はてなキーワード: キリスト教会とは
常山勝弘(つねやまかつひろ、Tsuneyama Katsuhiro、1989年8月7日生まれ、血液型はA型。)とは、JRの株主などを務める新潟県出身の華族(從二位)の弟であり、チェス愛好家として、現在日本チェス連盟の会員である。
… 関東軍の孫 …
徳川の時代に、魚沼地方において大庄屋をやっていた士分の門家である両家(苗字を帯刀することが許された格式がある両家。現在の姓は、常山家と南雲家。)の中に生まれ、満州事変(1931年-1934年)において、関東軍(第9師団騎兵9連隊)を務めていた常山新作の孫であり、常山氏(氏族)に属する。幼い頃は新潟県の公立学校で育ち、東京の私立高校(通信制NHK学園高等学校)を中退した後、旧大検を取得し、2024年4月には、伊豆半島にJALcardで、旅行に行っている。本人は国鉄の娘である母親洋子の母南雲タキの家系から続くカトリック信仰であり、日本のキリスト教会のプロテスタント派の神学生を成人の頃に、少しだけ務めたことがあり、誕生日のお祝いに洗礼の宣伝を作らせてもらったことがあると言う。
常山新作は、昭和天皇陛下の直属部隊に属しており、関東軍に務めていたので龍光大綬章を受賞しているが、これは桐花章と同位である。
父親の常山満は、神奈川近代文学館に自著の詩集を所蔵されている。
… 人物 …
幼少期から、かっちゃん(Kattyan)の名前で、親しまれている。
… 脚注 …
… 外部リンク …
https://miitus.jp/t/JCF/login/box/?logout&p=b2tma0NyUStMVjJMTzlwS2crdXNFQk5PYThFcVhqeWNaUVlSZkRDd2xZTm9leEZMOUd6dWdlc0FPczduWFNxTWNOaFVRMzMvK1l3SjRRUFFzU3A0V2c9PQ==| MiiT+/日本チェス連盟
すごいですね。日本共産党の仁比聡平。
もとオンブズマンのくせに、公文書を隠蔽しろと迫っているのです。
そもそも女性支援じゃなくて共産党支援の意味ですね。この連中は一人として女性のために行動する気はありません。税金チューチュースキームを擁護しているわけです。
それがジェンダー平等です。全然平等じゃない。税金チューチュースキームですから。エリートしか得をしないジェンダー平等など悪魔のような詐欺ですわ。
しかし弁護士が聞いてあきれる。公権力をあれだけ嫌うのは口先だけ。公権力を税金を私物化するために平気で乱用する。これが弁護士の姿。これが日本共産党の真の姿です。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-12-21/2022122115_03_0.html
(写真)関係省庁の認識をただす(左から)仁比聡平参院議員と坂井希党ジェンダー平等委員会事務局長=20日、国会内
一般社団法人Colaboをはじめ虐待や性搾取の被害に遭う若年女性を支援する民間団体に対して、見過ごせないデマが拡散されている問題で、日本共産党の仁比聡平参院議員は20日、国会内で関係省庁に対し、当事者・支援団体の重要性について認識をただしました。坂井希党ジェンダー平等委員会事務局長が同席しました。
東京都の委託事業をめぐってこの間、事実をわい曲し、女性たちやスタッフの安全を脅かしかねない具体的な情報が暴露されるなど女性支援事業に対する妨害が大きな問題となっています。
厚生労働省子ども家庭局の担当者は「困難を抱えている女性の支援を充実していくには、歌舞伎町(東京都新宿区)などで居場所のない若年女性と向き合ってきたノウハウを持っている民間団体を掘り起こし、育成・強化することが重要」「国として支援団体を守らなければならない」との認識を示しました。
内閣府男女共同参画局の担当者は「情報公開請求で得た資料を曲解し、あたかも事実かのごとく動画やSNSに流すのは、事業の妨害だ」との認識を示しました。
仁比氏は、女性支援の予算拡充こそ必要であり、当事者・支援者の安全を脅かしかねない情報は非公開とされるのが当然だと強調しました。
曲解とは何事だ。この担当者はクビにすべき。何様のつもりなのか。書いてあることを書いてある通りに計算したらうまくいかない。それが曲解とは暴言だ。国民をなんだと思っているのだこのアホが。自分の領分をわすれているようなやつはクビでいい。こういう馬鹿げたことばかり言うとから公務員はシロアリって言われるんだわ。さっさと辞めるべきです。
