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はてなキーワード: 自由主義者とは

2022-09-05

anond:20220905211502

フリーライダー結婚・子作りを個人自由にした自由主義者の人でしょ?

あてがえわないほうがフリーライダーだよね?

2022-08-23

追記あり】一部夫婦別姓推進論者の邪悪

一部とは言ったけど、はてなでは大半と言っても良いかもしれない。

夫婦別姓関係ブコメとか見てるとだいたい上位コメは「保守ガー」「家父長制ガー」みたいなコメで埋まっているけど、こういう風にまともな議論を避け、自分意見の異なる相手に対して何か「時代錯誤邪悪存在」というレッテルを貼ることで主張をキャンセルしようとする姿は心底醜悪邪悪に見えるわ。

最近は、統一教会話題を引っ張って「壺ガー」とか盛り上がっていて、本当に目に余る。

この前の自民意向が現れた設問内容で問題になった世論調査は論外にしても、夫婦別姓の賛成者はだいたい六割いくかいかないか、かなり賛同者多めの調査結果でも7割、逆に低めだと4割くらいだよ。

そんな中でじゃあすぐに保守がどうとか言い出す人達は、残り4割程度の人々は皆、自民保守派のような旧態依然とした価値観思想を持ち、あるいは何かよから宗教と繋がっているかもしれないと本気で思っているの?

子供苗字問題とか夫婦別姓デメリットなんてググれば即座に出てくるレベルだが、それらを重視して反対している人々は「異様な家族観押し付けてくるクズ共」と扱って良いって風に考えているの?

だとしたらバカしか言いようがない。

あるいは確信犯としてやっている卑怯者か。

適当に今のはてブの人気記事にあった夫婦別姓関係記事の上位コメから引っ張ってきたけど

統一教会問題がこれだけ騒ぎになったので、夫婦別姓などのリベラル制度を進めやす環境になったといえるのでは。ヘタに反対すると統一教会関係者と思われそうだし

これとかもう邪悪権化でしょ。

統一教会騒動を利用して夫婦別姓反対派の口を塞ぐことができるじゃん! と堂々と言っているわけだ。

クズ野郎すぎない?

(一応、俺個人立場を明示しておくと、そもそも別姓・同姓どちらもメリットデメリットあって必ずどちらかだけが正しいと言えるモノでもないし、賛成者が多いなら政府はそれに合わせるべきなんじゃない? くらいには思っている。ただ俺個人として別姓制度は嫌だなと思っているし、少数派だからって反対の声をあげることは悪いことだとは思っていない)



追記

はてブの方を見ていたら、昨夜書いた自分増田が人気記事に出ていて驚いた。

ただ、それよりも驚いたのは

そんな中でじゃあすぐに保守がどうとか言い出す人達は、残り4割程度の人々は皆、自民保守派のような旧態依然とした価値観思想を持ち、あるいは何かよから宗教と繋がっているかもしれないと本気で思っているの?

子供苗字問題とか夫婦別姓デメリットなんてググれば即座に出てくるレベルだが、それらを重視して反対している人々は「異様な家族観押し付けてくるクズ共」と扱って良いって風に考えているの?

という俺の問いに対して、直接言葉にしなくても「そうだよ、世の中には少なくない数の夫婦別姓反対論者がいるけど、そいつらは皆、歪な価値観を持つクズ共だよ」と堂々と肯定するようなコメを残している人が少なくない数いて、なんかもう自分とは感覚が違い過ぎてビビったわ。

うんまあ、そこまで真っ向から言われると「それはもう認識の違いだよね」以上のことは言えないや。

俺は全く賛同しないし、一般的価値観を持ったフツーの夫婦別姓反対論者はいくらでもいると思うけど。


あと、今回の俺の言いたかたことは『夫婦別姓賛否』より『議論に対する誠実性』の話なので、その観点ブコメに対して気になった点で

inmysoul 選択制って言ってるんだから好きにすりゃいいんだよ。何で「俺が反対だから国民同姓にしろ」って思うのかが謎なだけ。君は同姓にできるんだよ。

この手の「選択制だから良いだろ」って意見は間違ってはいないけど、手放しに賛同して良い意見ではないと思う。

貴方強制するわけではないんだから良いだろう」という理屈肯定するならば、ブコメにもあるがまず近いところで当然、重婚はアリになるだろう。

(近親婚もという意見もあったが子供遺伝リスクを考えると、これは生まれてくる子供権利問題になってくるので、ちょっと違う話題に思う)

名前自己決定権の話なら、変更の自由とか使用文字自由も国に制限されず、「その名前を使うのは貴方ではなく私なんだから黙っていろ」が成立し得るか?

