「桜庭一樹」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 桜庭一樹とは

2021-09-17

anond:20210831100920

桜庭一樹さんの「少女を埋める」を今頃読み終えて、いろいろ心を揺さぶられる思いがして、この作者の著作を初めて読んだので、どんな人なんだろうとネット検索をしていて、鴻巣友季子さんの評をめぐって議論が発生していたことを知り、ここにたどり着きました。

お二人の「論争」(?)、ざっとたどってみました。一応決着見たようですが……モヤモヤが残りました。

このモヤモヤ感についてこの場を借りてちょっと書いてみますね。

あなたも指摘されているとおり、桜庭さんは、「テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」ということを強く主張されていますね。

でも、そもそもこの言い方が間違いだと思うのです。

鴻巣評の問題のくだりは、「テキストにそう書かれていたかのよう」に「断言」しているかと言うと、そうは断言できないかな、と。

だって鴻巣評のうち、「テキストにそう書かれていた」部分は「 」で括られていて、問題の部分は括られていませんからね。

そもそも評者の解釈だと読めなくもない。もちろん桜庭さんが言い、あなたが代弁するように、客観的にこんなお話だ言っているようにも取れる。

これは絶対どっちかだとは言えない書き方ではないでしょうか。

だとすると、桜庭さんの「テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」という、この言い方が悪手だったかなーと思うんですよね。

鴻巣さんは、この主張にうまく乗っかって、「あらすじとは解釈だ」みたいな誰にも否定できない話に持っていった、

桜庭さんにとっては、持っていかれちゃった、ということになったかと。

それを踏まえてこの二人のやりとりを見ると、「論争」の決着点としては、鴻巣さんが大人対応をしたってところに収まっちゃいましたね。

二人して朝日ちょっと悪者にして、桜庭さんも手打ちにしたのかな?と。

でもモヤモヤが残りますよねー。

鴻巣さんは、桜庭さんが本当に言いたいことは何か、わかっていたと思うんですよね。

わかっていて、そこには対応しなかった。

しろ相手の言い分の、言わば言葉尻をとらえて反応してみせた。だから大人の」対応です。

そう、「不誠実な」対応でした。

なぜなら、そもそもあの作品をあの評文のなかにあいう形ではめ込むことが、あの作品にとって圧倒的に不当だからでしょう。

あの作品あんものではない力を持っているのに、弱々介護の話ってことにしちゃった、ご自分の読みの甘さ、いや読みじゃないかなー、表現力の至らなさかな

鴻巣さんは、自覚していたと思いますだって鴻巣さんですよ)。

……こんなことを想像します。

鴻巣さんは、あの作品を読んで、深く心を動かされた、でもそれを直ちにはうまく言語化できない……でもすごいことはわかる。

評言のなかの「不思議な」という言い方にもそれが感じられます。「不思議」を言葉にするのが評者の役割なのにね。

で、心のどこかに引っかかってて、弱々介護の話を書いているときに、「そうだそうだ」って桜庭作品を取り上げちゃったんじゃないかなー。

「みんなー、頼む、百回読んで」ってことを時評全部使って素直に書けば良かったんですけど、締め切り迫って言葉にできなかったのかな。

どこを切り取ろうと、とにかく取り上げて世に知らしめるだけでも、この作品の助けになる、助けてあげる、応援してあげる、みたいな驕りもチラチラ透けて見えます

この作品にいち早く注目した私、読み巧者よねーみたいなのもあるかも。

(いや、鴻巣さんぜんぜん嫌いじゃないんですよ、私は)。

私は、あの桜庭さんの抗議は要するに、「そんなふうに読み取らないで!ぜんぜん違う!」ってことだと思うんです。

鴻巣さんもそれは感じ取ったかな、と。

問題本質解釈のなかみなんでしょ。桜庭さんご自身も、ツイッターで、そういう怒りを垣間見せていますよね。

でもそのご本人が、ツイッターでこんな書き方をしちゃう

わたし懸念は、私小説として発表されたこ作品の評で、……」

でもこの作品私小説としては発表されていないんですよね(鴻巣さんは「自伝的随想のような」って勝手なこと書いてますけど)。

文学界』の当該号のどの頁にも「私小説」って書いてないもんね。

で、まあ、百歩譲って「私小説」だとしたらどうだと言うんでしょう?

西村賢太さんがどこかで、私小説からって、書いてあることが全部事実だと思う読者はバカ、って言ってた。

ホント? これ、私の解釈ですからね)

でも、あんなふうに、とてもナイーブな書き方をしてしま桜庭さんの思いもジンジンと伝わるんです。

何かこう、わが身の血と肉を自分で食って吐き出すような、そういう格闘の末の作品なんだろうなー、

そういう格闘を、あんなふうに一つの作品言葉で築き上げるってすごいなー、

それを「私小説」って言ってるんですよね、きっと。

そしてその格闘の焦点である母親との闘争和解(?)のギリギリ物語の、

その当の母親についてあんな切り取られ方をしちゃうとなー、そりゃ怒るよなー、って思う。

でも、怒りの焦点は、自分母親虐待人間って大マスコミ公言されたことじゃないよね

私小説と自任して書いているなら、こういう反応に対する覚悟は少なくともできていないとね)。

そうじゃなくて、鴻巣さんの作品矮小化に怒ってるんでしょ。

なにその読み方、バッカじゃないの? ぜんぜん違うし、って、桜庭さんはそれだけ言えば良かったのでは?

