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はてなキーワード: 『私の男』とは

2024-08-17

anond:20240816194315

だいぶ違うけど、桜庭一樹『私の男』ちょっと思い出した。あるいは『ベルセルク』のガッツの義父ガンビーノか。

 

低学年の局部をじっくり見たりイジったりする点で義父氏の小児性愛趣味は明らか。

が、その義父からすれば、血の繋がってない姉妹保護し養うのに、何か見返りがないと辻褄が合わないので、姉との性的結合や奉仕合理化した……とも考えられる。

そうだとしても、許される行為ではない児童虐待だが。

 

最初暴力的ではなく、言葉で説得して自ら行為をさせているところは、罪悪感なのか知能犯なのか、家族という体を維持したかったのかはともかく、狡猾我慢強い印象を受ける。

学校保護者として抗議するのも成功していたようだ。

ただ、その先に、貴女妊娠させたり、暴力振るったり、他の友人だか取引先にウリさせるのは余分で、愚かだ。

何かそこで仕事がうまくいかなくなる事件があったのかもしれない。

よくよく考えて見ると、義理の娘を仲間や取引先に売らせる男というのは、どう見ても集団内の下っ端で、舐められてるように思える。

仲間との飲み会で「うちには昔のオンナが置いていった、いつでもやれる娘がいる」など口を滑らせて、「じゃあ俺にもヤラせろよ」という話になったのか、「おいおいそれは犯罪だぞ、黙ってるからヤラせろ」かもしれないが、いずれにせよ下に見てないとそういうことは言われないだろう。

すると、そういう下っ端男性仕事を回してもらうのに、そのウリ行為必要だったのかもしれない。

 

人間はそれぞれ、神様から配られた手札として、体力、知性、倫理性、経済力などの能力限界がある。

義父氏はもちろん善良で有能な保護者では無く児童虐待犯罪者だったが、彼なりに足掻いて懸命に生きていたのかもしれない。

義父と貴女と妹は、この社会弱者3人が利用しあう共生関係だったのかも。

もちろんトータルで貴女犠牲が一番大きく、虐待され搾取されていたが。

 

ともかく今、貴女と妹が健康で自立して生きていけているのなら、それは大変幸運で良かったと思う。

貴女がこれまで苦労された分、これから幸福が来るように祈ります

2022-04-15

最近読んだBLではない本と、関連BL本・関連するがBLではない本。(ネタバレあり)

 けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。

流浪の月』(凪良ゆう)

 来月辺りに広瀬すず松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。

 著者の凪良ゆう先生BL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。

あらすじ

 主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛け読書をして時間を潰すようになる。

 公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。

 更紗が伯母の家での暮らし限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。


増田感想ネタバレあり)

 ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまストックホルム症候群しか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語

 なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。

 ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実真実とは違うということがわかりました。わたし無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳時間小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。

 まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児可愛い言動性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為のものは生々しく描写されはしないので、虐待描写オカズ化は防がれている。そういう意味では安心

 未成年略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。

 現実にも起こりうる、子供被害に遭う犯罪とその冤罪当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語ネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。

 個人的好き嫌いのことをいえば、センシティブネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年略取の罪を犯したと思ったら実はそいつ小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。

 『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまりきじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せ暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。

 だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。

 事実真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。

 たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身母親や、同僚の子持ち女性自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽辛酸なめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしま余地が読者には与えられている。

 一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解共感彼女拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランスDV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。

 また、他人無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。

 後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意ちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。

 にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説安易共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。


さて、以下は凪良ゆう先生BL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。

『美しい彼』(凪良ゆう)※BL小説

 主人公平良吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。

 そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境ものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。

 凪良ゆう先生BL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズであるイジメ被害者加害者カップリング主人公平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手人間性共通体験についての見方ががらりと変わる。事実真実は違うとはまさにこのこと。

『にいちゃん』(はらだ)※BL漫画

 幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親鉢合わせたことにより、にいちゃん逮捕されてしまう。

 数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃん行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈性的虐待を加えるのだった。


 ほんもの小児性愛者でしか性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群高校生のカップリング虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写ゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である


『私の男』桜庭一樹

 腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父性的関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。

 そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。

 はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児物語だが、やはりこれも事実真実は違う系。ところが真実事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。

 第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。

 私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。

 映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまりきじゃないな。


『つみびと』(山田詠美

 酷暑真夏若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。

 小説しか描けない現実があるとして、実際に起こった事件モチーフに書かれたフィクション小説である

 児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプ社会的弱者物語。著者の山田詠美先生自由女性恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品

