はてなキーワード: アレイとは
足立区で同性愛者同士が接触すると対消滅(アナイアレイション)が起こるようになった。それでどうなるかというと、水素爆弾10発分(広島に落ちた原子爆弾で計算すると6600発分)の爆発が生じ、衝撃波は地球を三十周する。
そんな威力なら足立区どころか日本そのものが危ないのではないか、と思われそうだが、そのとおりである。足立区が滅びるついでに日本も滅んでいる。しかし日本など足立区の付属物にすぎないので、ここでは論じない。
対消滅はある物質と完璧に対応する反物質のあいだでしか起こらない。
アリストパネスが語ったところによれば、人間はもともと頭が二つで手足が四本ずつの生物であったが、その欠けるところない有能さを恐れた神々から真っ二つに割られ、今のわれわれのような頭がひとつで手足が二本ずつの姿になった。同性愛者たちはその太古の記憶を保っているのだという。自身の完全な半身を忘れないひとびと。
そして、その熱情が、神話的な完璧がゆえに足立区を滅ぼすほどに爆発する。
滅びからまた生じるたび、足立区のひとびとはまずドクター・シライシの像を建てる。百万回以上生滅を繰り返した今となってはその業績を語る史料も残っていないが、足立区の伝承によれば、「足立区で真実の愛を発見した最初の人物」であるとされている。研究者ではなく、政治家だったという説もあるが、詳しいところは判然としない。
世界中からもうひとつの半身を求めるひとびとが押し寄せ、ささやかなマッチングが成立するたびに京すら超えて垓に達するジュールの熱を放つ。
ーーあだちというまちには、底ぢからがある。
ともに、ちから強く生きてきた、
あだちのまちの仲間たち。
だからいま、
ふみだそう、新たな一歩を。
ここ、あだちから。
レンタルサーバーというのは、本質的には1台毎に実在するパソコンみたいなものなんだよ。
だから、許可が下りるかどうかはさておき、そのサーバーが収容されているデータセンターに入ることができれば、1つの機体としてのサーバ本体を確認することができる。
一方のクラウドは、ハードウエアを大量に集めて仮想化し、その中に仮想化された1台のサーバとして存在する。
40ペタバイト分のディスクアレイ、32コアCPUを1000台繋いだCPUアレイ、それらを超高速ネットワークで繋いで出来上がっているのがクラウド。
あなたが、そのクラウドの中で1台のサーバを使うとき、保存したデータがどこに保存されているかは直感的には分からないし、CPUで計算させているときも、どのCPUのどのコアを使っているかは分からない。
クラウドのハードウェアは、毎日どこかで故障し、新しいハードウェアと交換されてゆく。
壊れることを想定して設計されているから、保存したデータは3~4か所に重複して保存されている。
だから、今日はこのディスクからデータを読んでいたとしても、明日もまた同じディスクから
データを読みだしているとは限らない。
それがクラウド。
あのさ
長いレジのレシート24メートルを頭にくくってそれが垂れ下がって地面に触れないようにして走る訓練をしようと思ったけど辞めました。
それ忍者ハットリ君のやつ!って霜降り明星さんの言うようにするところまでが遠足です!って
話変わるけど
お友だちにね、
作曲はしないのか?って聞かれたんだけど、
作曲ってなんか恥ずかしくない?自分の作文読まれてる感じがして私はちょっと恥ずかしいのよね。
恥ずかしいわ。
どっちかって言われたら私は長いレジのレシートを頭にくくって走ることを選ぶことを誓うわ。
そんな選手宣誓ばりの朝の私の主張を言ったところで、
あれは一向にペーパーレスにならないわよね。
レシート入らなくなるし
その詳細は本人は分からなくて、
献立考えるのも楽になるし、
アレイ使ったっけ?って
アイツの頭を鉄アレイで殴った日も覚えてくれてるはずよ!って違う違う
し、し、しれ、しる、しれ、しよ!
もうこれ何回も言ってるけど
いっぴき、にひき、さんびきの
ひき、ぴき、びきをどの数字に付けたら良いのか分からなさすぎて
そこ萌えるわ。
なんかこれ萌えるって使い方あってるかしら?そう思いながら、
花言葉を覚えるんだけど、
秋の花よね!知ってた?って事務所の人に言われたんだけど、
その知識みんな知ってるんじゃない?ってドヤ風吹かせたところで
ふわっさーって私の髪も靡かせることは一切無いからね!