でもそれを〈正論〉という形で提起しちゃったから、鴻巣さんは、わかっていながらそっちに乗っかって反応した。

そういうことなんじゃないかなー。

桜庭さんって、冬子に似過ぎていますよね。

この論争まで、冬子の物語なかに書き込まれている小説のようだ。

2021-09-11

鴻巣友季子の時評は何が問題だったのか

 『文學界2021年9月号に掲載された桜庭一樹少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。

 この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者見解掲載された。

 この記事では総括として、両者の見解検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリー仕様URL掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。

見解検討

 両者の主張は、以下のように整理できるだろう。

桜庭文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。

鴻巣文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。

 桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈自由〟を奪」うことを挙げている。

 一方で鴻巣自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。

 では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである

 鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である文学解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないである解釈批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである

 鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。

 繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ私小説フィクションからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。

 ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。

 この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授日比嘉高モデル小説研究フロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在人物モデルに』と事実立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実事実」の問題を切り分けている。

(強調は引用者。これは桜庭が声をあげた最初ツイートだ)

(強調は引用者)

 桜庭実存にとって「現実事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭あくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家動機ではなく、作家根拠フォーカスするべきであるこの記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。

 とはいえ桜庭見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。 

文芸時評というジャンル

 今回の一件に際して、文芸時評不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭ツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣見解において「批評」という言葉を用いている。

 だが、文芸時評批評しかないのだろうか? 文芸時評英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル特性があるのではないか

新聞というメディア

 文芸時評新聞という巨大メディア掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。

 文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷鳥取で一人暮らす実在老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実現象レベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか

 以上の論点を踏まえて、時評担当者見解検討することもできるだろう。

書いてあればよいのか

 桜庭見解は冒頭、「私の自伝的な小説少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家藤田直哉が端的に指摘しているのでツイート引用しよう。

 つまりあらすじに書いてよいのは、「作中の事実であるべきではないか 今回であれば、あくまで一人の人物視点に立って、「私の自伝的な小説少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列テクストに書いてあるとはいえ中人物の「主観的解釈なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか

 あるいは、そもそも事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分幸せだと信じ込みながらオンラインサロン主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せ生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せ事実ではなく評価からだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか

参考になりそうな文献

 最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。

2021-09-04

桜庭一樹のアレを読んだ

メタ的な視点になるが、面白かった。

まず前提として ”わたし原稿に〝介護中の虐待〟は書かれておらず、”という、一連のアレのしょっぱなに位置する桜庭一樹の主張は正しく、件の夫婦が老々介護であったというのは分かるようになっているが、虐待と読むのは明らかな誤読であろう。

で、内容は多岐にわたっており、田舎の人々の行動や東京での自分現在仕事・交友関係山陰伝承風俗など題材が描かれている。

当該シーンはざっくりいうと「人間記憶はあてにならんよ」というテーマの一つのクライマックスシーンなのだ

桜庭一樹投影である主人公の冬子は当然、自分の都合のいいように記憶改竄している母親に呆れ、批判的な目を向けているのだが、

あくまでそれは「他者限定の」愚かさだ。

桜庭一樹は「自分の書いたことが唯一の真実であり鴻巣友季子の書いたことは間違い」と断言できるし、鴻巣友季子斜め読みした無能の売文屋と断言できる。

冬子が自分の都合のいいように記憶改竄しているかもしれないという自省も畏怖も気づきもそこには存在しない。


わたし原稿に〝介護中の虐待〟は書かれておらず、」は事実としても、そもそも、なんで「そのような事実はありません」と断言できるのか。

24時間365日見てなけりゃ虐待してないとは断言できないはず。 現実老人保健施設における入居者虐待だって見てないところでされてるわけで。

作中の冬子はほとんど鳥取に帰っていないんだ。年末年始帰省しても実家には夕食食べに上がるだけで、食べ終わったら夜はホテルに泊まってると記述されている。

そういう意味で、鴻巣友季子が言うように老々介護の間に虐待があったかもしれない、というのはまったく可能性がないことではない。

冬子が自分の都合のいいように記憶改竄しているかもしれないという自省も畏怖も気づき存在しない。

読者が桜庭一樹自分を同一視し「ああ、ジジイババアしょうもないあいつらは愚かでズルいな」と軽蔑するその場所は、嘘松読んでスカッとするのと大して距離は離れていない。

2021-08-29

続・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか

 「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」(https://anond.hatelabo.jp/20210826203711)の著者です。

 非本質的な、《誤読か否か》を議論するコメントが依然として多いので、記事を改めて補論を書きます(文中敬称略)。

 元の記事では鴻巣意見から矛盾を示すために使ったまでで、解釈」という言葉を本文で一切用いずとも問題を整理できるし、他にも鴻巣矛盾を指摘できるのでそうします。

論点整理・集約版

 少なくとも桜庭が問うている本質的問題は、

 「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」こと

 である

 そしてこの点について鴻巣スルー、もしくは無理筋意見を出しているのみである

①27日13時39分

②27日16時43分

 桜庭自身鴻巣との対話をやめたが、外野はこの点について把握しておくべきであろう。

 鴻巣意見無理筋なのは以下ツイートから明らかである

③27日1117

 このツイート議論として成立するためには、「描写がある」「明示的な記述はなく」という仮定客観性を持たねばならない。「主張が正しいか」という検討以前の条件である

 よって鴻巣は、桜庭が言う「直接描写されていないこと」は、主観ではなく客観としなければならない

 ところが③の直前の、桜庭に宛てたツイートはこうだ。

④27日11時6分

 お分かりいただけただろうか?

