はてなキーワード: 無謬とは
同じ女性というだけで何でもかんでも分かり合えると考える。自分はフェミニストなのですべての女性もまたフェミニストである。
だからある1人の女性の痛みを(たとえ架空のキャラクターであっても)フェミニスト全員で感じ取り、1人のフェミニストがすべての女性を代弁する。一は全、全は一、ワンフォーオール、オールフォーワンの精神である。
もちろんそれに賛同しない女性の存在などあってはならないので、裏切り者を名誉男性認定して切断することで女性=フェミニストの前提を維持する。
フェミニズムは完全に正しいものとされている。フェミニストのためらいのない活動はフェミニズムの無謬性に支えられている。
南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽往生できるのと同様に、フェミニズムを掲げれば行うことはすべて正しくなる。誤りを認めるとその無謬性が崩れて今までとこれからの自分の活動が成り立たなくなる。
謝罪や反省は悪人のする行為である。フェミニストは誤らないので謝罪も反省も必要のない概念だ。
しかしもし仮に万が一敵によって発言の明確な誤りや矛盾を指摘されたとき、無視するか発言したことを削除して誤った事実をなかったことにする。
この社会はすべて男性が構築して男性が動かしており、女性はひたすら男性への隷属を強いられているという世界観を共有している。
女性が加害行為を行ったとしたら、善良な女性が悪い男性によってそのような状況に追い込まれた結果であるので、むしろ加害者は男性であって女性は被害者である。
女性が男性に利益をもたらすとき、それは男性に機嫌を取らされているのである。
裏を返せば女性の自由意志を認めないということである。社会は男性だけのもので女性は隷属するだけという世界観を維持するためには、自分の意志と責任を持って行動する女性など存在してはならない。家父長主義を否定したはずがこの点では家父長主義に似通っている。
可笑しいのは、いろんなポジションの人がみんなそれぞれ勝どきを上げていることだ。
そうなるべくがんばってこねた政治的しんこ細工なんだろう。
まず、オールドスクール系左翼やポリコレ蛮族的な「疑うこと自体が攻撃」「女性を叩きたいだけだろう」と言ってきた「無謬派」には少しはがっかりして欲しいところだが、なぜか大喜びである。まあこいつらは仕方ない。
「コラボ極悪派」にとっては最小限の勝利であった。こんなもんじゃないはずだ、僕らの戦いはこれからだという感じだが、できることはあまりないだろう。
「コラボは悪というよりは雑派」にとっては嫌な意味で予想通りの結果だった。行政のふてぶてしさを見せつけられるという意味で。
「雑」の原因には独善・慢心があるとして批判寄りの人、まあ仕方ないとは言わないが悪意というより能力不足で説明つくだろうと同情寄りの人と、「雑派」の中にも温度差はあるが、都に対するうんざり感は同じなのではないだろうか。
しんこ細工の中身を詳しく吟味する熱意は正直、ない。
そのまんまを真に受けたとして、190万だかは言い逃れようもない「万引きバレた分」でしょ。
2600万だかの経費の中身のいちいちの妥当性は調べもせず丸呑み、と。
なんとなれば活動に対する監査じゃなくて帳簿上の不正の調査だから。
それで「足が出てるから諸々不問で」と言ったところで、元が言い値なわけだから。水割り一杯五十万のところを温情で九割負けてやるから五万払え、と同じでどうにでもなる数字。ぼったくっているに違いないという意味ではなく、ぼったくりかどうかの調査はなされていないという意味。
さて、コラボの「会計不正疑惑」はこれで終わった。帳簿自体の調査でできることは終わったという意味で。その先はあるのか。コラボの支援事業の質について、会計だけでなく活動の中身もずさんなのではないかという疑惑は糾明されるのか。
「これが本当だったら絶対ダメだろう」という話がポロポロ出てはおり例の川崎市議などが告発の声を上げているが、不法行為の如何については司直の手に任せるしかない話で、周りで見ている我々にできることはこれといってない。暇空氏の「手に触れた石全部投げるスタイル」は、そのフェイズにおいてはノイズにしかならない。今後の彼は単なるネットトロルの親玉でしかない。なので追う価値が無い。お疲れっした。
不法行為というよりは質的な評価、公金投入の妥当性についての調査はなされていくのか。
いかないんだなあ。コラボのダメなところを洗い出すということは都の放漫な補助金支出を洗い出すということ。それはやりませんよ、コラボによくないことがあったとしても全部都が飲み込んで無かったことにしますよという強い意志が再調査結果には示されている。
まあ、行政が既にやっちゃったことについて事後的に自らアセスして間違いを認めるなんて光景、誰も見たことないもんな。減反政策が始まる前から計画してたから干拓やりまぁすとか、その先に漁村は無くなったけど橋は完成させますとかの巨大な愚行に誰かが責任を取ったか?