 山田先生作品にしては珍しく、リベラル無責任で冷酷な一面が批判的に描写されている。

2015-06-11

浅野忠信二階堂ふみ『私の男』を見た。

浅野忠信二階堂ふみ『私の男』を見た。かなり良かった。ラスト・タンゴ・イン・パリ日本バージョンみたいに思えた。オッサンと少女恋愛というわけで、『レオン』でもいいけど、定番なのかなと思う。映画文学性って、オッサンと少女をいうのが多いなと最近気づいた。それで、女の人の観客には何がウケたのかというと、『アナと雪の女王しか思い浮かばなく、主題から性性がなくなちゃったほうがウケるのかと思った。

オッサンと少女映画は、まず少女役がかわいくてエロいということが第一で、ストーリープロットなどは二の次で、正直言ってどうでもいい。あり得ない設定でもいい。少女が男をわかっていて、色欲や弱さをわかっていて、少女エロさとオッサンの弱さが描かれているというのがいい。映像がきれいであることが第一で、環境映像CMコント連続だと思えばいい。ひとつのシーンで、すごいエロいなあというのが20分くらいあって、あとに続くシーンが何の脈絡もなくてもいい。

自分は、町山智浩さんの映画解説が大好きなんだけど、自分のこういう恋愛映画見方をどう思うか、映画社会に訴えてくるものほとんど無視して、映像がきれいかどうかだけを見ているという見方をどう思うか、町山さんならどういう話をしてくれるのか、聞いてみたいなあと思う。

2015-03-15

眼球

僕の彼女眼鏡っ娘だ。ちょうど映画『私の男』二階堂ふみ氏みたいに。

僕はそういうところが好みなのだけれど、彼女は分かってくれない。

眼鏡なんてカッコ悪いじゃない」というのが彼女の言い分だ。

「そんなことないよ。とっても可愛いよ」と言うと彼女は言う。

「それは外面から見た場合の話でしょう? 眼鏡はとても不便なのよ」


ある日、そのことで言い争いになった時に「じゃ、眼球を交換してみる?」

と言って、彼女は僕のコメカミを押さえた。途端に視界が揺らぐ。

彼女自分コメカミを押して目玉を取り出した。そしてそれを

僕の目の中に入れる。接続には何とか成功したのだけれど

僕の視界は何ひとつとしてくっきりと見えない。


「どう? 近視と乱視現実が分かったでしょう?」

そう言って彼女は持っていた眼鏡を僕に手渡す。「これで世界を見なさいな」

僕は眼鏡を着用する。サイズが合っていないのでいささかきついけれど、

観てみると視界がくっきりと見える。部屋の片隅に置かれていた

アナログ時計の針の動きまではっきりと見える。


そんな彼女が言うんだ。「あら、眼鏡を掛けた貴方って結構イケてるわね」

そう言われたので、僕は彼女の眼球をそのまま装着したままで

暮らしている。「メガネ男子って今トレンドなのよ」と言われたので

僕は自分用の眼鏡を作ることになってしまった。やれやれ、と僕は思った。

彼女は僕の眼球で思う存分世界を堪能しているんだろうな、なんて。

2014-05-20

峰なゆかって例の、男のいじめを取り上げた四コマのせいで女の味方みたいに言われるけど実際は全然そんな事ないと思った

新しく出来た雑誌コラム映画『私の男』についての感想イラストと共に書いてるんだが、

そこで義父から性的虐待を受けているヒロインに対して

ダサい恰好で男の庇護欲を掻き立てるあざといタイプ断じて一方的に扱き下ろした上で

義父の彼女であるライバル美女の方が感情移入出来ると書いていたんだが

それを見てドン引きした

単なる三角関係ならともかく、保護者から虐待被害者に対してどうしてそんなに敵意丸出しになれるんだ?

10歳で引き取った義父から性的関係要求されるなんて地獄じゃないか

とてもじゃないけど男に選ばれて羨ましい立場だなんて思えない

ネタとしてやってるんだと言い張るのかもしれないがそれにしても不快

フェミニスト峰なゆかを評価している人も多いがこのコラムを見たらどう思うんだろう…

(それにしても胸糞悪い作品だな。これが直木賞を取ったとか世も末だな。

映画サイトを見ても『十代とは思えない妖艶さ』とか書いてあるのか…気持ち悪過ぎる。

桜庭一樹って女性だよな。虐待犯罪として描くんじゃなく美化して書いてるとしたら信じらんない)

 
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