はてなキーワード: 1930年とは
https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c
面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。
日本人は
受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC
詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
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1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー)
その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して
プロヴァンスの言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して
1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン)
1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)
念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギー、スタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して
1907年 ラドヤード・キプリング(英)
真実のための本格的検索、思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生の理想主義的哲学を実証したこと
叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して
多岐にわたる文学活動、特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品が神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする
1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン)
崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して
1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク)
1921年 アナトール・フランス(仏)
1926年 グラツィア・デレッダ(伊)
彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して
ブッデンブローク家の人びと
1931年 エリク・アクセル・カールフェルト(スウェーデン)
林檎の樹
呪われた日々、チェーホフのこと
1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)
月を見つけた
楡の木陰の欲望
1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク)
車輪の下で
1950年 バートランド・ラッセル(英)
哲学入門
バラバ
テレーズ・デスケルウ
我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して
1962年 ジョン・スタインベック(米)
1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)
静かなドン
1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン)
1974年 ハリー・マーティンソン(同時受賞)(スウェーデン)
アニアーラ
偉
やあ(´・ω・`)
日頃ホッテントリ入りしたきのこ関連の記事を、気まぐれで解説しているよ。
「なめこ」の起源 “60年前に福島県で採取の野生の菌に由来”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220615/k10013672561000.html
ブコメで散々指摘されているとおり、あくまで日本で栽培されているなめこの99%は、
ってことだよ。無論、日本中でごく普通にみられる野生のナメコの起源が全て福島県産というわけではないよ。記事にもしっかり
引用:野生の菌では遺伝的な多様性がみられた一方、菌床栽培の菌は1つの系統に分類され、それぞれが遺伝的に極めて近い関係だと明らかになった
と書いてあるよ。まあ、見出しが誤読を誘っている感は否定できないけど。
じゃあ結局野生のナメコの起源はどこなの?って疑問が当然生まれると思う。
結論から言うと、実はよくわかっていないんだ。というのもナメコに限らず、菌類全般ほぼ化石に残らないので、どの種類がどの時代に分かれたのかって細かいとこまで、今のところ把握のしょうが無いというのが実情なんだ。
どんな自然科学の記事にも言えることだけど、せっかく論文が公開されているのにソースのリンクがないのは不親切だよね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mycosci/63/3/63_MYC570/_html/-char/en
