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はてなキーワード: ごっこ遊びとは

2017-12-27

ディスティニープランみたいのが欲しい

的中率80%程度でいいから適職を知りたい。

システムが80%を外したので俺の青い鳥は逃げてしまった、という事なら今の人生にも納得できそうだ。

俺が今の人生に納得できてないのは、自分デタラメ直感に頼って適当に生きてきすぎた結果、今ここで俺が人生を公開してるからだ。


折角だから暇なら少し話を聞いてくれ、「暇じゃないから聞かない」ってコメントをして帰ってくれてもオッケー。お帰りはあちらにある「B!」のボタンからどうぞ。

さてと、まずは自己紹介だ。

俺は昭和が終わる少し前に生まれた。少し前ってのが曖昧な言い方になってしまうが、これは文学的であろうとしているのではなくて実年齢を完全にはバラしたくないだけだ。

職業公務員をやっている。

性格最近流行りの「クラスで浮き続けて生きてきて、会社に入っても浮きっぱなしの、発達障害可能性が高そうな奴」だ。

子供の頃の夢はゲームプラグラマー(時期によっては小説家)。

今の夢は何か知らんけど突然お金持ちになってニートになること。

今までに作り上げたゲームの数は入門レベルSTGが2つぐらい。

書き上げた小説は0。

特技は無いけど職場でたまにタイピングの速さを褒められる。パソコン先生ごっこを頼まれることはあるけど、基本的に役に立てないので3回目ぐらいで頼まれなくなる。

趣味アニメゲーム漫画インターネット

典型的と言えば典型的タイプ

雑に見積もって日本人の100人に1人ぐらいはここまで自分とほぼ一致してるんじゃないかな。

将来の職業を決めようとしたことが人生で何度かあった。皆そうだし自分もそうだ。

13歳のハローワーク大学学部選び、就活本番、就活に失敗したあと再出発する時に模索した道。

最初の頃、自分IT関係仕事に就こうとしていた。

子供の頃の夢はゲームプログラマーとさっき書いたたけど、子供の頃は割りと本気でそれを考えていた。パソコンを実際に買ってもらうまでは。

自分プログラムをやっていた時期は3回ある。

まず中学生の頃、パソコン部に入ってゲームを作ろうとした。でも実際はほとんどダベって終わった。その頃に部室にあった本の内容をそのまま手打ちして作った文字通りの入門用STG人生で1つ目のゲーム

次に高校生の頃、パソコン部にまた入って今度はちゃんとゲームを作ろうとした。駄目だった。自分もやる気なかったし周りもやる気が無かった。それでも何かを作ろうと空回りしながら一本作り上げたけど、ほとんどがネットから持ってきたコピペコードスパゲッティキメラで、ゲーム内容も実につまらなかった。そして自分は、ゲームプログラマーになることを諦めた。

だって自分と同じぐらいの年齢で面白いゲームを作っている人が沢山いることを、ネットを通して嫌でも知り得たのだから。彼らの中には小学生の段階でゲーム作りをしていた人もいる。初めて1年で凄いゲームを作る人もいる。自分は合計で4年ぐらいパソコン部にいて、作れたゲームはショボいし、プログラムに使った時間の合計なんて下手すら100時間あるかどうかのレベル。熱意という点においては微塵も才能がなかった。そして、生まれ持った熱意が低いなりにプログラムに没頭できるような数学方面への才能も無かった。とにかくプログラムはよく分からなくて、苦痛だった。ただゲームプログラマーになってみたかったという夢の名残、ある種の意地が少しだけあって、それに他人を巻き込んでクソゲを作っただけ。それを目の当たりにして夢を諦めた。キラキラ業界だけあって、好きでないならやってけないほど辛いだろうなって気がしたしね。

ゲーム方面は諦めたけど大学IT系に進んだ。IT系という括りの頭の悪さから分かるように、今でも自分ITをよく分かってない。その程度の大学に進んで、その程度のことを学んだ。大学のせいというよりも自分のやる気が足りなかったんだけど。

IT系に進んだ理由は、「コミュ障でもできそうだから」「今ITブラック話題から、逆に自分就活する頃には反転してホワイトになっているのでは」「職場プログラム覚えてそれからゲームプログラムに再挑戦すれば一石二鳥じゃん」とか。全く理由がないよりはマシに見えて、実際は一見何も考えて無さそうに見える奴より何も考えてない。意識だけ高い系。

そして自分大学を出て、就活の時になってもIT系ブラックだという噂が絶えなくて、噂を聞いてる内に怖くなって、公務員になろうと思った。

何で公務員になろうと思ったんだろう。

多分、IT系不安定 というイメージの逆を全速力で駆け抜けたかったんだと思う。

ルーチン的な業務を求める気持ちもあったんだろうな。

そう。自分には正しい情報収集能力がなくて、ネット回線の向こうから仕入れることが出来るのは噂話だけだったんだ。


そして、公務員試験に落ちた。

面接グダグダだった。

点数を調べたら笑っちゃうぐらい低かった。

民間は数社しか受けなかった。

面接で失敗しているうちに何だか消えてしまいたくなって、このまま就活を続けたら頭がおかしくなって大学も出られなくなるって気がしたので、とりあえずは大学を出ることだけを頑張ることにした。

うそう、卒論をやっている時に人生で3回目のプログラムをする機会がやってきてたんだ。

卒業必要単位という餌をぶら下げられてのプログラムプログラムを書いて報酬がもらえるシチュエーションIT系に向いてるかどうかを試す良い機会だ。そして、何度もめげかけて、お情けで卒業して、自分はやっぱりIT系は駄目なんだなという確信を得て、大学を去った。

その後はダラダラと公務員試験浪人をして、たまたま相性のいい面接官にあたって公務員になった。

公務員仕事ルーチンワークじゃなかった。

仕事をちゃんと教えてもらえることもほとんどなかった。

何だか全てが曖昧何となく前例主義の積み重ねの成れの果てだった。

エクセル方眼紙体裁だけはシッカリしている事が求められるのに、中身に関しては大分大雑把な世界だ。

書類形式がちゃんとしていることを優先するあまりに、他の多くが漠然とされすぎていた。

そのくせ、書類形式が整っているというのはどういう事なのかということに対してすら、明確な定義前例主義の中に埋もれていた。マニュアルなし。根拠文書曖昧スパゲッティの中で腐りかけ。根拠根拠は多分だけどフィーリング

仕事をしているとたまに【伊集院光によるお祓い説明ハチを箱に入れたか危険だと吹聴して噂に尾ひれがついてから回収するとき駆除料をせびるあの話だ)】を思い出す。

自分がやっている仕事はまさにそれなんじゃないだろうか。

自分がやっている仕事は何かを生み出しているのだろうか。

右から左に何かを運んでいるだけの仕事、それも、それを運ぶことに意味があるのかどうかすら曖昧仕事なんじゃないだろうか、時折そんな不安がよぎる。

そういう時に、民間企業であったのならば「お金が入るならそれでいいんだよ」と言い張れるんじゃないだろうか。

たとえ仕事意味を感じなくても、その仕事で身についた技能が他の会社で応用できるのなら、そのために頑張ろうと思えるんじゃないだろうか。

公務員仕事は、その職場を出たら使えない。

何の役にも立たないだろう。

謎のルールに従っている集団の中に混じって、そのルールを一緒に真似するごっこ遊び意味はあるのか。

マナー教室と称して、自分たちバラまいたアンチマナー地雷回避方法を教えている集団と大差はあるのだろうか。

自分はこの仕事に向いていないという不安がいつも付き纏う。

ならば、どういう仕事が向いているのか。

それが全くわからない。

表題はそういうことだ。

80%の的中率でいいから何者かに自分の適職を教えてほしい。

そしてその適職当てをしたシステム責任転嫁をして生きていきたい。

自分が、噂や印象に振り回されて意味の分からない道を迷走した果に人生まるごとを迷路に投げ込んでしまったなんて事実を目の端に入れて生きていくのにはもう疲れた背中を向けてしまえば、むしろ見えなくなった事で不安が増すのだ。目の端に入れておくのが一番楽なのだ。でもそれは比較的楽なだけで全く楽とは言い難いのだ。



寝る時間なのでこの辺で切り上げる。

「ああ全くお前は実に公務員向きだよ」とブコメしたい方はあちらの「B!」のボタンからどうぞ。

2017-11-27

anond:20171126222045

配慮というのは、

自分がされたら嫌な事をしないということ

自分がされて嫌じゃない事だとしても、他人が嫌がる可能性について想像力を働かせて、どちらの感性を優先すべきか客観的判断し、場合によっては譲歩する柔軟性を持つということ

この2点に考えが及ぶことを言うと思う。

 

 

たとえば一緒に暮らしてるのに、風呂に先に入った時に湯船の中で体をこすりまくり、水面に垢がびっしり浮かんでいる状態で出てくる。

それを何度注意されてもやめない。毎日イライラげんなりしながら垢を掬っている他人気持ち想像しない。

 

たとえば自分勝手に間食した後の食器自分で洗うまではいいが、下手糞すぎて、洗った皿にべとつきや食べカスが付着しているケースが5割以上。結局こっちが洗い直す。

しかも水切りカゴに元からある食器を片付けることを一切せず、その上にドカドカと積み上げていくから乾いていた皿もまた濡れてしまう。また毎回シンク生ゴミが張り付いていて流しておくこともしない。

そういう惨状にも関わらず、自分では十分に元通りに片付けたと思っている。

 

配慮ができない人間というのはそういう振る舞いをする。

だいたいの原因は脳にある。洞察力の欠如だ。面倒で気づかないふりをしているというよりも、本当に気づいていない。

なんなら、気づいていないことを「豪快で細かいことを気にしない俺」のようにポジティブに捉えている。

他人に対しても、世の中に対しても、自分の体のことや自分が行った契約についてさえ、知ろうとしないまま生きている。

そういう盲目姿勢を崩さないほどに独善独断的で、自分判断を疑わない性質

それが災いして配慮できない人間になる。

その結果失敗して叱責されても逆ギレするばかりで、学習しない。

あらゆる所作について、PDCAを回すという概念がない。

 

そういう人間公害に等しい。他人時間や金を奪い続け、精神や肉体の健康を奪い続ける。

自身精神を害するほどの過剰な配慮必要ないが、コミュニティの中で他人と生きる以上は配慮不要になることはまずない。

あるとしたら、あらゆる見解の相違について漏れなく言語化して感情的にならずに話し合える、インテリメガネみたいな集団においてだけだ。

そうだとしても議論が頻発して煩雑になりすぎるからふつうは暗黙のうちに配慮する部分のほうが多くなる。

一方、配慮に欠けた人間は、一切言葉コミュニケーションを取ろうとしないで、世間的な感覚とはズレた俺ルールに基づく行動を押し通してくる。

報告・連絡・相談をしようとせず、それでいて自分の思うとおりにいかないと怒る。

 

そうなってしまう原因の一部は、生活習慣にあると思う。

とくに、遊びの機会の欠如が疑われる。どちらかというと、大人の遊びではなく、子どもの遊びとされるような種類の遊びの習慣が重要だ。

ビデオゲーム攻略したり、アニメマンガ映画ドラマ読書のようなフィクションに深く感動したりする機会を一切もたず、それらに興味すら抱かなくなった人間は思いやりを失いやすい。

