はてなキーワード: 学校生活とは
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。
◯Twitterのリアルタイム黒歴史製造工場として名高いなりきり垢。
なりきりとは名ばかりで人に構ってもらうために人気キャラのガワを都合よく利用するだけの本家にとっては害でしかないバッタモンが蹂躙跋扈する闇の界隈。
本家のファン界隈は長年公式が溜め続けたヘイトとTwitter発足以前からネットを拗らせている層の多さから本人以上に触れるもの全てを傷付けるトゲに包まれている。
旬ジャンルでもないのに揉め事に事欠かず少しでも関わったあと抜けた人間が「あの界隈は本当に最悪だった」という率の高さ推定ナンバーワン。あなたの周りにも被害者が居るのではないだろうか。
◯そしてその両者の悪魔合体とも言える存在がソニックなりきり界隈である。
中心人物はソニック・ザ・ヘッジホッグ【非公式】(sonic_nrkr_1991)。
これを書いている時点で1500フォロワーを越えている。周りのキャラクター達が20~30程度が大半なのに対して鬼滅の刃の炭治郎なりきり垢の1900に近い数字だといえばこれがどれだけ異常な数字かわかるだろう。
自己顕示欲の強い孫悟飯や植物に詳しい悟空やあらゆる専門家が集うアライさん界隈のようにキャラクターとは違う中身の魅力があるのか?答えはノーだ。
このソニックの中身は10台半ばの子供。テストや受験に日頃の学校生活なんかも赤裸々に垂れ流しているので丸わかりだ。
ではなぜこの垢がこんなにもフォロワー数を抱えているのか?
◯ソニック・ザ・ヘッジホッグ【公式】(@SonicOfficialJP) こっちがセガが運営するソニックシリーズ公式アカウントである。
アカウント開設は2011年。だが当初はこの名前ではなかった。元々の名前は「ソニック委員会」。
2011年にシリーズ20周年を記念して開設されたものの、この公式なのかファンなのかわからない名前のせいでフォロワー数は全く伸びなかった。
興味があれば7~8年ほど前のツイートを掘ってみるといいだろう。場末としか言いようがない見ていて悲しくなってくるインプレッション数。
2022年7月現在は10万フォロワーを越えているが、77777を越えたのは今年のGW。実はここ一年で倍以上に増えている。
その理由こそ「ソニック・ザ・ヘッジホッグ【公式】」を名乗り始めたからである。
そして前述の【非公式】のアカウント開設が2020年4月。そもそも当時は【非公式】すら付けていなかった。
そう、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」というフルネームを使うなりきり垢を公式と思い込んでフォローする人間が続出したのだ。日本より海外で人気のあるキャラクターであるため海外からのフォローも多い。日本語のわからないユーザーには余計に公式非公式の見分けなど付くはずもない。
前述の【公式】がわざわざ【公式】と付けざるを得なかったのはこの垢の存在が大きい。
だがそれも長過ぎるフルネームが災いしてTwitter内でアカウント検索をしても「ソニック・ザ・ヘッジホッグ【」あたりで途切れ、公式マークの有無すらひと目では確認できない。
こうして自分自身になんのコンテンツ力もない子供は分不相応な4桁フォロワー持ちアカウントをあっさり手に入れてしまったのである。
◯フォロワー数は一旦ある程度増えてしまえば「こんなにフォロワーが多いのだからフォローする価値のある人なのだろう」と新たなフォローを呼ぶ。
だがその中身はネットで聞きかじったレベルなソニック本家シリーズへの罵倒、子供同士の揉め事、本人の日常。なりきり精度もとりあえず語尾を「だぜ!」にしとけばいいんだろう程度の解像度。
常に荒れがちなソニック界隈の中でも「なり垢界隈には近付きたくない」と明言する人間だらけである。
そんなこともつゆ知らず、【非公式】は更に何を勘違いしたのかダークソニックという設定の愚痴・下ネタ用裏垢すらbioから堂々とリンクが貼られている。なりきりに裏垢ってなんだよ。
中身の垢のbioには【非公式】が自分の本垢であるとすら書いてある。まぁ同じ絵を貼っても5いいねもいかないのが本当の自分だとは認めたくないのだろう。気持ちはわかるからこそ余計に哀れである。
その落差もあり、本人は完全に【非公式】を日常アカウントとして運用している。
なりきりともそれ以外ともやりとりするし、Twitter外のスマホゲー等でも中身ではなくなりきりソニックとしてフレンドを作る。定期的に病む。
子供同士がごっこ遊びで仲良しグループを作っているだけなら平和なものなのだが、もちろんこんな記事を書いているからにはこのアカウントはもっと質の悪いところがある。
◯フォロワー数の増えた人間は自分の意見に価値があると思い込みがちだ。
10台半ばの子供にその分別を付けろというのが無理な話で、この【非公式】もすっかりご意見番気取りである。
あらゆる揉め事に首を突っ込み、気に入らない相手を平気で晒してファンネルを飛ばしまくる。その数も二度や三度では済まない。
まともな大人は端からこの連中と距離をおいているので被害はないがかわいそうなのは同年代の普通のユーザー。
1500フォロワー持ちを敵に回す厄介さは子供にとっては洒落にならず、鍵や垢消しに追い込まれる子供が絶えない。
そして敵をやっつけた達成感とともに、【非公式】とその取り巻きは結束を強めていくのだ。
彼らは「レジスタンス軍」と名乗るLINEグループまで持っているらしい。
令和にもなってこんな新鮮な黒歴史を見られるとは、ワクワクが止まらないだろう?
そしてそこから抜けて悪口を言った人間は垢を晒し、メンヘラや露出狂だとデマを流して徹底的に叩きのめす。
◯Twitterのリアルタイム黒歴史製造工場として名高いなりきり垢。
なりきりとは名ばかりで人に構ってもらうために人気キャラのガワを都合よく利用するだけの本家にとっては害でしかないバッタモンが蹂躙跋扈する闇の界隈。
本家のファン界隈は長年公式が溜め続けたヘイトとTwitter発足以前からネットを拗らせている層の多さから本人以上に触れるもの全てを傷付けるトゲに包まれている。
旬ジャンルでもないのに揉め事に事欠かず少しでも関わったあと抜けた人間が「あの界隈は本当に最悪だった」という率の高さ推定ナンバーワン。あなたの周りにも被害者が居るのではないだろうか。
◯そしてその両者の悪魔合体とも言える存在がソニックなりきり界隈である。
中心人物はソニック・ザ・ヘッジホッグ【非公式】(sonic_nrkr_1991)。
これを書いている時点で1500フォロワーを越えている。周りのキャラクター達が20~30程度が大半なのに対して鬼滅の刃の炭治郎なりきり垢の1900に近い数字だといえばこれがどれだけ異常な数字かわかるだろう。
自己顕示欲の強い孫悟飯や植物に詳しい悟空やあらゆる専門家が集うアライさん界隈のようにキャラクターとは違う中身の魅力があるのか?答えはノーだ。
このソニックの中身は10台半ばの子供。テストや受験に日頃の学校生活なんかも赤裸々に垂れ流しているので丸わかりだ。
ではなぜこの垢がこんなにもフォロワー数を抱えているのか?
