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2024-03-18

青森県八戸市イオンモール立地規制した中心市街地は20年後どうなったのか

anond:20240313123638

青森県八戸市(はちのへし)。

県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路工業港を有し、東北新幹線八戸駅東北縦貫自動車道八戸線三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。

しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドー2024年の夏に閉店する。

八戸市映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。

2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長イオンモール反対を表明するも落選対立候補官僚出身新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設不要として事実上イオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端イオンリテールオープンした。

八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。

車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。

中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街シャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。

かつて市民デパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった

しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である

私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポたい焼き今川焼きをもらったり、最終営業日店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。

話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸中心市街地はどうなったのか。

中心市街地には地元百貨店最近まで2店舗あったが、コロナ瀕死経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。

さくらの百貨店若者向けではなく、郊外CSラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。

市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである

中心街仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルマンションはいくつか建設された。

市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーユニバース本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパードラッグストアがある。イオン系列ホームセンターサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキユニクロGUしまむら、西松屋ワークマンもある。日常の買い物には困らない。

しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンリテールスーパーのみ。

前置きが長くなったが、この街歴史をみるとする。

明治大正

鉄道忌諱と中心街の大火

明治時代日本鉄道東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。

当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念軍部要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅現在本八戸駅を開設する。

そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまり市街地から離れすぎた立地のため、郊外地方空港様相であるかのように、22万人都市玄関口としてはお察しくださいの状態である

大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。

昭和

中心市街地の復興産業の発展と栄華

太平洋戦争では基幹産業日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害ほとんどなかった。

市の北側位置する旧日本軍飛行場基地米軍接収され、3,200人の米兵により飛行場拡張基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。

八戸中心市街地は、戦後しばらくして、東映東宝、テアトルなどの7つの映画館開店し、地元百貨店開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー地元資本ファッションビル開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。

八戸昭和30年代に新産業都市指定され臨海都市建設工事が始まり八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場八戸火力発電所、非鉄金属精錬所、鉄工所、造船所が建設された。

漁業栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑区画整理が次々と進み新興戸住宅地住宅団地郊外市街地は拡大し、市営バス路線網を拡大し小中高校増設を続けた。

一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。

青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。

平成

大店法改正の波、産業構造転換と商業施設郊外

1991年長崎屋郊外移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋開店

1993年 六ヶ所村日本原燃の再処理工場建設が着工する。原燃PRセンター家族で行った帰りに、父からこの工場事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける

1994年 年末三陸はるか地震震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害

1995年 隣町にイオンモール下田開店現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。

1996年 中心市街地のニチイが閉店

1997年 中心市街地の市民病院郊外移転し、いよいよ中心市街地の危機地元紙で叫ばれるようになる

1999年 八戸臨海部神戸製鋼敷地イトーヨーカドー郊外CS開店ホームセンター、のちにヤマダ電機スーパー銭湯開店

2000年 人口過去最高の24万9000人になる

2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める

2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン市民映画館開店

イオンモール立地攻防

2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる

当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼ区画整理し、中心街から八戸市病院移転した付近に立地計画

市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。

しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。

地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街シャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り八戸三社大祭という由緒ある山車祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶

かに市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。

その後、市長は1期で落選し、新市長が当選立地規制条例を制定

2012年 郊外イオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)

中心市街地活性化施策

新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設

2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店

2016年 ガーデンテラス竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビル拠点開設

2018年 市営の八戸まちなか広場 マチニワ屋内広場が開設

令和期

少子高齢化人口減少時代水産業斜陽化、縮小する経済

2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園建設

2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町竣工 13階建で2階以上はマンション

2021年 中心街に新八戸市美術館竣工

2022年 地元百貨店三春屋コロナ経営不信でで閉店

2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定

2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)

2024年夏 イトーヨーカドー八戸沼館店が閉店予定

2025年 青森銀行とみちのく銀行合併青森みちのく銀行設立予定

おわりに

東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道環状道路は大半が開通した。

ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーホームセンターはあちこちにできた。

中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダン空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間商業施設20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルマンションへ建て替えが進む。

商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモール建設しても問題はなかったと思う。

郊外イトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店イオン田向(リテール)のみになる。

GMS衰退の潮流は止められず、地方車社会市民無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。

よく巨大郊外モール撤退したあと社会問題になるため開発抑制必要だという。都市計画教科書的には正しいことは理解している。

しかし、近隣県を含め広域自治体レベル規制誘導しない限り、一自治体規制をかけても無意味だった。

結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設建設補助金が投入された。

2050年までに、八戸市人口社会保障人口問題研究所推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)