なめこは、特に日本で人気の高い食用きのこの一つである。本種は白色腐朽菌の一種で、ヒマラヤ、中国から日本までの東アジアの冷温帯落葉樹林の枯木や朽木に生育する。記録によると、ナメコは1921年に東北地方で初めて人工的に原木栽培され、伝統的にこのきのこを食してきたという。近代的なナメコのおがくず栽培は、食用きのこのおがくず栽培のパイオニアである森本彦三郎によって1930年に確立された。その後、1960年代から1970年代にかけて木製トレー栽培が開発され、日本における選抜菌株の商業生産が拡大した。1980年代以降は、空調を伴うオガクズ栽培で通年生産が可能となり、日本での生産量の99.7%を占める主流となった。その後、1970年代半ばに中国遼寧省南部にナメコ栽培が導入された。それ以来、中国はその最大の生産国となった。最終的に、2012年には中国が70万トン以上、日本が2万トン以上のなめこを生産し、現在のアジア各地、北米、ヨーロッパへの栽培の広がりを引き起こしている。
もともと日本でしか栽培されてこなかったのに、今となってはほとんどが中国産なんだね。
そのため、食用きのこの栽培の歴史は、作物植物や家畜に比べて比較的浅いことが報告されている。例えば、最も古くから栽培されているきのこの一つである椎茸の栽培は、約800年前に中国で行われたようである。しかし、ナメコの栽培は約100年前から行われている。1929年に山形県で採取された野生子実体から初めてナメコの家畜化株が分離されたが、戦後の混乱期に消失したとする説が唱えられている。ナメコの家畜化過程に関する記録はほとんどない。しかし、現在オガクズ栽培に用いられている株は、1962年10月16日に福島県山都町市で採集された単一の野生株F27に由来すると考えられる。したがって、市販のナメコの大部分はこの厳しいボトルネック現象に由来すると推定され、その結果、遺伝的変異が非常に少なくなっている。栽培種と野生系統の遺伝的多様性の比較は行われていない。したがって、家畜化された種の遺伝資源を利用し、さらに品種改良を進めるためには、その進化史を正しく理解することが必要である。そのためには、家畜の自然集団の遺伝的多様性と集団構造に関する知識が必要である。
断片的な資料や口伝などでF27という株が起源ということは推測されていたものの、きちんと裏付けがなかったみたい。今後品種改良を進めて継続利用していくためには、そもそも今出回っている株がどこに由来しているのか、また多様性はどうなっているのかを調べることが大切なんだね。
本研究により、日本産オガクズ栽培株は自家繁殖または家族内交配に由来していることが示された。これらの結果は、日本のオガクズ栽培で生産される商業用ナメコは単一の祖先の子孫であるとする単一祖先仮説と一致する。したがって、日本の商業用ナメコは単一の家畜化事象に由来するため、遺伝的多様性が著しく低いと結論づけられる。
日本全国から収集されたナメコ野生株の中程度の遺伝的多様性レベルは、他の木材腐朽菌の野生株と同等かそれ以下であると報告されてきた。また、他のきのこの栽培株はいずれも複数の家畜化起源を持つことが研究で示されており、ナメコの自然集団は、おがくず栽培に有効な菌株を開発するための新たな遺伝資源となり得ることを提案する。
中国におけるナメコの生産は、日本からの始祖株F27の子孫が一部寄与しているものの、少なくとも一部の中国産品種は異なる家畜化過程を経たことが示唆された。日本以外での栽培履歴を明らかにするためには、中国における栽培ナメコの全体的な遺伝的多様性に関するさらなる調査が必要である。
他の栽培きのこには複数の起源があるのに、菌床栽培なめこは単一だから遺伝的多様性が極めて低いという評価なんだ。栽培の持続可能性や新たな品種を生み出すためには、野生株や世界中で栽培されている株の追加調査が必要なんだね。
現在国産なめこ種菌を牛耳っている種菌メーカー大手「キノックス」のサイトに詳しいよ。
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/hakase/ha-nameko_04.html
品種改良以前に、そもそも種菌の性能維持にもすごく神経を使っているんだね。
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/hakase/ha-nameko_05.html
きのこの分類にはまだまだ謎が多いよ。しいたけやなめこ級のメージャーきのこですらコロコロ変わってる。
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame02-3.html
その後、引用した論文にもあるとおり、Pholiota microspora (Berk.) Sacc. (synonym P. nameko)というシノニムにnamekoという文字が残ったよ。
なんだかんだでwikipediaがそれなりに情報量も多くてまとまっているよ。
菌床栽培 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8C%E5%BA%8A%E6%A0%BD%E5%9F%B9
原木栽培 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%9C%A8%E6%A0%BD%E5%9F%B9
もしあなたがなめこを栽培したかったら、すでに植菌済みのブロック菌床(なめこ栽培キット的なやつ)を買うと1週間くらいはニョキニョキ生えるなめこを楽しめるよ。
原木栽培も、適当な雑木と、種駒(今の時期ならホームセンターにたいてい置いてある)と、ジメジメしたちょっとした林があれば簡単にできるよ。
http://www.kinokkusu.co.jp/saibai/sa-g-name.html
