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はてなキーワード: 法哲学とは

2023-11-14

anond:20231114163110

道徳に対抗して、反道徳カルト教義がある、と思わないと

無知他人を惑わし嵌める犯罪は、すべて刑法上の罪とする法哲学があってもいいぐらいだ

民主主義主権者は、みな平等保護されるべきなのに、主権者のうち反道徳派のほうが法によって優遇されすぎている状態

盗っ人が猛々しく法の支配だとか、しらっじらしいスローガンなど使うべきではないね

2023-10-26

https://archive.md/2pWqw https://archive.md/91yT7 https://archive.md/SJgfV https://archive.md/Z1TkM

連合ボード大学学者向けの法学概論と法哲学教科書とを読めと言わなならんのじゃないですか? 重商主義丸出しで貿易できるかと。

追記

あとは平和構築の術の体系化を目指した本とか

追記追記

レッドパージ」は上院の「赤っ恥」と扱われて収束したんやで?

2023-08-02

anond:20230802192849

自分法学部なんやけど法学者の魅力がわからんかった。

法哲学文脈道徳を考えるとか抽象的な話は面白かったんやが、判例研究とかしょうもないエッジケースと睨めっこしてるのは何が面白いのかわからんかった。

煽りじゃないから気に障ったら堪忍。

2023-07-08

   どたまの悪い警察官のお前にも説明してやる。わたしレックで習った法律の発生史

     A,B,C、Dという4人からなる共同体があるとする。しかし、人間は何をするか分からないものであるから、なんでもいいから、決めておいてそれを警察官強制させると安定する。

  それが法哲学意味である。そんなことがプロヴィデンスに書いてあったな。法学部ではそういうことは教えられなかった。部屋にあるプロヴィデンスに書いている。

    私の時代法学部全然ダメだったので、れっくにいくのは当たり前だったんですよね。れっくではプロヴィデンスっていう本が人気でまあ大体そこに本当のことが書いてあると。

  ちゃん最初の頁に、法律テクニックであるとも書いてあるのですね。ただし個別論点に関しては分かるものもあるし全然からないものもあると。

      授業の先生は、大友直樹先生でしたが今はどこにいるかからない。出席の女子生徒から、顔がねえ、と言われていたのを横で聞いていたな。

    えーまあ色々あると思います

  法律は 正義道徳ではない。  お前は、法律の上には道徳があると言っていたが間違っている。法哲学勉強しろ。 法律目的数学であって、道徳はそこの中で調整される。

    何も分かってないな。

2023-06-25


   わたし東京大学法学部で開講された講義のうちで覚えているのが、法と経済法哲学なのですが、法と経済というのは、法律をどのように決めておくと経済合理性があるのかというような

  話で、法哲学は、日比野勤という先生がやっていたが、同先生が黒板に書いたのは、三角形ピラミッドを書いて、そこの内部の三角形には内容があるけど、一番大きな三角形には中身はない

  というような解説をして独りで、ああーなどと納得していたような老人でしたがそれ以外には何も聞いていない。法と経済では、なんとなく話は聞いたが何も覚えていない。

   法学部での厳しい授業で何も教えてもらった記憶がないのが、立法技術解釈技術で、そういう講義は何もなかったという感想

2023-06-23

   わたしが大体この者がほとんど正しいことを言っているだろうと信じている詩人に、ヨハン=ヴォルフガング=ギェエテがいますが、この詩人が言っている人類人生哲学みたいなものとして

   真理は深いところにあるのでそれを見つけるのは誰でもできるものではないとか、ただ、ゲーテは、数学について、私が一番数学バカにしてるように見えるが、私は数学を一番尊敬している、

   なぜなら数学は私が成し遂げられないことをできているからだと別の本で述べている。それから古代数学者について、やはり幾何学をしない者は論外であると言っているし、ただしそれは

   数学であることを意味しないとかね。ユークリッドの初等幾何学は、公理公準(Axiom)っていうんですかそれから成り立っていてちゃんと一つの分野になっていて大量に問題があるという

   ことで。あとそれ以外にも、人類が到達できる最大のもの驚愕であるとか人生の正解みたいなのを全部言ってるので詩集は読んだ方がいいと思いますが。それとゲーテは、法律学が大嫌い

   なそうですね。シラーもそうですがローマ法大全は悪魔書物であると。その理由として人間に対する猜疑心が強すぎるといっている。ゲーテ法律学に対して詩集ほとんど何も言っていない。

   法律学については、碧海純一という法哲学者が昔東京にいたんですが、2003年に死んでるんですね。それ以外にもラートブルフとか色々いるらしいですが文部科学省の金森越哉が相当前