ゲーム攻略することは、試行錯誤PDCAの繰り返しであり、洞察力を養い頭の回転を早くするのに有効だ。

フィクションにのめり込み、楽しむためには、自分と異なる価値観もつ沢山の登場人物のことを理解しようと努めなければならない。

そうした洞察の積み重ねがあって、はじめて作品に感動できるものだ。

それが出来ないようになると、作品鑑賞を楽しめなくなり、足が遠のくのだろう。

 

遊ばなくなるから脳が鈍るのか、脳が鈍るから遊ばなくなるのかは定かではない。後者かもしれない。

だとしたら、脳への刺激のない日々を繰り返しているせいで、公害をふりまく無配慮迷惑人間になっている可能性がある。

たとえば、起きて仕事して飯食ってテレビバラエティをぼけーっと見て寝る、休日テレビ見てるだけ。

ガッツリ遊んだ旅行したりすることはもう何年もしていない。そんな感じの人がそうなるのだろう。

とくに中年以降で出世せずにルーティンワークの事務肉体労働をするような人は危うい。

脳がそういう状態になる前に、いっそ仕事を辞めて遊びのエリート転向させていたほうが、本人や家族QOLが向上するケースは少なくないように思う。

しか経済的問題に加えて、本人が遊びに消極的というか、娯楽に興じることをバカにしているケースが多いように思う。

人類を発展させてきた技術の多くは、知的追求という名の遊びによって生まれてきたと言っても過言ではない。

そして人間が生きる意味も、多くの人にとっては、楽しむこと=脳への刺激を与えること、だと思うのだ。

私の感覚では、日本人が「お仕事」と言っている作業の少なくない部分は、そうした本質的な遊び(=人類にとっての仕事)から外れた「ごっこ遊び」のように思える。

私がベーシックインカム必要だと思うのは、こういう状況の是正を期待するからでもある。

話がだいぶそれたけれど、長くなりすぎたのでこのへんで。

2017-11-23

anond:20171123065418

大人になってもぬいぐるみごっこ遊びをやっている人は是非YouTubeで話芸を公開して欲しい。

メジャーになればマイノリティであることの悩みから解放されるかもしれない?

共働きなどの理由で両親が家にいない時間が多く、

子供から目を離しがちになると問題になるのが、

ごっこ遊びがなかなかやめられないことだと思ってる。

普通は親に見られて恥ずかしいから、自然卒業していくんだけど、

見られてなければ、恥ずかしくないしやめる理由がなくなる。

 

かくしてぬいぐるみに布団掛けて会話した後

一緒に寝るオッサンが出来上がる。

ぬいぐるみに声当てるときは変な声出すんだけど、

それ以外で人と喋るのが困難になったりと

ごっこ遊び留年弊害はかなり大きい。

2017-11-15

物語虚構ファンタジーってみんな好きなものだと思ってた

最近SNS上とかで漫画とか小説おすすめすると「ファンタジー苦手…」とか「物語はあまりハマれない…」みたいな反応がある

自分は昔からそういう物語虚構ファンタジーが好きで小説やらアニメやら見るのが好きだったのだが

意外にそういうの無理な人って多いのかな?だとしたらその理由とか知りたい。

ちなみに自分がそういったものが好きな理由としては、子供の頃からレゴ砂場遊びでごっこ遊びしてた回数すごく多かったことが有力。

2017-11-13

ごっこ遊び

2歳の娘がやたらとごっこ遊びをする。お医者さんごっことかおままごととかお店屋さんごっことか。自分はノリが良くないと言うか、上手に相手ができない。自分も2歳くらいの頃はこんな風に遊んでいたんだろうかとすごく不思議になる。

4〜5歳の頃に保育園でお母さんごっこが流行っていたのは覚えているのだが、自分はいつも赤ちゃん役とか犬役だった。そもそもリーダー的な子がお母さん役やお姉さん役をするようになっていたので自分にお鉢が回ってくることはなかったのだけれど、もしやっていいと言われてもお母さん役やお姉さん役をやりたいとは思わなかっただろう。ただ泣いたりワンワン言ってればいい赤ちゃん役や犬役は気が楽だった。

自分も2歳の頃は積極的ごっこ遊びをして役になりきっていたのか、それとも娘は今後お母さん役やお姉さん役を勝ち取るような自分とは全く違うタイプの子に成長するのか、気になる。

2017-11-08

先週の連休

72時間だっけ?やってた番組は、何をしてて、最終的に何がしたかったの?

え、結婚式ってホント結婚したの?ごっこ遊び

見てた人楽しかった?

あの人達のことが好きだったファンに向けて発信されてた番組だと思うから、私は見なかったし、ファンが楽しかったって思えたんなら良いと思うけど、ごめん、正直言うとTwitterトレンド占領されてるのは、あんまり気分良くなかったわ。

ネットテレビから出来たんだろうな。

またやるのかな。

多分次回も見ないけど。

2017-10-07

夢か現か、幻か。

面と向かっては誰にも言えないような、自分たち世界の話。馬鹿げた三文小説のような、稚拙で安っぽいものかもしれない。けれど自分たちにとっては本当にあった事だ。

幼い頃から自分の中にはたくさんの人間(今思えば別の人格とも言えるような、あやふやだけど確かに存在すると思っているもの)が居る。遊ぶのが大好きな明るくちょっとやんちゃな人。本を読むのが好きなおとなしい人。気が弱く、ちょっとたことで泣いてしまう人。ごっこ遊びが好きで、いろんな物語好きな人音楽が好きで、特に歌うことが大好きな人。怒りやすいけど言いたいことははっきりと言う人。大人のような知的で冷静な行動をとる人。日々をぼんやりと、俯瞰するように見つめている人。心優しく、他人大事にする人等。とにかくいろんな人いた。

そんな人たちが、自分身体を通して物事を見たり、感じたり、表現したりしていた。主に行動していたのは優しい人と物事をはっきりと言う人だった。

そうして日々を過ごし、普通の日々を幸せに感じながら成長していくはずだった。

そんな中、ある出来事きっかけに優しい人が殺されてしまい、自分という世界からいなくなってしまった。たくさんの人たちが驚き、嘆いて悲しんだ。その中でも物事をはっきりと言う人が一番取り乱した。優しい人と物事をはっきり言う人は双子のように特別仲が良かったからだ。殺される原因となった出来事を憎み、その出来事を起こした人物や、それを見ていて放置した人々を殺したいほどの衝動に駆られた。それを見た他の人はどうにかその怒りを外に出さないように、変わるがわる表に出て、怒りを誤魔化すように他人と会話をしたり、怒りを鎮める行動をとったりしてどうにかしようとした。

しかしそれが、自分という人の行動そのものしっちゃかめっちゃかにして、次第に他人から倦厭されるようになった。頭のおかしい人だと思われていった。

それを目の当たりにしたはっきりと物事を言う人が、ついに耐えきれなくなって、周りに当たり散らした。当時はそのおかしさ故にそこそこいじめられていたため、それに報復するような形で怒鳴ったり物を投げつけたりと、今思えばなかなかに酷い行動をとった。猜疑心に駆られていて誰も信じず、また誰にも頼ることもなくなった。

そうしていくうちに、友達と呼べる存在は少なくなっていった。

ある日、急に糸が切れたかのように、朝起きれなくなっていた。何もする気が起きず、ずっと携帯をいじっていたり、ぼうっと天井を眺めていたりした。

そうしていくうちに、睡眠障害になり、うつ病になった。自分世界の人たちも疲れきっていて、ただ黙っていた。主に活動していたのは周りを俯瞰するように眺めている人と、はっきりと物事を言う人だった。しかしはっきりと物事を言う人は、優しい人を失くしたショックで絶望していた。全てが色を失ったかのように、無気力に過ごした。

次第に自分世界に居た人々は少なくなっていき、今は両手で数えるほどになった。

今はそこそこ回復しつつあるものの、自分世界人間はやはり安定しないままで、話し方も雰囲気もころころと変わってしまう。おそらく他人から見たら相当に奇妙な人だと思われているだろう。

このままではどこにもいけないし、生きることすら難しい。

主に行動していた優しい人の残した傷痕が深く、何をするにもその出来事を思い出してしまい、まともに息すら出来なくなる。

色々調べていたが、イマジナリーフレンドや解離性同一性障害という言葉に行き当たったものの、自分たちはそういうものではなさそうだった。

じゃあ何だと言われれば何も言えなくなってしまう。

果たして自分たちは何者なのか。そればかりを考えて、今日も答えが出ないままだ。

確実に言えるのは、これから先は生きていけそうもないことだけ。毎日湧き出てくるような希死念慮とそれを誤魔化すためのネットサーフィンをして、生ける粗大ごみの如く、駄目人間として息を潜めている。

支離滅裂な上に長く読みづらい文章だけど、どこかに自分たちのことを書きたくてたまらなかった。創作でもなく、実際に感じたことだけが頼りで、記さなければ形すら得られないからだ。

こんな駄文を残すことをどうか許して欲しい。

2017-10-03

[] #38-1「危ないアニメ

物事にはラインがある。

おっと、変なボケはやめてくれよ。

ガイドラインや、ボーダーラインかのことだ。

是非を判断する上では重要な線だな。

でも、その線をひくのは所詮人間

時には明確に可視化されず漠然としていて、統一もされていないことも多い。

なのに、その状態恣意的に決められることも珍しくない。

じゃあ、もしも抽象的なテーマに対して、そんなことをしてしまったらどうなるか。

今回はそんな感じの話だ。


以前どこかで話したが、俺たちの町では『ヴァリアブルオリジナル』というアニメ流行っている。

深夜放送から人気に火がつき、ゴールデン放送するほどになった。

だが、必ずしも良いことばかりではなかった。

本作はバトルもありのシリアスもありの作品だったのだが、深夜放送のままの表現では難しいと上から判断されたのだ。

まり事実上リブートを余儀なくされた。

例えば暴力表現はなくなり、容赦なく死んでいた登場人物たちも敵味方モブ含めて全く死ななくなった。

そのほか、登場人物達の言動もかなり抑え目なものとなり、ビジュアルもかなり変わっている。

あと国際色豊かになったらしい。

……異世界舞台であるファンタジーもので「国際色豊かになった」って言われてもピンとこないが。

それに元あるものをわざわざ変えてしまうというのも、別の意味冒涜的な気もするんだがそれはいいのだろうか。

第1シーズンからファンである友達は、放送当時かなり落胆したとボヤいていた。

そんなことをスタッフの一人である父に言ったら、「不自然修正を後で追加される位なら、文句絶対に言われないレベルにしてやろうとしていた」らしい。

まあ何はともあれ様々なもの配慮したアニメなんだなと俺は認識していたが、それでも問題が浮上しないというわけではなかった。


弟いわく、友達のシロクロが発端だという。

シロクロも『ヴァリオリ』に熱中しており、よく自分住まいごっこ遊びに興じていた。

こいつはお世辞にもごっこ遊びが似合うようなナリではなかったが、まあアニメをどう楽しむかにそんなことは関係ないよな。

そんなシロクロの様子を、同居人ガイドは訝しげに見ていた。

「くらえ、チョウナ・ブーメラン!」

「なんだシロクロ。その珍妙デザインブーメランは」

「『ヴァリオリ』に出てくるイセカっていうキャラ武器だ!」

「ああ、そういえばそんなアニメあったね」

手斧ブーメランハイブリッド性能を持っているんだ!」

何だかすごく危なそうだけど」

安心しろイミテーションだ!」

「あー……シロクロ? 居候の身であるボクが偉そうなことはあまり言いたくないんだけど、イミテーションからって人に向かって投げるのは自重してくれよ。特にボクには」

大丈夫責任は俺が取る!」

「そういう話をしているんじゃない」

「どういう話をしているのか分からないが、まあ分かったよ。じゃあ、ウロナの武器で遊ぶ!」

「ウロナってのも『ヴァリオリ』のキャラ?……って、それ弓じゃないか!」

「ただの弓じゃないぞ。こうやって足で固定できるんだ。すると両手で弦を引ける。すごい勢いで放てるってわけだ!」

「おい、だからボクに向けるな!」

「矢尻は吸盤だぞ?」

「だから、そういう話をしているんじゃない!」

「どういう話だよ」

まあ、子供(?)の微笑ましい風景だ。

だが、この状況を微笑ましいと感じない人間が出てくる。

彼らにとって、クレームを言うのには十分な理由だった。

(#38-2へ続く)

2017-09-16

インターンって誰が得するの?

