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はてなキーワード: 法哲学とは

2024-04-20

anond:20240420004345

そんなん文系の中でも法学法哲学だけやで

なんちゃら人類学とかなんちゃら心理学かになるとその実験結果からその結論にはならんやろっていう論理を超展開してるような論文普通に出回ってる世界

2024-04-12

ルールの決め方に興味あるなら法哲学を学ぼう!

食べ放題ルールはどうあるべきか?ってところから功利主義を起点としてリベラリズム批判検討とかで議論できるなら法哲学教科書読んでみるときっと楽しいよ!!

今のおすすめは問いかける法哲学https://www.amazon.co.jp/dp/4589037882)が大学教科書相当の内容ながらポップな切り口で読めておすすめ

「どうして自分の臓器を売ってはいけないの?」みたいな素朴な疑問の底にある法的な価値観や「児童手当は独身者差別では?」といったもうブコメ大荒れ確定みたいな話題まで事欠かないよ! ちなみに今度新刊が出るよ!

法哲学」ってジャンルが、いわゆる政治的思想に基づくルールの決め方や、「法律」っていうのがどういうもので、どうあるべきなのか、といったことについての議論をしているから、一見とっつきにくいように見えて皆が普段話しているようなことにとても近くて、きっと世の中で一番身近な哲学なんじゃないかなって思ってるよ!

みんなもぜひ手にとってみてね! 法哲学議論されてきたいろいろな概念を学ぶと、ブコメするときにもきっと良い足がかりになると思うよ!

あるいは学生未満の議論にならない「素朴な」意見グダグダ喋りあってるのを見るのが辛いから基礎くらいは学んでから話をしていてほしい。

2024-04-04

岡口基一氏の弾劾裁判(3)

この問題で張り切っているひとに慶応大学大屋教授がいる。この方は法哲学先生と思っていたのだが実定法の人だったのだろうか?

それにしてもこのひとの投稿を読んでいると、横領ことなどはちょっと的外れな気がする。

フォロワーがいることは”地位”なのか。例えばフォロワーがいないひとがいったとしてもそれは天に向かっての独り言、4万人のフォロワーがいれば、4万人に向かってしゃべることになる、ということを考えろということですね。

しかし実際はこの方が横領について”地位”と書いているが、それはそのとりで、一般社員横領できる金額役員取締役などに上がっていくに従い、横領できる”額”は増える。

また、横領手段もいろいろと使える、というのはありそうだ。

それとSNSは同じなのか、違うのか。

また、この問題は本当に背景なしなのか、それとも政府にたてついているのは悪いんですか

2024-03-16

院生から見てここでの憲法議論に思うこと

ここで見る憲法議論って大事視点結構含んでると思う。

憲法解釈憲法制定者意思に求めるのか、有権者に求めるのかとか

個別条文の文言解釈はどのようになされるべきなのかとか

あとは解釈による改憲の可否なんかも

これって院レベルで学ぶ事だし、ちゃんと書けたら学位もらえると思う

だけど、視点大事ってだけで内容に関してはめちゃくちゃだしあんまり参考にならない

これって憲法日本語でみんな読めるからなんだろうな

でも原文読んで理解できるなら憲法学者(政治哲学か、日本なら法哲学も入るか)は何やってんだよってことになる

やっぱり話し合うにも前どう考えられてきたかとか前提的な知識必要だと思う

水遊びは泳ぐのに関連するだろうけど、それだけだと泳げない

これは素人議論するなってことではないんだ

憲法なんて国民全員が関与して議論されるべきことなんだから(主権論は別として)

ただ議論をよくするためにどう考えられて来たかを学ぶのがいいと思う

樋口長谷部木村とか色々わかりやす初心者向けのいい本がいっぱいあるし

これで良くなったらいいね

俺の価値が下がるかもしれんけど、話できるようになるのは楽しい

2024-03-11

   法的安定性は法律の条文があることによってもたらされる社会的安定で、具体的妥当性は状態であって、裁判で最終的に調整しなければいけないことになっているが、法哲学

   によると

       法律では、ものがあることが第一次の目的で、状態二の次であるという。数学では一般に、最終的な状態ものを使って構成することに比較すると、法学では違うように思う。

    自社さ政権と言うのは、  自社に加えて、新党さきがけというものがあり、平成の初めごろに言われていたものである

2024-01-16

anond:20240116003349

法哲学議論を参照して「愛らしいから」=「他とは区別される特定属性を持っているか寄付する」という考えが正義にもとることは肯定しつつ,寄付するべきではないという考えを批判してみる.

