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はてなキーワード: ケネディとは

2019-10-01

市場で儲けるのは簡単

法律禁止されそうなことを禁止される前にやればよい。

ジョセフ・P・ケネディ

2019-07-27

妄想障害

ダークサイドミステリー ケネディ暗殺 陰謀論に迫る

人間というものは、目の前にあるものありのまま客観的に見ていると思っていますけど

実はそうではなくて、あらかじめみたいものが決まっていて

それを探すようにして、物事認識する

案外実は、我々は見たいものを見ている

信じたいものを探して

「やっぱりこれがあったんだと納得して信じている」

森本あん

妄想障害の人にも、このことが言えるのではないか

2019-07-19

テロ」の意味が変わった

周知のように、第一次世界大戦セルビア青年オーストリア皇太子を射殺したのが発端だった。

これがかつてのテロリズムだった。

少数民族反政府分子が、窮鼠猫を噛むの喩え通りに、支配層の要人を斃すことで、敵の民衆に自らの存在を恐怖と共に訴えること。

要人暗殺、それがテロル伝統的な手口だった。

例は枚挙にいとまがないが、例えばジョン・F・ケネディを撃ったオズワルドは、護送中に射殺されたことで暗殺目的は誰にもわからなくなってしまった。

からないものに、人は最も怯える。

その意味では、不幸にも自らの口を封じられたことで、テロリストとしてのオズワルドの目論見は歴史上最も成功した事例と言えるかもしれない。

だがケネディ暗殺は、おそらく、世界中国家要人警護の強化へと舵を切らせるきっかけになったのだろう。

その帰結は早くも1970年代IRAPLOそれぞれが独立採用したソフトターゲット戦術となって現れる。

襲撃困難な政府要人より、警備の薄い無辜市民を狙っても宣伝効果は同じ。しか無防備相手なら襲う方の訓練もそれほどいらない。

要人警備の強化が、テロリストに「コスパ」のいい方法を見つけさせてしまったとも言える。

そこから先はソフトターゲットいかに大量に、派手に殺すかで諸勢力シノギを削っているような状況だ。

派手にやれば、テレビYouTubeもその映像を繰り返し流すからだ。

アルカイダイスラム国もその効果を熟知していた。

そしていつの間にか、大量殺人報道がされるたびに我々は「テロだ」と反応するようになってしまった。

実行犯が何を訴えようとしているのかわからない。だけどこれは間違いなくテロだ。なぜなら人がいっぱい殺されているから。

ここに至って、テロル意味は大きな転換を迎えた。

21世紀、我々は、いつどこにいようとも「標的」なのである

なぜ狙われるのかって? そんなことは狙う奴らに聞いとくれ。

もう一度言う。わからないものに、人は最も怯える。

2019-07-01

トランプってなんか平和主義者だよな

口先で過激なことを言うのは右翼から左翼扱いされ攻撃されたくないだけだな

一気に話を進めないのも軍産複合体みたいなのにケネディされたくないだけだろう

2019-05-20

anond:20190519134915

とりあえず、自分が使った教科書に「昭和出来事」として

なべ底不況伊勢湾台風カラーテレビの発売、海外ケネディ暗殺連合赤軍事件

などなどが載っていたか or 載っていたとして自分の印象に残っているか

思い出してみよう

2019-03-29

anond:20190321101902

カラーグループ四季に分類する方法は、1970年代アメリカイメージコンサルタント キャロルジャクソンが始めた手法が元になってる。

(ちなみに「イメージコンサルタント」という職業が生まれたのは、1960年ケネディ大統領選挙での成功きっかけと言われている)

1980年にその手法をまとめた書籍Color me beautiful」が出版されて、世界ベストセラーになった。今も普通にAmazon原著売られてる。で、その書籍日本語訳をした人が、日本にも協会を作って日本人向けに理論カスタマイズして普及させ、今に至ってる。

広めた人の商売もうまかったんだとおもうけど、明快で学習やすいよくできてるメソッドから、それだけ広がる強度があったともおもう。

体型によって似合う服が違うのと同じく、顔型によって似合う髪型が違うのと同じく、色によって顔色が良く見えたり悪く見えたりするというのはあるし、単純に思い込み迷信と言い切れるもんでもない。