なんでもネットの攻撃にしていますが、有権者、納税者を悪魔化しているのです。有権者が講義したり批判したりしているのがうるさい、邪魔だと行っているわけです。
日本共産党がいかに有権者を人間としてみておらずゴミとしか見ていないかがわかります。ジェンダー平等とか行っている連中は自分以外は人間とみなしていない連中です。それ以外いない。嘘つきで犯罪にもなんら良心が傷まない。
というか税金チューチュースキームに与野党ととも乗ってますね。
誰も傷つかないどころか自分が傷つかない社会しか望んでいません。なので政治の課題にするほうがおかしいのです。
永井ゆう
@u_nagai
訪れる人はコロナ禍でじわじわと生活困窮してきている。この場所で相談が出来、支援に繋がると知らせる事は大きな意義があるのではと感じる。
相談コーナーでは抱樸、社協、グリーンコープの担当者が2人1組で相談に乗ってくれ、弁護士相談も。
https://mobile.twitter.com/u_nagai/status/1604324229742092288
永井ゆう
@u_nagai
日本共産党北九州市議会議員。2021年 #北九州市議選 で初当選。子育て真っ只中! #ヤングケアラー #不妊治療 #子育て支援 #学生支援 #ジェンダー平等 #動物愛護 #北九州 市に住むすべての人々の声を議会に届け、政治を変える!
このような行動でも、その予算はどこから出ているのか、100%使っているのか、全く疑うようになってしまいました。悲しいことです。何しろ税金チューチュースキームに加担している以上、営業妨害って税金横領のことしか思い浮かばなくなりました。
そしてキリスト教、ああ!統一教会と同じですね。統一教会も自民党の選挙を手伝っていました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2021-01-04/2021010412_01_0.html
坂井 選択的夫婦別姓について、11月6日の参議院予算委員会で、小池晃書記局長の導入を迫った質問に菅首相は導入に前向きな答弁をしていましたからね。
倉林 菅首相も踏み込んだ答弁しはったなあと感心したのに、その後、自民党は政府の第5次男女共同参画計画の最終案に盛り込まれていた「選択的夫婦別姓」の文言を削除させてしまった。自民党総裁の菅首相の責任重大やね。
そうですね。なんでもDVにして選択的夫婦別姓にすれば、被害女性でシェルター利権が増えますからね。空気でやるのは戦前のファシズムとカルト出だけですわ。高校生を洗脳して恥ずかしくないのは悪質なカルトとフェミニストです。
山添 選択的夫婦別姓の導入が進まない原因は、「行政の縦割り」ではなく、「自民党の横やり」にあることが鮮明になった意義は大きいですね。(笑い)
というか選択的夫婦別姓なんて必要ないです。事実婚でできるので。事実婚か法律婚かわからない選択的夫婦別姓は社会の無駄でしかアリません。
しかもコロナとなんの関係もないので全く必要がない、さらに選択的夫婦別姓やジェンダー平等で少子化が解消したり、財政赤字が解消した国家など全くアリません。
したがって無意味です。今回は日本共産党に絞りますが、連中がいかに有権者をバカにしているのかがよく分かるわけです。ジェンダーなんて全く意味がない。カタカナでしかかけない単語、意味がはっきりしない単語。こんなものをありがたがるほうがおかしい。カルトです。統一教会と全く変わらないんですね。
https://www.facebook.com/550276291680819/posts/2942762119098879/
10:30 東八幡キリスト教会「つながることは生きること(奥田知志さん・牧師、NPO法人「抱樸」理事長)」(東八幡キリスト教会)
5:00 東八幡キリスト教会「『ひきこもり』か『立てこもり』か-田口ランディーに、今、聞きたいこと(田口ランディーさん、奥田知志さん・牧師)」(東八幡キリスト教会)
このように共産党と強いつながりのあることが遊説リストに載っていることでもわかります。というか平和・友好となんの関係もなくないかこのタイトル?