誰も得しないよ。

何も出来なくて学生気分で来月や再来月には消えてるような奴に教えられる仕事なんてそうそうあるかよ。

アルバイトレベル仕事しか教えられねえよ。

教えるのにも工数がかかるんだ。

完璧マニュアルがあって、それを完璧になぞれば仕事になるような仕事なんてほとんどねえよ。

新入りに回すための仕事を作ったり、仕事仕分けて、教えるのにかかった手間なんて戻ってこないと割り切ってなんとか仕事を回すんだ。

そんな事やってりゃどっかでただの作業員なっちまう学生も出てくるだろうよ。

簡単じゃねえんだ。

意味のある仕事を作るってのは簡単じゃねえ。

そのやり方を教える奴が来月には居なくなってますじゃそれこそ難しい。

まともな仕事なんてインターンじゃ分からねえ。

それじゃその職場に入って1年後にどういう生き方してるかなんてイメージ出来ねえ。

お互いにな。


そもそも職場雰囲気なんてインターンじゃ分からねえよ。

職場の本番は定時が終わってから始まるんだ。

定時までの職場雰囲気なんて一回見学すりゃ分かる。

それじゃあインターン学生が定時の後にも残るかって言うとそんな事はねえ。

あっちゃいけねえ。

インターン残業しまくったので学業が疎かになってきてますなんて奴はいらねえよ。

二足のわらじを履くのが下手な奴と一緒に仕事なんてしたくねえ。

少なくとも俺の職場じゃ複数事柄を同時に回すバランス感覚がねえ奴は駄目だ。

となるとソイツはインターンの段階で面接足切りって訳だ。

インターン学生の側がどういう奴なのかも半年ぐらい働かせねえと分からねえ。

最初のうちの借りてきた猫みたいな状態じゃ駄目なんだよ。

お互いにな。

上辺の遠慮がなくなってからが本番だ。

その本番を見ねえならただの面接とそう大差があるのかって話だ。

仕事は分からねえ。

雰囲気もつかめねえ。

じゃあやる意味がねえじゃねえか。

インターンなんて誰がやりだしたんだ。

ごっこ遊びももっとマシだ。

余計な仕事をお互いに増やして何がしたいのか。

日本的だよな。

無駄工数を増やして人生無駄にして何がしたいんだか。

まあ、インターンなんてやってる会社に入る奴は馬鹿ってことさ。

1年2年がっつり様子を見るなら話も変わるがな。

2017-07-23

自分こそが真の○○Pである、と名乗るのはまあご自由にどうぞ、って話だけど

そういう奴に限って「俺と違うやり方のヤツは真の○○Pではない」ってのをセットで言い出すのはなぜだ

ミリシタの○○を認める/認めない奴は真の○○Pだとか、そうじゃないとか)

だいたい、ゲームCDライブフィギュアガチャ()か、あるいはそれら全部に適当に金突っ込んで

あとはせいぜい絵とか文章とか書いてるだけのごっこ遊びのどこに真のプロデュースとやらが絡んでくるんだよ

あんまり笑わせんな

2017-07-20

Splatoon 2 は何が変わったか

Splatoon 1 とは何だったか

GEO で Splatoon 2 のダウンロードカードと Pro コントローラを買ってきたので Splatoon 1 がいったいどのようなゲームだったか区切りをつけてみたい。

Splatoon 1 を遊んでいると、インクを塗ることで自由な行動範囲を広げているような気がするが実際はあまりそうなっていない。

2014 E3 のこの動画。開発者インタビューでは次のような要素が紹介されている。

https://www.youtube.com/watch?v=F05Kp1_-_vQ

”ヒトで撃って、イカでアクションの幅が広がる。インクを塗ることで行動範囲を広げるって目的があって、行動範囲を広げたあとに、イカになって塗られたインクの状況にたいして様々なアクションをする。”

インクは通常の弾丸と違って見ることができるので、角の向こうからインクを撃っているのを視認すると敵の存在を事前に察知することができる。”

インクを塗りかえて道を分断すれば、敵の進路を壊して戦略をつぶすことができる。”

E3 で初めてこれをみたときSplatoon は本当に独特に感じられた。独自のアクション、独自の戦略があり、ほかのシューティングゲームとは一線を画しているかのように思われた。実際に発売された製品は、はたしてこれらの要素を満たしていただろうか。

インクを塗ることでしか到達できないような場所が意外なほど少ない。そして塗り広げたとしても、そこではイカのアクションもほとんど要求されない。さらにイカ自体のアクションも、かなり幅がない。多くのステージでは、裏とりのための細い通路を壁登りから侵入するが、そこから到達できる場所は大部分がヒトの状態でもたどり着けてしまう。塗ったところで裏とりの細い通路から小規模な空間前進するだけであって自由ではない。ステージ構造に戦略をあまりにも誘導されすぎている。たしかに動ける範囲は拡大しているが、そこを起点にどのルートを選んでもいいような自由な選択肢は少ない。塗ることによる行動範囲の広がりは円形が望ましく、できれば高さの概念があればさらに良い。細長い棒状ではない。

Bバスパークの中央高台が楽しいのは、そこがイカの固有アクションである壁登りを、かなりの高さがあるゆえに X ボタン連打を含めて行う必要があるだけでなく、いったん登ったあとはそこから周囲を見渡してどの方向へ進むか判断できる自由があるからだ。モンガラキャンプ場が味気ないのは、インクを塗って行動範囲が広がったとしても、直線的な進軍しかすることがない不自由さがあるからだ。

Splatoon の開発インタビューでは勝敗に関係のない壁を塗る行為はどうすべきか長期にわたる議論があったという。結果として壁が登れるようになり、壁塗りに意味がうまれ、壁を泳ぐことは Splatoon 独自のアクションとなった。だが実際に遊んでみると、壁を塗ることに意味はあるが、塗ることに意味があるような壁は驚くほど少ない。

Splatoon 1 はその基幹となる遊びにたいしてステージの質が追いついていない。

素晴らしい可能性を秘めたシステムにたいしてマップの設計が応対していない。

インクを塗ることで選択できるルートが格段に増え、しかも選んだ道を進むにはイカ固有のアクションが必要で、ルートを進んだ先にも多様なアクション選択肢が用意されている。そんな自由度Splatoon に必要なステージの設計であって、限られたどのルートを選んでもイカのアクションが必要ない普通のシューティングゲームと膠着状態しか楽しめない状況を用意することでは決してないはずだ。Splatoon 1 は楽しいシューティングゲームとしては完成度が高かったが、アクションゲームには成り得ていなかった。インク塗りを起点としていままでには存在しなかった多様なルート開拓され、プレーヤーはその選択肢にイカのアクションで応える。こうした設計のアイデアヒーローモードではすでに実現していた。

ヒーローモードはバトルのための入門用、訓練用とされていたが、それはシューティングゲームとしてのトレーニングであってバトルに役立つアクション教科書ではなかった。ヒーローモードには多様なアイデアによるイカにしか出来ない緊密したアクションが散りばめられていたのに実際の対戦マップではそれが全くといっていいほど反映されていなかったからだ。オンラインバトルとヒーローモードは断絶されていた。スポンジ、インクレール、水平の回転軸をもつ動く足場、落下死を誘う反復する網。連続するこれらのギミックに対処するにはヒトとイカの切り替えを頻繁に繰り返さなければならない。磨き上げられた気持ちいいアクションの応酬だ。だがこうした要素は後期に追加されたマップ部分的採用されているだけにすぎなかった。初期、中期のマップはイカのアクションの幅が少なすぎた。タチウオパーキングヒラメが丘団地はまだいい。塗るべき壁が多く存在し、それぞれに意味がある。どの壁を塗るべきか選択を要求してくるからだ。そして高さがあるため、戦闘が立体的になる。すべてのステージには高さの概念があるが、それは侵攻を阻止するためだけのものであり、戦闘を立体的にする構造でなかった。ただ、既存の多くのマップではいくつかの箇所で立体的な戦闘を誘導しているものの成功には至っていない概念がある。

それは金網だ。有利な場所に到着するには金網のうえを渡らなければならない。あるいは有利な場所そのものが金網の場合もある。リスクとリターンの関係があり良さそうに思えるが「インクを塗ることで行動範囲を広げるって目的があって、行動範囲を広げたあとに、イカになって塗られたインクの状況にたいして様々なアクションをする」この要素のいずれもが金網のうえでは無効化されている。アクション性が全くないにもかかわらず Splatoon 1 では金網を渡るよう強制するステージが多い。ここには手応えがない。金網はたいていの場合、足場としてしか使われていない。デカライン高架下では柵が金網になっていて通行するのにイカのアクションが必要だが、こうした金網の使い方はほとんどない。

Splatoon 2 ではこうした不満が解消されている。スポンジやインクレール、回転するイチョウ切りの壁といったギミックが初期マップから採用されている。

これらのギミックインクを塗ることでルート選択肢が大きく増える。そしてどれもイカのアクション必須だ。インクレールはイカになることで走行できる。レール上のどの地点から降下してもいい自由があり、勢いをつければ驚くほど大きくジャンプできる。インクレールを起点に行動範囲が大きく広がった。プレーヤー選択肢が大きく増えた。戦場は新しい高さを手に入れたことで戦いはより立体的になった。たった一箇所を塗るだけで、その後の可能性が大きく広がった。これが Splatoon の本来あるべきステージ設計だ。

ギミックを使わない例もある。海女美術大学では敵のリスポーン地点に侵入するには貝の形をしたオブジェに飛び移らなければならない。ジャンプの性能とオブジェ位置絶妙で、勢いをつけてのイカジャンプが必要となりプレーヤー精度のあるアクションが要求される。他にも単純な壁登りで侵入できるルートもあるが、こっちは微妙だ。Splatoon 1 のヒーローモードではジグザグに壁登りをしないと倒せないボス戦があったが、壁登りの途中で横移動が求められるステージはあまり多くない。そういった構造を導入してもいいと思うのだけど。

