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2024-02-09

俺の実家は細い

私の実家は細い。

  

私は平成最初の年に、とある田舎で生まれた。

  

父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。

母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。

  

親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーパート職員をしていた。

職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。

  

収入も少なければ支出も多いのだ。当然貧乏だった。

小学校クラスで下から5番目くらいの貧乏だった。

  

そんな環境だったか子供の頃は大変だった。

クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラ練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。

私の世代子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。

  

習い事も2つだけ。

地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。

サッカー習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。

  

幸い、勉強はできる方だった。

塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。

どうやら母方の爺さんは名家医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。

まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。

  

そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。

外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。

---

  

転機が来たのは「パソコン」と「インターネット」だった。

私の地域はいち早く情報教育が始まっていた。

学校では、放課後休み時間パソコンを貸してもらえるようになった。

  

最初パソコンゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。

そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねるである

  

純粋だった私はスレを立てた。

  

創価学会バカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています

叩かれた。

  

高校卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」

バカにされた。MARCH以下はゴミと言われた。

---

  

2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金ギリギリまで借り、地方国立大学工学部に進学した。

大学卒業したとき高校大学合わせて奨学金借金額は600万円まで膨らんでいた。

しかし、その程度は軽いものだった。

  

国立大学工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。

  

今では年収も900万円ほどあり、妻と子宝にも恵まれている。

子供に小遣いも与えられるようになった。

子供習い事に行かせてやれるようになった。

子供と一緒にゲームもできるようになった。

私はこの現状をとても幸せに感じている。

  

地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。

しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。

昔の私たちほど貧乏ではないが。

  

実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。

かにそれらも大事だ。しかし、私は自分経験から思うのだ。

一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。

  

あの頃、インターネット出会わなかったらどうなっていただろうか。

2ちゃんねる学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。

  

情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、

インターネットは偉大だ。

追記

1990年頃生まれでじーさんが戦争戦死何となく年齢設定がおかしい気がするなあ。1975年±5年くらいじゃねーの?

母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。

母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学高校頃までは生きていたのだと思います

父は戦時中に生まれたそうです。

両親が学会員だったってこと?

そろばん先生学会員でした。反共産は母。

ちなみに、自治会リーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教総本山まで。

タダより高い物はない。

2024-01-22

anond:20240119233238

どこが古いか指摘するとね

(1)金がない時、御経を唱えてなんとかしてくださいと願う。しかし、そんな時間あれば働け、そして寄付をやめろと思うのがふつうの考え方だろう。

 →祈るだけ叶う、は50年前の学会感覚20年の池田先生言葉に「必死努力こそ信心だ」とあるぞ。むしろ努力することが信心なら、信心いらんじゃん」的にもとれる。大石寺と決別してから神秘的な信仰は徐々に否定してきた。