 鴻巣桜庭の言う「直接描写されていないこと」を「なに」という言葉に置き換え、「あるひとりの読者=作者の主観だ」としている。この矛盾について解決しない限り、鴻巣意見無理筋であり、鴻巣桜庭議論する土俵にも立てない。

 なお、鴻巣は主張が成立しないのだから、厳密には「平行線」ですらないだろう。

 論点整理は以上である

 

 以下、元記事にやや補足しておきます

 テクストに「ない」ことを「ある」かのように書いた(ことが検証できる)あらすじなどという珍妙ものを読む機会がないので、そのようなあらすじを目にしたのちにいざ対象テクストを読み始めた者がどう反応するのか、筆者には確たることは言えないが、あらすじに書かれた鴻巣解釈だけを前提とし、桜庭提示した(あるいは以下で私が説得的に示す「真っ当な」)解釈に思い至りもしない、という可能性はあるだろうと考える。

 それは「読み」が閉ざされたことを意味する。なお、「どこかでおかしいとわかるはずなのでそうはならない」と言うのであれば鴻巣の書いたあらすじが頓珍漢だと認めることになる。

 また、鴻巣Evernoteでは「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです」と述べていたが、「むずかしいこと」ではなく「不可能な」ことにすり替わってしまった。

 こうしたすり替えをわざとやっているのであれば大した度胸だと感心する。同時に、不誠実な書き手だと評価する。

鴻巣解釈検討

 ついでなので、鴻巣の読解が「曲解であることも示します。(「誤読」とは言いません。桜庭が使わないので。)

 不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。離婚の話が出たことなど具体例を挙げてみるが、「そうだったっけ?」と不審げになる。それから急に目を光らせ、「人の記憶って、その人によって違うね?」と言った。

 瞬間、母とわたしが同じ過去の〝ある時〟……七年前に最後に会った時のことを思いだしているとわかったが、いま対立するのは不毛だと、「ふーん……?」と目をそらした。

 それから

「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」

 と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。

桜庭一樹「少女を埋める」https://note.com/sakuraba_kazuki/n/ne3b7aa29cd58

 「不仲だったころ」は病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってた」を指すのではなく介護していた「この二十年」を指すというのが鴻巣の読解です

 この読解を支持できる方は根拠をつけて教えてください。「病気になる前」であるという解釈をあえて却下する理由込みで。

 なお、この点についてのツイート鴻巣はなぜか削除していますが、ツイートこちら(https://twitter.com/maffumi/status/1431506303784943616?s=20)へのリプライの形でした。(スクリーンショットを見たければTwitterに上げても「私は」構いません。)

 さて、(桜庭言及している)「母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた」に呼応する、

 いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。

 内心、(覚えてたのか……)と思った。

(Ibid.)

 の「内心、(覚えてたのか……)と思った」も、「不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞」いたのも、「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない?」と言ったのも、すべて〈わたし〉なので、「不仲だったころ」をいつとするかによって、母が「お父さんを虐めた」のがいつだったと〈わたし〉が考えているかも決まる(と考えるのが普通だと思いますがどうですか?)。

 当然のことですが念のため言っておけば、実際にいつ「虐めた」かは、作中世界では〈母〉のみが把握し、〈母〉の心中作品視点は入り込めない。よって問題となるのは〈わたし〉がどう考えているかを、〈わたし視点文章解釈することです。

 私は「不仲だったころ」を「病気になる前」としか解釈できません。よって「虐めた」のも「病気になる前」としか解釈できません。

 困りました。私の読解力がないんでしょうか。解釈自由標榜する皆様、お知恵をお貸しください。

 最後に、本から引用します。

 「テクスト解釈可能性は無限である」と言っても、それは「解釈対象、つまりは焦点を当てるべきもの事実テクスト)が存在しない」ということにはなりません。「テクスト解釈可能性は無限である」と言っても、それは「どのような解釈の試みもうまくいく」ということではないのです。

ウンベルト・エーコウンベルト・エーコ小説講座:若き作家告白』、和田忠彦、小久保真理江訳、筑摩書房2017年、48頁)

2021-08-28

桜庭一樹否定してるやつ

ジブリトトロ都市伝説(メイが死んでるとかあの世だとか)を否定したの思い出した

そうはならんやろ~って読み方されたら作者が否定したっていいじゃんな

2021-08-26

鴻巣友季子の時評は何が問題なのか

 朝日新聞翻訳家鴻巣友季子氏が連載する文芸時評に、取り上げられた小説の作者である桜庭一樹氏が抗議の声をあげた(以下敬称略)。

 争点となっているのは、「弱弱介護密室で」母は「夫を虐/待した」という記述である。これが、(テクストに書かれた/現実に起きた)事実であるかのように断定口調で書かれていることに、桜庭懸念を示す。

 抗議を受けて、鴻巣は時評について補足するEvernoteを公開した。

 その後、Twitterで両者はやりとりし、当該の記述解釈であればそれは批評として受け入れられること、解釈が読者に開かれているという点については意見の一致を見たが、桜庭はなおも以下のように批判する。