分かってるのかしら?
あ!そうそう
そのドヤ風でレシートぐらいは靡かせることができるでしょ?って
無理矢理繋げてみたら全部の伏線を回収する
私はこれを書き上げたら延々と続くサーガというゲームをマウントヘッドディスプレイをしてプレイし続ける
これって人類にとってのユートピアなのかディストピアなのか分からないけど、
窓枠が空いたようなバケツを頭に被って、
頭が360度ぐるぐる回ってる!ってやってる手品師の人たちは少なくともナポレオンズさんだと言うことは。
そっと閉じておく私のファンタジー物語の締めくくりにはとてもふさわしい演出よね。
膝の左右が入れ替わるマジックも、
うふふ。
今日もなんか出掛けるらしいので、
しっかり食べておかない戸という意味も含めて、
私は平気!
私も粉末緑茶チャレンジしてみたい人体実験を試みたく健康に良いのかしらね?って思いつつ、
実際にはどうなのかしらね?
自分の身をもって体験したことじゃないとってアインシュタインさんがいってたもんね!
やってみようかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
EPWは相互作用行列をどんな場合でも求められるとしよう。この行列を変形ポテンシャルに変換できればいい・・変換ルールは定義を参照しながら、自分で導くしかないような気がする。自分で考えるしかないのか?どこかに変換プログラムが転がってないのか?
。
変形ポテンシャルの定義に従っている素朴な方法は、変位させたラティスを組んで、エネルギー計算。そしてエネルギー差分を抽出・・・ってことだろうけど、半分手作業でもできそうだ。アレイジョブ発生させればいいのか?たぶんこの手の作業を仕事にしている人がアイルランドにいる。変形ポテンシャル n-type PbTe ABINT
。
a.out というプログラムに 1.data を入力するジョブ,2.dataを入力するジョブ,・・・,4.dataを入力するジョブ,をまとめて実行したい場合
#!/bin/bash
#QSUB -q gr19999a
#QSUB -ug gr19999
#QSUB -A p=68:t=1:c=1:m=1355M
#QSUB -J 1-4
aprun -n $QSUB_PROCS -d $QSUB_THREADS -N $QSUB_PPN ./a.out ${PBS_ARRAY_INDEX}.data
$ qs
QUEUE USER JOBID STATUS PROC THRD CORE MEM ELAPSE( limit)
gr19999a b59999 3023275[1] PEND 68 1 1 1355M 00:00( 01:00)
gr19999a b59999 3023275[2] PEND 68 1 1 1355M 00:00( 01:00)
./a.out 1.dataが,
FFは「死亡」じゃなくて「戦闘不能」であってアレイズも「戦闘不能」を回復させるだけだろ、と思ったけど
それ4からで3以前は死亡だったけどイベントでキャラ死んでたな
ミンウの無駄死にとか
なんか、整体院とかみたいなグレーな治療(治療するとは言ってない)所作ってまずは近所のじじばばを癒す。
そのうちスポーツ選手とかが数百万払ってでも治療受けにくることになるだろう。
じじばばオンリーで儲けるなら、全快系より下位呪文でリピートさせるほうがよいかも。それはそうと全回復を全快と略すのはすごく違和感。
ベホマズン、ベホマラーはMPの消費が激しく、なんか教祖的存在に祀り上げられそう。そういう意味では対象を選べるケアルガのほうが使い勝手はいい。
エスナ
怪我ではない症状を治すのに必要。ほぼ横綱クラス。エスナで万全。ポイゾナ(キアリー)がウィルス、細菌系に効果あるなら多少は代替呪文となるが、やはり、えいきゅうステータスをなおす効果にはかなわない。
毒はもちろん、盲目、忘れ、マヒ、眠り、小人、混乱、沈黙、老化、睡眠等、効果は作品によるが、先天性の生涯や遺伝的な問題にも効くのであれば世界を変える。地味に混乱を治せるのが嬉しい。
いざという時用。デスやザキなど代替候補はあるが証拠隠滅能力までセットになってるのでお得、次元の狭間に放りこむ。バシルーラでもよいかもしれない。
飛んでいくので目立って仕方ないが、自分の移動で相当便利で富裕層の移動で金策にも。海外渡航等に関してはインフラの対応が必須。