インクは通常の弾丸と違って見ることができるので、角の向こうからインクを撃っているのを視認すると敵の存在を事前に察知することができる。” これは Splatoon の非常に素晴らしい点だ。だがこの要素もマップ構造が邪魔をしている。Splatoon 1 のマップは窮屈すぎる。

Splatoon の魅力は圧倒的なわかりやすさだ。Bバスパークの中央高台に登る価値があるのは単に射撃に有利というだけではなく、戦況を確認したり敵の姿をいち早く発見できる場所だからだ。しかしホッケ埠頭のようないくつかのステージでは道幅が狭く、巨大な障害物が大量で、死角が豊富にあり、視認性が悪くなり、出合い頭の戦闘が非常に多い。3D マップ自由自在に走り回るのではなく、適時あみだくじの上を進んでいるかのような気分になる。なぜこのようになっているか色々理由がありそうだが、ひとつは GamePad を頻繁に確認するよう促すためではないかと思う。死角を増やすことでひと目見ただけでは 8人のプレーヤーがそれぞれどのように動いているのか分かりづらくなる。死角を徹底的に増やすことでプレーヤーに GamePad の地図を逐次見るように誘導しているのではないかWii Uハード特性を活かすためだ。だがジャイロセンサーを使えばカメラを凄まじい速度で回転させられるので、いったん前線を上げてしまえばそこから侵攻する敵はマップよりも TV で確認したほうが早いし、上位プレーヤーは移動量とスピードが高い次元にいるため 2本程度のルートならひとりで封鎖できてしまう。実際のところ GamePad はどの程度視線を移されているのだろうか。あまり多くないのではないか。それとガチヤグラルールによる理由も考えられる。ガチヤグラはタワーの位置によってホットスポットが連動するが、おそらくは防衛側有利にするためか狭い通路を通過させて集中砲火をさせやすくなっている。これは膠着を招く。

こうしたマップ構造は 2 ではかなり少なくなっている。

視認性だが、一部の遮蔽物がガラス製になったことで向こう側が透けて見えるように変化した。フジツボスポーツクラブの壁は 3月の体験版では普通のボルダリング壁だったが、E3 のバージョンではリスポーン地点に侵入する唯一の経路の壁がガラス製になっている。また海女美術大学では中央彫像展示が、コンブトラックでは左右のクラゲが入ってる箱がガラス製になっている。これによって、やたらめったらポイントセンサーを投げたり、カメラを無理やり壁の向こうに回して様子をうかがったり、臆病になっていちいちマップを見るといったゲームテンポを落とす行為をする必要が減った。敵が TV 画面で視認できたから警戒するのであって、常に慎重になったりあるいは なりふり構わず脳筋プレイ突撃したりする前に十分な考える余地を与えている。つまり鷲巣麻雀の要素を取り入れることで、Splatoon 2 では状況判断がいくらか容易になった。サーマルインクもそれを指向しているし、塗ると体積が減り空間が広くなるスポンジも同様の効果をもたらす。攻め側からすればスポンジを縮小することで視界を広くするとともに敵の取りうるルートを減らし、守り側ではより有利な位置に移動できるようスポンジを膨張させたり、膨らんだスポンジを防御壁としても活用できる。

マップ中央の広さが圧倒的に拡大した。それは平面としても広くなっただけでなく、視覚的にも開放的になった。Splatoon 1 では中央の高台は基本的に狭い空間で、しかも垂直に切り立っていた。中央高台の取り合いを活発にするためだと思われるが、垂直だったため真下の敵に反応するのが困難になっていた。Splatoon 2 では中央高台の空間が広いだけでなく、その壁がゆるやかな傾斜のついたものになっている。Splatoon の視認性の高さが最大限発揮されるようになった。

だが平面的にも視界的にも広くすればいいというものではない。サーモン・ランではむしろ狭く、窮屈なステージを志向している。サーモン・ランは一応オンラインに対応しているが主軸はオフラインモードだ。ボイスチャットを嫌うひとは多いが、実際に集まっての対面プレイなので当然会話による意思疎通を最大限活用するよう仕向ける設計にしなければならない。そのために死角を増やして現在どのような勢力がどの規模できているか分かりづらくしている。足場を狭くして戦闘を激しくしている。夜になったり霧で覆うことでその効果をさらに増やしている。サーモン・ランではプレーヤーの視覚情報量を制限しなければならない。

ヤグラに関する戦闘も変化した。ヤグラはその位置のよって戦闘のホットスポットが常に変化し続けるが、それを特に激化させたいとき開発者は細い通路上をヤグラが通過するよう設計することでそれを実現させていた。だがこれはプレイヤーの過剰なまでの密集を招いた。ヤグラを取り囲む戦闘も参加できるスペースが少なく、それぞれのポジションは凝固し、戦況は膠着した。2 では関門を用意し、インクレールやスポンジを配置することで、横にも縦にもの広い空間という環境下でも、激しさを保ちつつ全員がより多彩な角度から戦闘に関与できるようになった。素晴らしい改善だ。


インクを塗りかえて道を分断すれば、敵の進路を壊して戦略をつぶすことができる」

動画では敵インクの一部分を塗り替えすことでイカダッシュを妨害しているが実際はこのような戦略は成立しづらい。一部分を塗り替えすよりも、全体を塗ってしまったほうが有効だからだ。だがインクレールやスポンジのギミックはあえてそれを不能にすることに意味がある。タチウオパーキングにいる固定チャージャーは自分ポジションに最速で突っ込んでくる左手のレールに常に気を配っていなければならない。敵がインクレールの始点付近にいるだけでレールをシャットダウンするかどうかの選択を迫られる。スポンジも同様である。戦略に選択肢があることでプレーヤーは自由を感じることができる。Splatoon 独自の戦略がうまれてくる。




ハコフグ倉庫ホッケ埠頭、こういったステージは素晴らしい。まずモチーフが素晴らしい。自分の頭の中のアウトロー小学生が「こういう場所にこっそり忍び込んでサバゲーやったり、自分たちだけの秘密基地にしたりしたかったんだよナー!」と声高に叫んでいるのが聞こえる。ヒラメが丘団地もいい。遮蔽物が、なんと室外機や干してある布団になっている。室外機に隠れてたチャージャーに撃たれたりする。すげぇ。めちゃくちゃ団地で遊んでる感ある。めちゃくちゃごっこ遊びしてる感ある。戦闘のためだけに配置されているものなのに、めちゃくちゃステージに溶け込んでいる。それに比べてネギトロ炭鉱はやばい。背景が軍艦島なだけで、実際のマップは全然炭鉱感がない。朽ちたレンガと錆びた金属があるだけ。廃墟としても弱いし、炭鉱の要素がない。例えばボロボロになった生活用品や古い家電が遮蔽物として設置されていたり、かつてガラス張りのドームだった場所が朽ち果てそこらじゅうに植物が生い茂っているような場所なら、機能と世界観が融合しつつ、よりいっそう廃墟感があったのに軍艦島の港という舞台にしてしまったので中途半端になっている。Splatoonスーパージャンプというゲーム展開的にも映像演出的にもインパクトのあるシステムがあるので、完全に屋外か、体育館のような天井の高い場所しか舞台モチーフとして選択できないことになっている。これはステージモチーフとしての多様性に、窮屈な制限を設けてしまっている。これによって逸脱したのがアンチョビットゲームズで、私はこれをみてゲーム開発会社だと言われても正直困ってしまう。このような見た目のオフィスで戦っても、全くワクワクしない。クラゲ社員は階下にいるし、ゲームらしいモチーフも、部屋の隅にアーケードの筐体がポツンと置いてあるだけだ。床を上昇させるとサーバールームのようなものがせり上がってくるが、ファンを撃っている自分自身にはそれが見えない。射線を防ぐために天井からぶらさがってる謎の看板も、これがゲーム開発会社を直接想起させるものではなく、印象がチグハグで、ここがいったいどのような場所なのか截然としなくなっている。ごっこ遊びが出来なくなっている。例えばだが、雰囲気は同様のまま、これが大学図書館だったらわりと良かったと思う。

で、Splatoon 2 だが、わりとイイ感じになっている。ガンガゼ野外音楽堂は障害物が PA機器になっててステージっぽさがよく表現できている。海女美術大学は彫刻用の岩石だったり放置された台車だったり、クラゲの守衛が障害物になっていて雰囲気がある。だけどバッテラストリートダメだ。橋のうえに置いてある謎の木箱は無味乾燥中央橋の下の壁面はオシャレな場所に不釣合いな黒いビニールで全面が覆われている。マップ構造を記号化しすぎて世界観雰囲気が大きく損なわれている。これがアロワナモールではどうだったかというと、塗れない壁はガラスのショウウィンドウだったりブランドロゴが大きく印刷された垂れ幕だったり、射線を防ぐ構造物もヤシの木や看板だったり花壇だったりしてショッピングモール感があった。バッテラストリートは「こだわりのセレクトショップが軒を連ねるこの界隈には、流行の最先端を行くイカの若者が集まるらしい。」と説明があるのにマップのあらゆる場所になぜか運送会社の広告がある。大量にある。運送会社だぞ。運送会社がおしゃれなのか?

https://twitter.com/SplatoonJP/status/856435220693766144

さすがに意味不明からこの運送会社の大盛りっぷりにも理由があると思うけど、Co-op ゾンビモードであるサーモン・ランの報酬としてイカテン急便の作業着が入手できることからクマサン商会とイカテン急便には強いつながりがあると想像している。しかも回収対象の金イクラは設定上、石油のような燃料だというのだからこの運送会社は格安で得られた高出力のイクラ燃料を用いることで高い輸送能力を発揮しているのではないかと考える。というかヒーローモードかなにかで設定を回収してくれないと困る。

そして細かい素材ではなくステージ全体のモチーフについてだけど

インクを使ったナワバリ争いは、

あの世界ではスケボーのような

やんちゃ”な遊びというイメージなのですが」

https://www.nintendo.co.jp/wiiu/interview/agmj/vol1/index4.html

インタビューで言及がある。Splatoon 1 の初期マップはまさにこれを体現していた。高架下だなんて、まるでウェストサイド物語みたいじゃん。すげぇ良いじゃん。だが後期に追加されたマップリゾートだの、美術館だの、キャンプ場だの、健康的な大衆レジャーに成り下がっている。おいおい。イメージが壊れる。Splatoon 2 の初期マップでは健康的な印象のステージと、不良的な印象のステージ、半々採用されている。だがもっと極端にしてもいいと思う。アップデートで追加されるステージも、おそらく健全モチーフと不良モチーフがセットで増えていくと予想している。Direct ではアップデートで追加される帆船ステージが一瞬映ったけどパッと見た感じ従来型の狭くて窮屈なステージみえる。不安だ。

UI はかなり改善されている。これは開発者が実際の競技シーンをよく把握しているということだ。海外の野良トーナメントをみていると「dynamo dead, dynamo dead」と、しきりにやり取りしている。不憫でならない。やられたら「Nice」を押すのも慣習となっている。Splatoon 2 ではこうした意志の疎通を解決している。敵の使用武器は上部に表示され、死亡すると this way が ouch... に変化する。

任天堂には新しい構造ゲームをつくる際立った高い開発力はあるが、そのコンセプトを活かすステージの作成についてはバラツキが多すぎる。マリオサンシャインの「ふしぎせいぶつ マンタ しゅうらい!」は神がかり的な面白さなのに「村の裏のヒミツ」ありゃ一体なんだったんだ? 任天堂アクションゲーム界の KING であり続けているが、Splatoon 1 はイカのアクションを活かす場面が少なく、普通のステージで戦う「めちゃくちゃ分かりやすシューター」の域に留まっていた。だが Splatoon 2 ではマップ構造改善され、そのデザインが秘めたポテンシャルが発揮され、シューティングゲームアクションゲームの高度な融合が実現している。プレーヤーの行動には自由があり、戦闘の激しさは膠着から混沌へとその姿をより楽しいものへと変えた。

Splatoon 2 の大手海外批評サイトレビューを確認するとわかるが、彼らはジャイロコントロールをまったく使用していない。そんなものだから信憑性がなくなるのだ。そして Splatoon 1 の発売後インタビューで、ディレクターの阪口さんは「ラスボス戦のあとに響いている不気味な環境音の正体について教えていただけますか?」と質問があったのに明確な答えがない。ありゃ一体なんだったんだ。

https://www.youtube.com/watch?v=OhHRmToy500

Direct や体験版を遊んで得ただけの情報による着目だが、これが本当にそうなっているかは、数時間後に配信される Splatoon 2 が証明してくれるはずだ。

2017-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20170506092221

まあ本気で言ってるわけではないんでしょうが、そのためのお金はどこから出るんです?