あるいは、自己決定権を国に侵されるべきではないという考えをより広範な社会分野に当てはめれば、例えば、「俺は障害になったら野垂れ死ぬから、私の社会保障費を障碍者福祉に使わせない」みたいな自己決定尊重も十分、延長線上として考えられるようになってくると思う。

まあ、程度による線引きもあるし一足飛びにそこまでいかなくても良いかもしれないが、ただそれでも「選択制だから良いだろ」という考えはあらゆる社会分野に関してかなり覚悟のいるラディカルな自由主義方向に舵を切る思想だということの自覚必要になる主張だよ。

そういう覚悟が決まってる人が「選択制だから良いだろ」って主張するのは(賛否は別として)主張としては完全に正当だと思うけどさ。

ただ、とてもそんな覚悟があるようには見えず、夫婦別姓反対論者の反論をかわすためだけに軽々しく「選択制だから良いだろ」って言うのは、議論における主張としてはどう考えても不誠実だよ。

そして、ブコメにはそうとしか見えない人がたくさんいた(中には本物の覚悟ある自由主義者も見受けられたが)。

社会制度というマクロ目線での影響などについても考慮した上で、やはり夫婦別姓問題ないという主張するなら全然問題ないんだが、選択制の三文字ゴリ押すのは(覚悟ある自由主義者でない限りは)馬鹿卑怯者のやり方。

2022-08-20

自由主義者はどうやって政治的もの回避してきたか

自由主義は、政治やその舵取りをする国家と相性が悪いとされている。

何らかの対立が極度に達すると政治闘争に発展し、それには物理闘争暴力)の可能性を内包しているからだ。

そして国家には、その闘争正当化し、命じることができる交戦権がある。

暴力は、自由による競争個人財産侵害するため、自由主義者としては回避したい。

から自由主義者は、政治国家に対して自由の妨げになるようなものは扱わないでほしいと思っている。

また、特定思想宗教などに肩入れすると自由にも偏りができるため、それも批判対象によくしている。

だが、政治対立から逃れながら社会を維持し続けるなんて無理がないだろうか。

そこで自由主義者はあらゆる問題を「非政治化」する。

経済的だったり、倫理的だったり、個人的だったり、つまり政治的ではない何らかの領域」に押し込める。

戦争は損得の問題にしたり、信仰個人問題にしたりする。

これで政治的な問題言及されても、「これはそーいう問題ではなく、こーいう問題だ」というロジック回避できるわけだ。

はてブコメントでも、似たようなロジックを使う人はちょくちょく見かけるから何となく分かる。

ただ物事ってのは往々にして多側面的であるため、都合の悪い指摘を回避するために多用しすぎると詭弁になりやすい。

シュミットとかも「政治的なもの回避するために、結局は闘争に加担していないか」といった様なことを指摘している。

(まあシュミットが嫌っているのは自由主義のものではなく、政治闘争に加担していながら政治否定する姿勢のほうらしいけど)

ざっくり文献を読み漁った限りでは、こんな感じの解釈だけど、これをどうまとめればいいか

2022-08-15

anond:20220815150135

自虐史観を持った日本人左翼反日

統一教会こそが反日でしょ。

左翼共産党系思想の持主+自由主義者個人人権重視派)

なので、統一教会反共思想や家父長制重視主義と相容れない。

日本統一教会にいい様に金を吸い上げられた理由は、自虐史観ではなく、家庭の資産を流用する権限があるのに自分思考する訓練が不足している専業主婦存在

オレオレ詐欺と同じ。

2022-08-09

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-07-19

anond:20220719184559

明確なリベラル定義がないとかくだらん議論でただの言葉遊びリベラル政治的に穏健な革新をめざす自由主義者以外何者でもない。つまりテロ肯定民主主義否定する連中はリベラルでもなんでもない。