まず,正義は「等しきものを等しく扱う」ことが本質だとしばしば定義される.

かわいそうなポメラニアンと,かわいそうな黒い大型犬はどちらも「かわいそうな犬」という属性で等しく,両者に対して異なる扱いをすることは正義にもとる行為にあたる.

他方,慈悲,あるいは愛は,「等しきものを等しく扱わない」.

個体属性ではなく,今まさに存在する「この個体」を救うことに関心があるからだ.

「かわいそうな犬」だからではなく,「この」かわいそうなポメラニアンからこそ人は憐憫を垂れる.

法哲学者の井上達夫言葉を借りれば,「愛の本質である個体性への関心と配慮正義普遍主義要請対立する」(井上達夫. (1986). 共生作法: 会話としての正義. 創文社. 117.).←たしか近年新版がでている.

では我々は,正義にもとるということを理由に,特定属性を持つ人々のために自発的に寄附を行うべきではないのだろうか.

何が「等しい」のかを民主的手続きに基づいて決定し,一応の正義を認めることができる主体である民主主義国家による再分配に我々の持つ金銭というリソースは委ねられるべきなのだろうか.

そうではない.

なぜならば,民主主義国家によって達成される正義手続的正義にすぎないかである

「正しい手続きを踏んだから,かわいそうなポメラニアンを救済することにし,黒い大型犬放置することにした」.

これは本当に正義だろうか.

何が正義なのか,何が「等しい」のか,やはりその実体に踏み込んで考える必要がある.

この実質的正義と寄附を考える上で注目すべきが,この十年で存在感を増している「効果利他主義である

昨今のオープンAIアルトマン解任騒動で目にしたことがある諸兄もいるかもしれない.

効果利他主義とは,簡単に言ってしまえば「社会全体にとって最も費用対効果の高い良いことをすべき」という考え方である

ここでの費用には,金銭だけではなく,自分時間労働も入る.

かわいそうだから,というある種偶然に基づいて他者のためのリソース投下をするのではなく,コスパという等しい基準を置いてあらゆる利他的活動比較評価し,最もコスパが良いもの投資する.

これが公平であり,正義なのである

この比較には,「リソース投下に対する社会インパクト定量化できる」のが大前提になっている.

社会科学素養がある人間ならばすぐに気がつくように,あらゆるものを同じ基準定量化することは不可能である

例えば,生命という多くの人が合意するであろう基準に関しても,単に生きていれば良いのか,健康寿命なのか,QOLによって測り方が変わる.

定量化の前提は,効果利他主義限界の一つとして指摘できるだろう.


効果利他主義において,個体性への関心はどのように扱われているだろうか.

便益を最大化することにこだわることは,特定目標との個人的な結びつきを否定することになる.例えば,「家族ががんでなくなったからがんの撲滅に情熱を注ぐ」という行動は否定されるべきなのかという批判に対しては,次のように反論している.

たまたま理由だけで一部の人々のニーズを優先していることになり,もっと効果的に手を差し伸べられる人々に対して不公平である,と.(ウィリアム, M.. (千葉敏生訳). (2018). 「効果的な利他主義宣言! : 慈善活動への科学アプローチ. みすず書房. 42-43.)

そろそろ疲れてきてしまったのでまとめよう.

特定属性を持つという偶然を理由として寄附をすることは正義にもとる一方で,民主主義国家を通した再配分には手続き正義に留まるという限界がある.

実質的正義を追求するには,効果利他主義のような一定基準を持った上で,最終的には自分なりの正義を追求して寄附を行うべきなんじゃないだろうか.

なお,筆者自身効果利他主義者ではなく,単におもしろい考えの一つとして注目しているに過ぎないという点を申し添えておく.