◯ソニック・ザ・ヘッジホッグ【公式】(@SonicOfficialJP) こっちがセガが運営するソニックシリーズ公式アカウントである。
アカウント開設は2011年。だが当初はこの名前ではなかった。元々の名前は「ソニック委員会」。
2011年にシリーズ20周年を記念して開設されたものの、この公式なのかファンなのかわからない名前のせいでフォロワー数は全く伸びなかった。
興味があれば7~8年ほど前のツイートを掘ってみるといいだろう。場末としか言いようがない見ていて悲しくなってくるインプレッション数。
2022年7月現在は10万フォロワーを越えているが、77777を越えたのは今年のGW。実はここ一年で倍以上に増えている。
その理由こそ「ソニック・ザ・ヘッジホッグ【公式】」を名乗り始めたからである。
そして前述の【非公式】のアカウント開設が2020年4月。そもそも当時は【非公式】すら付けていなかった。
そう、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」というフルネームを使うなりきり垢を公式と思い込んでフォローする人間が続出したのだ。日本より海外で人気のあるキャラクターであるため海外からのフォローも多い。日本語のわからないユーザーには余計に公式非公式の見分けなど付くはずもない。
前述の【公式】がわざわざ【公式】と付けざるを得なかったのはこの垢の存在が大きい。
だがそれも長過ぎるフルネームが災いしてTwitter内でアカウント検索をしても「ソニック・ザ・ヘッジホッグ【」あたりで途切れ、公式マークの有無すらひと目では確認できない。
こうして自分自身になんのコンテンツ力もない子供は分不相応な4桁フォロワー持ちアカウントをあっさり手に入れてしまったのである。
◯フォロワー数は一旦ある程度増えてしまえば「こんなにフォロワーが多いのだからフォローする価値のある人なのだろう」と新たなフォローを呼ぶ。
だがその中身はネットで聞きかじったレベルなソニック本家シリーズへの罵倒、子供同士の揉め事、本人の日常。なりきり精度もとりあえず語尾を「だぜ!」にしとけばいいんだろう程度の解像度。
常に荒れがちなソニック界隈の中でも「なり垢界隈には近付きたくない」と明言する人間だらけである。
そんなこともつゆ知らず、【非公式】は更に何を勘違いしたのかダークソニックという設定の愚痴・下ネタ用裏垢すらbioから堂々とリンクが貼られている。なりきりに裏垢ってなんだよ。
中身の垢のbioには【非公式】が自分の本垢であるとすら書いてある。まぁ同じ絵を貼っても5いいねもいかないのが本当の自分だとは認めたくないのだろう。気持ちはわかるからこそ余計に哀れである。
その落差もあり、本人は完全に【非公式】を日常アカウントとして運用している。
なりきりともそれ以外ともやりとりするし、Twitter外のスマホゲー等でも中身ではなくなりきりソニックとしてフレンドを作る。定期的に病む。
子供同士がごっこ遊びで仲良しグループを作っているだけなら平和なものなのだが、もちろんこんな記事を書いているからにはこのアカウントはもっと質の悪いところがある。
◯フォロワー数の増えた人間は自分の意見に価値があると思い込みがちだ。
10台半ばの子供にその分別を付けろというのが無理な話で、この【非公式】もすっかりご意見番気取りである。
あらゆる揉め事に首を突っ込み、気に入らない相手を平気で晒してファンネルを飛ばしまくる。その数も二度や三度では済まない。
まともな大人は端からこの連中と距離をおいているので被害はないがかわいそうなのは同年代の普通のユーザー。
1500フォロワー持ちを敵に回す厄介さは子供にとっては洒落にならず、鍵や垢消しに追い込まれる子供が絶えない。
そして敵をやっつけた達成感とともに、【非公式】とその取り巻きは結束を強めていくのだ。
彼らは「レジスタンス軍」と名乗るLINEグループまで持っているらしい。
令和にもなってこんな新鮮な黒歴史を見られるとは、ワクワクが止まらないだろう?
そしてそこから抜けて悪口を言った人間は垢を晒し、メンヘラや露出狂だとデマを流して徹底的に叩きのめす。
子殺しの上で死体遺棄して母親が逮捕されるのは当然のことでは?父親にも何らかの罪をというのはわからないでもないが。乳幼児の人権を認めてないのは怖すぎる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721804662898478082/comment/augsUK
性教育で「性交」や「妊娠経過」の知識を得られていたら、母親に責任があるとは思うが、現在の日本では、学校で「性交」や「妊娠経過」を教えることは、文科省により禁止されている。
これは、自民党・公明党が撤廃を拒否している歯止め規定によるもの。
性教育で「性交」や「妊娠経過」の知識を得られなかった母親が死体遺棄をしてしまったのは、自民党や公明党に責任がある。
「乳幼児の人権を認めてない」のは、性教育で「性交」や「妊娠経過」を教えることを禁止している自民党や公明党であり、自民党や公明党に投票した人物の方である。
【質問】
文部科学省が推進する「生命(いのち)の安全教育」では、性交や妊娠経過について教えないなどといった「はどめ規定」があり、性に関する知識と理解が十分に得られない内容になっています。
「はどめ規定」を撤廃し、人権尊重と科学的根拠に基づく包括的性教育を推進しますか?
【自由民主党の回答】
✕(ばつ)
性教育は児童生徒の発達段階を考慮しながら、学校全体の共通理解を図り、保護者や地域の理解を得ることが必要です。不適切な性教育やジェンダーフリー教育などは行わせません。
【公明党の回答】
ー
△:中学校1年生の保健体育科の授業においては、「心身の機能の発達と心の健康」について学習する中で、思春期には生殖機能が発達し、妊娠が可能となることを理解できるようにするため、主に多くの生徒が直面する思春期の体の変化について学ぶこととしています。平成10年の学習指導要領改訂時の背景として、この内容について指導を行う場合に、生徒の発達の段階を踏まえない、いわゆる過激な性教育(性行為をイラストで示すなど)が行われており、行き過ぎた指導にはどめをかけるため、当該規定を設け、その扱いを継続しているものです。
子どもたちを性犯罪・性暴力から守るための「生命の安全教育」については、より多くの教育現場で実施されるよう推進します。
【立憲民主党の回答】
○(まる)
学校教育や社会教育で、男女ともに性暴力の加害者や被害者にならないように、性についての正しい知識を身に付けられる人権としての包括的性教育を推進し、生に対する正しい知識と理解とともに、子どもたちへの犯罪を根絶します。
【日本共産党の回答】
○(まる)
1992年改訂の学習指導要領で小学生から「性」を教える転換がはかられました。しかし、1998年改訂の学習指導要領で妊娠の過程を扱わないとする「はどめ規定」がもうけられ、2003年に都立七生養護学校での性教育に自民党都議などが介入し、自民党国会議員なども加わる性教育バッシングがおき、学校現場の性教育は委縮・後退しました。その結果、多くの子どもたちが性についての知識をもたないまま、互いの心身を傷つけてしまう多くの悩みや問題をかかえています。国連子どもの権利委員会は日本政府に「思春期の女子および男子を対象とした性と生殖に関する教育が学校の必修カリキュラムの一部として一貫して実施されることを確保すること」を勧告しています。「はどめ規定」をなくし包括的性教育をすすめることが強く求められていると考えています。
日本共産党は党綱領で「ジェンダー平等社会の実現」をかかげている政党です。人権とジェンダーの平等を大事にしながら、人間の生理や生殖や避妊についての科学的知識、性の多様性、互いを尊重しあう人間関係を築く方法、自分の心や体を傷つけるものから身を守るすべを学ぶなどの包括的な性教育の推進を提案しています。
【社会民主党の回答】
○(まる)
「性交」の説明なくして、子どもたちが性に関する知識や性暴力や性被害についてしっかりと理解できません。平等・人権の視点を入れた包括的性教育の推進が不可欠です。
【日本維新の会の回答】
○(まる)
「はどめ規定」撤廃が適切かどうかは検討を要するが、性教育については今よりも踏み込んだ対応が必要である。
【国民民主党の回答】
ー
(その他)
授業内容、性教育、生理教育等、学校生活全体を通じて、人権が尊重され、学校と地域が協力して子どもの成長に伴走する環境を創ります。
○(まる)
“性交”や妊娠経過を説明せずして、性暴力や性被害というのが何なのか、ということは子どもたちは理解できません。すでに2009年にユネスコが「国際セクシュアリティ教育ガイダンス(2018年に改訂)」を出しており、ヨーロッパの国々はガイダンスを踏まえて性交や避妊方法を小学校高学年・中学校で教えています。
https://anond.hatelabo.jp/20210529113554
こちらの日記を書いてから1年が経ちました。2月頃にこの記事の内容をそのまま転載されたのが少し不気味だったのですが。もちろんあれは自分ではありません。冬にプールの話しねぇだろ。
爆裂的にコロナが流行り、地獄のようだった春を乗り越え感染者数が落ち着いていますね。うちの県でも3ケタを切る日が増えました。コロナってもしかして終わりました?