2022-07-18

わたしはこれまで、中国人在日朝鮮人創価学会員、はてまた統一協会信者ではないかなど、さまざまなネット上での憶測を寄せられてきました。自由主義者として、自らの信教や人種民族的出自などについて解答と踏み絵を迫る言説には与しません。ですので聞いても無駄ですのでどうぞご放念ください。

https://twitter.com/lullymiura/status/1548859088741642241

いや、「中国人認定・「在日朝鮮人認定と、「創価学会員」認定・「統一協会信者認定を同列に扱うのはおかしいだろ。

例えば、「ナチ認定・「オウム認定されたとしても、この自称国際政治学者は同じこと言うんだろうか。

問題となっているのは、カルト宗教政治癒着によって、大勢被害者が出ていることだろうに。

そうしたカルト宗教信者であることを否定しないってのは、もうそうだと言われても仕方ないのでは。

2022-07-02

anond:20220702142927

近年でも例えば中国共産党によるゲーム規制という名の当局から圧力は、基準曖昧で結局のところ年配の党員たちが考える正義のようなふわふわした概念による裁量的な制裁にほかならず、そういった不透明ものが絶大な影響力をもって蔓延ることで業界自体が萎縮し明確で建設的な筋道が示されないままゲーム会社への新規ライセンス発行が止まる(ゲーム製作販売免許制であるということ自体非自由主義国家の異様さを示す重大な注目点だが)ことで数万社が倒産したという事態に陥っていることを思うと、リバタリアンいや自由主義者が訴える「裁量よりルール」の重要性が分かることだろう

自分はヴァに釣られてきただけの横増なので公共の福祉なんたらの話はまったく追っていないが

その公共の福祉というのはひょっとして中国共産党圧力をかけているような「同性愛者や男の娘みたいな性的倒錯ゲームで描くな、偉人女体化するな」みたいな、頭が時代に追いつけない為政者偏屈にすぎない、過剰反応にすぎないものになっていく危険性を孕んでいないかよく考えてほしい。公共の福祉という題目で、価値観自然な変化を阻害していないか商業文化的交流障害点を老人たちが作り出して若者の足を引っ張っていないか。変化を恐れすぎることは人類にとってマイナスの側面が強いということが想像できる人とできない人がいることは仕方がないのかもしれないが、恐怖に支配されず本当に排斥するに値するものなのかを冷静に考えられる人が増えて欲しい。

2022-07-01

自由」の意味が変わったんだよ

昔は「国家権力によって国民が抑圧されないこと」が「自由」だった。

から昔の自由主義者は国家権力を小さくしようとしていた。

でも今は「社会的強者によって弱者が抑圧されないこと」が「自由」なんだよ。

から今の自由主義者は「国家権力によって社会的強者規制すべきだ」と考えているわけ。

わかる?

から表現の自由」っていうのは

弱者攻撃する表現政府規制すること」という意味になったの。

これがわかってないと「リベラルのくせに表現規制を目指すのか」とかトンチンカンなことを言い出すようになる。

そんな批判じゃリベラルには効かないよ。

2022-06-20

薩長因縁昭和平成史(1)

序文

本稿は戦前天皇インナーサークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループ宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループ宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこグループ牧野伸顕中心の「薩摩宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩宮中グループ皇室との関係においては貞明皇后秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后インナーサークルとも言える。また、彼らは英米エスタブリッシュメント戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエル薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州宮中グループ昭和天皇インナーサークルとして昭和戦争を主導した勢力である岸信介松岡洋右仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身近代日本陸軍創設者大村益次郎銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力後者大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人後者弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸から渡来人によって縄文人日本列島南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱過程賊軍汚名を着せられた武士階級出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派賊軍汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程クリスチャンとなって薩摩宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍悲劇は、勝てば官軍東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州宮中グループの敗北も意味した。薩摩宮中グループ戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である戦後薩摩宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田カトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍汚名を晴らすかのように国際政治舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成時代になって「政治優先、対米自立、再軍備自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンたすき掛けリレー小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である

