はてなキーワード: アントワープとは
当たり前だけど全て主観です。
戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。
ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化しドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由でモダンな服が広がっていった。
彼女がいなかったらモードの世界も欧州に閉じたローカルで予定調和な文化に留まっていたかもしれない。
シャネルのショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやすい流行を取り入れようとしない。
一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。
ハイファッションというか上流階級のファッション。ドレスの再定義をした人かな。
実際現役時代の写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。
と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん。
のちにエディ・スリマンのディオール・オムで再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。
あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。
80年代から90年代にいたるモード不毛の時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。
初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。
彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代(最近中国の不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。
素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。
「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。
一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。
ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存のファッションを脱構築してきた。
パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンのフォロワーも出身デザイナーも多い。
一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。
ハイファッション史上ということでアントワープ勢から一人は選ばないといけないんだけど自分はマルタン・マルジェラでもラフ・シモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン。
革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要な役割を担ってきた。
少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。
グッチの起用で大ブレイク。80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。
本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在のジェンダーレスな世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。
日本人の平板な体型には最も似合わないであろうデカいピークトラペルのジャケットには憧れた。
あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。
ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代のタイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか。
オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。
それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルでコピー商品をよく見かけた。
ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。
今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。
ここ10年のモードとストリートファッションのクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。
単にストリートの形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。
ブランドイメージを壊さないギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。
マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。
今はディオールをリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。
もう1人誰だろう?
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ヘミングウェイ
・03 農林水産(省
・05 [何県]沖縄(県
・06 飛車
・07 [すべて]アテネ アントワープ アムステルダム アトランタ
・08 新しい学校のリーダーズ
・09 クラゲ
・10 [近似値]71
・13 幸田露伴 こうだろはん
・14 青森(県
・15 クレソン
・21 1(番[舌≪ぜつ≫]
・22 エアフォース(・ワン
・23 A
・25 ブラジル
・26 [3択]6 7パーセント
・29 官報
・30 スクラッチ
・31e 冬瓜 トウガン
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ヘミングウェイ
・03 農林水産(省
・05 [何県]沖縄(県
・06 飛車
・07 [すべて]アテネ アントワープ アムステルダム アトランタ
・08 新しい学校のリーダーズ
・09 クラゲ
・10 [近似値]71
・13 幸田露伴 こうだろはん
・14 青森(県
・15 クレソン
・21 1(番[舌≪ぜつ≫]
・22 エアフォース(・ワン
・23 A
つむじ(を曲げる
・25 ブラジル
・26 [3択]6 7パーセント
・29 官報
・30 スクラッチ
・31e 冬瓜 トウガン
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
タイトルがうまくこなれた表現にならなかったけど、例えばベルギーのアントワープといえば『フランダースの犬』だけど、あれ原作はイギリス人だし日本人はアニメでよく知ってるけど、全然ベルギー発じゃねえし、ベルギー人はあの話よく知らねえらしいし、みたいなの。
他にどんなのあるだろ?
自分がおもいついたのは、
・オベラのカルメン
すげえスペインのイメージで、曲もよく聞くけど、作曲したのはフランス人のビゼー。
情熱的なロマの女・カルメンが世界中でスペイン女のイメージに強く影響与えちゃってることに、ちょっと辟易してるスペイン人も結構多いらしい。
あ、花じゃなくて曲ね。なんとなくオーストリアの曲だと思ってる人がいるらしい。元々、ミュージカルのサウンド・オブ・ミュージックの曲だからアメリカ発。
以前、オーストリア大統領がアメリカを公式訪問したとき軍楽隊がこの曲を流したことがあるらしい。なんか傲慢な失礼さ加減アメリカっぽい。
これは日本国内限定だけど、テレビで中国とか中華料理関係の映像流れるときにやたら使われてる。
どんな曲か知らないって人も、https://youtu.be/iP9mmbki1ro のオープニングと2:59あたりからのやつは、聞きたことあるはず。作曲は大島ミチル。
ドラマの方は視聴率が振るわず、予定を早めて終わったらしい。自分も見た記憶がなく、この曲がドラマのサントラなのも最近までしらなかった。中国人はほとんど知らない曲だと思う。
どっちも現地にはないらしい。
ある世代以上の日本人はビルマ(ミャンマー)の坊さんは竪琴もってるというイメージからいまだに抜けきれてないが、ビルマの仏教では戒律で僧の歌舞音曲は禁じられているので、竪琴も持ってない。作者竹山道雄の想像の産物。
他にも色々あるはずなので、探していきたい。
アストナージ
アピトベール
アメリカーナ
アリエノール
アリギエーリ