反ワクチン、反マスクのご家庭のお子さんが、「やっぱりコロナって風邪だからマスクしなくていいんだよ、ママ言ってたもん」と勝ち誇った顔でお友達にお話しているのを見ると、なんだかもんやりしますね。
それに併せて、「教室でマスクをせずに喋る子をきちんと指導してほしい」と「マスクを付けている子にきちんとマスクを外すよう言ってほしい」 両方の声に挟まれて担任はしんどい思いをしています。
自分としては、コロナが不安な気持ちも、素顔を見せるのは恥ずかしいという気持ちも、マスクを外したいという気持ちも分かります。
少なくとも今のうちの学校は「外してもいいけど、友達の近くではマスク無しで喋らないでね」というスタンスです。
職員室で「マスクを取れって放送しても全然マスクを取らん!」と管理職が怒っていましたが、2年以上マスクを付けろ、外すな、と言っておいていきなり「マスクを外して生活しなさい」は心理的ハードル高い子もいるだろ……。と思うのですが。
自分の意志でマスクを取らず、体育で熱中症。という話も聞くので難しいですね。
結果として、学級の1/3以上が陽性と判明したわけですが、
感染者が出ると、1周間の行動記録を提出するように言われ、大変ストレスでした。誰がどこで遊んでるか、1週間分毎日把握している教員、怖くないか?
校長・教頭に呼ばれて「マスクはしてたんだよな?」「給食中は黙食だったか?」「遊ぶ時に距離を適切にとっていたか?」等々聞かれると、まぁ自分が詰められているわけではないと分かっていても、なんだか怒られているみたいでしたね。
結果として、「この感染は学級経由ではない!w」という結論が出たそうで、学級全体+担任に対するPCR検査を行いませんでした。マジかよ。
学校も保健所も、検査をしたくないなぁというのがひしひしと伝わってきましたが、他の理由だったらすみません(保健所のことは分からないので…)
ところで
少なくとも自分の働く市では、「ビフォーコロナを子どもたちに!」「ウィズコロナで学校生活」というスローガンの元、学習や行事をコロナ禍以前の動きに戻そうという動きが高まっています。
月に1回の授業参観(一昨年は0回、昨年は1回のみ)、宿泊研修・修学旅行を泊まりで(一昨年は中止、去年はどちらも日帰り開催)、全校運動会の開催(一昨年は中止、昨年度は学年別)合唱祭の開催(一昨年、昨年度は中止)プールも通常実施(一昨年中止、昨年度縮小実施)研究発表会も通常実施(一昨年中止、昨年度オンライン発表)スピーチ大会、全校朝会、親子行事、資源回収、ベルマーク運動、その他その他……。
忙しいです。
一昨年は本当に早く帰れたな……。昨年は早くは帰れたけど、オンライン授業は手探りでストレスではありましたね。
コロナをきっかけにやめるべきだったことはないんでしょうか。そんなんだから教員志望の学生がいなくなるんですよ。
職員室の若手が半笑いで「#教師のバトン」の話をしながら「受験者がどんどん減って、1倍切ったらさすがに給料上げてくれるかな?」と話していました。
上がらないと思いますよ。本当の本当に学校が崩壊しない限り……。
ところで、文部科学省が夏休みに教員の勤務の実態調査をやってくれるそうです!夏にね。結果が出るのはいつなんでしょう。うれしいですね。
「まかせてくれよ、すぐやるぜ」 かたつむりくんみたいだね。
教員の皆様、今日もお疲れ様でした。 #教師のバトン で今日も有能な大学生の受験意欲を削いでいきましょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9405d0c154f1679b57df7a25eebad1cefcc5508f
この記事を見て思い出したんだ。小6のときの帰りの会、クラスの発言力ある男子が【今日のよくなかったこと】コーナーで、給食のときに小競り合いになった私の態度を挙げ、クラスの全員の前での謝罪を要求したことを。
話を聞いた女の担任の先生は、冷たい声で「私さん立ちなさい」と命じた。学級裁判開廷だ。仕方なく立ち上がった私の態度はとても不貞腐れたものだったろう。担任は苛立ちを隠さずこう言った。
「俺くんに謝りなさい」
私は、どうして謝る必要があるのか? そうだとしてもどうしてみんなの前で謝らなければいけないのか? 大変に不服だった。
腹が立って何もせず立っていたら、そのうちに放課後のチャイムが鳴った。他のクラスの子たちが下校していく声が聞こえる。
クラスの子たちも限界を迎え、男子を中心に「早く謝れよ」という声が出始めた。私も限界だった。早くこの場から立ち去りたい。この場を収めるには私が折れなくてはいけない。謝る理由も納得できていないけど、そうしなくっちゃいけないんだ。
だから私は、それこそジャンポケの斉藤のネタそっくりに「すいませんでした」と言った。11歳のときの私は今より大人だったかもしれない。
だが、謝罪を要求してきた男子からは「そんな態度じゃ謝ったうちに入らないからしっかりと自分に向かって頭を下げろ」と言い出した。調子に乗るんじゃねえ。私は「もう謝りましたけど?!」と反論。これには外野も騒ぎ出し、法廷はカオスだった。
そのときの担任は、行き過ぎとも思える要求を「そうですね。私さんは俺くんにちゃんと頭を下げなさい」と肯定した。命じてきた。ビックリした。
私は当然納得いかず頑なに拒否。結局学級裁判は結審せず、翌日にまで持ち越された。ちなみにこのあとの記憶はない。小6の頃の学校生活なんて日々こんな感じだったから、記憶からなくなってむしろ良かった。
ただ、小学校の卒業式直後の謝恩会でその担任に「先生は私のこと嫌いだったんですか?」と聞いたときのことは覚えてる。「そうですね、嫌いでしたよ」と微笑まれたことも。20数年も前に廃業した、自宅近くのボーリング場でのことだった。学級裁判もあのボーリング場も、生涯忘れない。
あの担任については、申し訳ないが苦しんで死んでくれてたらいいなと思っている。
こういう教員、意外といたよね。
タイトルのとおり。
どこかの小学校のPTAによる賛助費強要問題が話題だけど全然関係なくて、今日自分の勤めてる学校でPTA会費集金の封筒が配られたので毎年のことながら嫌になるなーと思って書いてる。
PTA、すなわちParentsとTeacherによるAssociationであり、児童生徒の健全な発達に寄与することを目的とする任意団体ある。
自分は公立学校の事務職員として働いていて、今の学校で3校目。他の都道府県や学校がどうなのかは知らないけど、自分の知っている学校は概ねどこも同じで、任意団体とは名ばかりの実質強制加入かつ会費の徴収が公然と行われている。入学式で会長がPTA活動の趣旨を説明して「基本的にご加入をお願いしております」でさらっと流されるから、たぶん保護者も教職員もみんな“そんなもんなんだろう”くらいに思ってるんだと思う。会費についても、生徒は授業料とか教材費の関係で口座振替の登録するんだけど、そこからしれっと徴収してるしね。
とはいえ学校で必要なお金はちゃんと予算がついてるから(そのために我々事務職員がいる)、「会費がないと学校が回らないんです!」なんてことは正直ない。では何に使っているのかというと、今勤めてる学校では部活動関係に結構使ってるみたい。大会を勝ち進むと遠征費が必要になってくるけど、ポンと県外への交通費や宿泊費を出せるような家庭ばかりじゃないから、ほとんどがPTA会費から出てる。(高校生のとき、絶対に裕福じゃないし忙しくてバイトもしてないのに県外遠征に行きまくってる子たちはどうしてるんだろう?と思ってたけどたぶんこういうことだったんだ。)あとは卒業記念品とか、年数回の広報誌とか、PTA役員による視察の旅費()とか、著名な人や大学教授を招いて講演会をすることもあるから謝礼とか。とにかく、不可欠というわけではないけど学校生活を豊かにするように使われてるなという印象で、それは悪いことではないと思う。
では何が嫌かって、冒頭にも書いたけど、なんで働く我々からも強制徴収なんだよっていうこと。自分たちはこの仕事を選んだけどこの学校を選んで入ってきたわけではないし、そもそも全体の奉仕者である公務員として、教職員としての職務に専念することで生徒や保護者、学校全体の活動を支えてる。そしてそれに対する正当な対価である給料をいただいている。
生徒のために使われるお金なのは分かるけど、それって教職員まで負担しなければいけないもの?職場の親睦会費や互助会費は、相互の助け合いで自分たちも恩恵を受ける機会だってあるけど、部活動の遠征費もPTA視察も自分には全く関係ない。
勤めてきた3校とも、教職員の会費は保護者の会費よりもかなり安かったけど、それでも年額4800円〜7200円。(条例や規則があるわけではなく、活動の規模も生徒数もまちまちなので学校ごとにバラつきがある。)これを、退職するまでの数十年間にわたって払い続ける。自分の子供が卒業すれば終わり、ではないからね。
教職員が会費を払ってる、って知ってる保護者はどれくらいいるだろう。もしくは、同じように会費を払ってる教職員の人たち、疑問に思ったことある?