岸の血を引き継ぐ長州8人目の安倍晋三首相からこの物語を始めたい。

2022-06-15

日本リベラルって女性性的自己決定権を重視はしてなくない?

https://anond.hatelabo.jp/20220613095621

この増田に付いているこのブコメが気になった。

性的自己決定権は「貞淑であるべし」ではなく「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」だし結婚についてはそれに伴う法的社会的権利希求なのだが、物事に昏いとこう見えるのだな。アレな人の思考垣間見えたよ。

これ、翻訳すると「我々は「貞淑であるべし」ではなく「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」と言っており、それは性的自己決定権の重視なのだ」と言う意味だと取れるのだけど、

「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」は兎も角、性的自己決定権に関しては「日本の」リベラルはむしろ余り重視してないものじゃない?

なので違和感が有った。

 

「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」は男性女性構造を前提にしている訳だけど、これは行為者が女性自身である場合に当然破綻する。「強いる」主体が居ない訳だからね。

これは性的自己決定権も同様で、日本リベラルがやって欲しくない事も、行為者が女性である限り「性的自己決定権を重視するなら」止められない。

セクシー衣装を着て広告に出たり、或いはそのような表現をしたり、AVへの出演もそうだよね、それが女性自身意志である限りは当人性的自己決定権尊重せざるを得ない。(つまりある種の愚行権をも認めざるを得なくなる訳だね)

特に典型的なケースとしては、日本リベラルがやりがちな「この表現は悪影響を与える」といった批判対象表現主体女性であった場合

その悪影響(尤も、多くの場合証明されてすら居ない訳だが)と表現者の性的自己決定権の衝突を、どっち側に付いて解決するつもりなの?当然性的自己決定権尊重するんだよね?

それとも、気に入らない物は全て「それは本当は女性自身意志ではなく、社会男性に強いられた行為なのだ」と避けるつもりなのかな?でもそんなどうとでも言えるやり方で否定してしまえるなら、「性的自己決定権」なんて最初から無いに等しいよね?

人は様々なものの影響を自身の中に取り込み、常に自己更新していく、その「影響」の末に出来上がった「自己」を自己だと認めないならば、一体あなた方にとっての自己とは何なのだろう?赤ちゃんの頃のその人?それだけが自己」?

そういう「性的自己決定権」を無意味化、形骸化する思想は明らかに性的自己決定権尊重」はしていないよね?つまり、そうはならないんだよね?

また、AV出演関連でも女性自身性的自己決定権を軽視する発言日本リベラルから良く出ている気がするんだけど、これも性的自己決定権尊重するなら言えなくなるよね?

ただ主体女性であるだけで、今まで言っていたつべこべが言えなくなるのだけど、本当に良いの?

勿論本来リベラルならそれで困らない筈なんだけど、正直な所、日本リベラルは「自由」や「自己決定権」が大嫌いな保守的風紀委員に見える事が多いので、本当にそれでいいの?と心配になってしまった。

自分の言っている事を理解せずに、雰囲気だけで意に反する事を言ってしまっては居ないかな?大丈夫

よくよく考えた方が良いよ、自己決定権とはつまり自由の基礎なんだから、それは自由肯定に「なってしまう」んだよ。

そこに何らかの制限を加えたいのがあなた達では無かった?

あなた達は「女性性的自己決定権を守りたい人」ではなく「女性性的自己決定権に何らかの制限をかけたい人」では無かった?(気のせいだったら良いのだけど)そんな人がそんな事を何の留保も無しに言ってしまって、本当に良いの?

 

別にそれでいいならいいんだよ、これから日本リベラル女性性的自己決定権尊重してくれるなら、それは本当に本当に喜ばしい事だし、ただ単に私が日本リベラルの事を誤解していたのかもしれない。

それにもしリベラル女性性的自己決定権を軽視するような言動を取った時には「話が違うよね?」と指摘出来る様になる。それは非常に有益から、歓迎したい。

余りに上手い話だからこそ改めて、念の為確認しておきたい、女性性的自己決定権尊重するべき、という事で良いんだね?