使い方次第では。
綺麗な使い方はあまり思いつかないが鍵開け屋としてくいっぱぐれはないだろう。
デジョンと入れ替えて持っておいてもいいかもしれない。優しい人向け。
自制が必要。
ラナリオン
水不足の解消に。
馬名 | 父 | 父父 |
---|---|---|
ロジャーバローズ | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
サトノルークス | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
ダノンキングリー | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
メイショウテンゲン | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
ナイママ | ダノンバラード | ディープインパクト |
クラージュゲリエ | キングカメハメハ | キングマンボ |
レッドジェニアル | キングカメハメハ | キングマンボ |
ランフォザローゼス | キングカメハメハ | キングマンボ |
サートゥルナーリア | ロードカナロア | キングカメハメハ |
リオンリオン | ルーラーシップ | キングカメハメハ |
シュヴァルツリーゼ | ハーツクライ | サンデーサイレンス |
アドマイヤジャスタ | ジャスタウェイ | ハーツクライ |
ヴェロックス | ジャスタウェイ | ハーツクライ |
タガノディアマンテ | オルフェーヴル | ステイゴールド |
エメラルファイト | クロフネ | フレンチデピュティ |
ヴィント | モンテロッソ | ドバウィ |
マイネルサーパス | アイルハヴアナザー | フラワーアレイ |
ニシノデイジー | ハービンジャー | ダンシリ |
小学校教員経験者としての個人的な意見です。といっても大卒後2年だけ勤務(5年生, 6年生担任)してその後転職してるので、経験は少ないし時差があります。ただ最近、というか定期的に話題にあがる、かけ算の順序問題について自分の考えを書きたいと思ったので
(2)かけ算を元にしたわり算の理解
という2つを考えつつ書きなぐります。
ここではかけ算の順序を固定するという表現を使ってみようと思います。まず現状としてかけ算の学習では
(1つぶんの数)x(いくつ分)=(ぜんぶの数)
乱暴な言い方かもしれませんが、このように固定するのは必要悪だと思っています。
かけ算の順序を固定する理由をざっくり言うと、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するため、です。それに伴い、順序を固定する必要が出てくるということです。固定は副次的なものです。
例えば3 x 2という式において、(1つぶんの数)にあたる数は3なのか2なのか、(いくつ分)にあたる数は3なのか2なのか、順序が固定されない限り判断がつかず評価ができません。どっちの数がどっちだか混乱してしまいます。なので、かけられる数に(1つぶんの数)を、かける数に(いくつ分)を対応させることにより、明確に(1つぶんの数)と(いくつ分)を式の中で表明することができます。
あと、計算だけ指導するのであれば、順序の固定は不要です。実際に、意味がわからなくても計算ができる人は山ほど居ます。ただ、かけ算やわり算の意味をとらえるためには、(1つぶんの数)と(いくつ分)を区別して考えていかなければなりません。
これだけじゃわかんねーよって人は以下も参考にしてください。
授業をするからには、かならず評価をすることになります。実のところ、この順序をつけなかった場合、問題の文脈を正しく理解して立式したのかどうか、評価が難しいです。問題において提示されている事象、より厳密に言えば「現実モデル(*1)」を、正しく「数学化(*2)」して処理しているかどうかが、評価のポイントになるわけです。もちろん児童ひとりひとりにインタビューをして評価できれば良いのですが、ペーパーテスト上では、立式ができているかどうかをかけ算の順序で判断するしかありません。(もちろん、正しい順序で書けたからといって正しく数学的に理解できているかどうかはわかりません。適当に数字を選んで立式している可能性もあります。逆に、現実モデルは説明できるのに式でそれを表現できていない場合もあります。これは現在のペーパーテストによる評価の限界でもあります。)
