「駐屯」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 駐屯とは

2022-10-13

沖縄を巡るリアリズム

国の中央沖縄を利害を共にしない別個の主体であるとすると、沖縄にとって不都合中央にとって都合がいい選択がなされるのは、それが中央にとってコスパがいいかである。利害を共にするなら、沖縄にとって不都合なことは中央にとっても不都合なのだから、なされないはずであるしかるになされているのだから、利害を共にしないとの前提は、正しいものとして議論を進めても差し支えない。

利害を共にしないことが事態の根元にあるのだから、このふざけた盤面をひっくり返すには、利害を共にせざるを得ない泥沼に引きずり込んでやればいい。究極的には、中国の傘下に入ることだ。なあに、島津侵略以前は中国のみの属国だったのだから伝統的にはむしろその方が自然だ。香港を見ろ、ひどいことになるぞって? 香港ぞんざいに扱われるようになったのは、上海を筆頭に中国経済が発展し、相対的香港価値が下がったが故。日本中国に膝を屈しない限り、対日本最前線地政学価値は下がらんよ。沖縄にとって中国が気前のいいパトロンであり続けるよう、せいぜい頑張って中国に張り合い続けてくれたまえ。すなわち、日本が栄えれば沖縄も栄え、日本が没落すれば沖縄も没落する。ほら、両者の利害が一致したw

実際のところ、中国陣営入りは実現しなくてもいい。現時点において、安保コスト沖縄偏重させることのコスパがよいのは、どんなにひどい扱いをしても沖縄中国側に鞍替えすることはない、とナメくさっているからだ。俗に言う、釣った魚には餌をやらない、ってやつだね。餌代がいらないw それが、あまりひどい扱いをすると中国側に走りかねないとの可能性が僅かではあっても頭をよぎれば、餌をやらざるを得ない。

沖縄中国陸海空軍駐屯すれば、九州に今の規模をはるかに上回る即応力を置き、エネルギ源輸入海路防衛に多大な労力を割き、西太平洋に散らばる戦略原潜監視し、とそのコスト防衛費対GDP3%なり5%なりといったレベルに達し、2%に増やすどころの騒ぎではないだろう。台湾への外交支援も桁違いに増やす必要が出てくるだろうし。それを思えば、今の沖縄予算を2倍や3倍に増やしても安いもの。それを中央の連中に思い出させるためにも、「ナメられたら殺す!!」覚悟をかためないとね。

ーーーーーーーーーー

ってなことへの想像力を、小渕元総理沖縄サミット開催決定ぐらいまでの政治家は持っていたと思うんですよ。カネもあるけど、それ以上に、19世紀以来の国民国家というフィクションを守るためのナラティブといいますか。太田中将島田知事顕彰代表例だけど、沖縄の人々も同胞=利害を共にするんだって沖縄返還も、本音での認識はさておき、アメリカ軍政に苦しむ(令和の世の基地問題ですらアレなのだから、当時のそれは推して知るべし同胞包摂するとの建前は大事にしていた。それが、中国がさほどの国ではなかった頃には受け継がれ、中国が少なからぬ面において日本を上回る今において忘れ去られつつあるのは、何と皮肉な話でしょう。

こんな駄文をしたためているのは、例のひろゆき騒動トリガーなんだけど、昭和世代保守じじいとしては、ああいった沖縄の人々とそれ以外の日本人を切断する言葉(とりわけ、沖縄の人たちのしゃべり方を揶揄するもの宗教的絆帯のない日本にとって、言語の一体感が果たす役割は極めて大きいはず)は許しちゃイカンと思うのですよ。キレイゴトであることは百も承知で、沖縄米軍基地偏重していることは、将来において解決すべき課題だと非沖縄在住日本人も認識を同じくしているのだ、という看板は、守り続けなきゃいかんのですよ。打算的に。

