はてなキーワード: 高卒認定とは
平成2年生まれ。現在31歳。既婚。首都圏のはずれ育ち。胸はG65。
“女”として経験したさまざまな“忌まわしい経験”の中から“乳絡み”の部分だけを抜き出し、できるだけ素直に記録していこうと思う。
思い出すがままに書くので無駄が多くまとまりがない。よっぽど暇でない限り読まないことを推奨する。
・小4で生理が始まった。そのころから乳房が膨らみだし、乳首が浮くようになってきたので胸の部分が二重になったキャミソールを着用し始める。
近所の友達(上は中1までいる男女混合のグループ)で集まって川遊びをしていたら、Tシャツの下に着ていたそのキャミの形が透けてしまったようで、
最も年長の男子から「おいお前もうブラジャーしてるん?」と大声で囃されて恥ずかしくなりその日以降、川遊びはしなくなった。
・小6ですでにBカップ程度に成長していたので体育のときなどに男子たちがこそこそと「揺れてるw」ときゃっきゃしているのは当たり前のようになっていた。
いやらしい目で視姦しているというより、本当にきゃっきゃって感じで、私の胸をその場のちょっとした笑いのネタにしている。侮辱されていると感じたし悔しかった。
女子の友達が「最低」と言ってにらんだりしてくれたが、私はむしろその場にいることすらいやだし話題にすらしてほしくなかったから少しありがた迷惑だと思った。
でも今思い返せば、あんなふうに守ってくれてありがとうって感じる。
・児童クラブからの帰り道、サラリーマン風のおっさんに「おっぱい大きいね」といわれる。触られたりはしなかったけど本当に怖かった。
変質者に遭うのは初めてではないけど、めっちゃ普通そうな優しそうなおじさんに白昼堂々威風堂々とそんなことを言われて混乱した。
・中学生になる。ブラジャーはすでに大人のものをつけていた。確かCカップかな。
電車通学が始まる。痴漢に遭う。これに関しては胸が大きいからではなく制服姿だったことが大きいと思う。
これは高校卒業(中退)までずっと続くことになる。友達と乗る車両を合わせてかたまることで自己防衛していた。まあそれでも防げないこともたくさんあるけど。
これまでの人生で少なくとも20回以上は電車内痴漢にあっていると思う。
何かのイベントでものすごい混んでいた時、乗車口ですれ違いざまに思い切り胸をわしづかみにされたこともある。あれは泣いた。
・体育祭で腕を組む振付のあるダンスをすることになり、隣の男子に「おい押し当てんなよ~」と冗談をいわれる。
「誰がてめぇに押し当てるかよ」と思いつつも「そんなことするわけないじゃーん」と笑って対応。そういうやりとりが多く、笑ってごまかすうちに「エロキャラ」
みたいになってしまう。私の最も印象に残っている体育祭の思い出はコレだ。くそ。
男女半々で常にウェ~イって感じのグループが頻繁に誰がかわいいとかかっこいいとか話しているのが耳に入り、
誰が一番胸がでかいかとかどんな下着かというのをそのグループの女子が吹聴しているのも聞いた。
そのグループの男子がこそこそ私をみて「〇〇(私の苗字)・オブ・ジョイトイ」と言って笑っているのも聞いた。
死んでくれと思ったけど「そういうのやめて」ってシリアスに言うとノリが悪いとか自意識過剰と言われそうだったから何も抗議はしなかった。
むしろそういうことにマジ切れしている女友達をどこかダサいとかうっとうしいとすら感じてしまっていた。
・プールの授業はほとんど「生理です」で欠席を通した。どうなるか目に見えてるもんね。
・中2くらいから少し太ったこともありさらに急速に胸が成長。白っぽい簡素な下着をつけることという校則があったけど、
白くてレースもついていないようなブラは私のサイズではほとんどなかった。
このころから“聞かせる変態”“見てますよ変態”のようなものに頻繁に遭遇するようになる。
すれ違いざまなどに「でかっ」と聞こえよがしに言ったり、胸をジーっと見た後顔を見てにやあっと笑ったりする男の人のことだ。
触られてるわけではないし、思い違いかもしれないし、そう思うと誰かにこの経験を打ち明けようという気持ちすらわかなかった。
・中3。スカウトもどきの変態に出会う。おしゃれ眼鏡をかけたBrutusを愛読してそうな男性に芸能事務所のものですが、と声を掛けられ、
バカな私は真に受けて一緒にカラオケに入ってしまった。途中から変な話になってトイレ行くふりして逃げた。
「胸っていうのはホルモンで大きくなるんだよね。貴方は背は低いから生理が始まるの早かったでしょ。早熟な証だよ。
それでね、気持ちいいことをすると、胸が大きくなるっていうのが科学的に証明されているんだけど、早熟なあなたはきっと、気持ちいことを
ひとりでやっているんじゃないかな?それは恥ずかしいことじゃないよ。おっぱいが大きいのは恥ずかしいことじゃない。
早熟なのも、気持ちいいことが好きなのも恥ずかしいことじゃない。おっぱいは気持ちいいことをすると大きくなるんだよ、
もっと触ってって主張するために大きくなるんだよ……」思い出すだけで気持ち悪すぎてはきそうになる。
・高校。おしゃれに目覚める。いわゆる青文字系雑誌のテイストが好きだった。これまでの経験からボディコンシャスなファッションは好きになれなかった。
しかし巨乳と青文字系は相当に相性が悪く、何を着ても思ったのと違う感じになる。
・このころから本格的に自分の胸が忌まわしく思えてくる。肩は凝るしセクハラはうけるし洋服は似合わないし。
更衣室で女友達がうらやましいと言ってくれるときだけ半分嬉しくて、でもやっぱり半分は「どうせ太ってるって言いたいんでしょ」と卑屈になっていた。
コスプレ好きの友達に胸を締め付けるさらしのようなものを借りるが苦しすぎて日常遣いは断念。
痩せりゃ胸は減るだろうと最低BMI15台までダイエット。生理とまる。胸はE→Cまでサイズダウン。
そして私はここから数年間摂食障害に苦しむことになるがそれはまた別の話。
・摂食障害等により学校生活に支障をきたし始めたため、高校は2年時にドロップアウト。
・19歳で高卒認定をとり、21歳から看護学校へ通い始める。このころは摂食障害も少し落ち着き、BMIは19まで回復。胸はG65に。
(おっぱいとは関係ないけどこのころ飲み会で知り合った男性に「女の子はこれくらいふっくらしている方がいいよ」と言われてファッ?!?!?!となる)
実習ではおじいさんやおっさんの患者にセクハラ発言されまくる。体位変換や移乗、おむつ交換でどうしても患者の肩や膝にわがパイオツがあたってしまうのだが、
「わざとやってくれてるの?」とか「いいねぇ(にやぁ)」はもはや日常。
・ブラック看護学校だったのもあり、ただ実習をこなすことだけに必死で、そういったことに対して怒る気力がなかった。
今思い出すと腹立ちで眠れなくなるけど。
スタッフIDとかテープとかのちょっとしたツールを首から下げたりするんだけど、使いやすくするために紐を長めにして斜めかけにする人も多かった。
私もそれをやったけど、研修医に「パイスラですね」と言われエプロンタイプのツールバッグ?にチェンジした。あいつ死んでくれ。
・25歳で初めて彼氏ができる。告白されたり飲み会でいい感じになった男性はそれまでもいたけど、嫌な経験しすぎて男性不信気味だったため付き合うまでいかなかった。
彼氏は顔もかっこよくないし超ド級のぽっちゃりさんで私より給料も低いけど、とにかくぜんぜん体形とかの話をしなくて、それが私にとって一番安心できる要素だった。
摂食障害も治ったりぶり返したりだったから、そういうところには敏感になっていた。
・性行為も胸を見せるのも彼氏が初めてだった。そのときはじめて彼氏は私の身体に対してものを言った。
「すごい…きれい、おっきいね」と喜んでいたけど、それはぜんぜんいやじゃなかった。
彼氏のことが好きで、彼氏に自分の体をほめてもらって、喜んでもらえてすごくうれしかった。
喜んでほしいからコスプレとかもぜんぜんやったし、いわゆるパ〇ズリとかもやった。こんなのなにが気持ちいいんだ?とは思ったけど、
・ある日、なんのきなしに自分の勤める病院のことをググってみた。すると〇〇病院という名のスレが爆サイという掲示板サイトにあった。
「〇科の爆乳ナースエロい」「夜這いしてくれる」「押し付けてくれる」みたいなことが書かれていた。