このままだとわかりにくいので、次で具体的な例を挙げながら説明します。
(*1)「現実モデル」...例えば「1ふくろにつきももが3こ入っていて、それが5ふくろあります」というものが現実モデルの一例です。現実にはその場にももがあるわけではないですが、その現実事象を模したものが現実モデルです。
(*2)「数学化」...ここでは文章題から立式する過程のことを指しています。問題を数学(算数)の領域で解決できるようにすることです。数学化した時点で、現実モデルの情報はそぎ落とされます。たとえば[現実]→[数学]の動きの場合、「りんごが2こと3こでぜんぶでいくつ」→「2 + 3」と容易に数学化できますが、その逆の[数学]→[現実]の動きの場合、「2 + 3 」→「 」の部分は無限に答えが考えられます。りんごじゃなくてもも2こと3こにしてもいいし、今日は1月2日です3日後は何日ですか、でもいいわけです。数学化されたものはそれだけ抽象化されていて、元の現実モデルを言い当てるのは困難ですし、現実モデルがそもそも無い場合もあります。
よくあるひっかけの文章題では、文中で(いくつ分)をわざと先に出し、(1つぶんの数)をその後に登場させるものがあります。
「6枚のお皿にりんごが3個ずつのっています。りんごは全部で何個ありますか」
文章題の順序通りに立式すると、6 x 3という式になります。固定した順序で考えると、これは(1つぶんの数)と(いくつ分)の順序が逆になっています。この場合、実際には
1皿に3個のりんごがのっていて、そのお皿が6枚分ある(式 3 x 6)
1皿に6個のりんごがのっていて、そのお皿が3枚分ある(式 6 x 3)
という現実モデルになってしまい、結果的に6 x 3という式は後者の現実モデルを元に立式したと判断することになります。
りんごのぜんぶの数はどちらも等しいですが、6 x 3という式の元の現実モデルが実際の現実モデルとは異なるため、問題にある現実モデルを正しく数学化できたとは言えず、誤答になるということです。
(1つぶんの数)を3、(いくつ分)を6
として捉えているのか、
(1つぶんの数)を6、(いくつ分)を3
として捉えているのかには大きな違いがあるわけですが、(1つぶんの数)x(いくつ分)の順序で書こうと決めておくことで、どちらで捉えているかを特定することができるようになります。
そう考えると、順序は逆にして固定しても問題はなさそうです。今の
(1つぶんの数)x(いくつ分)
という順序は、ただ言語的な順序に従っているだけだと思います。
かけ算がたし算の延長ということを思い出すと、
2 + 2 + 2 + 2 + 2
を
2 x 5
と表しているだけで、これは
2 + 2 + 2 + 2 + 2
を、2が5つ分という風に捉えて、その順番で2 x 5と順序づけているのかもしれません。5つ分の2と捉えれば、5 x 2と順序づけてもいいので、捉え方の問題なのかもしれません。個人的には前者の方が自然に感じるのですが、刷り込まれてきただけかもしれません。
(共通性のある例を考えると、2/3という分数について、日本では「3分の2」と分母から読み、記述するときも大抵の人は分母の3から書き始めると思います。「3分の2」と考えなから、分子の2から書き始めるのは違和感があるのではないでしょうか。一方で英語圏の場合、Youtubeとかで実際に確認した限り、2/3は「two third」と分子から読み、記述の際も分子の2から書き始めます。)
繰り返しになりますが、順序自体が大事なのではなく、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現することが大事で、そのために順序の固定が副次的に必要になるということです。
改めて考えると、この固定というのは非常に厄介でもあります。まだ学習し始めの子どもを混乱させないために条件を固定しているという意図もありますが、順序を交換しても答えは変わらないという事実と照らし合わせたとき、納得いかないのも当然です。しかもその事実自体は小2の九九の時点で学習します。
順序が問題にならないときというのは、既に数学化されたものを取り扱うときです。つまり、そもそも数学化の過程が評価の対象にもなっていないものです。算数的に言えば、文章題のような問題ではなく、既に立式されている問題です。
