はてなキーワード: 学年主任とは
「英語だの英会話だの言うけど、おまえら日本語正しくつかえてっかーって話だよな」
と言った。
それをまに受けた。中学になっても「日本語を正しく使えないくせになにが英語じゃ」と、まったく勉強せず、三年生のときに、“do” と “be” の意味がわからない自分に気づいた。両親は夏目漱石の『こころ』すら読んだことがないらしい。
「いじめ」という言葉が広まるまえに、わたしはいじめられていた、らしい。わたしはその、嫌がらせをしてくる奴らのことを、友達だと思っていた。つらくても楽しい気持ちはずっと保っていた。でも友達たちといて、仲間に入れてくれることはなかったから、親に話すのは「〇〇くんが仲間に入れてくれなかった」「〇〇くんに殴られた」「〇〇くんに無視されてる」しかなかった。
親はそんなわたしのことを見てなのか、
「おまえは耐えててえらいよ。〈憎まれっ子世に憚る〉っていうでしょう。きっとおまえは凄いおとこになるよ」
と言った。そのことを、一年前に入院した病院で出会った、統合失調症の父親よりも年齢が、一回り上の男性に話した。男性は、
「いじめられてるーって、親がなーんにも対処しないで、子どもを〈憎まれっ子〉って言えちゃうのは、おかしいよなあ。おれはそれは、ぜったいにおかしいとおもう」
と言った。
両親はよく、我が家のことを話すとき、枕詞のように「うちは貧乏だから」と付ける。わたしは家が貧乏だと感じたことは、一度たりともない。
お寿司が食べたい、とそうせがむわたしをみてか、スーパーで安い刺し身を買ってきて、酢飯を作り、母親と一緒にお寿司を作っていた。我が家ではそれを〈貧乏寿司〉と言っていた。〈貧乏寿司〉には、いくつか外れがある。中にとんでもない量のわさびを入れているのだ。こいつに引っかかったら、顔をしかめて「水、水!」と叫ぶしかない。いや、記憶によると、そう叫ぶことすらできなかった。数年後、父親がマイホームを建てた。わたしはそこで「ねえ、また〈貧乏寿司〉がたべたい」と言った。
中学にあがって、担任教師との相性が頗るわるかった。というのもわたしが捨てた、英語の担当であったし、なんにせよマークされていた。無視されたり、授業中に〈できない生徒〉として吊し上げられたり。
しょうじき、イヤミな先生だなあ、としか思っていなかった。同じくマークされてる友達同士で、提出物にその先生の似顔絵を描いて提出したり、授業中に顔を見合わせて、いっせーので突っ伏して、終わるまで顔を上げなかったりして楽しんでいた。
担任教師について親に聞かれると、その、嫌だったことをよく喋った。楽しかったことが思い浮かばなかったからだ。
一年も終わりになるころ、親が、いまさら担任教師について直訴してくる、だのなんだの言っていた。わたしはお小遣いで手に入れたゲームをやるのに精一杯だったから、軽く流しておいた。それでも聞いてくる。「なにされたの?」「なにがいやだったの?」「つらかった?」などと。いらだちが高まってくると、アタマが熱くなった。わたしは涙を流していた。なんの涙かは知らなかったけど、親はきっと、わたしがつらかったから、こうして涙を流しているのだろう、と、思うのだろう、と考えられたから、声を大きくしてワーンワーンと泣いた。親は
「これまでつらかったでしょうに。よしよし。つらかったらかあちゃんことも、頼っていいんだよお。パパだっている」
と言った。わたしは、正解だったんだなあ、と思った。
母親は、校長と学年主任、その担任教師と話をしてきたらしい。当時はその内容を知らなかったが、どうやら校長とは、学年が上がった際に、その担任教師とわたしを同じクラスにしない事を、確約していたらしい。わたしの大好きな人は、その担任教師のクラスになった。
卒業式の数日前、クラスの先生たちが演説のような、羽ばたくキミたちへ、的な話をした。
「英語というのは、道具です。ええ?! と思われるかもしれません。が、あなたがたが学んできたものは、実際に使われている〈言葉〉です。私が話している、あなたがたが話している日本語と、同じです。思考のツールなのです」
しかも今年は同じ学年の担当で、何なら4月から斜め前の席でいる。
近いと色々見えてきて、まぁなんでこんなやつと付き合っちゃったんだろうなって感じ。
去年の私は先生になったばっかりで何もわからなかったし、別の学年で絡みもなかったから騙されたけどまじであいつは変なやつすぎる。
そもそも激務の教員で、絡みがないのに新人にやけに話しかけてくる暇そうなやつは、よっぽどの世話好きのフレンドリー野郎か、仕事しない上に他に相手をしてくれる人もいない可哀想な人だわ。完全に後者。
若いってだけでもてはやされたり、いじられたらするのに、元カレに関しては誰も何もないし、何ならみんな目を逸らして苦笑いするあたり察したわ。
教育実習生に話しかけに行ってそのまま数時間居座って会議サボったり、職員室でスプレーして香水の匂い撒き散らしたり、勤務中に普通に居眠りするし、朝の打ち合わせ始まってから出勤して、校長が話してる中ご飯食べるし、まずクラスも学校の仕事やらんし、えっ何のことやってるの?授業だけ??年齢も経験も下のやつが何人もこんなに働いてるのに???まず授業もこだわり強いくせによくミスるよね。確認してるの????