色にも形にも錯視効果はあるのはみんな知ってるよね。プラスに働く錯視を取り入れて、マイナスに働く錯視を踏まないようにする、それだけの話。

カラー分類は、科学でも占いでもなんでもない。顔型における丸顔、ベース型、面長、みたいな分類と同じく、単にわかやすくするための目安でしかない。

でも、分類するとそこに謎のアイデンティティを持つ人が出てきて妙な迷信みたいになり、そっちのほうがキャッチーなので流行ったりするというきらいはあるけど。

2019-03-17

anond:20190317223344

ホロコースト否定

ホロコースト誇張

ケネディ暗殺

これは「きちんとした人」は触れないというお約束の上で

今の国際社会は成り立っています

2019-02-18

ケネディ暗殺独自調査してるんだがオズワルドはケネディを撃ってない結論に達した

弾丸が3つ飛んでないといけなくてオズワルドは一発しか撃ってない

オズワルドは死んでいるか

オズワルドを後に殺した人も自殺してしまった

あれはCIAが数が人質にしてたか

これを論文にして今年中には発表する

2019-02-14

俺たちは無能フォレストガンプだ、っつー増田を読んだ

anond:20180224163548

ある時、テレビ映画フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能フォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公フォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。

あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。

ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督ロバート・ゼメキスDVD副音声でこう言ってる。

IQが低い男の映画なんて作る気はまったく起きなかった」

監督が求めたのは、自分意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢キャラクターだった。90年代映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。

じゃあさ、「フォレスト・ガンプ時代現実知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年1990年アメリカ知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。

1950年

劇中、フォレスト・ガンプ少年IQの低さから公立小学校への入学拒否されかけたのだが、ママ校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。

愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。

1965年ウィローブロック州立学校という知的障害児の施設リークされた。

潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間生活する環境とはとても思えない状況だった。

このニュースアメリカ全土に衝撃を与え

とにもかくにも、この時代知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間尊厳はない。

1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。

ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法勉強させません」なんて言い返している。

個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。

というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。

それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者コメントを求む。

■1960~1979年

ガンプがベトナム戦争英雄になった1960年代

血の日曜日事件アラバマ州舞台でありながら公民権運動スルーしたことで、白人礼賛の保守映画認定されがちな本作であるが、1960年代黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。

1963年には脱施設化の転機である精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、

1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設収容されるべきではないという判決が出された。

公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカ障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)

設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。

個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクスカウトされてないほうが疑問なわけだ。

■1980~1990年

アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。

ガンプは走りたいから走っていたが、現実知的障害者たちはそういうわけにはいかない。

結局デモなりなんなりで、「地域暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民了解を得るしかない。

というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別禁止する公民権法だ。ダン中尉政府おっぱい限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府障害者の権利を認めたのだ。

実はこの法律ハリウッドにも大きな影響を与えている。

「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。

90年代ハリウッドでは障害肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。

革命なのは2000年代ファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。

さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害肯定的に捉える映画企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。

だって俺、興味ねーし」っていう。

結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。

まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。

知的障害者だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。

今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活エンジョイしてる知的障害者もいる。

日本の話だけど、この前バリバラ地域子育てしてる知的障害者夫婦が出てたぜ。ハロー1950年代、これが2019年だ。

から、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。

俺にだって自由希望を持つ権利があるし、

俺にだって、周りから尊重されていいはずだし、

俺にだって、平均的な経済水準を保証されていいし、

俺にだって普通地域普通の家に住んでいいんだ。

当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。

2019-01-12

anond:20190112173536

まあ戦後統治ほとんどクソだったからな

たまにまともになればアメリカに潰される

かといって安倍歴代首相の中でも最悪クラスなことは間違いない

あのぼんくらケネディみたいな末路が順当だろう

2018-12-24

ヒロヒトって何で暗殺されなかったんだろ?