私は看護師としては一応のプライドを持って患者さんに良い看護を提供しようと努力していた。こんなこと書かれるいわれはなかった。
怖かったし、怒りで体が沸騰しそうだった。
現場でのセクハラは師長さんとかに相談すれば担当をはずしてくれたりするし、誰が何を私にしたか、私にはわかる。
でもネットの書き込みは患者なのかスタッフなのかすらわからない。
・結局、怖いので退職して別の病院に移った。患者もスタッフも女性ばかりの科。産婦人科。すごく気楽。助産師じゃないから地位は低くなったけど。
そしてこの科ではおっぱいは1ミリメートルもエロいものではない。臓器の一種でしかない。
乳首や乳房を触るのもエロい行為ではない。おっぱいはなんでもないことのように、それでいてとても大切に扱われる。最高だ。
・例の彼氏と結婚した。結婚式は神前式にした。単に白無垢が好きなのと、ウェディングドレスは胸の強調されたデザインが多くて、胸にいい思い出のない私は着たくなかったから。
・体育祭の思い出、文化祭の思い出、カラオケの思い出、看護学校の思い出、川遊びの思い出、児童クラブ、バイト、プール、遊園地、電車、就職……
31年生きてきてたくさんの思い出があるけど、そのどの場面にも裏面みたいなのがあって……。
楽しかった表面を思い出すと常にその裏面(セクハラや痴漢、いやな視線、いやな言葉等々)も思い出されて、
そして全てが裏面に蹂躙されている思い出もあって。
おっぱいは自分の好きなパーツでもあるけど同時に災いを呼び込む呪物みたいでもあって。
えくぼみたいになってくれたらいいのにとか都合の良いこと思ったりっもする。
かわいいパーツだけど、そのせいで嫌な目にあったりはしない。ただの体の一部分。そんな風になればいいのに。
ここまで書いて疲れちゃった。寝よう。ほな……
地方都市で出生。出生後すぐに父母離婚(ずっと死んだと聞かされていた)。母と祖父母と生活する。
幼少期から習い事ざんまいで、友人と遊んだ記憶がほとんど無い。
小学校に入学。3年生までは楽しく生活していたが、4年目から太ってるという理由でイジメを受ける。女からは菌扱い、男からは殴られ、虫食わされ、はぶられ。なんとか卒業。
中学に進学。持ち上がりだったため、イジメは本格化。不登校になる。
3年生の春に模試を受けたところ、偏差値30ちょい。このままではいけないと思い、勉強し、偏差値70まで引き上げ、全日制の高校に合格。
高校に進学。過去のいじめや、人と関わってこなかったため対人関係能力が皆無だった私は、周りとの接し方などわからず、中退。
中退後、高卒認定を取り、年次的にはストレートとは変わらない18歳で、そこそこの大学に合格。
大学に進学。これまでと違い、クラス制は無く、自由な環境で、人にも恵まれ、失われていたこれまでの人生をややここで挽回した感じ。彼女も出来た。
就活は、これまでの人生や会ってきた人を見返してやろうと思い頑張り、それなりの会社に就職した。
就職。
最初はボロボロだった。やっぱり普通とは違う。まわりはしっかりしてる、私はなにもうまく出来ない。葛藤して、死にたくなった。上司からのハラスメントもあり。でも頑張った。人生、落ちるのは簡単だけど、上がるのは難しいのは痛いほど分かるから。
あるとき、過去の不登校や中退が人事の同期にばらされ、距離をおいたり、陰口を言ってくる同期も結構いた。あからさまな無視をする女もいた。
とはいえ、仕事をするために会社に行っているわけなので、気にせず日々を過ごした。
異動でいわゆる花形部署に。必死に頑張った。社内で認めてくれる人も増えてきた。この頃、結婚し子どももでき。
教育係がマイクロマネジメント、機嫌が悪いとネチネチと詰めてくる。メールの文章や電話対応、仕事の進め方も逐一チェックされ。
人生、こんなに辛いなら終わりにしようかと思ってる。
ゆたぼん、東大刺傷事件に「勉強だけがすべてじゃない」熱弁で「説得力ある」と好評価続々(スポーツ報知)
話題の中学1年生ユーチューバー「ゆたぼん」が17日までに自身のYouTubeを更新。大学入学共通テスト会場となった東京大学の前で受験生ら3人が切り付けられ、名古屋市の17歳の男子生徒が殺人未遂容疑で現行犯逮捕された事件に言及し、思いを語った。
「俺のアンチとかも『学校行かんかったらお前の将来終わり』とかコメントしてくるけど、小学校、中学校行かんでも、自分で勉強して高校行くっていう道もあるし、高卒認定試験受けて大学に行く道もあるやん」とし、「学校だけがすべてじゃないし、勉強だけがすべてでもないねん。
生き方なんて人それぞれやから自分のやりたいことをやって楽しく進んだらいいと俺は思ってる。
と繰り返し訴えた。
備忘録なんかの意味も込めて、10年近くお世話になったネットの海に青臭い駄文を放流させて頂きます。
俺が今まで歩んできた人生は、他人からしたら微妙な人生でしょう。
人並みに反抗期になって母に手を上げ、
ネットの友達が祝ってくれるから誕生日は起きて過ごしてたけど、今回は寝てたら20歳になってた。
20歳になっても自覚や実感はないし、きっと今日もいつも通りだと思う。
今日も相変わらず授業があるし、あと10日ほどで国家試験が待ち構えてる。
ここまで生きてこれたのは引きこもっても面倒見てくれた親のお陰だけど、面と向かって言うのは小っ恥ずかしいのでネットの海に流しておきます。
俺の人生を振り返ると、人間関係を作るのは得意でも、維持するのは苦手かもしれない。
維持するのが面倒になってくると、嫌になって全部投げ出してしまいそうになる。
現に何回も作ったグループを破壊しそうになったし、最近もそうだった。
自己中で、人の前に立って自分の都合が良いように意見を言うこともあれば、適当な指導や意見を言って周りを困惑させる時もあるし。
ストレスのせいなのか、会話が聞き取れない時もある。
それでもなんやかんやでここまで生きてきた。
ここまで面倒見てくれたネットの友達には、やっぱり面と向かって言うのが恥ずかしいので感謝の気持ちをネットの海に流させて頂きます。
社会人とうまくやっていけるだろうか。
でも、俺はそれなりの準備はした。
いつも思っているけど、人間なるようになるという気持ちで就活も挑むつもり。
さて。俺は正直、ここまで半分は惰性で生きてきた。
半分は希望的観測でも、希望を持って生きてきたと言い切れない人生。
でも、16歳になった頃に気付いた。
今、学校でいじめを受けてたりする人は、学校に行かない選択肢があることも忘れちゃいけない。
ちょっと考えてみれば、いじめてくるクソみたいな奴らのために自殺するなんてバカバカしいと思うはず。
今の学校の風潮じゃ「いじめはなかった」で終わりにされて当たり前。
どんな恨み辛みが籠もった遺書を書こうとも、
親が心配してくれないなら、目の前で心の内をさらけ出せば良い。
泣いたっていいし、叫んだっていい。
大学を卒業した方が給料が上がるから、仕事をする上で大学は行く方が良い。
バイトで培った社会経験だけど、学校で学んだ90%の知識は仕事に使わない。
それなら後々仕事に役立つことをしてもいい。
パソコンが好きならMOS Excelとかの資格を取ってもいいし、
資格にこだわらなくても、食い扶持を探すことなんていくらでもできる。
いじめられて学校に行ってない人は、その分だけ他人より時間がある。
その時間だけ将来のことを悩んだって良いし、自分が将来生きていけるように頑張ってもいい。
これだけは言っておくと、大人になってから勉強するのは死ぬほど辛い。
勉強した内容が頭に入ってこない。
だから親の小言のようで申し訳ないが、学生のうちに勉強はした方が良い。
惰性でこうやって生きてきた成人男性が、そこそこ希望的観測も持てるようなくらいまで回復しました。
なので、今学校でいじめられてる人は、一度逃げてみるのも手なんじゃないかな、って思います。
ただ休んでから自分が苦労しないように、出来るだけ自分で努力すること。
と言うことで、そろそろここらで締めさせて頂きます。
■五十嵐えり
中学時代にいじめに遭う→中卒で4tトラック運転手、牛乳配達、クリーニング配達など様々な職業を経験。
24歳で高卒認定→働きながら静岡大学夜間卒→名古屋大学院卒→30歳で司法試験合格→弁護士
■佐藤こと