てか普通に間違えたり、悪いことしたら謝れよ。なんですぐ言い訳するの?意味がわからないんだけど。
若手が動けとは言われるのまじ私だって嫌だけど、お前は動かなさ過ぎだよ。なんで暇なお前がやらなくて忙しい学年主任とか他の先生が雑務とか、誰でもできる生徒に呼びかける仕事してるわけ??職員室で呑気に音楽聴いてるんじゃねえよ。
テストのための教室整備ぐらいやりなよ、クソ汚いのを何で隣のクラスの先生が掃除してるの?まず生徒指導もなんでやらないの?生徒に嫌われるのが怖いわけ??指導担当の先生の前ではいい顔するくせに、いなくなった途端に人に押し付けてきて普通に普通に引いたんだけど。
気まずいから必要最低限喋らないし、何なら喋りたくない。話したところで話つまらないし。
まじ久しぶりにLINEきて付き合ってた黒歴史実感したわ。しかもLINEの内容お前のミスったやつの尻拭いの依頼かよ。まずミスったなら謝れ、そしてちゃんとお願いしろ。さも当然のように頼んでくるな。そして私のやった仕事、ミスをバレるのが嫌だったからかわからんけど勝手に消すな。
あー別れてよかったし、付き合ってる時も変なやつだなと思ってたけどまじで恥ずかしい。何も尊敬できない。
生徒に普通に今までの恋愛歴を報告してることとか、付き合ってすぐ匂わせしたことも、何なら別れた報告もして、次の狙ってる彼女候補(3人)について話してたことも、全部生徒から聞いたよ?ほんとにやめたほうがいいよ。
あと職場の飲み会で消えたと思ったら知らない女に声かけてるのやめろ。まじ病気だぞ。あと会費払ってないだろ。私を含めた幹事が負担したぞ。
あーーーー思い出すと色々でてくる。職場での秘密の恋()だったせいで全然話せないけど、まじで無理すぎる。最近は強めのエンターキー押す音さえイライラする。エンターキーがかわいそう。
とりあえず去年の今頃の私に言いたい。同じ学校のやつで、評判悪いやつと付き合うな。LINE交換するな。
早くブロックしたい。
自分は高校時代、いじめられており友達もいなかったため、あまり良い思い出がなかった。
いじめと言っても、直接暴力を振るわれるわけではなく、陰口を言われたり、近くを歩いているだけで「キモい」と言われたりする程度だったので、基本的に無視していた。
大学は上京し、同じ高校の人がいない大学に進学して、高校時代のことを忘れるほど楽しく過ごしていた。
大学卒業後、海外の国際機関で働いているのだが、高校時代の学年主任からFacebook経由で「同窓会誌に載せたいのでインタビューを受けてくれないか?」という依頼が来た。
高校の同級生は嫌いだったが、学年主任には悪い印象はなかったので依頼を受け、Zoomでインタビューに答えた。
数か月後の同窓会誌に掲載される予定だったので楽しみにしていたところ、教師から突然「お前の記事は差し替えになった」との連絡が入った。
曰く「校正までは終わったが、入稿の段階でこの内容は掲載できないという話になり、取りやめになった」とのことだった。
高校時代の少ない思い出をポジティブに語り、現在の活動について話しただけなのに、なぜ圧力がかかるのかと思ったが、どうやら校正を見た同級生が「陰キャだった彼が海外で活躍しているなんて許せない!」ということで同窓会誌編集部に抗議をしたらしい。
そんな抗議で記事を取りやめにする編集部も情けないし、そんなことで抗議する同級生はもっと情けない。やはり高校時代のカースト上位の人たちにとって、陰キャが陰キャのままでいてほしいのだろうか。
という過去の話。
朧げなのを理由に改変あり。
当時は中1女子。
考えられるいじめられた原因は主に4つ。
本人がいない間にバッグにベルトを入れあっては「やめろよ〜」って言い合う遊びをしていたらしい。
本人抜きで学年主任の授業1時間が学活になった。内容は知らない。
こんな感じのいじめ内容と原因(実際には被害者に言えないようなもっと酷い内容のものもあったのかも)なので、我ながら被害者側がそれなりに悪いと思うし、加害グループも本当に遊んでいただけだと思う。
一部の加害者とは同じ高校に進学し、同じクラスにもなったがあの後全く関わりはない。
その同居人ともうまくいっていない。
親に「風呂に入れ」と怒鳴られたし、今は同居人に「臭い」と言われる。
風呂に毎日入る理由がわからず、外見に変化が見えたり頭が痒くなったり他の人と会う直前になったりしたときに入る。
ここ数ヶ月は1日のほとんどを自宅で過ごすのでまだいいが、毎日出かけていたときも毎日風呂に入れなかった。
また最近、外に出ないので急速にあの頃の体重に戻ってきている。
食生活に気をつけたり、7000歩程度の散歩をしたりしていたが、どんどん太っていったので半分諦めている。
あの頃はその後、自転車でよく出かけるようになって痩せた。
今後も痩せるような機会があれば自然にそれにハマって痩せるだろうし。
私としては、いじめられて傷ついたりは一切していない。
教科書が破られたり、上履きの中に画鋲が置いてあったわけでもないし。
むしろ、誤解を恐れずに言えば、被害者の気持ちを重視せずに解決されたので、感謝はする一方で気持ち悪さを感じる。
被害者の気持ちはどうでもいい、いじめかもしれないことを見過ごせない!
私のクラス、私が主任の学年、この学校でいじめなんてあってはならない!
加害グループ本人たちから謝られはしたけど、「〇〇さんごめんね」と一人一人言われ、戸惑いながら「うん」としか返せず、それだけ。
配慮してくれた結果だと思うんだけど、蚊帳の外にされている気がした。
こんなことが頭によぎるからいじめられるし、人間関係がうまくいかないのだと思う。
家庭では、風呂に入っていない、適切な下着を着ていないことで親に相談され、風呂に入ったと嘘をつくと怒鳴られる。
風呂に入ることも、入らずに怒鳴られるのも嫌だったのでボディタオルを濡らしてやり過ごしていた。
それで判断していると親が言っていた。
歯磨きも、まだ磨いていないだけなのに歯ブラシの毛先が濡れていないと怒鳴られる。
親のこういうところが気持ち悪い。
現在、あの頃の状態になっており、なんとなくだがこの状況をなんとかしたい。
不健康、不衛生。
他者とうまくいっていないのはずっと。
見えないところで自分のために動いてくれる同級生も教師もいない。
自立したいけれどその術を知らない。
松本人志は圧倒的にいじめられっ子<いじめっ子として生きてきてるで。
大体苛められっ子が、虐めといじりの境界線を、笑えたらいじりで笑えなかったら虐めとか言うと思うか?