2022-10-12

anond:20221012212301

横須賀海軍基地だろ。

あとは関東だと横田とか厚木とかもあるけど、航空基地だな。

座間平時陸軍司令部だけだし。

海軍比較素行が良い方で、トラブルが無い訳じゃないけど沖縄に比べると格段に少ない。

他の地方だと佐世保もまあ少ない方だと思う(交通事故とかはあるが)。

まあ来航した船に海兵隊が乗船してる場合もあるだろうけど、上陸許可が降りなかったり出ても基地内だけだったりする。

岩国ちょっと分からん

海兵隊は成り立ちからし素行が宜しくない事で有名ではある。

海兵隊素行が悪いってのもあるけど、単純に沖縄米軍基地だらけで、駐屯してる米兵の頭数が図抜けて多いか事件事故件数も多くなってるって面は確実にある。

から沖縄から米軍基地減らしてくれって声が出てくる訳よ。

まあ沖縄から減らした分は九州のどこかに移転するんだろうけどな。

海兵隊場合強襲揚陸艦の母港になる佐世保の近く、長崎大村とか佐賀長崎よりのどこかが候補になるんじゃないかな。

関東には絶対移転しないよ。

2022-10-08

anond:20221008001255

ウクライナ戦争で分かった事は

これから基地反対派は目を逸して欲しくない

少なくとも、台湾有事がある以上、そして台湾に直接アメリカ基地を置けない現状では沖縄にまとまったアメリカ軍が駐屯している事はアジア平和にとって必須条件になる

となると、これを解消するには台湾への基地移転ができるように台湾国家承認を訴えるのが1番早いと思う

それなら賛成する人も多いんじゃないか

2022-10-04

anond:20221004214716

違憲じゃないよ

事実上は軍でも名称が「自衛隊」だし専守防衛から

 

積極防衛という用語を使って核で威嚇するのは違憲かも

というか米軍駐屯事情あって米国製以外の核持つのは無理そうだが

核がオスプレイみたいに故障したら国が狭いから恐いよな

 

一般人Aは思うけどね

2022-08-28

三コキ志

O七二年、劉媚薬は陰荊州の痴にて子宮駐屯屯し、名器たちと交わりて交流を深めた。

その中に一物鑑定士として名高い尻司馬徴が居た。

媚薬は優れたクンニを求めていたために、尻司馬徴にそのことを尋ねた。

尻司馬徴はイッた。

「このあたりに、アヘ臥龍・イン鳳吸うと呼ばれる双成の英ケツは居る。ショタつ肛明と包茎士元だ。」

こうして劉媚薬ショタ孔明を痴ることになる。

徐小便はショタつ肛明の友であり、尚且つ劉媚薬の蜜壺に出し入れしていた。

あるとき、徐小便は「ショタつ肛明は優れたモノであるが、未だ世に射精たことがない。将軍殿はお会いになられたのでしょうか?」とイッた。

媚薬は当然その名を痴っており、連れてクることを求めた。

徐小便は「無理にヤることはできず、こちから『てかどこ住み?Lineやってる?』と言うのが良いでしょう。」と答えた。

自らが評価する徐小便がそういうのであればと、劉媚薬ショタつ肛明を訪ねた。

しかショタつ肛明はすぐに顔を見せることはなかった。

タチ場であれば、上のモノである媚薬が下のモノであるショタつ肛明に最高の前戯を以って扱ったのである

三度目にして、ついにショタつ肛明は肛門おっぴろげて劉媚薬の夜の誘いに乗ったのであった。

後の世で、これらの出来事を以って『マン顧の礼』と言う言葉が産まれたのであった。

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-07-17

統一教会イベントにて伊達忠一/原田義昭/高木宏壽が出演したセッションの書き起こし

2022年2月11日ワールドサミット2022・韓半島平和サミット 開幕式」にて前参議院議長 伊達忠一、前前環境大臣 原田義昭、現衆議院議員 高木宏壽らが出演した日本人代表セッションの書き起こし。

https://www.youtube.com/watch?v=f2ricogBBbE&t=6919s

伊達忠一日本語演説以外は日本語同時通訳の書き起こし

[司会(韓国語)]

それでは、プレナリーアドレスパート2に参ります日本代表するリーダーの御二方にお会いしたいと思います

まずは原田義昭第26代日本環境相、そして伊達忠一31日本参議院議長です。それでは日本に繋げてみます日本どうぞ。

〜ここから日本会場への中継映像

[高木宏壽(英語)]

