はてなキーワード: 駐屯とは
そのころ都知事は男性が何度か擁立されたがうまくいかず、女性が統治しはじめて数世代を経ていた。
歴代の女性都知事は初代の名を襲名し、鏡を奉じて男性側近に補佐を受けつつまつりごととまじないとを能くしていた。
相模湾西部の熱海市近郊の海上。伊豆七島の領有をめぐって勃発した静岡県との抗争に際して、初代から数えて第17代目となる百合子は旗艦「神田」上で如上のセリフを口にした。
この時代は東京都統帥権は都知事が有した。百合子は政治的には東京都知事であり、軍事的には東京辺境領戦姫巫女の肩書きを世襲する。いわゆるエクストリームシヴィリアンコントロール体制の時代にあった。
なお付言すると、東京辺境領の名は京都臨時政府(京臨)による侮蔑的呼称であったものを、関東人がアイデンティティ形成の中で好んで自称するようになった歴史的背景がある。
緒戦において豊富な物量と都税による作戦を展開。酒匂川での会戦に勝利し現今都軍は湯河原に本陣を置く。
静岡県伊東市まで伸びるJR東日本は内通済みだ。往古の契約である伊豆急行と国鉄との境界と、静岡県と神奈川県との境界の差異を利用した政治的戦略である。
伊豆七島のある相模湾沖に睨みを効かせる必要は当然あるものの、静岡県府は遥か西方だ。
県民による「静岡県は東西に長いですからなぁ〜」が現実味を持っていやらしく聞こえてくる。
古い時代に伊豆熱川にもたらされた甘蕉鰐(バナナワニ)なる生物を飼い慣らし、軍事作戦に同行させる兵科だ。
甘蕉鰐兵は甘蕉鰐と寝食を共にし、巧みに甘蕉鰐を動かし、酒匂川でも川辺故に都軍を脅かした。
その大隊が伊豆の国市に駐屯しているという。半島側から攻めるにしても三島に出るにしても睨みが効く位置にある。
意外に、静岡は粘り強く戦うかもしれない。
浜松の手前には、300年前に先祖のリニアさえを止めた大井川がある。
大井川にも特殊兵科がある。鉄道機関車の正面に面妖な顔面を据えた戦術機関車がいくつも配備されていると聞く。
https://anond.hatelabo.jp/20231105142941
なお、個人的にこの作品の最大の問題はどっちかというと皇居のすぐ近くに自衛隊の戦力が駐屯していて、しかも実質治外法権みたいに好き勝手やってて軍閥みたいになってるとこだと思う。軍隊なんて外国と戦うより自国民に銃を向ける率のが高いのが当たり前(だからシビリアンコントロールという概念がある)だが、自衛隊員ってそういう常識的なこと言うと発狂する人いるのですげー怖い。
戦国自衛隊。映画はそういう無双とか補給とか関係ないところでロックンロールしてるだけなので、正直どのぐらい無双なのかよくわからない。
ドリフターズ。火薬から作る。ただし、敵が超パワーで無双するので銃あんまり無双できてない。
陰の実力者になりたくて! 魔力が使える貴族は銃とか効かないっぽいが魔力が使えない一般市民を動員した兵士は銃で武装してる。
ファイブスター。上記のような「超強いやつが剣ふるうほうが銃より強い」イメージってたぶんファイブスターだと思うのでいちおう挙げとくが、よくわからん。
ハロルド・シェイ。異世界転生のメタ物みたいなのの元祖。復刊しろ
他バリエーションある?