オレは幼いころ、何を隠そう、イジメられっ子だった。幼稚園のときのプールの時間、自分の水鉄砲をとられても、ただ泣いてるだけ。先生に泣いている理由を聞かれても答えられないほどの気の弱い子供であった。
小学生の時。岡田って奴が居てね。足が悪くてね。片足引きずるように歩くの。オレ何度かイジメた事が有ってね。でも子供って気まぐれで。いちど家に遊びにいったの。友達でもないくせに。。。そろそろ帰ろかなって思ってたら岡田のお母さんがパートから帰ってきてね。。。
2013.06.12 00:43
https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344479996892565505
松本人志@matsu_bouzu
。。。クラスメイトを岡田が連れてきたの初めてやったんやろうね。お母さんが凄い嬉しそうで。オレにやさしくて。ありがとうね。仲良くしてあげてね。って何度も言われて。。。オレ罪悪感でたまらんようになってね。。。おばちゃんオレ岡田のことイジメたこと有るって。言えなくてね。。。
2013.06.12 00:44
https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344480235489746944
松本人志@matsu_bouzu
。。。なにより。岡田がお母さんの前でオレと親友のふりしたのが切なくて。辛くて。。。オレ心の中で。岡田と。お母さんと。いろんなもんに何度もゴメンなさいって思って。。。
なんとなくの昔話。。。
おわり。
高校時代にミニコント感覚で被害者が遺書を書き停学になるレベルの虐め
同級生に飛び蹴りをくらわしたり、頭をポカンとどついたり、まるでおもちゃのように扱っていた。
こんなこともあった。授業中、突然立ち上がり、スーツと前へ歩いていったかと思うとみんながよくいじめていた同級生の頭をパカンとどつく。どついた後、表情一つ変えないで、いつものあのムスっとした顔で、スーッとまた席に戻る。
いつもいじめていた同級生が、ある日遺書を書いて、自殺をほめのかした。その遺書の内容は、「僕はいつも学校に行っていじめられています。特に松本は、僕をいつもトイレに連れ込んで、雨あられのようなパンチを振るいます。これ以上学校に行ってもおもしろいこと何もありませんから、僕はこの世からいなくなってしまったほうがいいと思っています」
「俺らは何回も停学くらってたから、あのときは無期だったんかな。松つんは初めてだったから、確か二週間か一ヶ月ぐらいだったと思うわ。担任の先生と学年主任に職員室に呼び出され、停学の宣告を受けたの覚えとるわ」
松本:高校の時無期停学になった時の話があってね。ほんまにな五人ぐらいでな、遊んでてん。いわゆるほたいてたんやな。で、あの一人ちっちゃい奴がおってんけど、そいつを何かこうみんなでミニコント的な感じで、こう膝蹴りみたいのを…もう全然入れてないで。
松本:ヘッドロックう~やったりとかしてたわけよ。でも、確かに若干いじめられっぽい感じの奴やったけど、少なくともその場は遊んでやってたわけよ。俺らにしたらもう普通にミニコント、遊んでるだけやったんけど、次の日に原稿用紙5枚ぐらいに、そいつがあのー「集団リンチを受けた」みたいな。
松本:あの~誰々君にヘッドロックをされ、その後松本君が膝蹴りを数発僕の腹部に…みたいなことをバーッと書かれて、ほいで全員無期停学になったのな。で、そん時は「いやいやいやいやー、ありえへんなー」って。
松本:ほいでみんな他の5人も全員みんな「いや、もうあいつ頭おかしいんかい」という話やんか。いやねんけど、まあまあ今になって考えると、彼にしたらそんな感じやったんやろなあ。
あれ嫌いなんだよね
どっちかというと「いじめられる方にも原因がある」派
例えば小学生の時、同じクラスにスンゲー髪の長い子がいたのよ。
背が低いから椅子に座ったら床にまでつきそうなレベルの。いっつも結んでない。(親の言いつけとかでそうしてんのかな?と思ってたけどその子の姉によると本人の希望で頑なに切らないらしい)
給食当番のつけるキャップに髪が収まらないから出してるんだけど、その子がよそうおかずに髪がついちゃったりすんのね。
イヤじゃんそれは。俺はイヤ。
でも先生が言っても親が言っても髪を切らないし、もちろんクラスメイトが言っても無視。
だからみんな、その子が給食当番をしているときは配膳台に並びたがらなくなった。
そしたらしばらく経ってその子が数日学校を休んだと思ったら、学年主任が出て来て「クラス総出でいじめをするとは何事だ!」って説教。あとはテンプレ
まあ小学生の露骨な態度って大人でも割と傷つくし、そこに悪意が見えたならその子は大変傷ついたんだろう。
それに関して俺も態度を隠せていた自信はないので普通に申し訳ないと思っている。1対複数の状況だしね。
でもその状況をつくり出したのは誰?っていう。
もちろん何か譲歩策が出せないまま”不快を態度に出す”っていう浅はかな言動をした俺含めクラスメイトが最も悪いのは言うまでもないよ。
けどそれで「加害者が100%悪い」って言われるのは納得がいかない。
髪を切るかせめてくくってくれという懇願を、何度もした。
「おい髪どうにかしろよw」とかいうからかい混じりとか嘲りまみれのソレではなく、結構まっとうにお願いしていた(俺主観)。
でもその子は自分のスタイルを変えなかったから、俺たちがダメな方向に変わった。
その子に対する態度がいじめだと自覚していた人間なんてその時いないだろうし、けれどその子がいじめだと感じたんだから事実いじめだったんだろう。それならクラスメイトはみんな同罪だ。
比率で言って100:0で俺たちが悪いのか?は今でもよく考える
80くらいまでは「マジで俺が悪かったな…」って思える。99くらいまでは「やっぱ俺が悪いかも」と思える。でも1くらい情状酌量の余地があってよくないか?
その子が「私のスタイルがクラスメイトに不快感を与えているんだ」っていう自覚さえ持ってくれたら、絶対お互いこんなことにはならなかっただろうと思う
顔の造形とか身長とかまあギリ体臭とか、本人の努力でどうしようもないこととか他人に強いられて仕方なくしてることならともかくさ、自分でどうにでもできる範囲での話ね
言うまでもないけどいじめって何億色あんねんが前提だから「なんとなく」とか「そこにいたから」とかそういうテキトーな理由でいじめられたガチ無罪いじめられっ子の話は別だよ。それは加害者が100%悪い
(以下全て仮名)
石原くんと榊原さんは高1~高2にかけて交際していたが別れ、榊原さんは高3の4月からは山田くんと交際開始。
高3の5月のこと、榊原さんは「あしたうちくる?」と石原くんにメッセージを送り、石原くんは榊原宅を訪れた。
ベッドに入った榊原さんは「入っていいよ」と石原くんを誘った。
二人は同じベッドでキスをしたり体をさわりあったりはしたものの、セックスまではしなかった。
榊原さんは「石原くんがうちにきてえっちしてきた」と山田くんに報告をした。
息子のスマホを覗いた山田父は、「息子の恋人が同級生にレイプされた」と誤解をしてしまった。