 

 

追記

 

気になったブコメが有ったので追記

まーたーリバタリアニズムリベラリズム区別の付かない増田ですか。増田が言ってる自己決定権マンセー立場リバタリアニズムでっせ。リベラリズム自由大事だがそれ以上に平等を重視するの。

気になったのは2点。

まず1点目は、リバタリアニズムリベラリズム区別について、この人が言ってるのはあくまで「アメリカでのリバタリアニズムリベラリズム区別」じゃない?

アメリカでは確かに歴史的な経緯から他国での自由主義リベラリズム)がリベラリズムとは呼ばれずリバタリアニズムと呼ばれ、リベラリズム社会主義に近い思想呼び名になっているけど、

何故アメリカでのこの特殊歴史的経緯に基づいた呼び名日本で(しかも「まーたーリバタリアニズムリベラリズム区別の付かない」と正しさを自明視して)採用しなければならないの?

何故日本でもアメリカ以外の(というかヨーロッパで行われている様な)自由主義リベラリズム呼び方で呼んではいけないの?

というより、そこがややこしいからわざわざ「日本の」リベラルと書いてるのに、読み取れない?

というか、前々から気になっていたんだけど、日本リベラルって反米の人は多い気はするのだけど、その割に垣間見えるこのアメリカ中心主義というかアメリカ覇権主義は一体何なんだろうか・・・・?何でアメリカでの特殊呼称普遍的ルールだと思い込んでいるんだ・・・アメリカ世界じゃないですよ・・・・?

 

2点目は、仮にアメリカ的なリベラル呼称採用したとしても、この人文脈を一切理解してなくない?

アメリカでの呼称採用したとして、ここで書いたのは

あなた日本リベラル自由自己決定権が嫌いな「リベラル」であって、自己決定権を重視するリバタリアンじゃないでしょう?なのに「女性性的自己決定権尊重するべき」として本当に大丈夫?」

という内容だよね?

まり最初から私は「あなた達は「自己決定権マンセーリバタリアニズム」とは違う立場の筈だよね?」と言ってるので、あなたは私と同じ事しか書いて無いんだけど、文章読めてますか?

 

 

主語過大定期 // 増田みたいな主張はフェミニストに求めるべきだけど、リベラルフェミニストではないと知ってるはずなのにカマトトぶる辺りが生理的にマジ無理、って思いました。

これ、逆じゃない?

そもそもフェミニストにもいろいろな派閥があって、中には家父長制的フェミニストなんてのも有り得る訳で、自分から自由主義リベラル)」を自称しない限りはフェミニスト全体に求められる内容では無いでしょう。(勿論私個人意見としては、この内容はフェミニスト全体に求めたい所ではあるけど)

反対に、少なくともアメリカ的ではなくヨーロッパ的な「リベラル呼称採用するなら、自由主義標榜する限り、自己決定権の重視は全体に求めても(フェミニスト全体に求めるよりは)おかしくないと思うけど、どう?

簡単に言うと、「自己決定権自由を重視しよう」と求めておかしくない相手は、自由主義者か、フェミニストか、どっちだと思う?

あとそもそも、冒頭にあるように「我々は自己決定権を重視する」と言ってきたのは私ではなく、あちら側なので(そして元の増田リベラルに対するものだったので、「我々」リベラルだと読んだので)そのあたりの文脈ちゃんと踏まえてくださいね

この会話、おかしいと思わない?

 

A「リベラルは女に貞淑さを求める」

B「いや、我々(リベラル)は女性自己決定権を重視する」

C(私)「いや、あなた自己決定権を重視する立場では無くない?」

D「そういうことはリベラルではなくフェミニストに求めるべき」

 

書いてみて改めて思ったけど、どういう会話なんだよ・・・まるで通じてない・・・

追記しかも、もしかしてと思って確認してみたらこの人元のブコメスター押してるよ・・・・。「いや、我々(リベラル)は女性自己決定権を重視する」というブコメスター押しておいて、「そういうことはリベラルではなくフェミニストに求めるべき」って、一体どういう風にこの人の中で辻褄が合ってるんだ・・・?訳が分からない・・・・。