ありがとうございます。私は東京から挨拶申し上げます。私は日本から挨拶しております。(私は高木宏壽です(←同時通訳では抜けてた)。)日本国会議員です。

IAPP(世界平和議員連合)ジャパンフォーラム構成員が集まっていますワールドサミット2022と連携して、このようにテレビ会議で参加しております

30人ぐらいの日本議員が、IAPPのジャパンメンバーとして参加しています。皆様、ご挨拶申し上げます

[拍手]

ありがとうございます

それでは、IAPPの日本フォーラム議長であります原田様をご紹介申し上げます日本議員として、25年間活躍され、環境相として活躍されました。

IAPPの日本フォーラムを率いています。それでは、お招きしたいと思います

[原田義昭(英語)]

ありがとうございます。ご紹介ありがとうございました。本日、この場で皆様方に私たちの考えをお話しする機会を得まして大変嬉しく思いますワールドサミット2022のプレナリーセッションで皆様にお会いできて嬉しく思います

まず開会に先立ちまして、UPFの創設者ハン・ハクチャ総裁感謝申し上げます。大きな志を持ってワールドサミット2022を準備してくださいましてありがとうございます

世界的に重要テーマであります韓半島平和ワールドサミット2022で扱います私たちはまたカンボジアのフンセン首相にも感謝申し上げますパンギムン前国連事務総長にも感謝申し上げます

何よりも私たち平和、そして安保の状況、特に北東アジア地域を考えるときに、 北東アジア地域韓国日本位置している地域でもあります。1番大きな脅威は、中国覇権への野望であると言えます日本のような場合は、何よりも尖閣列島領有権に対する中国侵略懸念しています中国海警船舶がこの地域進出してきています。だからこれに対抗して日本海洋警察日本漁船安全を確保するために、 中国船舶に対して日本海域から離れるように持続的に警告しなければなりません。また、日本はこれから3、4年の間、発生しうる台湾有事について懸念しています

3年か4年ぐらいで、もしかしたら台湾有事が発生するのではないか懸念しています台湾有事が発生しましたら、これは日米安保同盟において非常事態となります台湾日本と100キロぐらい離れています

日本沖縄県米国から100キロしか離れていません。中国軍が台湾侵略したら、日本駐屯している米軍対応しなければなりません。

また、日本自衛隊アメリカ作戦に参加することになろうかと思います

このような事態が発生しましたら、これは地球上のほかの地域ではなく、この地域北東アジア地域問題となります現在日本改憲を推進しております改憲日本において1番重要政治的イシューの1つです。

日本憲法は75年前に発行されてから1回も改正されたことがありません。

日本憲法時代遅れにならず現在地政学的な状況に合わせて改憲されるべきだと思います特に憲法9条が改正対象となっています憲法9条に基づいてお話申し上げますと、日本軍隊保有してはなりません。しかし、日本自衛隊が実際は軍隊役割果たしてます。これは辻褄の合わない話だと思います。ですから憲法9条はできるだけ早く改正されるべきだと認識しています

日本経済的中国連帯関係があります。また、中国に対する敵対感を持っているわけではありません。しかし、 日本に対する軍事的侵害、そして人権蹂躙を見過ごすわけにはいきません。

チベットウイグル地域での人権問題中国によって発生しています。また、日本韓半島の分断に対して懸念しています。1日も早く統一して、1つの単一国家となることを願っています日本政府韓半島統一のために支援する方策を具体的に持っているわけではありません。

しかし、全ての日本の人々は南北が1つになることを願っています

また同時に、毎週起きている北朝鮮ミサイルの発射に対して懸念の意を持っています

金正委員長は、国際社会要求に、そして国際社会の声に耳を傾けて、ミサイルの発射を中断することを切に願っています

日本アメリカ重要な共同の価値を持っています自由開放、そして民主化されたインド太平洋地域重要性を共有しています

人権法治などの共通価値インド太平洋地域で達成されることを記念しています。こういったレベルで、 日本アメリカインドオーストラリア安保協議であるQUAD設立されました。4者の安保対話ですこのような手段を通じて、中国けん制しようと思います