(2)祈れば叶うと教えられたが、自分が動かないことには何一つ叶った試しがないし、祈らなくても動けば叶ったりした。

 →親は一言でそう言いがちなのは仕方ない。しかし、高校生にもなって、ちゃん教義も読まず、祈り努力関係性もわからん人が、言う話ではないと思います

2024-01-21

回避

思えば美大に通って絵を描いているときも、私は自己表現をしたいなんて思いはなかった。

それっぽい、かっこいい、かわいい、誰かに褒められる絵を描きたかった。自分がないから、どこかで見たような絵ばかり描いていた。

自分がないから講評が怖かった。

好きな世界観を突き詰めてそれが否定されるくらいなら、最初から全力で向き合わずに傷つかない道を選んだのかもしれない。

何を言われても、4年間自分のしたいことを貫いて描き続けた人たちは強かった。

私は意味の分からない、理解のできない、粗削りの絵を心の中で冷たい目で見ていた。

自分がそんなだから、人の目が怖かった。

でもそれを続けた人たちはどんどん強くなって、冷笑して逃げていた私はどんどんしょぼくなる。

傷つくことから回避

思い返すと私の行動の理由も、そこに居続ける理由も、傷つきたくないから。

傷ついたり、自分が無価値であると思い知らされるのが怖くて、それならない方がいいと思って全てを回避していた。


最近意識的に昔をたくさん思い出している。

友達野菜を食べなきゃだめだよと言われて泣く、幼稚園の時の私。

自分のことかわいいと思っていて、「あっちゃんかわいい!」が口癖だった。

自分のこと、あっちゃんて呼んでたの懐かしくて死ぬ

繊細ではあったけど人見知りというレベルで、3学期になれば皆と仲良いし、基本人は好きだった。

親の喧嘩が嫌で泣く私。

池田大作の本に、子供の前で夫婦喧嘩してはいけないと書いていたのに、何でお母さんは大好きな池田先生の言いつけを守らないのかがわからなかった。

小学生中学生の頃までは必死空気を読んで、喧嘩する親を和ませようとしてた。自分発言で親が笑って、喧嘩が止まるとほっとした。

中2の正月に、全部終わった。

何とかしようとするのをやめて、ずっとイヤホンをして聞かないようにした。

クラスの全員と仲良くすることもなくなった。

色んなことに向き合うのをやめた。


色々な出来事の中で、たくさんの自分がいた。

どんなに悲しくてもつらくても、生きなきゃいけない。

生きようとする力と、生きづらさがせめぎ合った結果、回避するという術を身につけた。

それが今の人生に影響を与えていて、スムーズに進むことを妨げているけど、でもそうしないとあの時の私は生きてこれなかったなら仕方ないか、と最近ふと思った。

子供環境を選べないので、どうにかその場に自分適応させたのだと思うと泣ける。

自分の心を守った私のことを、今の私が否定して、こんな自分嫌いだなんて言ったらあの頃の私は悲しむかもしれない。

認めようぜ自分を。


経済力がないと、文句しか湧いてこない相手と別れられないと学んだから、自立心が強くなった。

貧しさがいかに人を荒ませるか、清貧なんて嘘だと幼くして知ったから、お金の大切さがわかる。

自分存在意義がわからなくて、あやふやだったからこそ、一労働力だとしても人に必要とされて感謝されるバイトが楽しかったし、仕事も好き。

白黒思考恋愛との相性は最悪だけど、仕事では役に立つこともある。

人の顔色声色を伺って機嫌を取ってきた経験は、接客に活かされている。

自分一人でずっと暮らしていけるお金と、メンタルを保てる仕事を追い求めてたら、20代は終わってしまった。

今は仕事でのストレス許容範囲で、給料にも満足している。

大金持ちは目指してない。日々、ケチケチお金で心が荒まない程度に、自分へのご褒美を難なく買える収入があればいい。

たぶん優先順位問題で、私が一番欲していたのは経済力と安定した仕事で、そのためにもがいた結果、社会人10年目にしてやっと着地できた。

もし私が心から欲していたのが、パートナーとか温かい家族で、この10年めちゃくちゃ恋愛を頑張っていたらそれなりに形になっていたのかもしれない。

両立出来たらよかったのにな。

これから10年がんばったら、恋愛もどうにか着地できるのだろうか。



我慢を続けて抑圧しながら生きていると、40代や50代になっていきなり鬱になったりするらしい。

姉は20代で体もメンタルも壊して、通院することもあったけど今は健康に過ごしている。自分を大切にできているし、私の自己肯定感のなさに引いているくらい。羨ましい。

私は大きく調子を壊すことなくここまで来たけど、どこかのタイミングで病名がついて適切な治療を受けられたら良かったのに。

嫌になるくらい健康から、このまま何事もなく一生何となく不調なまま、終わる気がする。


でも最近強い意志で変わりたいと思ってるので、健康な心を目指すべく片っ端から色んなことやっている。

ドツボにハマらない程度に心理学勉強をするべく、4月から通信大学に通うつもり。

何も変わらなかったとしても、心の仕組みを知りたい。

とにかくとにかくとにかく恋愛が上手くいかないので、日記を書きました。

でもそんな自分も愛そう。

2024-01-19

anond:20240118234905

なんか間違いも多くツッコミどころ満載

まず感覚だけで批判してきた典型的な例で、文章を読んでないし、自分の脳で学会理解できてないし、情報ちょっと古い。20年前というより、それより前の30年前くらいかな。この10年は結構大きな差がある。大石寺と決別したのが、35年前だから