山田父は学校や教師宛に「石原は婦女暴行をしているから調査してほしい」と匿名でメールを送った。
学校側は石原くんを呼び出して女性と不適切な関係を持っていないか問い、彼氏持ちの榊原さんとペッティングした石原くんは曖昧に肯定した。
「石原くんはレイプを認めた」と知らされた山田父は、匿名のTwitterアカウントを作り、石原くんに対し「性犯罪者」「告発する」とDMを送った。
山田父は素性を明かして学年主任の沢村先生に会い、榊原さんを守ってあげてほしいと頼み込んだ。
沢村先生は石原くんを呼び出し、榊原さんにやったことは犯罪である、榊原さんに付き纏わないようにと厳しく指導した。
山田父は榊原さんと面談し自分は事情を知っており味方である旨伝え、榊原さんは非常にうろたえ何も言わなかったが山田父はそれ以上問い詰めなかった。
また山田父は石原くんに対しても名乗った上での直接の面談を求めるメールを送った。
石原くんは「今日僕が死んだのであれば、原因は沢村と山田父にある。この二人は僕を犯罪者に仕立て上げた」と遺書を残し高さ30メートルの橋から飛び降りた。
幸いにも命は留めたが、下半身麻痺により車椅子生活を余儀なくされ排泄障害も発生した。
石原くんと事情を知った両親は、高専と山田父と榊原さんに連帯で1億9700万円を求め提訴した。
裁判の過程で、榊原さんは未成年であり事態の進展からも蚊帳の外であったため外された。
高校時代は小さい同級生を自殺未遂に追い込んだといじめ仲間も言ってるし自分でも虐めていたと言っている
ワイドナショーでも松本は笑いが生まれたらイジリで、笑わなかったら虐めって言ってたじゃん。
同級生に飛び蹴りをくらわしたり、頭をポカンとどついたり、まるでおもちゃのように扱っていた。
こんなこともあった。授業中、突然立ち上がり、スーツと前へ歩いていったかと思うとみんながよくいじめていた同級生の頭をパカンとどつく。どついた後、表情一つ変えないで、いつものあのムスっとした顔で、スーッとまた席に戻る。
いつもいじめていた同級生が、ある日遺書を書いて、自殺をほめのかした。その遺書の内容は、「僕はいつも学校に行っていじめられています。特に松本は、僕をいつもトイレに連れ込んで、雨あられのようなパンチを振るいます。これ以上学校に行ってもおもしろいこと何もありませんから、僕はこの世からいなくなってしまったほうがいいと思っています」
「俺らは何回も停学くらってたから、あのときは無期だったんかな。松つんは初めてだったから、確か二週間か一ヶ月ぐらいだったと思うわ。担任の先生と学年主任に職員室に呼び出され、停学の宣告を受けたの覚えとるわ」
松本:高校の時無期停学になった時の話があってね。ほんまにな五人ぐらいでな、遊んでてん。いわゆるほたいてたんやな。で、あの一人ちっちゃい奴がおってんけど、そいつを何かこうみんなでミニコント的な感じで、こう膝蹴りみたいのを…もう全然入れてないで。
松本:ヘッドロックう~やったりとかしてたわけよ。でも、確かに若干いじめられっぽい感じの奴やったけど、少なくともその場は遊んでやってたわけよ。俺らにしたらもう普通にミニコント、遊んでるだけやったんけど、次の日に原稿用紙5枚ぐらいに、そいつがあのー「集団リンチを受けた」みたいな。
松本:ほいでみんな他の5人も全員みんな「いや、もうあいつ頭おかしいんかい」という話やんか。いやねんけど、まあまあ今になって考えると、彼にしたらそんな感じやったんやろなあ。
地元駅弁大学の理学部と理学研究科を経て地元の中学教師をやっていた。
俺「なるほど」
俺(生徒ガチャ外れ!いじめとかどないしろっちゅうねん!主犯格転校でもさせるか?そんなのできるわけねえだろ!注意するか?主犯格の親もDQNで怖い…主犯格の彼氏も暴れると手のつけられない奴だしな…)
俺「実はかくかくしかじかで…」
生徒1「学校に来れません」
生徒1親「どうすればいいんですか?」
俺「どうすればいいんですか?」
俺「ははは〜さあね〜それより全校集会までに髪の色戻してね〜1のこと気になるの?」
母「あんたの前のお父さんが死にました。再婚相手との間に子供はいません」
俺「閃いた!」
校長「増田先生が大学院の博士課程に進学するため退職されます!いつまでも学び続けようとする姿勢は皆さんも是非見習ってください!」
俺「お世話になりました!(よっしゃ!逃げるが勝ちだぜ!)」
ー完ー
そんで、パレードでは女子で作った即席のカラーガード隊が小さな旗持って踊り、6年生の男子7、8人で作ったカラーガード隊がでかい旗持ってそれを回したらしながら先頭を歩くわけ。
俺は小さい頃からそれに憧れたから、募集があった時にすぐ手を挙げたわけ。陰キャだったけど勇気を出してね。
そんで周り見たら、俺と同じような陰キャが数人手を挙げてた。人数的にはちょうどぴったりくらい。
そしたら学年主任が苦笑いして「もっと他にやりたい奴はいないのか?毎年カラーガードはすごい人気なんだぞ!」と繰り返すわけ。
人数的にはぴったりで、他に誰も手を挙げないのに教師たちは一向に決定しようとしない。
ついに痺れを切らした教師が「〇〇!お前も立候補な!〇〇!お前もだ!」とか言って、次々と地元サッカークラブで活躍してたり毎年リレーのアンカーに選ばれるようなイケメン陽キャ集団を指名するわけ。
そいつらは「えー!いやだ!面倒くさい!やりたくない!」って嫌がるんだけど、教師は「お前ら立候補決定!」とか言うわけ。
そんで立候補者が決まると「よし!じゃあカラーガード隊は…〇〇!〇〇!〇〇!…」とか言って、自分が強制的に立候補させた奴らをカラーガードのメンバーに選んで行った。
俺含め当初立候補してた奴らは誰も選ばれなかった。
そんで運動会当日、マーチングのカラーガード隊はやっぱりかっこよかった。家に帰った後に母親から「あれ私の時もあったんだよ!かっこよかったね!あんたもやればよかったのに!」と言われた。
泣いた。
「シンプルに言ってしまえば、詐欺の上に成り立っている性行為です」――子どもを手なずける「グルーミング」とは #こどもをまもる
https://news.yahoo.co.jp/articles/527805a30cc3f103a5bec08280572b6bafe0ad20
では、グルーミングの被害から自分自身、あるいは子どもを守るには、どうしたらいいのだろう。西田さんは、次の3点をあげる。
1. グルーミングという手法の存在を、未成年者に知ってもらう。その場合、「自分の言うことさえ聞いていれば、うまくいく」といった言い方をする人は怪しいといったように、具体的に説明する。
2. たとえ信頼している相手でも、裸の画像を送れと言ってくるなど性的な要求や話題を振ってきた段階で、「これを受け入れてはいけない」とシャットアウトすることの重要性を繰り返し伝える。また、そういうことがあった場合、親か第三者に報告か相談するよう教える。
3. 学校やスポーツクラブ、なんらかの集団の場合は、集団としてグルーミングから未成年者を守ることを責務とする。具体的には、1対1の個別指導はしない、常に第三者の目が入るような組織にしておく、など。
これだけ危険が蔓延しているので、生徒にはとにかく身を守るように理解させる。
