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2021-12-02

「空の彼方に最後の軌跡」

令和の名馬、コントレイルが、ジャパンカップを制覇して、無事、引退した。

競馬に詳しくない人に説明すれば、馬は3歳の時が本番で、特に3歳馬限定レース皐月賞日本ダービー菊花賞の3レースを制した馬を三冠馬と呼ぶ。

長い日本競馬史の中で、三冠馬は8頭しかいない。

最初三冠馬セントライト、神に捧げられた馬・シンザンアイドル馬・ミスターシービー絶対皇帝シンボリルドルフシャドーロール怪物ナリタブライアン英雄日本近代競馬結晶ディープインパクト暴君オルフェーヴル、そして父親ディープインパクトから王座を受け継いだ皇太子コントレイルである

コントレイル特別な馬だった。

三冠レースはそれぞれ、距離が違う。言うなれば短距離走皐月賞)、中距離走日本ダービー)、長距離走菊花賞)を1人の選手に全部勝て、と言っているようなもので、どれほど無茶なことが要求されているのかが分かるだろう。しかも馬ライフの中で1度きりしか挑戦できない。だからこそ歴代8頭しかいないのだが。

コントレイルは、「やや短距離」のマイル走で日本レコード記録を出したように、本来は、短距離向きの馬だ。長距離走には本来向いていない。

年末有馬記念は、競馬ファンにとっては特別レースで、オグリキャップディープインパクトオルフェーヴルのような時代代表する名馬たちが、このレース引退レースに選んできた。トウカイテイオー奇跡の復活のような超ド級ドラマが起きたのも有馬記念だ。

有馬で走って、そして勝ってこそ1人前と言う暗黙の認識がある中、コントレイルは、去年も今年も有馬の出走を避けた。有馬記念は、天皇賞春、菊花賞に次いで距離が長いレースからだ。

三冠馬の中では、コントレイルは明らかに距離特化の傾向が強い。日本競馬史上、最強の長距離馬と言えばメジロマックイーンだろうが、そのメジロマックイーンを母父に持つオルフェーヴルはスタミナ抜群で、4歳以上になってから、長距離ほど安心感のあるレース展開を繰り広げた。

そのオルフェーヴル産駒のマルシュロレーヌが、アメリカダートGI最高峰BCディスタフに勝つと言う歴史的快挙を成し遂げたように、オルフェーヴルを含む、オルフェーヴルの父・ステイゴールド系統の馬はいずれも異常なタフさとスタミナ力を持っている。ゴールドシップドリームジャーニーオジュウチョウサンなどだ。

対してコントレイルは、ディープインパクト産駒の中では、かなりガラス細工のように繊細だ。結果的には現役生活を大きな怪我もなく終えることが出来たが、陣営管理が極限まで注意ぶかかったからだろう。そんな繊細なコントレイルを無理して長距離を走らせて壊すことは出来ない。

からコントレイル有馬から逃げたと言われた。有馬から逃げる馬に三冠馬を名乗る資格があるのかと。普通の馬ならば名誉をとっただろう。有馬から逃げたと言われる方が辛い。

しかコントレイル特別な馬だった。ディープインパクト種牡馬となってから400億円以上を稼いでいる。今や、産駒はアメリカでも欧州でも活躍する世界の大種牡馬だ。そのディープインパクトはもういない。コントレイルはそのディープインパクト後継者なのだ。万が一、怪我をさせて予後不良になれば、半分に見積もっても200億円規模のビジネスがパーだ。

今後20年、血統面において、日本競馬大黒柱となる、本当に特別の中の特別な馬なのだ種牡馬としての価値は、オルフェーヴルコントレイルの半分にも満たない。陣営判断は間違っていなかったと思う。

終わってしまえば、生涯成績11戦8勝。GI勝利数5、GII勝利数とGIII勝利数がそれぞれ1ずつ。負けた3レースでもすべてGIレースで、2着が2回、3着が1回、一度も複勝を逃したことはなかった。驚異的な安定性能であり、堂々たる成績である。初戦の新馬戦以外はすべて重賞レースを走った。こんな馬はそうそういない。

と、長々と書いたが、本題は、コントレイル万歳の話ではない。

名馬には名レースがあり、名レースには名実況がある。フジの倉田アナは、コントレイルラストランとなったジャパンカップ実況で、「空の彼方に最後の軌跡!」と絶叫した。これが名実況だと賞賛されている。