それじゃ中央まで行ってみますか。税金チューチュースキームユーチューバーの小池さん
日本共産党の小池晃書記局長は23日、NPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長で牧師の奥田知志さんをゲストに迎え、「Youtuber小池晃」でライブ配信しました。
小池氏は、東京都のコロナ感染者が366人と過去最高となったことにふれ、「感染の拡大は深刻。こういう時に安倍政権がGo To トラベル事業などちぐはぐの事業を進めていることは問題です」と述べました。
学生時代からホームレス支援を行っている奥田氏が中継で出演。コロナ禍で失業増大の危険にふれ「職を失うと同時に家を失ってしまう問題はリーマン・ショックから変わっていない」と指摘。困窮者に支援付きの住まいを提供したいとクラウドファンディング(資金支援)に取り組んでいると語りました。
小池氏は「民医連で医療活動していた時もホームレスの患者さんには、まず家を探さないといけなかった。住まいを確保することは、人を支える原点になる」と応じました。
奥田氏は、「世帯主」を対象とする制度では困窮者を救えないと指摘。小池氏は「ジェンダー平等」の視点からも世帯主規定の廃止を提案していると紹介し、改善を求めていきたいと語りました。
これ、コラボの仁藤夢乃も行ってました。けど、これって、困窮者を救えないんじゃなくて奥田や仁藤が儲からないと言っているわけです。たかが10万円なのに本当に強欲だ。
それがいやなら困窮者や女の子に本当にお金が渡ってどう使ったかを明らかにするべきです。未だに聞いたことがないですよね。だれか確認した人がいますか?実名で領収書と預金通帳で示せる人がいますか?
いないですよね。
つまりこの人達が全部取ってるわけです。世帯主に配ったほうがマシだったわけです。これも税金チューチュースキームです。
これでまたオンブズマンがなんの意味もないクレーマーであること。
弁護士は日本の社会に有害な存在でほぼヤクザと同じであること。
以上がまたしても明らかになりました。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
全国宗教人・日本共産党を支持する会(全国宗教人の会)は19日夕、公示まで2カ月となった参院選での日本共産党の躍進に向け、東京・JR池袋駅前で街頭宣伝しました。山添拓参院東京選挙区予定候補も駆けつけ、ウクライナ支援募金を呼びかけながら、ともに訴えました。
真言宗智山派僧侶の小嶋弘遵(こうじゅん)さん、日本長老教会西武柳沢キリスト教会牧師の星出卓也さん、浅川金刀比羅神社宮司の奥田靖二さん、日本同盟基督教団横浜上野町教会牧師の柴田智悦さん、浄土真宗本願寺派僧侶の小山弘泉さんが宣伝カー上からマイクを握りました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-04-20/2022042004_01_0.html
書いてる私の略歴 中学で坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。
私が小学生の時、PTAのボス的存在に連れられて1946年に設立された教団に通い始める。
以下、母の証言による。
信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。
毎日布教に行く。母に同行した支部の班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。
布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。
ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。
その後私が禅寺に通い始める。
退職後知人に誘われて入信。
一日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。
その後我が家に来て自分は清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家は対応に苦慮。
ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。
うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家の言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故や病気になったときに我が家に助けを求められず、却って事態が悪化すること数えきれず。
薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。
晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。
親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性がである。長年道場だけが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。
また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。
