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はてなキーワード: 法哲学とは

2019-09-29

俺が考えた最強の教育カリキュラムにわか編)

国語:自国文化を学んでおくという意味でとても重要

算数:ある程度できないと次の段階に移行できないので詰む。

医学史:誤った医学知識が流布されない社会にするために重要だと思われる。削った理科実験のようなものもこっちに複合するような形でカリキュラム作ればいいんじゃね?

法制史:経済史、社会史、世界史などを大まかにフォローしながら進めていく。有権者政治への監視が徹底される社会作りのために必要と思われる。

音楽:協調性を養ったり、セラピー的な意味でも重要であるように思われる。

図工:他者との違いやその尊重の仕方を学ぶこと、自己表現をするという意味必要かなと思った。

体育:楽しく継続できる運動について教えてほしい。観点はどれだけきちんと継続できたか、で良いと思う。

哲学:決まったペースでいろんな分野の専門外たちが来て生物哲学やら、法哲学やらについて語ってくれる。簡易なディスカッションも毎回あるとよい。

こんな感じかな、最後らへん面倒臭かったので適当増田たちはどう思ってるのか聞きたい

2018-10-15

anond:20181015082258

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫法哲学入門」という本がある

2018-10-09

法学論文査読がないという話で覚えておいてほしいこと

以下、司法試験受けるどころかまともに法学単位とれなかった法学徒崩れの一見解です。

査読のある分野とない分野がある

まず、法学にもざっくり2つの分野が存在する。現実社会運用されている実定法研究する「実定法学」と、それ以外の法にまつわる研究をする「基礎法学」だ。

このうち、基礎法学には、少なくとも今「○○ 査読」でググった程度の範囲では、論文誌に査読がある。少なくとも法哲学法制史比較法学法社会学あたりで査読論文誌があるのは確実だ。勿論ないものもあるだろうし、そういうものに関しちゃガンガン批判していくのはありだろう。ただ、少なくとも「全ての法学分野で論文査読がない」というのは明らかに間違い。

実定法学にはおそらく査読がない

こちらはおそらく事実。というか、査読というシステム意味があまりないということは考えられる。これは、実定法学というものイメージがついていないと多分理解しにくい。

あくまで俺認識だが、実定法学においては

  1. 「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」
  2. 「それを基にした個別の条文解釈
  3. 「それらが現実個別事例と出くわした際に発生する『どうあがいても解釈のわかれる問題』」

の三段階くらいレイヤー存在する。ひとつ目は誰だろうと覚えてる当たり前の知識だけど、二つ目になると正解がないので絶対に個々人で異なってくるよね、3つめに至っては言うまでもない、みたいな話はおそらくある。

具体例を挙げよう。刑法には「刑罰は何のために存在するのか」という考えにざっくり2つの異なる立場存在する。「ある個人が、悪とされる『行為』を行ったのでそれを罰しよう」という行為価値論と、「社会的に悪い『結果』をもたらしたからそれを罰しよう」という結果無価値論だ。これは刑法における根本的な思想である。それらはどちらが絶対的に正しいとかではなく「どの分野でどの程度どちらの立場を優先するか」というレイヤーで争いがある。

具体的には、「心が壊れた人間による殺人」と「自分赤ちゃんを殺そうとした人間を殺した母親」などだ。前者は刑法39条規定により無罪となるとしよう。なぜなら、心神喪失状態での行為は「自分の行った行為に対する責任」を問うための刑罰を化しても無意味からだ。その人は自分がおこなったことの意味理解していないから、刑罰を科すことに意味がない。ふざけるな、という意見は多数あるだろう。心情的にそれは俺も理解できる。しかし、それでもなお刑罰を科すとするならば、それは「誰かが人を殺したという『結果』が悪いことである。だから、本人が自分行為理解していなくても、社会としてその結果をもたらした人間を罰しなければならない」という立場をとる、ということにならざるをえない。

では、「自分赤ん坊を殺されようとしている母親が、殺そうとしていた人間を殺した」といった場合、その人間に対してどういう立場をとるべきなのか?「人を殺したという結果は社会にとって変わらないのだから赤ん坊が殺された母親であっても刑罰を科すべき」という立場になり得るのか?