民間有志による往々にして自己満足的な質の低い支援活動の実態、そして手軽に「やってる感」出すためのアリバイとして放漫な補助金支出する行政、そうした残念な実態がめくれていくきっかけにコラボ問題がなるかもしれないという期待は、正直なところ幻想であったと言わざるを得ない。
そういう活動のこと何も知らずにふんいきで誉め讃えたり全否定したりするのでなく、実際のところはどういうもんなんだろうと能動的に知ろう・考えようとする人は増えたのではないか。
適材適所なのだ。ボランティアだから非営利団体だからこそできる、向いてることはある。但しこれと決まったミッションが予め自明に用意されているわけではない。誰でもできるようなしょーもない単純作業は、感謝されたがりの暇人にやらせとけばいいということではないのだ。
何ができるか現場で考えなければならないし、その知見は社会に共有していかなければならない。秘密主義・囲い込み主義の正義の活動家はいらない。
それから行政との連携について。行政とはいつも残念なものなのだろう。行政とは使うものである。残念だ残念だと言っていても何も起きない。どう使えばいいかを考えるべきなのだろう。
思うにリベラルであるとはそうやっていろんなチャンネルで主体的に社会を動かして行こうと試す姿勢なのではないか。分断のあるところで「正義の側に立つ」ことではなくて。
秘○DM事件に関して、特に自分から追っているわけではないが、関係者のツイートがリツイートやおすすめツイートとして流れてくるのでなんとなく把握している
今回真○氏がnoteに何かの記事を書いたらしいというのも、それを読んだ○氏の支持者のツイートが流れてきたことでわかった
常々思っていて、また今回それらのツイートを読んで改めて思ったことだけど、○氏や○氏の支持者の考え方は本当に謎だ
○氏vs秘○の件で後者をかばうようなツイートをした真○氏が炎上した それが彼女の自殺未遂の一因になった 一連の経緯を彼女が自分の著作に書いた……ということが○氏への加害に当たる、という考え方がまずよくわからない
真○氏は○氏に関連した炎上騒ぎで自殺未遂してその経緯を本に書いたことをなぜ○氏に申し訳なく思わなければいけないんだろうか? それは○氏の「被害者」としての無謬性を傷つけるからか?
自分は真○氏のファンでも何でもないし著作もひとつも読んだことはないが、仮にも自殺未遂するほど精神的に追い込まれている人によくそんな酷いことが言えるな……と思うようなツイートをたくさん目にした
○氏も○氏の支持者も自らの人権意識の高さを誇らしく思っている人ばかりのように見えるが、倫理観はゼロだと思う
自分は被害者だから/被害者の味方だから敵と認定した人はどんな残酷な言葉を使っても徹底的に攻撃していいというような考え方は、彼女らが嫌っているような差別主義者のそれと大して変わらないということに気づかないのだろうか?