アルダシール
アルパチーノ
エルマリート
エングレーブ
エンドノート
カナダグース
キリスパート
キングデール
クセノポーン
クングラード
グレゴワール
コインパーク
コダクローム
コルコバート
コンジローマ
サンタローズ
サンパギータ
ザミンダーリ
シエラザード
シコンコート
シンクレール
ジアスターゼ
スパイゲート
スピリトーゾ
スリムハーポ
ソステヌート
ゾエトロープ
ダイスダーグ
ダウンコート
ダクトテープ
ツルナゴーラ
テレタボーズ
デフレパード
トトトツート
トルクカーブ
ナイシトール
ハイドレート
ハンカチーフ
パリダカール
ヒメノアール
ビオサバール
フレグモーネ
プラズマート
プレイアード
プレパラート
べレロポーン
ベンザエース
ベンチシート
ペプチターゼ
ペルグリーニ
ポリメラーゼ
ポンパドール
マキラドーラ
マグコロール
マデサゴーラ
マハブフーラ
マリオカート
ミナカトール
ムシコナーズ
メリンガータ
モンロワール
ヤクトドーガ
ヨクアタール
ランペルール
レンズフード
ロマンサーズ
1982年、ヤン・コルテールはベルギーのアントワープにある旅行代理店に勤める職員だった。
「フランダースの犬って知ってる?」
「フランダースの獅子のことかい?」(フランダースのシンボル)
「違うよ、ライオンじゃないよ。犬だよ。犬!」
彼にはそれ以上答えることが出来なかった。
その後、彼はそのことについて同僚に尋ねてみた。
「そうそう、日本人は何故だか知らないけど犬を探しているのよ。図書館で何かそのことについてわかるんじゃない?」
ヤンが図書館で調べると、英語で書かれた「フランダースの犬」を見つけた。
仏語版と蘭語版は存在しないようだったので、彼はそれを読んだ。
彼がこの100年で5人目の読者だった。
読み終えたとき彼は衝撃を受けた。
彼は周りから笑われるのも構わず、物語の研究にのめり込んでいった。
彼はあらゆる情報を集める為、日本人の旅行者に訊いてまわった。
皆の返事は同じだった。
彼は日本からオフィスが埋まるほどの本を取り寄せ、それを読むため日本語の勉強を始めた。
今、この街を訪れる日本人観光客の数は、EUを除くとアメリカ人の次に多い。
24年たった今、ヤンはネロとパトラッシュの専門家として尊敬を得ている。
もう誰も彼のことを笑う者など居ない。
アニメのベルギー放映にも尽力し、物語の蘭語版の出版にもこぎつけた。
「この本はついにアントワープに帰ってきた。100年間世界を旅したのち、日本人がベルギーに持ち帰ってくれた。」
と、彼の言葉が贈られている。
そろそろやめませんか?
https://lineblog.me/sascha/archives/8342298.html
オリンピックで初めて選手宣誓がされたのは1920年のアントワープ五輪
おそらくだけどこれがかなり印象あったんだろうね、1924年のパリ五輪ではポスターに使われる
http://gigazine.net/news/20080807_olympic_poster/
この超有名なポスターで全世界に選手宣誓=手を挙げるってのが広まったのかと
追記
信用できるソースとしてはオリンピック公式サイトのこちらをどうぞ
https://www.olympic.org/paris-1924
POSTERのところで確認できる、下には手をまっすぐに伸ばした宣誓の姿もある
ベルジャンデイリーの記事によると、2008年1月23日水曜日、ヤン・コルテール氏は、アントワープの自宅で妻のヨシミさんを殺害した容疑で逮捕された。
隣人によると喧嘩している声が聞こえてきたが、とめる時間はなかったという。警察は殺害の方法の詳細については言及していないが、ナイフが使用されたとみられている
この妻が罵ったから夫に殺害された
一般的な価値観では夫の方が悪だろうけど、もし、この夫と妻がトリガーの登場人物で妻が生きていたら、妻の方が悪認定されて殺されるパターンだな
「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。
『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。
もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。
イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことをずらずらと書いているのだ。
その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。
結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。
ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。
80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。
もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。
日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったとか。
ところが、1982年、大きな転機がやってくる。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。
日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端である。
生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。
「アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」
というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。
街の誰に尋ねても、何もわからなかった。
しかし彼はあきらめない。
「この地方を舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」
図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。
欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。
……だが、読み終えた彼はがっかりした。
実は原作には、最後にネロが天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。
ただただ暗いだけの作品なのだ。
原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。
(この原作と日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)
もしかしたら、それがヒントになるのかも?
彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。
その結果……感動したのだった。
情熱は、いよいよ膨らむ。
一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。
当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。
だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。
ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。
そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像が、ホボケン情報センターの前に立てられた。
除幕式にはアントワープ州知事、市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。
ネロとパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。
ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。
その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。
フランダースの犬はベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。
ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。
その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。
研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性の石井ヨシエと結婚した。
彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せに暮らしている。
……はずだった。
なぜなのか?
