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はてなキーワード: 法哲学とは

2020-09-04

anond:20200904075613

法哲学楽しいよね

日々を生きる中で人を裁けると思っている人には、ぜひ学んてほしい。

人種差別は大嫌いだけど、銅像を倒すのって器物損壊罪じゃない?

ニュースを見ていると、そんな疑問が浮かぶのだけれど、いくら空気を読まない私だって、それを口に出す勇気はなかった。これは、そんな私が一冊の新書によって、正義のために物を破壊するのにも、道徳的理論根拠があるのかもしれない、と知った経緯だ。

増田正義

増田に入りびたっていると、世の中にはいろいろな立場があって、さまざまな正義があることがわかる。残念ながら、複数正義の間でぶつかり合いがあることもまれではない。表現の自由と見たくないものを見ない権利で、レスバトルが毎日のように起きている。あるいは、外国人移民権利尊重したら、女性安全をないがしろにしてしまったケースもある。2015年ケルン大晦日集団暴行事件なんかがその例だ。弱者をいたわろう、財産はみんなで公平に分けよう。そうした基本的原理では同意できるのに、個別のケースでは意見の一致が見られることはめったにない。工学部出身の私としては、実験すればすぐに答えの出る理系学問勝手が違い、社会の複雑さに戸惑うばかりであった。

正義への懐疑

そうするうちに、結局のところ正義根拠ってかなり曖昧でいい加減なんじゃないか、みたいなことを思うようになった。正義論理的根拠がわからなくなったのである。もともと正義についてはサンデル教授の本くらいしか読んだことがなく、哲学は専門外だ。

たとえば、大日本帝国中国北東部傀儡政権を作るのが悪だとすれば、アメリカイラクアフガニスタン空爆したり、親米政権樹立したりするのとどう違うのか。アメリカ中東派兵するのならあまり気にならないが、ロシアクリミア占領併合したときに動揺してしまったのはなぜなのか。本質的な違いはほとんどないのに。

日韓関係だってそうだ。たとえば、国家の間で解決済みであるはずの補償問題を、個人請求することは可能なのだろうか。それとも、個人権利が拡大する世界的な流れのなかでは、必ずしも不合理な話ではないのか。大統領が変われば民意が変わったことを意味するので、前政権約束反故にすることは許されるのか。

他にも、裁判員制度で、発達障害のある犯人に厳しい判決が下されたことがあるけれど、市民感覚医学最先端知識乖離していることも多い。専門家ではなく、偏見もある市民を本当に裁判に参加させていいのか、心配だ。

倒される銅像

で、直近の例で特に印象的だったのが、冒頭に述べたように、BLMで無残に引き倒される銅像だった。革命直後に独裁者の像が倒されるのには全く違和感がなく、それどころかほとんど何も感じない。しかし、歴史上の偉人がこうして再評価されるのを見ると、これは正しいのかどうか、よくわからなくなった。現代価値観からすれば、彼らの過ちは確かに明白だが、こうして公衆面前侮辱に近い目に合わせていいのか。法の不遡及原則、という聞きかじった知識を思い出してしまう。

道徳的には、人種差別絶対的な悪であるしかし、それに抗議する過程で必ずしも公共のものを壊す必要はないのではないか撤去を求める署名運動を起こせば十分なのではないだろうか。銅像破壊する意図は正しいが、間違いなく違法な行動だ。違法であるならば、BLM運動正当性に傷がつくのではないか。結局、正しさには根拠などやはり存在せず、その場の大衆熱狂しかないのではないか。そんな次々と浮かぶ懐疑に苦しめられた、反差別運動に対しての恐怖まで感じるようになってしまった。

書籍に救いを求める

そんな自分困惑しつつ、久々にリアル書店に足を運ぶと、「あぶない法哲学」という新書を見つけた。法哲学の本らしい。つまり、どうして法律道徳が正しいのかを理論的に分析する学問だ。

これだ! と私は膝を打った。私のもやもやはこれで解決するかもしれない。早速購入し、一気に読了した。著者はオタクらしく、ところどころ漫画アニメのたとえが出てくるのでわかりやすい。しかし、レベルを下げたり読者に媚びたりするようなことはしていない。そして、実在の事例や過激思考実験を見せることで、常識を疑ってかかることを、私に教えてくれた。

実証主義自然法論。法律根拠って何よ?

この本で学んだ重要概念として、法実証主義自然法論がある。

実証主義というのは、ざっくりまとめると、法律正当性を持つのは、定められた手続きに従っているからという理由しかなくて、そこに道徳的価値判断は介在しない、というものだ。そして、どれほど内容がおかし法律であっても、正当な手続き撤廃されない限りは、それは守られるべきものだ、とする。

もう一つの自然法論は、大まかにいえば議会で定めた法律よりも優先すべきルールがある、というものだ。さっきと違って道徳がかかわってくる。もちろん、人間良心常識は、時代地域で一貫したものではありえない。しかし、法律が追い付かないほど変化の激しい現代にあっては、法が整備されていない状態での一つの指針・根拠とすべきではないか、と著者は述べていた。

ここで大事なのは法律正当化するのは手続きのみであり、それが人道に則っているかどうかは、実は関係がない、という考え方が存在することだ。

で、ぶっちゃけた話、法律って守る必要ある?

ソクラテス最期はよく知られている。アテナイ若者堕落させたという不当な罪を着せられ、死刑となった。弟子たちはソクラテスに逃亡をすすめた。というか、当時は死刑判決を受けたらその都市国家から逃亡するのが当然だった。しかし、ソクラテスはあえてその判決に従った。悪法であろうともそれを守る義務がある。私はここで死ぬ悪法を制定した市民はその結果を引き受けよ。ソクラテスは命を賭して法を制定した市民たちに、自分たちがどれほど愚かな法律無自覚に作ってしまたか、を訴えたのである

一方で、市民不服従という考えもある。キング牧師アラバマでの激しい抗議活動のゆえに逮捕された。彼の方法は、多くの人々の抗議の模範となった。つまり自分良心ゆえに受け入れることのできない法律自覚的に破るが、国家尊重しているという姿勢を示すために、甘んじて法の罰も受ける。これを繰り返すことで、逮捕している国のほうがおかしいのでは? と多くの人が考え、行動するようになる。確かに法律を破ってはいるが、法律に従って罰を受けることで、遵法とは別の手段正義への敬意を示しているわけである

法律を守るだけが正義を貫く手段ではない。

この二つから導き出せること

道徳とは関係なく、法律を制定することは可能である。そして、不正法律や、放置された不正義に抗議する手段として、法律を破るという方法理論化されている。よって、違法手段正義を追求することは可能である。この結論は、良くも悪くも定められた手続きを重んじるタイプの私としては、非常に大きな驚きであった。

結論

人種差別に抗議する方法として、銅像を引き倒すのは、確かに器物損壊罪だ。しかし、それが正しいと考える人々は、単純な感情で動いている暴徒とは限らない。正しいかどうかはともかく、彼らの立場サポートする理論化された法哲学が、実際にあるのだ。

自分は、法学部一年生が学ぶことを、この年齢になってやっと知ったのだろう。だが、こうして知識が増えたことで、自分の感じていた違和感を少しだけ言語化できた。今後は、何らかの形で国際法とその背景の思想について学び、先ほどの例に挙げた、大国軍事行動の背後にある理論理解したい。

なお

本論では法律有効性に対して一定の疑問を投げかけているが、積極的法律を破ることを推奨する文章ではまったくない。また、法に関しては無知も同然なため、誤解があるかもしれない。ご指導ご鞭撻のほどを乞う。

2020-08-26

法哲学とかそりゃ歴史の積み重ねがあるでしょ

全部無視してるのが匿名限界だが

2020-07-18

anond:20200718045004

法哲学全然知らないけど

法律は「これが正義というもの共通見解でで、こういうルールに従うのが住み良い社会の在り方だ」というおおむねの合意のもと民主主義によって生まれものだと解釈してるんだけど、

その枠組みに強制参加させられるのは文明社会に生まれた以上仕方ないことではないか

それが嫌なら国籍放棄して無人島自給自足でもすればいい

ただその法律の枠を超えて行う「個人正義」の暴走についてはイジメと見分けがつかなくなってくると思っている

私刑賛成派だった自分私刑反対派になった

私刑って結局良いように言ってるだけで本質イジメと変わらないからな

法学に詳しい人私刑についての法哲学見解を教えて欲しい

2020-05-12

anond:20200512112125

そんなのは法律から一歩出れば通用しなくなるんだ。

 

例えばヘイトスピーチ規制法を制定するかしないかの段階で問題となったのは、デモ行為っていう権利観点からすれば明らかに保護されるべき、しか社会全体に対して悪影響が見込まれ行為を「差別」と認定するかどうかという話だった。

男女平等という運動が求めているのは例えば、おっさん個人史に基づく体験からあくまでも個人思考として「女がお茶を汲むべき」と考えている、その個人の選好を修正せよ、ということだ。

 

現実問題として、反差別っていうのは、差別的な選択をするなと個人に対して社会から圧力をかけるってこと。選択肢を奪うことでしか達成されない。

そもそも反差別運動っていうのは、いま法律に制定されていないことを法律にせよ、と求めることなんだから法哲学からは何の答えもでない(んじゃないか? 法律は専門じゃないけど)。

2020-03-16

anond:20200316142243

罪は「反省」しないといけない

 

……という考え方は実に日本的もので、実は死刑がどうとかい西欧基準法哲学とは食い合わせがめちゃくちゃ悪いんだよな。

反省贖罪関係ないもん。

まあ、一応日本死刑制度も、「反省してから殺す」って運用をしてるらしいぞ。執行判決が出てから10年も放置するのはそのためだってさ。

2020-03-06

anond:20200306163743

法曹ではない部外者であるが。

法哲学、法論理学は、数学を用いない論理学の体系としてギリシャ以来の伝統を誇るもの

ではあるが、数理論理学の成果を積極的に法論理学に取り込む努力をしてほしい。

AIの発達により、理屈はわからないけどAIが言ってるからそう判断する、なんて未来は見たくない。

2019-12-07

法学の楽しさを書くよ!!

楽しさの一つは、論理をこねくり回してるところだよ!

体系立った理論論理トレースしていくのは楽しいよ!

理路が整然とするのは面白いよね!

かつての法学者といったら、当代切っての天才秀才達だよ!

そんな人達が生涯かけて考えた理論だよ!

それを学ぶのがつまらないわけないよ!

しかしたら、それを自分が少しだけ進められるかもしれない、となったら尚更だよ!

続いて、各分野の面白さのイメージを書くよ!

まずは憲法学

70年以上改正のない「不磨の大典」だよ!

それにもかかわらず、いまだに次から次へと新たな議論が生まれるよ!

近年(?)でも、「これまでアメリカ流に解釈されてきた最高裁判例は、実はドイツ流に解釈した方が上手く説明できるのではないか」というコペルニクス的転回めいた説が有力に唱えられていたりするよ!

アメリカ流とドイツ流をミックスさせる説もあったりして、学説カオス面白いよ!

条文にあまり内容がないから、解釈自由度が極めて高いも魅力だよ!

憲法というと一般人には縁遠い存在にも思えるけど、例えば今年の司法試験憲法問題では「フェイクニュース禁止法が制定された場合憲法上の問題点」が問われたりしているよ!

次に民法学

120年ぶりの大改正来年から施行されるというアツい法令だよ!

その条文数は1000以上!

解説本が30巻近くかけて解説したりするよ!

1条1条にそれぞれ生涯をかけて研究をした学者がいると考えると途方もないよ!(注1)

日常的に行われている経済活動が法的に説明できたりするよ!

次は刑法学!

刑法学の面白さは、なんといっても緻密な論理だよ!

いくつかの基礎的な考えからあらゆる論点での解釈を導く様は、さながら数学公理系を思わせるよ!

数学ほどの論理の厳密さはないけど、そこにまた面白さがあるよ!

ピタゴラスイッチ的な犯罪を想定したりもするよ!

ちなみに、トロッコ問題の様々なバリエーションは、正当防衛緊急避難で全て結論が出せるよ!

法哲学

マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」の世界だよ!(注2)

正義とは何か」「法とは何か」といったことを論じるよ!

法学部法科大学院を出ただけで、きちんと研究をしたわけじゃないし、資格試験のために勉強してた側面も強いけど、個人的イメージとしてはこんな感じだよ!

あとは、訴訟法もあるし、法制史学とか、比較法学、法と経済学とかも色々あるよ!

(注1)

実際は、深く研究される条文は偏ってるよ!

一方で、「こんな法律あったんだ?」ってレベルのどマイナー法律にも研究者がいたりして、法学世界の広大さを感じることがあるよ!

(注2)

同書が扱う分野は法哲学以外にも及んでいるよ!

anond:20191201042646

2019-11-04

anond:20191103211705

なぜ件のポスターの是非に関する文脈でこの話が出てきたの。

問題提起が出来て、議論が始まった段階で「社会的構築」が何かとか、ふにゃふにゃだ、とか関係なくない?

順序逆じゃね? 社会構築主義の話が出てきたのって,アンチフェミの人が社会構築主義を攻撃したからじゃん?

しろなんで社会構築主義の話が出てくるのか文系の俺が知りたい.

であれば、社会的構築は論点整理までの話であって、それ自体正当性も不当性も導くものではないと思うのだけど

これはそうなんだよね.それは社会的に構築されたものに過ぎない! で,それの何が悪いの? まったくもってそのとおり.

社会構築主義が出てくるのは,あるものが「本質的であり自然である」と看做されていることに対するカウンターだ.

たとえば,民族民族主義者は民族を「古くから連綿と続く人間集団であるかのように主張する.でも歴史学は,「民族」という概念が発生したのは近代であること,それ以前にはそんな統一されたアイデンティティ存在しなかったこと,「古くから続く」という幻想最近になって作られたものであること,を明らかにしてきた.

もしくは,ジェンダー性別役割分業を支持する人は,男と女は好みからから根本的に違っていて,分業は自然ものだと論じる.それに対してフェミニストは,「女は赤を好む」のような固定観念最近になって生まれたこと,かつては男女のなすべき仕事が異なっていたこと,そういったことを論証してきた.

そういう仕事理論的な根拠社会構築主義なんだよね.人間社会にあるもので「本質的」だったり「自然」だったりするものなどない.どれも社会のなかで形作られそれが「本質的であるかのように見えているだけで,実際には何一つ「自然」ではない.

からまあ,構築されたもの何が悪い? と言われればおしまいなんですよ.

それでおしまいにならないのは,「本質的」という言説が世の中に溢れているから.

同性愛を嫌うのは当然」と主張する人がいる.実際には多様な性愛の有り様のなかで同性どうしの行為悪魔化され抑圧されてきたのはごく最近の話に過ぎないのに.「悠久の日本の歴史を讃えよ」と真顔で言う人がいる.統一された「日本」という観念民族という理念もごく最近まれたに過ぎないのに.「女が家事育児担当するのは自然」とのたまう人がいる.それは様々な家族形態のなかでたまたま現在定着しているモデルに過ぎないのに.

さらにいえば,学者本質的だと仮定して用いている概念もまた構築されたものでありうる.1世紀前の学者は「民族」が実在すると思っていて,世界の様々な「民族」の歴史をたどることが学問なんだと信じていた.でも現在は,その「民族」という概念は構築されたものであるとして,かつての歴史学批判を受ける羽目になっている.構築主義はそうやって世界認識アップデートしていく営みなんだよね.

もちろんこういう言明にも理論的隘路はあって,それはまあとっくにゼロ年代頭に指摘されていることなので詳しくは色々読んでみてほしいのだけれど,最近学者構築主義を前提としてでもそれじゃ何も言ったことにはならないよねとかこの部分おかしいんじゃないのとかじゃあこれをもとに何が言えるかとかそういう議論をしているので,社会構築主義おかしい! とちゃぶ台返しされても,華麗にスルーするしかないじゃん? それが社会構築主義に基づくパラダイム欠点を暴き出し世界認識を一変させるものなら喜んで飛びつくけど,現状そういうちゃんとした議論が出てきてるようには見えないわけで.悪いけど社会構築主義に基づいた方がより厳密な研究ができるしやってて面白いんですわ.

まり社会的構築の話は1ミリ議論を進めない上に、ただ議論を発散させるだけでは

そーなんだよね.はっきり言うとこの件社会構築主義とか微塵も関係ないですよ.普通に自由とか権利とか公共とかの話をすべきところでしょ.そして自由とか権利とか公共とかの話をするなら持ち出すべきは社会構築主義じゃなくて政治哲学とか法哲学とかそういう分野でしょう.

俺はあのポスター公共空間にあっても問題ないと擁護するしバッシングバカバカしいと思うのだが,それと社会構築主義の是非はまるっきり別の話で,なんで社会構築主義が目の敵にされるのかはマジで理解不能

ただ「男がおっぱい好きなのは自然の摂理」とか言い出すと「え? 江戸時代春画おっぱいをすごい雑に扱っていたけど? そもそも何がエロいかという認識あるいは羞恥心自然ものではなく社会的に構築されていて,たとえば日本パンチラが恥ずかしがられるようになったのも20世紀以降の話で,そこから考えると現代日本男性おっぱいに関心を示すのは……」みたいな社会構築主義に基づく反論が飛んでくるから気をつけてな! オタク美少女萌えるのも腐女子BLを愛でるのも同性愛が「禁断」と看做されるのも胸の大きい絵が性的と思われるのも全部社会的に構築されたことだからそこんとこ夜露死苦! あと「公共概念歴史的に帯びているヨーロッパ中心主義的なバイアスに気づかないのは鈍感すぎると思います先生

2019-09-29

俺が考えた最強の教育カリキュラムにわか編)

国語:自国文化を学んでおくという意味でとても重要

算数:ある程度できないと次の段階に移行できないので詰む。

医学史:誤った医学知識が流布されない社会にするために重要だと思われる。削った理科実験のようなものもこっちに複合するような形でカリキュラム作ればいいんじゃね?

法制史:経済史、社会史、世界史などを大まかにフォローしながら進めていく。有権者政治への監視が徹底される社会作りのために必要と思われる。

音楽:協調性を養ったり、セラピー的な意味でも重要であるように思われる。

図工:他者との違いやその尊重の仕方を学ぶこと、自己表現をするという意味必要かなと思った。

体育:楽しく継続できる運動について教えてほしい。観点はどれだけきちんと継続できたか、で良いと思う。

哲学:決まったペースでいろんな分野の専門外たちが来て生物哲学やら、法哲学やらについて語ってくれる。簡易なディスカッションも毎回あるとよい。

こんな感じかな、最後らへん面倒臭かったので適当増田たちはどう思ってるのか聞きたい

2018-10-15

anond:20181015082258

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫法哲学入門」という本がある

2018-10-09

法学論文査読がないという話で覚えておいてほしいこと

以下、司法試験受けるどころかまともに法学単位とれなかった法学徒崩れの一見解です。

査読のある分野とない分野がある

まず、法学にもざっくり2つの分野が存在する。現実社会運用されている実定法研究する「実定法学」と、それ以外の法にまつわる研究をする「基礎法学」だ。

このうち、基礎法学には、少なくとも今「○○ 査読」でググった程度の範囲では、論文誌に査読がある。少なくとも法哲学法制史比較法学法社会学あたりで査読論文誌があるのは確実だ。勿論ないものもあるだろうし、そういうものに関しちゃガンガン批判していくのはありだろう。ただ、少なくとも「全ての法学分野で論文査読がない」というのは明らかに間違い。

実定法学にはおそらく査読がない

こちらはおそらく事実。というか、査読というシステム意味があまりないということは考えられる。これは、実定法学というものイメージがついていないと多分理解しにくい。

あくまで俺認識だが、実定法学においては

  1. 「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」
  2. 「それを基にした個別の条文解釈
  3. 「それらが現実個別事例と出くわした際に発生する『どうあがいても解釈のわかれる問題』」

の三段階くらいレイヤー存在する。ひとつ目は誰だろうと覚えてる当たり前の知識だけど、二つ目になると正解がないので絶対に個々人で異なってくるよね、3つめに至っては言うまでもない、みたいな話はおそらくある。

具体例を挙げよう。刑法には「刑罰は何のために存在するのか」という考えにざっくり2つの異なる立場存在する。「ある個人が、悪とされる『行為』を行ったのでそれを罰しよう」という行為価値論と、「社会的に悪い『結果』をもたらしたからそれを罰しよう」という結果無価値論だ。これは刑法における根本的な思想である。それらはどちらが絶対的に正しいとかではなく「どの分野でどの程度どちらの立場を優先するか」というレイヤーで争いがある。