 すなわち問題は、

①「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはどれほど「むずかしい」(鴻巣Evernote)のか

 また、

解釈が「混同」されたあらすじは悪いのか

 の二点である

 以下、この二点を検討するが、最初にこの件に関する筆者の個人的感想を示しておけば、今まで自らの未熟さを自覚せずに仕事を続けてきた鴻巣の不幸と、巻き込まれ桜庭に同情する。

 また、鴻巣解釈がどれだけ妥当であるかについては議論しない。

作品紹介のあらすじと解釈を分離する

 あらすじを書こうとしていたのだが意図せず解釈が混入してしまった、という事態は、なるほど確かにありそうである

 要約に際して、物語内の複数出来事行為を紹介する必要が生じる。そこで出来事Aと行為Bを結びつける際に、「主人公はAによる寂しさからBに及んだ」などと(うっかり)書く。

 ここで、対象テクスト主人公の寂しい感情について明確な記述がない場合、これはあらすじと解釈が分離できなかった例だと言える(本当は憤りからかもしれない)。

 小説に明記されていないからといって「Aが起こった。主人公はBした」とだけ書くのは文章としてあまりに不自然なので、それを補おうとして解釈が入ってしまうというのは大いにありうるだろう。こうした場合、分離は「むずかしい」。

 またことき読者は、「寂しさ」が対象テクストに書かれているのか、評者の解釈なのか判別できない。

 一方、解釈によって生み出された記述であるということを評者が自覚している場合に、「これは解釈だ」と読めるように書くことは容易である

 「〜〜であろう」「〜〜と思われる」「〜〜のではないか」「〜〜が見て取れる」「〜〜のようだ」「〜〜からか」など、日本語には断定を避ける言葉遣いが様々あり、あるいはストレートに「〜〜と評者は読んだ」などと書くことができる。

 最後の例は稚拙に映るかもしれないが、プロ書評家の文章にも頻出する(具体例は省く)。

 さて、鴻巣は当該の書評文について、「そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです」と明記している(鴻巣Evernote、強調原文)。

 自らの解釈だと自覚しているである。(ところで、「作者の意図」という言葉桜庭は使っていない。)

 そのためこれは「詭弁」であり、断定的な言葉は避けられたはずだ、と桜庭は指摘している、のだろう。

 意図せぬ解釈の混入はありうるとはいえ解釈産物である自覚した文章について、「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはさほどむずかしくないと思われる。

 それが「むずかしいこと」だと感じるのであれば、それは単に書く力に乏しい(「未熟」)からである

 では、解釈があらすじに混入した場合、何か不都合が生じるのであろうか。特に不都合がないのであれば勝手にやればよいだろう。

「読み」を閉ざす「書き」

 あらすじに解釈が入っていると何が困るか。

 当事者である桜庭は、「わたし懸念は、私小説として発表されたこ作品の評で、ある人物が「病人介護し虐/待した」と書かれたことにあります。そうも解釈できる、ではなく、あたかテキストにそう書かれていたかのようにです」とツイートしている(https://twitter.com/sakurabakazuki/status/1430736782979596290?s=20)。

 ここでは、「作品私小説であること」が重大なファクターであるかのように受け取ることも可能であろう。前掲ツイートの「またそのような事実もありません」という記述からも、現実にそのようなことがあったか否かが問題とされているようにも読みうる。

 もちろん、私小説に固有の問題は別個に検討すべきものであろうが、本稿では、作品私小説であるか否かによらず、鴻巣の弁明が妥当性を欠くものであることを示したい。

追記:実際桜庭個人懸念としては現実としての事実にあるのかもしれないが、続くツイートにある「問題としているのは「評者が読み解いた解釈を、テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」こと」をここではこの問題本質として考える。その意味で、「わたしは一つの小説」として読んでいますので、作者のご家族に関する「事実」については切り離して考えさせてください」[鴻巣Evernote]という鴻巣の主張に乗る)

小説は多様な「読み」にひらかれていると思います。また、作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです。

 鴻巣のこの文章は奇妙である

 解釈である部分についてあらすじとして断定的な書き方をすれば、それは小説の「読み」を閉ざしうるかである

 前節で扱った例で言えば、「寂しさから」とあらすじにあれば、それは対象テクストに寂しさが理由である旨が書かれていると読者は「読んで」当然である。この時、「憤りからであるという「読み」の可能性は閉ざされる。

 すなわち、解釈解釈である自覚した上で断定的な言葉選択した鴻巣の行いは、小説は多様な「読み」にひらかれているという鴻巣の信念と矛盾しているのである

 「小説は多様な「読み」にひらかれている」べきであると(は明確に書いていないので本当は思っていないかもしれないが)思うのなら、「むずかしいことですが、作品紹介のあらすじと解釈を分離する努力をするべきでした」と続くはずなのだ

 鴻巣にとって「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいこと」かもしれないが、それを果たせないことにより、作品の「読み」は閉ざされる。

 評者自身の読みの自由を主張し、それを反映させる(無能力により反映してしまう)ことにより、他者の読みの自由を奪うことは、単純に暴力である。「書き」に注意すれば避けられたはずの、いわば過失致傷である