庶民は相当憎んでただろ

ケネディリンカーン暗殺されてヒロヒト暗殺されないってよくわかんねー

2018-11-15

anond:20181115172415

でも何処の国もそんなもんだしなぁ

アメリカですら親の七光りが問題視されつつも脱却できてない

ブッシュ家とかケネディ家とか

2018-08-26

杉田議員正論

行政子供のいる夫婦や、子供が出来そうな夫婦支援するのは、その子から将来アガリが取れるからやって正しいけど、ホモとかよく分からんカップル支援する理由が全く分からんし、税金無駄遣いそのものだ。

こう言う反論余地のない正論を言った杉田議員は正しいが、盛りのついたホモに屈服してツイートを消したのは残念だ。

国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しいってケネディも言っていたけど、生産性のない夫婦もどきちょっと考えた方がいいと思うぞ。

2018-08-20

けっきょくのところ落合信彦は凄かったんだろうか?

未だにわからん。

ケネディ暗殺のアレが公開されるまで待たなくてはいけないのだろうか

2018-05-04

1+1+1は2だと思う

Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」

 わたしたちコメダ珈琲新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。

ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的ものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカルインコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義記号化してるんだよね」

 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。

 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたし彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれている、狂人の「風采堂々たる好男子で……常に万巻の読書疲れたような憂わしげな顔をしている」という描写を思い出す。

「ひとの顔をじっとみないでよ。たいぼくちゃん、繊細そうにみえて、そういうところ図太いよね」

 いとうは愁眉を寄せた。

「――お待たせ」

 倫理わたしたちに声をかける。黒のカットソーで、シースルーレースが首周りから両腕を覆う洒落た服だ。それを着こなすだけの顔立ちをしていた。アップにした髪型が、服と調和している。彼女ほど顔立ちが整っていると、髪はまとめた方が素の魅力を出せていいのだろう。

 倫理をみると、ときどき冷たくて薄い靄のような感情かられる。

「遅い」

「ごめん。バルトで『ラブレス』みてた」

セックスするとネコミミのとれるマンガ? 女子ゼロいいよね」

 わたしがいうと、倫理は苦笑した。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作。失踪した息子を探す離婚協定中の両親のはなし。郊外舞台なんだけど、途中から延々と廃墟の場面になって、それがいいんだ」

証券って忙しい?」

 いとうが尋ねる。遅刻への当てこすりではなく、ただ気になっただけだろう。

営業そうかもしれないけど、ディーリングは定休が決まってるからそうでもないよ。うちは外資リテール部門がないしね」

 待っているあいだ、何をはなしていたか尋ねられる。いとうが説明すると、倫理は笑った。

「たしかにダナ・ハラウェイのサイボーグフェミニズムはそういう論旨だね。ただそこまでいくと、むしろチャンの『顔の美醜について』みたいに、みる側の感情操作する方が自然な気もするな。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の〈情調オルガン〉みたいにね」

 倫理はいとうのはなしをすぐ理解して、気の利いた返しをした。そのことに体内が熱くなるような感覚をおぼえた。

 店を出て、新宿御苑沿いに新宿駅に向けて歩く。二人が話しているため、わたしはその後ろをついていく形になった。他意はないとわかっていても疎外感をおぼえる。

「でも、Vtuberアンドロイドでもただのキャラクターでもないでしょ。だからナマモノと同じようにあつかわなきゃいけないわけだし」

 そう口を挟む。いとうは歩きつつふり向いた。

カントは『純粋理性批判』で対象物自体として存在していて、人間はそれを超越論的主観性において認識するのみだといった。で、ハイデガーは『存在と時間』で、そうした直観主観性にすぎないと批判して、現象学でもって実存存在者を存在させると定義しなおした。存在論的にいえば、ヴァーチャルYouTuberという架空人格存在する、あるいは存在しないというどちらの立場も幼稚すぎる。他人人格ですら、無条件に存在するとはいえないんだから。まあ、未成熟なひとは自分理想像を押しつけることで、他人人格所与のものとしてあつかうけどね。そういうひとが勝手に本人を代弁して、ナマモノダメだとか言いだすわけ」

常識範疇なら、そういう代弁もいいと思うけどね。二次エロとか。ただ本人がナマモノを解禁してるのに頑なにナマモノ禁止するひととかは、そういう主観論に陥ってるんだろうね」

「だからVtuberについていえば、Vtuberとしてした百合営業に〈中の人〉が触発されて、それがまたVtuberとしての百合営業につながるというような、循環的な重層性があるわけじゃない。実在非実在二元論じゃないでしょ。ウンベルト・エーコの『ヌメロ・ゼロ』もそういうことを主題にしてるわけでしょ? 『存在と時間』では記号をただ指示するものでなく、それ自体がもろもろの記号構造を暗示するものとしているけどね。でも、常識範疇ってなに?」