具体的には、「心が壊れた人間による殺人」と「自分赤ちゃんを殺そうとした人間を殺した母親」などだ。前者は刑法39条規定により無罪となるとしよう。なぜなら、心神喪失状態での行為は「自分の行った行為に対する責任」を問うための刑罰を化しても無意味からだ。その人は自分がおこなったことの意味理解していないから、刑罰を科すことに意味がない。ふざけるな、という意見は多数あるだろう。心情的にそれは俺も理解できる。しかし、それでもなお刑罰を科すとするならば、それは「誰かが人を殺したという『結果』が悪いことである。だから、本人が自分行為理解していなくても、社会としてその結果をもたらした人間を罰しなければならない」という立場をとる、ということにならざるをえない。

では、「自分赤ん坊を殺されようとしている母親が、殺そうとしていた人間を殺した」といった場合、その人間に対してどういう立場をとるべきなのか?「人を殺したという結果は社会にとって変わらないのだから赤ん坊が殺された母親であっても刑罰を科すべき」という立場になり得るのか?

この話は、実のところ論理的には適切な例ではない。結果無価値論と行為価値論は違法性阻却の議論で出てくるものであり、前者は心神喪失による有責性の阻却の話で、後者緊急避難追記ブコメで「正当防衛ではないか」とありましたがそのとおりです。ありがとうございます……)による違法性阻却の話でしか出てこないからだ。もっと言えば刑法民法憲法では基礎になる論理が全く異なる。ここで俺が言いたいのは、実定法における「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」は、法解釈において多くの矛盾を生み出す、ということだ。そこには「正解がない」。どの場面でどのような立場をとるか、それは1か0かで決められる問題ではなく、「ある場面ではAの立場肯定し、別の場面ではBの立場肯定する」、そういった解釈違いが、刑法民法刑法何百何千もの事例において発生する。それらに対して、「ある事例でAの立場をとり、別の事例ではBの立場をとる」という判断の組み合わせに、論理的整合性をどのようにつけるか。それを生み出すのが、ざっくりと法学における「学説」と呼ばれるものになる。繰り返すがこれは刑法の例であり、民法憲法では細かな部分は異なるだろう。だが、どの分野でも「学界の多数説」「学界の少数説」「実務における判例」の3つが異なる立場にある、というものが1つや2つくらいあるのは当たり前だ。それが実定法学の実情だ、と思っていいはずだ。

そんな現実において、あくまで俺の認識に限って言えば、その「矛盾しない解釈論理体系を構築する」というのは研究をやる上では当たり前のことだ。論文出す以前に、研究ができるかどうかという前提の話。何の話をしているかというと、その能力を持っているかどうかを確認するのが「司法試験」であり、司法試験程度(そう、司法試験「程度」)を合格する能力がないと、法学研究なんてできない、というのが現実なのだ。全体的な解釈整合性をとれているのは当然である司法試験合格すらできない人間研究者になれない。「最低限の研究能力」という点で、院なりなんなりに進んでいる時点で最低限の自然淘汰が発生しているのは実定法学研究では当たり前の前提である。したがって「最低限の論理的整合性が取れてるかどうか」という意味での査読そもそもない……というのが、院生の友人知人を持たない俺の、推測レベルでの解釈だ。そもそも論文を出せる環境にいる時点で、能力保証されているからだ。

そして、そこからさらに「構築した論理体系による学説が『受け入れるに値するものか』」って話にまで踏み込むと、そのための「査読」ってなによという話がある。たとえば、心神喪失状態で何十人と殺した人間無罪にすべきという、法学論理的整合性がとれている説を唱える人がでてきた場合、それを査読する意味とは何か。論理的には正しい解釈体系が、何十人もの法学者によって何十個と出来上がっているなかで、誰の立場をとるか。ここまでくると、正直なところ、査読がどうこうという話ではないのだ。はっきり言えば、「その学説社会が受け入れるかどうか」って話なのだ

この辺りを、法学勉強したことがないひと、いや法学勉強したひとですら勘違いしていることがあるけど、法と社会/法と政治というのは、ものすごく漸近している。法学学説が受け入れ良レルかどうか、というのには少なから社会価値観/社会通念が影響しているし、法は決して固定的なものではなく、社会のなかで変動している。法は社会に内在しているし、社会に対して法は影響力を持つ。

そうした実定法学の特徴が生み出すのは、ある一定レベルを越えると「学説が正しいかどうか」が「その学説が多くの人に受け入れられるかどうか」という問題に近づいていく、ということだ。法学部にいればよくあることだったが、どんなすごい教授でも、講義のうち何か1つくらいは、その人独自の(少数派)学説をとっていることはざらにある。だから、そういった場合に「査読があるかどうか」は問題にはならず、「発表した学説が受け入れられるか/無視されるか」という話が、業績や信用性、実力の評価として組み込まれるんじゃねえかな、とは思う。

まあ、それが客観的指標とは言いがたいのが問題だ、というのは絶対ある。だが、その場合はどのようなかたちであれば「客観的指標」による評価法学が下せるのか、というのも問題になるだろう。

このように、「研究ができる/研究論文を出せる」という環境にいるというスクリーニングの上に、「それが社会的に受け入れられるか」が重要視されるという事後的なスクリーニング、その二つがあるからこそ、実定法学に査読文化がない、というのはおおよそ雑な話としては、言えるのではないかと思っている。

で、これを読んで異論があるガチ法学研究者の人、補足というか訂正頼む。ぶっちゃけ法学でまともに単位とってない俺みたいなアホが補足いれないといけない状況にうんざりしてるんだ。真面目に誰か解説してくれ。

2018-07-29

「成人同士の同意がとれてれば法律婚を認めるべき」というロジック

ネット上の法哲学的論考でも何度か見かけたことのあるテーマだ。

LGBT当事者や、それを支援するリベラル系の知識人場合、近親婚とポリアモリー一夫多妻・多夫一妻)婚までは表立って反対できないんだよね。

未成年、獣、植物、車、建築物、絵、自分自身愛などのケースと比較するのも良いが、まずは表題ロジックがどこまで適用されるのか考えると良いと思う。

近親婚でも父-娘とか兄-妹のカップリングになると、たまに虐待がどうとか明後日の方向の懸念を表明する知識人もいる。

なぜLGBTは許されて実の妹との結婚は許されないのか

https://anond.hatelabo.jp/20180714203618


しかしそれは結局成人に達しているなら、普通同性愛異性愛カップルでも起こり得るんだよね。

ついでに言うと、生まれ子ども遺伝病や障害を持ち出して根拠とすることも出来ない。

それはリベラルダイバーシティに真っ向から対立するレイシズム優生思想のものからね。

一夫多妻・多夫一妻婚も当事者間で納得できているなら、排除する論理は乏しいと思う。

偏見に苦しむポリアモリー当事者の声にもっと耳を傾けるべきだ。

複数恋愛」を実践する30代女性の生きづらさ

https://toyokeizai.net/articles/-/230093

の子どもが分からなくなるなんて主張は、二言目にはDNA鑑定を持ち出すミソジニー男そのもの

血縁関係なんてなくても親子関係が成り立つの養子縁組支援同性愛夫婦の子育てで立証されているし、みんなで子どもを育てればいい。

子どもができない体質の男性女性も、パートナーの子どもを自分の子として育てるチャンスが増える。

いきなり同意の面で賛否が出る獣や未成年の話に飛ぶんじゃなくて、まずは成人同士の同意で決着のつく同性婚、近親婚、一夫多妻・多夫一妻婚、その後にもっとダイバーシティに富んだ婚姻形態

だんだん広げていった方が最終的に幸せになれる人が増えるはず。

2018-03-04

anond:20180304211238

君はまず「法を守るのがなぜ正義なのか」という法哲学的な問いに答えなければなりません。

もしその答えが「秩序ある社会を守るため」であるなら、法をクリア運用して政治家逮捕することが必ずしもその理念合致しないことを考えてみるべきです。

しかし、おそらくこれは正義なので、増田の言っていることは正しいです。

ただ、私は軽々しく「正義」なる言葉を使う奴が嫌いだ。

2016-10-15

なんで同性婚必要なのかわからない

結婚を二人組をグループ化して夫婦というロール(役割)を作る制度と考えるなら公的制度としての同性婚なんていらないはず。

夫婦というロールに含まれる各種の権限責任必要な人々の間で分け与えるられる制度があれば制度上は困らないはず。

その方が同性愛者以外の関係性の人々にも利益があって賛成を得られやすいと思うんだけどな。

ということを↓の記事を読んでて思った。

同性婚夫婦別姓を「選択肢が増えただけ」と認めるなら「近親姦/複婚」なども容認し得るか~法哲学者・大屋雄裕氏の考察 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1036940