韓国日本アメリカと同じ価値を共有することができますので、韓国私たちと共に歩んでいけると思います

現在朝鮮を克服するために、韓国日本アメリカの協力は必ず必要です。このような協力を通じて、北東アジア平和繁栄を築いていきたいと思います

私たちが共に歩んでいくべき道は平和繁栄です。しかし残念ながら、韓国日本日韓関係は依然として政治的に硬直しています

また、私と私の日本の同僚は韓国国会議員の方々に尊敬の意を表します。

両国関係改善のために私たち努力を傾けていくことをお約束します。ありがとうございます

[高木宏壽(英語)]

原田大臣ありがとうございました。続きまして、伊達忠一参議院議長スピーチを招待したいと思います日本語スピーチをさせていただきます。皆様、通訳レシーバーをご活用ください。伊達忠一議長よろしくお願いいたします。

[伊達忠一(日本語)(録画?の個別映像)]

参議院議長伊達忠一でございます。この度は朝鮮半島の平和という重要テーマを扱ったワールドサミット2022において、スピーチをする機会をいただきしたこと、誠に光栄に存じます。初めにこの度のサミット主催者でありUPFの創設者であるハン・ハクチャ総裁に敬意を賞します。また、共同議長であるカンボジア、フンセン首相並びに、パンギムン第8代国連事務総長に心より感謝申し上げます

私は2年前に韓国で行われたワールドサミット2020に参加させていただきました。

そして光栄なことに世界各国の国家政府首脳をはじめ、各界各宗の指導者の皆さんがご参集の中、ハン・ハクチャ総裁が引責(?)の壇上において、 日本代表してご挨拶をさせていただきました。その時の感動は今も忘れることができません。

あの時はまだ新型コロナウイルスが出現したばかりであり、それほどまでに長期間にわたって世界中に大きな影響を与えるとは誰もが想像することができませんでした。

コロナ時代になり、人と人との間に社会的距離を取ることが要請され、国境を超えた人の行き来も制限されるようになりました。

ある意味では、それほど人と人と国と国との関係性を破壊し、互いに孤立させるもののはありません。その意味今日ほどムン総裁、ハン総裁、ご夫妻が説いておられる共生、共栄、共義の精神必要とされる時代はありません。

そしてとりわけその切実に必要とされている地域朝鮮半島でございます

朝鮮半島は未だに冷戦構造終結していない世界でも有数の地域であり、大国の利害が空になった世界の縮図とも言える地域です。

従って、朝鮮半島の平和と安定は、日本は元より国際社会全体にとっての大きな利益です。

南北間の信頼関係が構築され、朝鮮半島の平和統一につながる環境が醸成されるよう、対話と協力を推進されることが重要です。長い歴史文化言語を共有する同じ民族同士が互いに戦争し、未だに国士が2つに分断されているという悲劇を思えば、南北統一はまさに韓民族の悲願であろうかと思います

日本現在北朝鮮との間に核ミサイル問題拉致問題を抱えております南北平和統一を通して、これらの問題解決されるのであれば、それは日本と言いましても歓迎すべきことであると思います

北朝鮮は今年に入ってからわずか1カ月の間に7回のミサイル発射を行っており、 これは我が国にとっても大きな懸念となっております

こうした時期に国連NGOであるUPFが民間外交を通して、平壌との相互信頼を促進し、国際社会メッセージ北朝鮮に伝えるために、平和を普及するサミット会議を開催することは、まさに時期にかなったこであると存じます。今は、コロナの影響で国境を越えての往来が非常に制限されている状態にありますので、残念ながら、サミット会議に参加するには、韓国の地に行くことができません。 たとえ体は日本国内にあったとしても、心は韓国の地に飛んでいって、お祝いを申し上げたい気持ちでいっぱいでございます

この度のサミット会議において、世界各国の首脳たち学びにハン・ハクチャ総裁が語られるメッセージを通し、朝鮮半島が抱える様々な問題解決する道が示され、南北平和統一に向けて力強い一歩が踏み出されることを心より念いたします。