コルテールが日本人の妻をもらい、日本とベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。
ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語のサイトでは何一つその理由が分からないのだ。
英語のサイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。
仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語のサイトを日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。
その結果、驚くべきことがわかった。
コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。
だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。
もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。
異国の地にやってきて、海外でしか味わえない自由を満喫したい日本人女性。
彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー人男性。
だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。
二人の間はギクシャクし始める。
その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。
「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」
秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。
「彼は変わり者だからね。我慢さ」
愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。
ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。
二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。
口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。
だが、そのときヨシエは豹変した。
日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事を発見したコルテールを怒鳴りつけたという。
「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」
彼女の口は、悪かった。
その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。
何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。
彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。
しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。
それは、最後のお願いとして、彼女と日本を一緒に旅行することだった。
二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。
……これ、男にありがち。
男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」
他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。
日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。
それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。
それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。
そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。
彼女は、職場のベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかにコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。
……こと、ここにいたっては、どうしようもない。
その時の衝撃は、彼の行動が示している。
コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。
(気になったところだけメモ)
→統合したばかりのスペインの国力を強化し、国境を挟んで緊張関係にあったフランスと対抗するために、ハプスブルク家に近づいた。フェルナンドとイサベルは生んだ子供のうち2人をハプスブルク家の人と結婚させた。その子供の1人がヨーロッパのかなりの領土を支配したカルロス1世(カール5世)だった。スペインは思いがけぬ形でハプスブルク帝国もいただくことになった。
→多民族、多文化、多言語、他宗教国家だったスペイン(4分の1はスペイン語が話せなかった。ユダヤ人社会。またイスラム系住民はまだ底辺労働力として居残っていた)。毎日開かれる王の諮問会議。報告書、稟議書などの大量の文書。数千人の役人が働いていた。スペインの大学は役人養成機関として発展し、16世紀始めに11あったカスティーリャの大学はその後の100年で33にも増えた。イギリスはそれと比べると官僚制を発展させず、大学の数も19世紀にいたるまでオックスブリッジの2つだけだった。
→銀塊をリャマの背に乗せて港近くまで運び、そこから小舟に移して北上、パナマを縦断するためにまたラバに載せ替えて陸上移動、大西洋からやってきた、トレジャーフリートと呼ばれる船団に載せてスペインに向かう。季節、季節風も加味してこうした計画を周到に用意する。信じられないほど高度なオペレーション能力が必要とされる。
→16世紀を通じて西ヨーロッパの物価は平均して5倍に高騰。スペインがヨーロッパにもたらした銀が原因とされているが、違うとされている。原因は王室の貨幣悪鋳・公債発行。そして人口がこの時急速に増えたものだから食料価格が高騰したことが原因。
印刷術
→金属活版印刷は1450年にドイツで発明。そこから1476年にイングランドに導入。カスティーリャには1473年に導入。わずか20年で違う国にまで技術が伝播した。この技術移転のスピードはほとんど現在と引けをとらないのではないか。
→同じ羊毛生産を主力産業にしていて、フランドルへの原料供給国だった。イングランドはロンドンの独占商人組合が一手にそれを集め、アントワープに出荷。カスティーリャでもおなじような独占組合が羊毛の生産・出荷を支配。北部の内陸都市ブルゴスに集積、フランドルに出荷していた。
→アメリカから得た富を装飾や豪遊につかったというのは誤解。むしろ、絶えず起こっていた戦争(オスマン帝国との戦争、フランスとの継続的な戦争、宗教改革の勢力、独立を目指す北イタリア、ネーデルラントの勢力などなど)への出費のせいだった。
アルマダの経緯
→同じ新宗教国家として、イギリスのエリザベス1世はネーデルラントの独立紛争に介入。7000人の兵を送る。1588年、スペイン王フェリペ2世は英国作戦を計画。大量の兵力を送り込み、ロンドンを一気に制圧する予定。当時のスペインは領土も富の綿でも大国。小国イギリスに勝ち目なし、と当時の銀行家たちは踏んでいたが、まさかの敗戦。
オランダ発展の経緯
→16世紀半ばから新教によるオランダ独立運動が始まって30年。南部アントワープがスペインの焼き討ち→北部アムステルダムに大量の人口移動、資本と商業もここに集約。スペインの劣勢も追い風となりこの地の発展が促された。貿易国家として栄えた上、アントワープ以来の繊維産業も追随を許さない。
→海洋商業国家のオランダを潰す目的で制定したクロムウェルの航海条例(1651年)→翌年から20年に渡る断続的な戦争。→1672年にはルイ14世が陸・海で攻撃、オランダはパニックに陥り経済も壊滅的打撃。数々の緊張が続く中、オランダはイギリス侵攻を計画する。1688年、500隻の船、2万人の陸軍兵を伴ってオラニエ公ウィレムがロンドン上陸。イギリス国王の座に収まった。これが、名誉革命のもうひとつの側面である。