果たしてこれが名実況と呼ばれるべきなのかと言う話だ。

「空の彼方に最後の軌跡」とはコントレイル名前意味が「ひこうき雲であることに掛けている。同時に、ディープインパクトラストランでの実況「これが私たちに見せる最後の衝撃!」に掛けている。ちなみにディープインパクトラストランとなった有馬記念の実況を担当したのは、同じくフジ三宅アナである

レースでは実況アナは何かしら気の利いたことを言わなければならないと言うプレッシャーがあるのは事実であって、三宅アナはそつなくこなしていた。倉田アナにも同様のプレッシャーがあったのは理解できるのだが。

競馬実況を離れて言えば、私の意見では、フジ男性アナにはそもそもアナウンス技術不安な人が多い。牧原アナほとんど原稿を読むたびに必ず1回は噛んでいた。倉田アナあんまりアナウンサーとしては安心感がある人ではない。フジ男性アナは、露木アナ逸見アナ三宅アナと達者な人たちもいる半面、技量素行人格的にもどうなのかと首をかしげる人たちも結構多い。

倉田アナには別に恨みは無いのだが、今回の「名調子」は正直いただけない。

話は単純で、今回のレースの出走馬にはキセキが含まれいるからだ。ゴール前の直線で、「空の彼方に最後のキセキ!」と叫べば、レース展開の理解無駄に妨げかねないと言うことを思い至らなかったのだろうか。競馬は当たり前だがお金がかかっていて、そして耳で状況を把握している人たちもいる。

文学的調子云々以前に、実況は「分かりやすく正確に伝える」ことがまず大前提で一番大事なことだ。

もちろん、倉田アナの実況を称賛している人がほとんどだから、失敗とまでは言わないが、もう1回立ち止まって、実況の本分を思い返して欲しいところだ。

2021-08-17

anond:20210817130210

地元でコツコツ足場を固めてきた人と、よそからやってきたシンザンとで立場が違うのは当たり前だろう

タリバン共和国でなくどこの国も同じ

2021-04-26

anond:20210426162225

シンザン杯がちゃん描写されてるし、シラオキ様とか言及されてるから展開次第では出うるかもね

昔の名馬のマルゼンスキーかもしかたらこの緑の服のお姉さん幻の馬じゃねえかって説もあるからそこら辺を掘り下げたらシンザンを掘り下げざるを得なくなるんじゃなかろうか

 

マルゼンスキー普通に出てるぞ

すまん、なんか色々文字句読点も足りんかった

昭和の名馬のマルゼンスキーとか出てるし、もしかたらこの緑の服のガチャとかで出てくるお姉さんは幻の馬を元ネタにしてるんじゃねえかって説もあるから昭和世代の話も掘り下げられるんじゃない?って話

何より幻の馬はシンザンさんより年代が先輩みたいだし、ウマ娘内でもスピードは衰えてないみたいだし…みたいな

昭和の競走馬はウマ娘とか言語道断そう

シンザンとか

2021-03-01

ウマ娘に出てきてほしい名馬たち

シンザン

1961年まれ。史上2頭目三冠馬、そして史上初の五冠馬であるディープが登場するまでの史上最強馬といえばルドルフであり、そしてルドルフが登場するまではシンザンこそが史上最強馬だった。19戦15勝、2着4回。3着以下に負けたことがなく、そのわずかな敗戦トライアルばかりで「調教代わりに手を抜いて走っているのでは」とも言われた。ルドルフを超える神のごときカリスマを持った最強のウマ娘として出てきてほしい。

タケシバオー

1965年まれ。29戦して海外遠征を除けばすべて3着以内という強さを誇った怪物。驚くべきはそのレース選び。芝でもダートでも長距離でも短距離でも勝ちまくる。いわば強化版アグネスデジタルである。3200mの天皇賞春と1200mのスプリンターズステークスを両方勝っているのはタケシバオーだけであり、当時はシンザンと並ぶほどの評価を与えられていたらしい。豪放磊落って感じのウマ娘として出てきてほしい。

ハイセイコー

1970年まれ日本競馬史上においてオグリキャップと並ぶアイドルホース地方から中央競馬に殴りこんで連勝を重ねたのも同じ。しかハイセイコー皐月賞では勝ったもの日本ダービータケホープに敗れてしまう。実はハイセイコーは2000mまでの馬。馬場ダートのほうが合うと言われていた。マイル路線ダート路線もまだ整備されていない時代ハイセイコーは不利な戦いを強いられ、しかしそれにより更なる人気を獲得した。同性から人気があるタイプの不良っぽいウマ娘として出てきてほしい。