   に、法律学は法的安定性と具体的妥当性の調整であるというエッセイインターネット掲載していて、それから東大憲法学教授もまあ基本書でそう書いているし、LECプロヴィデンス

   にも、法律ってのは基礎的に幾何学インターセクションと同じでとにかく決めておくことに価値があるといっているしね。2005年発売の法学入門では、法律は専門技術であると書いてあって

   それ以上のことは書いていない。私が民事訴訟法判例を読んでいた時に、最高裁判例で、やたら、このように解しないと法的安定性を害するという文章が出てきて、それだけ実務法律学

    技術性が高いし難しいと思っていてその時は何を言っているのか分からなかった。また憲法に関する最高裁判例でも、別に正義道徳合目的性が法の目的の1つであると判示したもの

    ないわけではない。判例六法CD版とかでも読めると思いますが。

   道徳は確かにくそだせえが、法律は、道徳ではなく、道徳法則化して技術的に構成し、その最高次の趣旨目的は、秩序で、秩序とは何かというと、例えば素数の中に任意の等差数列が

  存在するというような美しい事実のことで、法律場合は、それが制定され、社会予測可能状態になっているということである。私が法学部で習った法哲学では、具体的妥当性、つまり

   正義道徳合目的性などは法律の前には第二次的な目的として調整されると習った。法律学のだいごみは、1つの解決しなければならない命題があり、それに対応する様々なテクニック

   がある。それらは全て美しく、テクニック場合には、テレビゲームで言うところの滅茶苦茶凄いものもある。だから法律学が子供に全く流行余地ないとはいえない

   なお、法律学は、東京大学法学部に選ばれるくらい勉強してきた人でないと扱う価値がないから、 本官には法律を語る価値がない。

2023-02-02

anond:20230201204749

自分身体所有権自分にあるってのは、法哲学の基礎以上、数学で言うとこの定理にあたるなあ。

定理から特に明確な根拠とかないよね。それを凄いというなら確かにいか

2022-08-24

氏名や婚姻公共管理に任せてることが問題ではないか

公共管理必要性があるのはわかる。納税とか福祉とかね

なら、管理のために個人ID番号と親族関係さえ登録しておけばすむ話

どう名乗るか、婚姻関係はどうするかなんてのは個々人が自由にやればいいんだよ

個々人によって同姓でも別姓でもいいし、多夫多妻でも同性婚でもやりゃいーじゃねーか

もちろん相手二次元でもなんでもありだ

ただ、公的には一切関与しないってことだ

寺社教会の了を得るのかもしれんし関係者で同意するだけになるのかもしれんが私的なことだ。勝手にやればいい

近親婚もオッケーだ

子の病気確率高まる、なんてことで個人自由制限されることはおかしいだろ

(ガンになりやす遺伝子持ってたら子供産んじゃいかんのか?)

相手意思表示疑義があるロリショタはまた別の議論があるけどな

個人自由を重視するリベラルな人でこれを主張する人が多くないのは不思議

(どっちかというと保守大屋教授慶応法哲学)なんかはこれに近いね

2022-04-22

anond:20220422210413

これ法哲学専攻の人から「そうとは限りませんよ」ってつっこまれる奴ちゃう

2021-11-18

anond:20211118170838

法哲学人権は「常識」や「コモンセンス」とは全く異なる普遍的価値観ですよ。勘弁してください。

anond:20211118163947

法哲学人権が「人それぞれ」で済むわけないじゃん。何言ってんの。

anond:20211118162241

現行法信仰も大概にしろよとは思うが、自分価値観とやらより先に法哲学人権に従えよという話ではある。

一般論として。

「百人いたら百通りの正義がある!」ってのも、それはそれで「キモオタ」が大好きな世界観よな。

2021-10-06

薬物を使ってみて思ったこ

つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。

「それ」からしばらく経ってからPCチェアうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。

それ以降はいわゆる「金縛り状態を2~3回ほど繰り返した。自分PCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛り最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである幻聴であること自体比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。

その時はたしか「これが金縛りという医学現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。

翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構世界ルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。

目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重バランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手けがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手ロジクール無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池ソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。

飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)

その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。

挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。

しか仕事に就こうと思えばこうした薬物から距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。

こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。

薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコ離脱症状はより些細であるあくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)

例えばアルコールタバコ年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究タイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒー炭酸マッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康青年として税金年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。

政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。

愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである

こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…

続きは気が向いたら書きます

2021-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20210616125503

大学生時代に学前のガストでよく駄弁ってたテーマで、大変懐かしく思った。

増田の考えを解き明かす分野としては法哲学に入るのだが、結論

まぁ法律宗教なので「日本人お気持ち」で全て決まるってことでいいんだけど。

と、ややトーンダウンした感じで締めくくってる事。そして関連エントリ

自然科学的な根拠

社会科学的な根拠

どっちの話だ

https://anond.hatelabo.jp/20210616162123

 

社会科学って「社会科」学であって、社会-科学ではないよね?