2 x 3
という問題であれば、
2 x 3 = 3 x 2 = 6 答え6
と計算しても間違いはひとつもなく、正答です。2 x 3が計算できなくても、順序を変えて3 x 2で計算しても良いのです。その根拠は、かけられる数とかける数の順序を逆にしても答えは変わらないからです。むしろ学習が進むにつれて、交換法則は便利に使うことができ、積極的に使えるようにしていくべきです。(教科書でもちろん学習します。)
また、アレイ図(↓のやつ)を考える時、自分でどう括るかによって、(1つぶんの数)と(いくつ分)が決まり、どちらの順序でも考えることができます。例えば
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
上のようなアレイ図であれば、縦3個でくくれば3 x 4という式になりますが、横4個でくくれば4 x 3という式になり、かけ算の順序が逆になります。自分で現実モデルを作り出してそれを数学化しています。
わり算の考え方には2つがあります。「等分除」と「包含除」です。その違いを説明するために、虫食い算のかけ算を考えます。というのも、わり算はかけ算の拡張なので、発想として虫食いのかけ算で考えるとわかりやすいです。3 x 2 = 6と、順序を逆にした2 x 3 = 6を虫食いにして考えましょう。かけ算の順序を変えただけなので、どちらも答えは同じ6です。
・等分除
□ x 3 = 6
というかけ算をわり算では
6 ÷ 3 = □
と表します。この場合、求める□の部分は(1つぶんの数)にあたり、例のりんごと皿で考えれば、
「りんごが全部で6こある。これを3枚の皿に平等にわけると、1皿あたり何こになるか。」
という問題になります。1つぶんのりんごの数が、求める答えです。これが「等分除」です。わり算と聞いて想像しやすい、平等に分けよう、というものです。教科書でもこの等分除から学習します。
・包含除
3 x □ = 6
というかけ算をわり算では
6 ÷ 3 = □
と表します。この場合、求める□の部分は(いくつ分)にあたります。例のりんごと皿で考えれば、
「りんごが全部で6こある。1皿に3こずつりんごをのせていくと、皿は何枚必要になるか。」
という問題になります。皿の枚数が、求める答えです。これが「包含除」です。イメージ的には、6つある物を1セット3ことして何セット作れるかな、というものです。
以上のように、□ x 3 = 6と3 x □ = 6のどちらも6 ÷ 3 = □というわり算になるのですが、もともとのかけ算の式をみると、求めている□の部分が(1つぶんの数)なのか(いくつ分)なのか、という違いがあります。一見、全部わかりやすい等分除で考えればいいじゃないかともなりますが、包含除は等分除ではとらえにくい、余りのあるわり算を考えるときに非常に有用で、必要不可欠です。
この等分除と包含除の考え方は、かけ算での(1つぶんの数)と(いくつ分)を明確に区別しているからこそ理解でき、学習できることです。3回目くらいになりますが、(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するために、順序を固定する必要が出てくるということが、かけ算の順序を指導する理由であり、今回書きたかった結論です。もし順序を固定しない場合、式の中でどっちがどっちなのかを示す記号を加えるなどの工夫が必要なのではないでしょうか。
単に順序を逆にしても同じ、として学習を進めると、(1つぶんの数)と(いくつ分)に区別のない世界で考えることになります。このとき、子どもにかけ算やわり算の意味をどのように指導すればよいのでしょうか。計算だけ指導するのであれば、何も問題ないのですが。
「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育てる。」
「算数的活動」とは「児童が目的意識をもって主体的に取り組む算数にかかわりのある様々な活動」を意味しています。先ほど考えたわり算の理解は、この算数的活動を実現しうる機会の一例そのものだと思っています。
正直、計算自体が重要なのであれば、現代では電卓やコンピュータに入力する力が求められるだけです。もっと時代が進めば、こんな等分除や包含徐を学習しなくてもなにも困らない時がくるかもしれません。もちろん、先ほどの算数科の目標は社会の移り変わりによって広義に変容するものですから、時代が変われば内容も変わるでしょう。しかしそんな中でも、根本として算数・数学を探求することが大切ということはゆるぎないと思います。