この話は、実のところ論理的には適切な例ではない。結果無価値論と行為価値論は違法性阻却の議論で出てくるものであり、前者は心神喪失による有責性の阻却の話で、後者緊急避難追記ブコメで「正当防衛ではないか」とありましたがそのとおりです。ありがとうございます……)による違法性阻却の話でしか出てこないからだ。もっと言えば刑法民法憲法では基礎になる論理が全く異なる。ここで俺が言いたいのは、実定法における「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」は、法解釈において多くの矛盾を生み出す、ということだ。そこには「正解がない」。どの場面でどのような立場をとるか、それは1か0かで決められる問題ではなく、「ある場面ではAの立場肯定し、別の場面ではBの立場肯定する」、そういった解釈違いが、刑法民法刑法何百何千もの事例において発生する。それらに対して、「ある事例でAの立場をとり、別の事例ではBの立場をとる」という判断の組み合わせに、論理的整合性をどのようにつけるか。それを生み出すのが、ざっくりと法学における「学説」と呼ばれるものになる。繰り返すがこれは刑法の例であり、民法憲法では細かな部分は異なるだろう。だが、どの分野でも「学界の多数説」「学界の少数説」「実務における判例」の3つが異なる立場にある、というものが1つや2つくらいあるのは当たり前だ。それが実定法学の実情だ、と思っていいはずだ。

そんな現実において、あくまで俺の認識に限って言えば、その「矛盾しない解釈論理体系を構築する」というのは研究をやる上では当たり前のことだ。論文出す以前に、研究ができるかどうかという前提の話。何の話をしているかというと、その能力を持っているかどうかを確認するのが「司法試験」であり、司法試験程度(そう、司法試験「程度」)を合格する能力がないと、法学研究なんてできない、というのが現実なのだ。全体的な解釈整合性をとれているのは当然である司法試験合格すらできない人間研究者になれない。「最低限の研究能力」という点で、院なりなんなりに進んでいる時点で最低限の自然淘汰が発生しているのは実定法学研究では当たり前の前提である。したがって「最低限の論理的整合性が取れてるかどうか」という意味での査読そもそもない……というのが、院生の友人知人を持たない俺の、推測レベルでの解釈だ。そもそも論文を出せる環境にいる時点で、能力保証されているからだ。

そして、そこからさらに「構築した論理体系による学説が『受け入れるに値するものか』」って話にまで踏み込むと、そのための「査読」ってなによという話がある。たとえば、心神喪失状態で何十人と殺した人間無罪にすべきという、法学論理的整合性がとれている説を唱える人がでてきた場合、それを査読する意味とは何か。論理的には正しい解釈体系が、何十人もの法学者によって何十個と出来上がっているなかで、誰の立場をとるか。ここまでくると、正直なところ、査読がどうこうという話ではないのだ。はっきり言えば、「その学説社会が受け入れるかどうか」って話なのだ

この辺りを、法学勉強したことがないひと、いや法学勉強したひとですら勘違いしていることがあるけど、法と社会/法と政治というのは、ものすごく漸近している。法学学説が受け入れ良レルかどうか、というのには少なから社会価値観/社会通念が影響しているし、法は決して固定的なものではなく、社会のなかで変動している。法は社会に内在しているし、社会に対して法は影響力を持つ。

そうした実定法学の特徴が生み出すのは、ある一定レベルを越えると「学説が正しいかどうか」が「その学説が多くの人に受け入れられるかどうか」という問題に近づいていく、ということだ。法学部にいればよくあることだったが、どんなすごい教授でも、講義のうち何か1つくらいは、その人独自の(少数派)学説をとっていることはざらにある。だから、そういった場合に「査読があるかどうか」は問題にはならず、「発表した学説が受け入れられるか/無視されるか」という話が、業績や信用性、実力の評価として組み込まれるんじゃねえかな、とは思う。

まあ、それが客観的指標とは言いがたいのが問題だ、というのは絶対ある。だが、その場合はどのようなかたちであれば「客観的指標」による評価法学が下せるのか、というのも問題になるだろう。

このように、「研究ができる/研究論文を出せる」という環境にいるというスクリーニングの上に、「それが社会的に受け入れられるか」が重要視されるという事後的なスクリーニング、その二つがあるからこそ、実定法学に査読文化がない、というのはおおよそ雑な話としては、言えるのではないかと思っている。

で、これを読んで異論があるガチ法学研究者の人、補足というか訂正頼む。ぶっちゃけ法学でまともに単位とってない俺みたいなアホが補足いれないといけない状況にうんざりしてるんだ。真面目に誰か解説してくれ。