 いとうは苛立たしげに髪を掻いた。

Vtuber自然人としてあつかうとして、どうして身体属人性を与える方向にいくかなぁ……、それなら自然人の身体人格とは別個のものとする方向にいくべきでしょ。天与のものである身体人格と同一視して自然権を認めるのは、明らかに不合理じゃん。だからグレゴリーマンキューも皮肉で〈身長税〉を提唱したりするわけでしょ。……、え? マンキューくらい専門外でも知っておきなよ」

 議論めいてきて、倫理の口調も熱をおびてきた。自然わたしは無言になる。

そもそもVtuber著作物と見なした方が簡単じゃない? 〈中の人〉はVtuber演者としての著作隣接権もつわけ。二次エロには著作隣接権著作人格権に準用して対応すればいい」

「ちがうね。マッピングで体をリアルタイムに同期させてるVtuberはVRよりARの方が近い。もちろんARみたいに空間認知人格投射するわけじゃないけど、運動感覚でも同じことがいえるでしょ」

身体人格から分離するのが進歩的なのはわかったけど、テクノオプティミズムすぎるよ。こんなことをいうと、イーガンSFに出てくる保守主義者みたいかな。けど一般論として、エロが一部のひとに不快感を与えるのは事実でしょ? 前から思ってたけど、自分に関わることだとすぐ感情的になるくせに、他人には正論を押しつけるよね」

自分に関わることな感情的になるのは当りまえじゃない? 正論を曲げる理由はないよ。倫理こそ、他人配慮してるようだけど、等しく他人を見下してるだけでしょ? あと、テクノオプティミストでけっこう。わたし原発推進派だし」

 感情露出して落ちついたのか、いとうは息を吐いた。

倫理のいうこともわかるよ。でも、制作者の意見もないのに他人規制しようとするのはただの自治厨だと思うな。そういうファンは決まって創作をしない側だよね。創作ができないから、その代わりに自分ルールを考えて、それをコミュニティ強制しようとすることで存在を主張しようとするんだ。まあ、そういうファンはどこのコミュニティにもいるから、無視する以上のことはできないんだけどね」

 いいながら、いとうは自分言葉でふたたびイライラしてきたようだった。いとうは神経過敏だ。紙やすりのようだと思う。

 いとうが自家中毒めいて、自分言葉で気分を荒立てているのを察したらしく、倫理は優しくいった。

自分他人のあつかいに差があるのは当然だけど、いとうの場合、それが甚だしいってことをいったつもりだったんだけどな。あんたみたいなディスコミュニケーション女にもわかるようにいってあげると、誰もがあんたみたいにコテハン擬人化されて喜ぶ人間ばかりじゃないってことだよ」

「なるほど…」

「あ。いまのでわかるんだ」

「いとうの見方個人主義的すぎるよ。後期ヴィトゲンシュタイン言語ゲームも、そういう分析哲学に対する批判としてあるわけでしょ?」

 それから、しばらく誰も話さなかった。黙々と歩く。倫理雰囲気を変えるようにいった。

「そういえば、たいぼくってウケるんだよ。前に泊まりにいったとき料理をつくったんだけどね。カレーにするつもりで牛筋を煮込んでおいておいたら、朝にたいぼくがコンソメスープだと思って飲んでたんだよ」

 いとうは爆笑した。

「たいぼくって本当に生活力ないよねー」

 倫理に囃す。「それにしても、あんマメだよね。よっ、家父長制」

 倫理は本気で不快そうな顔をしたが、いとうは気づかなかった。

都庁って変なデザインだよね。すくなくとも都の庁舎じゃないでしょ」

 遠景に都庁みえて、なんとなくいう。

「いや、あれは自生する秩序の象徴から都市役所としてふさわしい建築だよ。エッフェル塔と同じ」

 わたしが疑問に思っていると、倫理解説した。

ロラン・バルトの『エッフェル塔』だよ。『あらゆる時代、あらゆる映像、あらゆる意味に通じる純粋表徴であり、拘束のない隠喩』ってね。具体的にどういうことかは、ルイ・マルの『地下鉄のザジ』をみればいいよ。『地下鉄のザジ』ではエッフェル塔の内外から鉄塔の無機質な幾何学模様が無限に顔をもつところが撮影されているから。『地下鉄のザジ』の原作者が『文体練習』のレーモン・クノーっていえば、わかりやすいかな」

