「枕草子」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 枕草子とは

2019-07-10

草子という売れない女優がカラダ一つでのし上がっていく様子を描いた映画タイトル

枕草子以外で

2019-06-11

anond:20190609113508

更級日記とか紫式部日記は許せる 蜻蛉日記は完全にコマッチャー目線面白い

2019-06-08

深夜徘徊がすき

枕草子でいうと

「春は夜、夏は夜、秋は夜、冬は夜」

というレベルで夜がすき。

寝静まった街。澄んでいる空気に美しい月。寂れた街灯に集う虫。シャンプー香りが流れてくるともう最高。

音楽を聴いて雰囲気を高めるのもいい。

オススメSquarepusherのIambic 9 Poetry これはマジオススメ。

ほぼ毎日徘徊してるんだけどその時の気分でルート決めてコンビニ寄ったり知らない道行ってみたりするのも面白い

ただ最近ポケモントレーナーが増殖してるせいか歩きスマホチャリスマホのオジさんとすれ違う率が増えてきた気がする。ちょっと残念。

みんなも是非深夜徘徊してみてね。住んでる街の違った一面が見れたりして面白いよ。

2019-05-27

anond:20190527145604

大辞林 第三版の解説

しとど

( 副 )

〔古くは「しとと」か。「しとどに」の形でも用いる〕

① 勢いの激しいさま。 「雨と云へば雨、…筒抜けの空を塗り潰して、-と落ちて来るんだから/坑夫 漱石

② 雨・露などにびっしょりと濡れるさま。 「露に-に濡れた庭」

③ 涙などに、ぐっしょりと濡れるさま。 「歯をいみじう病みて、額髪も-に泣きぬらし/枕草子 189」

2019-02-06

FGO紫式部実装されて、清少納言との百合カプはいつくる?とキャッキャしてるツイッターみてて、紫式部陰キャ清少納言陽キャ(もう古語やね)というざっくり知識から、色々ググって現代語訳された枕草子読み通した。

枕草子、正直色々勘違いしてた。

第一部だけ記憶に残ってたが、あれは彼女の良いところを思うままにつらつら紹介する文章だ。季節バージョン以外に池バージョン、木バージョン、虫バージョンなんてのもあるが正直ツマラネ。やっぱり感性合わねーんだよなぁ。あすなろの章みたいにデマと誤解で大ポカもしてるし。(この辺池上彰っぽさを感じて安心感もある。ぶっちゃけ可愛い

代わりに頭の弁シリーズが大好き。今や頭の弁の名前だけでめめっちゃ興奮する。清少納言目線相手6歳歳下かよ。そりゃ義弟ポジになるわ。恋愛要素ないんかーい。和歌が苦手で変わりに三蹟と称されるまでに文を磨く…には至っていない(片鱗はめっちゃ見せてるけど)若かりし頃の行成の姿がとても良かった。

定子様が出てくるエピソードは正直真っ直ぐ読めない。主人が没落する中で徹底的にポジティブに在りし日を遺したと知ってもう何も言えないわ。先に終わりを知ってしまった闘病日記のよう。いやでもこの作品の中では永遠に二人で仲良くしててほしいわ。

2018-12-26

スラスラ読めるようになりたい日本古典の冒頭部十二選

いろは歌

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔いもせず

竹取物語

今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやっこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。

伊勢物語

むかし、男初冠して、奈良の京春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。 思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。 男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。 その男、信夫摺の狩衣をなむ着たりける。

古今和歌集 仮名序』

やまと歌は、人の心を種として、よろづ言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業しげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける。

土佐日記

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。 

枕草子

春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし

源氏物語

いづれの御時にか、女御更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり。 

はじめより我はと思ひ上がり給へる御方方、めざましものにおとしめ 嫉み給ふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、まして安からず。

方丈記

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。

平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

徒然草

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

『おくのほそ道』

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。

あと一選は?