大人たちが先回りして生徒を守る。
https://news.yahoo.co.jp/articles/144435d08e6ae72b9998ac729fb94e5636ee0fc0
知的障害のある生徒が在籍している特別支援学校高等部の学年主任を対象にした調査で、約7割が男女交際を禁止または制限していることが24日までに分かった。北海道のグループホームで昨年明らかになった不妊処置問題では、知的障害者の性的関係をタブー視する風潮が背景に指摘されており、専門家からは学校現場に対応を見直すよう求める声が出ている。
逆に、知的障害がある生徒の性的関係についてはタブー視を見直して、本人たちの自由に任せるべきだろう。
そこで、健常児の交際に警鐘を鳴らし、知的障害児の交際はより強い姿勢で大人が介入しつつ、パターナリズムを止めて本人たちの自由に任せるべきだと考える。
事前の班分け的なやつで最終日のディズニーランドは2〜3人のグループを作ることになっていた。俺と大親友の2人で決まってたのに、いつもイキってたぼっちがモジモジしながら「入れてください」って頼んできた。仕方ないから入れてあげたけど、当日になってウンチクとか自慢話ばっかり喋って鬱陶しいから、順番待ちで並んでる最中にトイレに行くフリをして2人で逃げた。たしかウエスタンリバー鉄道だったと思うが、実は並びなおして2人で楽しんでる。
帰りに学年主任から事情聴取されたけど、「あいつが勝手にいなくなった」って口裏合わせもバッチリだったから何にも怒られなかった。ただ、いつ撮ったのか分からないが卒アルには3人で歩いてる写真が載ってた。
【神奈川】相模原市南区の市立大野南中学校で、生徒を「反社会」などの表現で分類する資料を作成し、教員間で共有していたことがわかった。市教育委員会が10日、取材に対して明らかにした。
市教委によると、資料は同校2年生の学年主任の男性教員が作成。来年度のクラス編成で使う「学級編成要項」として2年生を担当する教員間で使われていた。
要項には、リーダーではないが生活態度のよい生徒を「無印良品」、友人関係にトラブルがあり、反抗的な態度が見られ問題行動の多い生徒を「反社会」、欠席が多く登校を渋り、支援が必要な生徒を「非社会」などと定義する項目を記していた。資料に生徒名は書かれていなかったという。
2年生の7クラスのうち、あるクラスの担任が11月30日、教室内の教卓に資料を置き忘れ、生徒が見つけたことで発覚。校長から全校生徒に謝罪と経過説明があったほか、臨時の保護者会で謝罪と説明があったという。市教委は「人権を傷つける内容で、事態を大変重く受け止めている。再発防止に努めたい」としている。
オズワルドの畠中が、母校の思い出として、
「平和すぎて事件がなかった。トイレのウンコが流れていない...ことに激昂した校長が、全校集会を発令してその便器の様子を見せるくらいだった」
と話していて、自分も似た話を思い出した。
市の北方は新しめの住宅地で大人しい地域だった。在学中に特に事件はなかった。
自分が通っていた最北の中学校は、変な若手の先生と、定年間近の先生が多かった。
集合の遅さに、3年の学年主任の先生がめちゃくちゃ怒っていた。
タバコでも見つかったのかな?イジメの現場がバレた?など、怒り度合いから原因予想をしていた。
「ナンデ!!!!ガッコウニ!!!!コンナモノガアルンダ!!!!!」
紙切れ?を掲げた先生。
後方からは何も見えなかった。前の方から伝言ゲームで教えてもらった。ミルキーの袋らしい。
あまりの怒声に女子が泣いていた。全員飴を持ってきていたのかな。
ミルキー片手に騒ぐおじさんの怒号と、たぶん雰囲気で泣いている女生徒の嗚咽。
そういえば、確か定年間近だった当時の部活の顧問は、北でも問題がありすぎたのか、2年で南に戻された。
彼は元気かな。二度と会いたくない
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。
自分が通っていた中高一貫の学校では生徒が生徒にするいじめより
それは暴力や持ち物の盗難・破損を生じるものでは無かったけど(そんな事する奴がいたら即停学・退学だし)
普通の学級崩壊といえる私語だけでなくわざと教師の答えられない質問を何度もぶつけたり
あと「授業を受けなくてもいいんだぞ」って言ったときは堂々と図書室へ自習しに行った奴らもいた
当然授業は殆ど成立しないのでその科目が得意な奴によるテスト対策も行っていた
点数が取れている限りは学年主任も何も文句言わないからクラスでそれだけは頑張った人がいたと思う
結局生徒が生徒を標的にするのは問題だが
好かれてない教師が標的にされるのは学校としても進学実績に響かなければOKってドライさがあったのだろう
とても酷い話である
時期は伏せるけど去年の話
流石に辛いから吐き出させてくれ
俺の職場はコロナの影響はそこまでなくて、でもこのご時世だしなんかあったら嫌だからちょっと小遣い稼ぎのつもりで転売やってみたんだよ
んでネットでせどらーにいろいろ教えてもらってやってみたけどでも全然上手く行かなくて
プラモの発売日調べて電気屋に休日朝一番に並んで新商品を買ってメルカリに流すだけのことが全然うまくいかない
まずプラモが買えなかった
だからメルカリで少しでも安い転売品を買ってまたメルカリに流すんだけど、ちょっとでも欲張るともうぜんぜん売れない
そんなわけで十万ぐらいじわじわ損失が出て、これじゃ駄目だと思って他にいいせどりがないかコミュニティで相談してみたんだよ
そしたらなんかSwitchは中国に三倍価格で売れるって言うじゃん
だから試しにやってみたら本当に引き取ってくれるの
んで調子づいたから実店舗でも仕入れやってみようってなって嫁とあと同僚に頭下げて抽選会に参加したんだ
んで店を変えて2回も運良くゲットできたんだ
結構儲かったんだけどそれが不味かった
実は抽選会場で息子と同じクラスのパパさんと何度か会ってたんだよ。家族連れで来てたらしいんだけど
んで二回当たってたのがバレるじゃん
パパ転売やってるの?って
三ヶ月気づかなかった
息子の様子がおかしいと思ったらクラスでさらし者になってたんだよ
Switch買えないのはウチが買い占めてるからだってふざけんなよこの辺の電気屋じゃ二台しか買ってねえわ
担任と学年主任に文句言ったらお父さんも仕事は考えた方がいいですよってなんだよ偉そうによふざけんな
主犯格三人の家にメルカリで買い集めたSwitch持って土下座しに行ったよ
息子をいじめないでくれって
提供:
埼玉県内で有数の進学校である女子中高一貫校の淑徳与野中学・高等学校。同校では18年度から電子黒板を導入するとともに、一部クラスで一人一台端末の授業での活用に乗り出すなど、ICT教育を積極的に推進してきました。そして2020年に新型コロナウイルス感染症拡大により登校自粛が迫られたことを踏まえ、同校はICT教育のあり方を再検討。学内利用だけでなく、質の高いオンライン授業も実施可能とするために、2021年度からSurface Go 2のLTE Advancedモデルを導入、Microsoft 365と組み合わせてクラス別の教材管理と授業の仕組みを整備し、運用を開始しています。ICT教育を進化させて授業の幅を広げ、生徒一人ひとりに最適化された学びを実現するための取り組みが続けられています。