  

金がない時、御経を唱えてなんとかしてくださいと願う。しかし、そんな時間あれば働け、そして寄付をやめろと思うのがふつうの考え方だろう。

 →祈るだけ叶う、は50年前の学会感覚20年の池田先生言葉に「必死努力こそ信心だ」とあるぞ。むしろ努力することが信心なら、信心いらんじゃん」的にもとれる。大石寺と決別してから神秘的な信仰は徐々に否定してきた。

  

祈れば叶うと教えられたが、自分が動かないことには何一つ叶った試しがないし、祈らなくても動けば叶ったりした。

 →親は一言でそう言いがちなのは仕方ない。しかし、高校生にもなって、ちゃん教義も読まず、祈り努力関係性もわからん人が、言う話ではないと思います

anond:20240118234905

すでに遠い昔に抜け出た二世だけど、聖教新聞と称する広報誌のあまり情報のなさに呆れ返っていたかな。

とにかく、池田先生名誉XXXを受賞しましたという情報しかないのw

あとドン引きしたのが、日蓮宗のお坊さんに対するとんでもない攻撃性。

新聞の一面にでかでかと、「XXX(坊さんの名前)は悪(実際にはもっと過激攻撃的な言葉)」みたいなことを見出しにするのどうなんだと子供心に印象に残ってる。

2023-12-24

anond:20231224131805

池田大作先生 VS 大川隆法先生の世紀の対決は池田先生勝利大川先生の絶命により幕を閉じた。

しか大川先生が死の間際に発動した念能力によって池田大作先生呪いを受け、それによって命を失ったのであった。

anond:20231224131805

大川隆法先生が生きてたら、池田先生の死後の言葉も聞けたのに。

本当に残念でなりません。

2023-12-03

うちのオカンSOUKAなんだけど

池田大作亡くなったときに、オカンが「どうせお前たちはニュースも見てないから知らないんだろうけど、池田先生が亡くなった」って謎の巻き込まれdisくらった。

尊敬する先生が亡くなってショックなのはわかるが、なぜどさくさにまぎれて「ニュースも見てない」などといわれなければならないのか?

言っちゃあなんだが、こちとらネットニュースになったときオカンはまだ知らないのだろうなーと思ってたよ。

もう30年も生活を共にしていないオカンに、一体私のなにがわかるというのか。

2023-11-20

岸田は義理父親葬儀を切り上げて葬儀済みの池田大作を弔問した

首相動静(11月18日)

(略)

 19日午前0時13分、米サンフランシスコでのAPEC首脳会議出席などを終え、政府専用機羽田空港着。同30分、同空港発。

 午前0時53分公邸着。

 午前1時25分現在公邸。来客なし。

首相動静(11月19日)

 午前7時46分、公邸発。同8時9分、羽田空港着。

 午前8時33分全日空673便で同空港発。

 午前9時37分、広島空港着。同46分、同空港発。

 午前11時4分、広島県三次市斎場「平安祭典 三次会館」着。裕子夫人の父・故和田二郎氏の葬儀に参列。

 午後1時39分、同所発。同2時5分、同市の火葬場「三次市斎場悠久の森」着。

 午後3時28分、同所発。

 午後4時36分、広島空港着。

 午後5時18分、全日空682便で同空港発。

 午後6時41分、羽田空港着。同7時1分、同空港発。

 午後7時28分、東京信濃町創価学会本部別館着。同30分から同45分まで、同会の故池田大作名誉会長の弔問。原田稔会長池田博主任副会長と面会。

 午後7時49分、同所発。同58分、公邸着。

 午後10時現在公邸。来客なし。

和田二郎さん(わだ・くにじろう岸田文雄首相の義父)11日死去、94歳。通夜は18日午後7時、葬儀は19日正午から広島県三次市十日市西6の8の1の平安祭典三次会館で。喪主長男成一郎さん。

創価学会名誉会長SGI創価学会インタナショナル会長池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。葬儀17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。