校則の厳しさから遅刻してはいけないという強迫観念で自律神経失調症になったことだと思う。
中学1年の半分と中学2年は丸々休んだ。出席日数ゼロの圧巻の通知表はどこに行ったっけ
不登校時代は特別だと思っていたけど、自分が不登校時代にやっていたことは学校に行きながらでもできるなんて事のないことだった。
親は最初は過干渉だったけど、そのうち諦めて、自分も自分なりに体勢を整えることができた。
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学校に行かず、自分で勉強して、英数の要点だけは頭に入れた。中学3年生の4月頭に突然復帰した。
不登校児が復帰するのは勇気がいるとか色々思うかもしれないが、転校とそんな変わらない感覚だった。
中3は塾に通わせてもらい、英国数の3教科に絞って勉強した。わからないことは授業終わりに質問した。
誰も嫌な顔せず教えてくれた。
高校は小論文と英国数だけで入試ができた。事前にこの情報を知っていたので本当に良かったと思う。
結果は合格。偏差値50の普通よりちょっと女子の多い学校へ行った。
引きこもりの陰キャだから、パソコンにはそれなりに抵抗がなくて、高校ではITを学んだ。
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一人暮らしの大学生活はお金に困ったけど、奨学金があるからなんとかなった。
給付型の奨学金も受けることができて、学生生活は不自由なく過ごすことができた。
基本情報保持、プログラミングはちょっとTwitter APIで遊ぶ程度
勉強がてらラズパイでLAMP環境を構築する程度のITレベル。理工系以下、文系以上。
普通の普通。ちょっと不登校が2年あっただけで、本当に普通のよくいる学生なんじゃないかと思う。
ADHDっぽいと診断されたけど、古いおじいちゃん先生なのでよくわからない。致命的なことはなく
期限の迫る卒業論文は追い詰められて能力を発揮・・・することなく、本当に普通に終わらせた。
大学は卒業。家賃2万未満のボロマンションとおさらば、案外短かった4年。
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・・・コロナによって案件が少ない。経験できることが僅かで3ヶ月も経てば作業手順なんて忘れてしまう。
テレワーク上の報連相、相手は本当に見てくれているのかわからない。レスがない。
仕事のやり方が不明瞭。標準がないので上司3人に聞くと3人の答えが返ってくる。
僅かに得られた案件機会の僅かな記憶を頼りに、もう1年前のことを思い出して行うような作業を行う。
自分は何の仕事をやっているんだろう、この仕事はどこからどこまでの作業があって、終わり次第どこに引き継げばいいんだろう。
何もわからない、聞いてる間は仕事が止まる。期限が迫る。俺は何もできていない。会社のお荷物だ。いる意味がない、これから怒られたり失望されるに違いない。
夜、叩き起こされ尋問が始まる。誰のせいか、誰が問題を起こしたのか。自分が確認してもらった部分に食い違いが生じていた。間接的に悪いのは私である。
課された仕事は難易度が高く達成できず、できるどころかミスをして周囲に迷惑をかける。
親と姉も病んでいた。手帳2級。
結果はIQ100で特に問題はない。苦手はあるが、生活はできるはず。
本も読めず、飯も食えず、ボロボロだった。
学校生活がうまく行かない人は、中学生時代に何かあったんじゃないかと思う。
俺のような、そろそろ復職で上手く行けるか不安な人間にはなるな
難しいけど、緩く生きて、失敗してもいいから。
俺はダメそうだが
「学生時代は楽で良かったよな、言われたことだけやってりゃいいんだもん、戻りてえよ」と友達が言ってた。
俺は小学生の頃から学校生活がすごい辛かった。学校もよく休んでた。勉強にもついて行けなかった。
社会に適応できてる人は、学生生活を難なくこなせるらしい。俺には無理だった。
知的障害も疑ったが、全体IQ110で言語性と動作性に差もなかった。健常者だった。
社会に出たこともあったが、人の話が理解できなかったり、すぐに疲れて頭が真っ白になったり上の空になった。皆がこなせることを俺はジャグリングをしながらリフティングをする曲芸を見ているような気分で見てきた。ずっとずっと生きてて辛かった。
皆は仕事が忙しいといいつつ仕事をこなせるが、俺は仕事自体ができなかった。忙しくも仕事をこなせるようになりたかった。
もう俺は駄目なのかもしれない。
3人兄妹の末っ子です!年の離れた兄が2人います!って言うと「可愛がられて育ってきたんだね~」って言われるの地味に引っかかる。
母は4人兄弟の長女だったから、兄の方を贔屓にしてる感じがあるし、私が今まで過ごしてきた学校生活や進学も、既に兄が経験しているからあまり興味が無さそう。
私が中学生になった頃には兄も就職や就活をしていたから、食卓の話は専らそういう話ばかりでついていけなかった。私だけいつも黙っていたと思う。
兄は兄で「年上を敬え!」とか言いやがるから、私は本音なんて今まであまり言えなかった。兄妹喧嘩がしたかったのに、言いたいことが言えなかったから、一方的な「説教」になってた。
今は兄2人とも結婚して家出てるから両親とゆっくり過ごせるけど、兄がたまに帰ってくると私の居場所って無いなぁって寂しくなる。
この前は、兄2人の幼い頃の話で盛り上がっていた。私は生まれていないから分からなかった。寂しかった。本当は泣きたかった。
私が幼い頃から兄たちは先に進むばかりでもどかしい気持ちだった。ゲームや競走も負けてばかりだった。勝った経験なんて片手で数えるくらい。
これが理由かどうかは分からないけど、今は親の年齢に近い人とお付き合いしている。私の中でやり直しているのかな。
平成2年生まれ。現在31歳。既婚。首都圏のはずれ育ち。胸はG65。
“女”として経験したさまざまな“忌まわしい経験”の中から“乳絡み”の部分だけを抜き出し、できるだけ素直に記録していこうと思う。
思い出すがままに書くので無駄が多くまとまりがない。よっぽど暇でない限り読まないことを推奨する。
・小4で生理が始まった。そのころから乳房が膨らみだし、乳首が浮くようになってきたので胸の部分が二重になったキャミソールを着用し始める。
近所の友達(上は中1までいる男女混合のグループ)で集まって川遊びをしていたら、Tシャツの下に着ていたそのキャミの形が透けてしまったようで、
最も年長の男子から「おいお前もうブラジャーしてるん?」と大声で囃されて恥ずかしくなりその日以降、川遊びはしなくなった。
・小6ですでにBカップ程度に成長していたので体育のときなどに男子たちがこそこそと「揺れてるw」ときゃっきゃしているのは当たり前のようになっていた。
いやらしい目で視姦しているというより、本当にきゃっきゃって感じで、私の胸をその場のちょっとした笑いのネタにしている。侮辱されていると感じたし悔しかった。
女子の友達が「最低」と言ってにらんだりしてくれたが、私はむしろその場にいることすらいやだし話題にすらしてほしくなかったから少しありがた迷惑だと思った。
でも今思い返せば、あんなふうに守ってくれてありがとうって感じる。
・児童クラブからの帰り道、サラリーマン風のおっさんに「おっぱい大きいね」といわれる。触られたりはしなかったけど本当に怖かった。
変質者に遭うのは初めてではないけど、めっちゃ普通そうな優しそうなおじさんに白昼堂々威風堂々とそんなことを言われて混乱した。
・中学生になる。ブラジャーはすでに大人のものをつけていた。確かCカップかな。
電車通学が始まる。痴漢に遭う。これに関しては胸が大きいからではなく制服姿だったことが大きいと思う。
これは高校卒業(中退)までずっと続くことになる。友達と乗る車両を合わせてかたまることで自己防衛していた。まあそれでも防げないこともたくさんあるけど。
これまでの人生で少なくとも20回以上は電車内痴漢にあっていると思う。
何かのイベントでものすごい混んでいた時、乗車口ですれ違いざまに思い切り胸をわしづかみにされたこともある。あれは泣いた。
・体育祭で腕を組む振付のあるダンスをすることになり、隣の男子に「おい押し当てんなよ~」と冗談をいわれる。
「誰がてめぇに押し当てるかよ」と思いつつも「そんなことするわけないじゃーん」と笑って対応。そういうやりとりが多く、笑ってごまかすうちに「エロキャラ」
みたいになってしまう。私の最も印象に残っている体育祭の思い出はコレだ。くそ。
男女半々で常にウェ~イって感じのグループが頻繁に誰がかわいいとかかっこいいとか話しているのが耳に入り、
誰が一番胸がでかいかとかどんな下着かというのをそのグループの女子が吹聴しているのも聞いた。
そのグループの男子がこそこそ私をみて「〇〇(私の苗字)・オブ・ジョイトイ」と言って笑っているのも聞いた。
死んでくれと思ったけど「そういうのやめて」ってシリアスに言うとノリが悪いとか自意識過剰と言われそうだったから何も抗議はしなかった。
むしろそういうことにマジ切れしている女友達をどこかダサいとかうっとうしいとすら感じてしまっていた。
・プールの授業はほとんど「生理です」で欠席を通した。どうなるか目に見えてるもんね。
・中2くらいから少し太ったこともありさらに急速に胸が成長。白っぽい簡素な下着をつけることという校則があったけど、
白くてレースもついていないようなブラは私のサイズではほとんどなかった。
このころから“聞かせる変態”“見てますよ変態”のようなものに頻繁に遭遇するようになる。
すれ違いざまなどに「でかっ」と聞こえよがしに言ったり、胸をジーっと見た後顔を見てにやあっと笑ったりする男の人のことだ。
触られてるわけではないし、思い違いかもしれないし、そう思うと誰かにこの経験を打ち明けようという気持ちすらわかなかった。
・中3。スカウトもどきの変態に出会う。おしゃれ眼鏡をかけたBrutusを愛読してそうな男性に芸能事務所のものですが、と声を掛けられ、