資源もなく、少子高齢化がここまで大問題になっているこの国で…

アメリカ抜きで防衛? どうやって? 

明治富国強兵植民地政策ですから。それを繰り返せるとでも? この現代で?

ちょっと浮き世離れしていますよね。

幼児プラモデルでやるようなごっこ遊びならともかく。

日本のような資源を持たない小国に取れる手段は限られており、

未来もそこまで明るくはありません。

ただ、次善の策の中を傷つきながら継続していくよりほかないのが現実です。

2017-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20170502083638

第三者イベント声優本人がコスプレイヤーとして参戦してるってことがあるんだろうか?

声優ライブなどでキャラ衣装を身にまとうのは、俺はコスプレだとは思わないし、ファンコミュニティでそういう表現をしているのを聞いたことはない。

コスチュームプレイというのは、ファンキャラ自分を同一化して楽しむごっこ遊びだと思う。

一方で声優さんたちの認識としては、雑誌などのインタビューを見る限り、だれも自分キャラを同一視はしていない。

二人三脚のように寄り添いながら二次元側と三次元側で支え合う、という感じ。

あくまで別の個人として、似た所は喜ぶし、違う所からは学んで、その架空個性に敬意を払う。

役者として衣装や髪などを出来る範囲で寄せるのも表現の一手段にすぎない。

はじめから外見の同一化を目的とするコスプレとは違うからキテレツな色のウィッグとか被る必要もない。

それでも十分で、その辺をよく理解してるファンだと「○○が△△ちゃんに扮してる」じゃなく「△△ちゃんがそこにいる!」と感じ取れるものだし。

まぁ、下手にキャラと年齢の近いような若い子が声を演じてると、そのへん割り切れずに高望みできる気がして逆にコスプレ感が目立つのかもしれないね

2017-03-18

ダテコーが不憫で仕方ないか擁護させて。

ダテコーの事をよく知らない人や見下したい人ばかり寄ってたかってると感じる。

 

ダテコーは、ネトゲでいう、「ちょっとLVも装備も足りてないけど変わった攻略法を試したいから付き合ってくれる人募集!」ってシャウトしてるPTリーダーみたいな人だと思う。ネットで叩いてる人は、その「ゆるい募集」を見ずに入ってきて、自分では絶対にPTを立てないけれど、入ったらリーダーの指揮とかメンバーの振る舞いの至らなさに悪態をつく、他人への要求が高すぎる人と被って見える。ダテコーがやっていることは、メジャーで洗練されたビジネスライクな効率PTとは違う性質のもの。仮にてさぐれ部活もの以上の大ヒットを当てたとしても、ひねくれ者のダテコーは大手制作会社のような作品は作らない気がする。自分の信じる「ゆるさ」や「面白さ」を表現するために、永遠にチープでマイナーもの、悪く言うとキャストスタッフ視聴者好意に甘えた、アットホーム感のある作風にこだわりそうだと私は感じる。そして、そういうスケールアップをあえてしない道は、茨の道だけれどもアリだと思っている。

 

ダテコーはバウンスィという制作会社経営してるけど、アニメ業界の人はほぼいない。カネがなく(資本金350万だよ)、テレビ業界とコネがあり、メンバー構成作家演出家音響技術者くらいの10人少々。アマチュアレベルのMMDに手を加えた3Dモデルを動かす人形劇アニメにもかかわらず、大手アニメと肩をならべて放送枠をとっている零細ベンチャーみたいなもの。だから大手制作会社と同様の条件でやろうというのは無理ながらも、キャストを含め作風共感してくれるスタッフ好意と熱意に支えられて、もがいているチャレンジャーという立ち位置しかも彼はツイートしてるように、キャスト約束した給料は不払いせずきちんと払ってるし(あくま大手制作会社とくらべて安いから申し訳なく思ってるって事だろう)、自身会社設立以来1年間無報酬でやっていて、貯金もほぼないそうだ。局で作家をしていたころは一般サラリーマンの3倍ほど貰っていたらしいが、テレビ局構成作家は3000万稼いで一人前という世界から身を引いた方なので、ベンツを乗り回してみたいなネットの噂で僻んでも仕方がない。ともかく、稼いでいるのに金払いをケチる悪い人間、という風評は悪意的だと思う。

 

彼を追ってきた人なら分かると思うけれど、実際はクソ真面目で、言われてるような声優アドリブ芸や内輪ネタに頼りすぎた作風を良しとせず、脚本音響などスタッフ達がきちんと仕上げて編集する作品作りにこだわっている人。だからこそ、現場がそういうディレクションを軽視して「やっぱ声優さんすげーわ任せるわ」ってなるたびに怒って監督をやめている。職分を超えて、声優負担を増えさせる不健全な状況には敏感な人だ。実際BDのノーカット版などをみた人ならば、編集はじめクリエーターたちのすごさが伝わっていると思うし、最終回の作り方などには、彼の美学を感じさせられる。

 

あのツイッター発言についても、本意と違う悪意的な捉え方ばかりされていると思う。本意としては、自虐的ながらも、「ウチは普通のとこと違うし当然売れないもんだから普通ビジネス感覚でやってくる人とはお互い良くない、俺たちはファミリーが欲しかったんだけど残念だ」くらいのことだと思う。私は別に条件が合わなかった相手disる意図はないと感じたし、その条件が合わなかった人のことを指して「技量がない」と言っているようには思えなかった。このへんはネット西野さんが炎上してた時にも私は思ったんだけど、みんな悪意的に捉えすぎている。「ダセー」だとか「お金の奴隷」は西野さん自身に向けられた言葉だし、自分がお金にこだわって可能性を閉ざすやり方を一部改めたからといって、お金(対価)を大切にする普通の人たちを貶す意図は感じなかった。むしろ西野さんにも石舘さんにも、普通人達に対して理解を示す言葉があった。それすらも乗り越えて、それを用意周到な言い訳とみなし、煽られたように捉えてしまいカチンとくる自意識過剰な人が多すぎるように思う。自分の労働ぶりを自虐的に捉えている人がそれだけ多いのかもしれない。

 

ともかく叩いてる人らは彼を典型的アニメ業界監督だと思って、「こういう奴がいるか業界は…」と感じているようだけれど、ここまで語ってきた文脈を捉えてもらえれば、ピントがずれていることが分かると思う。業界の薄給問題でほんとに叩くべきなのは大手制作会社で、彼のようにテレビ業界とのコネとアイデアで飛び込んだベンチャー社長みたいな人を叩いてたら、余計に業界健全化しないと思う。カネはないけどツテとキャストスタッフ好意に上手に甘えつつ、アニメ業界に切り込んで新しいカタチを提案していく、そういう立ち振舞は資本力のある大手には許されないけど、ベンチャーとしては参入が許容されてしかるべきだ。そういう遊びを許容しないと、市場新しい風は生まれない。もちろん、労働法範囲内でだけど。そこは実際にはおそらく問題ないのに、彼が自虐的な言い方をしすぎるせいで、問題のある労働が行われていると勘違いさせている。新しい風と言ったけど、低予算のMMDアニメだとか、リアルタイム3D人形劇先鞭をつけたのはダテコーだし、実際人を選ぶけどファンはついてるわけだよ。キャストだって、弱小ゆえの至らなさやダサさをネタにして監督をイジる事は多々あれど、ツンデレというか作品監督も基本愛しているように思う。そういう文脈を捉えてない人や、一般企業で安くこき使われてる人たちの怒りが、ダテコーというアニメ業界を代弁できないイレギュラー存在に矛先を向けてしまった。本来アニメ業界大企業のおエライさん方に向けるべき正論を、辺境の霧の中にぶちこんで無駄にしている感じがする。ダテコーの言うことは、クリエイティブの、しか不安定ベンチャー分野で通用する、熱意の方向性に関する局所的な話なのに、クリエイティブ業に携わることも、ベンチャージョインする人脈や熱量とも無縁な性質の勤め人たちから、「一般常識」で殴られている感じが、見ていて本当につらい。

 

堀江貴文さんなどもそうだけれど、内面がクソ真面目すぎるせいで強い思想をもち、世間から見ると変わったことをやっていて、世の「普通」に一切媚びない人種の方々は、無頓着からすぐに炎上してしまう。何に無頓着かって、自身のやってきた文脈を一切とらえずに一般論に基づく感情で殴りかかってくる人たちに「誤解」されないための言葉選びや長ったらしい自己説明をまったくしない辺り。そういう異能たちが、出る杭だと叩かれてノーマライズされる方向に圧力が掛かるのは悲しいことだ。

 

それはさておき、私はダテコーのような新興の弱い買い手が、背伸びをせず等身大報酬しか出せないけども、その弱さを隠蔽せず、詐称せず、そして契約強要せずにいる姿勢はとても誠実だし、ホワイトだと思う。「ウチは小さいから相場ほど報酬あげられないけど本当にいいの?考え方に賛同してくれるとかじゃないとやってけないよ?」と正直に言った結果、断られ続ける。それは愚痴りたくもなるけど、むしろ倫理的には賞賛されるものだと思う。取引は双方の合意があって成立する。そのことを売り手(被雇用者)に常に自覚させ、選択権を与え、冷静に賢い判断をしてもらうことは重要なこと。売り手側が考えるまでもなく、お利口な買い条件しか提示しない、良い所しか見せない企業ばかりだと、判断能力が育たなくて恐ろしいし、画一的いびつ、非現実的だと思う。経済的に未熟な企業から成熟した企業まで、さまざまあっていい。経済的に未熟な企業はどうしても無い袖は振れない、これを理解せずに「相場を払えないなら経営するな」という人ばかりだと、誰もPTリーダーをやらなくなる、もとい起業しなくなる。もう少し、柔軟性があってもいいはずなんだ。「ボッタクリでも時と場合によっては買うぜ」って人が稀にいるのと同様、「多少安売りしてでもこの会社この人とならコラボレートしたい」という希少な人の存在を、「賃金」のポリコレ棒で生まれる前に消滅させてしまってはいけないと思う。最低賃金だとかダンピング防止みたいな例外はあるものの、基本的には、どんな値段をつけるのも自由であるべきで、そっちの基本部分の方を甘く見ている人が多いように感じる。ボッタクリにも理由があり、存在価値がある。だから絶対悪ではない。自分が買い手の場合にそういう考え方ができるのなら、自分が売り手(被雇用)側になったときに同じ考え方ができていいはずだ。自由状態でこそ市場は成長するし、人間としても取引に多くを学び、成長していくんだと思う。市場の失敗が起こるとしたら、大体は倫理にもとる行い、ズルをしている場合。産地を偽ってボッタクリ価格正当化している、とかね。そういう訳でもなければ、一方的にすべての企業に「十分な(平均並の)支払い」を求めるのは、経済理解に暗いがゆえに計画経済的な発想になっている人なのかなと思わせる。イラストレーターの買い叩きとかクラウドワークス的なのが批判される時、企業もっと払えと言う人がその無理筋ぶりに無自覚なのと同じで。

 

話を戻すと、彼を叩いている人たちは、経済的に未熟な企業を許さないんではなくて、ダテコー側が倫理的に未熟な企業だと思いこんで叩いているようだ。もちろん倫理的に未熟な企業ということなら、市場の失敗をもたらすから零細でも大企業でも許容されるものではない。ただ、その判断をするのはネット野次馬ではなく、労基署とか公的機関だけれどね。今回のダテコーの件の場合、ダテコーの側は経済的には未熟な企業だけども、倫理的には叩かれるほどの問題はないと思う。若い零細クリエティ企業としてはむしろ身分相応で卑屈すぎるくらいで。これがワタミのような余裕のある大企業で、そのくせ相手判断させる余裕も与えず洗脳に近いことをして雇用するのだったら大問題となって然りだけれど。

 

あと、叩いている人たちに感じた疑問がもう一つあって。そもそも、一企業が、従業員を養う責任を負うのが当たり前のように思われているけど、重すぎると思う。そういう考え方をしていると、日本の労働環境はいつまでたっても全体的にブラックなままだと思う。企業はおのおのの身の丈にあった、妥当な配分を労働者に与えればいい。それで足りない場合、国が負担する。それはナントカ手当だったり、ベーシックインカムだったりしてもいいけど。そういう考えが前提になってほしい。経営者だって人間だし、完璧ではないし不安定存在だ。会社が小さいうちは、自分の人生ですら支えられるか分からない。経営者若い事が多いし。だからもっと柔軟に、雇用区分だとか時間を変えてワークシェアを進め、流動性を高めて、一企業人生を預けるようなとんでもない常識を変えていかないといけないと思う。労働フォールトトレランス分散型に。

 

他人に求めすぎる悪態ネトゲプレイヤーがPTにありつけなくなる問題の解決策は、PTリーダーに対する期待値を下げること、あるいは気楽にPTを立てれる空気をつくることだ。そういう考え方が出来る人が少しでも増えて欲しいと思う。人生はしょせん、すべてがごっこ遊びで、全ての人がなんらかのロールを演じているにすぎない。お仕事も、特に日本人お仕事は、お仕事ごっこだ。そんなに崇高に考えて、他人に崇高さを求めてもどだい無理なんだ。もちろん、実際に崇高度が高くて「強い」企業の横暴には敏感になって良いけれど、相手の顔が見えないネットからこそ、相手ももしかしたら弱い人間なのかも、と想像することはとても大事なことだと思う。慈しみを。神のご加護を。

 

もし、これが増田から本人乙とか関係者乙と穿った見方をする人がいたとしたら不本意なので、一応自己紹介すると、私は中部地方に住む32歳職歴なしのニート(家事手伝い)です。

http://anond.hatelabo.jp/20170317155716

はてなには実際にロリィタをやっていた人間は少ないだろうから、何か書いてみます

自分が一番ロリ服着ていたのは2000年頃〜、今は着てないけどまぁまぁ監視してる感じの30代。

今も残っている初期の写真は服も顔も見るも無残だったけどなんやかんやで雑誌に載ったこともある、そんな増田です。

元増田さんは中学生の時から今まで、ネット上でよくある完璧もの以外許さない系書き込みを真に受けすぎかぁ

確かに、太って化粧もまともにできてないような人間ロリィタ姿を晒すのは、ただえさえ肩身の狭いのにイメージを落とすからやめろ

というような声はずっとありますが、それって努力痕跡もないような人を指しているのであって、

まともなコーディネートで清潔感適当な化粧と髪型があれば非難されるほど否定されることは無いです。

ロリィタ着てなくてももちょっと考えた方がいいんじゃないですかね…という感じの方が、割といらっしゃるので

そのような方を指すことがほとんどです。

約束だってごっこ遊び延長戦で「この方がロリィタっぽくね?なんかかわいいから言っておこう」みたいなロリィタネタも沢山あるし

オバロリにしたって非難するときに使うというよりは、自虐ネタ寄りだったりする。

若いロリータの方が人口多く見えるとしたら、それは成人はネットで年を隠すからです。

(今一番の問題は年齢と考えてるんだろうけど25歳はメーカーアイテムちゃんと選べば本当に大丈夫。全く大丈夫

そう言った本音というか、日常側の感覚って実際に人と触れ合わないとなかなかわからなくて、

ネットで調べれば調べるほど、彼女たちがネットで演じてる「かわいいロリィタごっこ」が全てに見えてきてしまうように思います

雑誌ネットで目立っているような上のロリィタには成れないかもしれませんが、

中の下レベルあればロリィタのお友達を作って仲良くなるのには問題はないです。


あと元増田さんは他のロリィタさんからの目を気にされているようですが、ロリィタ自体嫌いな人は一般人は多いので

どんなに可愛い子でも、街を歩けば「ブサイク」「きもい」などと言われますので、気にしてはいけません。

基本的に好奇の目で見られるような行為です。そこにロリィタとして可愛いか可愛くないか若いか若くないか関係ないです。


元増田さんはメルカリ中古を買おうとしたと書いていますが、もし買ってみるという一歩が踏み出せるのなら

絶対にお店に行って試着して全身コーデしてもらって買ってください。

たとえ、家で着てみるだけで外に着て行く気が無くても、です。

衣装じゃ無くて洋服ですから、ちゃんと合うものを着ないと当たり前ですが似合わないし可愛くないです。

似合わない服を買ってロリィタが似合わないと判断するのは間違いでしょう。

普段着ロリィタ服を買いに来る人は全然珍しくないですし、予約制のショップもあるので

元増田さんのことはお客としか見てない店員さんに、誠実に服を選んでもらうことができます

できれば10万くらい用意して、アンダーから靴まで完璧に選んでもらえれば、失望しないで10年の思いに応えれる姿になれるんじゃないでしょうか。

「私かわいいいい!」じゃなくて「以外と普通だな」って思えたなら、それはちゃんと着こなせてるってことです。

(安物代用品は着慣れてて解ってる人じゃないと危険


ロリィタ服は金を出せば買える、楽しくて可愛くてバカみたいでおかしな目で見られる服です。

思い詰めるほど崇高でも特別でもないです。

元増田さんはロリィタ以外にも色々押し殺してしまってそうだから、ぜひとも一歩踏み出して欲しいです。

2017-02-01

正当化されるいじめ

いじめがなくならないのは、「こいつなら嫌がらせしてもいい、

こいつへの嫌がらせは正当だからいじめではない」という意識が原因だと思う


小学生の時おなじ学年にいた女子生徒A

彼女は1年生の時からごっこ遊び」とかすると絶対自分お姫様、他の人は家来とか勝手に決めるタイプだった

よって、Aへの仲間はずれ行為正当化された

Aは次第にグループの輪から外れていって誰にも相手にされなくなった


私の場合は5・6年生の時同じクラスだったが、

仲良しグループの誰かがAに話しかけられているのを見ると

他の誰かが「●●ちゃ~ん! こっち来てー」と呼んでAと話さなくても済むようにしていたし

「なんで話しかけてくんのかなw」と陰口を言っていた


それでも先生に頼まれ遠足などの班に「入れてあげる」と

自分ナントカカントカの国のお姫様なの、と幼稚園児みたいな自慢話…


当時からいじめ啓発は行われていて、よく先生にも言われた

「この学年にはイジメがある。仲間外れにするのはイジメだ」

でもそう言われてもたいして反省はしなかった


仲間外れにされるのはAに社交性がないからだ。私たちがやっていることは「距離を置いてる」だけで「イジメ」じゃない!!!


というのが小学校時代の私の心理


しかし今、ニュース子ども自殺した動機を見ると

給食でひとりぼっち」「遠足の班決めでは最後まで残され」

全部Aにも当てはまる

そしてそういうとき、私はいつも見ないふりをしていた

何故か先生に「Aを仲間に入れてあげて」と頼まれるのはいつも私のグループだったが

先生が言うまでAには絶対声をかけなかった


そう思うと、私たちがやってたことはやっぱりイジメ


でも、今小学校の頃に戻って、それでもAに優しくできるだろうか?

Aは子供じみていて

幼稚園生みたいなウソの自慢話ばっかりして

クラスメイトみんな彼女を避けているから、

避けずに接するだけで懐かれて友達だと思われる

ついでに動作もいわゆる「キモイ」感じ


もし自分の子どもに、そんな人とどう付き合えばいい? と言われたら、なんて答えたらいいんだろう

もし自分の子どもが そんな人 になってしまったら どうしてあげればいいんだろう?

2016-12-28

母が精神を病んだが私の知ったことではない


頭が悪いこととか、人を思いやれなかったりとか、見識が狭いことは罪だと思う。
培うことができなかった経験の多さから閉ざされきっている世界観を、
たとえ家族であろうと他人に押しつけてストレスの原因を振りまくのは罪だと思う。

かつてまだ幼い頃、家庭内での身体的・精神的な暴力で消耗しきった自分は、
まともに家族と話すことを「諦めていた」。やりとりできるのは音の振動だけだと気づいていた。
子供ながらに、「言葉」が通じても「話」や「思い」は通じていないことを察していた。
まだ10年前で小学生の頃のことと思い出せるが、本や学校がなければおそらく死んでいたと思う。

から、いま思い返せば「説教」ではなく「ストレス発散」であるそれに付き合わされて、
完全に黙り込んでいた自分に対して、母親はよくこう言っていたことを覚えている。
自分が悪いってわかってるから何も言わないんでしょ、さっさと認めろ、それは単なる『嫌がらせ』だ」と。
何度も何度も言われた。そう思い込んでいると表明している母親に対して、私は絶対言葉を返さなかった。

いま、母親はなんの病気なのか知らないが精神に異常を来たしている。詳しくは知らないし知りたくもない。
母親意味のある言葉ほとんど話せない。すべて駄々をこねる子供のようにうなるだけ。父のイライラもわかる。
でも、何もできないというわけじゃない。家事はいつもどおりこなしているし、本当にダメではないことに気づける。

何より、私への悪口説教じみた言葉暴力、嫌味だけは妙に流暢な口調ではっきりと言う。
本当にそういうことを口にするときだけ、以前の母親と大して変わらない顔と声色を見せるのだ。
まり母親は私への「暴力」で「ストレス発散」しているのだという確証が取れたのだ。

なので私は、母親病気のフリをしているのだと確信している(本当かどうかは知らない)。
あれは単なるごっこ遊びであって、実際は普通に会話もできるのだとわかる(繰り返すが知らない)。
あんな風に日々うなっているのは、心の病気ではなくて「単なる『嫌がらせ』」なのだと知っている(知らない)。

仮に本当に病気であるとして、それでも、それでも、母親は『嫌がらせ』をしているだけだ!
本人に言ってやりたい! 何も考えず並べたひどい言葉だけで心をへし折ってやりたいと、強くそう思う。
いわゆるインガオホーである。いつか裁きはくだるし、もしかすると現在進行系でくだっているのかもしれない。

ああ、本当に腹が立つ。しかし私は、蛙の子は蛙と言うように世間一般と比べたら不出来な頭だけど、
あの母親よりは絶対に賢いので無闇な暴力には走らない。無視するだけだ。道端の蛙を無視するように。

この世に許してはならない悪があるとするならば、それは「他人を思いやれる心」がないこと、
まり「心の余裕をつくれないほどに頭が悪く知識も見識も狭いこと」であると思う。
人は生まれながらにして悪というわけではない。かといって善くもない。まずその基準が誤っている。
ただ、「出来の悪い淘汰される側」と「出来の良い淘汰する側」に分かれているだけだ。

母親が淘汰される側であるから、私もまた淘汰されてしまうのだと思う。
本当にやるせない。お先まっくらであるおしまい。生きるのつらい。帰りたい、許されたい。
こんなことは誰にも話せないけど、誰かわかってほしい。切実に。

2016-11-30

昭和時代だけど、アメリカホームドラマ「お前の名前はマゴット」っていうのが人気だった。

拾われた捨て子がマゴットという名前を与えられて家族として過ごすっていう話。

で、ごっこ遊びでそれを真似するのが流行って、「お前の名前はマゴット」→「おまマゴット」→「おままごと」と略して言うようになったんだ。

という与太話を考えたんだけどどうかな。

2016-11-19

真面目に悩んでいる。

男性仕事で会話するのは問題ないけど、恋愛関係になるのが本当に無理。

AVとかエロ画像見るとグロいって感想しかない。

お互いこんなグロものとよく合体できるなと感心してしまう。

大学に入るまでは男性を好きになったことがあったけど

その相手と何かをする自分が好きだった。

相手には申し訳ないけど、脳内ごっこ遊びするのと変わらなかった。

恋愛関係を築きたいと思ったことがなかった。

最近では男性握手するのも無理になった。

ジャップオス()が嫌いなだけかと思ってたけど、

海外男性相手でも握手とか触れるの無理ゲーだ。

女性相手に対しては男性よりはいいなと思う程度だけど

こちらもスキンシップは極力回避したい。

女性相手恋愛関係を築きたいと思ったことは無い。

自分一体何なんだろうって何回も思っている。

克服したいとかは思わないけど生き難い。

こんなこと周囲に相談できんし、同じような人はいないものか。

男性だったらどうにでもなれると思うけど、

女だとやれ結婚だのうるさいったらありゃしない。

から回避策考えないといけないのめんどくさい。

2016-10-04

アイマスの捉え方

こんなブログ発見して、ああなるほど外からはそう見えるのか、と思ったわけで。

http://voya.hatenablog.com/entry/2016/09/22/110841

この人の捉え方は

自分プロデューサーという立場担当アイドル恋人(とははっきり言わないけれども、かなりそれに近いような)関係になる」という奴

だ。そして超解釈すると、そういった職権乱用的な邪な振る舞いを、オタクは無邪気に受け入れているように映るのだろう。

現実にそういった邪な現象が多発していることを知ってると尚更、度し難い設定だというわけだ。

 

オタクというものは得てして、虚構現実を上手に混同して楽しむのが上手い。

それと同時に、現実のクソな部分、ドロドロした部分は冷徹無視するのも上手い。

現実のドロドロした業界を背景とした大衆アイドルに興味もなければ、ゴシップのような下世話なネタも嫌う。

からそもそも現実アイドルプロデューサーがうんぬんという話自体、あずかり知らぬオタクが多いのだろう。

耳に入ったとして、そういう世界と、自分たちの愛する作品世界は別モノだと受け止めるはずだ。

仮にその疑念を拭えなかったら、エロ同人誌のネタにでもするところだろう。

そしてコンテンツの側も、オタク感性に沿ってキレイ世界演出する。

オタクの間ではシモの部分を描いたアイドルもの成功しないという共通認識すらあるくらいだ。

アイマスは題材的に、業界要素に触れざるをえないコンテンツではあるが、

アニメなどで触れたとしても、上層部とのビジネス方針対立だとかポエムバトルだとかで、

あくまで「美しい世界」の範疇だ。性的堕落・腐敗を描いてリアリティを出そうとすることはない。

こっち方面オタクが求めるのは、社会派問題提起を含むアニメではなく、

明日を前向きに生きる元気がもらえるアニメからだ。

 

他にも、「プロデューサーアイドル恋愛」を問題としない理由がある。

一般の人には誤解されやすいところなのだが、

そもそもアイマス作品の主目的が「プロデューサー立場アイドルと親密に」というものではないからだ。

ファンの多くは、「プロデューサー立場担当と親密に」という要素を楽しみながらも、

あくまでその要素、展開は「お約束」として流しているように思える。

ではファン駆動させている欲求は何か?

実際にコンテンツに触れていると、プロデューサーという役柄は、

職権を利用して擬似恋愛的な「俺嫁」欲求正当化させるためというよりは、

プレイヤーの「父性」を育てるための側面が強いと感じる。

なぜなら、ゲームの中核となるのは、アイドルいかイチャイチャするかではなく、

アイドルいかに育てる(プロデュースする)か、という部分にあるからだ。

アイドルが、他のアイドルたちと切磋琢磨し、時に仲良く、時にぶつかり合ううちに、

アイドル同士の関係性も深まり人間としても成長し、それがライブという結果に表れる。

それを見て「やったな」とプロデューサーが声をかける、そういう世界観を骨子とするコンテンツからだ。

まあ実際にプレイヤーがすることは雑務的な作業なのだが、ストーリーとしてはそう描かれる。

そうやってアイドルとして成長していく様を見てきたプロデューサーとしては、

そのアイドル幸せにしたい、輝いてほしい、もっと良さを伝えたい、そう思うのは自然なことだ。

言ってしまえば仮想的な子煩悩だが、その欲求プロデュース精神に通じるところがある。

そう考えれば同作がファンのことを「プロデューサー」と呼ぶ理由が分かると思う。

そうやってプレイヤーが「父性」に導かれてプレイをするうち、諸々の課金をするファンになる。

そして、その思いがちょくちょく何かしらの形で反映される――

何かの実装だとか、現実ライブパフォーマンスだとかの形で。そういう循環で成り立つ世界だ。

アイマス世界にいる人間感覚としては、アイドル同士のエピソードは言うまでもなく、

プロデューサーとの関係性についても一線は越えない清く正しく美しい世界を見ている感覚だ。

精々おまけ程度のボイスなどで、アイドルプロデューサーを慕って妄想妄言を呟くくらいで、

基本的プロデューサーからアプローチをしたりするものではない。

ギャルゲー的な選択肢による会話でアドバイス等することはあるけれども、

当たり前だがギャルゲーでいう「攻略完了」の域には行かない。

その辺りのバランス感覚は、経験者なら暗黙的に了解するところなのだが、

そうでない人は下世話な方向に強く推定してしまいがちな所かもしれない。

 

それから声優について。

声優というのは、言うまでもなく現実に生きている人間だ。

感動を誘う演出表現として、キャラ演者シンクロしているような言い方がされることはあるけれども、

ほとんどのファン声優キャラのものとしては見ていないし、声優さん個人個性尊重している。

声優の側も、あくまで、キャラリスペクトを持って、

キャラ現実降臨させるためのパフォーマーとしての立ち位置を望んでいる。

アイドルものアニラジでもそうであるように、本来個性を抑えてキャラに寄り添わせるような空気は一切ない。

しろ逆に、中の人要素がキャラに反映される、ということがあるくらいだ。

また、最近のヒットしたアイドル作品デレマスラブライブに関しては、

キャラ純粋さ・いい子ぶりとは対照的に、中の人たちは非常に芸人力が高い。

これは親しみが持ちやすいのと同時に、中の人アイドル的な上品さを気にしなくてよくなる効果がある。

乱暴に言えば、キャラと同一視して恋するようなキモい人をふるいにかけられる、とも言える。

くだけた言動女子しからぬ振る舞いが許されるというか歓迎される風潮は、良い傾向ではないかと思う。

声優オタク幻想を受け止める」という言い方を否定はしないが、

現代オタクはきちんと声優個人人権というか、センシティブな部分に配慮した上で、

そこに幻想を見いだすという、高度なごっこ遊びをしている者がほとんどだという事を理解してほしい。

2016-09-11

アイドルという遊び

うたの☆プリンスさまっ♪」という作品を知っているだろうか?

2010年シリーズ1作目となるゲームが発売され、翌年アニメ化

そのアニメが大当たりとなりゲーム続編やアニメ2期等が制作され、今年は6年目に突入したコンテンツだ。

内容はいわゆる乙女ゲームで、プレイヤーは登場してくるアイドルたまごたちの曲を作る作曲家となり、一緒にデビューを目指す。デビューを果たした後は彼らとの仲を育みながら、アイドルとして作曲家として共に成長していく…という、説明してしまえば何の変哲もないストーリーだ。

今年の1月にはさいたまスーパーアリーナで2日間に渡るライブも開催され、10月からアニメ4期が放送となる。

この時点で「なんだ、おたくジャンル紹介日記か」と思われたなら仕方ない。

もちろんこの記事うたプリ存在くらいは知っている人を前提に書かれた記事なので、知らない人からしたらどうでもいいことこの上ないだろう。

それでも今、うたプリファンの一人として私はどうしてもうたプリの真髄のひとつ(だと勝手に思っている)でもある「遊び」について言葉にしておきたくてキーボードに向かっているので、もし少しでもこのジャンルに興味がわいたならぜひ知ってみて欲しい。

さっきも説明したけれど、うたプリアイドル恋愛するゲームだ。

シリーズ1作目の舞台アイドル養成専門学校で、一応恋愛禁止だったりする。アニメでもその設定はガッツリ意識されていて、アニメ第1期放送時には「誰も校則守ってねえじゃん!」とまあネタにもなった。

しかし彼らと私たちプレイヤーは、アイドル作曲家という枠の中で恋愛をしていく。

作品大元であるゲームの中では個と個であり、そのストーリーは彼と私(あるいはヒロインである七海春歌)の物語だ。

しかうたプリのすごいところは、「私と彼」という枠組みとは別にもうひとつアイドルファン」という枠組みがある点だ。

一つ例を挙げたいと思う。

シャイニング事務所公認Twitterアカウントうたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/twitter/index.php#.V84vgkjOyk8.twitter