2023-11-14

anond:20231114163110

道徳に対抗して、反道徳カルト教義がある、と思わないと

無知他人を惑わし嵌める犯罪は、すべて刑法上の罪とする法哲学があってもいいぐらいだ

民主主義主権者は、みな平等保護されるべきなのに、主権者のうち反道徳派のほうが法によって優遇されすぎている状態

盗っ人が猛々しく法の支配だとか、しらっじらしいスローガンなど使うべきではないね

2023-10-26

https://archive.md/2pWqw https://archive.md/91yT7 https://archive.md/SJgfV https://archive.md/Z1TkM

連合ボード大学学者向けの法学概論と法哲学教科書とを読めと言わなならんのじゃないですか? 重商主義丸出しで貿易できるかと。

追記

あとは平和構築の術の体系化を目指した本とか

追記追記

レッドパージ」は上院の「赤っ恥」と扱われて収束したんやで?

2023-08-02

anond:20230802192849

自分法学部なんやけど法学者の魅力がわからんかった。

法哲学文脈道徳を考えるとか抽象的な話は面白かったんやが、判例研究とかしょうもないエッジケースと睨めっこしてるのは何が面白いのかわからんかった。

煽りじゃないから気に障ったら堪忍。

2023-02-02

anond:20230201204749

自分身体所有権自分にあるってのは、法哲学の基礎以上、数学で言うとこの定理にあたるなあ。

定理から特に明確な根拠とかないよね。それを凄いというなら確かにいか

2022-08-24

氏名や婚姻公共管理に任せてることが問題ではないか

公共管理必要性があるのはわかる。納税とか福祉とかね

なら、管理のために個人ID番号と親族関係さえ登録しておけばすむ話

どう名乗るか、婚姻関係はどうするかなんてのは個々人が自由にやればいいんだよ

個々人によって同姓でも別姓でもいいし、多夫多妻でも同性婚でもやりゃいーじゃねーか

もちろん相手二次元でもなんでもありだ

ただ、公的には一切関与しないってことだ

寺社教会の了を得るのかもしれんし関係者で同意するだけになるのかもしれんが私的なことだ。勝手にやればいい

近親婚もオッケーだ

子の病気確率高まる、なんてことで個人自由制限されることはおかしいだろ

(ガンになりやす遺伝子持ってたら子供産んじゃいかんのか?)

相手意思表示疑義があるロリショタはまた別の議論があるけどな

個人自由を重視するリベラルな人でこれを主張する人が多くないのは不思議

(どっちかというと保守大屋教授慶応法哲学)なんかはこれに近いね

2022-04-22

anond:20220422210413

これ法哲学専攻の人から「そうとは限りませんよ」ってつっこまれる奴ちゃう

2021-11-18

anond:20211118170838

法哲学人権は「常識」や「コモンセンス」とは全く異なる普遍的価値観ですよ。勘弁してください。

anond:20211118163947

法哲学人権が「人それぞれ」で済むわけないじゃん。何言ってんの。

anond:20211118162241

現行法信仰も大概にしろよとは思うが、自分価値観とやらより先に法哲学人権に従えよという話ではある。

一般論として。

「百人いたら百通りの正義がある!」ってのも、それはそれで「キモオタ」が大好きな世界観よな。

2021-10-06

薬物を使ってみて思ったこ

つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。

「それ」からしばらく経ってからPCチェアうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。

それ以降はいわゆる「金縛り状態を2~3回ほど繰り返した。自分PCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛り最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである幻聴であること自体比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。

その時はたしか「これが金縛りという医学現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。

翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構世界ルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。

目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重バランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手けがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手ロジクール無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池ソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。

飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)

その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。

挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。

しか仕事に就こうと思えばこうした薬物から距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。

こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。

薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコ離脱症状はより些細であるあくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)

例えばアルコールタバコ年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究タイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒー炭酸マッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康青年として税金年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。

政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。

愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである

こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…

続きは気が向いたら書きます

2021-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20210616125503

大学生時代に学前のガストでよく駄弁ってたテーマで、大変懐かしく思った。

増田の考えを解き明かす分野としては法哲学に入るのだが、結論

まぁ法律宗教なので「日本人お気持ち」で全て決まるってことでいいんだけど。

と、ややトーンダウンした感じで締めくくってる事。そして関連エントリ

自然科学的な根拠

社会科学的な根拠

どっちの話だ

https://anond.hatelabo.jp/20210616162123

 

社会科学って「社会科」学であって、社会-科学ではないよね?