カブラヤオー

1972年まれツインターボメジロパーマーの究極形。人呼んで「狂気の逃げ馬」。とにかく最初から最後まで全力で逃げ続ける。しかもその戦法で9連勝して皐月賞ダービーの二冠馬となっているのである。なぜそんな極端な戦法をとっていたかというと、実は幼い頃に他馬に蹴られたトラウマのせいで、馬込みの中で走らせることができないからだった。狂気暴走と思いきや泣きながらいじめっ子から逃げていたわけで、この時点でもうウマ娘っぽい。

テンポイント

1973年まれ。「流星貴公子」と呼ばれたアイドルホースである競馬ではしばしば「三強」の構図が表れるが、テンポイントにもトウショウボーイグリーングラスという同世代の好敵手がいた。三頭とも出走したレースでは必ずワンツースリーを占め、三頭ともが年度代表馬になったという、稀有ライバル関係だった。そしてレース中に骨折予後不良となった名馬としてキーストンサイレンススズカと並んで語られることが多い。正統派イケメンウマ娘として出てきてほしい。

ミスターシービー

1980年まれ。(ウマ娘に)もう出てるだろ!って突っこまれそうだけど、個人的に大好きなので、まだゲームには実装されてないのを言い訳に紹介するわ。

ミスターシービーは史上三頭目三冠馬最後からまくって追い込む豪快な競馬身上で、皐月賞では泥んこの不良馬場を後方から差し切り、ダービー菊花賞では当時のセオリーをガン無視して勝ってしまった。とにかく破天荒でド派手な馬だというイメージがある。ルックスイケメンで、現役時はアイドルホースと言っていいくらいに人気があった。また、父親は「天馬トウショウボーイ母親はそのトウショウボーイと同じ新馬戦を走ったシービークインで、この母からミスターシービーしかまれていない。これも「初恋の馬に操を立てた」などとドラマチックに語られて人気の一因となった。

しかし悲しいことに、シービーの一歳年下には無敗の三冠馬シンボリルドルフがいた。シービーは皇帝と戦い、完膚なきまでに負けてしまう。ジャパンカップ有馬記念天皇賞春。いちども勝つことができなかった。当時の人気が忘れ去られた現在では、シービーは「史上最弱の三冠馬」などと言われてしまう始末である言い訳をすると、シービーは本質的には中距離馬だと言われており、ルドルフと戦った距離は得意としていなかった。また体質も弱く、菊花賞のあとは一年もの休養を余儀なくされており、古馬になってからは蹄がボロボロだったらしい。ゆえに私は、もしルドルフと同世代皐月賞を戦ったなら、彼はきっと皇帝を倒していただろうと信じてやまないのである

実にミスターシービーこそは、ディープインパクトのような走り、トウカイテイオーのようなアイドル性、ナリタブライアンのような悲劇性を兼ね備えた名馬だと思う。ウマ娘でもかっこよく描かれてほしい…早く実装してくれ…。

サニーブライアン

1994年まれ通称「サニブ」。ほとんど注目されずに皐月賞では11番人気。しかしそこでまんまと逃げ切ってしまう。誰もがフロック(まぐれ勝ち)だと思ったその次の日本ダービー皐月賞馬なのに7番人気。しかしサニブはまたしても逃げ切ってしまうのである。「これはもうフロックでもなんでもない!」という実況が有名だが、サニブはその直後にあっさり故障引退してしまったため、いまでも「サニブは本当に強かったのかどうか」で議論になるのだった。昼行灯な態度で周囲を油断させて実は有能みたいなウマ娘として出てきてほしい。

ステイゴールド

1994年まれ通称ステゴ」。GIでも好走するのに何故か1着が取れない「シルバーコレクター」の代表的存在としてファンから愛された。そして50戦目の香港遠征引退レースでついにGI勝利するのだから、作ったようにドラマチックである。が、ステゴの真の活躍それからだった。種牡馬として次々に超大物を輩出したのであるウマ娘アニメには「キンイロリョテイ」なんて名前で出ていたが、やはり実名で出てほしい大器晩成型の名馬だ。

クロフネ

1998年まれダービーがはじめて外国産馬にも開放された年の馬だったので「黒船から名付けられた。が、毛色は芦毛(白)である。有力馬としてダービーに出走したが勝てず、さまざまな巡り合わせからダートに出走したところ、驚異的なレコードで9馬身圧勝。次走のジャパンカップダートでも7馬身差でレコード勝利を収めたが、その直後に屈腱炎引退した。ダートではたった2走だけだったがその強さは鮮烈で、今なお「史上最強ダート馬」として支持されている。やはりまだまだダート馬が少ないのでダート最強格のウマ娘として出てきてほしい。

ヒシミラクル

1999年まれ10番人気で勝利した菊花賞。7番人気で勝利した天皇賞春。6番人気で勝利した宝塚記念GIを3勝もしているのに「強い馬」とはなかなか思われないムラのある個性派だった。特に有名なエピソードとして、宝塚記念ときヒシミラクル1000万円を賭けて的中させた通称ミラクルおじさん」の話がある。払い戻しは2億円だったという。まさに「奇跡」という言葉がよく似合う馬であるウマ娘としてはマチカネフクキタルあたりと仲良くやってほしい。

ロードカナロア

2008年まれサクラバクシンオーをも超える日本史上最強スプリンター香港スプリントを連覇した世界のロォォォォォォォォォォォドカナロア。異名は「龍王」。また種牡馬としても初年度から9冠牝馬アーモンドアイを送り出し、ディープ亡き後のリーディングサイアー最有力候補とみなされている。カレンチャンと同じ厩舎で、カレンチャンから距離路線王者の座を受け継いだので、ウマ娘でもそのあたりの絡みを見たいところである

ジャスタウェイ

2009年まれ馬主アニメ銀魂』の脚本家だったため、作中に登場する謎の爆弾ジャスタウェイ」の名前がつけられた。ググってもらうと分かるが完全にギャグである銀魂を知っているとネタ馬としか思えないが、しかし4歳時の天皇賞秋で突如として覚醒三冠牝馬ジェンティルドンナをぶっちぎって勝利した。中距離ではサイレンススズカ級の評価を受けている。最強12世代ウマ娘ではゴルシしかいないのは寂しい。社台系は無理でも個人馬主ジャスタウェイなら…。

キズナ

2010年まれ。生まれた翌年に東日本大震災が発生し、そのことで苦労した馬主が、関係者への感謝を込めて、震災復興スローガンである「絆」を、その年の一番馬に名付けたと言われている。皐月賞を捨ててまで狙った日本ダービー。1枠1番1人気。大外一気で見事に1着となり、父ディープインパクトの主戦だった武豊ダービー5勝目を贈った。とにかく主人公感がある。ウマ娘としては挫折してもめげない王道主人公っぽい感じで出てきてほしい。

2020-12-09

anond:20201206114053

・各時代競走馬比較するための時代区分(私案)

1 1905年1931年 公認競馬馬券禁止連合二哩創設~旧競馬法制定~東京優駿日本ダービー)創設以前

  代表的競走馬コイワヰ、バンザイナスノ、ハクショウ、連合二哩の勝馬

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2 1932年1944年 東京優駿日本ダービー)創設~競馬開催の停止

  代表的競走馬:ワカタカその他東京優駿勝馬セントライトクリフジ

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3 1946年1963年 戦後競馬再開~シンザン登場以前

  代表的競走馬トキノミノルメイヂヒカリハクチカラ

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4 1964年1980年 シンザン三冠ジャパンカップ創設以前

  代表的競走馬シンザンスピードシンボリトウメイハイセイコー、TTG

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5 1980年現在   競馬の国際化(ジャパンカップ創設・グレード制導入等)

  代表的競走馬ミスターシービー以降の三冠馬、オグリキャップ、いわゆる「最強世代」、ウオッカ

  ※この時代については、更に細分化されるべきかもしれない。

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2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2020-11-28

anond:20201127165849

(3歳馬による)クラシック三冠馬牝馬三冠馬について

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クラシックとは、皐月賞東京優駿日本ダービー)・菊花賞桜花賞優駿牝馬オークス)の5つのレースを指す。

クラシックレース定義・成立等については省略。

一般的に、皐月賞東京優駿日本ダービー)・菊花賞を捉えてクラシック三冠馬と言うが、クラシック三冠馬牡馬に限るものではない。牝馬がこれらのレースを達成しても正則のクラシック三冠馬となる(達成馬なし)。また、牝馬については皐月賞東京優駿日本ダービー)・菊花賞桜花賞優駿牝馬オークス)の内、桜花賞優駿牝馬菊花賞を勝てば、牝馬三冠馬(かつ牝馬クラシック三冠馬)、その他の組み合わせの三つを勝てばクラシック三冠馬(変則)、二つを勝てばクラシック二冠馬(変則)と見なして良い。

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牝馬三冠は、1970年ビクトリアカップ制定される以前は、桜花賞優駿牝馬菊花賞牝馬三冠であったと見なして良いだろう(達成馬なし)。

例えば、1964年カネケヤキ牝馬二冠馬)が菊花賞に出走している(結果は5着。なお、このレースで、シンザン戦後初の三冠を達成)。

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変則のクラシック三冠馬1943年クリフジ東京優駿日本ダービー)・優駿牝馬オークス)・菊花賞。無敗で達成)がいる。

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東京優駿6/6→阪神優駿牝馬オークス10/3→京都農林省賞典四歳呼馬11/14(京都農賞。後の菊花賞)というローテーションで達成(戦前競馬春秋に開催)。また、クリフジは仕上がりが遅く、4月横浜農林省賞典四歳呼馬(後の皐月賞)には間に合わなかったもの(デビューが早く、出走できていれば勝ったと思われる)。

翌年1944年以降は太平洋戦争大東亜戦争)の激化により、競馬平時通りの開催ができなくなったため、三冠馬の発生するチャンスは戦後1947年まで無くなる。

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変則のクラシック二冠馬は、1947年トキツカゼ皐月賞(当時・農林省賞典)・優駿牝馬。同年の東京優駿2着)がいる。

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2020-10-28

anond:20201028002727

神話にも思えるほど昔の話って三大始祖からエクリプス古代ギリシャ後期ぐらい)とかで、

戦国時代ぐらいがセントサイモンとかで、

明治大正のたいへんな時代リボーとかで、

高度成長期伝説セクレタリアトで、

シンザンとかそのあとだと思ってた。

 

ナリタブライアンも見たことはないけど子供のころ、

法事たまたまついてたTVでたぶんエルコンドルパサーが勝ったシーンを見た人間感覚

今年コントレイル三冠馬になったわけだが

ナリタブライアン三冠馬になったのが26年前。

ナリタブライアンの30年前の三冠馬シンザンから、今ナリタブライアンの話をするのは、ナリタブライアン時代シンザンの話をするようなものだ(正確にはナリタブライアンの26年前はタケシバオーなどの世代)。

ぼくにとってはナリタブライアンはよく知っている馬で、シンザン神話にも思えるほどのはるか昔の馬なのだが、ぼくより年上の人にとってはシンザンも実際に見て昨日のことのように思い出せる身近な存在なのだろう。

2020-02-09

三国志演義競馬を見た感想

赤兎馬って長生きだよな。

189年に董卓呂布を他の勢力から引き抜くために与えるときに登場する。

呂布が旧主を殺して鞍替えするほどだからこのときすでに名馬として評価されている。

そして関羽の手に渡り、220年に関羽が死んでから呉の武将に与えられるが、餌を食わなくなって死ぬ

189年から220年まで31年。

初登場時点で名馬ならおそらく3歳以上だろう。

そうすると220年で34歳以上になる。

2014年までのサラブレッド長寿記録はシンザンの35歳だった。

もちろんほとんどの馬はこれより早く死ぬ

シンザンに迫る長寿だ。

晩年に呉の武将馬忠に与えられたときはもうすっかりヨボヨボになっていそうなものだが、孫権はこれを「名馬」として与えたのだろうか?

あるいは元名馬の功労馬扱い?

関羽の崇拝者でもないのにそんな馬をもらってもという感じだが。

名馬といっても戦争の道具なんだし衰えた馬をいつまでも置いておくものだろうか?

これで現役なら化け物だ。

三国志演義では呂布関羽超人的な化け物なので、馬の常識を超えた化け物として描かれているのかもしれない。

赤兎馬あくま品種であって固有名詞ではないともいえるが、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」という言葉もあるし、関羽の手から離れた直後に死んだので、関羽の愛馬であるあの1頭の赤兎馬であることが強調されている。

最初に登場した赤兎馬とは代替わりした可能性もあるが、2頭以上手に入るなら関羽けが赤兎馬に乗る理由がない。関羽の息子達が乗っていてもいいはずだ。

2018-06-29

anond:20180629131659

大人の事情抜きにしてもシンザンディープオルフェあたりは最初バージョンはいなくていいと思う。

あとは諸事情により大勝負が少なかったとはい本来マルゼンスキーも別格に扱っていいと思うんだけどな。

2018-05-20

アベシンザン様、本当に申し訳ございませんでした。

なんとお詫び申し上げてよいやら…。

2018-03-21

ささやかな この人生は どこへ続いてゆく

3月末だというのに関東では週中雪模様。

底冷えする寒さのなか、どんよりとした空を眺めていると、何だかから叩き出された子供の頃を思い出して、やるせない不安と寂しさが襲ってくる。まだ元気だった頃の親が懐かしい。

家に帰ってテレビをつける。画面の向こう側ではカラフルなひな壇で芸能人バカ騒ぎしているというのに、俺を取り囲んでいるのは頭の油でギトギトに変色した枕、すえた臭いを発するビールの空き缶、何年も前のグラビア誌。グラビアの表紙を飾った子をスマートフォン検索してみたが、その後それらしい活動をした形跡はない。主婦になったのかな。第二の人生を楽しく歩めているといいな。

鈍い音で独り言つぶやき続ける冷蔵庫けが俺の友だちだ。電気供給してやるかわりに、彼はいつも俺のために冷凍食品サーブしてくれる。ギョウザコロッケ冷凍食品賞味期限はあってないようなものだが、刻一刻と俺の賞味期限は近づいている。蛍光灯に照らされる自分の顔を鏡で見ると、黒い染みが浮いてたりなんかして、もう若くないことを否が応でも悟る。そういや俺の人生、賞味されそうなことなんてあったっけ。

東京にきてxx年。様々な馬が走るのをこの目で見てきた。そうそう、2000年小田和正の歌に乗せたJRAイメージCMがあったよな。ワカタカシンザンハイセイコーテンポイント、ルドルフ、ブライアンエルコンと名馬が時系列で流れていくヤツ。時代を彩る名馬の変遷とともに小さな子ども大人になって結婚して、子供ができて孫ができて……右肩上がり人生とともに競馬ありって感じがして、何だか当時はワクワクしたもんさ。

でも今思うと、名馬はきらびやかに現れて、入れ替わり立ち替わりステージから消えていくが、俺の人生はずっと続いている。それも右肩上がりどころか未勝利のまま。あのCM歌詞で「ささやかな この人生は どこへ続いてゆく」ってとこだけ覚えてるよ。アーア、このやるせない気持ち、どうしたらいいんだろうな。馬券で大勝ちすれば、救われるのかな。

というわけで、「高松宮記念」の予想。俺が注目しているのは俄然、ファインニードル過去中京千二(浜松S)で2人気⑩着という成績、これまで23戦走って左回り大敗たこの1度のみ、という点が嫌気されるなら面白い

実際、このレースをよく見てみると、スローな流れで出遅れたのが致命的。得意の先行策をとれず、流れ込むのが精一杯だった。挙げ句に馬体もプラス10キロと明らかな太め残り。さすがにこの1戦で「左回りから」と割り引くのは、早計に過ぎるだろう。事実、前走のシルクロードSではプラス18キロながら、すんなり番手につけ余裕の勝利最近の成長ぶりは明らかで、自分競馬に持ち込めさえすれば、でき半ばでもこれだけヤレるというところを示してみせた。

奇しくも先日、オーナーシェイクハメド殿下は、ゴドルフィングループとして国際的使用しているロイヤルブルーに似せた「青・袖水色一本輪」へと変更することを発表。国内GIでは、この「高松宮記念」が初披露となるのも縁起が良くはあるまいか