人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住コンパクトシティ形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからイオンモール下田に通うことにになる。

せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車イオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。

2023-12-11

anond:20231211193742

インフレになると基本的支持率は下がる

田中角栄オイルショックの時は支持率10%台だったらしい

岸田氏はまともと思うので勿体無いとは思う

2023-11-05

日本ロストジェネレーションが始まったのは平成初期のバブル崩壊からというのが一般的見解だが

私は、今からちょうど50年前、1973年10月に発生した第一オイルショックからだと思っている。

そのせいで高度経済成長終焉を迎えた。

1979年には第二次オイルショックが発生しているが、いわゆる就職氷河期世代は2つのオイルショック前後に生まれていてカルマを感じる

2023-10-26

anond:20231026083050

オイルショック経験しているかどうかの違い。

ちょっとくらい金があっても、モノが無ければ買えないんだ。ってわからせられしまったんだわ。

2023-10-09

anond:20231008170316

これオイルショックコロナ当初での日本人行動思い出せば分かるが、物が不足するという予想が成立すると入手出来る今の内に入手して物を過剰に溜め込もうとする力が働くのでそれがインフレを加速させているのもあるんだろうな。

データ確認したわけではないが力の強度はどうせケース・バイ・ケースなのでそういう要因もあるとだけ覚えておけばいいか

2023-09-15

リビアへの支援がヘボい

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230915/k10014197151000.html

石油のことを考えたらもっとガツガツいくべきじゃない?

オイルショックの時はOPEC禁輸なんとか解除してもらえたけど、数十年後の衰退した西側日本はもう禁輸解除してもらえんでしょ。

そういうときワンチャンちょっとは融通してくれるかもしれんし。

トルコエルトゥールル号じゃないけど、産油国周りには恩を売れるときに売っとくべきだと思うんだよね。

麻薬しか売るものないアフガンに援助したのより、よっぽどコスパいいと思う。

2023-08-29

anond:20201012014553

ボウリングブームが去った後、任天堂ボウリング場の跡地を使ってレーザー射的の娯楽施設を作って大ヒットした。

でもその後オイルショックブームは去り、任天堂は窮地に陥ってしまった。

当時の任天堂にとってはそれはそれは災難だっただろうけど、

もしレーザー射的のブームが終わらずボウリング場のようにひとつ産業になっていたら

のちのファミコンブームも起こらず、ゲーム機産業も今のように発展してなかったかもしれない。

2023-08-20

anond:20230820014217

昔と今は違うだろ

平成初期は消費税もなかったし引かれる税金も少なかった

オイルショックでもガソリン172円

今は180円

食べ物だって値段は上がってるし、夏は冷房なしでは生きていけない

電気代も上がってる

2023-07-23

anond:20230714191732

コストプッシュインフレ供給小だから合致する供給の増産が解だぞ。

1970年代オイルショックが襲って、当時は石油代替ってなかったからどうしようもなかったかケインズ主義ダメだということになった。

から新自由主義になったけど、そもそも新自由主義って近視眼的な費用対効果にのっとるから基礎研究・応用研究破壊するし、デフレでもお構いなしで近視眼的な費用対効果にのっとるから設備投資研究開発投資破壊する。

だけど、原子力発電風力発電太陽光発電蓄電池のような石油代替実用化してるから代替品の増産に注力せよ。基礎研究・応用研究設備投資支援研究開発投資支援をせよが解になる。減税が解じゃないと思うよ。

さらに言うと日本戦後インフレコストプッシュインフレだな。インフレを収めたのは傾斜生産方式による重要資源の増産と、海外からの援助の取り付けというこれも供給側の対策だな。

なお、財政赤字なんてものを気にして必要な増産支援をしないというのもダメからMMT側に立たないとならない。

2023-05-04

anond:20230501162557

政府が非効率から政府が何もせずに市場に任せればうまくいくというのが自由主義

1930年世界恐慌で一度放逐された。金融危機を迎えると、金をため込み、設備投資技術開発投資をしなくなり、永久不景気産業劣化を続けるんだ。代わりに政府金融財政税制で調整するケインズ主義と、政府がすべて生産調整するマルクス主義に移った。

しかマルクス主義国は失敗し、1970年代オイルショックベトナム戦争支出によるアメリカの経常赤字化、途上国の腐敗などのスタグフレーションケインズ主義ケチがついた。

ケインズ主義だとマイルドインフレになるように調整すればよいと考えたんだけど、インフレでも自分たち合致する供給を作れなければ、物価高だが収入所得が上がらないスタグフレーションになってしまうんだ。