自分は過去に短木栽培、長木栽培いずれもチャレンジしたことがあるけど、シイタケよりもずっと簡単で収量も確実だよ。長木なら、駒打って日陰に埋めるか腐葉土たっぷりのジメジメした完全日陰に転がしとけばいいよ。シイタケでよく使われるナラやクヌギみたいな硬い木よりも、ブナ、シデ、サクラみたいな柔らかい木の方が菌の周りが早くて確実なんじゃないかなあ。
まだまだいろいろ書きたかったけど、夜も遅いしこの辺でやめておくよ。
またどこかで会えたらよろしくね。
ここまで読んでくれた聡明なあなた、もしかして「なんか物足りねーな」って思ったかな?
実はそうなんだ。業界的にはたぶん、正直そこまでニュースバリューのある話ではないんだよね。
というのも、おそらくごくごく一部の人たちの中では知られていたであろう「新しい品種作りたいけど、クローンみたいなのしかなくて掛け合わせできねー」「正確な記録は残ってないけど、たぶん全部F27が起源なんじゃねーの」ってことの遺伝的な裏付けが取れたってだけだからね。無論、優良株を持続生産するために必要な研究が一歩前進したってニュース自体は大変喜ばしいけども。
きのこがニュースになるのは嬉しいけれど、見出しにつられて勘違いした人が大量発生するのは嬉しくないし、だから私たちのようなきのこ好きが発信する必要があると思うのね。
当たり前だけど、今流通しているなめこは遺伝的に同じ(中国産については一部国産とは異なる可能性あり)と言ってもいいし、(福島を下げる意図は無いのだけど)特別福島県産のなめこが美味しいなんてことはないので、安心してなめこライフを楽しむと良いよ。
ちなみに、いまだに福島県産のきのこに放射性物質が残留しているんじゃないか、なんてことを心配する人がごくごく少数いるけれど、菌床栽培物については全国どこでも似たような産地の原料使っているので変わりないよ。
一方で原木しいたけやホダ木の生産は、まだまだ一部の市町村で出荷制限がなされていたりするんだ。
https://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/kinoko/qa/seigenfukusima.html
特にホダ木については事故以前に一大産地だった福島県産ホダ木がほとんど壊滅して、他県に流れてしまったという悲しい事態が起こってしまった。ホダ木の栽培は、20年サイクルくらいで林を皆伐しながら管理するので、一度生産を止めてしまうと再開するには膨大なコストがかかってしまうんだ。福島県のホダ木生産者の方の気持ちを思うと本当にやるせない。
またわざと曲解してMMTと共産主義を結びつけようというやつか。
もっぺんはっておく。
ぜんぜん違うぞ。どちらかといえばケインズ主義の系譜だ。というか、そのMMTの理解なんだよ。せめて、MMT入門みたいな本とかサイトとか見てから考えなよ。
そもそも、昔は政府が何もしないほうがいいという自由主義だった1930年世界恐慌で世界中が不景気になった。そこで、政府が金融、財政、税制で経済を調整するケインズ主義と、政府が生産をすべて調整すれば景気変動が起きないというマルクス主義が起きた。
ケインズ主義は1970年代のオイルショックや、一部の国の経常赤字で完全じゃないということでケチが付いた。マルクス主義は政府の非効率でうまく行かないとなった。
そこで自由主義が金融政策だけ加えて新自由主義として再興したが、やはり一度大規模経済危機を迎えると30年でも不景気を迎えるとなった。
なおかつ、政府の借金で財政破綻が起きると考えられていた。そもそも、管理通貨制度のもとでは自国通貨建て国債では財政破綻しない。財政破綻は外貨借金の問題。
そして、財政の成約がなくなった以上、不況ならインフレになるまで国債なり通貨を発行して財政出動しろと考えている。
つまりは1945-1990年の成長していた日本の経済理論の復活なんだよ。なお1990年ー2020年での経済理論である新自由主義は1930-1945年の経済理論の自由主義の復活な。
近年においてはアニメ視聴者が増えて、一部ではアニメが大衆に受け止められたと考えている人間もいるようだが、それは即ちアニメ的表現を大衆が受け入れることにはならないことに注意すべきだ。
アニメが受け入れられたのはあくまでそのストーリーテリングの優秀さや、ドラマなどでは味わえない非日常感が理由である。
つまるところ、アニメによく登場する性的な表現、キャラクターが受け入れられたことなどない。性的搾取という言葉の定義が曖昧であることは否定しないが、
巨乳やミニスカートのキャラクターが男オタクの性的欲求を満足させるために存在するのは自明であるし、それを公の場にすることは当然TPOに反することだ。
制服風の衣装のアイドル、たとえばAKBや乃木坂が『男オタクの性的欲求を満足させるために存在する』のも確かだが(それとは別に女性ファンがいることも事実)、それを公の場でポスターに利用するのはTPOに反することであるか?
このような経緯を踏まえて、フェミニストがこうしたアニメ表現の広告や動画を批判するのは当たり前ではないだろうか。男オタクのために作られた性的な表現を子供が見て、女性の身体というものを勘違いしたり、或いはセクハラなどに対する精神的ハードルを下げることになるというのは個人的に納得できる理路だ。(もしそうした影響がないと主張するのであれば、根拠をアンチフェミ側が示すべきである。)
論外。『個人的に納得できる理路』ではなく、『実際にそれが起きていること』をフェミニスト側が証明するべき。無いことを証明せよというのは言うまでもなく悪魔の証明。
それを、アンチフェミが応戦する形で炎上させ、議論を大きくしていくと、当然この問題を知らない人間までが性的表現を目にすることになるし、その結果、アニメはやはり「気持ち悪い」ものとして、宮崎勤や宅間守の時代に戻りかねない。
宮崎勤は(実際にそうだったかはともかく)『そういうもの』として認知されているが、宅間守ってオタクコンテンツが生み出した犯罪者扱いされているか?
アンチフェミの活動は、アニメを守るどころか、アニメの持つ負の面を公開し、拡散し、再び暗黒の時代を呼び寄せようとしているに過ぎない。
このことを言うと、いわゆるゾーニングが加速し、アニメが社会の影に隠されて、差別され続けるという妄想を言う者がいるが、この主張は間違いである。
昔より、公の場から隠されゾーニングされてきたアダルトビデオは、なくなるどころかその市場規模を拡大させ続けている。表現には適切な場があり、そのテリトリー内で楽しむ以上は、差別も批判もされないというのは歴史が証明してきた事実である。
北原みのり「タイトルだけで泣いた」に代表されるように、差別も批判もされないというのは全くの虚偽。『マンガやアニメのいわゆる二次元のキャラに欲情する』ことに比べて『実写の人物に欲情する』は一般的だからマジョリティの男性に支持されてきて弾圧されていないだけ。
そして何より、最初に戻るが
近年においてはアニメ視聴者が増えて、一部ではアニメが大衆に受け止められたと考えている人間もいるようだが、それは即ちアニメ的表現を大衆が受け入れることにはならないことに注意すべきだ。
『大衆が受け入れないというだけの表現が公共の場所にある』ことが受け入れられないということそのものがファシストの主張だ。
それを言うならば、1930年のドイツにおけるユダヤ人が写ったポスターや、1950年のミシシッピ州で黒人が写ったポスターもTPOに反するのか? そうではないだろう。
『公共の場所』は誰かの部屋ではない。オタクのものでも、フェミニストのものでも、ネオナチのものでも、KKKのものでもない。あるいはそれら全ての人のためにある。
だから我々表現の自由戦士は「公共の場所のポスターを止めさせたいのであれば、それによって害されている権利、利益を主張するべきだ。そうでない限り、他者危害でないポスターは排除されるべきではない」と主張している。
ぜんぜん違うぞ。どちらかといえばケインズ主義の系譜だ。というか、そのMMTの理解なんだよ。せめて、MMT入門みたいな本とかサイトとか見てから考えなよ。
そもそも、昔は政府が何もしないほうがいいという自由主義だった1930年世界恐慌で世界中が不景気になった。そこで、政府が金融、財政、税制で経済を調整するケインズ主義と、政府が生産をすべて調整すれば景気変動が起きないというマルクス主義が起きた。
ケインズ主義は1970年代のオイルショックや、一部の国の経常赤字で完全じゃないということでケチが付いた。マルクス主義は政府の非効率でうまく行かないとなった。
そこで自由主義が金融政策だけ加えて新自由主義として再興したが、やはり一度大規模経済危機を迎えると30年でも不景気を迎えるとなった。
なおかつ、政府の借金で財政破綻が起きると考えられていた。そもそも、管理通貨制度のもとでは自国通貨建て国債では財政破綻しない。財政破綻は外貨借金の問題。
そして、財政の成約がなくなった以上、不況ならインフレになるまで国債なり通貨を発行して財政出動しろと考えている。
つまりは1945-1990年の成長していた日本の経済理論の復活なんだよ。なお1990年ー2020年での経済理論は1930-1945年の経済理論の復活な。
調べてみました!
ほとんど確実。何故なら、人口統計調査により、ユダヤ人の戦前戦後の人口差は550万人程度はあり、人口統計調査の誤差を踏まえれば600万人程度のユダヤ人が殺されたことはほぼ確実である。別々の研究機関や研究者によって何度も推定は繰り返されているが、めちゃくちゃ極端に低く見積もっても約450万人程度とされており、大差はないと考えて良いだろう。ちなみに、否認派向けに言っておくと確認できる限り、否認派できっちり人口統計調査をした人は存在しないようである。否認論が嘘であるとバレるからか?w 出典は、『ホロコースト大事典』(柏書房)、芝健介『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』など。
これは数字は概ね合っているが、明らかに死亡者数ではない。英語圏でいう「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡ったアフリカ原住民は1500万人以上と一般には言われているが、学界では900万人-1100万人という、1969年のフィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった[注釈 2]、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。ただし、カーティンの説(彼自身は900万人強を提唱していた)には、一次記録が存在しない16世紀 - 17世紀初頭に関しての推定数が少なすぎるという批判もあるが、そうした批判を踏まえても1200万人を大きく超えることはないと考えられている[7]。
んー、これはよくわからん。以下では1000万人は正しいかのように思えるが、はっきりしない。
その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した[29]。
何故はっきりしないかというと、こんな記事を見つけたからである。
さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオの犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。
たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代の研究者の評価でもその人口は100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオが征服戦争の犠牲になったとしているが、当時の人口調査や統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。
16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった[橘玲の世界投資見聞録] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
何にしても一体、1000万人はどこから出てきた値なのか知識がないのでよくわからない。ここに書いてあるように、正確な統計値があるとも思えない時代の数字にどれほど信憑性があると判断すれば良いのだろうか?
んー、これも上と同じで、正確な統計があるとは思えない時代の話だし、ちょっと調べた程度ではさっぱりわからない。しかし以下のような記事を見つけた。人口がもしそうだとするなら、1000万人はあり得ない。
インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在の南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。
追記;↑と思ったが、Wikipedia「インカ帝国」によると、上の記事は間違いの可能性が高いように思われる。
前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ
しかしこの記事でも、虐殺の話はまるで出ておらず、「伝染病が壊滅的な打撃」ともあり、「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」の疑いが強い印象。
英語版Wikipediaを調べた。英語版は流石にやたら詳しい。これによると、1000万人は完全な出鱈目・デマである。デマ源を突き止めたいんだけどなぁ。
2010年のアメリカ合衆国の国勢調査では、自らがアメリカインディアンまたはアラスカ先住民であると認識しているアメリカ人は293万2,248人で、アメリカ人口の約0.9%でした[50]。 2011年のカナダの国勢調査では、自らがファースト・ネーション(またはイヌイットやメティス)であると認識しているカナダ人は183万6,035人で、カナダ人口の約4.3%でした[51]。 ヨーロッパ人が到着する前にアメリカ大陸に住んでいた人の数については意見の一致を見ていませんが、広範な研究が続けられています[52][53]。 52][53]現代の推定では、ヨーロッパによる植民地化以前に北米大陸に住んでいた人々の数は210万人から1800万人とされているが[54]、アメリカ国勢調査局は1894年に、1492年の北米大陸はほとんど何もない大陸であり、インディアンの人口は「50万人をはるかに超えることはなかっただろう」と主張している[55][56]。
インディアンの数は、感染症、ヨーロッパ人との衝突、部族間の戦争、同化、カナダやメキシコへの移住、出生率の低下などにより、19世紀には50万人を下回るまでに減少したという。主な原因はヨーロッパの探検家や商人が運んできた伝染病であった[57][58] 米国国勢調査局(1894年)は1789年から1891年までの102年間の戦争による特別な死亡者の推定値を示しており、その中には「個人的な問題」で殺された8,500人のインディアンと5,000人の白人が含まれていた。
米国政府の下で行われたインディアン戦争は40回以上にも及びます。彼らは、個人的な戦闘で殺された人を含めて、約19,000人の白人男性、女性、子供の命を奪い、約30,000人のインディアンの命を奪ってきました。実際に死傷したインディアンの数は、この数字よりもはるかに多いに違いありません。5割増しというのが安全な見積もりだろう[59]。
スターリンが粛清により大量の処刑者を出したのは史実であろうが、一千万人はいくらなんでも盛り過ぎである(実際には明らかにあり得ない非現実的な無茶苦茶誇張された数字もあったくらいであるが)。これは冷戦末期以降にソ連・ロシアが情報公開をしていて、確定はしていないが、概ねの数字はわかっている。おそらく粛清で処刑されたのは90万〜120万人程度と考えられる。
ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフの時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が「スターリンが支配した1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたこと」を公式に認めた。さらにソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年に作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年と1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。ソ連時代の統計[16]の開示[17]や、第三者による検証[18]を経ても、粛清された人物の合計数は今もなお公式に確定していない。
ウクライナへの人工飢餓として、ジェノサイド認定をしたらしいが、ジェノサイドと言えるのかどうかは議論の余地がある。しかし、何にしても、ホロコーストのように殺戮を目的とはしておらず、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉の犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある[7][2]。
この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナのユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同調を募った。一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。
全然知らない話だが、以下を読む限り、「2000万人」は盛っていると思われる。しかもその大半は天然痘などの疫病であるようだ。しかし、相当規模の残虐行為を働いたのは事実であろう。
自由国政府は当初は象牙を、後には貴重な商品となっていったゴムなどの天然資源を開拓した。自由国の軍隊である公安軍(Force Publique)の支援を受け、その領土は複数の私的な採掘利権に分割された。英白インド・ゴム会社(英語版)はとりわけ、その領土から利益を得るために武力と残虐行為を用いた。コンゴにおけるその政権は強制労働をさせ、ゴム収集のノルマを満たしていないコンゴ先住民を殺害し切断した。何百万人ものコンゴ人がこの期間に犠牲となったが[4]、死者の多くはコンゴ川下流地域の人口の半数近くが死亡した天然痘を含む、ヨーロッパ人入植者との接触によってもたらされた新しい病気が原因だとも特定されている[5]。
自由国時代には過剰死によってコンゴ人口が急減したが、死者数の推定値にはかなりのばらつきがある。数字は推定値であるものの、この時期に死亡したコンゴ人は人口のおよそ5分の1にあたる1000万人にのぼるとされている[6][7][8][9]。最初の人口調査が実施されたのは1924年であるためこの期間の人口減少を数量化することは困難であり、ウィリアム・ルービンスタイン(英語版)のように、アダム・ホックシールドが引証した数値はほとんど証拠に基づかない推測であると主張する者らによって、これらの数字は議論されてきた[10]。
これは適当な解説サイトが見当たらないので、自分の知識だけで言うけど、これも飢餓でしょ。数値は知らないけど、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」。
残り二つの中国のは自分で調べて。文字数制限で書けない。ともかく、人数の精度に問題あり過ぎだし、ホロコーストと同レベルで比較対象にできるものはない。ホロコーストはほんとに民族抹殺を狙った大量虐殺で、そんなものは人類史上見当たりません。かのアドルフ・アイヒマンは「欧州すべてのユダヤ人、1030万人を殺したかった」と述べたアルゼンチン逃亡中の録音記録があったりしますが、そこからもわかるようにユダヤ人絶滅は本気だったのです。
本当に政府が何もしないという意味で純粋な自由主義を消極的自由主義とも言う。
だけども、消極的自由主義だと金持ちや政府外で権力を持った人間(例えば企業の社長)から弱い人間が守られない。
そこで適切な法を持って政府が干渉する。そして各々の自由が守られるようにする。それは積極的自由主義であり、逆を言えば政府の干渉によって多数者の自由を守っている。
社会主義、共産主義を悪なるもので良くないと教条的になっているように見えるし、社会主義と共産主義の関係をどうみているのか、それこそイコールで悪の枢軸にみているような気もする。
だけども、もと元はと言えば19世紀末から20世紀初頭にかけて自由放任主義で経済が成長した。しかし1930年の世界恐慌で大不況になった。それこそ身売りが多発して、日本でも若手将校によるクーデター未遂事件が発生した。(226事件)
そこで、政府が金融、財政、税制で経済を調整しよというケインズ主義と、政府が計画経済してそもそも経済変動が生まれないようにしたマルクス主義が主導権を握り、世界は二分された。その時代の名残だよ。
自由主義陣営といえどもケインズ主義で積極的自由主義であり、消極的自由主義は世界中から放逐された。マルクス主義は共産主義であり間違いがない。
そして政府が財政を持って国民の役に立つことをするようになり、社会保障が生まれた。さて、社会主義はどこまでの領域を指すのかと。
ただし、1970年代のオイルショックや、アメリカイギリスの経常赤字、そしてアメリカの金流出が起きた。そこでケインズ主義が限界がある。理由は政府の肥大だと言うことで新自由主義に転換した。
もっとも、一度大規模経済危機を迎えたら日本では1990年バブル崩壊、欧米でも2008年リーマンショック後の長期不況が続いている。そしてのコロナショックで、間違いなくこれは大規模経済危機だ。
さらに、すぐ確実に儲かるものしかしてはならないということで、政府は緊縮して科学が衰退し次の産業の種が生まれなくなる。企業も不確実な投資を嫌い産業が生まれなくなる。その結果長期衰退を招いて日本で貿易赤字が出るようにまでなっている。
経常黒字もいつまで持つか。
そのうえで、やはり新自由主義の「政府が何もしない」というのは誤りで「では政府は何をするべきなのか」は議論の俎上に上がる。
とくに新自由主義とケインズ主義では「税をどうするか」「財政出動をするか」が大きく分かれる。立憲民主党は内部が割れてるよ。
という前提があった上で「社会主義」が何かを考えずに「負の側面」と言っても何を言ってるの?とは思うね。内部割れていることにも気づかず、教条的な社会主義、共産主義の担い手であり、反省しろって一体何をみているのかとは思うね。
反緊縮のもとになってるMMTで投げかけられた問は「財政破綻とは何か?」だよ。
そして、基軸通貨国や経常黒字国は外貨借金が増えないので財政破綻しない。
ただし、基軸通貨国とはいえ、自国が売れるものがなくなれば、基軸通貨国の座を追われる。経常黒字国もそもそも売れるものがなければ経常赤字国に転落する。また、財政出動は景気を良くして輸入を増やすので経常赤字に傾ける作用がある。
しかし、経常赤字に至らない程度の財政出動は問題ない。なおかつ、景気が良くないと設備研究投資をしなくなるため、産業劣化し経常赤字側に傾きやすくなる。事実、日本は時折貿易赤字を出すほど産業が劣化してしまった。
それから、資本主義は全く方向の違う(新)自由主義とケインズ主義からなる。
(新)自由主義は政府が何もしないのが望ましい。税制はフラットに。
そして、社会の致命的な欠点として、大規模経済危機を迎えると、企業が保身に入り、金を貯め込み設備研究投資をしなくなるというものがある。
この状態に陥ると自由主義は何もできない。日本で1990年に起きた。30年経ってもただ産業が劣化しただけ。
ケインズ主義は財政出動をしろと言える。ついでにインフラとか、地球環境を守る技術開発にでも使えばよいだろう。1930年世界大恐慌はそうやって回復した。日本の1990年バブル崩壊も、貸し剥がしや、消費税増税、金を溜め込まれる法人税減税、累進所得税減税をしなければ回復してただろう。
バックの経済理論が必要だからね。新自由主義、マルクス主義が失敗に終わった以上、一番マシなのはケインズ主義ベースであり、その一つがMMTだろう。
そもそもケインズ主義は1930年の世界恐慌後の長期経済低迷を迎えて生まれた理論だから。1970年代のオイルショックや一部の国の経常赤字化でインフレだが不景気という状態によりケチが付いた状態でもあった。
1970年代のインフレだが不景気というのはスタグフレーションといい、石油だとか、輸入ができなくなったとかでの供給由来のインフレ。
供給由来のインフレは事前に対策はできるがいざ起きてからではどうしようもない。
まあ、二度と不景気で銀行を追い詰めるなんてことしてはならないわ。特に今まさにコロナで返済スケジュール変更で銀行もだいぶ参ってるはずだもの。
だろうね。
結局「良い状態になる」には知識と、失敗をもとにした修正が必要だわ。
そもそも、新自由主義の失敗は、1930年世界恐慌の後の失敗と同じ、大規模経済危機を迎えたら、企業が保身に入って金を貯め込み設備研究投資をしないということの焼き直しに過ぎないもの。
新自由主義は、その前のケインズ主義が1970年代のオイルショックや、一部の国の経常赤字化で「インフレだけど不況」という現象で詰まったことの反発で生まれた。
インフレは需要が多く、供給が少ない状態で起きる。やや需要が多く、ややインフレが望ましい。そのために、金融、財政、税制を駆使する。だけど、資源がなくなるなど供給由来インフレにはどうすることもできない。
ケインズ主義は自由主義に比べて政府が大きくなる。たしかに非効率になることもあろう。それが故に適切な投資がされずに供給が減り、インフレだけど不況なんて現象になるのではと。
それが故に新自由主義が起きた。
そもそもケインズ主義自体、1930年世界恐慌に「政府が何もしないほうが望ましい」という自由主義が詰まったことにより生まれた。なお、同時にマルクス主義の「政府がすべて管理したほうが良い」も主導権を握った。
新自由主義は金融だけ取り入れたが、日本に限定しても1990年バブル崩壊を経たら、30年経っても不況を続けている。更に、時折貿易赤字が出るほどにまで産業が弱まってしまった。むしろ供給を弱めた。
理由は、一度大規模経済危機を迎えたら企業が保身に入り、金をためこみ、設備研究投資をしなくなり、資金余剰に移るから。そして、資金余剰下の企業に対してのフリーハンドの減税は、むしろ貯め込まれて余計に景気を落とすから。
また、新自由主義は政府の関与を嫌うが、商売になる前の科学は企業にはリスクが高く政府しか金を出せないから。
最も、ケインズ主義が供給由来インフレでうまく行かないんじゃないかというのを踏まえて、政府の基礎萌芽研究投資と、企業の設備研究投資を起こすことにより、供給も意識したケインズ主義である必要がある。
なお、オイルショック後、日本はサンシャイン計画として、蓄電池や新エネルギーや原子力推進をしてて、昔は世界一位だった。かつ、厚い経常黒字を出していた。日本においてのケインズ主義は失敗じゃなかったんだよね。
1582年夏 本能寺の変。信長親子脱出成功。山崎の合戦で光秀滅亡。
1583年夏 信忠・秀吉による九州攻め開始。信長による小田原城砲撃で後北条家滅亡。柴田勝家が小田原からの帰路で謀反。
1583年秋 第一次関ヶ原合戦。勝家勢が信長を追い詰める間際、勝家勢後方に下品な金成瓢箪が現れ勝家勢崩壊。お市に会いたく無い勝家が安土城で自刃。
1584年夏 「三州騒乱」勃発。伊達、上杉を巻き込んだ徳川家康による信長への叛逆。岐阜城攻防戦で家康勢遅滞。
1584年秋 秀吉による近江口への誘引で「第二次関ヶ原合戦」発生。
1585年頃 信長により天下統一完了。日本皇国成立。海外進出が本格化、大陸方面では無く東南アジアや北海道方面へ。
1587年頃 スペイン帝国主力の欧州連合による東洋派遣艦隊を撃破。印度以東の欧州権益取得。信長は南海覇公と呼ばれる。
1620年頃 新大陸で新出雲新界成立。その後スペイン帝国領ヌエバ・エスパーニャ副王領を併合。日本皇国領大和州となる。
1762年 日本皇国大和州派遣軍が大和民国軍に新出雲の戦いで敗れる。これにより大和民国独立が確定。
1813年 プロイセン陸軍参謀本部が九州攻めを参考にした「ライヘンバッハ・プラン」でナポレオンの内線作戦を崩壊寸前にまで追い込む。
1814年 ウィーン会議。ナポレオンは失脚せずフランス帝国も存続。
1848年 大和民国の武力恫喝によってヴァージニアが割譲される。欧州の新大陸領土消失。
1898年 大西戦争によって大和民国はスペインからキューバをはじめとするカリブ海領土を得る。
1937年 「満州戦争」勃発。中華連合共和国が中華民国領満州へ侵攻開始。日本皇国は中華民国との同盟により渋々介入。