科学自然科学)と社会科学並べるのかなり違和感あるよ。片方は検証再現不可能占星術的なものでしょ

https://anond.hatelabo.jp/20210616165329

というコメントがある事から社会科学視点について議論が浅い部分が見受けられたので、そこについて補足しておきたい。

(なお引用した『社会科学検証再現不可能占星術的なもの』という理解は何から何まで間違ってる。社会科学とは社会の “関係性" の部分に焦点を当てた学問なので、法律学を社会科学視点分析するのは正しいし、数多の論文はもちろん研究講義普通にある)……閑話休題

 

 

さて。

Q. 科学根拠のない法律存在することは許容できる?

という元テーマに回答すると

A. そもそも法律科学根拠だけで作られてるものではない

という回答になる。身も蓋もなくて申し訳ないというか、「そりゃそうだろ」と言われそうだが。

 

社会の便益と個人利益。それらが相反するとき妥協点を定めるのが、法とコミュニティである

という言葉がありまして。個々人が好き勝手にやった結果、社会に損をもたらしてやばい → だから法で規制/ルール化しよう。ってのが、多くの法が作られる基本的な流れと思って良い。すなわちそもそも法が作られる理由/初動の多くが「誰かが好き勝手やったせいで、他の誰かの利益/権利をおびやかしている」である。大抵の場合において、科学問題提起から発祥したものではない。

もちろん「この方法患者不利益になるから規制すべき」(医事法令)や「この方法施工主が行うと顧客安全性を損なうから規制すべき」(建築法規)などもあるが、これらの科学根拠誰かの利益/権利をおびやかしているから、それらを保護/フェアネスにすべき という原則が先であり、科学根拠はその理由付けに過ぎない。

 

よく語られる話ではあるが「大麻規制されてるが、酒は規制されていない。科学根拠に照らしたときに、矛盾があるではないか。両方似たものから、両方規制するか両方解禁すべきだ。」という人がいる。この指摘は科学的な視点から合理的かもしれない。

だが、これは時の権力者が「大麻/酒を規制したとき社会の便益と個人利益、どれを重視し、着地点を定めるか」と議論をしたり、賄賂だったりコネだったり、時代の情勢やら経済施策だったり、決めた権力者の気分だったり、そんな事情あん情事でアアダコウダして、その結果……今の大麻禁止・酒OKなのであろう。

科学二の次である。残念ながら。

 

 

最後ひとつ与太話をしよう。

ひとたび法が作られてしまうと、その後は妄信的に信じる輩が出てくる。コア・コンピタンス経営という本に「猿とシャワー」という寓話がある。有名な話だが、要約するとこうだ

檻の中に、4匹の猿がいた。部屋の中央にはバナナが吊されてある。

当然、猿はバナナを捕ろうと飛びつく。すると天上から冷たいシャワーが降ってくる。猿はバナナを諦めてしまう。

4匹の猿を1匹を入れ替える。新入り猿はもちろんバナナに飛びつこう……とするが、古参猿3匹に「やめておけ」と止められバナナには触れなかった。

猿の交換を繰り返し繰り返し、ついには誰もバナナに見向きもしなくなった。

だがしかしバナナに飛びついてはならぬ」だけが呪いのように猿を支配し、バナナに飛びつかない理由自体は誰も覚えていない。

とっくにシャワーが噴き出す仕組みも、なくなっていたというのに……。

時代が変化しているのに、過去妄信的に信じる猿に、僕らはなっているのではないか

しがらみに囚われなければ、より良い利益(バナナ)を手に入れられるのではないか。この視点/議論は常に必要だと思う。

 

科学とは、多くの場合において、根拠再現性ある形で、世の中を照らす。

古くに権力者によって作られた法は、本当は科学根拠に欠けているのではないか。新しい科学的な発見を取り入れ、検証され、アップデートされてしかるべきではないか

理想論をいうなら、私もそうであってほしい。しか過去の法/ルールに縛られ、大抵の場合は喧喧諤諤の議論となってTwitterつぶやき藻屑と消えゆく。私の見る

Twitter見てたら思ったより科学的な正しさと法律矛盾を指摘する人が多かったので気になった。

科学的根拠のない法律が存在することは許容できる?(追記あり)

も多くがそんな話をループしているように感じてしまう。増田のような科学的知見から疑問を呈する者が、確固たる根拠を述べ、社会にとっての新たな利益アピールし、歪んだ法を叩き直してほしい。そう願う。

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