バカな私は真に受けて一緒にカラオケに入ってしまった。途中から変な話になってトイレ行くふりして逃げた。
「胸っていうのはホルモンで大きくなるんだよね。貴方は背は低いから生理が始まるの早かったでしょ。早熟な証だよ。
それでね、気持ちいいことをすると、胸が大きくなるっていうのが科学的に証明されているんだけど、早熟なあなたはきっと、気持ちいことを
ひとりでやっているんじゃないかな?それは恥ずかしいことじゃないよ。おっぱいが大きいのは恥ずかしいことじゃない。
早熟なのも、気持ちいいことが好きなのも恥ずかしいことじゃない。おっぱいは気持ちいいことをすると大きくなるんだよ、
もっと触ってって主張するために大きくなるんだよ……」思い出すだけで気持ち悪すぎてはきそうになる。
・高校。おしゃれに目覚める。いわゆる青文字系雑誌のテイストが好きだった。これまでの経験からボディコンシャスなファッションは好きになれなかった。
しかし巨乳と青文字系は相当に相性が悪く、何を着ても思ったのと違う感じになる。
・このころから本格的に自分の胸が忌まわしく思えてくる。肩は凝るしセクハラはうけるし洋服は似合わないし。
更衣室で女友達がうらやましいと言ってくれるときだけ半分嬉しくて、でもやっぱり半分は「どうせ太ってるって言いたいんでしょ」と卑屈になっていた。
コスプレ好きの友達に胸を締め付けるさらしのようなものを借りるが苦しすぎて日常遣いは断念。
痩せりゃ胸は減るだろうと最低BMI15台までダイエット。生理とまる。胸はE→Cまでサイズダウン。
そして私はここから数年間摂食障害に苦しむことになるがそれはまた別の話。
・摂食障害等により学校生活に支障をきたし始めたため、高校は2年時にドロップアウト。
・19歳で高卒認定をとり、21歳から看護学校へ通い始める。このころは摂食障害も少し落ち着き、BMIは19まで回復。胸はG65に。
(おっぱいとは関係ないけどこのころ飲み会で知り合った男性に「女の子はこれくらいふっくらしている方がいいよ」と言われてファッ?!?!?!となる)
実習ではおじいさんやおっさんの患者にセクハラ発言されまくる。体位変換や移乗、おむつ交換でどうしても患者の肩や膝にわがパイオツがあたってしまうのだが、
「わざとやってくれてるの?」とか「いいねぇ(にやぁ)」はもはや日常。
・ブラック看護学校だったのもあり、ただ実習をこなすことだけに必死で、そういったことに対して怒る気力がなかった。
今思い出すと腹立ちで眠れなくなるけど。
スタッフIDとかテープとかのちょっとしたツールを首から下げたりするんだけど、使いやすくするために紐を長めにして斜めかけにする人も多かった。
私もそれをやったけど、研修医に「パイスラですね」と言われエプロンタイプのツールバッグ?にチェンジした。あいつ死んでくれ。
・25歳で初めて彼氏ができる。告白されたり飲み会でいい感じになった男性はそれまでもいたけど、嫌な経験しすぎて男性不信気味だったため付き合うまでいかなかった。
彼氏は顔もかっこよくないし超ド級のぽっちゃりさんで私より給料も低いけど、とにかくぜんぜん体形とかの話をしなくて、それが私にとって一番安心できる要素だった。
摂食障害も治ったりぶり返したりだったから、そういうところには敏感になっていた。
・性行為も胸を見せるのも彼氏が初めてだった。そのときはじめて彼氏は私の身体に対してものを言った。
「すごい…きれい、おっきいね」と喜んでいたけど、それはぜんぜんいやじゃなかった。
彼氏のことが好きで、彼氏に自分の体をほめてもらって、喜んでもらえてすごくうれしかった。
喜んでほしいからコスプレとかもぜんぜんやったし、いわゆるパ〇ズリとかもやった。こんなのなにが気持ちいいんだ?とは思ったけど、
・ある日、なんのきなしに自分の勤める病院のことをググってみた。すると〇〇病院という名のスレが爆サイという掲示板サイトにあった。
「〇科の爆乳ナースエロい」「夜這いしてくれる」「押し付けてくれる」みたいなことが書かれていた。
私は看護師としては一応のプライドを持って患者さんに良い看護を提供しようと努力していた。こんなこと書かれるいわれはなかった。
怖かったし、怒りで体が沸騰しそうだった。
現場でのセクハラは師長さんとかに相談すれば担当をはずしてくれたりするし、誰が何を私にしたか、私にはわかる。
でもネットの書き込みは患者なのかスタッフなのかすらわからない。
・結局、怖いので退職して別の病院に移った。患者もスタッフも女性ばかりの科。産婦人科。すごく気楽。助産師じゃないから地位は低くなったけど。
そしてこの科ではおっぱいは1ミリメートルもエロいものではない。臓器の一種でしかない。
乳首や乳房を触るのもエロい行為ではない。おっぱいはなんでもないことのように、それでいてとても大切に扱われる。最高だ。
・例の彼氏と結婚した。結婚式は神前式にした。単に白無垢が好きなのと、ウェディングドレスは胸の強調されたデザインが多くて、胸にいい思い出のない私は着たくなかったから。
・体育祭の思い出、文化祭の思い出、カラオケの思い出、看護学校の思い出、川遊びの思い出、児童クラブ、バイト、プール、遊園地、電車、就職……
31年生きてきてたくさんの思い出があるけど、そのどの場面にも裏面みたいなのがあって……。
楽しかった表面を思い出すと常にその裏面(セクハラや痴漢、いやな視線、いやな言葉等々)も思い出されて、
そして全てが裏面に蹂躙されている思い出もあって。
おっぱいは自分の好きなパーツでもあるけど同時に災いを呼び込む呪物みたいでもあって。
えくぼみたいになってくれたらいいのにとか都合の良いこと思ったりっもする。
かわいいパーツだけど、そのせいで嫌な目にあったりはしない。ただの体の一部分。そんな風になればいいのに。
ここまで書いて疲れちゃった。寝よう。ほな……
けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。
来月辺りに広瀬すずと松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。
著者の凪良ゆう先生はBL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。
主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女は放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛けて読書をして時間を潰すようになる。
公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。
更紗が伯母の家での暮らしに限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。
ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまうストックホルム症候群にしか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語。
なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。
ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実は真実とは違うということがわかりました。わたしも無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳の時間の小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。
まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児の可愛い言動や性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児と誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為そのものは生々しく描写されはしないので、虐待描写のオカズ化は防がれている。そういう意味では安心。
未成年者略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。
現実にも起こりうる、子供が被害に遭う犯罪とその冤罪。当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者・加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏な日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語のネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。
個人的な好き嫌いのことをいえば、センシティブなネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年者略取の罪を犯したと思ったら実はそいつは小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。
『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまり好きじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せに暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実と真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。
だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。
事実と真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。
たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身の母親や、同僚の子持ち女性の自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分の恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽に辛酸をなめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い、精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分の人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから、最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしまう余地が読者には与えられている。
一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解も共感も彼女は拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランス。DV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。
また、他人の無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。
後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意やちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写が妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。
にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説が安易な共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分の意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。
さて、以下は凪良ゆう先生のBL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。
主人公の平良は吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト最底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメのターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。
そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境をものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。
凪良ゆう先生のBL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズである。イジメの被害者と加害者のカップリング。主人公の平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手の人間性や共通の体験についての見方ががらりと変わる。事実と真実は違うとはまさにこのこと。
幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親が鉢合わせたことにより、にいちゃんは逮捕されてしまう。
数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃんの行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈な性的虐待を加えるのだった。
ほんものの小児性愛者でしかも性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群な高校生のカップリング。虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写がゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である。
腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父と性的な関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。
そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語。最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。
はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児の物語だが、やはりこれも事実と真実は違う系。ところが真実は事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。
第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章は家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。
私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。
映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまり好きじゃないな。
酷暑の真夏、若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手に糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女の祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。
小説にしか描けない現実があるとして、実際に起こった事件をモチーフに書かれたフィクション小説である。
児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプの社会的弱者の物語。著者の山田詠美先生は自由な女性の恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品。
確定申告を始めて15年ほどたった。
業種はまぁデジタル土方(リアル労働メイン)と言った所だろうか。
華やかに見えるが実態は泥臭く、いつも同じような違うような作業を繰り返している。
ようやく今年開業届けを提出したが、劇的に変わったことは何もない。
時給にすると600円以下である。
よく辞めなかったと我ながら思う。
所謂デキナイ子で、仕事終わりに一時間の説教タイムなんて事も度々あった。
それまで最大半年程度で、様々な職場を渡り歩いていた自分としては、なぜ時給600円で働き続けられたのか、未だに理由はわからない。
一年経って、さすがに可哀想と思われたのか職場内の試験を受けることなくランクが上がり、1件4,500円に報酬が増えた。
一気に1.5倍である。
時給換算900円ほど。
責任ある持ち場を任され、またそれが性に合っていたので仕事そのものは楽しかった。
仕事のない日あるいは休みを取った日には、都会のクラブイベント等に行くために高速バスに乗り0泊3日遠征をしてそのまま仕事に行ったりしていた。
土日メインのその仕事だけでは食っていけず、他のバイトも掛け持ちで糊口を凌いでいたが、繋ぎの仕事も当時のバイト相応の時給800円程度。
平均月給10~15万程度で親の脛をかじりまくって、好き勝手生きていた。
当時車の整備不良で警察に止められた時に職業を聞かれてフリーターです、と言い
「あぁ、無職ね」
と返されたのを強く覚えている。
10年近くその生活を続けると1件6,000円に給料は上がっていた。
そして私は35歳になろうとしていた。
求人募集を見るのが趣味の一つだったのだが、35歳を過ぎると途端に正社員の募集が減るのだ。
焦っていた。
このまま一生を生きていけるのか。
人生の墓場と言われる結婚をするつもりはなかったが、天涯孤独が予想されていたこの身を養っていけるのか。
その時、同じ業種の人から、正社員にならないかと声をかけられた。
少し悩んだが、手取り17万円もらえるなら、とその会社に入ることにした。
なんて布陣だった事は入社して一か月で初めて知った。
平社員の人以外は入社前から面識があったのに気づかなかったのが敗因だ、特に奥さん。全く気づかなかった。
使用期間の3ヶ月で辞めたが、主な理由は関係性の複雑さより、確かに手取り17万円もらえたが、社会保険諸々はもちろん雇用保険すら入れてもらえなかったからである。
これまでと同じように報酬で支給してもらえるなら何とかやりようがあったが、交渉してもダメだった。
その後はその会社からフリーランスとして仕事をもらうことになった。
1件1万円。
時給換算2,000円。
ジャンプアップ。
3ヶ月で辞めた恩返しにと3年そのまま働いた。
その間会社のもらう金額は25,000に増えたらしいが、私への報酬は変わらなかった。
他にも諸々嫌になって辞めることにしたが、ありがたいことに会社に仕事を振っていた上の会社から(孫請であったのだ)直接仕事を依頼したいと言ってもらえた。
しかし社長が糞だったので難航して一年ほど仕事のない状態になった。