1892年、淑徳(深い知性と情緒に富んだ人間性)を備えた自立した女性の養成を目指して設立された淑徳女学校は、仏教の精神を背骨として幼稚園から大学までを擁する総合学園に発展してきました。その中にあって、1946年に開校された与野分校を前身とする中高一貫教育の女子校が、埼玉県・さいたま市の淑徳与野中学・高等学校です。海外の姉妹校などへの短期語学研修などを通じて、国際舞台で活躍できる人材の育成に力を入れる同校は、インターハイ常連の剣道部や、バレーボール部、バトン部、吹奏楽部など、文武両道の学校としても知られています。
そんな同校は、「コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を活用するために必要な環境を整え、これらを適切に活用した学習活動の充実を図る」との国の方針が示される中、その対応をいち早く推進してきました。2018年度には動画などを利用した分かりやすい授業のための電子黒板を導入するともに、一部クラスで試験的に一人一台のタブレット端末を導入。そして2021年度入学の中学1年生・高校1年生からは、全生徒を対象にした2-in-1デバイスのSurface Go 2(LTE Advancedモデル)とMicrosoft 365の活用を前提とする授業にも乗り出しています。
学校教育は今、大きな転換期を迎えています。新学習指導領により、生徒の思考力や判断力の養成がより強く求められることとなり、教育現場では従来の講義中心の学びから、主体的な学習へ生徒をどういざなうかが課題となっています。ICT活用は、そこで鍵を握る策の1つに位置付けられます。淑徳与野中学校 学年主任 英語科教諭の山﨑貴志氏は、「ICTを使えば、講義型の"覚える"学習から"考える"学習につなげられます。また、視覚・聴覚に訴えるデジタル教材は、生徒の自発的な学習を促す効果も期待できます」とICT教育の可能性を生徒・保護者に説明しています。
もっとも、淑徳与野中学・高等学校がMicrosoft 365を導入したのは、今から3年ほど前にさかのぼります。
淑徳与野中学・高等学校で進路指導部長を務める小嶋恵子氏は、「学内では各種分科会などで大量の校務文書が作成され、それは授業用の各種資料や保護者向け文書でも同様で、だれもが消化不良を起こしていました。そこで情報を精選し、管理を効率化し、さらにペーパーレス化によってコストを削減するためにも、Microsoft 365による文書管理・教材管理に乗り出しました」(小嶋氏)
そこでの文書管理の扱いやすさの体験が、タブレット端末を組み合わせた生徒向け教材提供のアイデアにつながります。以来、同校ではデジタル教材の拡充を推進。ただし、そうした中で直面したのが、2020年に入って拡大した新型コロナウイルス感染症です。
「緊急事態宣言を受けての登校制限により、当校は多様な対応に迫られました。生徒が在宅で学習を進めるための授業動画配信や教材準備はもちろん、自宅での規則正しい生活のために、Teamsを活用したホームルームの仕組みも整備しました。特に後者は、生徒が友人と会えない不安を防ぐとともに、学習状況に対する保護者の不安を解消するためにも重要な活動と位置付けられました」(小嶋氏)
その後、登校は再開されましたが、新型コロナの収束の見込みが明確には立たない状況にありました。この状況を鑑み、2020 年秋に固まった方針が、再度の登校制限に見舞われた場合でも、子どもたちの学びを止めないために生徒全員に一人一台Surfaceを持たせ、同時にTeamsなどを活用したオンライン授業の仕組みを整備するというものでした。具体的にはTeamsの「チャネル機能」を用いて、クラス別の動画配信と文書管理の仕組みを作るとともに、2021年度入学生から全員にSurfaceを所有してもらう決断を下したのだと言います。
「Teamsがあればクラスごとにいくつもの教材を管理でき、同時にSurfaceのカメラを通して生徒の顔を見ながら配信授業も行えます。対面授業の場合でもデジタル教材による、従来より深い理解を可能にする授業が行えます。さらに、Teamsによる課題配信を活用すると、生徒一人ひとりの習熟度に応じた自立学習も促進できます」(小嶋氏)
"ネットワーク障害"と"相性問題"への備えとしてSurface Go 2 LTEモデルを選択
淑徳与野中学・高等学校が生徒用端末に採用したのが、Surface Go 2の「LTE Advanced」モデルです。タブレットとしても利用できる汎用性の高さと、持ち運びで負担にならない800gを切る軽さ、そして高い処理能力が特徴です。今回、Surface Go 2のLTE Advancedモデルを選定した狙いは、授業での確実な活用だと言います。
同校ではICT活用に着手して以来、校内ネットワークの整備を推し進め、 2021年度の開始時には無線LANのカバーエリアも全教室にまで拡大していました。とはいえ、全生徒のPC利用による通信量の急増により、従来では考えられなかったネットワーク障害も危惧されました。
また、2年前から一部クラスで試験的に利用してきた他社OS製のタブレット端末では、OSとアプリケーションの操作性の違いからか、Microsoft 365のOfficeアプリなどが使いづらいと感じることが間々あったと言います。
こうした2つの課題を解決するために導入したのが、Surface Go 2 LTE Advancedモデルです。淑徳与野高等学校 進路指導主任の粕谷俊介氏は、「無線LAN頼りでは、ネットワーク障害時に端末が使えなくなり、授業に影響が出てしまいます。しかしLTEモデルであればモバイル回線をバックアップとして使うことで授業を進められます」と話します。
また、今回の生徒端末導入を支援したKDDIまとめてオフィス株式会社 北関東支社 法人営業2部 営業2グループの八島圭氏は、「相性問題は、OSとアプリケーション、ハードウェアが絡む厄介な問題です。Surface Go 2はWindows OS、Microsoft 365と同じマイクロソフト製ですから、相性問題への懸念を払拭するには、この組み合わせに勝るものはありません」と強調します。
今回、モバイル回線は無線LANに障害が発生したときのバックアップという位置づけですが、いざモバイル回線に切り替えたときに通信が不安定では困ります。その点について八島氏は「学校などへのLTE端末の導入時にはユーザーが一気に増えます。そこで当社では、机上での調査を行うとともに現地を確認して、通信品質の対策を行うなど、確実につながる環境づくりに力を入れています」と、通信品質の維持・向上への取り組みを説明します。
機種選定に関しては、教員の間でも様々な意見が出たと言います。その中にあって他OSのタブレットではなく、Windows搭載の2-in-1デバイスを選んだ理由について山﨑氏は、「スマートフォンやタブレットは急速に普及しましたが、社会に出て仕事で使うとなるとWindows PCがほとんど。早い時期からWindowsに慣れておくことはメリットになることはあっても、決してデメリットにはなりません」と語ります。