いやわかるよ、政党トップとして所属議員たちを食わせにゃならん、そのためなら池田先生のケツでも遺灰でも舐めてやるってんだろ

全く支持はしないが覚悟はわかる、ずいぶんな賭けだな、俺は立派だと思うよ

でもさ、それって義父の葬式をさっさと切り上げてまですることか?池田葬儀は2日前にとっくに終わってるんだぞ、時と場合ってもんがあるだろ

アメリカAPEC会議ついでに6カ国との首脳会談ほか行事たくさん、深夜に帰国し義父の通夜には出られず、翌朝一番広島入りして葬儀、そして信濃町創価学会本部トンボ返り

大変なスケジュールだと思うよ

からってお前、火葬滞在1時間23分間ってまともに骨拾えたのかよ

義父との別れを、妻への慰めを、喪主への労いを、広島滞在7時間でまっとうできたと言えるのかよ

それらを投げ打って既に葬儀の済んだ創価学会本部に馳せ参じてまで票が欲しいか

政治家岸田文雄は立派かもしれないが、俺は今、人間岸田文雄軽蔑しようとしている

https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111800255&g=pol

https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111900133&g=pol

https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15791659.html

https://www.seikyoonline.com/article/1105A80AC3B8C9691D68205F3E12D455

2023-11-19

「岸田総理池田先生の業績を称えても政教分離に反していない。なぜなら・・・

靖国神社の時も同じように擁護してくれよ。

ネトウヨ安倍ちゃん池田大作追悼のメッセージを出したら許容したのか

安倍ちゃん総理の時に池田くんが死んだとして追悼メッセージ出してたと思うんよね

ネトウヨはそれ見た時に頭狂って死にそうだなって思ったので、阿部ちゃんがもう少し長生きするか池田先生くんがもう少し早く死んでくれてたら面白かっただろうなって。

見たくないですか?門田とか百田とか暇空とかが創価擁護してるところ。

anond:20231119040900

キリスト教におけるキリスト仏教における仏陀イスラム教におけるマホメット

そういうある種の象徴的な存在が、池田先生なので、

そのあとを継ぐことは誰にもできないゆえの、集団指導体制なんだわ。

2023-11-18

anond:20231118203326

岸田首相総理大臣として特定宗教家の死をわざわざ特別に追悼したら、それは個人ではなく国として創価学会(の池田先生)は立派なところだと言ってることにならないの?まあ政教分離にはなってるとは思うけどさ、ギリギリセーフラインだと思うよ。特権は与えてないけどさ、良い印象を与えてるじゃん。「総理大臣が認めた創価学会!」ってなるじゃん。そりゃ反感買うしさ、合法だとしても国民感情逆撫でするのは当然だよ

池田大作訃報について

ちょっと思うところありタイトルの件について書いていきたい。

自分自身創価学会3世(非信者)なので、色々と考えつつ、でも人物像については詳しくないこともあり、雑に思ったことをつらつら並べてみる。

ちなみにXとかのコメントはあまり見る気がしないので多分見ないだろう。学会アンチでも信者でもないが、まあ内容はだいたい想像つくので。

幼少期

信者の母はよく聖教新聞での記事を引き合いに「池田先生はこんなにも世界尊敬されている、素晴らしい人物なんだよ」といってた記憶。たしか聖教新聞には毎日のように一面記事で彼の功績が載っているので、子供心に「すごい人なんだなー」とは思っていた気がする。

なにか学会の大きなイベントを収録したビデオ実家にあって、そのなかで壮大なマスゲームを行っている様子が映っていたのが印象に残っている。このときキタチョーセンみたい」って素直?な感想を言ったら母は「たしかに笑」と返して笑っていた記憶

青年

その後、中高生社会人になってからほとんど関わってなかった。「新年勤行会」という正月の恒例イベントはちょくちょく参加してたけど。

5年ほど前?正確な時期は覚えてないが、ひょんなことから学会の方と会って話して、住んでる地域支部にお邪魔したことがある。

地元から1,000kmくらい離れた場所でも、学会ネットワークによって住所は知られており、なんやかんやその流れで…。正直、興味本位でついていっただけではあるが。

学会建物は、子供の頃よく行ってた地元にある会館とほとんど同じような作りで、とても懐かしい。入り口で靴脱ぐんですよね。入り口~靴箱、床のカーペットやその他の装飾品もあのころ記憶と同じで、不思議感覚と、郷愁じみた思いにかられ…(大丈夫か俺?