1938年 大韓帝国が日本皇国に宣戦布告。大英帝国大艦隊が大和民国領キューバを奇襲攻撃し「大西洋戦争」勃発。
1939年 中華民国が中華連合共和国に降伏。林彪上級大将率いる中華沿海州装甲軍が日本皇国沿海州で攻勢に出る
1940年 日本皇国・大和民国を中心とする「大東洋同盟」が成立。
1941年 大韓帝国が日本皇国と休戦。中華連合共和国に宣戦布告。
1942年 中華連合共和国・大英帝国が大東洋同盟に降伏。大西洋戦争終結。
同じだけど、もう今では意味がない分類よ。
右翼と左翼自体は、フランス議会に由来して、強者(王、重商)よりが右、弱者寄りが左に座ったことの名残。
そこで1930年世界恐慌に対処できず自由主義が放逐されたあと、世界がケインズ主義とマルクス主義に別れた。
相対的にケインズ主義は重商よりだから右になった、自由主義からの変更が少なかったから保守。マルクス主義は反対だから左になった。自由主義からの変更が多かったから革新。
自由主義は政府が何もしないのが望ましい。税制もフラットが良い。
ケインズ主義は政府が金融、財政、税制で経済を調整する。税制も、溜め込みやすい企業、富裕層は高め、消費税のような使ったら増税を嫌う。
マルクス主義は政府がすべて管理し経済変動を起こさないようにする。
だけど、マルクス主義は失敗した。ケインズ主義もケチが付いたために、自由主義が復活した。そのため、以前の右左、保守革新をになってたものはなくなったので、右左保守革新の分類は意味がなくなったんだよ。
新自由主義も一度大規模経済危機を迎えたら二度と復活しない状態。ケインズ主義の失敗というのは、オイルショックや、一部の国で経常赤字化したことによるものなので、事前に供給を対策しておくべきというのは言える。
資本主義は政府が何もしないのが望ましいと言う(新)自由主義と、経済を金融、財政、税制で整えるケインズ主義と分けて考えるべきだと思うの。
ケインズ主義だと、不景気のときは政府が支出を増やして経済を支えたほうが良いとなる。支出を増やすのは何でもいいが、確実にすぐ使われるような失業者救済は望ましい支出の一つ。
1980年代以前はケインズ主義が資本主義だったが、1980年代以降新自由主義に転換したからこその弱肉強食になったのもある。
あと、新自由主義は一度大規模経済危機を迎えると、手が打てなくなる。それは1930年世界恐慌後の世界を見ても1990年バブル崩壊後の日本を見ても。
僕自身は、適正な経済運営の答えは供給側対策をしたケインズ主義だと思っている。
だけど、人類がケインズ主義が良いと一度決着がつくまでには様々な暴走があった。そして、ケインズ主義も一度放逐されて帰ってきていない。今のトランプの騒動も1930年の世界恐慌後に正しい経済政策の答えがなかった日本やドイツを繰り返してるだけに見える。
1930年世界恐慌があった。そして、資本主義は、一度大規模経済危機を迎えると、企業が金を貯めこみ、設備研究投資をしなくなり、資金余剰側になり、金の回転が悪くなるという根源的な欠点がある。
そもそもが、過去の貯蓄の取り崩しを含めて資金調達しての支出を初項、収入のうち消費に回る比率(消費性向)を公比とした等比数列の和という側面がある。
ジョン・メイナード・ケインズがモデルを作り、それが社会に受け入れられた。その結果が1940-1990年の西側諸国の繁栄。
なお、東側諸国はそもそもが景気変動があるのが良くないからと計画的に生産をするというマルクス主義に転じた。
世界の右左、保守革新とは、ケインズ主義VSマルクス主義だった。1930年以前の政府が何もしないのが理想的だという自由主義は放逐された。
しかし、ケインズ主義は、1970年代の石油産出国の戦争で石油供給が絞られたり、一部の国が経常赤字化と、その後のインフレによって一度批判されて新自由主義に移っている。その転換が1980年代に始まる。
そして、日本は1990年にバブル崩壊が起きたため、資本主義の最大の欠点の企業の保身化、設備研究投資の衰退、資金余剰化をもろにかぶり失われた30年となった。
ケインズ主義は、法人、富裕層の税金は高い。理由は法人、富裕層の金を放置すると金を貯め込み公比を落とすから。富裕層もなんとか新自由主義VSマルクス主義の議論であってほしいと願ってるんだろう。
ケインズ主義は新自由主義に乗っ取られ、新自由主義VSマルクス主義だったら新自由主義がいいよね。みたいな形になっている。しかし、新自由主義の下だと、一度経済が低迷したら永久に不景気が続く。
労働需要が低いということで、労働者の扱いはどんどん悪くなって貧しくなっていく。
だけども「解がない時代」でも解を求めないとならない。誰か英雄に任せたらうまくいくんじゃないか。それがトランプと、トランプの支持者だろう。かつてのドイツのナチスドイツの崇拝や、226事件での日本の天皇親政を叫ぶ声だっただろう。
世界恐慌後の世界をなんとかしろなんての天皇陛下に投げられても天皇はそんなのわからんとしか言いようがないだろうが。
日本でも新自由主義化で停滞していたところの小泉自民党と民主党の崇拝だ。結果的に見たら両方まがい物だったが。
ケインズ主義のもとでも、資源不足など突発的な供給対策をし、新しい産業を作っていき恒常的な供給対策をし、外貨借金由来の財政破綻やハイパーインフレを回避していかないとならない。
新自由主義でもサプライサイドを叫んでいたが、新しい産業なんてまだ見えない状態で金と時間をかけての研究と吟味が必須だが、不確実なものを嫌う新自由主義ではむしろ供給も毀損する。それが今の日本の科学の衰退。