小学校の教員は基本的にほとんどの教科を一人で担当します。私は自分の算数の指導に課題を感じ、よりよい授業のために調べたり足を使って研究会・学会に参加したりしてきたのですが、正直いうとそうしてきた算数だってあまり自信が無いです。すべての教科を完璧に仕上げるのは結構な難易度だと思います。
勤めている人はみんなそうですが、現場の教員たちも同じように膨大な業務に追われています。また、子ども・保護者のトラブルの対応も多々です。学校では毎日事件が起きているといっても過言ではありません。若い先生は特に教材を研究する時間が必要ですが、所定の勤務時間内にできる時間はほぼゼロです。朝と夜の残業時間も、授業そのものに関係しない業務が多いです。学校で子どもが過ごす大半の時間は授業時間なのに、その授業の準備が満足にできないということです。経験を積めば良いと言われても、今担任しているクラスの子どもが被害者になるだけです。あたりまえですが、その子たちは一度だけの1年を毎年過ごしているわけです。貴重で大事な時間です。
現場にもっと人が欲しい、というのが素直な感想です。算数では少人数授業やチームティーチングが増えてきていますが、根本的な問題は解決していません。算数に限らず、教員がもっと授業に関することに時間を割けるようにするべきです。毎日授業があるのに、その授業の質が低くなっては意味がないです。結局、先生たちもかけ算の順序について教えてくれる人なんて居ないのかもしれません。そんな状況で教えなくちゃいけないんです。
「プリパラ&キラッとプリ☆チャンAUTUMN LIVE TOUR」東京公演を見た。
いちばんエモかったのは新曲含む3曲を披露したNonSugarパートだが、ライブ冒頭の、「レディー・アクション! 」「ワン・ツー・スウィーツ」「スキスキセンサー」の「プリ☆チャン」曲3連発で改めて実感したのは、児玉雨子の歌詞の「うまさ」だ。
「プリパラ」までの「プリティー」シリーズの楽曲の多くは、三重野瞳が歌詞を書いていたが、「アイドルタイムプリパラ」からクリエイターが若干入れ替わる。それまで「ハロー!プロジェクト」などの楽曲に数多くかかわってきた児玉は、「アイドルタイム~」からシリーズに本格参加した。
児玉の書く詞の特色をひとつ挙げるとしたら、「ことば遊びの巧みさ」になるだろう。彼女が初めて手がけたアニソンである、「アイドルタイム~」の主人公、夢川ゆいが歌った「チクタク・Magicaる・アイドルタイム!」。テレビやゲームで耳なじみのある1番にも「短針とdancing」という「うまい」フレーズがあるが、2番以降にも「時よ何時も美しい!」などパンチのある歌詞が詰まっている。
あと今回のライブ終盤でも披露された「Missプリオネア」(華園しゅうか)もとてつもない。「夢なんかよりも 何よりも実感がほしい」が最後には「何よりも時間がほしい」に変わる! 最高! この曲は歌詞全部最高!
……そんな児玉は、「プリティー」シリーズ最新作「キラッとプリ☆チャン」で、冒頭に挙げた3曲の作詞を担当しているが、どの曲も本当にすばらしい。個人的には、特に「ワン・ツー・スウィーツ」が特にすごいと思う。「予熱 十分 あこがれ 焦がれちゃいそう」「期待をエアレイション」「わたしの努力の製菓」……「お菓子づくり」関連のワードが本当にうまく織り込まれた名曲だ。
アイドル界隈はともかく、自分の観測範囲では知名度が上がりそうで上がらない児玉雨子。ぜひいろんな楽曲をフルで聴いて、彼女の歌詞世界を知ってほしい。というか私じゃなく誰かもっとちゃんとした人にいろいろまとめてほしい。