科学自然科学)と社会科学並べるのかなり違和感あるよ。片方は検証再現不可能占星術的なものでしょ

https://anond.hatelabo.jp/20210616165329

というコメントがある事から社会科学視点について議論が浅い部分が見受けられたので、そこについて補足しておきたい。

(なお引用した『社会科学検証再現不可能占星術的なもの』という理解は何から何まで間違ってる。社会科学とは社会の “関係性" の部分に焦点を当てた学問なので、法律学を社会科学視点分析するのは正しいし、数多の論文はもちろん研究講義普通にある)……閑話休題

 

 

さて。

Q. 科学根拠のない法律存在することは許容できる?

という元テーマに回答すると

A. そもそも法律科学根拠だけで作られてるものではない

という回答になる。身も蓋もなくて申し訳ないというか、「そりゃそうだろ」と言われそうだが。

 

社会の便益と個人利益。それらが相反するとき妥協点を定めるのが、法とコミュニティである

という言葉がありまして。個々人が好き勝手にやった結果、社会に損をもたらしてやばい → だから法で規制/ルール化しよう。ってのが、多くの法が作られる基本的な流れと思って良い。すなわちそもそも法が作られる理由/初動の多くが「誰かが好き勝手やったせいで、他の誰かの利益/権利をおびやかしている」である。大抵の場合において、科学問題提起から発祥したものではない。

もちろん「この方法患者不利益になるから規制すべき」(医事法令)や「この方法施工主が行うと顧客安全性を損なうから規制すべき」(建築法規)などもあるが、これらの科学根拠誰かの利益/権利をおびやかしているから、それらを保護/フェアネスにすべき という原則が先であり、科学根拠はその理由付けに過ぎない。

 

よく語られる話ではあるが「大麻規制されてるが、酒は規制されていない。科学根拠に照らしたときに、矛盾があるではないか。両方似たものから、両方規制するか両方解禁すべきだ。」という人がいる。この指摘は科学的な視点から合理的かもしれない。

だが、これは時の権力者が「大麻/酒を規制したとき社会の便益と個人利益、どれを重視し、着地点を定めるか」と議論をしたり、賄賂だったりコネだったり、時代の情勢やら経済施策だったり、決めた権力者の気分だったり、そんな事情あん情事でアアダコウダして、その結果……今の大麻禁止・酒OKなのであろう。

科学二の次である。残念ながら。

 

 

最後ひとつ与太話をしよう。

ひとたび法が作られてしまうと、その後は妄信的に信じる輩が出てくる。コア・コンピタンス経営という本に「猿とシャワー」という寓話がある。有名な話だが、要約するとこうだ

檻の中に、4匹の猿がいた。部屋の中央にはバナナが吊されてある。

当然、猿はバナナを捕ろうと飛びつく。すると天上から冷たいシャワーが降ってくる。猿はバナナを諦めてしまう。

4匹の猿を1匹を入れ替える。新入り猿はもちろんバナナに飛びつこう……とするが、古参猿3匹に「やめておけ」と止められバナナには触れなかった。

猿の交換を繰り返し繰り返し、ついには誰もバナナに見向きもしなくなった。

だがしかしバナナに飛びついてはならぬ」だけが呪いのように猿を支配し、バナナに飛びつかない理由自体は誰も覚えていない。

とっくにシャワーが噴き出す仕組みも、なくなっていたというのに……。

時代が変化しているのに、過去妄信的に信じる猿に、僕らはなっているのではないか

しがらみに囚われなければ、より良い利益(バナナ)を手に入れられるのではないか。この視点/議論は常に必要だと思う。

 

科学とは、多くの場合において、根拠再現性ある形で、世の中を照らす。

古くに権力者によって作られた法は、本当は科学根拠に欠けているのではないか。新しい科学的な発見を取り入れ、検証され、アップデートされてしかるべきではないか

理想論をいうなら、私もそうであってほしい。しか過去の法/ルールに縛られ、大抵の場合は喧喧諤諤の議論となってTwitterつぶやき藻屑と消えゆく。私の見る

Twitter見てたら思ったより科学的な正しさと法律矛盾を指摘する人が多かったので気になった。

科学的根拠のない法律が存在することは許容できる?(追記あり)

も多くがそんな話をループしているように感じてしまう。増田のような科学的知見から疑問を呈する者が、確固たる根拠を述べ、社会にとっての新たな利益アピールし、歪んだ法を叩き直してほしい。そう願う。

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