そこで色々、学会の人と話したりとかあって、その後ビデオの鑑賞タイムが始まった(!?)。まあ定番勧誘イベントのようなもので軽い気持ちで見ていたら、池田大作活動内容についての動画が流された。映像1990年前後くらいだったと思うが、これも幼少期に見ていたものと相変わらずな感じでね。

もちろん学会として氏の功績は大きいのだろうが、いつまでも池田大作」という存在ありきな団体なのかなという感じはしましたよ。あまり後継者の話とかも知らないが、部外者名目上は信者)として心配になりました。

最後

なにか結論やまとめはないが、自分人生において小さくない影響を与えた人物であるのは間違いない。言えるのは「安らかにどうぞお眠りください」くらいです。

池田先生が死んだが学会員が思ったより悲しんでいない

今日ちょうど会合があり20人くらいが集まっていたとき逝去の報があったが、みんな思ったり悲しんでなかった。

「ああ、ついにか……」くらいの感じ。自分もそんな感じ。

もっと泣き喚いて後追い自殺する人とか出るんじゃと思ってたから驚いた。

近年組織運営はしてなかったし顔見せとかもなかったから「これから学会はどうなるんだ……」みたいな悲壮感もなし。

親戚とかばちゃん老衰で死んだ時とあんま変わらん。

じわじわ影響は出るんだろうけど、なんか不思議な感じ。

2023-10-24

anond:20231024171448

そういう悩みを解決できる集まりがあるけど来る?

池田先生って人の教えでスッキリするんだよね

2023-02-12

志位もいつかは交代するだろうが

池田先生はどうなるんだろう

実は水面下ですでに交代してるのかも知れんが

2022-07-15

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい・2

https://anond.hatelabo.jp/20220715032108 これの続き

偏見を感じる

とあるサークルに入ってみたら、カルトタブーギャグにする俺イケてる! みたいな感じで、部誌に全然似てない池ちゃん似顔絵原稿に描いてきた先輩がいて、部誌の編集に携わっていた私は、「これは良識的に考えて載せらせません」と断った。

私は誰にも私が学会員であることを明かしていないながらも、池ちゃんはそんな似顔絵で茶化される存在なのか…と思うとなんだか、ごく普通ことみたいに、胸が痛かった。

その様を隣で見ていた別の先輩(現在の夫)はいまだにその掲載謝絶エピソードを覚えていて、私にたまに話してくる。

社会人現在。そして雑感。

現在

非会員とほぼ同じ生活を送っている。

ほぼ、と書くのは、コロナ前まで、年イチ、元旦にある「新年勤行会」だけは親につきあって顔を出していたから。今学会どうなってんのかな? と見に行く感じ。

未だに新入会員とかいて(その場で発表される)「へー」って思ったり。私より若い人たちも意外と頑張ってたり。

私自身が活動しない理由はまあ、面倒くさいから、これにつきる。

背筋を伸ばして顎を上げ、腹から声を出し唱題することで感じる唱題ハイを感じたこともあるけど、毎日決まった時間仏壇の前に座るのは面倒くさい。仏壇という存在も面倒くさい。

ごろごろしたいか仕事の後会合なんて絶対無理だし、友達家族もいなくなりそうだから選挙折伏新聞啓蒙なんてもってのほか

周囲から偏見だってもちろん面倒くさい。

多額献金なんて私のまわりではきいたことないが(そういう会員がいてこそ、ヤフドも借り切れ立派な会館も建つってもんだろうから否定してるわけではない)まあそれでも年1くらいは、いくばくかお金もつつまないといけないだろうし。