そして、軽量化やコスト的な制約からキーボードが犠牲になりがちな2-in-1デバイスにあって、Surface Go 2には標準的な配列で、タッチ感の良好なキーボードが用意されていることも高く評価されました。
「生徒の卒業後を見据えたICT教育という考えもありました。午後の授業前の10 分間、英単語力の向上を目的にクイズ形式のタイピング練習を行っていますが、これにはタブレットやスマホでは経験できないキーボード操作に慣れ親しんでもらうという意味もあります。本校の探求学習では4000字以上の小論文を書くこともあります。長文をストレスなく入力するうえで、キーボードの品質は重要だと考えました」(山﨑氏)
最終的に導入したのは、最上位のSurface Go 2 LTE Advancedモデル(Core m3/メモリ8GB/SSD128GB)。ハイスペック・モデルにしたのは、デバイスのパフォーマンスが使える教材や授業内容の制約にならないようにするためだと言います。
TeamsとSurfaceを教科の特性に合わせて多面的に活用
2021年度の授業開始から約3か月を経て、Microsoft 365とSurface Go 2による授業は着実に軌道に乗っています。例えば数学の授業では、Teamsで共有したテストの答案を生徒端末や電子黒板に表示しながら間違えやすいポイントを解説する、デジタル教材を使って視覚に訴えて理解を促す、といった取り組みが行われています。
「数学では図形を頭でイメージすることが苦手な生徒も少なくありません。しかし、デジタル教材であれば、立体図形を3次元で動かし、断面図がどうなるかまで分かりやすく示せます。同様に二次関数の各係数を変えることでグラフがどう変化するのかなども理解しやすくなります」(粕谷氏)
総合活動の時間における、生徒間の意見共有も格段に容易になり、深い議論につながっていると言います。映像の活用も始まりつつあり、授業映像に生徒同士でコメントを付け合うといった取り組みも試行中です。生活指導の一環として、従来、紙ベースで行ってきた生徒のスケジュール管理やPDCAもTeams上に移行。手作業による回収や配布の手間も一掃されました。
PCは汎用性が高く、学習以外にも幅広く利用できます。その点を考慮し、淑徳与野中学・高等学校ではホワイトリスト型でのアクセス制限を実施していますが、それも最低限にとどめていると言います。
「動画サイトに入り浸ることがないよう制限をかけていますが、学習目的であれば柔軟にアクセス可能なサイトを追加しています。ルールを破ると制限が厳しくなることを認識してもらいつつ、生徒の自主性を尊重して使ってもらおうというのが現在の方針です」(小嶋
氏)
淑徳与野中学・高等学校では授業でのPC活用の高度化に向け、すでに運用改善を視野に入れています。今後は生徒にアンケートを実施したうえで、教員同士の話し合いを通じ、さらに新たな活用方針を固める計画です。
そこで温めているアイデアの1つが、生徒の思考を発表につなげるためのMicrosoft 365の活用です。考えを自身の内にとどめていては、それ以上の発展にはつながりません。ICTを活用すれば、生徒の表現活動を格段に増やすことができます。
「論文作成ではWordを、情報の授業ではExcelをと、すでにMicrosoft 365を授業で活用していますが、中でも総合学習におけるPowerPointを使った授業は、どう表現すれば分かりやすく伝えられるかを試行錯誤することで、思考を整理する効果も期待しています。さらにTeamsを活用すれば、グループワークやグループ内発表も容易です。授業ごとに生徒からフィードバックをもらうことも簡単にできます」(小嶋氏)
このほか、部活動の試合をSurface Go 2で撮影し、動画を共有して振り返りに活用するなど、授業以外でも自主的に活用する生徒の姿が見られると言います。
無線LAN環境がなくてもネットワークを使えるLTEモデルの採用は、野外授業でフィールドワーク中に気になったことをその場で調べたり、課外活動で生徒の自主的な活用を促進したりするうえで必ずやプラスに働くことでしょう。
導入・運用からわずか3か月。Surface Go 2は淑徳与野中学・高等学校でのICT教育と生徒の学園生活に欠かせない存在になっていると言えるでしょう。
このくたびれた老人は何だろうと思った。
在校生のみんなが見ているんだから、背筋伸ばして座れって、背中に定規をつっこまれたりしたな。そういえばあの怖い学年主任は体育教師だった。まぁそれは、いまは話が逸れるけど。
世界中に配信されてるって、みんなが見ているって、わかっていてこの姿勢になれるのか。
人前で、深く深くくつろいで腰掛けるのは、失礼なんだと思っていたな。
目上だと設定された人間は敬えって、
仮に心の中で敬っていなくても敬ってるように見せろって、
世の中はめんどくさい。
めんどくさいと思いながら面倒を分け合って成り立たせているのが社会なんじゃないのか。それぞれ個人の中にある大小のルールや、ズルや、そういうものをなんとか綯い交ぜにして、成り立たせている社会じゃないのか。
自分だって性格が良いとは言い難いし、ときどきはズルをするし、仕事では根回しだってするし、そりゃあ、清廉潔白ではないけれど。
それでも、自分だって、嫌だなと思っていたって、顔だけは笑って仕事をしている。社会をやっていくことを自分で選んだ人間の、最低限の態度として。
あーぁ。
書ききれないほどある政治的暗部のことは、とうに諦めている。いまさら書き立てる気力もない。
ただ、その席は、この国の象徴とかいう面倒な概念を生まれついての血縁関係で義務付けられ、避けようもなく重い責務をつつがなくこなしてくれている方の、その隣の席は、お前が座りたくて座った席なんじゃないのか。
お前は、お前が選んで、その席にいるんじゃないのか。
嘘でも、背筋を伸ばして座ってくれ。
でも、どうでもいい。
どうでもいい。
よくないけど。
とにかく、あの15秒にも満たない開会の映像は、自分の中にあった規範意識だとか、もしかしたらなけなしの郷土愛だとか、そういう類の何かを折った。
だからといって、別に、何か自分の行動を激しい方向に変えるわけではないし、自分はそれなりに働き盛りで、それこそこの1年弱は本当に、目の前のことで精一杯だ。これからも法律やルールを破る気はないし、払うべき税金は払うだろうし、道で困っている老人がいれば手を貸すだろうと思う。
これは愚痴なので、別に意見とか答えとかを自分の中で出すつもりもない。
嫌な絵面だったな。
これからも、自分たちの世代は、老人共の昭和の後片付けや死に際の夢に付き合わされる。
諦めている。ただ、こんなにも背筋そのものが抜き取られるような虚しさは、二度と味わいたくはない。
たぶん、これを虚無感と言うんだと思う。
忘れない。