 それは評する作品を損傷し、また、時評の読者(の能力)をも傷つけうるだろう。

 書くこと/書く者は、読むこと/読む者に対してこうした暴力を為しうる。

 「自分文章をどう読むか」ではなく「自分文章を読んだ者がどう思うか」まで思いを至らせることができて初めて、自らの読みを主張する正当性が備わるのではないだろうか。

 まさか、「すべての断言には解釈が含まれいるかもしれないと思って読め」などと「むずかしいこと」は言うまい

2021-06-20

ラノベレーベル論が絶対正義

ラノベとは一体何か、の定義論が2021年ですらいつまで経っても定まらないが

原因はレーベル論以外の定義が全て無限例外判定処理が必要なクソ理論ばかりなせいで

議論が一向に収束しないせいだ。

無限例外判定処理が必要な時点で定義論として論外すぎる。

アニメ的な挿絵がある

集英社人間失格小畑 健氏が挿絵を描いたりと、一般的文庫にもイラスト普通に使われたりする現代ではとても実用に耐えない。

逆にイラストのないラノベも当然ある。

15年前くらいまでしか使えないクソ定義

文章の内容がなんたらかんたら

会話が多いだの、描写が多いだの主観的すぎてあいまいな話もそうだが、

当然、一般小説でも純文学でも作風として使用してくる人間はいくらでも出てくるし、

一般小説的な文体ラノベとして売る例もいくらでも存在する。

筒井康隆ラノベとか一生言ってろ。

内容派

もっともらしいことを言っているが、実のところ俺が考えたラノベに合うのはこれだ!と次々認定してるだけである

無限例外判定処理が必要なのは定義ですらない。

パッケージ

もっともらしいことを言っているが、実のところ俺が考えたラノベ合うのはこれだ!と次々認定してるだけである

無限例外判定処理が必要なのは定義ですらない。

作者に依存する論

〇〇はラノベ作家からラノベ

桜庭一樹直木賞)や有川浩一般向けでヒット)がぶっ壊してくれたので使う人はいなくなった。

ラノベレーベル

出版社が出すブランド名電撃文庫角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫)で出版社側がラノベとしてマーケティングするものラノベ

そもそも語源からして、レーベルラノベとして認定しているのであり、原点回帰ともいえる。

出版社側も当たり前に認識するようになった、ライトノベルという言葉出版側が認定しているか絶対的に定まる基準

ライトノベルという言葉は、あくまマーケティングに使う用語であり、定義する側を販売者側に委ねるのが正しい。

じゃあ、「涼宮ハルヒの憂鬱」が子供向けのレーベルの”角川つばさ文庫”や”角川文庫から出ているのはどうかという話になってくるが

当然それらは子供向けの文芸一般小説であってライトノベルではない。

ラノベを読む人に向けて売っておらず、子供一般といったターゲットに向けて売っているから。

仮にだが、「涼宮ハルヒの憂鬱」の内容が一番最初芥川賞を受賞して出版されてたとしたら、純文学になっているだろう。

推し、燃ゆ」も挿絵つけてラノベレーベルから出版すればそのままラノベとしてとして売ることができるんじゃないだろうか。

そもそもとして小説カテゴライズ自体がそんなもんだ。純文学だと売り出して大枠で一致していれば純文学だし、

ミステリ小説だと出して作中から回答を導出するのが不可能なズルをしていようがミステリだ。

あくまターゲット層に向けて似たカテゴリの本が集まってますよーと宣伝するための区分けしかないので

純文学純文学らしくないモノがあってもいいし、

ラノベレーベルラノベと特徴が一致するモノがあってもいいし。

ラノベって言葉から連想されるジャンルイメージがあると思うが、それこそがブランディングであり、ラノベレーベルとして売り出す理由のものである

2020-03-24

やはり孤独であるべき職業だな

 どの職にも特有ストレスというものはあるだろうけど、小説家もつらいものがある。

 それは仲間作家存在だ。作品と著者人格は切り離すべきだとは思いつつも、ああまでつまらない小説で人から金を取ろうとする神経を疑ってしまう。

 そしてつまらない小説面白かったですよ~とか言うのは耐えられないのだ。いやずっと耐えてはきたけど、そろそろHPがなくなりそうなのだ

 せっかくの増田だしストレートに思ってることを書いてストレスを発散しよう。

 おい!!!!!!!!!

 カスみたいな中身のない小説で金を稼ごうとするな!!!!!!!!!

 もっと内容に技巧を凝らして価値のある本を作って読者を感動させろタコ!!!!!!!!!

 少なくとも人の感情くらいウソをつかずに正直に書けよ!!!お前らの小説キャラクターうそばっかなんだよ!!!!!!!!!!!