※ほぼメモ書きです。
ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマン・ブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般にローマン・ブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境のオオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html
一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。
(1)作中時系列順
2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)
3世紀:銀の枝(The Silver Branch)
4世紀:辺境のオオカミ(The Flontier Wolf)
5世紀:ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)
9世紀:剣の歌(Sword Song)
1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店、1972年
1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールド・リング ヴァイキングの心の砦』原書房、2003年
1961年:夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版、2004年
1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎・山本泰子訳『落日の剣 : 真実のアーサー王の物語』原書房、2002年(2巻本)
1980年:辺境のオオカミ(Oxford University Press)→岩波書店、2002年
1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキングの物語』原書房、2002年
これらの作品群がファンWikiでDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカの指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているからである。ただ、『三銃士』シリーズのような一貫した主人公や陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニアに駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツはエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島の人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪の運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌス(ジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境のオオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。
もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境のオオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公はアンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在の人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人の指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけである。しかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。
『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人の王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公はヴァイキングの少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっとも最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキングの少女フライサと孤児ビョルン(後者が指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人に抵抗する様が描かれる。
見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親の不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境のオオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国と辺境民族(ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマ軍から脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキングが主人公になっている。アングロ・サクソン人のブリテン島征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人もノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人、ブリトン人、サクソン人、デーン人、ノルマン人とイギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカの指輪は父を殺害したピクト人の長老がマルクスに返却している)。
出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境のオオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊の作業量の限界だったのだろうか(1928年生まれだし)。そもそも『夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフの名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。
英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境のオオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境で名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン島南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティがローマからローマン=ブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカの指輪に象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代のイギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。
O七二年、劉媚薬は陰荊州の痴にて子宮駐屯屯し、名器たちと交わりて交流を深めた。
その中に一物鑑定士として名高い尻司馬徴が居た。
劉媚薬は優れたクンニを求めていたために、尻司馬徴にそのことを尋ねた。
尻司馬徴はイッた。
「このあたりに、アヘ臥龍・イン鳳吸うと呼ばれる双成の英ケツは居る。ショタつ肛明と包茎士元だ。」
徐小便はショタつ肛明の友であり、尚且つ劉媚薬の蜜壺に出し入れしていた。
あるとき、徐小便は「ショタつ肛明は優れたモノであるが、未だ世に射精たことがない。将軍殿はお会いになられたのでしょうか?」とイッた。
劉媚薬は当然その名を痴っており、連れてクることを求めた。
徐小便は「無理にヤることはできず、こちらから『てかどこ住み?Lineやってる?』と言うのが良いでしょう。」と答えた。
自らが評価する徐小便がそういうのであればと、劉媚薬はショタつ肛明を訪ねた。
タチ場であれば、上のモノである劉媚薬が下のモノであるショタつ肛明に最高の前戯を以って扱ったのである。
国の中央と沖縄を利害を共にしない別個の主体であるとすると、沖縄にとって不都合で中央にとって都合がいい選択がなされるのは、それが中央にとってコスパがいいからである。利害を共にするなら、沖縄にとって不都合なことは中央にとっても不都合なのだから、なされないはずである。しかるになされているのだから、利害を共にしないとの前提は、正しいものとして議論を進めても差し支えない。
利害を共にしないことが事態の根元にあるのだから、このふざけた盤面をひっくり返すには、利害を共にせざるを得ない泥沼に引きずり込んでやればいい。究極的には、中国の傘下に入ることだ。なあに、島津の侵略以前は中国のみの属国だったのだから、伝統的にはむしろその方が自然だ。香港を見ろ、ひどいことになるぞって? 香港がぞんざいに扱われるようになったのは、上海を筆頭に中国経済が発展し、相対的に香港の価値が下がったが故。日本が中国に膝を屈しない限り、対日本最前線の地政学的価値は下がらんよ。沖縄にとって中国が気前のいいパトロンであり続けるよう、せいぜい頑張って中国に張り合い続けてくれたまえ。すなわち、日本が栄えれば沖縄も栄え、日本が没落すれば沖縄も没落する。ほら、両者の利害が一致したw
実際のところ、中国陣営入りは実現しなくてもいい。現時点において、安保のコストを沖縄に偏重させることのコスパがよいのは、どんなにひどい扱いをしても沖縄が中国側に鞍替えすることはない、とナメくさっているからだ。俗に言う、釣った魚には餌をやらない、ってやつだね。餌代がいらないw それが、あまりひどい扱いをすると中国側に走りかねないとの可能性が僅かではあっても頭をよぎれば、餌をやらざるを得ない。