2015-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20150910041934

なんかブクマこわい

知識が圧倒的に足りないから適当なこと言わんようにして勉強しないとなっつー話ですよ

歴史現社思想史法哲学 何からどうすりゃいいんだろう

こわいけどいろんな意見が見られたので参考になりました

ありがとうございます

2012-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20121005173537

増田の大好きなウィキコピペおいとくよ。

死刑および死刑制度については、人権冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。

近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数[32] であることから菊田幸一など死刑廃止論から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。

また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度ヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギー1996年死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。

欧州議会欧州審議会議員会議2001年6月25日日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本死刑の密行主義と過酷拘禁状態が指摘され、アメリカ死刑適用に対する人種経済差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国行刑制度を非難するものであった。

通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリング1945年5月9日連合国軍逮捕され国民連合指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪死刑1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。

中東アフリカアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化大量虐殺反省により東欧南米が廃止、アジアおよび中東アフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。

2009-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20090330143738

そういや法哲学井上達っちゃんはゼミ微分使ってたな。累進課税の公平性を論じる議論の中で。

あの人いつも自信まんまんで地位も家族もあって何でもできるような顔してるくせに何故あんなに「正義」「公平」に拘るのかわからない。ふつう正義って虐げられてる側の言うことじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20090330143139

科学哲学だけが哲学じゃないからなあ。

法哲学道徳哲学専門家自然数論の理解を求めるのは酷じゃないか? 必要ないだろうし。

彼らの普段の仕事には、おおむね数理論理学以前の論理学で事足りる。

口を出してきたときにだけ突っ込んでおけば十分だと思うけどね。

2008-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20081226120201

法学部じゃないけども。法哲学周りの人ならもっと緻密なこと言うだろうな。

それは「時代の限界」であって、正しいということの意味が変わったと読むべきではないだろうと俺は思う。

もちろん現代には現代の限界があって、未来においてより正しいことを実現するために、今主流の考えでなくても主張していく必要があるんだろう。

過去であることをもって現在に対して過去を免罪してしまう考え方は、現在であることをもって(よりよきものでありうるだろう)未来に対して現在を免罪してしまう考え方に容易に滑り落ちる。

2008-09-03

anond:20080903115850

>罪人は(社会的な)人間ではない。

これは、法哲学上の見解ですか?

それとも、あなたの見解

文化を超えた法ならば国際法というのもありますが、その法の哲学上の根拠となるところは、未だに争点になっていたりする。普遍性ってかなり難しい命題ね。

ルールといっても、条文化された法律だけとは限らないわけで、条文化されていない慣習法というのもありますね。

元増田ルールのもとになる哲学上の規範のことをいいたいのかも?でも、

なにか普遍的な物差しがあると、個人的な都合上良くないひとが圧倒的多数かもしれない。なぜなら誰かに裁断されずに自分の世界引き籠もりたいから。

だから、全ては相対的価値観でかたずけたほうが楽なんだろうね。

古代中国人肉市場の話しがどこぞでちょっと出てたけど、あれはひとの本能ではなくて、危機的状況で生まれたそこの文化だと思うよ。

別にやりたくてやってたわけじゃなかろう。

2008-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20080708194414

なんでもかんでも「人それぞれ」とか言えば済むってもんじゃないと思うけどね。

自由は社会の上に成り立つので、社会の保存は個人の自由に優先すると思うね。

別に法哲学とか知らないけど。

2007-11-14

人の価値観に差がある限り、完璧法律というのは在り得ない。

だから法律というのは単なる「決まり」の域を出ない。とりあえず、適当に、なんとなく決めているだけで、結局のところ思考停止した結果や、その場逃れな側面もあるけど、気にしてはいけない。

法哲学?死ねよ

2007-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20070630055322 見て思った

殺人被害者の近隣住民も「被害者」に含まれるの?

殺人加害者の遺族も「加害者」に含まれるの?

法的な意味で。

社会的な制裁が行われるって辺りは法哲学的にどういう位置づけなんだろう。

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