 なんとなくおもしろくなく黙っていると、いとうがいった。

「でも、そういう意味をもたないことを意図した無機質なデザインなのに、結果として都市ランドマークになってるのは皮肉だよね。そうそう、ケヴィン・リンチは『都市イメージ』で都市認知地図における主体を〈パス〉、〈エッジ〉、〈ディストリクト〉、〈ノード〉、〈ランドマーク〉の五つに分類したけど、これはプロファイリングのGCT犯罪地理探索モデル)に利用されているんだよ。〈犯人の標的捜索行動は居住地から離れるにつれて犯行に及ぶ確率が単調減少する〉、〈居住地の近隣に犯行の行われない地域存在する〉、という二つの仮説のもとで距離独立変数とする距離減衰関数を導出するんだ。もちろん、それだとただ犯行地点の二次元的な分布の平均を求めるだけだから、ここに認知地図を当てはめるわけ。たとえばエッジに近づくと距離が縮小するとかね。平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』は、これを種本にしているんだよ」

 往来でプロファイリング平山夢明について語るいとうは完全に異常者だった。

「そういう自生する秩序の象徴をもそのうちに組みこむのが、自生する秩序なんじゃないの?」

 倫理皮肉げにいった。

そもそも新宿のもの意味をもたない記号都市なんだよ。大政奉還前は飯盛女のいる宿場戦前遊郭戦後闇市復興期は赤線地帯。七一年京王プラザ建設を皮切りに七〇年代高層ビル建設されて、九一年都庁移転するまで、ここは周縁だったんだよ。都庁にふさわしい場所でしょ? ちなみに、いわゆる〈新宿二丁目〉は二丁目の北側だけで、二丁目と三丁目は御苑大通りで隔てられてて、歩行者天国地下道もそこで途切れている。で、ご存じのとおり二丁目は都市から外れて住宅街モザイクになってる。つまり、二丁目は周縁の周縁ってわけ」

 そこまでいって、倫理は表情に翳を落とした。

「まあ、これは殊能将之が『キマイラの新しい城』で六本木についていったことを、新宿転用しただけなんだけどね。〈キマイラの新しい城〉っていうのは復元された古城と同時に、六本木ヒルズのことも指してるんだ」

「いいじゃん。ロラン・バルトによれば日本のものが『記号帝国』らしいし」

殊能将之って『波よ聞いてくれ』に引用されてたよね」

 倫理は頷いた。

「『黒い仏』だね。柔むげさんがさ、いつか『殊能将之読書日記』に感動してたじゃん。わたしはそれがわかるんだよね」

 歩きながら、倫理Kindleの端末を開いた。

「『殊能将之読書日記』ではフリッツ・ライバー長編への見方が顕著かな。殊能将之は〈ほとんどエロゲーの世界〉とか腐しながら読んでいるんだけどね……。その皮肉さがわかりやすいのが『A Spectre Is Haunting Texas』だよ。殊能将之は『幽霊テキサスに取り憑く』と訳しているけどね。月周回軌道ステーションまれ主人公が、第三次世界大戦後のアメリカにきたら〈テキサス国〉になってたってはなし。日本でいうと〈「第3次世界戦後大阪日本支配するようになった時代大阪人は全員きんきらきんの漫才師ルックで、『なんでやねん』『そんなアホな』などとしゃべっている」みたいな設定〉ってこと。テキサス国の首都テキサステキサスダラスで、街にはケネディ暗殺を記念した黄金モニュメントが建ってるの。教科書倉庫の窓から突きだす銃身とオープンカーのシャーシのやつ。で、テキサス国の政権交代大統領暗殺でおこなうのが慣例なの。爆笑じゃない? で、まあギャグ小説なんだけど〈A nation nurtured on cowboy tales and the illusion of eternal righteousness perpetual victory. カウボーイ神話永遠に正しくつねに勝利しつづけるという幻想に養われた国。〉とか書いてあって、痛烈にアメリカ批判しているわけ。だからアメリカでは出版できなくて、タイトルだけイギリス英語の〈spectre〉の綴りになってるんだけどね。ちなみに日記には追記があって、このタイトルは『共産党宣言』の〈ヨーロッパ共産主義という亡霊が徘徊している〉のパロディだと教えられたからってタイトルの仮訳を訂正してるんだけどね。教えたのは中村融なんだけど」