2018-12-21

anond:20181221172010

枕草子の授業かな

二つ三つばかりなる児の、急ぎてはひ来る道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。

いとをかしげなる指=とてもかわいい

2018-11-01

anond:20181031145044

かき氷

http://www.i-nekko.jp/gyoujishoku/natsu/kakigoori/index.html

清少納言の『枕草子』「あてなるもの」(上品もの、よいもの)の段には、「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述されています意味は「削り氷にシロップのように蔓草の一種である甘葛(あまかづら・あまづら)の汁をかけて、新しい金属の器に入れてあるのが実に優雅です」。平安貴族が、涼やかなかき氷を楽しんでいた様子が伺えます

2018-10-02

古いマンガ読むのつれえわ

いくら名作扱いされてようと古いってだけで読むに耐えないのはほんとしのびねえが

いやまじでよむにたえねえんだわ

なんだかんだで最近に至るまでマンガ表現も洗練されてきてんだなって感じるわ

読みにくいしテンポやらなんやらが時代錯誤すぎてすんげー疲れるんだわ

もう古典だよ古典

枕草子すげえわーとか源氏物語いいよーとかともうどうレベルですわ

2018-08-26

サマータイム日本古来の知恵

自然調和する文化を持つ日本人は、古来から太陽に合わせて活動してきました。

江戸時代までは不定時法といって、日没日の出の間を基準に昼と夜に分け、それぞれを分割して時刻を決めていました。

まり「1時間」の長さは季節によって変わっていたのです。

また、生活リズムも日が早く昇る夏は早くに起き、午睡をとって夕方からまた活動をしていました。

枕草子でも「夏は夜」と言っています。これは、午睡をとっているので、夜の活動時間が長くなるからです。

このように、日本人太陽に合わせて自分たち生活を変えていました。

一方、西洋では不定時法という季節に関わらない時間採用しました。

そして夏には日が昇ってから活動時間が始まるのが不便だと、サマータイムをつくりました。

 

昨今、このサマータイム導入の機運が高まっています

賛成する方の多くは欧米への憧れから海外での成功事例を持ち出しますが、私はむしろサマータイムこそ日本風習であったと言うべきだと思います

サマータイム導入は、太陽に合わせて生活していた日本古来の知恵を復活させることなのです。

そして、2年後の東京五輪での暑さ対策にもなります

 

カタカナ語にするから、反対派が出てくるのかもしれません。

夏時間夏季時間移動などにしてみてはいかがでしょうか。

 

---

 

みたいなコラム掲載される頃だな

2018-07-04

インターネットでよく見るヤバイ教師ってほどでは無いけど、そういや自分小学校のある教師教育的にアウトだったんじゃないか最近思っている。

その教師教育方針はこうだった。

小学生のうちは何でも簡単に覚えられるから、どんどんいろんなものを暗記しようという考えだった。

最初は後々入試とかで覚える必要があるからという理由で「枕草子」や「平家物語」の冒頭を覚えさせた。本文の意味を教えてもらった記憶殆ど無い。

ちなみに、私の通っていた小学校では学年に1人ぐらいしか中学受験はしない。だから、その暗記した文章を使うのは何年も後の話で、その頃には私はほとんど忘れてしまっていた(これは私の記憶力の問題かもしれないが)。

私が違和感を覚え始めたのはその後ぐらいからだった。

つぎに暗記させようとしていたのは「雨ニモマケズ」だった。完全に教師趣味である。その教師の好きな作家が「宮沢賢治」だという理由だった。ほかに理由は無かったと思っている。

宮沢賢治の誌の中でも比較的わかりやすものだが、わざわざ覚える必要があるか?と感じている。あの詩は宮沢賢治思想が十二分に含まれているし、きっと小学生には理解できない。私を含め、ほとんどの同級生宮沢賢治の一生についてほとんど何も知らなかったからだ。彼の人生を知っていても、並の小学生時代背景を理解して文章を読み解けるのはほんの一握りだと思っている。これは小学生に限らないかもしれないが。