そこで、金利操作だけを加えて、政府財政均衡、フラット税制志向規制緩和構造改革という名の費用対効果への回帰を叫んで自由主義の復活が起きた。この自由主義の復活が新自由主義

しか1990年バブル崩壊に対して解を持たず、失われた30年を作った。財政均衡志向デフレでも財政出動をしないのが正しいということでデフレを温存した。

フラット税制志向は、消費税増税とし、累進所得税や法人税減税をねらったが、消費税増税が景気を叩き落し、累進所得税や法人税減税はため込まれ貨幣流通速度を落とした。

構造改革という名の費用対効果への回帰を基に、基礎研究・応用研究教育破壊された。ゆえに新しい産業が生まれなかった。しかし、どこかにすぐ確実に儲かる産業の種があると考え、産業の種を叫ぶ弱い人形を引っ掻き回し、つぶす悪趣味人形遊びを続けて、新しい人形を来たれと叫ぶのみ。

金融緩和という新しい手法も生まれそもそも現代において通貨自体政府負債自国通貨建て国債では政府破綻しないと自国通貨建て国債外貨借金峻別がついてきた。スタグフレーション合致する供給の増産が解だと気づいてきた。

基軸通貨国か経常黒字国となるような努力必要だけど、基軸通貨国か経常黒字である間は、インフレ合致する供給を作れる技術力を持って、マイルドインフレにする調整が正しいということになる。

経常赤字国は輸出を増やして輸入をへらして、外貨借金が増えないようにする政策必要だな。

新自由主義と、産業育成ケインズ主義と、弱者救済ケインズ主義と。

本来右翼左翼というのは、フランス議会右翼王権保守左翼革新が陣取ったことが始まる。右翼強者より、左翼弱者よりでもある。

と同時に、政府の関与を減らすことが望ましいという自由主義へと移っていった。

しか1930年世界恐慌自由主義否定された。金融危機が起きると、企業が金をため込み、設備投資技術開発投資をしなくなり、永久不景気産業劣化を続けるのだ。

世界中諸国政府金融財政税制で調整するケインズ主義と、政府がすべて調整するマルクス主義に移った。

ここで、ケインズ主義右翼保守マルクス主義左翼革新となった。冷戦体制ともなった。

マルクス主義国はうまくいかなかったけども、ケインズ主義1970年代オイルショックベトナム戦争戦費によるアメリカの経常赤字化、途上国の腐敗によるスタグフレーションケチがついている。

そこで、自由主義金利政策だけを加えて新自由主義として復活した。特に途上国の腐敗や、戦争戦費による、政府肥大化無駄支出が多かったこともスタグフレーションの原因で、ある程度費用対効果に戻ることも必要からだ。

途上国の腐敗も、産業育成より前に弱者救済をしてしまうと、経常赤字となり外貨借金が増え、外貨借金から財政破綻するという側面もあっただろう。

しかし、新自由主義立ち位置ケインズ主義よりも強者寄りで右翼なのだ

ケインズ主義右翼保守だったのを新自由主義がのっとって、左翼が寄るべき理論が無くなり、ケインズ主義を持つ党派もなくなり、惰性で経済理論から離れて右翼左翼だといっており、経済理論は実は右翼左翼とも新自由主義となってしまっていた。

しかし、1990年バブル崩壊という金融危機が起きた。新自由主義に移っていた日本金融危機が起きると、企業が金をため込み、設備投資技術開発投資をしなくなり、永久不景気産業劣化を続ける問題解決できずにいた。

さらに、基礎研究・応用研究教育は一部大きな産業に繋がり、長期的な費用対効果はある。しかし、近視眼的な費用対効果はない。困窮者救済も近視眼的な費用対効果はない。新自由主義は基礎研究・応用研究教育・困窮者救済を破壊し、産業劣化も招いた。

どこかに新しい産業の種を起こす人形がいるはずだ!探せ!探して引っ掻き回せ!と、イノベーションベンチャー育成という名の悪趣味人形遊びに使える人形を探してつぶすだけ。

2008年リーマンショックでも金融危機が起き、金融緩和という新しい手法が生まれた。MMT自国通貨建て国債外貨借金峻別がついた。

さらに、コロナショックが起きたけども、財政出動と金融緩和で早期の回復を見せている。ウクライナ戦争でもオイルショックとなりかねなかったけども、太陽光発電風力発電低価格化もあり、1年程度でインフレも落ち着くようになってきている。

新自由主義も放逐されつつあり、ケインズ主義が復活しつつある。しかし、ケインズ主義大きな政府にするのだが、何に使うのか?はまだ課題が残っている。産業育成が中心ではあろうとも、弱者救済も政府しか担える主体はいない。

しかし、「あいつらが悪いから叩けばうまくいく」と無駄を叩こうとする新自由主義は残っている。その無駄たたきで基礎研究・応用研究教育破壊してきたというのに。

無駄を叩こうという党派維新立憲民主党維新新自由主義はもちろんだけど、立憲民主党もよるべき理論がないまま維新に流されて、無知故の新自由主義となっている。

さらに、金持ちにとってはフラット税制志向新自由主義が望ましい。おそらく金持ちが金を出して新自由主義を叫ばせてるのもあるんじゃないかと思う。

強者より、弱者よりの右翼左翼の分類でいえば、維新立憲民主党右翼で、自民党はむしろ左翼となる。

裏の理論がしっかりしてない立憲民主党は放逐されて、新自由主義維新VS産業育成ケインズ主義自民対立になりそうな気がする。

しかし、自民党意識して産業育成ケインズ主義になったわけではない。自民党内でも新自由主義無駄たたきの緊縮派はいる。

すると、また新自由主義に流される懸念はある。さらに、2大政党制だと弱者救済のスタンスを取る勢力がいなくなる。弱者救済ケインズ主義れいわが可能性があるけど。

やはり2大政党制狙いの小選挙区制をやめて中選挙区制に戻すべきじゃないかと。産業育成ケインズ主義政党が中心となり、強者寄りの新自由主義政党と、弱者寄りの弱者救済ケインズ主義政党が両側から引っ張る構造の方が良いのではないかと思う。

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-03-04

anond:20230304182938

現代において通貨自体政府負債だという話と、自国通貨建て国債では財政破綻しない。外貨借金での財政破綻否定していないという話だぞ。

だよ。

1930年世界恐慌に対して、ケインズ主義として、不景気なら国債を発行して需要を作りましょうという話があったんだ。

一方で、1970年代オイルショックとか、アメリカベトナム戦争戦費や欧州日本の復活で経常赤字と金流出が起きたり、途上国が腐敗して財政破綻することになったんだ。だから財政出動は良くないんじゃない?という話になった。

だけど、MMTで、自国通貨建て国債外貨借金は別じゃない?財政破綻外貨借金だけの問題じゃない?となった。とすると、外貨借金問題が起きない基軸通貨国と経常黒字国は不景気ならやっぱり国債を発行して需要を作りましょうとなる。

しかし、今みたいな海外インフレ需要大供給小の状態では、次に需要大に合致した供給自分たちが作って好景気にすることが大事だとは思う。

インフレにすることと、インフレによる需要大に合致する供給を作ることの2段階必要だと思う。

2023-01-16

anond:20230116110859

オイルショックみたいな特別な年を除けば昔は インフレ率より金利の方が高かったか

銀行に預けておけばお金が増えたは正しいし

株式の長期投資でのリスクプレミアムが5~6%に対して

昔の金利が5~8%あるんだから

2023-01-10

anond:20230109235302

投資乗数に意識がないから。

後、ケインズ主義も、アメリカベトナム戦争欧州日本の復活で負けて経常赤字と金流出起こしたり、オイルショックがあったり、途上国の腐敗があったりと完全ではないから。

それでも、基軸通貨国でいるか経常黒字を出し続けること、供給対策をすることが上げられる。

今回のウクライナ戦争も供給不安でのインフレを招いたよね。しかし、1970年代オイルショックと違い、再生可能エネルギーが低コスト化しており、蓄電池もだいぶ安くなってるから、代わりの供給を作ることにフルスロットルをかけてる。

ケインズ主義新自由主義もどちらも完全じゃないけど、それぞれの理論上の欠点を確かめて正しい道を歩むようにしていくべきだと思うよ。税制消費税減税も含めて、使ったら減税、貯め込んだら増税とするべきだな。

2022-10-16

anond:20171012235314

また「経済音痴リベラル左翼」を叩きたいだけの歴史捏造オイルショック時の田中角栄に当てはまるのは麻生太郎であって、民主党政権じゃない。

民主党政権が倒れたのは党内の内輪揉めとメディアバッシングであって、経済政策の要素はほぼないと断言していい。今からデータを振り返っても、景気はそこまで悪かったわけではない。

安倍政権メディアを懐柔してバッシングを許さず、逆に「アベノミクス」の宣伝部隊として活用し、「安倍政権のおかげで経済が良くなった」かのような演出をして成功した。言ってみればその違いだけ。

2017年記事なのか。なんで今更?

2022-08-13

anond:20220808230317

世の中に良いもの提供したものが勝つという競争主義好景気ときには自然になるの。

不景気の時は人の足元を見て食い物にしようという怪物ばかりが勝つようになるの。むしろ起業イノベーションだの世界は、いい餌ないかというピエロが踊り狂う悪趣味人形遊びの様相しかなってない。楽園を騙った墓場

商品がきちんと良いものが作れてそれで受け入れられるならともかく、「そんなこと弱い立場人間になんざ許されない」のが新自由主義であり、今の新自由主義に基づく起業イノベーションだのの世界

更に最近は究極の弱いやつが起業に関心を持ってくれれば十分だとマルチ商法だとかオンラインサロン草刈り場にしかなってないじゃない。

一方で口先だけの詐欺師が金を集める。いや、本当に何か新しい良いものを作ろうとしたがそもそも投資家技術なんか興味がなく、確実に儲かるものものしか求めず投資家の都合ばかりで振り回すから、本当に志があっても詐欺師のように振る舞う必要があるのだろう。

そうして最後詐欺師扱いされて世間や、それこそこの世から消え去る。

不景気だろうが緊縮財政取ったり、資金循環を止める場所の減税をする新自由主義こそがこの惨劇の原因。社会は何もしないと金持ちが強く貧乏人が弱い世界なんだよ。

日本米百俵1990年まで科学にきちんと金を出して吟味の金と時間を出してたから昔は強かった。最も米百俵こそ一番汚されたな。だって教育科学技術こそ新自由主義破壊されたから。

無論ケインズ主義途上国の腐敗や、アメリカベトナム戦争による経常赤字化や、突然のオイルショックのような供給由来のコストブッシュに完全ではないことはあろう。何に政府が使い、何を使わないのは永久課題だ。しかし最小限の何もしないというのは間違いだ。

しかし、いまのウクライナ戦争の余波のコストプッシュインフレを見れば緊縮財政構造改革規制緩和がなんの役に立つのか?といえば微塵も役に立たないのは断言できる。

正しい競争を起こしたいならこそ、まずはケインズ主義必要であれば財政出動金融緩和をし、その上で儲かる前の科学に金を出さないとならない。

2022-08-06

anond:20220806102020

ちなみに、資本家に対してどう立ち向かうかは20世紀の最大のテーマであって、故にマルクス主義ケインズ主義が生まれた。

マルクス主義暴力しかないと考えたけど、ケインズ主義好景気にして、労働需要が高い状態にすれば失業がなくなり賃金待遇が上がると考えた。だからこそ好景気の維持は大事なんだよ。

もっともただの財政出動だと、オイルショックのような供給不足や、ベトナム戦争からアメリカの経常赤字のような無駄遣いや、途上国の腐敗によるスタグフレーションに陥るという問題もある。一方でケインズ主義批判として生まれ新自由主義は一度大規模経済危機を迎えると、になると二度と経済回復しない。

そのような経済歴史教養として可能な限り多くの人が学び、踏まえて間違った政策には声を上げないとならない。

2022-07-30

anond:20220729213329

読んでみたけど、MMTの基本の「現代においての通貨政府負債自国通貨建て国債では財政破綻しない」という点は揺らいでないよね。

外貨借金から財政破綻するし、「実物に由来するインフレなんてのは、貨幣をどういじろうとどうにもならない。」と言うのはそうだとも言える。しかし、実物に由来するインフレ生産を増強していれば防げる。

ケインズ主義否定されたのも、1970年スタグフレーションオイルショックアメリカの経常赤字1970年時点では石油に変わるエネルギはー殆どなかったのと、アメリカの経常赤字ベトナム戦争反動

から政府自由にすれば良いという新自由主義が生まれたのだけど、一度財政危機を迎えると緊縮財政思考も相まって二度と経済回復しないし、近視眼的費用対効果を求めて基礎研究、応用研究破壊するし、その一方で空虚イノベーション起業だと叫ぶだけ。

事実上餌にできる鴨よ来たれと言うようにしか見えない。今の日本新自由主義30年の結末。

まずインフレにして設備研究投資が起きる状態にすること。次に政府が長期的視野に立って基礎研究、応用研究に金を出すことでしか供給を作れないし、実物に由来するインフレの防止や、外貨借金から財政破綻回避できないよ。

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