2018-07-29

「成人同士の同意がとれてれば法律婚を認めるべき」というロジック

ネット上の法哲学的論考でも何度か見かけたことのあるテーマだ。

LGBT当事者や、それを支援するリベラル系の知識人場合、近親婚とポリアモリー一夫多妻・多夫一妻)婚までは表立って反対できないんだよね。

未成年、獣、植物、車、建築物、絵、自分自身愛などのケースと比較するのも良いが、まずは表題ロジックがどこまで適用されるのか考えると良いと思う。

近親婚でも父-娘とか兄-妹のカップリングになると、たまに虐待がどうとか明後日の方向の懸念を表明する知識人もいる。

なぜLGBTは許されて実の妹との結婚は許されないのか

https://anond.hatelabo.jp/20180714203618


しかしそれは結局成人に達しているなら、普通同性愛異性愛カップルでも起こり得るんだよね。

ついでに言うと、生まれ子ども遺伝病や障害を持ち出して根拠とすることも出来ない。

それはリベラルダイバーシティに真っ向から対立するレイシズム優生思想のものからね。

一夫多妻・多夫一妻婚も当事者間で納得できているなら、排除する論理は乏しいと思う。

偏見に苦しむポリアモリー当事者の声にもっと耳を傾けるべきだ。

複数恋愛」を実践する30代女性の生きづらさ

https://toyokeizai.net/articles/-/230093

の子どもが分からなくなるなんて主張は、二言目にはDNA鑑定を持ち出すミソジニー男そのもの

血縁関係なんてなくても親子関係が成り立つの養子縁組支援同性愛夫婦の子育てで立証されているし、みんなで子どもを育てればいい。

子どもができない体質の男性女性も、パートナーの子どもを自分の子として育てるチャンスが増える。

いきなり同意の面で賛否が出る獣や未成年の話に飛ぶんじゃなくて、まずは成人同士の同意で決着のつく同性婚、近親婚、一夫多妻・多夫一妻婚、その後にもっとダイバーシティに富んだ婚姻形態

だんだん広げていった方が最終的に幸せになれる人が増えるはず。

2018-03-04

anond:20180304211238

君はまず「法を守るのがなぜ正義なのか」という法哲学的な問いに答えなければなりません。

もしその答えが「秩序ある社会を守るため」であるなら、法をクリア運用して政治家逮捕することが必ずしもその理念合致しないことを考えてみるべきです。

しかし、おそらくこれは正義なので、増田の言っていることは正しいです。

ただ、私は軽々しく「正義」なる言葉を使う奴が嫌いだ。

2016-10-15

なんで同性婚必要なのかわからない

結婚を二人組をグループ化して夫婦というロール(役割)を作る制度と考えるなら公的制度としての同性婚なんていらないはず。

夫婦というロールに含まれる各種の権限責任必要な人々の間で分け与えるられる制度があれば制度上は困らないはず。

その方が同性愛者以外の関係性の人々にも利益があって賛成を得られやすいと思うんだけどな。

ということを↓の記事を読んでて思った。

同性婚夫婦別姓を「選択肢が増えただけ」と認めるなら「近親姦/複婚」なども容認し得るか~法哲学者・大屋雄裕氏の考察 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1036940

2015-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20150910041934

なんかブクマこわい

知識が圧倒的に足りないから適当なこと言わんようにして勉強しないとなっつー話ですよ

歴史現社思想史法哲学 何からどうすりゃいいんだろう

こわいけどいろんな意見が見られたので参考になりました

ありがとうございます

2012-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20121005173537

増田の大好きなウィキコピペおいとくよ。

死刑および死刑制度については、人権冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。

近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数[32] であることから菊田幸一など死刑廃止論から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。

また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度ヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギー1996年死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。

欧州議会欧州審議会議員会議2001年6月25日日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本死刑の密行主義と過酷拘禁状態が指摘され、アメリカ死刑適用に対する人種経済差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国行刑制度を非難するものであった。

通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリング1945年5月9日連合国軍逮捕され国民連合指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪死刑1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。

中東アフリカアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化大量虐殺反省により東欧南米が廃止、アジアおよび中東アフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。

2009-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20090330143738

そういや法哲学井上達っちゃんはゼミ微分使ってたな。累進課税の公平性を論じる議論の中で。

あの人いつも自信まんまんで地位も家族もあって何でもできるような顔してるくせに何故あんなに「正義」「公平」に拘るのかわからない。ふつう正義って虐げられてる側の言うことじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20090330143139

科学哲学だけが哲学じゃないからなあ。

法哲学道徳哲学専門家自然数論の理解を求めるのは酷じゃないか? 必要ないだろうし。

彼らの普段の仕事には、おおむね数理論理学以前の論理学で事足りる。

口を出してきたときにだけ突っ込んでおけば十分だと思うけどね。

2008-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20081226120201

法学部じゃないけども。法哲学周りの人ならもっと緻密なこと言うだろうな。

それは「時代の限界」であって、正しいということの意味が変わったと読むべきではないだろうと俺は思う。

もちろん現代には現代の限界があって、未来においてより正しいことを実現するために、今主流の考えでなくても主張していく必要があるんだろう。

過去であることをもって現在に対して過去を免罪してしまう考え方は、現在であることをもって(よりよきものでありうるだろう)未来に対して現在を免罪してしまう考え方に容易に滑り落ちる。

2008-09-03

anond:20080903115850

>罪人は(社会的な)人間ではない。

これは、法哲学上の見解ですか?

