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2017-02-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/51052

バカにしてる光景でソッコーでこれ思い出したわ。

noiehoie on tumblr • サヨクって本当にダメだなぁと思った件。

この件、是々非々を許さなカルト的怖さがあるんだが、分からん人には分からん

教育勅語の件、「園児教育勅語」ってバカにしてるが、この事件ってほっといたら 幼稚園小学校中学校〜と進む話だったんだぞ。

そうすると、カルトお墨付きの進学コースで人の上に立つ人材には、教育勅語教義としてたたき込んでおかなければならないという意図が読み取れる。

【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。 – お役立ち情報の杜(もり)

ちなみに御真影は、戦前宗教弾圧では神道と毛ほども関係ないキリスト教会・仏寺に御真影が祀られ礼拝されていたわけだが、これは上の件と合わせると

教育機関国歌斉唱の次は御真影を祀らせたい」だ。

それはそれとして、塚本幼稚園

1. 紀元節現在建国記念の日)、天長節(同、天皇誕生日)などの祝祭日に、校長教員児童学校に集まり儀式を行わなければならない(以下、式次第)。

2. 式場中央に奉掲した天皇皇后のお写真の覆いを撤する。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。お写真を拝戴していない学校では、宮城遥拝を行う。

3. 国歌を歌う。

4. 校長が「教育勅語」を奉読する。参列者は奉読開始とともに上体を前に傾けて拝聴し、奉読終了後に敬礼してもとの姿勢に復する。

5. 校長が訓話を行う。

6. 当日の儀式唱歌を歌う。たとえば、紀元節では「紀元節」という唱歌を歌う。

7. 天皇皇后のお写真に覆いをする。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。

のような扱いをしていないから、たんなる戦後二次創作と嗤っていいものだろうか?ちょっと軽すぎない?

皇室グラビア」と「御真影」 : 戦前新聞雑誌における皇室写真通時的分析 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192611/1/kjs_009_093.pdf

に目を通せば、そんな単純な物ではないと思うよ。

イギリスのタイムズより取材を受けました。|新着情報|塚本幼稚園幼児教育学園

笑顔で丁寧な先生、2~5歳の制服を来た子供達は、他の幼稚園と同様愛らしい。しばらくした後、園児たちの“おじぎ”をする光景に気付く。それはお互いにするのではなく、壁の写真に対してである

それらは、天皇画像である。:天皇陛下明仁」、その父「裕仁」、さらに19世紀の明治天皇

2017-01-09

日本人アートに金を払わない問題について

これ、思うに“自称アーティストが世の中に多すぎるからだと思うよ。

クソアフィリエイターネットが穢されてるのと同じ。

※べつにこれは日本人に限った話ではない。海外でもそう。

欧米に違いがあるとすればキリスト教観による寄付の習慣が大きい。

ワナビーの大した事ない作品が世の中に溢れていて、作品性のものよりも

熱心な営業力とかで三級品が目に触れる機会が増え、どんどんアートへの興味が削がれていく。

結果、アートは警戒するものになり、身近になりにくい。

学校音楽美術の授業で訓練するのは作業性ではなくて

批評性をもっと付けなくてはいけないと思うので、

絵を描いたり唱歌を歌ったりするのもいいけどもっと鑑賞に時間と手間をかけるべきだと思う。

そういう教育20年ぐらいあって若者世代リテラシーがついたら、

もう少し世の中変わるんじゃないかな。

2016-10-07

アマチュアコンサート唐突に挿入される童謡問題

クラシック合唱などのアマチュアコンサートリサイタルに行くと、だいたい日本童謡コーナーとか、日本唱歌コーナーがあると思うのだが、あれって誰得なのだろうか?

わざわざクラシックを聞きに行くひとなら、どちらかというと普通クラシックの曲を目的にしているだろうし、クラシックを知らない人も、べつに「ふるさと」を目的コンサートに行くわけではないと思うのだけど。

役所がなにかをするときに、やたらと「親しみやすさ」を重視するのと同じような、根本的なズレを感じる。

2016-08-11

山の日山の日増田日の出す魔日野間や日野間や(回文

ゆ~きよ、いわ~よ、われらーが宿り

ふふふん、ふふふん、ふふふふふふふん~

って最初しか知らないのかよ!

雪山賛歌も歌いたくなる暑い

今日山の日よ!

祝日ね。

ちびっ子たちは夏休みから

どっちみっち休み祝日でも変わらないか

損した気分じゃないかしら?

うふふ。

大人ちょっとお盆休みラッキー祝日ね。

や~まはしろがーねー、かぜきるはや~さ~

んふんふん。

スキー唱歌も歌いたくなっちゃうわ。

山の歌って雪山な感じが多いわよ、

夏の感じに涼しいかしら

と言って今日は山とか登らないけど。

うそう、

ウイスキーがお好きでしょ、

って歌あるじゃない、

あの歌を浸っていい感じに歌い上げてる女は

自分が、すごく超いい女だと思ってるから気をつけて!!!