新興宗教はとにかくマジであらゆることが面倒くさいし、見合うリターンがあるのかっていったら多分ない。

それでも、なんの活動もしてなくて、上のようなことを書くようになった今にいたっても、現金もので、どこか「ご本尊様」というのは心の支えになってるところは確かにある。

何かピンチの時に心の中で「南無妙法蓮華経」と念じると心が落ち着くところがある。

それは、人によっては別の宗教なのかもしれないし、おいしいパンなのかもしれないし、大事な人なのかもしれないし、野の草花なのかもしれない。

いずれにせよ、あなたの心の中にあるそれと、実際大差ないのではないかと私は思うし、心の中に支柱があるということは、精神の安定に他ならない。

とっさに念じられるものがある心は強いなあと、それだけは思う。

義姉はプロテスタントなのだけど、何か困難があってを祈る時は「主よこの困難を取り除いてください」ではなくて「私にこの困難を乗り越える力をお与えください」と祈るのだという。

どこか通じるところがある考え方なだなと個人的には思っている。

現在の母の信仰

熱心だったうちの母も、往時ほどには活発に活動していないし、「最近学会池田教にみたいになっていて嫌だ」とこぼすこともある。

私にこぼすどころか、同じ地区の会員らにはっきり「先生先生といって、池田教みたいになってることには抵抗を覚える。牧口先生戸田先生尊敬しているが、池田先生私たち信仰を導く同士であって、信仰対象ではない。私の信仰対象日蓮大聖人であり、南無妙法蓮華経であって、池田先生ではない」ということを伝えて活動している。

からっつって別にそれでハブられたりすることもなく、仲良くやってるようだ。

今は離れて暮らしてるので、母体のしっかりした、善人の多いコミュニティにいてくれて安心だなーと思ってるところすらある。昔に比べて会自体マイルドになりつつあることもあるだろう。

多様性真逆からな、折伏なんやって。

母は亡くなったら友人葬学会員葬儀スタイル。特段にお金はいらないと記憶している)で送ってほしいということだから、この前帰省した時、地域の取りまとめしてる方にご挨拶をして、実際にことがおこったとき誰に連絡して、どうすればいいのかという話をきいておいた。

葬儀屋の方も心得てるし、我々にも「しょうてんぎ長」(だったかな? 漢字わかんない)っていう係の人がちゃんといて、ネットワークがあるのでまったく心配ないとのことだった。

事前にどうすればいいのかわかんないとアワアワしそうだし、その話はきけてよかった。

公明党

公明党については…そもそも新進党がどうのみたいな紆余曲折も幼心に疑問ではあったのだけれど、大学のころくらいは、政党として悪くはないんじゃない、まっとうなんじゃないくらいには思っていた。

でも連立が長引くにつれてそういう気持ちは消えた。

チラッと書いたけど投票もしてない。

親はしてると思ってるけど、私は入れませんとか言って老い彼女を悲しませるのは本意ではないので、口では「入れてるよ」と言っています

ちゃんについて

スピーチ演説はめちゃくちゃうまいなという印象。

創価中・高増田はその内容の中身のなさを看破していたが、なんか普通に「キング牧師は言った! ○○と!」みたいな引用でも抑揚のつけ方、話し方がすごくうまくて、声にも不思議な魅力・よさがあると思う。

教えより何より池ちゃんスピーチ(中身がないのに説得力があり魅力的)が一番カルトっぽい。

こういってる私も昔の池ちゃんスピーチ新年勤行会でプレイバックしてるのきくとなんか感動してしまう。

ただし会館を出るころにはさっぱり忘れてしまうのだが。

やっぱここまででかい宗教になったのはひとえにこの人の力であり、この人を先生先生と言ってる限りはカルトのそしり免れ得ないのだろうな~と感じる。

そこがうちの母なんかが納得いってないとこなんだよな。

学会員メンタルについて

一般社会と同じでいろんな人がいるとしか言いようがない気がする。

ヤフコメで、「自分二世だけど、自分努力して成し遂げたことも、家族にはすべて「ご本尊様のおかげ」で済まされてしまい、自己肯定感が著しく下がった。今はそんな実家距離を置いてる。大嫌い」、みたいなことを書いてる人がいて、あーなんかこれ学会の人超言いそう、コメ主の気持ちはなんとなくわかるなと思った。

うちの母も「あんたがこんなにいい子に育ったのは私がご本尊様に祈ったからよっ! 子どもがほしくてほしくて祈ってできた。信心のおかげでさずかった」とよく言っていたから。ていうか今もいってる。