通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金が必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。
職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。
余談だが、コロナが流行した年にこの教団の他県支部でクラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱は好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。
タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。
しかし相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。
それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。
知人も過去の自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教の告解は神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手に懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。
大宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代にアクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である御老師様は他宗教をくさす言葉は一言半句仰らなかった。
確かに小学校の友達が教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。
事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。
常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者が社会常識を踏みにじっていいということではない。
普遍的な道徳に照らしてアウトなものは宗教でもアウトだと思う。
この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。
20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔をしました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会ったことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。
今にして思うと、「アレってカルトだったのかも…」となったから当時の思い出を書くことにする。
当時の俺は、就職に失敗して、なんとか契約社員としてゴミみたいな工場に潜り込んだ男だった。
とにかく最悪の人生を過ごしていたと言っていい。
まあ偏差値は50後半くらいで、イキってそこそこの大学に行ったけど、コミュ力なくて落ちぶれたパターンのやつな。
大体エスポワール号に乗る前のカイジをイメージしてくれればいい。髪型とかマジであんな感じだった。
そんで、ある日、工場の同僚が「たまには遊びに行きませんか?」と言ってきたので、友達もいなかった俺は嬉しくなって夜勤明けの日に街に繰り出した。
で、一緒に飯食ってる時に、夢の話になった。「やりたいことないんですか」的なアレだ。
俺は嘘をついた。「実は輸入業とかやってみたいと思っている」と。
実際は輸入とかには全く興味はなかったが、フェアトレードがどうたらこうたら、それっぽいことを言うと同僚は何だか、色んな言葉を駆使して俺の事を褒めてくれたのを覚えている。
「今度、そういうの応援してくれる集まりがあって、友達に誘われてるんだけど、独りじゃ心細いから一緒に行きません?」と誘われた。
実のところ全く俺は他人を応援する気はなかったが、褒められてうれしくなっていたので、二つ返事で「行く」と答えて、連絡先を交換した。
その週の終わりには、俺は近所の市営の集会所に呼び出されていた。同僚と、その友人を名乗る色黒、細見の眼鏡がいた。
大体10人くらい?の人が集まっていて、まず、名前と住所、仕事を書くことになっていた。
俺は嘘をついた。安アパートに住んでいるのが恥ずかしかったので、実在する地名に、適当なマンション名を書いたのだ。
ということで、会はスタートした。優しそうなおじさんとおばさんが主催する会で、「普段は地域でクリスマスパーティとかお楽しみ会をやってるんだよ」的なことを言って、チラシを見せてくれた。
「実のところ、履歴書に書くこと目当ての大学生の人も多いと思うけどさ」とおじさんが言うと、笑いが起きたので、学生もいたのだと思う。
話は大体、みんながどういう人間になりたいか、的なことだった。最初はみんな、シャイな感じだったのだが、おじさん達は優しく合いの手を入れてくれた。
俺も気持ちよく輸入業を目指す青年という大嘘を突き通すことができた。言いながら(輸入ってなんだよ)とか考えながら、なんかよくわからんがマレーシアから絹を仕入れるんです!的なことを言っていた覚えがある。