たまたま疎遠だった実親が亡くなり、遺産はなかったが500万円ほどの生命保険が転がり込む事になったので、カードローンを返した残りと仕事のない時期にしていた時給900円5時間のバイトを週4日に増やしてどうにか生きていけた。
コロナがきた。
イベント業に隣接した我が業種は大打撃。
仕事は軒並みキャンセルが続き、持続化給付金を満額もらいようやく生き延びた。
そして、オンライン化に関した勉強を繰り返し、何とか仕事が安定してきた去年。
未だに仕事が入っては無くなりまた入ると慌ただしいが収入は増えた。
年収の推移は節目毎に130万→180万→350万円程度。
経費をきちんと計算し、確定申告二年目からずっと住民税非課税世帯でございます。
仕事で使う範囲より少しだけ多めに家事案分を分けたり、少しの節税はしている。
今となっては実入りはそこそこあるけれど、社会保障のある会社員の額面年収には程遠く、ローンすら組めないこの身体。
あ、ちなみに中卒です。
いじめを受けたり睡眠相後退症候群と思われる症状が出たりで学校生活をまともに送れませんでした。
多分ADHDも持ってる。
生きていくために何とか何とかズル賢く立ち回ってきました。
とは思いつつ、選挙の参加や反対の署名など少しだけ動いてはいます。
多分売上に消費税は足してもらえないので、変わらず節税を続けて生き抜くしかないです。
仕事の仕入れによく使う業者さんがインボイスを導入してもらえるよう願って、この酔っ払いの駄文にピリオドを打ちます。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220323202641
参考:ぼく勉のスカートめくりについて書いてたnote https://note.com/siotamari/n/n37a081298024
ぼく勉のスカートめくりは未就学児が大人に対してやっていて成幸はそれを叱っている。扱いが軽いと言うなら、どうするのが適切なのか聞いてみたい
いや軽いでしょ~~~。そこで戦おうとするのはやめようよ~~~~。
これだけ言って済ませたいのは山々なんだけど、ちょうど好きな漫画の話題だったので詳しく言うね。
まず未就学児は明確に事実誤認な。教師になった主人公の生徒なんだから当然就学児だよ。大人に対してっていうのは免罪符になるのか? よくわからんが。
なんで軽く見えるかと言えばまず「なななんてことを!」みたいに成幸が動揺しながら言ってるのがまず良くないと思うよ。真面目に叱ってる感じしないもの。しかもこの一言だけでその後で「あれは良くないことだ」みたいに諭すシーンもない。たとえるとボケに対するツッコミレベルなんだよね。一言叱ってそれで終わり。本気でやめさせる気あるようには見えないよ。
子どもたちが反省するシーンがないのも軽く見える理由の一つだよね。「逃げろ逃げろ」って言って逃げて終わり。スカートめくりって先生から叱られても逃げればいいような行為ってわけじゃないよね。「やってはいけないことなんだ」とこの子供が理解するシーンが一つもない。
ブコメでも言われてるけど「やった子供が本気で反省して二度とやらなくなる雰囲気でもないし例えばあれ読んだ子供が「こんなもんで済むのか」と思うほうが自然な内容」じゃん。軽い以外に言いようあるかこれ?(無論多くの子供は漫画でどう描写されていようが家庭や学校生活の中ですでにしてはいけないことだと理解しているだろうが)
例えば扱いの軽重を「お咎めなし」を0、「加害者が周囲から全否定され転校を余儀なくされる」を10としたときには明らかに0寄りだよね。
重さ軽さにもグラデーションあるし、10でなければならないとかは俺は全く賛同しないしむしろ0から10までいろんな漫画があっていいと思うけど、ぼく勉の描写が軽いのは明らかじゃん。
あとそもそもこういう描写を「軽くない」って擁護するのやめたほうがいいと思うんだよね。(本気で軽くないと思っている人には言ってもしょうがないが。このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です)
なんでやめたほうがいいかというと、このレベルの昭和ノリで手癖で描いてるセクハラ描写を「軽くない」と擁護することのほうがリスクが高いから。
「軽くない」という言葉は「軽くないから問題がない」と捉えられるし、それは容易に「軽いものは問題だ」という主張に結びつく。
意図せずとも描写内容によっては規制されうるという危険性を孕んでんだよ。
じゃあこれが軽いか軽くないかっていうのをジャッジするのは誰かっていうと世間だけど、これ軽くないって判断されると思う? 少なくとも重くはないでしょ? 子供を諭してもいないし子どもたちは反省すらしてない。
そのうえスカートめくりされた次のページでスカートめくられた女の母親が「これも経験」って言ってるんだぞ?(スカートめくりそのものではなく、予防接種をするにあたって子どもたちを手懐けられず逃げられてることについてではあるけど、スカートめくりされたことも含んでいると読んでも違和感はない)
スカートめくりをしたことへの扱いが軽いって言われてもしょーがないでしょこんなもん。そのレベルで争ってもしかたないよ。スカートめくりに限った話じゃないけどぼく勉は全体的にラッキースケベ描写の扱いが雑すぎる。
同じジャンプでもゆらぎ荘だったらコガラシさんが全力で回避しようとしてるし、結果触ったり見たりしたら全力で謝ったり反省している。もっと昔のToLOVEるだってリトはそうだし、性欲全開で生きてる校長は女生徒から汚物のごとく扱われ、まともな人間扱いされてない。
ゆらぎ荘やToLOVEるはエロコメではあるけど、だからこそそれは本来やってはいけないんだというメッセージが込められているのに、ぼく勉にはそういった意識がほとんど見えない。反省も謝罪もなく一言怒られて終わり。何も考えず手癖で描いてるんだろうけどだから扱いが軽く見えるんだよ。
そうじゃなくって軽いけど問題はないんだってスタンスでいようよ。俺はこの立場だよ。
ぼく勉のセクハラ描写はクソ雑で苦笑いしたくなるけど、キャラの可愛さとか演出とかそういう側面が優れてるから好きだし、セクハラ描写だけを取り上げられて軽い軽くないで言い争われるのが嫌なんだよ。
軽いけどそういう漫画もあっていいし、軽いけどそれは悪い漫画というわけじゃないって話にしたいんだよ。
真面目に扱うのが適当なのかもしれないけど、そうするとテンポが悪くなるし漫画の雰囲気にも合わないからそうはしないってはっきり言えばいい。
軽く扱っていると言われても不快に思われても当然だけど、それはそれとしてこういう漫画があってもいいし、それを楽しむことは何も問題はない、規制しろと言われても応じる必要はない。そういう主張をしていけばいい。
軽くないでしょとかいうより軽いけどそれが何なんだと言ったほうがいい。
軽いか軽くないかを問題にした時点で、軽ければ規制される余地があるというのと同じことなんだから。
が適切だとお思いで?
いやそこまでやらんでも……ってどっちかというと引くけど。明確にスカートめくりを扱ってなにか描こうとしてる作品じゃなければやりすぎだろう。
ブコメにあったから引用しただけで10にしてるんだから極端な例だよ。お咎めなしを0にしてるんだから両極端な例として出したつもりなんだが伝わらないのかこれ?
普通に教師が諭して子供が反省するシーンがあれば「軽く」は見えないんじゃないかと俺は思うよ。
繰り返すけど軽いから悪いとは思わないし、それ以外の要素との全体のバランスもあるからそうすべきとは言わないよ。
でもそういうシーンがないんだから軽いと言われるのはしょうがないでしょう。
普通に教師が諭して子供が反省するシーンがあれば「軽く」は見えないんじゃないかと俺は思うよ。
うん、それくらいが妥当だね
いやまあ立ち入らないからいいんだけど、
作品の流れやバランス、作者の意向等々の理由で軽く扱うことは全然問題ない。ただそれはそれとしてできるストーリーだろうができないストーリーだろうが結果として軽いものが出てきてるんだから軽いって言われることは仕方ない。それより軽くてもいいんだって話をしよう
って話を最初から延々としてるんだがそんなに伝わりづらいかこれ。
読んだことなくて申し訳無いがおそらく「新米教師が生徒の予想しない行動に上手く対応できない」ことを描写シーンにおいて「厳然たる対応ができなかった」ことが「軽い」と評価される、ということですか?
読んだことないので仕方ないけど、この話の中ではむしろ未熟な研修医のヒロインと対比して一人前の教師である主人公という描かれ方をされているので「新米教師」というのは事実誤認。
「僕の感覚で0~10の尺度を作りました、この尺度によれば軽いということが分かります」という言説の危なっかしさが分からないもんかな?/転校を量刑10に設定する権利は誰にあるの?
そもそも軽いから悪い、軽くないからいいという話にしてはいけないというのが俺の主張であって、軽重の話に主眼をおいていないのでそのたとえ話にツッコまれてもな……。いや本気で軽くないからいいんだと思っていて、そういう話がしたいならしょうがないけど。(このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です)
尺度なんて個人個人で持つしかないでしょ? 俺がたとえてるんだから俺の尺度だよ。あなたの尺度で測ればこうだって話したいならすればいいじゃん。
別にスカートめくりが推奨されるを0に置いてもいいしスカートめくりをしたら死刑を10に置いてもいいしスカートめくりをしたことを真摯に反省して謝罪するを10に置いてもいいし。単に各々の持つ尺度の集合体が法学で言うところの「社会通念」になるというだけの話であって。
俺はそもそもそういう尺度で測った結果がなんであろうが漫画として描くのは自由だって立場だけど。
個人的にはなんでわざわざそういうお気持ち次第でどうにでもなる土俵に乗りたがるのか理解できない。しかもこんな不利な描写で。粛々と現実に悪影響がないんだから不快に思うかもしれないが規制する必要がないって言ってれば良くない?