山で遭難したら救助のセントバーナード

からぶら下げたウイスキー

飲ませてくれるわよ!


今日朝ご飯はまだ決めてないけど、

いい加減増田にも予約投稿機能が欲しいわね。

休日の朝も増田で始まるのは素敵だけど。

ちょっとデトックスウォーター飲んで考えるわ。

で、今日デトックスウォーター

好調好調

緑茶ウォーター

やっぱり心なしか茶葉が多い感じがするので、

うーん、このくらい少なくても大丈夫かしら?って心細い感じの量でも

充分にグリーン緑茶ウォーターになるから

やってみるときは、

ちょっと最初は茶葉少なめに

出だしを見てから調整してみてね。

グリーン緑茶ウォーター

お口の中がスッキリ爽快よ!

クールミント的なペンギンね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

お盆休み挟むので次回はすいようびからになります

チャオ!アミーゴ

2015-06-06

音楽の授業は

音楽の授業は不思議時間だった。

教科書の表紙は、子供の描いた絵だったけど、すごく綺麗で幻想的だった。どこかの誰かが描いた絵、こんな絵を描ける子が信じられないような子がいるんだなと思った。

色々な曲が載っていたけど、全てを習う訳じゃなかった。色んなやってみよう、のコーナーもあった。でもだいたいそういうのは飛ばして、先生の選んだことをやった。選んだ基準は分からない。

唱歌はまずCDでお手本を聴いた。お手本は子供歌声なのに、やっぱり信じられないほど上手で綺麗な声だった。スピーカーの向こうは別世界で、とても美しい世界が広がっているのを想像した。たまに、野暮ったい歌声の時もあって、今思えば古い録音だったのかなと思うけど、がっかりした。

自分が聴いてみたいと思う曲の一つに、武満徹のノーベンバーステップス、という曲があった。授業で流すことはなかった。

きょう、NHK武満徹合唱曲を聴いて、あの頃のスピーカーの向こうの別世界のこととか、会うことのなかった信じられない子供たちの事を思い出した。もしかしてあの頃の子供達は今日歌っていた人だったのかもしれない。

2013-08-30

もしかしてあのサイト名の由来は寿屋愛唱歌なの?

寿屋があった地域に住んでいた事がある人達ならあのサイト名見たときに、あの歌由来かな?と皆思うんじゃないか

たまたまあの歌を中古ショップに行く度にレコード探していたからそう思ったんだけど

オクで5000円でレコード出ていたときに入札しとけばよかった

2012-02-09

 真実神話とどちらかが大切なのではなく、どちらも車の両輪のように大切にしなければならない。

 想像の中で過ごしている人がいたらそれはロマンチストではなくて現実対応できない人である

 逆に現実ばかりに眼がいって理想を追わないのは人間として淋しい。

 小説や詩歌などでも感性だけの作品はつまらないし、知性だけの作品も読めない。

 例えば、童謡で説明すると、野口雨情の「シャボン玉」は感性だけで鑑賞することができる。虹色に光るシャボン玉が空に飛んでいく姿はそれだけで絵になる。ところが、これが子供が亡くなった時の哀しみを思い出しながら描いた作品だということを知れば(つまり知性で考えれば)作品が二重になって見えてくるはずである長野県中野市中山晋平記念館には「雨情が旅先で二歳の娘の病死を知らされ、その悲しみを詩に込めた」と解説してあるという。

 ただ、娘が亡くなったのは詩ができた二年後という説もあるし、歌手高石ともやは「間引きの歌」と考えている。ある人から間引きで死んでいった子どもの歌だ」と聞かされたのがきっかけだ。高石の父親が生まれたのは、間引きが行われたこともある岩手県の山の中。高石も極貧の中で誕生した。父親はとてもかわいがってくれた。が、自分間引きを考えたこともあったのではないか、という(『唱歌童謡ものがたり』岩波書店)。

 感性だけで鑑賞するのも知性だけで解読するのも双方が必要だ。

 理性だけだと他人の痛みが分からない。感性想像力がなければ分からない。ルソーが『エミール』でいうように「ひとり想像力のみが我々をして他人の苦しみを感じさせる」のである

http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/father/shinwa.html

2011-01-20

Y君、お元気です

 僕が高校を卒業したのはもう何年も前のことで、いい加減高校時代の友人と連絡を取る機会もほぼなくなり、それぞれが自分人生を一人で歩んでいる2011年。とっくに就職し、結婚し家庭を築いているかつてのクラスメート達とは違い、恥ずかしながら僕はまだ文献や論文に囲まれた生活を送っている。

 深夜、PCに向かって作業していると何故かいつも決まって思い出すのが、高校時代にクラスメートだったY君のことである。彼は今どうしているのだろうか。


 僕の通っていた高校の文化祭ではクラスで出し物を企画したりすることはなかったが、毎年クラス対抗の校内合唱コンクールがあり、進学校なのに意外とクラス全員がかなり真剣に取り組んでいた。音楽系のクラブに所属していた僕はいつも合唱責任者指揮者を任されていて、高校三年生の時に僕が指揮者をやるのに対してピアノ伴奏をしてくれたのがY君だった。