日本から参加者指導者の皆さん方を代表して、一言挨拶をさせていただきました。本当にありがとうございました

[高木宏壽(英語)]

それでは、韓国マイクをお渡ししたいと思いますありがとうございました。

〜ここまで 日本会場への中継映像

[司会(韓国語)]

ありがとうございました。日本の状況をお伝えしました。(終)

参考資料

https://i.imgur.com/O9EAoU8.png

https://i.imgur.com/gU4Onew.jpg

・UPF公式報告記事 https://upf-jp.org/archives/1946

統一教会イベント映像配信に堂々と出演している日本人たち簡易まとめ(2022年7月中旬時点) https://anond.hatelabo.jp/20220717091745

2022-05-16

真実を伝えたい。約70年前に結婚約束を交わした日本人女性を探しています

ハフポスト日本版

当時のペギー・ヤマグチさんの写真

アメリカアイオワ州に住む91歳のデュエイン・マンさんは、海軍時代駐屯していた日本出会った女性、ペギー・ヤマグチさんを、約70年間探し続けている。

マンさんのFacebook投稿

2人は愛し合い結婚まで約束していたが、ある出来事きっかけで結ばれることはなかった。

マンさんはヤマグチさん、もしくはその家族を見つけ、真実を伝えたいという。

彼はその願いを込めて、Facebook自身ストーリー投稿した。

時代1950年代に遡る

ヤマグチさんを約70年探し続けているデュエイン・マンさん

海軍所属していたマンさんは、1953年から1954年にかけて日本駐屯1952年日本政府に一部返還され「東京国際空港」(羽田空港)となった「ハネダ・エアベース」で海軍連絡係として働いていた(全面返還1958年)。彼は空軍下士官クラブの利用を認められており、ヤマグチさんはそのクラブクローク係として勤務していた。

自由時間にはそこでスロットマシンの修理係としても働いていた22歳のマンさんは、ヤマグチさんとダンスを通じて仲を深め、恋に落ちていった。

約14カ月の交際を経て、式の準備が出来しだい結婚しようと計画していた2人だったが、当時、アメリカ軍人日本人が結婚するのは容易なことではなかった。

そんな時、予定より数カ月早くマンさんに帰任命令が出た。結婚する間もなく、マンさんはアメリカに帰る飛行機に乗ることになった。

残されることとなったヤマグチさんはその時、妊娠していたーー。涙する彼女マンさんは「心配しないで。貯金があるから、すぐに君をアメリカに呼び寄せるよ」と話した。

しかし、帰宅すると思いもよらぬ事態が起こっていた。すべての貯金父親に使われていたのだ。彼はヤマグチさんに手紙でその旨を説明し、仕事を見つけて必ず早く呼び寄せると伝えた。

マンさんは高速道路建設会社仕事を見つけ、週6日必死に働いた。その間ヤマグチさんと手紙のやりとりをしていたが、約1カ月後には返信が来なくなった。

約3カ月後、妹が渡してくれたヤマグチさんから手紙には、赤ちゃん流産してしまたこと、そして日本出会ったアメリカ軍人男性結婚したことが書かれていた。

実は、その間実家に送られてきていたヤマグチさんから手紙は、日本人との結婚に反対だった母親によって燃やされていたのだ...。

会って真実を伝えたい

母親手紙を焼かれて彼女の連絡先を失い、連絡の方法がなくなってしまったマンさん。それから約70年たった今も、未だにヤマグチさんを探している。

彼女にもし会えたなら、見捨てたんじゃない、ということを1番伝えたい」とマンさんはハフポスト日本版取材に答え、ぜひこのストーリーシェアして欲しいと語った。

5月2日投稿されたマンさんのFacebookポストはすでに700回以上シェアされており、400件以上のコメントが寄せられている。その中には、「見つけられますように」などの応援メッセージだけでなく、情報提供や捜索手段アドバイスも多くある。しかし、未だに確実な情報は得られていないとマンさんは語った。

彼はすでに2度結婚経験しており、6人の子どもと18人の孫、そして6人のひ孫がいる。彼らも今回の調査を手助けしている。

【ヤマグチさんの手がかり】

現在ペギー・ヤマグチさんの手がかりとしてわかっていることは、

1953年1954年に「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)の空軍下士官クラブAir Force Non Commisioned Officers Club)でクローク係(Hat check girl)として勤務していた。