しかし私は、自分のあげた成果(たいしたことはいっこもない)を母に「ご本尊様のおかげ」と横取りされたと感じたことはない。

いつだって私自身をすごく肯定して育ててもらったなーと思っているし、今もほぼ全肯定でいてくれるありがたい存在から、私も母のことについて、できる限り肯定的でいたいなと思っている。

母が子を授かりたいと思って祈り、さずかり、育てながらやはり絶えず祈ってきたというのはただの事実であって、そこを否定する気持ちはない。

そういう経緯で生まれて育てられてきたこ自体も含めて私なんだろうなと思うし、それが嫌だなと思う気持ちはない。

全然関係ないけど、7年くらい前、長崎旅行友達に買ってきたお土産ミニよりよりを母が勝手に食べてしまい、わるびれもせずに「あんまりおいしくなかたった」と言い放ったことに対して、めっちゃ怒ってしまたことがあったんだけど、最近それをよく思い出しては胸が痛くなる。

なんであんなに怒っちゃったんだろう…別にいいじゃん、それくらい。

鎌倉より京へは

地元の会員さんが絵手紙に凝っていた時期があり、4年くらい前の誕生日に、色紙にあじさいの絵と『御書』の一節を書いてくださったことがあった。

うすあおく、うすむらさきでもあるあじさいの花にかこまれ、こう書いてある。

鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日あまり歩みを運びて、今一日になリて歩みを差し置きては、何として都の月をば詠め候うべき」

日蓮が書いた、新池左衛門尉への消息文より)

信仰思想信条にかぎらず、「途中で投げ出すなっつーに」というのは、いつだってどんな局面だってシンプルに心にしみる言葉だなと私は思っていて、いただいてとてもうれしかった。

色紙は実家に大切に飾ってある。(結局自分ちには飾れないっていうオチ

2022-07-14

anond:20220714094742

30人いたら10人〜15人くらいはそうやろ。2,3人は少なすぎ。広とか宣とか正と入ってたら大体そう。

ブコメで「命名料高そう」って見たけど無料やで。まあバリエーションがそんなにある訳でも無いんですが。

ちゃんの好物やからやね。サッポロポテトとかのときもある。あれは高校倉庫在庫があって池ちゃんからの配布支持が出たら取りに行くんや。教員職員生徒会なんかはたまに賞味期限切れそうなお菓子もらえるで。

というか7月やねんからかき氷の話思い出せや。創価7月かき氷や。倉庫に置かれへんから大変やねんぞあれ。

たまにふらっと学校きたりしたらそりゃもうお祭りよな。原点認定されてお前らの人生この出会いを大切にしろーって言われる奴。

年何回かの幼稚園東西校結んでの中継で海外来賓招いて名誉教授授与式したりスピーチしてもらったりした後に池ちゃん独演会な。内容は増田の書いてる通りトルストイとかゲーテとかドストエフスキーとかホイットニーとか、まあその他諸々の詩人哲学者セリフ引用して勉強しろいじめするな平和が最高読書しろ親孝行しろ!って言う奴。お陰でちょっとその辺の人物には詳しくなったわ。

今はもうほとんど人前には出ないけど、東京校とか創価大学には現れるみたいな話は聞くな。ほんまなんやろか。

ちゃんの一番嫌だったところ。ピアノが下手。

なんか事あるごとにピアノ弾きたがるんだけど、左手がずーーーっと同じ位置なんよ!!!和音で一拍ずつじゃーんじゃーんじゃーんと弾くんだけどずーっと同じ。右腕の方は拙いけどまあ頑張ってますね位の引き方するせいで不協和音がすごい。何が創価シンフォニーだよ(ここ創価爆笑ギャグ)

創価といえば学会歌の指揮とかい扇子踊りだと思ってる人、本質ピアノですよ。


俺も似たようなネットで真実知ったアナーキー中高生活してたからなんとなくシンパシー勉強はできたか勉強会(創価の)で「池田先生は勉学第一って言ってるけど君ら全然勉強してないよね???」みたいな話して場凍りつくの好きやったわ。それでも同窓会行ったら有名企業とか銀行とか医者かいから中高時代勉強なんか当てにならんわ。

