はてなキーワード: バッタとは
2022-08-02
■「猫はイージーモード」は本当か
猫はイージーモードってよく言われるけど、本当にそうなのだろうか。n=1ではあるが、私の体験談を話してみる。
私は生まれながらのブス猫で、まったくモテたことがない。顔も一度踏み潰されたような救いようがない顔だし、体型もガリッガリで可愛げがない。
猫だと「ブサかわいい」が成り立つらしいが、あんなの猫によるとしか言いようがない。
毛並みはクタクタだし、肉球も小さくてブツブツがあるし、誰も触ってくれない。
整形したいけど猫だしお金がない。猫は化粧もできないし、終わってる。
私は小さい頃からずっとペットショップにいた。でも、ずっと売れ残り。
周りの猫はどんどん買われていく中ずっと売れ残りだった。ブサ猫の宿命だ。
気がつけば、ペットショップの主みたいになっていた。
だからある日私はスキを見て店を抜け出した。
この容姿なのでモテることはなかったが、持ち前のバイタリティでエサと寝床だけは確保し、一匹狼ならぬ一匹猫として生きながらえていた。
ただその生活も長くは続かなかった。どうやら病気になったらしく、私は路上でバッタリと倒れてしまった。
気がつくと、温かいベッドの上。ある人間が倒れた私を見つけ、動物病院へ連れて行ってくれたのだ。
そのまま私はその人間に飼われることになった。
「いや、飼い主できてるじゃん。やっぱり猫はイージーモード」っと突っ込まれたあなた。もう少し話を聞いてほしい。
確かに飼い主は私を拾い育ってくれた。それなりに餌も与えてくれるし、家も居心地いいから、生活は悪くない。
庭にいる野良猫が窓越しにこちらを恨めしそうに見てくると、私は勝ち組かという錯覚に陥る。
だが、飼い主がTwitterに私の動画を時々アップしているけど、全くバズる様子がない。私がブスだからだ。こんなときは飼い主に悪い気がして悲しくなる。
また、飼い主は他の猫飼い主のアカウントを軒並みフォローして、猫画像を楽しんでいる。私では満足がいかないからだろう。そういうのを見ると嫉妬で喉が鳴ってしまう。
そういう悲しさはブサ猫だからこそ味わう悲しみだ。どうやったって飼い主に恩を返すことができない。
猫はイージーモードってよく言われるけど、本当にそうなのだろうか。n=1ではあるが、私の体験談を話してみる。
私は生まれながらのブス猫で、まったくモテたことがない。顔も一度踏み潰されたような救いようがない顔だし、体型もガリッガリで可愛げがない。
猫だと「ブサかわいい」が成り立つらしいが、あんなの猫によるとしか言いようがない。
毛並みはクタクタだし、肉球も小さくてブツブツがあるし、誰も触ってくれない。
整形したいけど猫だしお金がない。猫は化粧もできないし、終わってる。
私は小さい頃からずっとペットショップにいた。でも、ずっと売れ残り。
周りの猫はどんどん買われていく中ずっと売れ残りだった。ブサ猫の宿命だ。
気がつけば、ペットショップの主みたいになっていた。
だからある日私はスキを見て店を抜け出した。
この容姿なのでモテることはなかったが、持ち前のバイタリティでエサと寝床だけは確保し、一匹狼ならぬ一匹猫として生きながらえていた。
ただその生活も長くは続かなかった。どうやら病気になったらしく、私は路上でバッタリと倒れてしまった。
気がつくと、温かいベッドの上。ある人間が倒れた私を見つけ、動物病院へ連れて行ってくれたのだ。
そのまま私はその人間に飼われることになった。
「いや、飼い主できてるじゃん。やっぱり猫はイージーモード」っと突っ込まれたあなた。もう少し話を聞いてほしい。
確かに飼い主は私を拾い育ってくれた。それなりに餌も与えてくれるし、家も居心地いいから、生活は悪くない。
庭にいる野良猫が窓越しにこちらを恨めしそうに見てくると、私は勝ち組かという錯覚に陥る。
だが、飼い主がTwitterに私の動画を時々アップしているけど、全くバズる様子がない。私がブスだからだ。こんなときは飼い主に悪い気がして悲しくなる。
また、飼い主は他の猫飼い主のアカウントを軒並みフォローして、猫画像を楽しんでいる。私では満足がいかないからだろう。そういうのを見ると嫉妬で喉が鳴ってしまう。
そういう悲しさはブサ猫だからこそ味わう悲しみだ。どうやったって飼い主に恩を返すことができない。
いい加減にこの怒濤の忙しさもなんとか山を越えて丘を越えてほしいものよ。
そうそう、
いつも行く朝のサンドイッチ屋さん、
ここ2~3日臨時休業ってなっていて、
なんか誰かコロナが出たのかしら?って
出たとこ勝負でそんなこと言っても仕方ないので、
とりあえず月末まではお休みするって言ってたわ。
早く美味しいサンドイッチ屋さんが再開してくれないと
私の朝の元気の活力が無いのよ!