坂元裕二脚本のドラマの面白さを知ったのは「カルテット」からで、その後、最新作の「anone」を見たのみの私はレイトマジョリティーです。先日加入したんですよ、Netflixに。「アナイアレイション」というSF映画を観るために。「全滅領域」「監視機構」「世界受容」というジェフ・ヴァンダミアによるサザーン・リーチ三部作があり、これがここ数年読んだ小説の中で私的には大ヒットで、2015年の年末から年始にかけて帰省した実家の二階の洗濯物たたみ専用に使われている部屋に敷かれた布団の中、風邪をひいてしまって熱っぽいのに、一心不乱に読みふけってしまいましたよ。SFというよりもホラーや幻想小説に近い内容なのですが、非常に面白かった。で、小説を読み終わってしばらくして、これを映画化するという情報をTwitterで知り、期待していたわけです。しかし、時がたつにつれてそんなことも忘れたある日、再びTwitterで映画の題名は「アナイアレイション」といい、映画化されたが米国以外はNetflixが独占公開するという情報を見たのでした。動画配信サイトは、Dアニメストアは毎月500円払って契約していたんだけど最近あんまり使ってなくてね。もう解約してしまおうかと思ってたんだけど、アナイアレイションを観たいだけでNetflixを契約して、とうとう観ましたよアナイアレイション。観たんだけど、正直言うといまひとつだったんだよなあ。どうやら三部作の第一作「全滅領域」が発表された段階で映画化が決定されたようで、映画も第一作を中心にした内容で、個人的には中編、後編で展開される現実世界がおどろおどろしく変容していく過程が描かれるところが好きなんだけど、そこがないからかなあ。特に気の弱い研究者の引きこもり部屋でのやりとり、あそこは読んでいてぞぞっと鳥肌が立ったよなあ。で、ナタリー・ポートマンは少ししわしわになったけれど綺麗だし、スターウォーズ最新作で脳筋肉のパイロットを演じたオスカー・アイザックがポートマンの旦那さんだったり、それなりに良いところもあったんだけれどいまひとつで星3つというところでした。で、この話がどうやって「最高の離婚」に結びつくかというとですね。アナイアレイションを観た後、無料期間の1ヶ月が終わったら解約するつもりだったんだけど、まあ折角契約したんだし、しばらくタダだしということで、無料で観れるだけ観てやろうと観たい映画やらドラマやらを探し回ったんですね。で、アメリカの連ドラ「ミスト」と「ストレンジャー・シングス」を観ました。ミストはいまいちでしたねえ。あれは脚本の問題でしょうねえ。登場するキャラクターがなぜそこでそういう行動を選択するかがよくわからない。で、観客として登場人物に感情移入ができない。また、ネタバレしちゃうと、ラストでイケメンキャラがどうしてあんな最期にならなくちゃいけないのか。かわいそすぎる。観ていた人はみんなそう思うと思いますよ。で、ミストはいまいちだったんだけど、ストレンジャー・シングス、こっちは面白かったなあ。ストーリーも登場するキャラクターもオリジナル要素はほとんどなくて、70年代から80年代にかけてのSFドラマやホラー映画の要素を抽出して映像を含めてアレンジしなおしたようなドラマなんだけど。けど、面白いんですよ。とても、面白い。まず脚本が秀逸で、毎話、伏線を貼っていって最終話に向けて徐々に盛り上げていって、どどーんと回収する、というドラマや映画における王道的ストーリー展開、これがとてもうまくまとめられていてね。更に、登場するキャラを演じる役者さんがそれぞれ魅力的。イレブンもかわいいし、行方不明になる少年のお母さんはウイノナ・ライダーだし。で、このドラマの最初、ウイノナ・ライダーってプロンプトされるんだけど、私、ドラマを終盤くらいまで観てもよくわかってなくてね。ウイノナ・ライダーって名前が出てくるけど、本編には登場しないのでプロデューサーとして名前があがってるのかなあってずっと思ってたのね。そしたらね、たまたまWiki見たら、行方不明になった少年のお母さん役がウイノナ・ライダーって書かれているじゃないですか。もう、驚きました。あの、美少女が、あの、ヒステリックに訳のわからない発言と行動をやりまくるおばさんなのかと。ウイノナ・ライダーもいつの間にか、演技派女優さんになったんですね。で、なんだっけ。ああ、で、ストレンジャー・シングスは面白かったんだけど、更に面白いドラマはないかと探していたらあったんですよ「最高の離婚」。坂元裕二脚本のドラマで評判が良かったというのは知っていた、正確に言うと「カルテット」があまりに良くて「anone」も良かったので脚本家の坂元裕二のWikiを見ていたら過去のドラマで最高の離婚が上げられていて、ああいつか観たいなと思っていたらNetflixにあって、観たら面白かったんですよ。ああ、そろそろ出かけなくてはいけないので、なぜ面白いかとか色々言う時間がなくなってしまったんで、申し訳ありませなんが兎に角、言いたいのは「最高の離婚」面白いから、みんな観るといいよってことで。では。