まあ良い学校だったよ。いじめ全盛期だったけど見聞きする範囲では無かったし。不登校はいた。

ブコメにあるような「家族破産一家離散!」みないなやつは別世界に感じる。

創価中学創価高校の思い出

自分典型的学会2世で、2000年代前半に創価中学創価高校(創価学園)に通っていた。

最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。

いかんせん20年近く前のことなので中学高校混同してたり不正確かもしれないけど許して。

受験

地元の5歳ほど上の代に創価中学合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。

そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ

受験

前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry

当日は携帯本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。

お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。

通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。

俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。

入学式

創価学園だからといって必ずしも池ちゃん接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

普段は会館で見る衛星放送映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。

うちもカーチャンテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。

ちなみに俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。

あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。

かっぱえびせん

入学式卒業式ほどじゃない節目イベントときに池ちゃんからメッセージ差し入れが届くことがあった。

終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。

コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。

何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。

かっぱえびせん感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。

唱題部屋

創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。

校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室本尊があった。

体育会系メインストリームなひとたち(サッカー部野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。

かに生徒会とかの意識の高い優等生自発的に空き時間に唱題しに来てた。

ちょっと記憶あいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズド場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。

休み時間サッカー

創価学会とあまり関係ないが印象深い思い出がひとつある。

小学生のころ休み時間サッカーをするのが好きだった。地域サッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。

中学入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。

当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通思春期10代だった。それまで接した創価学会大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこ学校に進んだ意味ないじゃんと思った。

唱歌

創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。

休み中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。

唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。

1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixOriginal Mixみたいな。

いわく5番が一番大事だそうで、5番だけがちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?

これを書きながらググった歌詞見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間記憶すごい。

ちゃんネーム

創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃん子供名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。

ちゃんネーム割合結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。

創価大学への推薦

中学卒業してエスカレーター高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。

確か条件が5段階評価の平均と、欠席・遅刻日数だったかな。

成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったか10回まで、みたいな感じだった。

自分創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。

成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。

体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。

ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者サッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。

総合的な学習と池ちゃんスピーチ

創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日会合で池ちゃんスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。

総合学習みたいな時間にはその聖教新聞クラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんときと同じようにA5の便箋感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry

ちゃんスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)

「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチ定番のやり取りで、勉強しろって説法をするとき引用しか言えないのかこの人、と常に思っていた。

他には「戦争悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめ人間100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法理論言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。

「いついつの会合スピーチめっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。

哲学者の道

創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。

中学ロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかに学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報全然出てこない。

最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道

ちなみに近隣の武蔵野美術大学白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。

白梅学園バス停前後創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議朝鮮大学校に関する記憶がない。

終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学学祭に遊びに行ったのは楽しかった。

VIPスレ立て

悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレググる結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレ元祖だと思う。

校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。

生徒や先生たちの宗教観

基本的には学会二世しかいないので、典型的創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。

一方俺はネットde真実ゴリゴリにこじらせていたので、普段からちゃん創価学会懐疑的スタンス公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。

ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。

なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生いたことが印象的。

一方で先生頑迷な人が多かったように思う。一度英語先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん

現代文のH先生

基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。

やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。

ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。

あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。

スクールカースト

平等平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカースト存在していた。

今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。

ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー雰囲気があった。

不祥事

不祥事っぽい出来事もあった。

世は前略プロフィール全盛期、同級生メジャー勢の女子前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティー写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。

停学になったメジャー女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売世界に入ったり、様々なよう。

疲れたのでこのへんで。またなにか記憶の扉が開いたら書く。

追記

履歴書学歴呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。

転職もしつつ順当にキャリア年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。

2022-07-08

死んでるのか生きてるのかどっちだよ

池田先生の話ね

2021-10-02

統一協会騒動で思い出したが

池田先生ってまだ生きてんの?

2021-06-04

anond:20210604233236

「こんなに感動させてくれるすごい人(フレディ)が寄付しようと言ってるんだから寄付はいいことに違いない。だってこんな感動させてくれるすごい人なんだから。うおおおおおお俺も寄付するぞ!」という心の動きがある

「こんなにお世話になった立派な人が信仰しているんだから創価学会は、池田先生は素晴らしいに違いない」と同じ

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