 書いた。海に向かって叫んだわけではないのでまったく気分は晴れないけど、それはともかく。

 無論シビア業界であり、話の質よりもパッケージを含めたマーケティングに精を出す方が職業作家としては大事だということはわかりつつも、どうしてもそういう風に思ってしまうわけである。人柄だけ取ったときは本当にいい友達なのでなおさらつらい。

 最適解は知り合いの小説そもそも読まないようにすることだと思う。これが精神衛生上一番よさそうだ。でも向こうが読んでくれているとき申し訳ない気持ちになるし、今まで読んでいたのに急に読まなくなったら変に思われるだろう。

 もしくは自分が本当に好きだと思える小説を書く人にだけ会うようにするか。いやそれは無理だ。そもそもこの年になって新しく読んで面白いと思える小説なんて百冊に一冊あるかないかだ

 中にはかなり割り切れている人もいて「読みマシタ面白かったデス」とbotのように答える作家もいる。それがいかに内容の薄い感想であったとしても、受け取る側もなんとなく察しているか特に踏み込んできたりはしない。これは大人のマナーみたいなものだろう。そもそも人に読んでもらえるだけありがたいというのは変わらないので、読んでもらった上にさら面白いという感想まで求めようとするプロは少ない。というか少なくとも私は見たことがない。

 いい年こいて知り合い以上のトモダチを作ろうとしている自分が悪いのだろうかと思うときもある。割り切った付き合い方ができる人は「知り合い」を作るのがうまくて、本音で話す相手奥さんとか旧来の友達とか編集相手に限るんだろう。非常にオトナ的だし賢いといえる。そういう人は作家間のコミュニティもうまくいくし色々な場所に呼ばれて人脈が広がり、仕事が増えてよりマーケティングもしやすくなるのかもしれない。とするとやらないほうがアホだな。私はきっとアホなんだ。そして不器用なんだ。でもこういうことでうじうじ悩むような人間性から作家になったんじゃないかとも思う。

 やはり作家友達など作らない方がいいのか。

 一流作家桜庭一樹さんは、新人作家に対するアドバイスとして「群れるな」と言っていた。きっと色々なニュアンスを含んだ言葉ではあるんだろうけど、この場合でも当てはまるに違いない。

 いい小説はいいと思い、わるい小説はわるいと感じる。そうしてはっきりと色分けをしないことには、自分の書いたものがいいかいかもわからなくなってしまう。

 作家にありがちだが、私は言霊存在を信じている。言っていることはいずれ現実になってしまうという恐ろしいシステムを。

 私がたとえウソもつまらない小説面白いと言いたくないのは、それを口にしてしまったら、いつか遠い未来自分不安になるとわかっているからだろう。いずれ思い返したときに、あれを面白いと口にした場面が蘇ってしまい、きっと自信が持てなくなるに違いない。価値判断とは難しいものだ。

 人付き合いに辟易して会社をやめたときも同じようなことを考えていたな。正直でいなければならないというのもコミュ障の持つ欠陥のひとつだ。

 結論は出ないが決めた。

 少なくとも、今後新しく会う作家小説は読まないようにしよう。

 既に知り合いの作家新刊は? どちらかというとこっちの方が問題だけど。

 読む時間がないと言い訳できるほど忙しい人間じゃないことは周知の事実だ。

 本当に友達だったら、あるいはこういった本心を話しても大丈夫なのかもしれない。でもやっぱりそんな域ではないのだろうな。

 うーん、困ったよなぁ。

 読んで正直に今回は微妙でしたって告げる方がいいのかな。少なくとも私だったら正直な感想をもらえた方がずっと嬉しいな。

 そうするか?

 そうしてみよう。それで亀裂が走るくらいならそもそもそんな関係はいらないと素直に思えるしね。

2019-01-12

anond:20190111111536

有川浩とか桜庭一樹とか乙一とか七月隆文とかってラノベ出身一般書籍にも顔を出すようになった訳でそういう人の関連本って普通ファンなら読もうとするけど、一般人は有川浩とか桜庭一樹とか乙一とか七月隆文とか読まないのでラノベ読まないはい論破

2019-01-11

一般人ラノベを読まない!

って言う人よく見かけるんだけど

有川浩とか桜庭一樹とか乙一とか七月隆文とかってラノベ出身一般書籍にも顔を出すようになった訳で

そういう人の関連本って普通ファンなら読もうとするでしょ

から一般人もラノベを読むんだよ

ただアニメ化するようなタイトル、例えばエロコメって呼ばれるジャンルは読まれないってだけでは?

2018-08-10

三大俺が好きな作家エピソード

桜庭一樹空手が超強い

西尾維新京都に住んでて二十歳のときデビューした

法月綸太郎図書館の自由に関する宣言を知らず超怒られた

我孫子武丸盗作かと思われたヘロQを許した

霧舎巧キリン関係している(これだけ物語の中の話だぞ)

乾くるみ女性だと勘違いしている人たちが読むJの神話嫉妬事件

麻耶雄嵩作品を読むたびに「これは夏冬超えた」と嘯く俺

FGO大好きミステリ作家群の存在

北村薫覆面作家の頃マジで女子大生と思われていたってのがあるんだけど

これどう考えても嘘だとしか思えない

当時の人間マジで言ってたの? 冗談じゃなく?

そのデーモン閣下の年齢的なやつじゃなく?