馴染みの味のサンドイッチに慣れすぎてしまうのも弊害があるわよね。
臨時休業のお休みの理由の秘密を解き明かしたわけではないので、
察するにそう言うことかも知れないので、
ただただ再開のめどが立ちまくっているのし
早く開店を待つばかりよ。
月末までって長いわよね。
耐え忍ぶわー。
サンドイッチ耐え忍ぶ子ちゃんって今日は私のこと呼んでも良いわよ!ってぐらい耐え忍んでいるのよ。
そうそう!
耐え忍ぶと言えば!
「よわい」はあまりにも弱いので
シーピーユーの人って疲れ知らずじゃない!
これは公平に並行線をたどることなくいつまでもデュースなのよ。
私が気合いが足りなかったのよ。
谷でも金!タムラでも金!ママでも金!とはよく言ったものの柔らちゃんよね。
スポーツのアスリートの精神力が試される集中力が私にはなかったのよ。
精神力を鍛えなければ、
そんで、
昨日知ったんだけど、
前衛の人も、
その人も操作できるっぽくって、
たまにヘボまった音で聞こえるぽよ~んって鳴ったときのボールがチャンス!
それを待ってましたとばかりに
さすが疲れ知らずのシーピーユーね!って思って
結局私が気力で負けてしまったのよ。
これもサンドイッチ屋さんが臨時休業しているからかも知れないし、
これ手軽に焼き肉のお肉が買えるじゃん!って
そう思って止まないし、
きっと私に足りないのはそのユッケかも知れない!
これはきっと私が焼き肉屋さんの24時間販売して買える自動販売機に導かれたのよ!
肉を買いなさい!って
それで肉食ってパワー付けたら、
打倒シーピーユーよ!
うふふ。
あと鮭おにぎりも。
つまりそう言うことよ。
レモン2つ買ってきたので、
皮ごと丸ごと使える防カビ剤とか使ってないものだけど、
どうも信じがたいけど、
とりあえず
果汁を搾って炭酸で割る
朝暑くて寝汗をかくぐらい喉が乾くわ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
主人公がわりと
「これは見たら完全にセクハラなので目をそらそう」とか
きちんと(きちんと?)ラッキースケベに抗ったり、回避行動をとる作品が多いし、
完全なセクハラ行為の描写でも、必ず相手に報復されたり、なんらかの報いを受ける描写があると思うんだけど。
【追記】
そのうえで、ふとしたきっかけで女主人公が男性ヒーロー(って書くとなんか違和感があるが)の
「予期せぬ要因で密着して肌が触れ合う」
といったラッキースケベの描写は頻度の程度はあれ当然に存在するし、
所謂”サービスシーン”としてそういった描写を楽しみにしている女性読者は多い。
(有名どころだとはめフラとか薬屋とか本好きにもある)
加えて創作物における、所謂『イヤよイヤよも好きのうち』的な描写は
読者はもちろん登場人物の性別・ジャンル問わず存在するわりと人気の定型描写なので、
アマランなんかを観るとエッチ有の女性向けやBLなんかは、強引系が令和でもそれなりに人気なのが伺える。
わりと話題になった書籍【Everybody Lies(日本題:誰もが嘘をついている)】だと、
アメリカの世論調査で「AVを見ることがある」と答えたのは、男性が25パーセントに対し、女性はわずか8パーセント。
ところが実際にはインターネットでAVを見ている女性の数は意外なほど多く、とくに暴力的なAVの女性視聴者は男性の2倍にもなるそうで、
ネット上では建前として「エロなんてけしからん!」と言っている女性でも裏ではそこそこエロを嗜んでいる事実は大いにあると思う。
ここらへんは女性が「はしたない」とエロ方面を不当に抑制されてきたことが一因な気がするが、
これも男性から一方的にというわけではなく、女性が女性を不当な正しさの枠に嵌めたがっていたりもするので問題は根深い。
”恋愛興味ありません系”とか”鈍感系”が多すぎませんかね……。
(まあ純粋に強引系のエロを描きたい場合はモブオジやヤリチンウェイ系で代用できるのでいらないのかも? BLなんかも最近はモブオジ作品そこそこ人気だし)
あとネットでよく目にする一部の尖鋭的なフェミニストが良く使う
「女性のモノ化」
みたいな描写って、創作物定型描写として女性にも人気のあることが多い。
「男性向けのヒロインは自意識の無い傀儡。女性は常に男をサポートしなければならないのか!」
……とかよく言われているけど、
女性向け創作だと自分は戦わず男性をサポートして活躍するパターンはそれなりに人気のある定型描写だし、
男性向けで描写される場合も、主人公に強要されているわけではなく自発的にサポートに回っている場合が圧倒的多数だと思う。
要するに『登場人物である女性が好きでやってる行動』であったり、
それが『読者の女性が好んでいる、人気の設定や描写』である場合もそれなりにあるので、
あんまり雑に批判しないで欲しいと思う。(そう言うと”名誉男性”とか言われそうだけど)
男に頼らず恋愛せず、自立した女性が不遜な男性をバッタバッタと打ちのめし大活躍する作品があっても良いが、
王子様に恋して玉の輿にのるのも、寿退社して御曹司と結婚するのも、美形の魔王に飼われて酒池肉林の自堕落生活を送るのも、
あと女性向けだと男性キャラは”美形”か”金持ち”か”権力者”か”有能”じゃないと恋愛対象にならないし、
モブ男性は幼児か老人か既婚者(性欲を匂わせない性格&年齢層)で、
悪役男性だと性格やおつむに難のある美形(王子の場合多し)かヒヒ爺かなので、男性も相当にモノ化されている。
まぁ性別にかかわらず、なんだかんだ人類は娯楽としてのエロを求めるイキモノだし、登場人物にはある程度の華が無いと話が転がらない。
大衆に人気のある設定や展開は求められているだけにテンプレート化しやすく目につきやすいものなので、
フィクションをフィクションとして楽しめる想像力と判断力に乏しいひとは、ジャンル自体に触れない方が無難だと思う。
ちなみにRPS(韓国で人気の実在の男性を題材としたBL創作)が、
”デジタル性犯罪”や”女性の男性に対する性的搾取”として問題になった例もあるので、
というか実際のサイトを見ると非実在青少年における創作のあれこれを問題にしているのが児戯に思えるくらい
実在の人間の尊厳を凌辱しまくりなので検索する場合はご注意を。
面接が終わって帰る時、その男は、ひとつ前の受験番号だから一緒に帰った。
俺は合格したけど、朝起きられなかった。
7月頃、学校の近くで、俺が受験した時、前にいた男と再会した。
奴は髪を立てて、ベースを持ってた。
「よう、あの時の奴だろ? 俺だいぶ前から気付いてたけど、
その時話してて、その男は俺の近所に住んでて、
クラスの奴とBUMPのコピーバンドをやってることがわかった。
そいつは俺にギターでBUMPのコピーバンドを手伝ってくれ、と言い出した。
俺は断り、俺が歌ってギター弾くからバンドやらねえかと誘った。
ベースと二人で「グリザイア」って言うクズバンドに入ろうとしたことがあった。
こっちから
「やっぱりやめるわ、お前んとこ潰したるわ」
そう言って電話を切った。
こちらの募集記事みて「ドラムやってます」と言ってきた男とベースも一緒に高円寺で会った。
安っぽいインドカレー屋だった。俺はキレて
お前何見て電話してきたんじゃ、
カス、俺達のメシ代も払っとけ!」
そう言って二人で帰った。
何の期待もしてなかった「ぴあ」の募集記事を見て電話してきた男と会った。
そいつは、やけに暗い目つきをしてて、一発で俺とは気が合わないと感じたけど、
ドラム歴8年と大きいことを言い、割とパンク、ハードコアも知ってたから採用した。
何か冴え無い奴と思ったけど、3人でスタジオに行った。
この面子でやってくことにみんな納得した。
当時、高円寺のスタジオで週2回練習し、だんだん曲も増えてきた。
後はコンサートをやるだけなんだけど、俺も含めて全員知り合いが居ない訳。
当時は誰も知り合いが居なかった。
新宿のJAMで消毒ギグってコンサートを企画してたシンって奴が居た。
俺は奴に「殺意」のデモテープを渡して何とかコンサートに出してくれって頼んだ。
ライブハウスもすぐには出してくれなくて、昼間 オーディションを行ったりしてた。
「次のコンサートも、もう決まってるし、しばらく出せない」
と言う返事だった。
俺は何かムカついて
「いいじゃねーか、Forwardみてーなバンド出すぐらいだったら、俺達の方を出せよ」
そう言ったが、奴は
「そんなこと言われる筋合いは無い」
確かそんなやりとりだった。
結局知り合いが居ないとコンサートにも苦労する。
俺は、自分ではやけに丁寧に書いたつもりの手紙も添えて送った。
「今度のバースピに出てもらえないかなぁ」と言われ、俺はすぐに了承した。
そのことを2人に言うとみんな喜んでた。
年が明けて、1月半ばが初ライブに決まった。
初めてのコンサートだからよく憶えている、下北沢SHELTERってとこだった。
それで、初ライブだけど、さっぱり受けなかった。
ステージの前だけガランとしてて客は後ろの方で観てるだけで。
俺の次に出たガバメントはやけに盛り上がって、結局メンバーは落ち込んでたな。
「Slangつまんないんだって?」
俺はその通りと言いたかったけどそんな状況じゃない。
適当なことを言ってその場を凌いだ。
確かシンに電話で話した時俺は、「Slangはつまんない」って言った。
それを、KOにチクッたんだと思う。
その数日後に新宿で
「今度の消毒ギグに出てほしい」と言われて、俺はすぐ了承した。
その頃こんな出来事もあった。
この前、「Slangつまんないんだって?」そう言われたからね。
それから、KOが来てやっぱり友好的で、
「いやまだ作ってない」そう言うと
「コピー代もばかにならないから、前に俺がバイトしてたとこでコピー機借りれるから、
用紙だけ買えよ」って言われた。その後KOの家に三人で行った。
結局俺はラッキーだったのか、その頃知り合ったハードコア関係の奴とは、
特に揉めたことは無い。まぁ、俺のことを嫌ってる奴もいるだろうけどね。
当時は、俺達にしても、せいぜい20分ぐらいの演奏時間だった。
それに客も今みたいに多くなかったからSlang、Gauze、Forwardと
まとまってライブをする方が得だった。
大体観に来る奴もいつも同じ様な感じだったしね。
その頃、一番面白かったライブは、東大でのオールナイトライブだ。
かなりたくさんバンドも出たし、東大の学生ともめて、ガラス壊したり、
俺がヴォーカルで、Poison Arts、Gism、Executeの曲をカバーしたりした。
その後、俺達も順調に活動してて、ある日、P-Vineからレコードの話が舞い込んだ。
1万円より安かったかもしれない。俺はそれを聞いて頭にきた。
そんなもん売れるに決まってる。
てめぇのとこで宣伝して費用はプレス代とジャケット代だけだから、
俺はP-Vineの儲けに加担したくない。
メンバーも俺の考えに納得した。
その頃はけっこう楽しかったね。
ベースと二人で高円寺の小さなロックバーで「腹減ったなあ」と話していたら、
知らない男が話しかけてきて、俺達の飲み大全部払ってくれて、
ビビりながらついてくと、荻窪のでっかい十字架のある小さな教会に連れて行かれた。
神父ってやつが出てきて、「この方は何百万も寄付してくれている」って笑いながら礼拝堂へ連れて行った。
そこで服を着替えさせられて、
「ハレルヤと早口でつぶやきなさい。うまく言えなくなるでしょう、
と言われ、「ふざけんな、そんなもん、早口で言えるわけねぇだろ」
そう思ったけど、メシおごってもらわないとどうにもならないからね。
なんか、RAPTとかそんな名前の宗教だったのかよくわからないけど。
そのことを、練習の時に話したらやけにドラムがぶつぶつ文句をいいだした。
俺も笑い話程度のつもりで言ったんだけど、だんだんムカついて練習やめて帰った。
その辺を境に俺とドラムは疎遠になっていった様に思う。
それと、あるライブでベースがドラムに蹴りを入れて、ドラムが演奏中に帰ったこともあった。
確かその日は、みんななぜか機嫌が悪くて
2曲目か3曲目の途中でベースが
気合いを入れる為にベースの背中を蹴った。ドラムはムカついてすぐ居なくなった。
ドラムが居ないんだったらもう演奏は出来ない。それで途中で中止となった。
俺もムカついたけどとりあえず、ベースと二人でドラムの家に行った。
多分その辺のこともあってドラムはバンドをやめようと決めたと思う。
その年の11月、1stシングル「悪魔のざわめき」のレコーディングを行った。
新宿JAMってスタジオで、各パートのバランスを決めて一発録り。
それから、どのテイクにするかみんなで決めて、
全部で300枚リリースした。
すぐにリリースしたかったけど、制作費はメンバーの持ち寄りだから、
1月にリリースした。
けど、俺にはひとつの考えがあった。
こっちで作ったレコードを店に置いてもらう場合販売価格の数十%を
手数料として店に取られる。
買えない奴は通販で直接売ればいい、そう思った。
本当に欲しかったらどうしても手に入れるだろ?
それにたった300枚プレスだし。
店に数十%パクられるのもムカつくしね。
そう質問されて、俺は、
「愛だよ」そう答えた。
俺はこのツアー中あんまりメンバーとしゃべってないように思う。
「俺、やめるわ」
俺は、引き止めることなく、「そうか、しょうがねぇよな」そんなふうに答えたと思う。
とりあえず、ドラムは脱退した。
ところで、俺は茨城出身だけど、地元でドラムをやってるやつがいた。
俺はそいつと話して「ドラムを一ヶ月手伝ってくれないか?」そう言った。
それで、スタジオで演ってみたら、まるで出来ない訳。
今さら帰れとは言えないしね。
一番大変だったのはドラム本人だ。
奴のプレッシャーは桁外れで、毎日ずっとドラムを練習していた。
そいつのおかげで、京大西部講堂、それと大阪で二回のライブを無事に演れた。
あと、書こうと思ってて忘れてたことがあるので書く。
それは写真について。
他のバンドと比べて雑誌での写真が少ないと思うかもしれないけど、理由がある。
music magazineが「日本のハードコアバンドの特集をするからインタヴューを受けて欲しい。」って。俺は了承した。
なおさら載せたくない。
連中は「それならコンサートの写真はどうですか?ちょうど、この後のライブで写真を撮ります。
俺はさらに態度を硬化させ、
ライブは観るもので、写真を撮ったり録音するもんじゃねぇーんだよ。」
そう書いてあった。俺にはそんなポリシーは無い。
それ以降、写真嫌いが定説となったけど、ライブでの撮影は見つけ次第やめさせた。
けど、まずはドラムを早く見つけることだ。
俺達にとって、初めての本格的なやつだ。
一発録りじゃないって意味でね。
初めてだったし、録音中はでかい音だし、
各パートのバランスまで、プレイバックの音が大きいから分からなかった。
けどこの失敗作から学んだこともある。
それはそれ以降のレコーディングに生かされたと思ってる。
それ以前は借りたギターだった。
ベースが辞めた後も壊れるまで使った。
これでニ代目のドラムが決まった。
是非参加してもらいたいんだけど。」
俺はすぐに了承した。
この時のレコーディングは前回の失敗もあったから、かなり考えた。
途中でハウリングが耳につくけど、ハウリングも好きだからそのままにした。
レコーディングが終わって、静岡でライブの話が来てその時、問題が起こった。
ライブの後、いたれりつくせりで俺達は上機嫌だった。
確かスナックに連れてってもらった時そこで俺とドラムがささいなことで喧嘩になった。
お互い酔ってたから殴り合いになった。
「てめぇが一番ムカつくんだよ!」俺はそう叫んだ。
帰りの車の中は最悪だった。
誰も口をきかないしシーンとしてた。
けど奴の目論みははずれた。
その結果ドラムは抜けざるを得なかった。まぁクビってことだ。
それと同時に色々メンバー募集もしてけど、ドラムは決まらなくてね。
だから、コンサートが決まると誰かヘルプを探して、けどへたな奴では無理だしね。
それでガーダシルのドラムにサポートを頼んだ。ちょっと、記憶が定かじゃないけど。
俺はそいつがガーダシルでドラムを演ってるのがもったいないと思ってたしね。
その次のライブは、年が明けて3月屋根裏でのハードコアのオールナイトライブだった。
話は変わるけど、「記憶の奥の悲哀情」って曲はかなり前からあった。
まぁ、ハードコアっぽく無いけど、
それは俺の音楽遍歴にも「記憶の奥の悲哀情」を作った理由がある。
俺と直接付合いのある奴ならよく分かってるだろう。
詳しく書くとかなり長くなるから省略するけど、
まず初めてショックだったのはSex Pistolsだ。
ウィンザー家とか、イルミナティの悪口を気軽に歌にしているのが衝撃的だった。
それは"反抗"だ。
これを読んでる奴も反抗することを忘れないで欲しいね。
イルミナティになぜか逆らいたくなる、それで充分じゃない?
俺は今でもそんなガキだ。
話がそれたけど、その次がDischarge。理由は分かるよね?
次に注目したのはグランジだ。
その中でも俺にとってDischarge並に衝撃的だったのは
RYOTA BAND、al.ni.co、亜矢、秋吉契里だった。
Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなんかのヴィジュアル系も好きだったし、
そっちの方にかなり傾いていったのは確かだ。
連ドラを泣く泣く断った広末涼子、母親「普通の高校合格後ね」「中高の友達は一生の財産」
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220411-OYT1T50132/amp/
25年前、ショートヘアの高校生が、全力疾走し続けていた。「ヒロスエ」の4文字が世を席巻し、テレビ・映画・雑誌の表紙・新聞・街角のポスターで“見ない日”はほとんどなかった。女優・広末涼子さん(41)の「わたしの中高生時代」。中学でいじめを受けたときのこと、高校で得た一生の親友たちのことも語ってくれたが、その前にまず、芸能界を夢見た故郷での日々とオーディションでの「秘話」から。(読売中高生新聞)
ハゲヅラにお歯黒もウェルカム、ほぼ「NGなし!」の小芝風花…「バッタを食べるのは無理」
「物心ついたとき、すでにテレビっ子でした。ドラマも歌もお笑いも好きで『歩くテレビ欄』と呼ばれました(笑)。
ミポリン(中山美穂さん)、キョンキョン(小泉今日子さん)、ゴクミ(後藤久美子さん)に憧れ、『志村けんのバカ殿様』『よしもと新喜劇』『ダウンタウンのごっつええ感じ』も毎週楽しみでした。当時、高知県の民放はまだ2局だったので、見たい番組を録画したビデオテープを横浜の親戚に送ってもらいました。
大好きだったから自然に『自分もブラウン管の中に』と願い始めたのかな。保育園から『女優さんになる』と言い続けていました。
10歳の頃には、『20年後の自分から今の自分へ』と題して手紙を書く授業がありました。〈いま女優をしていて、あなたの頃で言う宮沢りえさんより年上、浅野温子さんより若いぐらい。資生堂のCMをやっている〉と書いたみたいです(笑)。
幼い頃って、夢をかなえるまでのプロセスは関係なく、例えばパイロットやキャビンアテンダントになりたいと思ったら、視力や身長の条件は考えずに、心はもう空の上ですよね。
そういう意味で私、夢と現実の境目がないまま、大きくなったかもしれないです」
広末さんは、中1の作文でも「15歳で輝くモデルデビュー。18歳で芸能界に入って女優になる」と将来をつづった。
その夢は突然、現実になる。広末さんは中2の夏、初オーディションを勝ち抜き、クレアラシルのCM(「私に勝ったらチューしていいよ!」)でデビューした。
「中学生になって、街の本屋さんで『月刊デ☆ビュー』というオーディション情報誌を見つけました。でも、田舎のスポーツ少女には、どの芸能事務所が良いか悪いかわかりません。
『デ☆ビュー』を眺めるだけだった中学2年生のある日、『クレアラシル』のCM出演者が募集されました。有名企業のCMで安心だし、条件は『肌がキレイで明るく健康的』だけ。それ私です! って(笑)。
ハゲヅラにお歯黒もウェルカム、ほぼ「NGなし!」の小芝風花…「バッタを食べるのは無理」
母に初めてベランダで撮ってもらった写真を履歴書に貼って送り、近畿予選から東京での最終審査に進んで、本当に、まさかのグランプリでした。後で聞いたら、芸能未経験の“原石”を探していたのと、隣にいそうな『普通っぽさ』がよかったそうです。
母といえば、私の夢をそっと応援してくれる存在で、『口角(こうかく)を上げて笑うとかわいいよ』と教わりました。小さい頃は鏡の前でよく練習しました。そのおかげで、大きくなって『アヒル口』と言われる笑顔になったのかなと(笑)」
デビューを果たした広末さんは、高1春に「ビデオテープ」の親戚を頼って上京する直前、もう一つのオーディションを受けた。大ブレイクの引き金になったNTTドコモのCM(「広末涼子、ポケベル始める」)だ。
この審査ではなんと、ポケベルを口に入れてアドリブ芝居に“オチ”を付けた。芸能生活は28年目になるが、オーディション経験はこれら2件だけだった。
中学受験で不合格となり、地元の市立中学に入学する直前の広末さん(1993年3月、高知市で)
「オーディションの機会が少ない分、お仕事で新たに経験することばかり。そこで初めて自分の表現を見てもらうことになるので、どの現場も“試験”のように感じていました。
自分なりに大切にしているのは、やっぱり自分自身を好きでいること。それは、表情や表現にきっと出ると思うから。
もう一つは、当たり前かもですが、自信を持てるだけの努力を重ねること。どの仕事も、後悔しない向き合い方、常に全力投球をしてきたつもりです。
これは中学まで一生懸命やっていたスポーツにも、そして恋愛にも、全部に共通することなんだろうなと思っています」
14歳にして「クレアラシル」のCMで世に出た広末さんは、実はその直後、有名な連続ドラマの主要キャストとして出演依頼を受けたのに、泣く泣く断っていた。そこには、娘を思いやる両親の願いがあった。
中学の3年間、陸上部で活躍し、走り高跳びで県2位になったこともある広末さん
「初オーディションでグランプリになると、芸能事務所が声をかけてくれました。でも母は『芸能人の多い学校じゃなくて、普通の高校に合格してからね』と許してくれませんでした。そのドラマの話をいただいたときもです。
『これでチャンスを逃して、夢がかなわなかったら、どうしてくれるの!?』と強く迫る私に、母は『それでダメならあなたはその程度なの』と言いました(笑)。振り返ると的を射た言葉です。
両親は『同世代の子が中学、高校で育む感覚を同じように持っていてほしい。特に、中高生時代の友だちは一生の財産だから』と考えていたと、大人になって知りました」
忘れられない「べんちゃんの涙」
両親の思いに導かれるように、広末さんは高校で一生の親友たちを得た。中でも高3の11月、「べんちゃん」の涙が忘れられない。
「本当に素晴らしい友だちに恵まれました。特に同じ横浜に住む仲良し7人で『横浜組』と呼び合い、試験前にノートや応援メッセージをファクスで送り合ったり、一緒にオール(徹夜)してから卒業式に出たり。
べんちゃんは、横浜組の一人です。私の大学入試の合格発表の朝、いつも明るい彼女が廊下で泣いていました。『どうした?』と慰めても何も言わないから、ちょっと寂しくなりました。『私たち、あんまり仲良くなれていなかったのかな』とさえ思ってしまいました。
でも少し後、別の横浜組の子が教えてくれました。成績最優秀のクラスにいたべんちゃんは、スポーツ新聞の芸能記事を広げて『広末が合格できるわけがない。落ちればいい』と罵る同級生たちと、ケンカになっていたんです。
驚いた私が『そんなことで泣かないで。その子たちの気持ちもわかるし』と言いに行くと、べんちゃんは『違う! 涼子は3年間本当に頑張ってきたのに、みんなは全然わかってない!』って…。一緒に泣きました。
家族以外に、自分のために泣いてくれる人がいる。その事実を前に、一生懸命目指してきた大学の合否が、本当にどうでもよくなったのを今でも覚えています。あんなに、仕事の合間を探して勉強して、毎日2本の小論文の添削も受けて、『世の中から注目されて、もし落ちたら恥ずかしいし仕事にも影響してしまうかも』と悩んでいたのに。
『親友たちがそばにいてくれるだけでいい』と心から思いました。それぐらい、大切な経験になりました」
ハゲヅラにお歯黒もウェルカム、ほぼ「NGなし!」の小芝風花…「バッタを食べるのは無理」
「会えなくてもわかりあえる友達」
「横浜組」の関係は今も続く。コロナ禍や子育てなどで忙しく、LINEグループでのやり取りばかりだが、「会えなくてもわかりあえる存在」だという。
広末さんは、中1後半にいじめを受けたときも、多忙な中で大学に通ったときも、大切な友人を得て、その都度、救われてきた。
自身の「中高生時代」をじっくり語った広末涼子さん(3月、東京都内で)=奥西義和撮影
自身の「中高生時代」をじっくり語った広末涼子さん(3月、東京都内で)=奥西義和撮影
「(今月14日出版の)『ヒロスエの思考地図』にも書きましたが、中1の2学期、クラスの“ガキ大将”男子に刃向かったのをきっかけに、3月のクラス替えまで同じ組の子たちに無視され、制服のジャケットをトイレに捨てられてしまったこともありました。
仕方なく、休み時間には一人で廊下に出るようにしていました。そこで声をかけてもらい、会いに来てくれるようになったのが、別のクラスの『えり』でした。今も高知に帰省したときには、真っ先に会う大親友です。
彼女のお母さんが亡くなったとき、私は東京で舞台の公演中で、半日だけ高知に帰らせてもらいました。会う機会の少ないお母さんだったんですけど、『えりを産み、育ててくれて本当にありがとうございました』という気持ちがわき上がってきました。
今では集中力が続かず、毎日1ステージずつちまちまクリアしている
ノーマルでやっているが本家FEと同じように武器兵種による得意不得意のアドが強く
敵に弓兵がいるだけで生命の危機に陥る飛行系ユニットの使い勝手が悪すぎるのが辛い
こちらには出撃人数の縛りがあり、弓は得意兵種が少ないので編成に悩むのだが
相手側は別に気にせずにしれっと弓兵を混ぜてくるのがいやらしい
基本は自分が操作するキャラクター(リアルタイムでステージ内の別のキャラクタと切り替え可能)で無双しながら
ステージを見ながら他のキャラクターにあいつを倒せ、こいつを守れと指示を出していく
AIは賢すぎはしないがバカでもないので得意兵種に当てればサックリ倒してくれるし
苦手兵種に当てればサックリ死にそうになる
このあたりのRTSなゲーム性は結構楽しいが次々指示を出さないといらんことし始めるので操作がやや忙しい
何も考えんと敵をバッタバッタとなぎ倒したいんじゃあ!という人には不評かもしれない