 倫理はひと息ついた。

世界にこういう視座をもっているひとは生きるのが辛いよね。そういうひとを理解してしまうひともね。ナボコフの『ロリータ』もそういうはなしだよね。嫌味で文学趣味スイス人が、延々とアメリカ呪いながら一人の少女を愛するはなし。柔むげさんは、そういうところに感じたんじゃないかな。で、わたしもそういうひとたちに片足を踏みこんでいるからそれがわかるんだよね。だからわたしは『程』では灯が好き」

「あ。そこにつながるんだ」

 まったく予期しない展開だったためにおどろいた。が、いとうは思うところがあったらしく、無言で前を見つめていた。

 新宿駅みえてくる。

「そういえばたいぼくちゃんお酒買った?」

キリンをまとめ買いしておいたけど。あ、あとポテチカップラーメンも買っておいた」

 そういうと、いとうは爆笑した。

大学生じゃん」

 倫理も苦笑しながら言う。

「ここの成城石井ワインチーズを買っていこう。あ、でも、それならクラッカースモークサーモンハムを買っていって、ムースをつくった方がいいな。素材の味が出るから、いいものじゃないとおいしくないんだよね」

 買物をしてからJRのコンコース階に移動する。倫理カードで決済して、わたしお金を使うことはなかった。

「ごめんね。一応、ホストなのに」

 いとうは笑って「出世払いにしなよ」といった。

 倫理は微笑していった。

「それにたいぼくちゃんからモラトリアムの気配をもらってるところがあるからね。わたしも……、わたしたちもこうして社会人鋳型にはまってるけど、それが仮初めのものだってことを思い出させてくれる」

 コンコースでは大勢のひとが行き来していた。天井からは各路線を案内する表示板が大量に下がっている。これらの記号が指示するものなかにわたしたちのいく先もあるのだな、と思った。

2018-03-22

anond:20180322010032

絶対的支配力を持つ存在実在していたとしたら

どうやって俺たちはそいつから干渉に気付くことができるのか、

また気づいたところでどうやってその干渉から逃れることができるのか?

もうすこしスケールを小さくすればマスコミ政府軍需産業シークレットガバメント真実隠蔽していたとして

俺たちはどうすれば気づくことができるのか?

また、どうすればそれに抵抗することができるのか?

できない

何もできないので与えられた目の前の情報を信じるしかない

それを疑ったところで現実を変えるだけの力は個人には当然ない

利益どころか不利益しか発生せず、結局干渉される存在として一生を送るしかない

選択というのは幻想に過ぎないのではないか

例えばケネディ暗殺したのがアメリカ政府自身シークレットガバメントだとして

国民は誰に責任を追及すればいいのか?

9.11軍需産業に引き起こされた戦争トリガーだとして誰に責任を問えばいいのか

それさえも分からない

分かったところで意味のない答えにどうしようもない

森友問題にしても素直に財務省人間改竄したことが焦点になるのに

なぜか改竄に関与していない与党責任問題として国会で取り上げられていて異常な光景が続いている

財務省としては自分らを守らせるために与党責任を取らせる方向で動き

野党もまた与党攻撃できる機会だからその手を休めない

一方、財務省自体にメスを入れようとしたら途端にブロックされる状況

このようなおかし状態国民は何もできない

2018-01-28

フィンランド首相はアホだった

エスコ・タパニ・アホ(Esko Tapani Aho、1954年5月20日 - )は、フィンランド共和国政治家元首相。容貌類似からカンヌスのケネディ」とも呼ばれる。

1990年中央党の党首となり、1991年には首相就任、36歳での首相就任フィンランド史上最年少で、1995年まで務めた。

2000年に行われた大統領選挙では社会民主党タルヤ・ハロネン候補に敗れ、その後はアメリカハーバード大学留学した。2004年にはフィンランド国立研究開発基金(Sitra)の総裁就任し、在任中に欧州委員会の依頼で「革新的ヨーロッパ創造」と題したレポートを発表した。総裁2008年まで務めた後、ノキア取締役に転じた。

エスコ・アホ - Wikipedia

2017-12-23

親が統合失調症の人と結婚できますか?