その次に暗記させたのは「般若心経」だった。これはひどい教育自分宗教を持ち込むなよと思う。私の家は仏教徒だがその他の生徒はどうだったのだろう。キリスト教イスラームの家庭かもしれない。宗教教育公立小学校でする必要はない。それを暗記させようとしていた頃には私はほとんど嫌気が差して覚えようとは思わなかった。記憶力の良い生徒は丸暗記していたし、それをクラスのみんなの前で流れるように唱えていた。あれは異様な光景だったと今なら思える。

この教師問題点を挙げるとするならば2点ある。

1つは宗教自由だ。日本人比較的に仏教徒は多いが、全員ではない。また、仏教系やキリスト教系などの学校では無い普通公立小学校である。つまり、他の宗教信仰している生徒がいる可能性があるにもかかわらず、特定宗教だけを教えるのは極めて不適切だと思っている。

2つ目に丸暗記の弊害だ。生徒は意味もよくわからずひたすら暗記するだけだった。果たしてそれに何の意味があるのだろう。まして、宗教文章となると無意識的に生徒の思想操作しているのと同じではないだろうか。

あの文章を暗記させていた教師教頭校長になっていると聞いたことがある。その教師は熱心に生徒と接していたので人気も高かった。きっと問題にならずに済んだのだろう。

この教師一般的だとは思わないし、思いたくないが、探してみると案外いるのかもしれない。この文章を読んで似たような体験をした人がいたらぜひ教えてほしい。

2018-02-28

[]ちやほや

甘やかして育てられた様子を指す「蝶よ花よと育てられ・・・」という言葉には聞き覚えのある人も多いのではないでしょうか。

この「蝶よ花よ」が実は「ちやほや」の語源と言われていますしかも、「蝶よ花よ」の原型はなんと平安時代まで遡ります

枕草子には「みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける」という短歌が見えますが、

この「花や蝶や」が後世になって「蝶や花や」となり、それが短縮されて今に至るというのが一般的な説だそうです。

「ちやほやする」の「ちやほや」って何のこと? | 日本語不思議辞典

2018-01-20

https://anond.hatelabo.jp/20180116071707

どの業界でも似たようなこと起こってるのに自分土俵だけ荒らされてるって感じの被害者意識だだ漏れのところが気に食わない。

自分の好みと金が直結する時代じゃなくなっただけじゃないの。

例えば音楽なら、「昔は歌唱力評価されてたのに今は握手券の有無で売り上げが決まって嘆かわしい。だけど金のためにクソみたいなJPOPのインストバージョンの打ち込みの仕事してます。やめたい。」みたいなもんでしょ。

金にならないからって勝手に殺すな。これだけインターネットが発達して個人でも世界に発信できる環境があるのに勝手ストーリー自体が死んだことにしないで欲しい。

一発芸だろうが人の目に触れるような工夫をしてる人達のことをこき下ろすのも気にくわない。日記のこともこき下ろしてるけど枕草子のことはどう思ってるんだろう。

自分の好みと時代と金が繋がらないから癇癪起こしてるだけじゃないの。

そんなにストーリーのことが好きなら趣味自分の好きなように書けばいい。

2017-08-03

香水デビューの話

からそう、いつもその人がいた場所にはほのか香りが残っている。上品で甘過ぎない大人香水だ。残り香に触れるといつまでその場所にいたのかもわかる。香りが薄い時は随分前に出ていったのだろうなとか、香り時間さえ教えてくれる。

平安時代には香を衣に焚き込める習慣があって、枕草子なんかにも記述があるけれど、昔から人の残り香を恋しく思うのは変わってないんだと思った。別にそれが恋愛感情でなくとも、知っている人の香りはその人に関する記憶を呼び起こさせる。それが何となく人恋しさと結びつくんだと思った。

憧れのその人には私は、経験も人柄も何も及ばないような存在だけれど、少しでも共通点を持てたらと思って、最近初めて香水を買った。いわゆる香水デビューだ。柔らかくて石けんのような香りを選んだ。本当はきっと、もっと特徴的な香りを選ぶべきだったんだろうけど、緊張して買えなかった。でもそれでいいのだ。この香りは誰かに私を恋しく思わせる必要はない。あの人との接点ができればそれでいい。

それはそうと、憧れの人が纏う香り名前を知りたい。でも多分聞いたら負けだなと思っている。

2017-01-31

遺骨と記憶

昭和集合住宅に住んでいて平成不況人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html

さて、私は仏教徒から遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国仏教儒教習合してしまって渡来たか日本では混同されている。

私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産相続したくない。

遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかたか火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。

遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。

千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。

遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。

生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である

死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶所詮細胞状態しかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。

日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。

そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文ネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術のものしかない。それでもその檀信徒財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体目的化している。

あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分死ぬ方が先だろう。

忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変であるしかしその記憶データであって、細胞状態である

本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データしかなく、ディスククラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。

それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。

私も歳とった。個人的には早く死にたいんだけれど、それもエゴか。

なお、この日記にはオチはないしTL;DRも書かない。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204063549

なんとなく読んだ覚えはあるが、どの雑誌のどの号かは覚えてない。

たぶん、小石ちかさだと思うのだけど、大江戸妖怪快奇譚〜人外枕草子にはその話載ってなかった。

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161024215549

枕草子に書いてありそうですごくいいと思う

特にこのあたりの流れ最高

だけどね、乙女ゲーム男の子達はみんな前髪が長すぎると思う。

目が隠れるほど前髪が長い子ばっかりだし、

眉間に長い髪を一筋垂らしてるような子とかもう見てて心配になる。

邪魔じゃないのかと。絶対うっとおしいと思う。

現実男の子達がさっぱりとショートにしている様は本当にかわいいし、

ツーブロックでイキってるのも最高にかわいいし、

ちょっと髪が薄くなったか坊主にしちゃってるのも超かわいい

もちろん前髪が長い子だってかわいいですよ。

けど全体のバランスを考えてほしい。

もっと髪型バリエーションをつけてほしいんです。

2016-10-07

二重表現警察の方々へ

「音を聞く」は二重表現ですか? 音は聞くものだし、聞くと言えば音に決まっています

「目で見る」「映像を見る」は二重表現ですか? 「美味を味わう」は当然だめですよね。なんと言い換えますか? 「美を味わう」?

オーケストラ演奏」は二重表現ですか?「団体演奏」と言い換えればいいですか? 

音楽を奏でる」は当然だめですよね? 「川の流れ」も論外、「雲がたなびく」もだめ。

方丈記枕草子も、日本語破壊する大敵ですね!


…というわけで、皆さんが何を守っているのか私にはよくわかりません。

http://anond.hatelabo.jp/20161007133924

2016-06-21

中学ほとんど行けなかった夫

先日「毎日音読をすると言葉がすらすらと出てくるようになる」という記事を見て、いつも上手く喋る事ができないという夫に音読を勧めてみた。

直後から美容師と会話する時に言葉が出てきやすくなった!」と効果を感じたそうで、会話も少しスムーズになってきたり、側から見ても良い感じに変化があったので、これからも続けていこうと思ってる。

でも大きな別の問題点が浮き彫りになった。

小学生用の音読ドリルを買ってみたら各種名文が使われていて、授業やなんかで一度は目にした事がある詩や小説の一文、枕草子徒然草古文など懐かしいものが沢山あった。

でも中学生の頃に家庭環境がひどくてほとんど学校に行ってなかったという夫にはどれも初めて触れるものだそうで、一応スラスラと読む事はできるし現代語なら概ね内容も理解しているようなのだが、感想はどれも「よくわからん」と言う。

特に詩みたいなものは全く心が動く事がないようで「で、何が言いたいの?」という感想ばかり。

例えば一番長感想を言った、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」では

「こんなにあちこち行って色々頑張ったり良い事をしてたら、デクノボウなんて呼ばれないでしょ?あと玄米4合って多すぎ。」

と言っただけだった。

ただ読書感想文が書けない子ども状態なのか、それとも元々何か大きく欠けたものがあって情緒的なもの感じる事ができないのか、どちらかわからない。

もう結婚して長いけれど、映画やなんかで泣いてるのを見た事がないし本人も泣いた事がないと言ってる。

でも可愛いキャラものが好きだったりふざけたりいたずらもするし、まるきりロボットのようなわけでもない。PCを使った複雑な仕事も日々問題なくこなしている。

でも文章理解力の低さと、情緒表現理解が乏しいのは間違いない。

Twitterの短い文章でも、若い子の書く遠まわしな表現文体とか、添付の写真を見てやっと意味理解できるような文章とか、夫に見せてもなかなか理解してもらえず、説明してやっとわかってもらえる事がよくある。

普通に小中高と過ごしてきていてこうだったら、ただこういうタイプの人なのだと思えるんだけど、もし義務教育を受けられなかったせいだったら「今からでも何かできる事がないか音読じゃなくて小学校国語からやり直したらいいのか…」「できる事なら今から中学校に通わせてあげたい」とか考えてしまう。


※追記しました↓

http://anond.hatelabo.jp/20160622003021

2016-01-07

ネットスラングネット描写が出てくると途端に萎え

アニメでもマンガでも小説でもゲームでも映画でも。

例外なく鼻白む。

そういう表現が出てきた時点でもう続きは見ない。親と一緒にテレビ見ててエロいシーンになったときの気まずさ以上の物がある。よくみんな平気だな。もう今すぐに逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。古語で言う「かたはらいたし」の状態だな。

ちなみに枕草子の「かたはらいたきもの」の段では、

当人が聞いているとも知らずにその人の噂話をしているのを見たとき

専門家の前でニワカ知識を披露し始める人を見たとき

・駄サイクルの現場を見たとき

というような場合が「かたはらいたい」と清少納言は書いている。

話はそれたが、作品中におけるネット描写がなぜこんなにかたはらいたきことなのかを考えてみると、理由は二つあることが分かった。あくまで俺の場合な。

一つ目は、いずれ廃れる表現なのが分かりきっているから。どうせ数年後には「ナウなヤングにバカウケ」くらいの陳腐表現に成り下がってしまう。今「~~とか言ってみるテスト」とか言っても「何言ってんだこいつ」以上の反応は期待できないだろ。それがすげぇ嫌なんだよ。今現在のこの瞬間を切り取ったドラマであるのかも知れないけど、「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな。数年後に作品を残すことは考えてないんだな」って思いの方が先にくる。作品を食い散らかすこと前提で作ってるのかな、と思う。それに、その作品が優れていればいるほど、スラングの古さが気になって評価を落としてしまうだろう。もちろん、その時代表現する描写ということはわかるんだが…。

二つ目は、否が応にも現実世界意識させられるから。俺は作品を鑑賞するとき、前のめりに作品世界に浸りきりたい。その世界の中で本当に人が生活しているのだというファンタジーを噛み締めたい。だから凝った設定をうまく背景にして展開する物語が大好きで、「なぜこのキャラクターはこの服装なのか」「どういう文化なのか」という点が自然理解できるような作品が好きだ。現実世界舞台にした作品でもそれは変わらない。しかしそこでネットスラングネット描写がでてくると、一気に「こっち側」に引き戻されてしまう。ネット描写はどうしても第三者目線意識させる。しかネット描写うまい作品あんまりない。何ていうか、ネットがありありと描写される事で「その作品世界観の中の出来事」が現実世界と地続きであることを意識させるというか。あるいは、「不気味の谷」みたいなもので、わざとらしく描写されたネットの様子というのがどうにもかたはらいたきことに見えてしまうのかもしれない。

ちなみに、洋画のなかでfacebook描写が出てくるのは全く問題なく見れてしまったりする。これはきっと、外国facebook日本facebookとは違う場所にあるのだという意識があるのかもしれない。作品舞台地元でもとくにかたはらいたくならないのと同じかな。あと、基本的日本で公開される洋画演出は優れていることが多いからというのもあるだろう。

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