://www.sankei.com/politics/news/210402/plt2104020001-n1.html?fbclid=IwAR1jORKVG2d9N7Dejam-uCRi82NIDrq6UnugCnGYOlQbsQWa0q_772jvXtA

2021-03-07

anond:20210306213555

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

右翼の極一部、恐らく一人か多くても数人、が襲撃とか脅迫とかしたところで、それを国民とかメディアが受け入れる段階がないと言論不自由とはいえないと思うんだが、、、だって国民のほぼすべてが自由主義者でもたった一人の過激派がいたら事件は起こってしまうわけで

その点ポリコレは大きな流れになっちゃってるよね

そこがポリコレ極右過激派立場上の違いだよ

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想

この記事が注目を浴び、多くのブコメが集まっている。

"カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ"

https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b

まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼定義リベラル定義の困難さ、特に現在日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラルであると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトポリティカルコンパスでは、

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

61.1% 左派, 72.2% 自由主義者

という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である混同している人は気をつけてほしい。

そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。

まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論フェイクニュース似非科学歴史改竄代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。

たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党本来ワクチン否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政要求したりしてきた。しか副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しか現在出ている科学検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。

この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判原告団体については、補償範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告支援する左派政党や団体に共通する問題として挙げた。

しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。

"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思いますリベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快ものかもしれません。

しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"

ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。

シグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。

語ることがリベラル専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的文学芸術を愛する少数のインテリ世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリ傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚発言だとは気づいているのだろうか。

シグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

自由民主主義」の社会享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。

日本左翼をやっていると、自分投票した候補者当選することも少ない。民族的性的、その他さまざまなマイノリティ権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界いか存在認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動第一歩になる。言うまでもない前提だ。

上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者多様性重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。

また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家ブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。

しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティ運動の中などでは特に当事者が自ら語ることを重視する。当事者心中を非当事者想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想立場の違う作家いかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。

その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステート洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。

シグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論原則としては全くその通りであるしか現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論ヘイトスピーチへの対処現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラル原則現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。

"「トランプ陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"

https://finders.me/articles.php?id=2529

私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。

また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外から解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報さらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象特に感情からまなくも起きる。平凡な思想感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論フェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。

ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本記者によるものさえある。

"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html

シグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。

続きはこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213813

2021-03-02

anond:20210302170118

保守主義者自由ばかり重視して困るよね

自由主義者はちゃん人間自由を与えてはならないということをわかってるのに

2021-02-14

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第5場

anond:20210213232411

第5場実況

A 不幸の記憶
B 不幸の記憶

ベートーヴェン父親「息子は5歳」

少年ベートーヴェン10歳だ」

父親が息子をモーツァルトの再来に仕立て上げるべく7歳3ヶ月だったのを6歳とした話は読んだ。そのせいでベートーヴェン中年すぎまで自分の年齢を正確に把握できなかったとか。

少年ベートーヴェン「そんなへんな歌、音楽になんかできないよ!(怒)」

んー、ボン選帝侯にたてついたエピソードは知らないなあ。

手塚治虫ルードウィヒ・B』では、父親アル中でとんでもない奴だけど根はいい奴で、自由主義者としてベートーヴェンを導く役割果たしている。まあさすがにこれは現実ではなかったかな。なおこの漫画の中でもベートーヴェン難聴の驚きの理由が判明している。

青木やよひ『ゲーテベートーヴェン』には、父親宮廷に出した手紙の書き出しが「尊敬すべきお慈悲深き大司教選帝侯殿下」、結びは「御足下にひれ伏し服従申し上げます」だったと書かれている。ベートーヴェン父親関係については、ベートーヴェンが、バッハカンタータ未完成写譜を「父が書き写したもの」と書き込んで大切にしていた、とある

C 不幸の記憶

運命》の動機

謎の女(少年ベートーヴェンに向かって)「寒いわね、凍りつくように。痛い?」

謎の女=死

D 救済の記憶

ヴェーゲラーはベートーヴェンの5歳上。ロールヘンは2歳下。ヴェーゲラーとベートーヴェン出会いきっかけは明らかではないらしい。ヴェーゲラーの紹介でブロイニング家に出入りするようになった。

手塚治虫ルードウィヒ・B』ではヴェーゲラーは出てこないが、ロールヘンとの出会いは本作と似ていて、いじめられてたベートーヴェンをロールヘンが助けるシーンになっていた(ただしこれがきっかけでブロイニング家に出入りするようになるわけではない)。