 

2022-04-16

Iカップいかにも大人しそうな女子中学生がいたら、うわっデカいなって思うじゃん。

隣を歩いてた友人が思わず「でか!」と口にしてじろじろ胸を見たとして、それに気づいた女子中学生の顔が真っ赤になったとして、友人に対して確かにデカいから仕方ないと思いこそすれ本気で怒ったり引いたりはしないだろう。

口では「やめろよ」と笑いながら言ったとしても、男なら気持ちはわかる。たとえば通りすがりにその爆乳に肘が当たったことを自慢されても気持ちはわかる。楽しく遊んでいる最中に本気で咎め空気を悪くはできない。

男なら仕方ない。爆乳なら仕方ない。女の子別に嫌そうな顔はしてなかった、と思うだろう。

Iカップ女子中学生だった私自身もそう思っていた。

小学生の頃から通りがかりに卑猥言葉を投げつけられたり偶然を装って胸を触られたり教師にニヤニヤしながら凝視されたり同級生男子にふざけて羽交い絞めにされたり、そういうことがしょっちゅうあったけど中学生しからぬ巨乳女子中学生から仕方ない。

「やめてほしい」と本気で言うと、誤魔化すように笑うか空気を読めよとキレられる。巨乳のくせに本気で怒る私のほうが間違っているかのような雰囲気

顔色を変えず上手く躱すようになることが大人の女性の本当の賢さだと社会は言っていた。ほんの十年前まで、たわわな女子中学生高校生性的存在として扱われるのは当然だと社会のさまざまな場所広告されていた。

建前上はやってはいけないことだが、実際にそれが行われたのを見た大人の男は「気持ちはわかる」「男の本能から仕方ない」と言う。この苦しさは、ずっと欲情させる身体に生まれてきた自分が招いたことだと信じていた。

この巨乳はあまりにも人目を引き、これまで接した男性たちに「この女は性的存在として嘲笑していい」というメッセージを送り続けた。

私に大小の性的接触をしてきた人々は決して低能でも粗暴でもなく、普段は人のいい友人たちだ。ごく普通の善良な男性性的欲情を起こさせ、ラインを超える言動をさせるのは、私の身体だ。

私自身は重度のオタクだし、自由主義者であり性的表現規制には慎重な考え方だ。

だが同時に、私が子供の頃から好んで読んだり見たりしてきたメディアで示された性的表現自分が影響されてきたことも知っている。

周囲に溢れるバラエティドラマ漫画アニメによる刷り込みで、コミュニティの中で性的アイコンとして振舞うように求められるのは当然だと学習してきた。

辛いと感じるのは私が弱く、大人スキルをもっていないからだと思っていた。

大学ジェンダー論に触れ、あるいはいくつかのフェミニズム論に触れて初めて私は怒ってよいのだと言ってもらえたとき目からうろこが落ちたようだった。

それまでずっと私が受けた性被害は性被害ではなく、それは私自身が招いたもので、受け流せない自分が悪いと思っていた。

私の身体は私のものだと言ってはいけないと思い込んでいた。私の身体のせいではない、社会が間違っている。この社会を変えられると言ってもらって、涙が出た。

漫画アニメが実際の性犯罪惹起する確率は低い、というのは理解している。

だが私は漫画アニメから性的存在として振舞うのが正しいあり方です」というメッセージを受けとって成長してきた。

データを示せと言われたら困る。私は持っていないのでこれはn=1のただのお気持ち表明だ。

これから被害を受けるかもしれない子供たちに、それを肯定するような表現を見せたくない。あなた身体あなた自身のもので、踏みにじられそうになったら本気で怒っていい。あなた以上にあなたの周囲の大人たちも怒ってあげると言ってあげたい。

私が公的場所での性的表現をやめてほしい理由はこういうことです。性犯罪を誘発しかねないという理由性的表現批判していることについては否定的に見ています

2022-03-22

anond:20220322001814

今の世界情勢を見ても明らかだと思うが、自由主義的なものは急速に退潮していってるよね。自由主義2000年前後までの世界観だった。おそらく9.11ターニングポイントだったと後世では総括されると思う。俺も自由主義者だけど、世の中はもうそうでは無くなってしまたことは冷静に考えて認めざるを得ない。

2022-03-05

anond:20220305115103

あなたちゃんと元の文章読んでますか?