投稿直後の動きは悪かったので、あまり訴求力のない意見なのかなと思っていたところ、一日経って案外の反響となって若干驚いている。
ザッと見る感じ、同意・理解・わかる系の意見が割と散見されたので、
やはり特段政治クラスタというではない、それなりに一般市民的な肌感覚の内包されたエントリにはなったのかなと。
あとは、元々共産党は…的なご高説意見、そこは是々非々だろう的な純無党派意見も散見され、興味深く読んだ。
ヘンテコな言いがかりコメントがあって、希少なので、ほうほう他にどんな意見が?と思い、IDから掘ってみると、
どの方も、色んな関連エントリに暇アノン連呼してはレッテル貼りブコメに勤しんでる類の、botみたいなIDで時間の無駄だった。
一度「陰謀論」の本でも読んでみてはどうだろうか。
まあ古今東西、原理主義者というか党派性に忠実というか、そういう人は心行くまで活動してほしい(私は私なので自由に投票先変えますが)
これまで某団体そのものへの批判・擁護は連日ホットエントリに挙がっているが、
それが現実世界に及ぼす影響のひとつとして、有権者の投票行動の変化への言及を、あまり目にしなかったというのがある。
すなわち、元々の党派性ベースのポジショナル意見が多いように私には見えていた。
(例えば暇空氏にしても元々反共産党だったのだろうし、それで言うと彼が揶揄する「共産党と強い繋がりのある」というフレーズは
私にとっては別に誹謗中傷とは感じなかった(だって常時ではないにしてもそれなりに投票先に選んでいたぐらいだったのだから)。
また逆に、徹底擁護派はやはり元来共産党支持っぽかった。例外もあるだろうけども)
でもそれだけなのかな?と。そうした強固な支持/不支持層だけの話ではなく、
元々無党派層で、共産党への投票経験もあった人(=潜在的支持者というか薄い支持者?)が、
今回の騒動により
②より一層共産党を支持する(いるのかな?あまりいなさそうだが)
のうち、①がどれぐらいいるのかという、いわゆる支持者離れについての一観測気球にはなったのかもしれない(同意系コメに集まったスター数も相当あったし、n=1では全然なかった)。
(補記すると、根っからの共産党支持者/与党支持者と思しき方の「曲げない」ご意見もブコメで頂戴したが、申し訳ないがここではどうでもよかった。
きのこたけのこ、元来どちらかしか食べてこなかった人の意見は大抵極論に過ぎず、党派性的こだわりを持たない自分には響かないから。これ本人は自覚ないのだろうな。)
あとは、そうは言っても投票先のマシな政党がないという系の意見はそりゃ同感で、
そこは結局のところ、我が国の国民のレベルの投影なのだろう(制度的構造的な原因だってあれど)。
ちゃんとした二大政党制を羨む時期もあったが、与党と代替可能で持続的な野党を延々成立させられないのは、国民の諸々のレベルの結果なのではないか。
立候補者の質(とは言っても大抵の代議士さんは私よりは立派で有能だと思いますよ。多分)、低い投票率の有権者、
結局我々の知能や人格、政治参加意識(歴史の積み重ねの結果による諦念がそうさせるのだと思う)等の平均が、その程度なのだろうと思う。当然私含め。
一方で、そうは言っても、そんな理想的で高級な民主主義で回っている国もないのではなかろうか。無謬な人間がいないように。
そんな中で投票先を決めるのも大変ですが。
それで繰り返しになりますが、私としては今回の件で共産党に投票することはなくなったな、ということですね。
もちろん件の、ラディカルフェミニズム代表に対して絶縁してもらえるなら、私としては共産党へ再びの投票もありえるとは思っています
(氏にとっても、共産党ではなく社民党の方に接近・併合して、新生極論フェミニズム党としてがんばられた方が、皆さんの投票行動の検討が大変し易くなるのではなかろうか)。
そしてその辺りの点は、当たり前になりますが、個々人の考えであり、他人がとやかく指示・誘導するものではないかなと。
まあDappiに端を発するサイレント世論形成も旺盛なので、情報の取捨選択も大変ですが。
追記は以上。
残念ながら連中の脳内では「『萌え絵』は存在するだけで女性差別である」というのは無謬であり絶対的真実なので「萌え絵」を根絶する事が女性差別解消につながるとマジで考えてるんだよ。
なので、
「萌え絵叩き」と「女性差別解消」は完全にイコールで繋がってるので実際「本業」なんだよ。
ナノマシンだか何だかを注入されないために新型コロナワクチン拒否してる奴らと同じ。
何百万円もする壺か何か買えば幸福になれると信じてる奴らと同じ。
問題は、彼らが政治にまで食い込んで実社会に影響を与える立場にいるという点。
暇空茜はおそらく「こいつら反ワクやカルト信者と同レベルの〇チガイか似非同和みたいなヤカラだから無視するに限るぞ」と、この社会にアップデートを試みてるんだと思う。
暇空が指摘していた問題って都にも監査委員にもほとんど認められてないんだよね
今回は事業費の仕分けなど一部に問題は認められたが、客観的に見たら10対0ではない
その意味でコラボ擁護側の主張にも妥当な部分があって暇空の主張に間違いもあった
これまでColaboとしては、あくまでも東京都の制度と運用の枠組を前提に、その指導に従って当該事業を行ってきたものであり、この点は今後も変わりありません。
これに対して頭の硬い人が「東京都に責任を押し付けた」とか言ってるけど、仮に今回の件で東京都の担当者との関係性が最悪になっても自治体は他にもあるし税金引き出すノウハウは蓄積しているので再構築は容易につき無問題。
東京都との関係性を即座パージしても本丸のドル箱へのダメージを回避した、それどころか更に弱者ポイントを追加する事でドル箱性能を高めた。舌を巻くしかない巧さ。