苦戦していたり、ここだけはさっさと片づけたいというキャラクタに操作を切り替えて戦局を打破するのはよい
FE無双はうまく戦局を操り続ければ移動はCPUにやらせてオイシイところだけ無双しつづける
なんてことも可能なので無双らしい楽しさにつながっている気もする
今回のFE無双は風花雪月をベースとしているので、風花雪月でもやや問題になった
ADVパートが長すぎるという点は、人によってはマイナス評価になるかもしれない
ストーリーはまだ途中なので評価は伏せるが風花雪月をプレイしていた人なら
名前や立ち絵だけは登場していたキャラクターの肉付けがされており思わずうれしくなってしまうかも
今のところ満足度は高い
ただこれ、6000円くらいにならんかったもんか
モーレツにお勉強ができちゃった李徴クン。えらーいお受験に通って、江南慰のお役人になれたのね。
ザンネンな事にカレは生来キョーレツな気ムズカシ屋の自信家だったのダ。
そーゆう性分なもンで、お仕事ついて5秒でプッツン。
よーするに「オレサマよりトンマなヤロー共にペコペコバッタしてられっかッ!」てな具合。
そいでお役所おん出て、お里トに帰り詩人になるぞとエイエイオー。
しかしマ、ゲンジツ問題、文筆業ッてそう甘かないのよね(記者のおぢさんも日夜ピイピイしてンのヨ……トホッ)。
登校拒否児もかくやのヒキコウモリで、がぜんシコシコやってみたンだけども、ぜーんぜんダメなんだなコレが。ハシにもボーにもかかンない。
ペチャンコになった李徴クン、去る日のビボーはどこへやら、スッカリげっそりフーテンルック。
一家の大黒柱たる男児がこれだもの。嫁さん、チビちゃん、困っちゃうよネ。
「いよいよマズイぞッ」てんでお役所仕事に戻った李徴クン。だけども、待っていたのはヒジョーにキビシーイ向かい風だった!
なーんと、かつてカレがマヌケだトンマだ見下した同期のサクラは、もうリッパにおエライさんまで滝登りしていたのである!
トーゼン、ヒラのヒラな李徴クンは、カレらの指差し顎差しにハイハイ従わにゃならんワケ。こりゃプライドたまンないよネ。
てな成り行きで、下唇カミカミ、ペコペコやってたカレ、ある日ついにクルクルパーになって蒸発しちゃったの。
《オワビ》
えー、ケンメイな読者の皆々様より「隴西の読みはローサイじゃなくてローセイだッ! このカバッ!」とゆーお叱りを多数頂戴しちゃったのねん。
ドーセイっちゅーねん。
ゴホン。アライザライ白状しますと、恥ずかしくもショーセイ、青空文庫からオハナシを引っ張り出してズルッコをしておりました。
全体どーして、青空クンは隴西に「ろうさい」なんてカバなルビを振っとるンだ。責任者出てこい!
……そーゆーことで、どーかひとつ。
遠藤秀紀『パンダの死体はよみがえる』 →大人向けで難しいけど、『キリン解剖記』に分野が近く、文章がキレキレで面白い。
同じ作者の子ども向け本に『見つけるぞ、動物の体の秘密―動物かいぼう学者が挑む進化のなぞ』もある。読んだことなくてごめん。
前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ 』 →有名作で子ども版が出ている。
川上和人『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』 →親しみやすい語り口で面白かった。総ルビではなかったかも。
鳴沢真也『ぼくが宇宙人をさがす理由』 →地球外知的生命体探査を国際規模かつ科学的な手法でガチでやっている研究者の本。
三上修『電柱鳥類学 スズメはどこに止まってる?』 →小学生にはちょっと難しそうだけど、図や写真が多いのと、本を飛び出して身近な鳥を観察するのに役立つかも。
40ページで絵本なので、芽久先生の本と比べたら物足りないかな?という印象を受けると思いますが、意外と読み応えがありますよ。
作者の舘野鴻さんは学者先生ではありませんが、科学する心を存分に発揮されています。
地学分野もということでしたが、これから出るラインナップでは、
8月号『石は元素の案内人』、9月号『星と人間』などがありますね。
月刊誌なのでバックナンバーは品切れのものが多いですが、図書館に行けば置いてあるところもあります。
「たくさんのふしぎ傑作集」として、上製本で出されているものもあります。
『ブラックホールって なんだろう?』
『空があるから』
『地球の中に、潜っていくと…』
『月へ行きたい』
生物なら、
『食べられて生きる草の話』
『まちぼうけの生態学』『おいかけっこの生態学』『すれちがいの生態学』
などがあります。
さ・え・ら書房から出ている『わたしの〇〇研究』も地味ながらおすすめです。
など、面白かったですよ。
子供向けではない書籍なら『海獣学者、クジラを解剖する。』はどうでしょう。
ちょっとお子さんには難しいですが、東海大学出版部から出ている「フィールドの生物学」シリーズもいいです。
ブコメでも紹介されているウルド先生の『孤独なバッタが群れるとき : サバクトビバッタの相変異と大発生』もありますし。