静岡県立浜松北高校→ダブリン大学トリニティカレッジ心理学部へ進学。
卒業後、広告代理店にて5年間営業職。障害者雇用支援事業を展開するソーシャルベンチャー「株式会社ゼネラルパートナーズ」入社し、広報室長。選挙のため求職中。
一児の母。ADHDグレーゾーン。パリテアカデミー出身でフェミニストを自称。
夫は高卒で、北区の工場で三交代勤務。マンションの頭金を選挙につぎ込んだとのこと。
■広瀬まき
京都大学経済学部卒業→三菱UFJ銀行にて約12年勤務(営業・企画業務)→アクセンチュア(外資系コンサルティング会社)を経て、独立
「ドラクエ5の花嫁は、ビアンカ以外を選んだことがなくて。フローラ選ぶとイオナズン使えるからその方がいいという人もいるけど、幼馴染を裏切るのは保守の政治家として許せない。」
■池辺愛
「ヌーブラヤッホー」のギャグでブレイク?した元モエヤン(解散)。
大阪府豊中市出身→大阪教育大学附属池田小学校→同池田中学校、同高等学校池田校舎卒業→慶應義塾大学文学部
2度の流産、乳がんを経験し、現在4歳の娘と10ヶ月の息子の母。
■山名 かなこ(生年月日記載拒否、れいわ新選組、新人、杉並区)
同志社大卒。
すべての「生きづらさ」を感じる女性が、自分たちの権利を主張できるコミュニティを目指すNPO法人“The F-Word”の代表。
「選挙に出られる25歳以上ではあります。履歴書や経歴書に、性別、年齢だったり、写真を載せることによって、その人自身というよりも、うわべと申しますか、そういうもので(社会に)判断されることに疑問を感じます。経歴には生年月日を書かない選択をしました」
報道局記者を4年、その後社会部、外報部、政治部にて取材や中継を経験。
トレンダーズ株式会社にてPRコンサルタントを勤めた後、夫の海外留学・勤務のため離職し、シンガポールにて子育て。
帰国後、「株式会社みんなのウェディング」広報や、女性のキャリアを支援する「株式会社LiB」法人営業。
2児の母。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 89 | 13258 | 149.0 | 43 |
01 | 61 | 6430 | 105.4 | 38 |
02 | 40 | 5354 | 133.9 | 63 |
03 | 18 | 3143 | 174.6 | 108 |
04 | 14 | 797 | 56.9 | 28 |
05 | 18 | 3928 | 218.2 | 66 |
06 | 43 | 4873 | 113.3 | 71 |
07 | 55 | 14859 | 270.2 | 54 |
08 | 82 | 10071 | 122.8 | 69 |
09 | 93 | 12097 | 130.1 | 69 |
10 | 171 | 15987 | 93.5 | 53 |
11 | 170 | 17404 | 102.4 | 48.5 |
12 | 151 | 12330 | 81.7 | 36 |
13 | 143 | 14453 | 101.1 | 44 |
14 | 196 | 19802 | 101.0 | 47 |
15 | 164 | 18279 | 111.5 | 45.5 |
16 | 143 | 16615 | 116.2 | 57 |
17 | 167 | 21763 | 130.3 | 58 |
18 | 165 | 16513 | 100.1 | 56 |
19 | 164 | 20604 | 125.6 | 35.5 |
20 | 162 | 14226 | 87.8 | 34.5 |
21 | 205 | 28955 | 141.2 | 45 |
22 | 167 | 14618 | 87.5 | 45 |
23 | 110 | 9878 | 89.8 | 34.5 |
1日 | 2791 | 316237 | 113.3 | 47 |
ソーカル(4), 田野(5), 阿部亮平(4), ノンバイナリー(12), セカンドキャリア(7), 目出し帽(3), 四季報(6), bokete(4), 高卒認定(4), 絶対悪(15), J2(5), 櫻井翔(3), ナチス(23), 体調不良(21), アイドル(156), ミュージシャン(11), 活(11), 事務所(28), 芸能界(8), 打た(17), 社会学(11), キャンセル(13), 学問(19), 副作用(13), 打つ(19), ダンス(10), 推し(50), ワクチン(83), 接種(21), 打っ(19), スポーツ(27), 搾取(20), メンヘラ(18), ファン(49), 予約(16)
■アイドルの仕事を辞めた。この世界は本当に糞。ファンも糞。「推し」は糞。 /20210628015845(84), ■サリドマイド→安全安心→ ウソでした 奇形児続出 /20210628110122(30), ■この田野大輔って先生は大丈夫なの? /20210628075114(18), ■はてな村民の閉塞感って「ネットでも自分が主役になれなかった」だろ /20210627165949(15), ■「148円の万引き」で警察を呼ぶのは税金の無駄なのか /20210627145126(13), ■奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話 /20210627210031(12), ■アイドルとプロスポーツ似たようなものだと思ってる /20210628113817(11), ■生き方を知らねぇ /20210628192743(11), ■東京の感染者数を5週間ぶん予測した (6月28日版) /20210628190235(9), ■ /20210628131120(9), ■推しがどうのこうの言ってるやつらの何が気に食わないのか /20210628142132(7), ■弟がいたはずの話 /20210628181228(7), ■チーズはどこへ消えた? /20210628053335(7), ■プログラミングなにもわからない未満おばさん /20210627114542(6), ■アイドルの卒業理由ナンバーワンはなんと…… /20210628090544(6), ■名前を当てるAI /20210628164837(5), ■絶対に信頼できるファイル置き場 /20210628184045(5), ■よくわかんねんだけど /20210628185221(5), ■うんこいきみすぎて失神した /20210628143807(5), ■マッチングアプリ、婚活で出会ったヤバイ女たち図鑑 /20210627140517(5), (タイトル不明) /20210628200826(5), ■ /20210628204840(5), ■転職のとき給与以外で気にすること /20210628210120(5)
ちなみにK-POPですが、とくに男子は高校くらいは出ていて、なんでかというと高卒以上じゃないと兵役に行けなくて、兵役行かないのは世間的にNGだからです。
大手事務所のSMEに昔いた男子アイドルが帰国子女でインターナショナルスクールか何かの卒業歴が高卒扱いにならずわざわざ高卒認定か何か受けて兵役に行った件は有名。
そろそろ時間も経ち、特定もされないと思うので書かせてもらう。
男性アイドルと女性アイドル、両方の舞台演出とかマネージャーとかをやっていた。
だが、俺が覚ましたいのは、お前達ファンの頭だ。しかと聞いて欲しい。頼む。
推しが頑張っていれば自分も頑張れる、推しが幸せなら、この世界が暗いものでも頑張って生きていける。
と、そんなところだろ?実に素晴らしいな。『推しがいれば世はこともなし』、なんだよな。
アイドルがライブをして、ちょっといいことを言って泣けばお前達は、日頃のストレスを忘れられるってわけだ。
そんなお前達を今回ぶん殴るテーマはこれだ。
アイドルの仕事ってのは、事実大変だ。歌って踊ってトークもしなきゃいけない。
最近は特に配信が大変だ。言っていい事悪い事を覚えて、ファンの顔も覚えてひたすらみんな食いつなごうと必死だ。
若い人間が、歌の練習をして、踊りの練習をして、配信をして、何が削れると思う?