それとも、あなたの見解

文化を超えた法ならば国際法というのもありますが、その法の哲学上の根拠となるところは、未だに争点になっていたりする。普遍性ってかなり難しい命題ね。

ルールといっても、条文化された法律だけとは限らないわけで、条文化されていない慣習法というのもありますね。

元増田ルールのもとになる哲学上の規範のことをいいたいのかも?でも、

なにか普遍的な物差しがあると、個人的な都合上良くないひとが圧倒的多数かもしれない。なぜなら誰かに裁断されずに自分の世界引き籠もりたいから。

だから、全ては相対的価値観でかたずけたほうが楽なんだろうね。

古代中国人肉市場の話しがどこぞでちょっと出てたけど、あれはひとの本能ではなくて、危機的状況で生まれたそこの文化だと思うよ。

別にやりたくてやってたわけじゃなかろう。

2008-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20080708194414

なんでもかんでも「人それぞれ」とか言えば済むってもんじゃないと思うけどね。

自由は社会の上に成り立つので、社会の保存は個人の自由に優先すると思うね。

別に法哲学とか知らないけど。

2007-11-14

人の価値観に差がある限り、完璧法律というのは在り得ない。

だから法律というのは単なる「決まり」の域を出ない。とりあえず、適当に、なんとなく決めているだけで、結局のところ思考停止した結果や、その場逃れな側面もあるけど、気にしてはいけない。

法哲学?死ねよ

2007-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20070630055322 見て思った

殺人被害者の近隣住民も「被害者」に含まれるの?

殺人加害者の遺族も「加害者」に含まれるの?

法的な意味で。

社会的な制裁が行われるって辺りは法哲学的にどういう位置づけなんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20070630044908

ようは事件なんてケースバイケースだから、凶悪事件と一般少年犯罪を同列に並べて「少年法廃止」と叫ぶのは間違い。ってことかな?

 

確かにマスコミが印象操作してるような「少年事件の増加および凶悪化」という事象は幻に過ぎないね。

しかし凶悪事件の加害者が過度に保護されて、被害者やその遺族へのケアがおろそかになっているというのは体制上の不備じゃないのかな。

法治主義も結構だけど、行き過ぎると逆に民主主義を圧迫することになりかねない。

しかし子供犯罪と大人の犯罪を異なるものだとする論拠はそもそも何なの?

精神的な未発達を責任阻却事由とするなら現行の刑法でも問題なくね?

犯罪者にも個々の事情があるというなら、裁判官の判断による叙情酌量の余地ってもんが働くだろ?

 

冤罪どうこう言うのはまた別の問題だよね。ぶっちゃけ少年法関係ないし。

冤罪事件がおきるかどうかは行政側の問題じゃん。そこ仕切るべきはまた別の法律だから。

少年犯罪だけ二重基準を設ける理由が特に見当たらないんだけど。

 

司法がまともに機能してないから、私刑めいた感情論がまかり通るわけで。

この点、法曹関係者はもっと反省すべきだろ。法律を都合よく道具にしすぎだよ。

特に弁護士は、加害少年精神的な未発達振りを強調するためにやれ漫画ゲームだのを安易に悪者に仕立て上げて責任の擦り付けに余念が無いし

法律のすり抜け技を磨くことばかり考えてる。それが遵法精神と言えるか?口ばかり達者で心が無い法律家が多いんだよ。

専門家だからって偉そうに上から物言う態度も気に食わないし。

件のTV番組に出てた民主党議員はその典型的バカ弁護士だ。怒りを買うのは当たり前。

 

そもそも人権ってどこから生じて誰が担保してるか判ってんのかね。

万人に等しく与えられた権利、という概念だけを弄んでる。法哲学ももっとちゃんとやれと言いたい。

 

どんな理由があろうと相手が誰であろうと犯人が何者であろうと罪は罪だし、相応の刑が与えられるべき。

実態にそぐわない法律は、結局司法への不信感をあおるだけだ。それでは国家は立ち行かない。

復讐を是としないなら、法の執行は正義の執行だと国民に信じられなきゃいかんのじゃないの?

完全な正義なんて人間には無理だとしてもさ。改めるべきは改めないと。

 
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