うーん。すごく勉強されててお子さんの状態を受けとめておられてすごいと思う。そして、お子さんの障害について、もしそこまで詳細に診断を受けているのなら、この増田を印刷してそのまま担任か学年主任に手渡し&相談していただいたらいいのじゃないかなあと思うのだが。
そもそも学校というのは申し訳ないけどあくまで「大量の子どもに対して画一化された普通教育を行うプロ」であって(言い換えればそれでしかなくて)、実際に発達障害のお子さんをもつ親ほど丁寧な障害への認識や「個別指導」に関するプロではない。だから、こういう情報は提供した方がいいと思う。担任があからさまに面倒がっているようなら、学年主任、そこでも忌避されるようなら管理職との面談を願い出ればよい。それが拒否されるようならさすがにヤバい学校なので、ちょっと考えるべきではあるけど。
今回はなんとかしたのはどうやったかの話を伝えたいとおもいます。
以前も投稿したのでカブるかもしれません。再投稿じゃないから甘えじゃないけど。
とくに、体調が悪いということを、本当に体調が悪いとしてうけとめます。
発達障害のせいかわかりませんが、体の調子や心の調子にとても鈍いところがあるんで、聞いても伝わりません。
「どこがいたいの」「どういうふうにつらいの」というのが詰問になってしまうので、とりあえずは「じゃあ今日は休もうか」とせかさずに言えるようにして、家を味方のいるシェルターにしてあげないとまず話になりませんでした。まあ高校2年半それがほぼ毎日つづいてしまったわけですが。
この子の父親はずっとこの子といろんなとりひきをしてなだめすかそうとしていました。
「今日休んだらテストの日は学校にいけるのなら今日休んでいい」。
「いい成績をとったら希望通り○○してあげる」。
「学校にいかないのなら小遣いなんか、旅行なんか、動画なんか、オフ会なんか全部いらんだろう。」
でも体調が悪いのは本人のせいじゃないんですよね。
なので全部基本的人権としてかんがえ、娘が(思い切って)何か希望したらそれは生きるのに必要なんだと考えてなんでもOKにするよう少しずつでも説得しました。
今も留年や就職活動ができないとつたえるたびに父親は渋い顔をしますが、子供が怯えていたよ!嫌われるよ!病状が余計悪化するよ!と伝えています。
・次に、この子はなんとか病院につれていって適応障害によるうつ病と発達障害と診断されました(それも1・2件目の精神科では門前払いされたので、3件目のメンタルクリニックで。精神科はすごいお年寄の医者でその後すぐに廃業したところと、重症例しかみていない大学病院でした)。
発達障害といっても薬を飲むほどではないので、うつ病の薬をのみました。でも未成年のうちはつかえる量が少なすぎて全然効かないのですが、
うつ病・発達診断の診断書がもらえたことはものすごく助かりました。いろんなところに提出しました。
まずは父親にこれは医者のいうとおりの病気だからうるさくいっても治らないということをいってガミガミをやめさせました。
そして学校の先生(学年主任)には診断書といっしょに、「発達障害(ADS)ってなぁに?」という絵本も買ってわたし、先生はその診断を出した医者に面談してうちの子の発達障害を理解してくれ(ウルサイのが本当に死ぬほどダメだということ)卒業までの特別な利便をはかってもらいました。
また父親にお金のことをうるさくいわれたため、娘は「余計なお金がかかるのなら疲れる病院になどいかない」といいはって家で泣くか寝るかしていたので、市から自立支援医療補助というのをもらいました。これでメンタルの薬も医者も無料になりました。骨折の治療のときも受診料は払っていません。
また大学受験のときも、センター一次については診断書をそえることで発達障害者配慮というのをもうしこんでうけてもらいました。静かな部屋で個人でうけられ、親がつきそいでき、テスト中は別室だが、休憩時間に飲食物や薬をあたえてよい。本人の手足が動かないほどぐったりしている場合は車椅子ではこびこみができるし、車も校舎にじかづけしていい。(ただ、やっぱり志望校には一次でさえ点数がたりなかったので二次はうけていないのですけどね。)
さらに最近ではn級障害者手帳をとったので電車などの市内移動に交通費がかからず、障害者年金を月にm万もらって小遣いがわりにしています。動画にでてくる人のグッズ(同人誌やかばんなど非常にひかえめに)買って、あとは貯金すればといっていますが若いだけにいろいろ欲しくてネットでしっかり検索して安いところで買うように工夫してもギリギリみたいです。アルバイトができない大学生活、リップクリーム一本も、新しいかばん1つも買えないなんて辛いにちがいありません。
旅行代金や服をちゃんと親にねだってくれるようになりました。水商売や犯罪に1回も手を出さないでいてくれてありがたいとおもっています。
話がそれましたが、うつ病の薬は今かんがえれば最初から対象外の未成年でも怖がらずにもうすこし飲んでおいたほうがよかったのかな?とはおもいます。
・3つめ。人とのつながりが大事なのでそこは切らさないようにしました。
本人には高校時代にも何度も「転校しようか」「退学して大学検定にしようか」という話をしました。でも本人にとって命より大事なのが中学で出会った気の合う友達とカラオケにいく時間でした。ですので、無理をして同じ高校を卒業させて、大学でも友達をさがさせました。
ちなみに、成人式にも出場させました。2次会もでられればでたいといっていましたが、やはり体力的に無理でしたが、親としては子供が成人したと一緒にみとめられてうれしかったです。
・4つめ 薬に頼る
20歳までは少なめのうつ病薬+貧血の鉄剤(生理が重いときは生理を止める低用量ピルも)+39種類のビタミン剤「ディアナチュラストロング」でだましだましやっていました。鉄剤、ビタミン剤は自腹です。20歳をすぎてうつ病の薬を増やしてから目に見えて心の調子がよくなってます。とはいえ筋力を超えるほどの肥満があるので体の疲れはどうしようもないとおもっていたのですが、それもメンタルの医者からすすめられて動かなくてもやせるGLP-1という食欲をなくすホルモンを糖尿病専門のクリニックで受けています。これはどうしても自家診療なのでかなりお金が高いのですがうちの場合はよくきいていて必要経費とおもっています。(骨折、血液検査による脂肪肝などですぐ処方してくれた)
でもこれは息子さんの場合は肥満への対処ではなく痩せへの対処が必要だとおもいますが、ずっと寝ているとどうしても体の不調はでがちなので、プロテイン(ザバスのだとビタミン剤も兼ねられます。うちの子はチョコシェイク味が好きです)を足すなどしてあげてほしいです。
・5つめ
なにか得意なことをみつけてほめる。
うちの場合は車の運転です。色々習い事をしたいといいだしてはやはりやめることの繰り返しもありましたが、友達も通っているということで普通免許をなんとかとらせたところ、自動車の運転だけは疲れが少ないようです。薬をのんでいて反応もやや鈍いはずなのですが、慎重さは運転にはとても向いていたようです。
私と仲良くしてくれるママ友はたいていが真面目かつ正直すぎてお子さんの対処もいい加減にできなくてひたすらに困ってる人が多いので世の中の私と仲良くできるタイプのママさんんのお役にたてばいいなとおもいます。