なあ、掛け算もできないし、小学生レベルの漢字も書けないようなやつが本気でゴロゴロいるんだぜ?
これは真面目な話だ。
(勿論一部、勉強もできるアイドルはいるが、本当に一部だ。そこに噛みついてくるなよ)
どこかの小学生革命家が言っていたが、人間はコミュニケーション能力があれば、どうとでもなるってのも一面的な正解だ。
掛け算も漢字も、スマホがあればできるし、俺達高学歴の人間がいくらでもアイドルの代わりに書類だって処理する。
でも、それは周りに支えてくれる人がいればの話だ。学校行かない系で稼いでる小学生なんざ、家族ぐるみだから、かなりマシな方だ。
ごく一部だよ。残れるのは。ちなみに俺がよく見るパターンはアイドル→マネのルート。これも実は色々罠があるがテーマから逸れるから別の機会に書く。
なあ、芸能界を引退して、いい歳して、かけ算も出来ないような人間が急に世界に投げ出された時、面倒を見る人間がいるのか?
顔もそこそこ良くて芸能界に繋がりがある、学のない無職って、誰が利用したがると思う?
悪い大人達の最高のカモだよ。いくらでも騙せるよ。だって1人じゃ書類も読めねえんだからな。笑えるだろ。
必死に歌って、必死に踊って、アイドルの活動に対して努力している人間がお前達、好きだろう?
優れたパフォーマンスが好きだろう?
お前達が『頑張っている人間を推す』から、そういう学のないアイドルが量産されるんだよ。
こんな長い文章、真面目に全部読まなくていい。
以下の一文だけ覚えていけ。
多くの場合、お前達の推し活が作り上げるのは、かけ算もできない、自分の名前も漢字で書けない、歌って踊れる学習障害者だ。
性質が悪いことに、アイドル時代にチヤホヤされるものだから、やつら、承認欲求をこじらせる。
なあ、そんな人間が、この世界に放流されて、幸せに生きられると思うか?
「契約書の漢字が読めないから読んで!」「1.2倍の意味がわからないからちょっと見て!」とか真面目に相談してくる人間がどこに向かうと思う?
お前達が考えるよりも、ずっと悪い方向に向かっていくよ。
お前達が推した結果がそれだ。
お前達はアイドルの未来を自分のストレス発散のために消費しているということを強く自覚しろ。
アイドルの両親にクソみたいに怒鳴られた経験が俺はいくらでもあるよ。
なあ、首に縄の後が残った元アイドルの死体を見た時、俺はご両親になんて声をかけたら良かったと思う?
お前達には関係のない話か?お前達は、ただ商品を買っただけか?何でお前達は、推しの葬式にこなかったんだ?
なあ、誰が悪いんだ?
俺達が全て悪いと言うか?芸能界なんてなければいいと?体質を改善すればいいじゃんと簡単に言うつもりか?
それがどれだけ難しいことか、推しに救いを求めているお前達ならわかるんじゃないか?
逆に俺達が、歳をくったアイドルが高卒認定を取りたいって言って、勉強に付き合ってやらんような、血も涙もない人間の集いとでも?
輝かしい面もあるよ。普通の勉強だけしてる人間が稼げないような額を稼ぐ人間もいるよ。そりゃ。
お前達は現代のアイドルのシステムっていう大犯罪の、片棒を担いでいる人間なんだよ。
そんな業界が嫌だし、お前達ファンが嫌だし、それを「推し活です」なんて言ってる最近の風潮が嫌で、俺は芸能界から離れることにした。
一番頼りになったのは、芸能界に顔が効くことでも、マスコミの人間の名刺を持っていることでもなかったよ。
しっかりとした学歴で、しっかり働いていたこと。それが再就職で一番、役に立ったよ。要はまとも、普通の人間だと見てもらえたから、足を洗えた。
最後にもう一度書いてやる。
多くの場合、お前達の推し活が作り上げるのは、かけ算もできない、自分の名前も漢字で書けない、歌って踊れる学習障害者だ。
胸に刻んで生きていけ。
https://note.com/kayu_szk/n/n31e152f609b0
昨日だか一昨日だかに筍のおかゆの記事がホッテントリ入りしてた。
大体こういう「スローライフ」的な記事を書く女って、代わりに「ファストライフ」をしている旦那というパトロンがいるんだろうな、って思ったら案の定だった。
不登校キッズで、高卒認定を経由して大学に進学して……と、自分が少数派に属することばかりだったからか、人生のうまくいかなさは常にそばにありました。どれだけ頑張ってもみんなと同じようにできなくて、たぶんわたしはわたしのやり方を探さなければならないんだろうな〜と、かなり早い段階で気づきました(気づかされました)。
今そんなふうに過ごせてるのは自分自身が積み上げてきたもののおかげなのかな?