2018-04-16

桜庭一樹冲方丁有川浩らが活動の場を広げて「越境」と呼ばれ、またいわゆる「ラノベレーベル」以外でもラノベ的と言われるようなブックデザインが顕著に増えてきたのが2005年ごろ。

いわゆる「ライト文芸」の嚆矢としてメディアワークス文庫が生まれ、またラノベ作家が「ラノベレーベル」とそれ以外とを行き来することがすっかり当たり前になったのが2010年ごろ。

ライト文芸」が急拡大し、もはや一般文芸ライトノベルとを区別することができない、あるいはその必要もないくらいに境界が薄れてきたのが2015年ごろ。

いまさら一般小説の表紙がどんどんラノベ化していってる」ではてなが盛り上がるのが2018年

2018-01-24

勝手図書室の思い出を綴る。

https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。

大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。


それだけじゃ何なので、掲題通りである

一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。

小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。

低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。

その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこごましたもの特集されていた本だった。

ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。

不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。

自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。


中学時代。できて20年未満の学校に進学した。

なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。

きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。

あとすべり止めで受けた私立高校入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。

そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。

なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。

勉強あんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。

当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。

ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。

多感なお年頃なので、性描写のあるもの出会うと成人指定境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業たかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)

野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。

後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。


地元公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。

アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)

同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。

学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。

その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。

ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。

森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。

お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。


うってかわって大学ではまあひどいものだった。

専門課程書籍もあまりない。

ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。

大型書籍比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。

専門書も同じく時が止まっていた。

半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。

卒業後も利用できるということだったが、生憎地域図書館の方が便利であった。



今につながる本の思い出。

急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館存在してくれればいいなと思う。

読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。

ひどいようだがそんなもんだよなと思う。

あるときブログ家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。

家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。

教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。

面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)

それだってきっかけは耳をすませばだ。(個人的気質はあるにせよ)

こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。

作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。

もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。

ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭先生方には感謝を伝えたい。

制限あるなか、出会いをくださってありがとう

思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。

期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。

それでも、「これです」とは挙げられないけれど、人生を形作る何かを図書から得たと思っている。

あの少しだけほこりっぽく、冬はむっと暖房が入った空間を懐かしく思う。

2017-06-27

ファイナルファンタジータクティクス』で召喚できる(新)本格作家

本気でかっこいいとおもってやりました。実在人物作品関係はありません。


・死屍の綾なす四ツ辻の、獅子も恐れる行く人の、知らぬは読者ばかりなり、綾辻行人ッ!

 [中範囲に防御無視ダメージダメージ量は詠唱者のHP残量に反比例)+範囲内の味方のDEFアップ]


・我が産みし死靈天上天下に及ぶものなし! 開け、聞け、探偵三道宝階ッ! 麻耶雄嵩ッ!

 [フィールドの天候がランダムに変化+各敵キャラの装備をランダムひとつ破壊(防具や魔法による回避不可)]


・私の城は美しいお城、私の頭文字は完全なる円にして王の証ッ、死ぬまで踊れっ、舞城王太郎ッ!

 [敵全体に混乱+詠唱者のSTR大幅アップ]


・実るほど頭を垂れる稲穂かな。不燃にして不稔に非ず、エリシャの奇跡の裔と知れッ! 米澤穂信ッ!

 [味方全体のHP回復+リレイズ]


・円心に居して惑うことなし、今宵ささめくあなた挽歌、参ります円居挽ッ!

 [味方全体にヘイスト+ランダムで敵の一人に死の宣告]


・連なる城は堅固にして絢爛、三度否まず三界を紀(おさ)むッ! 連城三紀彦ッ!

 [中範囲の敵味方すべてにMPHP入れ替え]


・その桜の木は一本でした。桜の木は満開でした。咲いて撃ち抜けッ! 桜庭一樹ッ! 

 [中範囲の敵にドンムブ+ドンアク+確率で防具破壊]


コケコッコッコ……コケーッ! 似鳥鶏ッ!

 [敵全体にチキン]


・清涼のうちに流水は苔むさず、命育みメフィストフェレスの女媧とならん! 清涼 in 流水ッ!

 [敵全体に水属性の大ダメージ+サイレス]


月光遊戯、双頭の悪魔国名を端から君に聞かせよう…… 英明なる都は祝福に満ちている。今出(いまいず)る川より通るがいい――アリスト(高貴なる)アリス有栖川有栖

 [敵全体にチャーム+ポイズン+faithアップ]


異能魔術師よ、奇跡をもって正邪を糺せ! 井上真偽ッ!

 [敵全体のステータス強化と味方全体の状態異常を解除]


・月は深(み)ちた……時よ止まれ辻村深月ッ!

 [敵全体にストップ]


・ひらかせていただき光栄です。皆川博子ッ!

 [味方全体にリジェネ+リレイズ+状態異常回復]


・朝明に白む山よッ! 一なる愛を識る永遠よッ! 枕木に憂う士(さむらい)よッ! 三位全一なる二文字に集えッ! 乙一ッ!

 [対象キャラの全能力値が大アップ]


・投之於冰上

 鳥何燠之

 何馮弓挾矢

 殊能将之ッ!

 [その戦闘第一ターンから仕切り直しに]


楽園死神、その胸中に二心あり。右はくろがね、左はからかね。楽園死神、その掌中に二刀あり。左は剔(そ)るもの、右は樵(こ)るものいのち捧げよッ! 汀こるものッ!

 [敵全体にレベル3デス]


・占うッ、亜細亜の星を――島々の星は荘と出たッ! 島田荘司ッ!

 [敵味方全体のアビリティシャッフル]


・いちかはじめか、はじめかいちか。どんととびでて折るか祈るか、心は螺旋折原一ッ!  

 [敵味方全体のうちランダムで一人にデス+ランダムで一人にレイズ(気絶キャラ存在する場合のみ)]


西尾維新(ハタチ)ーーーーーッッッッッッ!!!