そもそもマレーシアって絹取れるんだろうかとか、まあ、わかりゃしねえよって気持ちだった。
同僚は不安げで、「なんか怪しい宗教みたいじゃないですか?」的なことをそれとなくツッコんだら、周りの人間も笑った。
「まあ、お寺とかは正直付き合いあるよ」とおばさんが微笑んだ。
まあ、俺も幼少のころ、近所のキリスト教会の集まりに呼ばれて、大福などを作って食った覚えがあるので、そんなもんだろうと思ったが、
同僚は「うーん」とか言いながら、こちらをチラチラと見てきた。俺は「まあ、宗教って根ざしてるからね。地域に」と言って知見を示すと、同僚は笑顔になった。
夢をキラキラした目で語っていたガリ褐色眼鏡は、、同僚に対して、「俺さんもこう言ってるし、怪しいところじゃないでしょ」とかなんとか笑っていた。
そんな感じで、一回目の集会ではやはり大福が出てきて、茶を飲んで終わった。同僚は、不安げに「来週も着いてきてもらっていい?」と聞いて来たので、
頼られていると感じた俺はやはり二つ返事で「いいよ」と答えた。
2回目の集会では、親子関係というか、家族とは何か、的な話をしたと思う。それで、親の仕事について話す機会もあった。
俺は嘘をついた。
「親が丸紅に勤めてて、三人兄弟の末っ子の俺は落ちこぼれたんですけど、やっぱり海外と取引したくて」と。
親父はゴミみたいな中小企業で働くサラリーマンである。丸紅ってそもそも輸出とか輸入とかしてんのか?まあバレやしねえよという気持ちで俺は親の職業を偽ったのだ。
ちなみに兄弟も余裕でいない。純粋に一人っ子だ。兄弟がいた方がなんかカッコいいかな、と思って嘘をついたのである。
で、3回目の集会にも俺は参加する、と言っておいて、当日になってなんかめんどくさくなったので約束を破った。
そしたら、職場で同僚は「ガリ眼鏡とおじさんが会いたがっている」的なことを言ってきたので、しょうがねえなあ、という気持ちで4回目の集会に参加することにして、
それからもちょくちょく、集会に参加した。お菓子が段々グレードアップしていたし、おじさんとおばさんは俺達をよく褒めてくれていたから、まあ悪い気分ではなかったからだ。
結論から言うと、6回だか7回目の集会で、俺達は仏の彫像と変な健康食品セットを買う事になった。
値段は合わせて5万くらいだったと思う。なんというか、どういう売り文句で買う事になったのか、全く覚えていなくて恐ろしい。
ガリ眼鏡はともかく、宗教に否定的だった同僚も、何やら買っていたので、俺も流されて買ったのだと思う。支払いは現金とローン、どちらでもよかった。
俺は嘘をついた。
「このくらいの値段なら余裕ですね」と。ちなみに当時の俺は貯金ゼロ。だが、まあ別に払えなくてもいいだろ、という気持ちで12回払いのローンを組んだ。
普通に頭金の何千円かはその場で払ったのだが、その後のローンは余裕で無視した。
その次の次くらいの集会で、「あの、ローンってどうなっとる?」と聞かれたが、「すみません、すぐ払います」と言いながら誤魔化していたと思う。
10回めだかそこらの集会で、俺達はビジネスとして健康食品や仏教グッズを売る流れに参加させられることになった。
まあ、読んでる人はわかると思うから言っちゃうが、端的に言ってマルチだった。
「これって絶対もうかるじゃん」的なことを同僚は言っていたのを覚えている。俺も当時は「これって絶対もうかるじゃん」と思っていたので、頑張るぞ、という気持ちになった。
その時、マニュアルを渡された。要約すると、『プロ3人~4人で囲めば、絶対にモノは売れます』的なことが書いてあって、台詞だとかも全部用意されていた。
「サクラを忍ばせて、疑問を投げかけさせます、そしてその人間を説得、納得させると周りも流されます」的なことも書いてあって、これはぜってー売れるな!と俺も安心したものだ。
次の集会で、俺は嘘をついた。
「もう3個契約取っちゃいました」と。正直、契約書の提出とかその辺がガバいのを俺は見抜いていたので、余裕で嘘をつけるなと思ったので嘘をついたのだ。
おじさんはものすごく褒めてくれて、集会が終わった後、こっそり俺にお茶を手渡しながら、言った。
「実は、この集会やるのも高齢化でさ、子供会とかもあんまり回らなくなってきたんだよね」と。かいつまんで言うと、俺になんとかという教団に入って欲しい、的な誘いだった。
俺は嘘をついた。
「ええ、勿論入りますよ」と。なんか当時はすでに俺に嘘をつかせまくるおじさん達に対してイライラする気持ちもあったので、「入るわけねーだろバーカ」と思いながらも、その場しのぎで嘘をついたのである。
おじさんは嬉しそうで、「最近、新興宗教とかみんな不安だと思うから、ご両親に挨拶させてくれ」と言ってきたので、
俺は嘘をついた。
普通に知らない適当な番号を書いて渡した。そもそも実家の家電とか、両親の番号とか、携帯には入っていたが暗記はしてなかったのだが、それを言うのが恥ずかしかったからだ。
その次の集会。
俺はおじさんとおばさん、それにガリ眼鏡と同僚に激ギレされた。
「なんで嘘ばっかつくの!?」と。
なんのことだ、と俺は心の底からビックリした。おばさんはヒステリックにキレていた。
「電話番号も、住所も、全部嘘やん!!!」と。俺は本当に何のことだかわからなくて、興奮しながら置いてあった煎餅を齧った。
「あとさ、ローンも滞納してるし、もしかして前に健康食品売れたってのも嘘だと不安になっちゃうじゃん」と、おじさんは優しいながらもキレてきた。