急激に貧乏になったとき、(身体的・精神的な)病気になったとき、仕事を奪われたとき、災害に見舞われたとき、年をとったとき、家族がいなくなったとき。想像も至らないようなとんでもない状況に陥ったときでも、おかゆを楽しめるわたしなら、生き抜ける確率が上がる気がしたのです。だんだんと不自由が増えていく人生の中でも、おかゆならギリギリまで食べられそうだな、楽しめそうだな、その楽しみを奪われにくいだろうな、と。(………暗い!笑)
この人のレシピは費用も手間もかかるし、「想像も至らないようなとんでもない状況に陥ったとき」には楽しめませんよ…この人の想像の範囲にはないんでしょうけどね。
いやーほんとキツイ。
こういう人は私のような暗い感情とは無縁の高いところで、この人なりのちょっとした生きづらさや波を乗り越えながら、それでも自己実現して、最後は幸せに生きていくんだろうな。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
ほぼタイトルがすべてなのだが、10年ちょっと前の日記を見つけたので書きたくなった。
年度初めに移動してきた教師の一人だった。
最初の授業は滞りなく進んだと思う(最初からヤバければ違う印象だっただろう)。
次の日、数学の時間初めに怒鳴られることには、「昨日の授業から誰も質問に来なかった。前の学校では放課後や朝方に生徒が並んでいた」のだそうだ。
母校は当時さほど質問が活発なところではなかった。特に放課後に関しては部活が強制な学校なこともあり、宿題なり自主学習は家に帰ってから、という認識だった。
朝といえば、4月初めは下手をすると雪寄せを終えてから登校する生徒もいた(*1)。
現在どうかはわからないが、バリバリ進学のため勉強する、という空気もない(*2)。
自分の周りだけがそうだったのかは知らないが、そんなわけで誰も質問に行かなかったのだろう(まあ年度始めの授業一発目でそれほどつまずく箇所があっても困る)。
クラスメイトは途方に暮れ、どうやって職員室から彼を連れ戻すかの相談後、説得を重ねどうにか第2回目の授業始めさせた。質問に行く生徒はいなかったが、授業の放棄までされると困るのである。
問題集の中で一つ質問に行く問題を決めて、朝の短い時間で解説を済ませてもらえるように最後の最後で躓いたような計算履歴を装うのだ。
これならいいんじゃないか、と思った問題を皆で解いてたら「解けちゃった…」となり何度か”間違え直し”をしたのを覚えている。今思えば無用な労力だった。
クラス担任や学年主任にも相談はしたはずで、しかしそれほど効果はなかった気がする。
数学教師は苛立つとまず3色ボールペンやチョークを黒板にぶつけ始め、やがて教室を出ていく。質問に行かないかもしれないが、義務教育の内容は全うしたい生徒が追いかける。嫌いな教科ではないはずなのに憂鬱な時間だった。
PTAの力が弱いせいで県内の問題教師の掃き溜めになっているのだ、という噂もある中学校だった。従順でない男子を糾弾するために女子に意見させるが、男子と距離が近い女子生徒は発言の順番を飛ばすような学年主任もいた(この件に関しては後に親に謝罪があったらしい)(当人への謝罪はなかったようだ)。
どうにか1年を耐えきり自分は卒業したが、あの数学教師は今も母校にいるのだろうか。
*1. 年初というと春の印象だが、雪国のど田舎だったためまだ冬の開けきらない頃だった。5月の運動会のため、陽の当たらない校舎裏の雪を溶かしに行った記憶がある
*2. 5科目の実力テストで大体何点ならこの高校、とほぼ受験期前に(教師の間で?)決まっていた。自分は偏差値という概念が実用されているのを高校で知った。それまでドラマやコミックでふんわり出てくる単語程度の認識だった。高校がほぼ決まっている、というのは楽でもあるが、進学させたい教師VS(家業のためもあり)農業科/商業科に行って早くから働き始めたい生徒、のような言い合いも起こる。自分は商業科に行きたかったがレスバに負けて田舎によくあるエセ進学校に行った。結局空気が合わず高卒認定→商業系大学のルートを辿ったのでもっと粘ればよかったなと思っている。
こないだまであれくらいの年齢だったな〜とJKをみて思ったら,溜まっていた鬱憤があふれちゃったので
だれにもいったことはなかったな。言ってもなんもならんし,可哀想ぶってるとかいわれたら死んじゃうし,悲しくなるから
義務教育にすら支障が出るほどのご家庭の事情があったため,もちろん中卒で
勉強が好きで高校はいかせてやりたいとおばあちゃんが言ってくれたので勉強を頑張り志望校に合格したのだが
きっと,世の中には私よりひどいひとがいて,そういう人でも上手く立ち回ったんだろうなっておもうけど
わたしはアホでビビりで,おかねがなくなって親みたいになりたくなかったし
親の子なのでわたしも上手く立ち回れないとおもい,安全策をとった。
まあそんなこんなでコロナもあり,今のままアパレルにいいても怖いので,事務職に転職したりいろいろしたのだが
(情強なので,PCスキルアピールしたら中卒でもふつうに派遣で入れた。情強でよかった。)
お金も溜まっていたし,コロナを機に掛け持ちバイトは一切やめて二ヶ月の自宅待機でいっきに勉強して高卒認定試験をうけた。
なにせ普通に朝から18時まで働く身なので,フルに勉強できない。
なんか,たぶん私がうまくやれてないだけで
もっと大変な人もいると思う,でも,わたしは無理,キッツって思ってる,
ふつうだったら,ふつうだったら,って呪いのように,言ってしまう。
スヌーピーも,配られたカードで勝負するっきゃないって言ってた。これは,変えられない事実だ。
私よりつらいひと,過酷な人はいる,そういう人でも成功している,ってわかってる
わかってるけど,うるせえ,普通に生きてえんだ,っておもう
無理なんだ,なんで人と違う努力を,人よりハンデが大きいんだよって思う。
きっと,その”私より過酷な環境にいたひとたち”も,そうおもっただろうな,
親はこどもの面倒をさいごまでみるべきであって 脛をかじらせるくらいが,ちょうどいい
っておもっている。
きょう,春季講習にいって,いつのまにか歳がずいぶん離れていたJKたちをみて,おもった。
HPがピンチになったら。行ったら回復してくれるマサラタウンの実家は,わたしにはない。
HP0になって,めのまえが まっくらになって おしまい!になるだけだ。
そもそも,中卒コンプを拗らせている理由だが,思い返してもつrrrっらってなる。
前期受験でうかったので一悶着する時間はあったのだがなにせ時すでに遅し,奨学金すら申し込めず
あ◯なが育英会等も「死亡したことが証明できないと無理です」とのことで
なんとか行かせてやりたいと頑張ってくれていた先生も諦め,合格を辞退して就職する方向になったな
おばあちゃんはひとりでは生きていけないんで(そりゃそうだ)叔母が,実家に来てくれた
クソ田舎の地元のハロワに,先生たちと一緒に連れられていったら
ハロワのひとに「そんな前例(中学卒業してすぐ働く)はないので,無理だと思います」と言われた。
まあそうだよな。今なら,まあしゃーないと思えるけど
卒業式当日,高校いかないということを隠して,それにひとりだけケータイ持ってなくて,「なんで?親にかってもらえばいいやん!」という
無邪気な返答に心砕かれていたじぶんは,とんでもないお先真っ暗感に打ちひしがれ,地元の湖を目の前に泣いていた。
しょうじき当時のじぶんはかなり可哀想である。神様,なんとかしてやってくれ。
地元のごはんやさんと学校とツテがあったらしく,「力になれないか」と言ってくださって
そこで無事働かせてもらえることになった。ほんとうに嬉しかった。
4月1日から働く。友達は,みんな制服だった。いっぽうわたしは黒いエプロンでおばちゃんたちに囲まれ働く。
時給は800円,それが高いのか安いのかすらわからなかったけど,1日8時間働かせていただけるし,社会保険も入れていただけた。
当時はなぜ保険だけに3万も引かれなければならないのかと怒っていたけど,今思うとすgggっごくありがたいことだなあとおもう
どうしても勉強がしたかった私は,通信制高校とか,定時制高校とかを探していた。
なんとか働きながらいけないかと,地元の定時制高校に見学に行ったりしていた。
それをみた叔母は,「行けるわけないだろ,一人で生きれるようになってからやってくれ」というのだ。
16歳目前のクソガキは,なぜ,とただ打ちひしがれていた。
家には,月4万円払っていた。家のご飯は,まかないがあったので食べていなかったし,申し訳なくて食べなかった。
今ならわかる,「クソみたいな姉がのこしてった赤の他人のクソガキ」が,生活もままならないのに学校に行きたいと言い出したらどう思うだろう。
いや,まず出ていけやと思うと思う。
でもクソガキは,それがわからない。なので,なんとかできる,なんとかやるんやと思い込み,16になり自分で携帯が契約できるようになったので