ロールヘンには弟はいたけど妹はいなかった模様。

少年ベートーヴェンf3つなんて記号はないんだ」

ここで出るか。

少年ベートーヴェン「(fffを出すには)この中に(心の中に)、強い気持ちを起こさなきゃ」

強さ、か。生きるための、成し遂げるための。

fffはFuto Final Forever説を信じているけど、第2場で触れた通り交響曲第7番と第8番でベートーヴェンが史上初めてfffを使ったとのこと(第7番は手元にスコアがあるので確認済み)。これは、難聴関係していたのではないかなと邪推している。難聴の時期は高音があまり使われなくなった(=自分で聴こえる音で作っていた)らしいし。そしてほぼ聴覚を失ってからは高音が再び使われるようになった、というか、第九は演奏困難な高音であったと。そしてこれも触れた通り、第九にはfffはない(オーケストラの編成の大きさも関係してるのか?)。第九は、実際ちょっと常軌を逸した曲だと思う。聴覚がないからこそ書けた曲。第4楽章コントラバスとかもそうだけど(これはベートーヴェンのお友達コントラバス奏者のドラゴネッティのせいか)、第3楽章。美しい理想が見えるけど、理想に近い演奏を探してみたけど出会えなかった、何年も前の話だけど。オーケストレーションに難あり、だよなと。もしくは時代がまだベートーヴェンに追いついていないのか。

少年ベートーヴェン貴族の施しはいらない!」

ヴェーゲラー「その金は、施しじゃない!僕らの給金だ。君の音楽の代金だよ」

泣ける。自由主義使者フリーメーソン会員ヴェーゲラー。

ブロイニング夫人勉強しなさい(慈愛)」

実際は出入りする間に自然啓蒙思想に触れていったのかなと想像

執事「暗がりを照らす、ちっさな炎は、この中に」

E 革命記憶

ヴェーゲラー「行くんだろ、君も。ウィーンへ」

実際はハイドン評価されて。

なんか泣ける。朝美マジック

F ナポレオン戴冠式

あらきた。1804年12月

謎の女「心のおともだち、ナポレオン

笑。増田史上いちばん合ってる役だわ真彩さん。

G ハイゲンシュタットの遺書

んーー、第4場Bで少し構えていたけど、ここハイゲンシュタットの遺書だったのかあ。いつの間にかハイゲンシュタットに移動してた?劇場のままかと思っていた。時間もほんとは結構経ってる設定だったのかなあ(ナポレオン戴冠式はあったけど、もともとの劇場時間もふわっとしてるし、伝わるのに時差あるかなと思うし。あ、謎の女から情報からリアルタイムだったかな)。気が付ける要素あったかなあ。

難聴失恋からくる衝動は救済の記憶でおさまった後(実際の遺書ではただ"芸術"が引き留めたと)、心のおともだちナポレオン皇帝になったショックからのシーンだしなあ。

ベートーヴェン(歌)「

歌い続けろ 聴こえない カラダ

歌い続けろ カラダ カラダの そとに

歌い続けろ 中に鳴り響く音

歌い続けろ 出し尽くすまで

大きく 大きく 大きく もっと

強く 強く 強く きっと

たとえ命 たとえ魂

この体が朽ち果てても

たとえひとり 声もしない

孤独の道 ひた走ろうと」

「大きく」「強く」 3回ずつ(=fff)。

ハイゲンシュタットの遺書から該当しそうな箇所を以下に抜いてみる。

私を引き留めたものはただ「芸術である自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。(片山敏彦訳

遺書の中の「難聴の苦しみ」「孤独叫び」「自死願望」ついて参考までに抜き追加。長いけど。一部難読字は平仮名に、一部ルビ省略。

社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独生活をしなければならなくなった。

しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。

私の脇にいる人が遠くの横笛の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!

たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。

おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。

第5場まとめ

2021-02-13

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第3,4場

anond:20210213164926

ネタバレ

第3場実況

A アン・デア・ウィーン劇場 楽屋

あー、《英雄》初演(1805)だったか

いつからいた?!やはり人外存在なのね。

グイチャルディきましたか1802年ピアノソナタ14番月光》を献呈された女性ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか

運命》の動機

ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェンナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。

そしてウィーン王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブ自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルト英雄だよ、という表現か)。

B ナポレオン戦争

ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか

C アン・デア・ウィーン劇場

ベートーヴェンサリエリモーツァルトみたいに、王侯貴族使用人として曲を書くことはしない」

かつらをかぶらない"芸術家"爆誕宮廷教会に雇われずに自立して生きた最初作曲家ベートーヴェン

難聴クララ・シューマン映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマン病気表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェン難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。

ベートーヴェンゲーテのウェルテルに、俺が曲をつけた」

ほうほうほうそうきたか

第3場まとめ

第4場実況

A アン・デア・ウィーン劇場

きましたな。

ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」

ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。

きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。

ゲーテ 「ということを見て取ることのできる人間けが、いつも胸の中に甘美な自由感情を持ち続けている」

うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。

ゲーテ自分の望む時に、現世という苦しみの牢獄を去ることができる、という自由を」

シュトゥルム・ウント・ドラング疾風怒濤)。感情自由人間性の解放ロマン主義の先触れ。小説出版は1774年ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。

謎の女=死

B アン・デア・ウィーン劇場 ロビー

第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。

  • ロールヘン登場

レオノーレソナタの子きた。ベートーヴェン初恋のひと。

ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」

月光ソナタ呼称ベートーヴェン仕事ドイツ評論家詩人コメントに由来。

ベートーヴェンジュリエッタに、捧げるつもりだったんだ」

実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。

映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。

手塚治虫ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタ作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。

ふむ。ハイゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。

ハイゲンシュタットの遺書難聴とグイチャルディとの恋愛破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。

グイチャルデイ母「娘には平民など相手にしない分別がございますわ」

王侯貴族使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。

耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。

【回想】

青年ベートーヴェン「ロールヘン、一緒に(ウィーンに)来てくれないか

昔のロールヘン「私、ゲルハルトと婚約したのよ」

ベートーヴェンウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないか青木やよひ氏は推測しているらしい。

謎の女(歌)「あなた自由、ウェルテルのように。望むときに、現世という苦しみの牢獄を飛び立てる」

ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺キーワードだったか…。

ウェルテルと同じ。

第4場まとめ

2021-01-24

anond:20210124035137

 私は自由恋愛教を信奉する非モテなので、イマイチ理屈わからんのだが……

 学生意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的拒否しない場合は、教員権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。

 つまり自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。

 これは本当に意味がわからない。単位を与えないなどの脅しを与えた場合はそりゃ論外だが、教員がすべての学生フラットに接している中で、偶々学生から好意を持たれたなら、それは別に権力を利用したわけではないから構わないだろう。セクハラパワハラは論外でも部下が公平な上司勝手に恋して上司がそれを受け入れる分には特に問題はないのと同じ。

 完全にフラット立場での自由恋愛なんてものはなく、多くの場合は「顔」「体格」「収入」「学歴」「家事能力」など様々な面で競争相手差別化してパートナーを勝ち取っている。同じような性格と炊事洗濯スキルの持ち主なら年収が高くて学歴が良い方を選ぶ、という人は多いだろう。それは不当に学力や職によって優位を得ているかけしからんのか。そんなことはない。

 #MeToo糾弾されたような事例がけしからんのは、ハーヴェイ・ワインスタインのように地位を利用して嫌がる相手関係を迫ったから、つまり相手性的自由侵害たからだ。だが、特に脅しや利益供与約束もないのに勝手権力者に恋心を抱くのは、それ自体性的自由行使であって、自由恋愛を重んじる立場からそもそも非難される謂れがない。それに応じるのも好きにすればいい。

 もちろん教員には学生を公平に扱うべきという義務はある。だから、仮に自分恋人を不当に優遇して単位を与えたとか論文を高評価したとか、そういう事例は厳格に処分されるべきだ。だがそれは、自分の子供や甥姪だって同じことだ。自分の子供の成績が芳しくなかったときに不可をつけることと家庭で子供を慈しむこととを混同しなければそれでいいように、公平に扱ってさえいるのなら、別に教員学生恋愛したっていいだろう。

 私は自由恋愛イデオロギーの支持者なので、というより根本的に自由主義者なので、自由への制約はなるべく小さい方がよいと思う。特にそれが、個々人の性的自律に関するものである場合には。それは個人尊厳の中核にあるものであって、最大限の自由が認められるべき領域だ。そこで余計な制約を増やそうという昨今の流れには賛同できない。人びとはもっと自由に振る舞ってよいし、それこそが進歩というものではないのか。弱者保護名目で立ち現れる保守主義には警戒したい。

2020-11-08

anond:20201108134538

リベラルってのは元々自由主義者ことなのに同調圧力大好きなただの全体主義者になってんのがなあ。

集団価値観共有してること自体気持ち悪い。

もっと個人主義を追求すべき。

2020-10-16

anond:20201016153410

国家子どもを育てましょうが全体主義だぞ

 

もっと大きい政府を嫌う自由主義者でも教育費を削れとは普通はいわないが、

増田ブクマカのような日本クズ親と毒親候補が言っているのは、

 

いつでも、わたし、おれ、わたし、おれ、で 子の教育費の話じゃないからな

(なお、上限やたら厳しいけど大学無償化されます)

 

わたし・おれ を労って、あるいは、なんらかのサービス無償化して

その分、英気が養われれば、お金子どもに回れば、結果オーライだけど、

産後鬱がー、保育園土日預けられないのが辛いー、コロナでずっと子が家にいるのが辛いー

 

今日保護者必要な親が増えていく

 

クズはどうにもならない』ってブクコメ見て、いやどんな人でも改心する可能性はあるのでは?って思ったけど

それはなさそうだなって思いました

 

願わくば、知恵の足りない犬猫毒親ではなく、貰えるものは貰おうのポジショントークの人が多数派でありますように

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