まあ健康食品が売れたというのは嘘なので不安もクソもないのだが、俺は気が付くと涙を流していた。
「嘘をついたつもりはないんです。言い方が悪かったならごめんなさい」と。
煎餅をひたすら齧りながら、俺はひたすら泣いていた。同僚とガリ眼鏡は、やはりキレてきた。
「いや、伝え方悪いとかじゃなくてさ、お金の話だからさ、そういうの、全部自分に跳ね返って来るぞ」だとか、「自分が輸入業始めた時に嘘つかれたらどう思う?」だとかだ。
ロジハラをかましてきやがった2人に対して、俺はやはり泣くしかなかった。
おじさんは、「まあ、本当、お金だけね。お金の話だから、払うところだけ払ってもらって。そしたら、全部忘れるからさ」と言って、話は決着した。
普通にその後、集会に行くことはなかったし、職場の同僚は会うたびに「金払った?」と聞いて来てうざかったので、1年間俺はそいつとまともに会話をせず、工場を辞めてしまった。
金はないので払わなかった。仕方ないね。
当時こそ、「俺が悪い」という気持ちだったのだが、今回の統一教会の話とかを見ていて、「ああ、俺って騙されかけてたんだな」とようやく感情の整理をすることができた。
冷静に考えると、同僚はその団体と元からグルだったのだと思う。
ガリ眼鏡も、同僚も初めから俺をハメるつもりだったのだ。「団体に疑問を投げかけるサクラ」そのものだったのだ。
俺は、運よくカルト、ないしはマルチだろうか。深みにハマる前に、先方がボロを出してきたので入らずに済んだ。
でも、アレはいかん。本当に騙される。人格や教養に関係なく、人と人が正しくコミュニケーションをしよう、と考える限り、絶対にハマる。
俺の経験がもし教訓になるとしたら、カルトにハマらない方法とは、
金を持たないこと、他人の話を聞かないこと、他人の話に真剣に答えないこと。相手に気を遣ったり、本当のことを言わない事だ。
みんなも気を付けて欲しい。
イギリスからアメリカに移住した初期の移民の多くはイギリス政府から逃れて来た清教徒だったりするし、彼らは所謂 nonconformist (非遵奉派?非国教徒?)だから政府べったりになるのを良しとせずに距離を置こうとする。だから弾圧されて逃げて来たわけだし、今でも米国のキリスト教会はメソジストやバプテストやクエーカーやプレスビテリアンが多い。
一方、アメリカ独立革命の主流派は、啓蒙思想・自然権思想の信奉者たちであって、独立宣言もまさにフランス革命の宣言文のような文章である。もちろん市民革命(特にフランス革命)に於いては教会はアンシャン・レジューム側であり、革命派からすれば敵であった。だから革命後は政教分離が徹底された。(特にフランスで) 「信教の自由」が強調されるのもそういう背景あってのこと。
そういう事情もあって、アメリカでは政府と一般国民の間の緊張感・不信感みたいなものが割と強く、それが陪審員制度や銃を持つ権利の強い擁護などの背景にある。(お前らの勝手にはさせないぞ的な) また、何かと政府の陰謀論が取り沙汰されるのもそういう背景があってのこと。UFOとかケネディ暗殺とか。
タイのことはよく知らん。
カトリックに限らず、日本の上流階級には実はキリスト教はかなり浸透している。これは明治維新以降のキリスト教会の宣教の方針のためらしい。上皇陛下の家庭教師だったヴァイニング夫人も信仰深い人(クエーカー)だったし、上皇后陛下は聖心出身だし、政治家でも麻生太郎や大平正芳や吉田茂らがいる。皇后雅子さまも雙葉学園出身。
でも、こうやって見ると、やっぱりカトリックが多いかな。吉田茂・麻生太郎もそうだし、聖心も雙葉学園もそうだな。ヴァイニング夫人や大平正芳やICUは違うけれども。
マルチ商法もそうだけど、理屈や方法を個別に見ていくと「普通の商売と同じ」なんだよ。ハッキリ言って、旧来の宗教とカルトに個別の部分で大した違いはない。例えば、普通のキリスト教会の牧師相手に論破してやろうとねじ込みにいっても「カルトと同じぐらい見事な対話スキル」で対処される。(戦国時代の宣教師が日本の僧侶にあっさり論破されて~なんて偽史みたいなことはない)
マルチ商法やカルトの何が違うのかといえば、「度を過ぎている」こと、「度を過ぎてもいい、ガンガン行け」「それで相手をぶっ壊してもいい」ということまで教義や理論に入ってること。
こう書くと「度を過ぎてるって、あなたの基準でしょ」という反論が返ってくる。その通りで、こちらは新しいことを覚えたくない、今までの社会や価値観が維持されるほうがめんどくさくない。友達や親が、しらない単語でしか喋らなくて自分が宗教用語を勉強するとか嫌だし、金の使い道を指図されるのも嫌だし、自分の貯蓄がいつの間にか親兄弟に使い込まれるのも嫌だし、その使い方が正しいとか説教されるのは最悪だ。
それと何より嫌なのが、旧統一にしてもその他のカルトにしても、別に大学の勧誘に限らず、ただ生活してるだけでもそこらじゅうで出くわすこと。近所のお祭りでビール飲んでいい気分になってもオバサンが声かけてくるし、仕入れ先の営業が「うちの社長がこういう活動に参加してるんですよ」と勉強会のお誘いをしてくるし、得意先の新年会で働き方や経営の理念を語る講師の演説を聞かされるし、親は自民の先生の朝食会なんぞでその手の団体の紛れてるのと名刺交換して「お付き合いだから」と話を聞きに行っちゃうし、本は勝手に送られてくるし、電話はかかってくるし、いい加減にしろよセンセイとお付き合いするにも距離感があるだろクソ親父