 正直Y君とはそれほど仲が良いわけではなかったし、かといって悪くもなかった。仲というものがそもそもなかった。それ以前にY君自体がかなり謎の多い子で、元々大人しい性格が災いしてかクラスでもY君と仲の良い子はいなかった。ただ分かっていることは幼い頃からピアノを本格的に習っていてかなり上手だったということだけだった。

 何の曲をやったかははっきりと覚えていないが確か高田三郎の『水のいのち』より「雨」だったような気がする。この曲はアカペラはな伴奏があるので、ピアノが弾ける生徒がいないといけない。ということで僕は、どうやらY君はピアノが上手いらしいという情報のみを頼りにして、Y君に伴奏をお願いした。

 その時のY君の微笑みは今でも忘れることは出来ない。「なんで自分が…」「僕じゃなくても他に弾く人いるんじゃないの?」ということを、決して口には出さないが目で訴えつつ波立てずごまかすように苦笑い…というのが容易に見て取れた。本来なら考えておいてほしいと選択を任せてその場は一歩退くものなのだろうが、当時の僕はまだ人と接する方法を知らず、Y君の人の良さに浸け込み、無理やり拝み倒してOKを頂いた。今思うとつくづくウザい奴である。そういう訳でY君は(おそらく嫌々ながら)伴奏を引き受けてくれた。

 練習は(僕とY君の間で多少のコミュニケーション齟齬はあったにせよ)順調に進み、合唱コンクールは無事に終了、僕らのクラスは3位を取ることができた。まぁこのへんはなんともなく終わったから割愛する。


 問題はそこからまた少しばかり時が経ち、卒業した後のパーティの席だった。


 卒業パーティで僕らは学校の愛唱歌(校歌ではない)を歌うことになった。これが変わった歌で、構成が合唱部分→独唱部分→合唱部分となっていて、この独唱部分を、我が高校に昔から在籍する外国人教員さんが歌うのが通例になっていた。そしてこのパーティでも例外ではなかった。そしてこの愛唱歌での指揮&伴奏が僕とY君に命じられたのだった。公式の場だから適当に4拍子振っておけばいいので指揮は問題ないが、伴奏はそうも行かない。やはり練習する必要があり、本来なら楽譜が必要なのだが何故かピアノ伴奏楽譜存在しないらしく、Y君は受験前後のバタバタしていた時期だというのに自分伴奏編曲して練習してきてくれたのだった。

 そして本番。愛唱歌を歌い、一つ目の合唱部分は無事に終わった。だが次の独唱部分で事件が起こった。

 肝心の外国人教員さんは結構なお年だからか、完全にその独唱部分を、僕の指揮もY君の伴奏もガン無視の自分テンポで(しかも若干の調子っ外れで)歌い出したのだ。指揮はま適当に振ってるのか振ってないのかでごまかせるが伴奏は完全にストップ。ちらりとピアノの前にいるY君の顔を見ると、どうしようどうしようとパニックに陥っていて次の合唱部分も弾けるか危ういくらいに焦っていた。そんな僕とY君のパニックなんか露も知らず外国人教員さんは朗々と気持よく独唱部分を歌い続ける。

 そして第二の合唱部分は伴奏がなかった。でも生徒はみんな散々イベントのたびに歌わされた愛唱歌なので別に伴奏なんてなくても歌えたのだった。

 この地獄のような愛唱歌斉唱が終わった直後、僕は一礼するとすぐにY君の元に駆けつけて声をかけた。

大丈夫?まぁあの人完全にお年だったから予想できない事故だったし…一番の合唱のところはすごくきれいな伴奏だったよ、ありがとう」

なんかそんな感じのことを彼に言った。実際泣きそうになりながらごめんなさいと呟くY君を慰めるために何を言ったのか正確には覚えていない。ただY君の伴奏は練習では完璧だったし、忙しい伴奏編曲までやってくれたY君には感謝さえ覚えていた。

 そして卒業パーティは僕とY君の心に深い傷跡を残して終わった。

 数日後担任の先生から手紙が来た。そこにはY君とご両親が僕に非常に感謝していたこと、初めてピアノをやっててよかったと心から思えたと言っていたこと、そして良ければ手紙を下さいとY君の住所が添えられていた。

 だがはいつか手紙を書こうと思っていたにも関わらず結局送らずじまい、そのまま引越しドタバタで恩師から頂いた手紙も紛失してしまった。

 以上が僕とY君の思い出である


 今でも自分は薄情な人間だなとこの事を思い出すたびに実感する。

 ただY君にもし逢うことが出来たら一言言いたいのだ、「僕は君の友達です」と。何年もの間、君のことを忘れられなかったよと。会って、あの忌まわしい卒業パーティのことを笑って話し合える日はいつか来るのだろうか…


 超下手くそな文章ですみませんでした。Y君、もしYこの日記見たら返事下さい。

 
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