2017-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20170512062632

アンザンガン

アンシンカン

アンゼンケン

アンゼンピン

アンゼンベン

アンゼンメン

アンパンマン

アンポンタ

アンモンガン

インゲンアン

ウンテンイン

ウンテンオン

ウンドンコン

ウンパンセ

ウンモンザン

ウンリンイン

エンカンサン

エンカンメン

エンガンセン

エンキカン

エンサンエン

エンジンオン

エンセンカン

エンマンイン

オンインロン

オンセケン

カンゲンエン

カンサンボ

カンセンエン

カンセンゲン

カンゼンバン

カンタンブン

カンテンセン

カンテンバン

カントンメン

カンニンブン

カンネンロン

カンノンイン

カンノンカン

カンノンボン

カンブンテン

カンランガン

カンランケン

カンランザン

カンリンイン

カンレンヒン

ガンガンサン

ガンケンエン

ガンケンシン

ガンメンキン

ガンリンキン

キンカンバン

キンキンゼン

キンクンレン

キンシンカン

キンシンコン

キンセンカ

キンセンメン

キンテンカン

キンテンネン

キンハゲン

キンマカン

キンランデン

クンテンボン

クンレンセン

ケンエンケン

ケンケンロン

ケンシンレン

ケンダンケン

ケンミンセン

ケンレンハン

ゲンカンバン

ゲンジカン

ゲンニンロン

ゲンブンキン

ゲンロンジン

コンインゼン

コンカンバン

コンロンサン

コンロンザン

ゴンゲンサン

サンインセン

サンゲンキン

サンザンカン

サンシンザン

サンセンジン

サンセンベン

サンゼンイン

サンゼンコン

サンタゲン

サンボンセン

サンミサン

サンモンバン

サンランカ

シンカンウン

シンカンセン

シンカンボン

シンキンエン

シンキンカン

シンキンケン

シンコンサ

シンゴンイン

シンジンセン

シンセンエン

シンタンリン

シンデンデン

シンナンピン

シンニンアン

シンニンカン

シンハンニン

シンパンイン

シンパカン

シンブンガン

シンブンジン

シンブンテン

シンモンカン

シンリンカン

ジンインゲン

ジンケンロン

ジンシンケン

ジンミングン

ジンミンゲン

ジンメンケン

ジンモンカン

センケンダン

センケンロン

センゲンアン

センゲンブン

センシンロン

センジンクン

センデンセン

センデンブン

センデンマン

センニンケン

センマンニン

センモンカン

センモンテン

ゼンインシン

ゼンカンパン

ゼンキンセン

ゼンギンレン

ゼンゲンテン

ゼンシンダン

ゼンシンレン

ゼンセンメン

ゼンゼンネン

ゼンハンセン

ゼンハンブン

ゼンパンセ

ゼンパンレン

ゼンヘンカン

ゼンワンキン

タンカンエン

タンカンガン

タンカンキン

タンケンシン

タンサンエン

タンサンセン

タンタンゼン

タンタンメン

タンニンサン

タンパカン

ダンダンゼン

ダンテンモン

チンゲンイン

チンゲンピン

チンコンシン

チンデンカ

チンナンピン

チンプンカン

テンアンモン

テンオンゲン

テンカンテン

テンシンドン

テンシンハン

テンジンサン

テンナンバン

テンネンリン

テンモンカン

デンゴンバン

デンシンオン

デンシンセ

デンセンマン

トンキンワン

トンチンカン

トントンセン

トンナンセン

ナンカンボン

ナンキンジン

ナンキンセン

ナンクンデン

ナンシンロン

ナンバンジン

ナンバンセン

ナンミンセン

ニンゲンカン

ニンシンジ

ニンシンセ

ニンメンケン

ネンキンザ

2016-12-13

増田って面白い

とほんの一瞬、勘違いしてた。

シンザンのニワカですけど、もう二度と覗きません。

本当にくだらない。

2013-07-18

顕彰馬

JRA顕彰馬 - Wikipedia

年代馬名生年GI級競走功績
1930年代クモハタ1936年1勝ダービー優勝 / 種牡馬としてGI勝ち馬14頭 / 産駒年間157勝 / 内国産馬初のリーディングサイアー
セントライト1938年3勝史上初の中央競馬クラシック三冠
1940年代クリフジ1940年3勝史上唯一の中央競馬変則三冠 / 11戦無敗
トキツカゼ1944年2勝史上初の牝馬皐月賞優勝 / オークス優勝 / 繁殖牝馬として年度代表馬2頭
トサミドリ1946年2勝クラシック二冠(皐・菊) / 種牡馬としてGI勝ち馬16頭 / 産駒通算1135勝
トキノミノル1948年2勝クラシック二冠(皐・ダ) / 10戦無敗 / アイドルホース
1950年代メイヂヒカリ1952年4勝第1回有馬記念優勝 / 日本競馬史上初の引退
ハクチカラ1953年3勝ダービー優勝 / 日本馬初の海外遠征 / 日本馬初の海外重賞勝利 / 史上最高のGI単勝支持率85.9%
セイユウ1954年0勝アングロアラブでは唯一の中央競馬サラ系重賞勝ち / 当時世界記録の年間種付け238頭
コダマ1957年3勝クラシック二冠(皐・ダ) / アイドルホース
1960年代シンザン1961年6勝史上2頭目中央競馬クラシック三冠 / GI馬では最多の19戦連続連対連対100% / 史上最多のGI6連勝 / サラブレッドの最長寿記録 / 産駒重賞49勝 / 産駒24連続勝利
スピードシンボリ1963年4勝史上初の有馬記念連覇 / 日本馬初のKGVI&QES・凱旋門賞挑戦 / 中央競馬最多記録タイとなる重賞12
タケシバオー1965年3勝天皇賞・春スプリンターズステークスで優勝 / 海外成績を除く23連続連対 / 中央競馬初の獲得賞金1億円越え
グランドマーチス1969年4勝中山大障害四連覇 / 中央競馬初の獲得賞金3億円越え
1970年代ハイセイコー1970年2勝アイドルホース
トウショウボーイ1973年3勝産駒重賞43勝 / 内国産種牡馬として初めて三冠馬を輩出
テンポイント1973年3勝アイドルホース
マルゼンスキー1974年1勝8戦無敗
1980年代ミスターシービー1980年4勝史上3頭目中央競馬クラシック三冠 / アイドルホース
シンボリルドルフ1981年7勝史上4頭目中央競馬クラシック三冠 / 無敗の三冠馬は初 / 中央競馬最多タイGI7勝
メジロラモーヌ1983年3勝史上初の中央競馬牝馬三冠 / 重賞6連勝 / 牝馬初の獲得賞金3億円越え
オグリキャップ1985年4勝アイドルホース / 重賞6連勝
メジロマックイーン1987年4勝天皇賞父仔三代制覇 / 史上最多の4年連続GI勝利 / 世界初の獲得賞金10億円越え
トウカイテイオー1988年4勝父仔で無敗のクラシック二冠(皐・ダ) / 日本馬初の国際GI勝馬 / 史上最長の休み明けGI勝利(364日) / アイドルホース
1990年代ナリタブライアン1991年5勝史上五頭目クラシック三冠
タイキシャトル1994年5勝外国産馬初・短距離馬初の年度代表馬 / 日本馬初のジャック・ル・マロワ賞優勝 / 中央競馬最多タイとなる重賞8連勝
エルコンドルパサー1995年3勝3歳馬初のジャパンカップ優勝 / (日本馬初の凱旋門賞2着) / 国際レーティング日本馬最高の134ポンド
テイエムオペラオー1996年7勝古馬GIグランドスラム / 年間無敗 / 中央競馬最多タイとなる重賞8連勝 / 中央競馬最多タイGI7勝 / 史上最多タイGI6連勝 / 当時中央競馬歴代1位の獲得賞金18億3千万
2000年代ディープインパクト2002年7勝史上6頭目中央競馬クラシック三冠 / 史上2頭目となる無敗の三冠馬 / 中央競馬最多タイGI7勝 / アイドルホース / 種牡馬として牝馬三冠馬を輩出
ウオッカ2004年7勝64年ぶり牝馬ダービー優勝 / 内国産牝馬初のジャパンカップ優勝 / 中央競馬最多タイGI7勝 / 牝馬では最多の牡馬混合GI5勝 / 牝馬初の2年連続年度代表馬
オルフェーヴル2008年6勝史上7頭目中央競馬クラシック三冠
ロードカナロア2008年6勝史上初のスプリントGI3勝(最終的には5勝) / 日本馬初の香港スプリント優勝(連覇) / スプリンターでは史上初の年度代表馬
ジェンティルドンナ2009年7勝史上4頭目中央競馬牝馬三冠 / 3歳牝馬初のジャパンカップ優勝 / 3歳牝馬初の年度代表馬 / 史上初のジャパンカップ連覇 / 内国産牝馬初のドバイGI制覇 / 牝馬では歴代1位の獲得賞金
2010年代キタサンブラック2012年7勝中央競馬最多タイGI7勝 / 中央競馬歴代1位の獲得賞金18億7千万

顕彰馬候補

馬名生年GI級競走功績
スペシャルウィーク1995年4勝当時世界記録の獲得賞金10億9千万 / 内国産種牡馬として初めて海外GI勝ち馬を輩出
ダイワスカーレット2004年4勝37年ぶり牝馬有馬記念優勝 / 12連続連対連対100%
ブエナビスタ2006年6勝史上最多タイの4年連続GI勝利 / 中央競馬最多の19戦連続一番人気
ヴィクトワールピサ2007年3勝日本馬初のドバイワールドカップ優勝
ゴールドシップ2009年6勝二冠馬(皐・菊) / 史上初の宝塚記念連覇
ジャスタウェイ2009年3勝国際レーティング内国産馬最高の130ポンド / 国際レーティング日本馬史上初の単独1位
モーリス2011年6勝距離馬では史上3頭目年度代表馬
アーモンドアイ2015年9勝史上5頭目中央競馬牝馬三冠 / 中央競馬最多のGI9勝 / 中央競馬歴代1位の獲得賞金19億1000万円

顕彰馬候補の現役馬

馬名生年GI級競走功績
オジュウチョウサン2011年4勝障害最多タイのJ・GI4勝(連勝) / 障害重賞最多8連勝
コントレイル2017年4勝史上8頭目中央競馬クラシック三冠 / 史上3頭目の無敗三冠 / 史上初の父仔無敗三冠
デアリングタクト2017年4勝史上6頭目中央競馬牝馬三冠 / 史上初の無敗牝馬三冠

2009-08-22

シンザンシンボリルドルフって今いたら下級条件馬だよね

http://anond.hatelabo.jp/20090821204803

タイムもしょぼいしディープインパクトなら100馬身前にゴールしてるw

 
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