だけど叔母は,認めてくれなかった。
当たり前である。
精神的にすり減っていく毎日,高卒認定試験のことも頭にはあったが,お金がないとなにも始まらないということを知ったわたしは
とにかく働いた。
18になる直前に,わたしはご飯屋さんを卒業し一人暮らしを始めた。
なぜその前から一人暮らしをしなかったかというと,保証人になってくれる人がいなかったので(嫌だと言われました,しかたないね)
保証人がいらない年齢まで待ちました。
学校に行けるぞ,と思っていたのだが
なんか,生命の危機を感じたので,これは学校なんていけねえぞと思った。
夢だったアパレル店員になり,掛け持ちバイトをしながら日々せこせこ働いたな。
色々あったけど,なにをいいたいのか忘れてしまった。
さっき帰宅して,大泣きして,よくわからずキーボードを叩いた。
自分可哀想やな,って思ったらちょっと楽になりました。強気で生きていきたい。
さいきん,自分の思想?に疑問を抱く,保身に走る表現が多い気がする。
もっと堂々と生きたいし がんばったらがんばった,褒められたい!って自己表現したいし
つらかったらつらい!!たすけて!っていいたいかも。自分のこと,大好きかよって思われても,いい
あ,また言ってしまいました 思われてもいいんじゃなく,いや私は私が何より一番大事です。
つらいの嫌いです。甘えだ!!とかうっせーぼけ うんちなめてろ。
スカートは履きたいなと思って書いたので意味を持ちません。さーせん。
追追記
落ちたら情報系の専門学校で2年やって就職か編入学を狙ってます。
コンピュータとインターネットが好きなのと、テクノロジーを勉強するだけで一生を過ごせると思ったからです。
自分は情強と豪語したのですが、情弱なので(どっち?)独学では学べない部分もあると思い、学問として数学や物理を1から全て教えてもらいたいと思い、大学を目指すことを決意しました。
大学で4年間教えて貰えさえすれば、あとは自分で発展させていく自信がまあほんの少しだけあるので、大学に行くことは有用だと思ってます
仕事はそんなに考えてないけど、生活出来ればいいかなぁ…仕事については高みを目指してはいないです。まあコンピュータに関われて、私生活がそれなりに楽しくなれればいいかなぁ ファッションも好きだし。
中卒で色々やってきて、半ば自暴自棄のように「ここまで来たなら好き勝手するぞ!!」という気持ちです。
独学でもできることは重々承知ですが、やるには時間がかかりすぎること、そして自己完結してしまうことがネックだと私の場合考えてしまいます。楽しいですが…
コンピュータは深くて本当に面白いです。とっても楽しい。今頑張れば、色んな人の刺激を受けられる場所にいけると思うと頑張ることも楽しくて仕方ないです。落ちたらつらいな…
研究室とか入ってみたいなぁ
クソド田舎なので、実務経験ある人しか雇ってくれないんすよね。なんかいも求人は探しましたが…
都会に出るのは、地元に恋人も居るので出たくないです。地元Love。
めちゃくちゃわかります。
自分は、やりたいことがやれない場面において
「大学が全てじゃない、学歴が全てじゃない」と自分に言い聞かせてきて色々を落ち込まないように、頑張れるようにやってきた時がありました
でも、実際わたしのやりたいこと、、?やりたいことというか、知りたいこと、知りたいことだな
知りたいことは無限で、まず学校で学びたいということで大学を選びました。
専門の名前を出したのは妥協しすぎってのは自覚してます、ほんとは嫌だ。まあ専門いくなら1年浪人するか独学で貫くかかなぁ
まずは落ちないように頑張ります
色々なアドバイス、ほんとうにありがとうございました。本当にほんとうに、心の支えになりました。
インターネットに愚痴をこぼしてしまって後悔してたけど、撤回します。こぼして良かった。
つぎインターネットで何かを公開するときは、生み出した成果を公開出来るといいな
追追追記
句読点、大泣きしながらmacをバチバチ叩いてたらカンマのままだしてしまいました。
頂きもののmacなので最初からカンマだったんだけど、治し方がわからないというかめんどくて治してないです
小さい頃から家にいたくなかったので、図書館に入り浸ってました。何でも読んでた。
あと人に質問するのが苦手なので(こわいから)自分でなんでも調べたりそっから余計なこと調べたり、雑学で雪だるまのようになった気がします
「通信制高校」に通ったのに「高卒認定試験」を受けたのか。通信制の大学入学サポート校を高校と勘違いした? 少し不自然な気がする。
「頭も要領も悪い」兄が、地元専門学校から関東の理容室に就職し独立するように親は支援したのか? それとも関東の専門学校に進学させたのか?
就職したての理容師は薄給だが、独立はできていたのか。親の支援は必要なかったのか。
その後、国立とは言え地元を離れて「私」も大学進学をしさらに現在は大学院にまで進学しているようだが、「田舎の何もない町で貧しい家で育った私と兄」という設定の割に、理解もありお金に余裕もある親に見えるがそれはどうなのか?
「田舎の何もない町で貧しい」親で「仕事柄精神疾患に理解がある」という設定もよく分からないのだが、一体何の仕事をしている設定なのか。そして、現在まだ職についているわけでもなく、これから就職活動をする身で、まだ現役で働いて養ってもらっている親の死後の兄の身の上を心配している、という設定もよく分からないのだが、まず自分がそれなりにしっかり稼げる職に就けるかどうかを心配する方が自然なのではないか?
私には発達障害を抱える兄がいる。
昔から頭も要領も悪い兄だったが、高校を中退した後、通信高校に入り直し、高卒認定試験に合格し、専門学校へ行き、資格も取り、関東で美容師になった。
元々仲が良い兄弟というわけでもなかったが、美容師になってからは薄給かつ多忙ながらも、自立した生活を送っている兄を私は少なからず尊敬していた。
田舎の何もない町で貧しい家で育った私も兄も、小中学校ともにイジメ抜かれていたが、私は兄のような人生を歩みたくなかったため、勉強だけはちゃんと取り組み、国立理系の大学に進学した。
兄の様子がおかしいことに気が付いたのは去年のこの時期のことだった。
どうも地元に戻ってきたらしいが、どうやら仕事をしている様子もない。
家族に兄のことを尋ねると、兄が発達障害と鬱になったと返事が返ってきた。
職場でのミスが度重なり、怒られてばかりの生活で精神的に参ってしまったらしい。
親は職業柄、精神疾患に理解がある人間であり、私も兄にとやかく言うような態度はずっと避けていたが、兄は発言も挙動も不自然であり、コミュニケーションを取りにくいため、この頃から兄との距離感が掴めなくなってしまった。
兄は兄で状況を改善したいようなのだが、部屋は自己啓発本で溢れており、ネットで聞きかじった知識を引っ提げて話しかけてくるため、そんな兄を情けなく思っていた。
そんな兄の鬱も春先には回復し、地元で働き口を見つけたが、職場の人間関係の悪化を理由に、数か月足らずで辞めてしまった。
夏に帰省した際は、千円カットの店で働き始めたと聞き、また美容師として働いていることに一安心したが、この年末年始に帰省した際は、また職場での人間関係の悪化により美容師を辞めてしまっていた。
現在、兄は朝五時から十時の早朝の間、スーパーの品出しの仕事をしているのだが、職場までの移動手段がないため、朝は親に送ってもらっている。暗い雪道を車で走らなければいけない親の苦労もなかなかのものである。それでいて、短時間しか働いていないため、当然稼ぎも少ない。それでも自己啓発本の数は去年よりもずっと増えたし独り言も多くなった。
大学院に進学した私は、研究活動と就職活動で忙しいことを言い訳に、兄と関わることを避け、遠巻きに兄の様子を見てきたが、とても複雑な心境になっている。
現状を抜け出せるほどの稼ぎは無く、これからさらに仕事や人間関係から逃げた先に何があるんだろうか。親が亡くなった後はどうするんだろうか。兄が生きるために必要な他者の負担はどこから発生するんだろうか。どうして兄のことでこんなに悩まないといけないんだろうか。いろいろなことを考えてしまう。
偉そうにつらつらと書き連ねたが、忙しさを理由に家族の問題を全て親任せにし、文句だけは一人前なのも幼稚な話である。
しかし、兄に自分の力で自立してほしい思いもあるため、自分から関わりに行くようなことはしたくないという気持ちもある。
ただ、むやみやたらに自己啓発本を買い漁るのだけは見過ごせなかったため、ショーペンハウアーの「読書について」を渡した。
今は渡した本を読んでいる途中らしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1548212
ポリコレ持ち出してる人までいて
子育てにも日本の義務教育にもポリティカル・コレクトネスは何も関係ないでしょうが、シアトルまで出向いたらポリコレ棒で頭でも殴られたのか?