これはシャイニング事務所所属するアイドルたちがやっている(という体の)事務所公式アカウントだ。

このツイッターが始まったのは2012年クリスマスのことで、まずアカウントが出来たところからすごかった。

キャラクターの互いをフォローするタイミングから順番が見事にキャラクターらしさを外れず、キャラクターごとに異なるクライアント写真撮影技術。長期でつぶやくときには、仕事や移動時間まで計算し、どのキャラクターがどの新幹線に乗ったのか特定することだって出来た。

そこには圧倒的な"存在感"がある。

これが大いに盛り上がった。

もちろん、キャラクターツイッター先駆者うたプリだとかそんなことは言わないし(確かスタスカとかの方が早かった気がする)、こんなのスタッフ必死こいて原稿を打ち込んでるんでしょ、と言われたら元も子もない。

それでもそこにはプリンスたちが存在する"リアル"があったし、自分たちツイートと彼らのツイートが並ぶ画面は現実だった。

(だからこそ2016年シャニフェスプリツイに関しては、言いたいことがないわけではないのだけれどここでは割愛する)

そしてここでの彼らと私たちは、完全にアイドルファンなのだ

プリンスたちアイドルは決して恋愛匂いをさせないし、何においてもファンとの関わりを重視する。

ツイートの隙間に、文脈に、ヒロイン存在や自らを投影する楽しみ方ももちろんあるだろう。

しかプリンスたちの言葉は、恐ろしいほどのクリーンさを持った、アイドルたちからファンへのメッセージなのだ

もう一つ例を挙げる。

うたの☆プリンスさまっ♪サマーキャンペーン PRINCE SUMMER!2015|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/prince_summer2015/

これは2015年の夏に行われたうたプリサマーキャンペーンのページだが、その中でもグッズラインナップの一つを見てほしい。

メモリアルフォト」と題されるグッズの説明文には"直筆サイン"の記載がある。

うたプリシリーズキャラデザをされている倉花千夏先生が"撮り下ろした"ビジュアルブロマイドとともに額装された"直筆サイン"色紙。合わせてお値段5,500円+税。

うたプリを知らない人からしたら何を言っているのかと思われるかもしれないが、このサイン入り色紙はプリンスたちが自ら一枚一枚書き上げた(という設定の)色紙なのだ

入っているコメントも種類があるし、もちろん一つとして同じものはない。

私たちはそこにプリンス存在を信じて、5,500円の色紙を買う。

決して安い金額ではないと思うし(下手すると映画が5回は見られる)、キャラクター自体実在しないのにバカじゃないかと言われたらそれまでかもしれないが、私たちにとって彼らは現実を生きていて、そしてその存在を信じるために5,000円以上を費やすことが出来る対象なのだ

そしてうたプリ公式は、それを決して脅かさない。

倉花先生の描くプリンスたちは"撮り下ろし"だし、誕生日記念日プリンス宛に届く手紙は必ずシャイニング事務所へ届けてくれる。

バレンタインには事務所からのお知らせが毎年でるし、ファンレターの宛先もブロッコリーシャイニング事務所だ。

今年の夏に行われたイベント"『Shining Dream Festa(シャイニングドリームフェスタ)』 http://www.utapri.com/sp/shining_dream_festa/ "でコラボレーションした世界デザイナー丸山敬太氏とも、アイドルたちは"相談して"衣装を作り上げた。

私はこの夏感動したのだ。

現実アーティストライブ衣装なども手がけてきた丸山氏がうたプリコラボをしてくれたこと、そしてうたプリ世界観をきちんと意識してインタビューSNSで応えてくれたこと。

私たちの大切にしてきたアイドルたちが、世界存在を認めてもらえたように感じたのだ。大げさと言われるかもしれないが、私はそれが何よりも嬉しかった。

うたプリはこうした壮大な「遊び」を大切にしてくれている。

これは私の個人的な考えなのだけれど、アイドル二次元三次元にかかわらず、その存在自体が究極の「ごっこ遊び」だと思っている。

アイドルを名乗る彼ら・彼女らはステージというフィールドの上で、精いっぱい自らをアイドルとして作り上げる。

アイドルたちも人間から、当然恋愛もするし食事もするし代謝もある。それでもその瞬間は私たちファンアイドルというたった一つの関係だし、それ以上でもそれ以下でもない。

その関係性に夢を見るから、例えばアイドルたちに恋愛スキャンダルがあろうもんなら、裏切られた気持ちになる。ファンの信じる"アイドルと私"という関係性の他に、関係のない人物が"アイドル恋人"という関係性を作り上げているのだから

もちろんそんなこと思わないし、恋人がいたって全然気にしない!という人もいるだろう。

それでも私たち受け手アイドルたちにの関係は、どう頑張っても"アイドルファン"を超えることはない。

アイドルでも個である彼らプリンスと、作曲家でもファンでもある私たち"うたプリファン"。

うたの☆プリンスさまっ♪」という作品は、その両面を楽しむことができる。

もちろん今までだってうたプリのやり方に困惑しなかったこともないし、キャラクターに関する重要情報後出しでぶれたりすることもあった。

それでも私が5年を超えてなおうたプリ応援しようと思えるのは、魅力溢れる楽曲や展開はもちろんのこと、うたプリの作り手たちがプリンスたちの存在を、生きていることを何よりも信じさせてくれるからである

それが揺らがない限り、私は彼らを応援し続けるだろう。

アニメ4期もこれからの展開も、6年目を迎えたからこそ不安に思うことはたくさんある。

それでもそれ以上に楽しませてくれることを祈って、私はこれからうたプリ応援したい。

応援していることが悲しくなってしまうようなコンテンツだけにはどうかならないで欲しいし、何よりも応援したいと思わせてくれるコンテンツでい続けてくれることを私は祈っている。

2016-08-06

シン・ゴジラ福島第一原発その2(ネタバレ

http://anond.hatelabo.jp/20160805000418

さて上記↑のシンゴジラについて長々と感想を書いた増田です。

ブコメがずいぶん集まったので何か書きます

私の意見を要約すると。

・大絶賛の嵐だからこそあえて批判したい。

シン・ゴジラって3・11の震災福島第一原発事故政府対応に重ねてるよね。

シン・ゴジラではイケメンエリート官僚科学者がでてきてかっこよく科学的?に処理したけど

・実際の福島第一原発官僚科学者もブザマに敗北したよね。

・つまりシンゴジラって福島第一原発事故処理に成功した日本政府のIFものだよね。

・これは「第二次大戦米軍に勝利する日本軍」を書いちゃう、こっ恥ずかしい仮想戦記の類の何かだよね。

しかシンゴジラでは自衛隊ゴジラに冷却材(凝固剤)のホースを突っ込むために特攻して全滅しちゃうんだ。

(かっこいいね、いさぎいいね、素早いね決断力あるね)

・でも実際の福島第一原発事故では、よくも悪くも戦後民主主義で人命第一の日本政府はそんな事はさせなかったよね。

退避を繰り返し非正規労働者を大量に投入してゆっくりと泥臭く処理したね。

(状況が進捗しないし、かっこわるいね。でも現実はそういうものだよね。

日本人はそれをこれから何十年も見守るんだよね。)

・かっこよくスタイリッシュ原発処理。

そんなものを描いちゃったら政治的意思表示必要なんじゃないの?

格好いいから描いたですまされないんじゃないの?

というところです。

で、↑のエントリーに集まったDISコメを集めてみました。だいたいこんな感じ。

「僕達の楽しいエンタメ作品であるシンゴジラ虚構)」を(現実)フクイチに重ねるのはやめて下さい!!派

シンゴジラをフクイチに重ねるのは妄想だよ!派)

「僕達の楽しいエンタメ作品であるシンゴジラ」に政治的意図なんかないよ派

庵野はかっこいいから作ってるだけだよ派」

上記はつまり「こども(庵野)がウルトラマンごっこ、ゴジラごっこで遊んでるだけ」

なのに政治的意味合い見出したり回答求めるのはヤメてよ!っていうことなんだろう。

エヴァなんかは「沖縄決戦」パクってごっこ遊びしてもなんでもいいけど。

震災から5年しかたってない2016年に、フクイチを取り扱って子供のふりして許されるわけがない。

逃げまわるつもりかもしれないが、なんらかの政治的意思表明が必要でしょう。

庵野に梯子はずされるぞ」とか言ってるエヴァオタ。

(はどうでもいいです)

ちょっと考えさせられたのは下記のようなブコメ。↓

①「現在でも福島第一原発過酷労働環境で消耗戦だよ派」

現実のフクイチだって頑張って収束させつつあるじゃないか

ゴジラは凍結されただけ。フクイチと同じで収束してないんじゃね。ゴジラ活躍はこれからだ!派


ここらへんは考えたい。

「①現在でも福島第一原発過酷労働環境で消耗戦だよ派」については…

シンゴジラでは泥沼感や絶望感や虚脱感がなかった。これを指摘するのは飽きるけどエリートばかりだった。

軽トラから載せられた日雇い労働者ゴジラ特攻させられる描写」があったらば強烈な皮肉にはなっただろうなと思う。

「②現実のフクイチだって頑張って収束させつつあるじゃないか派・日本現実でも頑張ったし負けてないよ派」

「③ゴジラは凍結されただけ。フクイチと同じで収束してない。ゴジラ活躍はこれからだ!派」

これにはフクイチという重いテーマを扱ったのに、リアリティに寄せることがなかったことへの苛立ちがある。

とくにラスト

ラストに「お肌すべすべの長谷川博己石原さとみが、

次期大統領候補云々について、いちゃいちゃしながら喋ってる」

エンディングだと悲壮感がない。

ボロボロの感じで虚脱状態で「延々続く収束作業を無言で見守る」』みたいなエンドなら伝わったかもしれない。

(これはまさしく、わかりやす政治的意志表示である。)

もしくは、どこかのブコメに「あのまま核攻撃されて東京まるごと吹き飛ばされればよかったのに。」

ってのがあったけど、そうなったらホント庵野信者になったかもしれない。

『「次期大統領候補石原さとみ」というアニメキャラを配置しアニメ的なコメディー会話をさせることで、

ラスト虚構に寄った!これが庵野監督一流のアイロニーだ!』というご意見

↑この解釈はなんだか流行りそうだ。

だがしっくりくる。途中まではフクイチに寄せたが、最後アニメ演出で完結させる。

虚構でした!」「この映画フィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません」

というオチで締める。

なんだろうかこれは。結構毎回やってるような感じがする。夢オチに限りなく近い何かみたいな。

これは「息の長い芸人TVコメディアン」のテクニックとか処世術とでもいうのかな。

と延々DISブコメについて検討しているうちにシンゴジラ否定派になりそうになっている。

ここ2日、創作者ってほんと大変だなと思った。

現実を切り取ってそれを虚構化して、針の穴を通すようにすりぬけて、

ポリティカルコレクトから上手く逃げ切る。

そういう意味でもエポック映画なのかもしれない。

最後感想はやっぱり「シンゴジラはいい、素晴らしい、シンゴジラはいいけど、でもね…。」

に戻るんだな。

ちょっと頭を整理したらまた見よう。

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