 [敵全体に特攻ダメージ詠唱者は戦闘から除外(死亡ではない)]


・その本は本にして本に非ず、立体にして三次元に非ず、凶器にして狂気に非ず、どすこいどすこい京極夏彦ッ!

 [中範囲の敵に大ダメージ確率でスタン+三マス後方へノック]


黄昏に発つミネルヴァの梟は最強にてよしとする。駆けぬけろッ、笠井潔ッ!

 [フィールド上の敵味方全てに確率即死(即宝箱か石になる)]

2017-04-04

急に思い出したけど

桜庭一樹小説に「鞄」って名前女の子がいたなあ

読みはそのまんま「かばん」

読んだの何年も前だからうろ覚えだけど家で急に生まれしまって鞄に入れられて病院に運ばれたか名前は鞄みたいな由来だったと思う

桜庭一樹小説DQNネーム多いがそれにしたって人名に鞄はねーよと思ったが

今、かばんの名を持つ女の子に全国のオタクが涙してるんだからわからんもんだよな

2017-03-14

架空新聞記事が出てくる小説が好き

例えが古いが桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』とか、宮部みゆきの『魔術はささやく』みたいなの

作中で起こった事件事故にかんする記事引用しているというていで、地の文から変わって報道文体になるのがゾクッとする

フィクション現実が割り込んでくる感じというか

(現実新聞記事はそこまで細かく報じねーよってこともあるけど、まぁそれはご愛嬌ということで)

最近作家さんをあまり知らないので、そういう作品があったら教えてくれさい

2016-10-01

面白い推理小説おしえてください

ハルチカシリーズ青崎有吾の裏染天馬シリーズとかみたいな、ライトミステリシリーズもので何かあれば。

追記:遅くなりましたが教えてくださった方々ありがとうございます

桜庭一樹米澤穂信アシモフは読んでいたので、市立高校シリーズ夢水清志郎シリーズに手を出してみたいと思います

2016-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20160705221319

逆に、めちゃめちゃ売れてる小説ラノベかどうかは微妙)なら、

表紙にイラストなし、挿絵皆無のバージョンが出ることはあるぞ。

十二国記」「デルフィニア戦記」「彩雲国物語」あたり。

桜庭一樹もかなり、ラノベイラストなし小説になってる

 

 

ああそうだ、なぜラノベイラストを付けるかだが、

ラノベ自体おもしろくても、立ち読みでその場で作品自体評価ができる人はまれな訳だ

そうなると、目を引くイラストを付けて、あるいはイラストレーター自体の知名度を使って

いい作品を世に出やすくしたいわけ

その場で聞けないCDに、ジャケットを付けてイメージ喚起させるのと似たようなもんかな

2014-10-03

私がラノベを読まない理由

はじめに私にとっての「ラノベ」の定義します。「表紙にアニメっぽい絵が描いてある本」。以上。

続いて理由です。「アニメっぽい絵が表紙だから」。以上。OH、トートロジー

レーベルにかかわらず、アニメっぽい絵が表紙だとまず手にとりません(唯一の例外は『ルー=ガルー2』。読みたさが勝ってノベルスをイヤイヤ買ったが、読後すぐ売った。そんで文庫を買い直した)。

((話は逸れるが、作品映像化にあたって、文庫カバーデザインを変えるのやめてほしい。俳優顔写真ドドーンって表紙の本を誰が欲しがると思うのか。帯にしろ帯に。))

学園ものミステリーオカルトSFなんかを取り入れたエンタメ小説は好きなので、おそらくこんな理由で手にとらないのは損してるんだろうなぁとは思うんだけど、なんでかダメなんすよね。

いわゆる「ラノベ」と呼ばれる作品で、アニメ絵を無くしたバージョンが出てたりしませんかね…電子書籍でいいんで。そしたら読んでみたい。

桜庭一樹さんみたいに、ラノベ時代作品新装版が出ていると私のような読者にはありがたいんですが、まあレアケースですよね。

追伸

伊藤計劃さんの『虐殺器官』『ハーモニー』もアニメ表紙になったんか…。持っててよかった旧装版。

2014-05-20

峰なゆかって例の、男のいじめを取り上げた四コマのせいで女の味方みたいに言われるけど実際は全然そんな事ないと思った

新しく出来た雑誌コラム映画『私の男』についての感想イラストと共に書いてるんだが、

そこで義父から性的虐待を受けているヒロインに対して

ダサい恰好で男の庇護欲を掻き立てるあざといタイプ断じて一方的に扱き下ろした上で

義父の彼女であるライバル美女の方が感情移入出来ると書いていたんだが

それを見てドン引きした

単なる三角関係ならともかく、保護者から虐待被害者に対してどうしてそんなに敵意丸出しになれるんだ?

10歳で引き取った義父から性的関係要求されるなんて地獄じゃないか

とてもじゃないけど男に選ばれて羨ましい立場だなんて思えない

ネタとしてやってるんだと言い張るのかもしれないがそれにしても不快

フェミニスト峰なゆかを評価している人も多いがこのコラムを見たらどう思うんだろう…

(それにしても胸糞悪い作品だな。これが直木賞を取ったとか世も末だな。

映画サイトを見ても『十代とは思えない妖艶さ』とか書いてあるのか…気持ち悪過ぎる。

桜庭一樹って女性だよな。虐待犯罪として描くんじゃなく美化して書いてるとしたら信じらんない)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん