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はてなキーワード: 改元とは

2022-07-13

「俺以外の人間が出して良い結論は1人1つまで」みたいなルールあるよなお前ら

たとえば今回の件って

殺人はいけない

暴力はいけない

国民代表武力的に排除するな

奈良県警弱すぎない大丈夫

ざまぁwww

・やっぱ銃って強いね

コイツなにげにスペックじゃね?

カルトこえー

・うぜーやつ他にもいるか模倣犯出ねーかな

・でもやっぱこういうの人生もったいない本舗

ドラマアニメで銃が出るたびに「山上」とか「奈良県警」とかコメがつくのいい加減うぜえ

・9連銃かっけえ……

・他の人に当たらなくて良かった

SP無能すぎワロタ

そもそも警備ガバすぎるんだが俺が外人VIPなら二度と日本こねーな

遊戯王の作者が死んだのが1日で忘れられた感あって悲しい

選挙への影響ぶっちゃけなくね?

国葬文化やっぱちょっとキモい

・令和ヤバすぎるから改元しろ

みたいな多様な結論がそれぞれの個々人の中に斑状に存在して良いわけじゃん?

でもそれに対して「結論は一つにまとめろ!(ただし俺は多様な結論を持っても良いものとする」みたいなルール押し付けてるやつが多いように見えてしまう。

そんなに他人単純化したいのか?

お前の脳のメモリゴミからって世界解像度を下げようと必死すぎだろって感じがしちゃう

2022-06-16

[] そのさんびゃくさんじゅう

ウィエラーッス

 

本日和菓子の日ですって。

なんでも疫病退散を祈念するために「嘉祥」という元号改元したのですが、その時の天皇様が御神託を受けて16日に16個の和菓子神棚に供えたことが「嘉祥菓子」というものの始まりなのだそうな。

そこに因んで本日和菓子の日なのですと

よくわかんないですが、現場でも時折糖分を摂ることで疲れが取れることが時たま発生します。

まりちゃん栄養は摂っておきましょう。

謎な御神託を受け取る前に。

 

ということで本日は【栄養摂取いか】でいきたいと思います

栄養摂取いか栄養摂取ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-05-11

anond:20220511124235

令和になってから碌なことがない

改元してほしい

2022-04-22

anond:20220422135407

記憶曖昧な人なんだろうなぁ

俺は平成元年でもまだガキだったからわりと昭和平成の境目わかるけど、改元の頃に既に成人していくらか経ってたらしてたら平成初期を昭和と誤認する気持ちわからんでもないよ

2022-03-09

そういや昭和枯れすすきって歌がある。

調べたら発売は1974年昭和49年らしい。

しかし、今の感覚で言うと元号をつけて「平成◯◯」とか「令和◯◯」とかってせいぜい改元して10年くらいまでの間に「新しい時代にふさわしい新しい何かだ」としてつけるもんなんじゃないだろうか。

昭和49年。現役世代の大多数がこの元号しか知らんような時代に、「昭和」って銘打ったタイトルってなんなんだ?

2022-01-15

人心が荒んでいるし改元した方がいいと思う

新元号はなに?

2021-08-27

anond:20210827120223

改元したらもう一回くるぞ

から宇宙を手にお入れください

2021-08-25

疫病のための改元はかつてあったが、元号は変えられないからサブ元号はどうだ

元号:令和

サブ元号:捲土重来~これから巻き返す~

2021-05-25

anond:20210524231748

田舎のpolice officer とか呼んだら

暇そうだし。改元パレードの時みたいに。

無駄に増やして冤罪作りすぎでは。最近

自民長すぎ。どんどん覇権的強権的になってない?

2021-05-01

令和になってからろくな事が起こらん

そろそろ改元した方が良いのではないか

2021-03-07

anond:20210306213555

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

右翼の極一部、恐らく一人か多くても数人、が襲撃とか脅迫とかしたところで、それを国民とかメディアが受け入れる段階がないと言論不自由とはいえないと思うんだが、、、だって国民のほぼすべてが自由主義者でもたった一人の過激派がいたら事件は起こってしまうわけで

その点ポリコレは大きな流れになっちゃってるよね

そこがポリコレ極右過激派立場上の違いだよ

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想

この記事が注目を浴び、多くのブコメが集まっている。

"カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ"

https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b

まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼定義リベラル定義の困難さ、特に現在日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラルであると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトポリティカルコンパスでは、

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

61.1% 左派, 72.2% 自由主義者

という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である混同している人は気をつけてほしい。

そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。

まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論フェイクニュース似非科学歴史改竄代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。

たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党本来ワクチン否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政要求したりしてきた。しか副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しか現在出ている科学検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。

この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判原告団体については、補償範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告支援する左派政党や団体に共通する問題として挙げた。

しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。

"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思いますリベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快ものかもしれません。

しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"

ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。

シグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。

語ることがリベラル専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的文学芸術を愛する少数のインテリ世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリ傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚発言だとは気づいているのだろうか。

シグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

自由民主主義」の社会享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。

日本左翼をやっていると、自分投票した候補者当選することも少ない。民族的性的、その他さまざまなマイノリティ権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界いか存在認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動第一歩になる。言うまでもない前提だ。

上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者多様性重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。

また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家ブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。

しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティ運動の中などでは特に当事者が自ら語ることを重視する。当事者心中を非当事者想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想立場の違う作家いかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。

その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステート洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。

シグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論原則としては全くその通りであるしか現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論ヘイトスピーチへの対処現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラル原則現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。

"「トランプ陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"

https://finders.me/articles.php?id=2529

私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。

また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外から解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報さらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象特に感情からまなくも起きる。平凡な思想感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論フェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。

ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本記者によるものさえある。

"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html

シグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。

続きはこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213813

2021-02-15

世界各国の最盛期

イタリア五賢帝時代

五賢帝は、1世紀から2世紀後期に在位したローマ帝国の5人の皇帝、またその在位した時代のこと。しばしばネルウァ=アントニヌス朝とも称される。共和政時代から続いてきた領土拡大が一種集大成を迎え、ローマ帝国始まって以来の平和繁栄が訪れた。パクス・ロマーナと呼ばれる時代一角なす

中国貞観の治」

貞観の治(じょうがんのち)は、中国唐(618年 - 907年)の第2代皇帝太宗の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627年 - 649年)の政治を指す。この時代中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世に政治的な理想時代とされた。わずかな異変でも改元を行った王朝時代において、同一の元号23年も続くというのはまれであり、その治世がいかに安定していたかが窺える。

スペイン黄金の世紀」

16世紀中盤から17世紀前半までの約80年間はスペインが史上最も繁栄した時期であり、黄金世紀(Siglo de oro)と呼ばれている。スペイン君主カルロス1世神聖ローマ帝国皇帝即位した際には、ヨーロッパにも本国以外の広大な領土を持つなど、その繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。

イギリスヴィクトリア朝

19世紀後半のヴィクトリア女王時代近代イギリスで最も繁栄し、多くの自治領植民地を所有し、工業生産金融の面で世界経済ヘゲモニーを握り、第二帝国時代ともいわれた。国内政治では保守党自由党二大政党が交互に政権担当する政党政治機能し、文化面でも世界リードパックスブリタニカを実現した。

フランスベル・エポック

ベル・エポック(Belle Époque、仏:「良き時代」)とは、厳密な定義ではないが、主に19世紀から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリ繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉である19世紀中頃のフランス普仏戦争に敗れ、パリ・コミューン成立などの混乱が続き、第三共和制も不安定政治体制であったが、19世紀末までには産業革命も進み、ボンマルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになった。1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点であった。

アメリカ「狂騒の20年代

第一次世界大戦特需アメリカは大いに沸いた。アメリカ経済は空前の大繁栄をとげ、戦前債務国から世界最大の債権国に発展した。世界経済の中心はロンドンからニューヨークウォール街に移った。大衆生活大量生産・大量消費の生活様式が確立する。一般には「黄金20年代」と呼ばれ自家用車ラジオ洗濯機冷蔵庫等の家電製品が普及した。1920年には女性への参政権が与えられるようになった。ベーブルースによる野球人気やチャップリン映画黒人音楽ジャズなどのアメリカ的な文化が開花した。

日本

いつ?

2021-02-06

anond:20210206224813

できるんならいいけど

改元たかボクらの時代ですって、紙がスケジュールを決めてくれないと

ムーブメントも起こせないといわれると

まぁ

ムーブメントは起こせないわな

僕たちの時代はいいけど

はよ、コロナをなんとかして経済復活させてくれ

昭和初期生まれ老害

あんまりにも長い間改元がなかったから、自分時代が終わることを自覚できなかったんじゃないか

ある程度若いうちに改元経験することで次の世代時代が来ることを認識できるんだ

2021-01-03

anond:20210103204627

社会的要請だろ。成文法なんて全部人間要請に応じて作ってんだよ。

神が要請したとでも思ってんの?成人式だけじゃなく天皇交代、改元の式典に関する法令だって同じだぞ

2020-12-19

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1981-現在

https://anond.hatelabo.jp/20201206114053

出来事

1981 ジャパンカップ創設(メアジードーツが第1回の勝馬となる)

 天皇賞勝ち抜け制廃止

 ホウヨウボーイが2年連続年度代表馬に選出される

1983 ミスターシービークラシック三冠を達成

1984 競走体系変革(グレード制導入)

 顕彰馬制度の制定

 天皇賞秋の距離短縮(距離短縮後、ミスターシービー最初勝馬となる)

 重賞競走(アラブ障害除く)に係る馬券原則全国発売となる

 シンボリルドルフクラシック三冠を達成

 カツラギエース日本調教馬として初めてジャパンカップを制覇する

 ハッピープログレス(及び翌年のニホンピロウイナー)が本年からG1に格付けされた安田記念勝利し、短距離路線の名馬として評価を受ける(短距離路線確立

1985 プラザ合意

 シンボリクリスエスが2年連続年度代表馬に選出される

 ニホンピロウイナー1983年以来3年連続で最優秀スプリンターを受賞する

1986 メジロラモーヌが初めて牝馬三冠を達成する

1987 皇太子夫妻(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行啓し、天皇賞秋を観戦する(台覧競馬勝馬ニッポーテイオー

1988 調教師の70歳定年制施行JRA賞制定

 タマモクロスが史上初の天皇賞・春秋連覇(史上初の天皇賞2勝)を達成

 オグリキャップ中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1990年有馬記念優勝を最後引退

1989 平成改元

1990 総量規制実施

 東京優駿日本ダービー)施行当日、196517名の中央競馬史上最高入場者数を記録(勝馬アイネスフウジン

 社台ファーム種牡馬サンデーサイレンスアメリカより輸入する

1991 降着制度導入(初の適用1991年1月5日中山競馬第8競走におけるミヤギノフジ(13着→15着)

 メジロマックイーン天皇賞秋において、1位に入選するも、進路妨害によって、18着(最下位)に降着プレクラスニーが1着繰り上がりとなる)

1994 ナリタブライアンクラシック三冠を達成

1995 阪神淡路大震災

 この年限りでアラブ系競走が廃止される

1997 年間の馬券売上額が4兆円を超え、過去最高を達成

 この年からJRAクラシフィケーション(旧フリーハンデ)がインターナショナルクラシフィケーション基準を合わせることになる

1998 シーキングザパールモーリス・ド・ゲスト賞を制し、日本調教馬として初めて海外G1勝利する

 タイキシャトルマイルCSを連覇し、昨年のマイルCS以来、短距離G1を5連勝する

1999 エルコンドルパサー日本調教馬として初めて凱旋門賞2着に入る

 エルコンドルパサー国内未出走ながら、選考委員会により年度代表馬に選出される

 中央競馬において拡大二連勝複式(ワイド馬券の発売が開始

2000 チャンピオンズカップジャパンカップダート)創設

 テイエムオペラオーが年間無敗、重賞8連勝、古馬主要G1全勝(グランドスラム)を達成する

 JRAによる企画20世紀の名馬100」がファン投票により選出される(1位ナリタブライアン、2位スペシャルウィーク、3位オグリキャップ

2001 アメリカ同時多発テロ事件

 馬齢表記数え年から満年齢に変更

 顕彰馬の選定が記者投票によることとなる

2002 中央競馬において馬番連勝単式馬券(連単)並びに馬番三連勝複式馬券(三連複)の発売開始

 小泉純一郎内閣総理大臣東京競馬場に来場し、東京優駿日本ダービー)を観戦する(勝馬タニノギムレット

2003 シンボリクリスエスが2年連続年度代表馬に選出される

2004 中央競馬において馬番三連勝単式馬券三連単)の発売開始

 この年限りで、抽選馬抽選会における配布制度が取り止めとなる

2005 ディープインパクトクラシック三冠を達成する

 天皇皇后東京競馬場行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬勝馬ヘヴンリーロマンス

2006 ディープインパクトがIFHA発表の「トップ50ワールドリーディングホース」で125ポンド評価を受け、日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めて首位に立つ

 ディープインパクトが2年連続年度代表馬に選出される

2007 日本、ICSC(国際セリ名簿基準委員会)のパート1国に昇格

 デルタブルース日本調教馬として初めてメルボルンカップを制覇する

 ウオッカ東京優駿日本ダービー)を制覇(牝馬による東京優駿日本ダービー)制覇はクリフジ以来64年ぶり)

 皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿日本ダービー)を観戦する(台覧競馬

2008 ダイワスカーレット有馬記念制覇(牝馬による有馬記念制覇は、トウメイ以来37年ぶり)

2009 ウオッカが2年連続年度代表馬に選出される

2011 東日本大震災東京大賞典地方競馬レースとして初めて国際G1に格付けされる

 オルフェーヴルクラシック三冠を達成する

 ヴィクトワールピサ日本調教馬として初めてドバイワールドカップを制覇する

 中央競馬における重勝馬券の発売再開

2012 天皇皇后(現・上皇上皇后)が東京競馬場行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬勝馬エイシンフラッシュ

2013 降着・失格のルール変更

 ロードカナロア香港スプリントG1)を連覇(また同年、安田記念を制し、昨年のマイルチャンピオンシップ以来、短距離G1を4連勝する)

2014 ジャスタウェイ日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めてロンジンワールドベストレースホースランキングにおいてレーティング1位を占める

 皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿日本ダービー)を観戦する(台覧競馬勝馬ワンアンドオンリー

 ジェンティルドンナ2012年以来、2度目の年度代表馬に選出される

2016 日本中央競馬会が仏・凱旋門賞において、日本国内で初めてとなる海外競馬の競走における勝馬投票券発売を実施する

 モーリス安田記念マイルチャンピオンシップ香港マイルチャンピオンズマイルといった短距離G1マイルG1)を4連勝する

2017 ホープフルステークスG1に昇格する

 コパノリッキー東京大賞典勝利し、G1級競走(GIJpnI競走)の勝利では歴代最多となる11勝目を挙げる

 キタサンブラックが2年連続年度代表馬に選出される

2918 令和改元

2020 新型コロナウイルス世界流行

 コントレイルクラシック三冠(無敗)を達成する(父ディープインパクト以来、親子二代での無敗クラシック三冠を達成)

 デアリングタクトが初の無敗での牝馬三冠を達成する

 アーモンドアイがジャパンカップ勝利し、芝のG1級競走では歴代最多となる9勝目を挙げる

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2020-10-18

anond:20201017174138

前の天皇平成仕事してる最中に、

サラリーマン天皇になって9~20時までは頑張って皇居いって仕事するけど、そっから自由で飲みにも行くし劇場にも自分意志でいくし

住居はどっかのマンションに住む、子育ては外でやる、皇居の広い土地国民公園として開放するもったいないからと、

近しい人にぼやいてたって改元前後朝日新聞特集記事に書いてあった。結局何も変わらなかった30年間だったと。

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