タイトルの通りなんだけど、私の親は統合失調症で、激しい被害妄想独り言がある。薬を飲んでいて安定はしているので入院こそしていないけど、話せばおかしいことは分かる。(私が生まれる前は数年入院していた。)

私自身は何かの間違いで生まれしまったような気がずっとしていて、正直なところ卑屈な気持ちを捨てきれない。親と自分は違うことは知ってるし、親がもし犯罪者だとしても子供犯罪者ではない。親の状況がどうであれ、私自身が卑屈に思うことはないことは理論としては知っている。だけど、遺伝という名の強力な呪縛があることも分かっている。仮に私が逆の立場なら結婚には慎重にならざるを得ない。(特に私は親の病気を間近に見てきたからというのもある。)

私がもし統合失調症になったらと考えるとパートナーを酷く苦しめることにもなるだろう。するとやはり統合失調症の子である自分結婚を諦めるべきなのだろうか。

■追記

優生保護法ってありましたよね。生活に支障をきたすような遺伝子の持ち主なら生殖能力を取り除きましょうというやつです。もし今もその法律有効なら、私は生殖能力を取り除かれたかもしれません。

私の友人で競馬ファンがいます。その友人はよく言うのですが、結局は血統がすべてで、ダメな馬からは良い馬は生まれない、人間も同じ、と。

一方で優生保護法を突き詰めようとしたら人類歴史に名を残す人がたくさんいたと言う事実もありますアインシュタインケネディの子供や親族には統合失調症の人がいます

また片親が統合失調調で子供統合失調症になる可能性は10%弱です。親が統合失調調でなくてもなる可能性は1%です。割合は高いですが、発症可能性はそこまで高くはありません。

この事実があった上でどう思いますか?あなたが愛した人の親が統合失調調であったらどうしますか?

2017-11-07

「この世」のつまらなさが異常だなあ…

例えば

金を極めたところでロスチャイルド家ロックフェラー財団みたいに裏から世界支配して

自分らは金稼いで他人から搾取するのは正当だと心身ともに強くするために毎回悪魔信仰して心を強くして

一生懸命学んでやることが裏から人間支配して栄華を極め続ける、たまに内紛する、みたいな

それやってる間は悪魔信仰博愛トレードオフなのでひたすら醜く金を集め続けることでしか

自分存在価値を見出せない集団になる

数字に取りつかれて死ぬまで数字を追いかけ続けて支配者を維持するのが実に滑稽

冨を支配しているのか、富に取りつかれているのか

からキング牧師とかケネディみたいに善として大衆を表だって導くやつらが心底気に食わないんだろうな、殺したくなるほどに

でも殺したら殺したで英雄として永遠に語り継がれるから無駄なんだけど

死んでも愛され続けるなんて金融マフィアたちにはどう転んでも無理

から悪魔信仰を続けるしかない

汚い魂の溝の中で金貨を眺めることでしか自分らを満足できない薄汚れた血統だよ

 

では愛を極めたとこでどうかといえばそれも怪しい

実質的支配金融マフィアがしているのでそいつらが世の中の仕組みを取り仕切っている

偉人たちが生きている間は愛を振りまけるかもしれないが

死ねマフィアたちの仕組みの中でまた生き続けないといけない

から社会の枠組みを破壊するだけの愛と実力を兼ね備えた英雄必要だが

歴史上に出現しそうになるたびに暗殺や没落に追い込まれ

愛をもって力も持つ存在なんて自分らを全否定されるようなもんだから、そりゃ抵抗するわな

 

では民衆として自由謳歌したらどうだろうか

それはそれでありきたりの趣味家族仕事に没頭して自分個人の一生で満足して終わるだけの在り来たりな人生を送る

もちろんそれが凡人にとっての最大限の幸福であることは違いない

しかしそれ以上には決してなり得ない

時代は作らないし何も歴史に残さな

研究結果で名を遺したところで、いなきゃいないで、誰かが代わりに見つけたし仕事をしてただろう

何一つ特別になれずに死んでいく

 

子の世ってつまらないなあ

どうあがいても壁があって

どういう形でも完全な満足にはほど遠い

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