レビューが載る載らないの話をしてるのではなく、レビューに集まる評価の話をしてるのですよ。

レビュー検閲したとして、検閲者の趣味嗜好に似合ったレビューが集まるだけになり、かえってレビュー全体の信憑性が薄れるだけでは?

漫画レビューにさえ検閲を望むのはあなた勝手ですが、そうしたあなた思想だけをもってして自由主義が終わったと決めつけるのは暴論です。

それに、自由主義がとうに終えたものだとして、代わりにどのような主義が始まっているといえるのでしょうか?

自由主義liberal)の対義語として保守主義conservative)という言葉がありますが、もしかして世界保守主義回帰していると言いたいのでしょうか?

自由表現よりも権威者による検閲を望むとは、現代社会では到底相いれない主張ですね。

もっとも、私は自由主義者としてあなた保守主義的な主張にも表現自由の一環として寛容であるので、特にあなた思想咎める訳ではありません。

2022-01-29

anond:20220127160455

コンサバリベラルの速度を緩めるブレーキしかないんやで

  ← これは本当。そもそも保守主義(conservatism)の論客たるバークがそう言うてはる。曰く、近代保守とは漸進主義であると。すなわち、結局は同じ地点に到達するにしても、権利とは人が皆生まれながらにして持っている自然権なのではなくて、歴史を通じて人々が獲得してゆく後天的社会的ものである、という考え方であるとする。だから、彼らは急進的ではないものの、行き着くところはリベラル自由主義者)と大きくは違わない。

これは、日本の政治勢力で言うと、いわゆる保守本流と言われる自民党の主流派が最も近いと言って差し支えないでしょうね。(岸信介じゃないよw 念のため)

一方、漸進主義でも近代主義でもなくて、「昔に戻れ」「伝統回帰せよ」と叫ぶ人たちもいるが、彼らは近代保守ではなくて、単なる復古主義であり反動勢力。(そのくせ保守を名乗りたがるからタチが悪いw)

2022-01-25

anond:20220125162754

いわゆる自由主義者(オールリベラリスト)って今の自由主義者と対極だよね。

ハイエク「集産主義者は、自らのイメージが悪いことを気にして『積極的自由』なる概念をもって自由と言う言葉を奪った」

2022-01-20

anond:20220120142843

優生学優生思想批判されている点は「悪質の遺伝的形質を淘汰する」というのが根幹だから

優生学勢力が強かった頃は障害者特定民族差別する学術根拠となった。

右翼よりも自由主義者進歩主義者に人気のある思想であった。

特にナチスは直接的に殺害する政策をとった。

政権に反対する人間思想が劣っているとみなして殺害した。

まあ流石に現代的な倫理観から批判されるべきだろう。

優秀な遺伝子を増やす方の優生学歴史はだいぶ新しく、必ずしもどうして批判されるべきかは明確ではない。

だいたいは、古い方の優生学と同じ理屈なのだから同様に批判されるべきという筋立てだ。

この論法がどの程度正しいかどうかは微妙である

2021-12-14

anond:20211214150405

リベラル自由主義)という言葉概念自体はかなり古くからあるものからさ。

J.S.ミルあたりが思想的に体系づけたわけだし、Gladstoneあたりを Liberal と呼ばないわけにはいかんだろ。

本来リベラル自由主義者)たちが自分たち言及するにあたってわざわざ「古典的自由主義者」という言葉を使わざるを得ない程に他人勝手にこの言葉意味を変えて使ってきているということでしょうね。

2021-11-16

anond:20211116101836

これも反自由を唱える偽リベラル勢が頻繁に使う(そしてそのたびに自由主義者からつっこまれる)詭弁

「なぜAにするんだ」と問うのではなく「なぜAではダメなのか」を提示しないといけない

ダメ理由が明確に共有されない限りは自由選択が許されなければいけない

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