沖縄に中国陸海空軍が駐屯すれば、九州に今の規模をはるかに上回る即応力を置き、エネルギ源輸入海路防衛に多大な労力を割き、西太平洋に散らばる戦略原潜を監視し、とそのコストは防衛費対GDP3%なり5%なりといったレベルに達し、2%に増やすどころの騒ぎではないだろう。台湾への外交支援も桁違いに増やす必要が出てくるだろうし。それを思えば、今の沖縄予算を2倍や3倍に増やしても安いもの。それを中央の連中に思い出させるためにも、「ナメられたら殺す!!」覚悟をかためないとね。
ーーーーーーーーーー
ってなことへの想像力を、小渕元総理@沖縄サミット開催決定ぐらいまでの政治家は持っていたと思うんですよ。カネもあるけど、それ以上に、19世紀以来の国民国家というフィクションを守るためのナラティブといいますか。太田中将や島田元知事の顕彰が代表例だけど、沖縄の人々も同胞=利害を共にするんだって。沖縄返還も、本音での認識はさておき、アメリカ軍政に苦しむ(令和の世の基地問題ですらアレなのだから、当時のそれは推して知るべし)同胞を包摂するとの建前は大事にしていた。それが、中国がさほどの国ではなかった頃には受け継がれ、中国が少なからぬ面において日本を上回る今において忘れ去られつつあるのは、何と皮肉な話でしょう。
こんな駄文をしたためているのは、例のひろゆき騒動がトリガーなんだけど、昭和世代の保守じじいとしては、ああいった沖縄の人々とそれ以外の日本人を切断する言葉(とりわけ、沖縄の人たちのしゃべり方を揶揄するもの。宗教的絆帯のない日本にとって、言語の一体感が果たす役割は極めて大きいはず)は許しちゃイカンと思うのですよ。キレイゴトであることは百も承知で、沖縄に米軍基地が偏重していることは、将来において解決すべき課題だと非沖縄在住日本人も認識を同じくしているのだ、という看板は、守り続けなきゃいかんのですよ。打算的に。
海軍は比較的素行が良い方で、トラブルが無い訳じゃないけど沖縄に比べると格段に少ない。
他の地方だと佐世保もまあ少ない方だと思う(交通事故とかはあるが)。
まあ来航した船に海兵隊が乗船してる場合もあるだろうけど、上陸許可が降りなかったり出ても基地内だけだったりする。
海兵隊の素行が悪いってのもあるけど、単純に沖縄が米軍基地だらけで、駐屯してる米兵の頭数が図抜けて多いから事件、事故の件数も多くなってるって面は確実にある。
まあ沖縄から減らした分は九州のどこかに移転するんだろうけどな。
O七二年、劉媚薬は陰荊州の痴にて子宮駐屯屯し、名器たちと交わりて交流を深めた。
その中に一物鑑定士として名高い尻司馬徴が居た。
劉媚薬は優れたクンニを求めていたために、尻司馬徴にそのことを尋ねた。
尻司馬徴はイッた。
「このあたりに、アヘ臥龍・イン鳳吸うと呼ばれる双成の英ケツは居る。ショタつ肛明と包茎士元だ。」
徐小便はショタつ肛明の友であり、尚且つ劉媚薬の蜜壺に出し入れしていた。
あるとき、徐小便は「ショタつ肛明は優れたモノであるが、未だ世に射精たことがない。将軍殿はお会いになられたのでしょうか?」とイッた。
劉媚薬は当然その名を痴っており、連れてクることを求めた。
徐小便は「無理にヤることはできず、こちらから『てかどこ住み?Lineやってる?』と言うのが良いでしょう。」と答えた。
自らが評価する徐小便がそういうのであればと、劉媚薬はショタつ肛明を訪ねた。
タチ場であれば、上のモノである劉媚薬が下のモノであるショタつ肛明に最高の前戯を以って扱ったのである。
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
2022年2月11日「ワールドサミット2022・韓半島平和サミット 開幕式」にて前参議院議長 伊達忠一、前前環境大臣 原田義昭、現衆議院議員 高木宏壽らが出演した日本人代表セッションの書き起こし。
https://www.youtube.com/watch?v=f2ricogBBbE&t=6919s
それでは、プレナリーアドレスのパート2に参ります。日本を代表するリーダーの御二方にお会いしたいと思います。
まずは原田義昭第26代日本環境相、そして伊達忠一第31代日本参議院議長です。それでは日本に繋げてみます。日本どうぞ。
ありがとうございます。私は東京からご挨拶申し上げます。私は日本からご挨拶しております。(私は高木宏壽です(←同時通訳では抜けてた)。)日本の国会の議員です。
IAPP(世界平和議員連合)ジャパンフォーラムの構成員が集まっています。ワールドサミット2022と連携して、このようにテレビ会議で参加しております。
30人ぐらいの日本の議員が、IAPPのジャパンメンバーとして参加しています。皆様、ご挨拶申し上げます。
[拍手]
それでは、IAPPの日本フォーラムの議長であります原田様をご紹介申し上げます。日本の議員として、25年間活躍され、環境相として活躍されました。
IAPPの日本フォーラムを率いています。それでは、お招きしたいと思います。
ありがとうございます。ご紹介ありがとうございました。本日、この場で皆様方に私たちの考えをお話しする機会を得まして大変嬉しく思います。ワールドサミット2022のプレナリーセッションで皆様にお会いできて嬉しく思います。
まず開会に先立ちまして、UPFの創設者ハン・ハクチャ総裁に感謝申し上げます。大きな志を持ってワールドサミット2022を準備してくださいましてありがとうございます。
世界的に重要なテーマであります韓半島の平和をワールドサミット2022で扱います。 私たちはまたカンボジアのフンセン首相にも感謝申し上げます。パンギムン前国連事務総長にも感謝申し上げます。
何よりも私たちが平和、そして安保の状況、特に北東アジア地域を考えるときに、 北東アジア地域は韓国と日本が位置している地域でもあります。1番大きな脅威は、中国の覇権への野望であると言えます。日本のような場合は、何よりも尖閣列島の領有権に対する中国の侵略を懸念しています。中国の海警の船舶がこの地域に進出してきています。だからこれに対抗して日本の海洋警察が日本の漁船の安全を確保するために、 中国の船舶に対して日本の海域から離れるように持続的に警告しなければなりません。また、日本はこれから3、4年の間、発生しうる台湾有事について懸念しています。
3年か4年ぐらいで、もしかしたら台湾有事が発生するのではないかと懸念しています。台湾有事が発生しましたら、これは日米安保同盟において非常事態となります。台湾は日本と100キロぐらい離れています。
日本の沖縄県の米国島から100キロしか離れていません。中国軍が台湾を侵略したら、日本に駐屯している米軍が対応しなければなりません。
また、日本の自衛隊もアメリカの作戦に参加することになろうかと思います。
このような事態が発生しましたら、これは地球上のほかの地域ではなく、この地域、北東アジア地域の問題となります。現在日本は改憲を推進しております。改憲は日本において1番重要な政治的イシューの1つです。
日本の憲法は75年前に発行されてから1回も改正されたことがありません。
日本の憲法が時代遅れにならず現在の地政学的な状況に合わせて改憲されるべきだと思います。特に憲法9条が改正の対象となっています。憲法9条に基づいてお話申し上げますと、日本は軍隊を保有してはなりません。しかし、日本の自衛隊が実際は軍隊の役割を果たしています。これは辻褄の合わない話だと思います。ですから憲法9条はできるだけ早く改正されるべきだと認識しています。
日本は経済的に中国と連帯関係があります。また、中国に対する敵対感を持っているわけではありません。しかし、 日本に対する軍事的な侵害、そして人権蹂躙を見過ごすわけにはいきません。
チベットやウイグル地域での人権問題が中国によって発生しています。また、日本は韓半島の分断に対して懸念しています。1日も早く統一して、1つの単一国家となることを願っています。日本政府は韓半島の統一のために支援する方策を具体的に持っているわけではありません。
しかし、全ての日本の人々は南北が1つになることを願っています。
また同時に、毎週起きている北朝鮮のミサイルの発射に対して懸念の意を持っています。
金正委員長は、国際社会の要求に、そして国際社会の声に耳を傾けて、ミサイルの発射を中断することを切に願っています。
日本とアメリカは重要な共同の価値を持っています。自由開放、そして民主化されたインド太平洋地域の重要性を共有しています。
人権、法治などの共通の価値がインド太平洋地域で達成されることを記念しています。こういったレベルで、 日本、アメリカ、インド、オーストラリアの安保の協議体であるQUADも設立されました。4者の安保対話ですこのような手段を通じて、中国をけん制しようと思います。
韓国が日本とアメリカと同じ価値を共有することができますので、韓国も私たちと共に歩んでいけると思います。
現在の朝鮮を克服するために、韓国と日本とアメリカの協力は必ず必要です。このような協力を通じて、北東アジアの平和と繁栄を築いていきたいと思います。
私たちが共に歩んでいくべき道は平和と繁栄です。しかし残念ながら、韓国と日本、日韓関係は依然として政治的に硬直しています。
また、私と私の日本の同僚は韓国の国会議員の方々に尊敬の意を表します。
両国の関係改善のために私たちの努力を傾けていくことをお約束します。ありがとうございます。
原田大臣、ありがとうございました。続きまして、伊達忠一元参議院議長にスピーチを招待したいと思います。日本語でスピーチをさせていただきます。皆様、通訳レシーバーをご活用ください。伊達忠一議長、よろしくお願いいたします。
前参議院議長の伊達忠一でございます。この度は朝鮮半島の平和という重要なテーマを扱ったワールドサミット2022において、スピーチをする機会をいただきましたこと、誠に光栄に存じます。初めにこの度のサミットの主催者でありUPFの創設者であるハン・ハクチャ総裁に敬意を賞します。また、共同議長であるカンボジア、フンセン首相並びに、パンギムン第8代国連事務総長に心より感謝申し上げます。
私は2年前に韓国で行われたワールドサミット2020に参加させていただきました。
そして光栄なことに世界各国の国家の政府首脳をはじめ、各界各宗の指導者の皆さんがご参集の中、ハン・ハクチャ総裁が引責(?)の壇上において、 日本を代表してご挨拶をさせていただきました。その時の感動は今も忘れることができません。
あの時はまだ新型コロナウイルスが出現したばかりであり、それほどまでに長期間にわたって世界中に大きな影響を与えるとは誰もが想像することができませんでした。
コロナの時代になり、人と人との間に社会的距離を取ることが要請され、国境を超えた人の行き来も制限されるようになりました。
ある意味では、それほど人と人と国と国との関係性を破壊し、互いに孤立させるもののはありません。その意味で今日ほどムン総裁、ハン総裁、ご夫妻が説いておられる共生、共栄、共義の精神が必要とされる時代はありません。
そしてとりわけその切実に必要とされている地域が朝鮮半島でございます。
朝鮮半島は未だに冷戦構造が終結していない世界でも有数の地域であり、大国の利害が空になった世界の縮図とも言える地域です。
従って、朝鮮半島の平和と安定は、日本は元より国際社会全体にとっての大きな利益です。
南北間の信頼関係が構築され、朝鮮半島の平和的統一につながる環境が醸成されるよう、対話と協力を推進されることが重要です。長い歴史と文化と言語を共有する同じ民族同士が互いに戦争し、未だに国士が2つに分断されているという悲劇を思えば、南北統一はまさに韓民族の悲願であろうかと思います。
日本は現在、北朝鮮との間に核ミサイル問題と拉致問題を抱えております。南北の平和的統一を通して、これらの問題が解決されるのであれば、それは日本と言いましても歓迎すべきことであると思います。
北朝鮮は今年に入ってからわずか1カ月の間に7回のミサイル発射を行っており、 これは我が国にとっても大きな懸念となっております。
こうした時期に国連NGOであるUPFが民間外交を通して、平壌との相互信頼を促進し、国際社会のメッセージを北朝鮮に伝えるために、平和を普及するサミット会議を開催することは、まさに時期にかなったことであると存じます。今は、コロナの影響で国境を越えての往来が非常に制限されている状態にありますので、残念ながら、サミット会議に参加するには、韓国の地に行くことができません。 たとえ体は日本国内にあったとしても、心は韓国の地に飛んでいって、お祝いを申し上げたい気持ちでいっぱいでございます。
この度のサミット会議において、世界各国の首脳たち学びにハン・ハクチャ総裁が語られるメッセージを通し、朝鮮半島が抱える様々な問題を解決する道が示され、南北の平和統一に向けて力強い一歩が踏み出されることを心より念いたします。
日本から参加者指導者の皆さん方を代表して、一言ご挨拶をさせていただきました。本当にありがとうございました。
それでは、韓国にマイクをお渡ししたいと思います。ありがとうございました。
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https://i.imgur.com/gU4Onew.jpg
・UPF公式報告記事 https://upf-jp.org/archives/1946
・統一教会イベントの映像配信に堂々と出演している日本人たち簡易まとめ(2022年7月中旬時点) https://anond.hatelabo.jp/20220717091745
真実を伝えたい。約70年前に結婚の約束を交わした日本人女性を探しています。
当時のペギー・ヤマグチさんの写真
アメリカのアイオワ州に住む91歳のデュエイン・マンさんは、海軍時代に駐屯していた日本で出会った女性、ペギー・ヤマグチさんを、約70年間探し続けている。
2人は愛し合い結婚まで約束していたが、ある出来事がきっかけで結ばれることはなかった。
マンさんはヤマグチさん、もしくはその家族を見つけ、真実を伝えたいという。
彼はその願いを込めて、Facebookに自身のストーリーを投稿した。
海軍に所属していたマンさんは、1953年から1954年にかけて日本に駐屯。1952年に日本政府に一部返還され「東京国際空港」(羽田空港)となった「ハネダ・エアベース」で海軍連絡係として働いていた(全面返還は1958年)。彼は空軍の下士官クラブの利用を認められており、ヤマグチさんはそのクラブでクローク係として勤務していた。
自由時間にはそこでスロットマシンの修理係としても働いていた22歳のマンさんは、ヤマグチさんとダンスを通じて仲を深め、恋に落ちていった。
約14カ月の交際を経て、式の準備が出来しだい結婚しようと計画していた2人だったが、当時、アメリカの軍人と日本人が結婚するのは容易なことではなかった。
そんな時、予定より数カ月早くマンさんに帰任命令が出た。結婚する間もなく、マンさんはアメリカに帰る飛行機に乗ることになった。
残されることとなったヤマグチさんはその時、妊娠していたーー。涙する彼女にマンさんは「心配しないで。貯金があるから、すぐに君をアメリカに呼び寄せるよ」と話した。
しかし、帰宅すると思いもよらぬ事態が起こっていた。すべての貯金が父親に使われていたのだ。彼はヤマグチさんに手紙でその旨を説明し、仕事を見つけて必ず早く呼び寄せると伝えた。
マンさんは高速道路の建設会社で仕事を見つけ、週6日必死に働いた。その間ヤマグチさんと手紙のやりとりをしていたが、約1カ月後には返信が来なくなった。
約3カ月後、妹が渡してくれたヤマグチさんからの手紙には、赤ちゃんを流産してしまったこと、そして日本で出会ったアメリカ軍人の男性と結婚したことが書かれていた。
実は、その間実家に送られてきていたヤマグチさんからの手紙は、日本人との結婚に反対だった母親によって燃やされていたのだ...。
会って真実を伝えたい
母親に手紙を焼かれて彼女の連絡先を失い、連絡の方法がなくなってしまったマンさん。それから約70年たった今も、未だにヤマグチさんを探している。
「彼女にもし会えたなら、見捨てたんじゃない、ということを1番伝えたい」とマンさんはハフポスト日本版の取材に答え、ぜひこのストーリーをシェアして欲しいと語った。
5月2日に投稿されたマンさんのFacebookポストはすでに700回以上シェアされており、400件以上のコメントが寄せられている。その中には、「見つけられますように」などの応援メッセージだけでなく、情報提供や捜索手段のアドバイスも多くある。しかし、未だに確実な情報は得られていないとマンさんは語った。
彼はすでに2度結婚を経験しており、6人の子どもと18人の孫、そして6人のひ孫がいる。彼らも今回の調査を手助けしている。
【ヤマグチさんの手がかり】
現在ペギー・ヤマグチさんの手がかりとしてわかっていることは、
・1953年~1954年に「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)の空軍の下士官クラブ(Air Force Non Commisioned Officers Club)でクローク係(Hat check girl)として勤務していた。
・当時の写真(↑)
・当時、「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)すぐ近くの寮に住んでいた。
残念ながら、マンさんは 彼女を「ペギー」と呼んでおり、正確な日本語名を覚えていない。Facebookで彼は「Iyackoだったと思ったが...」と述べており、コメント欄ではAyakoやIchikoではないかとの憶測がなされている。結婚後の姓もわかっていない。
現在、アメリカでもこの投稿は広くシェアされ、ニュースでも取り上げられ調査の輪が広がっている。
【ヤマグチさんは米軍の男性と結婚したとのこと。その後、渡米しアメリカにいる可能性も高いですが、もし何かご存知の情報があれば、件名に「ヤマグチさん情報」と記入し、news@huffpost.jpにぜひご提供ください。編集部からマンさんに連絡いたします】
https://news.yahoo.co.jp/articles/27578dd76d48b1fc7dfe50e37769b7f496f77c7c
これ書いた者だけど、まぁ予言というか何か一応自分の知識の範囲で予測を建てようか
ロシアが今のような状況になっているのはいくつかのシナリオの中に早期にアメリカやNATOが参戦してくるというものがあって、結局アメリカやNATOも反抗作戦を取る際に陸戦のセオリーへ則って動くだろうとされるから、ロシアは制空権を奪取されるにはいかないと航空戦力を温存しなければならなかった
その前提のもとにロシアはウクライナの制空権を奪取するための航空戦力の計算をしなければならなかったのだけど、鶏がさきか卵がさきか、ウクライナの航空戦力を過小評価してしまう結果となった
つまりウクライナへ航空戦力を割きすぎるとアメリカやNATOの航空戦力へ対抗できないという予測が立ってしまっていたわけだ
その結果として現在の戦況なのだけれど、ロシアは損失する航空戦力へ対して新たに追加する航空戦力を逐次投入するという選択を取らざる得なくなっている
逐次投入すりゃ前述した通り携行兵器でおとされるわけで、ロシアはどこかのタイミングでしびれを切らし大航空戦力をもってキエフなどウクライナ軍が駐屯する地域へ無差別空襲を実行すると思われる
アメリカやNATOが効果を見せている携行兵器を供与するのもロシアがしびれを切らすのを早めるため
もしアメリカやNATOが参戦するとしたら、このロシアの大航空戦力投入のタイミングであり、大航空戦力をアメリカとNATOは帰さず撃墜するという作戦を取る
O七二年、劉媚薬は陰荊州の痴にて子宮駐屯屯し、名器たちと交わりて交流を深めた。
その中に一物鑑定士として名高い尻司馬徴が居た。
劉媚薬は優れたクンニを求めていたために、尻司馬徴にそのことを尋ねた。
尻司馬徴はイッた。
「このあたりに、アヘ臥龍・イン鳳吸うと呼ばれる双成の英ケツは居る。ショタつ肛明と包茎士元だ。」
徐小便はショタつ肛明の友であり、尚且つ劉媚薬の蜜壺に出し入れしていた。
あるとき、徐小便は「ショタつ肛明は優れたモノであるが、未だ世に射精たことがない。将軍殿はお会いになられたのでしょうか?」とイッた。
劉媚薬は当然その名を痴っており、連れてクることを求めた。
徐小便は「無理にヤることはできず、こちらから『てかどこ住み?Lineやってる?』と言うのが良いでしょう。」と答えた。
自らが評価する徐小便がそういうのであればと、劉媚薬はショタつ肛明を訪ねた。
タチ場であれば、上のモノである劉媚薬が下のモノであるショタつ肛明に最高の前戯を以って扱ったのである。