他もここまで極端でないにしろ勘違いしてる人が多いので書いた。
まず法令の話でいうと
ただし罰則を実行するかどうかは自治体に広範な裁量があるし、就学させる義務に違反することに刑事罰は無い。
就学させる義務は
「三大義務」と呼ばれる
でもだからといって勤労義務に違反しても刑罰ねえだろ?そういうことだよ。
頭からっぽのほうが夢は詰め込めるけど
憲法で定める「普通教育」の範囲は学校教育法で規定されており、一条校での教育に限る。
また学校教育法は憲法と違って今までに何回も改正されているから、今後改正されんじゃねーの?
なお余談だが、日本はICESCR第13条に留保をつけていて、高等教育を受ける機会均等と無償教育の漸進的導入がいまだ未実施。
ただし民主党がここに関しては留保撤回済みで 自民党でも国として一度留保撤回したものもとに戻せない(韓国ならやるかもしれんが)
だからといって出世払いという借金制度を「高等教育無償化」と言い出した自民党には呆れるばかりである。
一応注釈をつけておくとICESCRでいう高等教育は大学のことです。高校じゃないよ。
とほざいて子供に義務教育をさぼらせ、教育を施す場合に子供の学習権を保障できなくなるね、だから「全面的」な教育権を親には認めていない。
他方、国や地方団体、教師にも全面的な教育権は認めていない、それぞれに一定の権利がある、としている。
つまりは親に義務教育"相当"の教育で十分とする権限は認められていない。
なお日本語を読み慣れてない人が
「ナチス教育が義務教育相当なわけないww」とか言い出しそうだが
線引問題はこの話の本質じゃないから大多数がNGとするであろうレベルを例にしているんだぞ
どんな教育法であれ親の考える教育が子供の学習権を侵害しないとされるか、合理的な方法が立法されていない、18歳時に高等学校卒業程度認定試験に合格できりゃいいんじゃねえの?ならナチス万歳教育だって高卒認定取れるならOKになっちゃうだろ。いいのかそれで?そして繰り返すがこの点は話の肝じゃありません。
第十六条 保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
第十七条 保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う
これは大事な指摘で
だが法の精神が唱えるところには足りていない
コメの中でこれが一番正しい。 子供には学習権を基にした国、教師、地方自治体、そしてなによりも親に対して自分の学習権の保障を要求する権利がある。
子供の学習権の保障は「第一義的に親」が行うことになっている、なのでまずは親に要求するのが子の通すべき筋であり、応えるのが親の義務でもある。
もちろん親からさらに地方自治体や国に要求するのも権利関係としては正しい、正しいだけで現実的な解は別だけどね
ついでに学習権の要求ができるまで学習権について深く理解し自己の尊厳を守るための意識発達が行われたならその子供は褒め上げてあげるべきだし、みんなに自慢して良いと思う。
しかしながら「子供には就学する義務は無い」程度の浅薄をほめれるやつがブクマカに多数いて、おつむが中学生と同レベルな事はかわいそうに思うが、義務教育は年齢で区切られているからもう手遅れなんで勤労と納税の義務をはたせよと思うばかりである。
http://yakanchugaku.enyujuku.com/shiryou/unescogakushuuken.pdf
この中でも謳っている通り
親の義務とは何か?就学義務なのか?と言われれば法令上はそうなる、あってる。
しかしながら、条約や法の精神が求めるところはそれでは足りていない
と謳った
第1条である。
その具体的な権利の一つとして「学習権」が子供に認められた、だからこそICESCR 第13条にはこう書かれる。
教育についての権利。教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し、人権と基本的自由の尊重を強化すること。
学習権とは人間的発達のために必要なものであり、自分が唯一無二の人であること、それと同じくらいに他者も唯一無二の人である、そのように世界を認識するために必要なものだ。
BLMもそうだし男女の殴り合いもそうだが、自らの人権と相手の人権を守ることができる人間を増やすことが今、世界の抱える病魔を解決するための道だろう?そのためにも必要なものの一つが学習権なわけだ。
そして「権利」とは「環境」があってこそ初めて実質的な意味をもつ。絵に書いた餅じゃなくなる。
例えばこの世に男子校しかないのに「子女には学習権がある」なんて謳って終わりにしてたら絵餅だろ?
他の権利も全てそう、
コロナ対策で君たちには10万円受け取る権利をあげよう!ただし実施がいつかは決めていない、私の気持ち次第でそれは明日かもしれないし100年後かもしれない
とか言い出したら、なるほどボケてんのか、ってなるだろ。
ただし国内での販売は禁止するし国内での譲渡も禁止、国内での栽培も禁止、海外から持ち込むことも禁止
ってなってたらそれは実質禁止とかわらんだろ?
自由権であろうと社会権であろうと、「権利」を行使できる「環境」を整える事が「権利の保障」であり、環境を奪っておきながら「お前にも権利はある」って言っちゃう人、自分が学習権の行使できなかったんだねーって思うわ、可哀想なので哀れんであげる。
さてそういうわけで
つまり「親の義務」として日本国憲法でも義務化されているものとは法令上は確かに就学させる義務だ、
しかしながら、人類普遍の法則である人権と日本国憲法が要求する義務とは「子供が学習権を十全に行使できる環境を整える事」であり
私は「ADHDの特性」と言われている多動やら衝動やら不注意やらをビンゴしてる人です 強弱はあるけど特性自体は全部あります
なので締切超過と遅刻と忘れ物とはお友達でした ついでに人の話も聞けないし活字も読めません
結果教師からの信頼が地に落ち会う度に小言を言われるようになりました
学校以外でも締切超過で失敗し続けました
親は引きこもりへの当たりがキツいので何も言い出せずただ保健室登校をして時々学校を休んで無理矢理登校させられてとんでもなく苦しかったです
結局言い出せて精神科行って療養期間に漕ぎ着けたものの何も楽しくなかったし自殺もしかけました
自殺しかけた時にその親が「生きてるだけでいい」って言った事と療養中に自分の趣味に生きがいを見いだせた事で辛うじて生きてます
でも友達が受験して進学してる姿を見るようになりました あとやっぱり生きてるだけでは何にもならない気がしてきました
焦ったので私も高卒認定取って受験勉強して…と考え始めたのですがやって大学入学した所で同じ事の繰り返しをしてしまう可能性を考えると鬱気が酷くなりました
でもよくよく考えると私の失敗はADHDが大きい要因である事が殆どだっためそれを治せばいいのでは?と考えました
小さい頃からADHDの特性がかなり強かったから多分自分は真性のADHDなんだと思います
と考えて気づきました
私は初診の時にADHDだと自己申告してテストでもADHDと判断されたのですが、貰った薬を調べてみたらADHDの薬は一つもありませんでした
ADHDの話ははぐらかされるので言えませんでした
その病院は去年くらいに「もう来なくていいよ」と言われた境に行ってないです
ADHDは対応してる病院が少ないとは聞いてたけどここまでとは知らず
であれば他の病院にもないのでは?こんな田舎町に最近発見された病気を扱うところなんてないのでは?と思うと何も信じられなくなりました
何より治療もままならないような病院にお金を払おうとすると親が怒ります
行動取れません
物忘れが激しいのも締切守れないのも毎日遅刻するのも三日坊主なのも世間では一般なのでは?みんな努力で解決しているのでは?
もうどうしたらいいか分からなさ過ぎて毎日鬱です 助けてください
どうしたらいいんですか ADHDってなんですか
金がない。職場も自粛で休業になった。職業はキャバ嬢。休業補償なんてないし、国からの支援も受けられない。
頼れる家族もいない。生まれたときから上手くいかない人生で、それでもそれなりに生きて三十路まできたが、今回ばかりはそろそろ終わりかもしれない。
生まれてすぐ、親には育児放棄された。どういう流れか知らんが、父方の祖母に育てられていた気がする。
小学校高学年の頃に両親が離婚した。母親に引き取られたが、今でいうネグレクトみたいなやつで、家にいられなかった。
私は適当な駐車場の隅で寝たり、同じように放置されてる子の家で寝かせてもらったりしていた。
食事ももらえなかったり、給食費もらえなかったり色々あったから、そのうち学校も行かなくなった。
中学に入ってもあんまり変わらないというか、むしろ私が反抗期に入って余計荒れて、状況はひどくなった。
ある日、母方の祖母がやってきて、私を引き取った。お気に入りのぬいぐるみ一個だけ持っておばあちゃん家に行った。
おばあちゃん家に行っても安寧はなかった。気難しい祖父と何かとぶつかり喧嘩ばっかりだった。
高校は行けなかった。不登校なりに勉強して、進学も希望していたが、親権を持つ母親が反対した。
お前は高校なんて行かなくていい、お前に回す金があるなら弟に使う、だそうだ。
祖父母も母親に同調した。女が学歴なんか持たなくていい、と言われた。似たもの家族だなぁと思った。
この時までにすでに、親から「しね」「お前なんて産むんじゃなかった」などテンプレなこと言われたりなんだり、
他の大人にも問題児扱い、私自身も何かとごちゃごちゃ悩む性格だったので、死にたいモード真っ盛りだった。
それでも、死ぬ勇気なんてなくて、とりあえずアルバイトした。働いて金さえあればなんとかなる、と思ってた。
だけどそうそう上手くいかなくて、職場の人間関係はいつも最悪。幼稚な人格と他人への不信感マックスが相まって、仕事もへたくそ。
年上のお姉さま方には嫌われ、いつも孤立。男性陣には、無関心を貫かれるか、変態に好かれるか。痴漢、靴下売ってくれ、ストーカー、いろいろ体験した。
中でも一番の衝撃だったのは、ある職場の上司に、個室に連れ込まれ、手コキを強要されたこと。
子供だった私はオナニーとか射精とかよく知らなくて、言われたままに勃起したチンコをただシコシコした。なんとなく気持ち悪さは感じた。
ある職場では、壮絶なパワハラに遭った。特に、毎日の人格否定と、休日にかかってくる上司からの6時間以上の長電話がつらかった。
もともと病んでたが、これが追い打ちになって、鬱状態になった。
そんなときに、旦那となる彼に出会った。彼は私の現状を知って、助けるって言って結婚した。
私の本音は、「この人はダメ」だった。彼のふるまいを見ててなんか引っかかるものがあった。それでも流されて結婚した。抵抗する元気なんてなかった。
元旦那はモラハラ男だった。たまに暴力も振るった。家から出るなと言われ、専業主婦とは名ばかりの軟禁生活が始まった。
生きるのに疲れてたから、それでもいいと思った。旦那のことだけ気にしてればいいし、言うこと聞いてれば怖いことはない。このまま旦那のそばで年老いて、死ぬんだと思った。
癌にもなった。相変わらず精神も病んでたが、なんとか生きてた。死にたかったけど死ねなかった。
旦那が死んだらどうやって生きていけばいい?
職歴もなく、資格もなく、自分のお金もない自分が、どうやって生きていけばいい?
なんかハッとして、このままじゃいけないと思って、旦那に働きたいとせがんだ。当然、却下された。
それから何度も何度も頼んだ。激しい喧嘩もした。徐々に旦那の束縛が嫌になっていって、離婚を考えるようになった。
結局、離婚した。離婚して1年以上経つが、たまに考える。もっと上手くやる方法はあったんじゃないか?って。
でも、旦那は絶対に変わる気はなかったし、私も目が覚めてしまった以上、家に閉じ込められて死ぬのは嫌だった。仕方ない。
離婚して一人になって、まず派遣をやった。ハロワにも通った。上手くいかなかった。
学歴もなく、職歴もない、資格もない、精神は病んでて、能力もない。何もない私に、社会生活は難しかった。
同年代が、やれ出産だ子育てだ、昇格だなんだと言ってる中、私は15歳の頃から何も変わってなかった。焦った。
高卒認定をとろうと勉強した。小学校からまともに勉強してなかった私には、もう難しかった。
資格をとろうと思った。金がない。とにかく働くしかなかった。なのに、鬱が酷くなったり、不眠のせいで、仕事も上手くいかない。
幸いにも、理解のある上司で、鬱で情緒不安定になろうが、体調不良で震えてようが、クビを切られることはなかった。
夜職は居心地がよかった。こんな自分でも受け入れてもらえる。色々病むことはあるけど、努力すれば結果が出る。
このまま、夜の世界で生きていくのもいいな、と思った。
夢とか希望とか、自分のやりたいこととか目標とか、何にもないけど、この職業は嫌いじゃないと思った。
夜職に入って、差別的なこともたくさん言われたし、保証も何もない職業だけど、頑張ろうって思った。
その矢先、コロナである。はい、休業。収入ゼロ。貯金もない私、再び生活困窮者に逆戻り。
ちなみにだが、夜職は稼げない。歌舞伎町の有名店ナンバーワンとかなら話は別だが、田舎の場末のキャバクラじゃ、たかが知れてる。
今は再び派遣バイトをしている。けど、コロナの影響で派遣先が休業になったり、人員削減になったりで、椅子取りゲームみたいになってる。
バイトの面接も受けたが、落ちた。30過ぎの、何もないおばさんを雇うところがあるのか、自分でも自信がない。
このままじゃダメだと思う。出来ないから、自分の人生はこうだったから、なんて、甘えてぐちぐち言うのはよくないと思う。
自信もないし、めそめそする気持ちも嘘じゃないけど、死ぬ勇気がないんだから生きるしかない。生まれてしまったから、生きるしかないのだ。
考えることもやることも山積み。死にたい。明日の生活費どうしよう、支払いどうしよう、仕事どうしよう、この先どうしよう。不安しかない。