いや本気で軽くないと思っているのであれば言ってもしょうがないが。このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です。
そもそも軽い漫画なので重い描写はあり得ない。ギャグ漫画では傷害も軽く描写される。クソガキは人間扱いされてない。増田もTo LOVEるの校長はキモがられてるからOKとかダブスタで好き勝手言うよね。
医者であるヒロインの父親は昔主人公の父親を助けられず死なせてしまった。何年も経って離島で主人公とヒロインが再会して、主人公は子供を救うために怪我して重体になった。研修医になっていたヒロインが今度こそ主人公を手術して助ける。ってシリアスな展開をやったぼく勉に向かってなんて言葉を。 >軽い漫画
クソガキは人間扱いされてないToLOVEるの校長と同じ枠なので反省しようがしまいが無問題というのはまあ一理あるんだけど、作者はこのクソガキが洞窟に滑り落ちたのを主人公に助けられて説教されたことで洞窟に入ったことを反省するのを人と向き合うとか言ってるからな。
少なくともクソガキは作者の中では校長と同じような「理解できない生き物」という枠ではなく人間として描かれてるのでそれは採用できない。
校長を例に出したのはああいうことをすると人間として扱われず汚物扱いされるという描写だからだよ。ああいう扱いされてしまうようなことなんだな、やってはいけないんだなと思えるような描写だから。
ウマ娘は実際の競馬と同程度の数字で動いている、と仮定すると、ウマ娘の未勝利戦勝ち上がり率もだいたい30%程度だろう
そしてデビューすら模擬レースで認められてスカウトされなきゃいけない
学園のウマ娘の半分が新馬戦には出てる、と仮定したら、だいたい学園所属の15%程度しかトゥインクルシリーズで勝ち負けしてないってことになる
ウマ娘からすると、とにかくいいトレーナーにスカウトされて、メイクデビューに出してもらえないと話にならない
これってかなり、トレーナーとウマ娘の間に権力の不均衡があるような気がする
こういう環境だとどうなるか? というと、考える必要もなく、セクハラが横行する
ウマ娘に人間が勝てるわけがない、という腕力の差はあれど、結局社会的に権力を持つほうに従わざるを得ないだろう
このような構造上の問題があるため、学園からすると対策をしていないわけがない
学園はトレーナーと契約して学園に籍を置かせ、その中でトレーナーがウマ娘と契約をしてレースに参加させる
つまり、トレーナーの処遇を強烈に学園側が握っているため、学園がウマ娘を守る気であればトレーナーを排除できる
権力の不均衡にはより強力な不均衡で対応、しかもその権力者、理事長は女性でいい人なので、たぶんウマ娘は守られる
各ウマ娘の育成目標が学園から課されており、それをクリアできないとトレーナー契約が解消される、とたづなさんから説明がある
この点で気になるのは、「結果が出ないウマ娘は引退」と言われていないこと
つまり、ウマ娘が結果を出せなかった場合、不利益を被るのは一方的にトレーナーであると想像できる
トレセン学園はおそらく各種学校なので、ウマ娘は学費を払って教育を受けている立場
そこで結果が出ないからと言って、退学になるとかはなく、卒業まで学校生活は送れるのだろうと想像できる
そりゃあ、70%が1勝もできないのだろうから、ウマ娘が不利になる環境は作れないだろう
そういうわけで、セクハラされた場合、私は走らないとだけ言えばトレーナーが排除されるのだろうと思う
キャバクラに出勤しない嬢をおだててなだめて出勤させるみたいな能力もトレーナーには求められそう
3、よりよいウマ娘の獲得のために
女の子の学校なので、どのトレーナーがセクハラするとか、どのトレーナーなら勝てるとか、噂レベルで共有されていると思う
というわけで、トレーナーとして悪評がたてばたちまち勝てるウマ娘は来なくなるだろう
そう考えると、勝てないウマ娘相手だからって邪険にできないし、セクハラなんてできない
トレーナーが全員本気で勝ちたかったら、ある程度自浄が働くはず
逆に有力な男性トレーナーはアニメのトレーナー、ブルボンのトレーナー、ゲームでも自身くらいなもの
トレーナーの男女比率のデータなんかないけども、女性の多い環境は作られているように見える
最上位のトレーナーが男性でクズだった場合、多数の契約ウマ娘を抱えるから学園も排除しにくく、セクハラの悪評を超えるトレーナーの実力があるなら、構造的にセクハラはどうしても起こり得る
それに対応するには、最上位クラスのトレーナーは軒並み女性であることが望まれる
つまり、アニメやゲームに出てくる最有力な男性トレーナーは学園からすると脅威で、たづなや理事長がたびたび接近してくるのは監視の意味もあると思われる
生徒会や寮長のなんと強力なことか
生徒会は学園内の権力をかなり持っているように見えるし、人間よりはるかに強く、人望もあるシンボリルドルフやヒシアマゾンには多くが相談もできるだろうし、彼女らに詰められると思うとセクハラもなかなかできるもんでもないだろう
大体、そこまでセクハラが横行しているなら、トレーナーと契約しなければレースに出られない不利益な規定を生徒会が許すとは思えない
トレーナーはウマ娘を厳しく鍛えるというよりは、無茶なトレーニングから自制させるような役割も大きいのだろう
間違いなくあるね
こういうの書き慣れてないからかなり拙いんだけど、誰か1人でも見てくれたら本当に嬉しい。これは私の糞母校が偏差値10落ちて、すごく素敵な学校に生まれ変わってた話だ。
必死に受験をして入った学校。当時はかなり難関だったので、合格した時は本当に嬉しかった。
楽しい生活が待っているんだろうなと期待に胸を膨らませて入学した母校は、想像とはまるで真逆だった。
大学受験に向けて中一から必死に勉強の日々。部活中や行事の最中でも単語帳を見ている同級生。毎期壁に張り出される成績別のクラス分け。少しでも気を緩めるとついていけなくなる授業。本当に地獄だった。
教科書の英語長文は必ず一字一句暗記してクラスの前で発表しなければならなかったり、英語の小テストに落ちると(合格は満点のみ)何故か英文の書き取りを翌日までに60行×20枚やらなければいけなかったり、(因みに翌日の朝までに出さないと倍の40枚になる)教科書に出てくる全ての新出単語について自作の単語帳を作らなくてはならなかったり、漢字テストに不合格の場合は翌日までに600熟語を書取りしなくてはならなかったり、、こんなのは序の口でまだまだいくらでもエピソードはある。兎に角意味がわからないくらい厳しかった。
特に書取りと暗唱は地獄で、忘れ物の書き取りと熟語600字を1日でやる羽目になった日の絶望は今でも忘れられない。
冗談抜きに大多数が寝不足で死んだ魚のような目をしていたし、いつも何かに怯えて生き急いでいてカリカリしていた。
メンタルがおかしくなって不登校になる人は学年に二桁はいたし、出来るやつはどんどん態度がでかくなって先生をいじめていて兎に角最悪だった。
今日ちょうどやっていたフィギュアスケートのロシアチームくらい殺伐としていた。
今でも忘れられないエピソードは2つある。
一つは、大学に受かった同級生が「これで人生決まったよね。残りの人生もうこれ以上頑張ることなさそう。暇だわ」と言ったこと。
もう一つは、定期テスト時に少し鉛筆の音がうるさかった人に「てめえうるせーんだよ邪魔してんのか!」といきなりキレた学年トップ。
あの2人、今何してるかな。
そんなこんなで母校には全然いい思い出がない。
高校生後半は競争に疲れ、自律神経失調症になり、何度も自殺未遂を繰り返してやっとの思いで卒業した。
でも最近偶然母校に行った時、私はその変貌ぶりに驚いた。偏差値が10落ちたからか、ものすごくいい学校になっていた。レベル別クラスの撤廃、先取り授業の廃止などの要因もあるだろうが、何より在校生が本当に伸び伸びとしていた。
聞けば、私たちの世代の負の部分を見て、入学者のレベルも鑑み、少しずつ方針を変えてきたとの事だった。
わたしはそれを聞いて、泣きそうになるくらい嬉しかった。わたしにはいい青春はなかったけれど、こうして後輩たちが学校生活を楽しんでいる姿を見ることは本当に嬉しかった。自分たちの苦労してきたととは無駄ではなかったと思えたから。自分の青春は犠牲になったけれど、私は声を大にして感謝を伝えたい。
母校、変わってくれてありがとう。
苦しんだ日々は無駄じゃなかったよね。