・当時の写真(↑)

・当時、「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)すぐ近くの寮に住んでいた。

ウィスコンシン出身アメリカ軍人男性結婚した。

現在の年齢は90歳前後

残念ながら、マンさんは 彼女を「ペギー」と呼んでおり、正確な日本語名を覚えていない。Facebookで彼は「Iyackoだったと思ったが...」と述べており、コメント欄ではAyakoやIchikoではないかとの憶測がなされている。結婚後の姓もわかっていない。

現在アメリカでもこの投稿は広くシェアされ、ニュースでも取り上げられ調査の輪が広がっている。

【ヤマグチさんは米軍男性結婚したとのこと。その後、渡米しアメリカにいる可能性も高いですが、もし何かご存知の情報があれば、件名に「ヤマグチさん情報」と記入し、news@huffpost.jpにぜひご提供ください。編集部からマンさんに連絡いたします】

https://news.yahoo.co.jp/articles/27578dd76d48b1fc7dfe50e37769b7f496f77c7c

2022-04-24

anond:20220424125259

そう?適当仕事を作ったほうが良くない?

救った村に駐屯させるとか、王様にかけあって、適当ポストを用意させるとか。

治安維持アドバイザーみたいな感じで。

2022-03-18

anond:20220318221350

歩兵1020万動員したところでロシアみたいな巨大な国を支配できるわけないだろ

ロシア駐屯したいとか思ってるのは日本みたいな国土面積が狭い国の人だけだよ

結局中国ってロシア軍事支援したの?

ワイがプーチンやったら、中国支援部隊がそのまま駐屯しちゃって実効支配を始めそうだから拒否ると思うけど

anond:20220317220600

これ書いた者だけど、まぁ予言というか何か一応自分知識範囲予測を建てようか

ロシアが今のような状況になっているのはいくつかのシナリオの中に早期にアメリカNATOが参戦してくるというものがあって、結局アメリカNATOも反抗作戦を取る際に陸戦のセオリーへ則って動くだろうとされるからロシア制空権を奪取されるにはいかないと航空戦力を温存しなければならなかった

その前提のもとにロシアウクライナ制空権を奪取するための航空戦力の計算をしなければならなかったのだけど、鶏がさきか卵がさきか、ウクライナの航空戦力を過小評価してしまう結果となった

まりウクライナへ航空戦力を割きすぎるとアメリカNATOの航空戦力へ対抗できないという予測が立ってしまっていたわけだ

その結果として現在の戦況なのだけれど、ロシアは損失する航空戦力へ対して新たに追加する航空戦力を逐次投入するという選択を取らざる得なくなっている

逐次投入すりゃ前述した通り携行兵器でおとされるわけで、ロシアはどこかのタイミングでしびれを切らし大航空戦力をもってキエフなどウクライナ軍が駐屯する地域無差別空襲を実行すると思われる

アメリカNATO効果を見せている携行兵器供与するのもロシアがしびれを切らすのを早めるため

もしアメリカNATOが参戦するとしたら、このロシアの大航空戦力投入のタイミングであり、大航空戦力をアメリカNATOは帰さず撃墜するという作戦を取る

大航空戦力を撃墜できれば、その後の反抗作戦が楽だから

まぁテーブルでの交渉で済めばこんなことにはならないので、一応の予測として頭へ入れておいてほしい

2021-10-29

三コキ志

O七二年、劉媚薬は陰荊州の痴にて子宮駐屯屯し、名器たちと交わりて交流を深めた。

その中に一物鑑定士として名高い尻司馬徴が居た。

媚薬は優れたクンニを求めていたために、尻司馬徴にそのことを尋ねた。

尻司馬徴はイッた。

「このあたりに、アヘ臥龍・イン鳳吸うと呼ばれる双成の英ケツは居る。ショタつ肛明と包茎士元だ。」

こうして劉媚薬ショタ孔明を痴ることになる。

徐小便はショタつ肛明の友であり、尚且つ劉媚薬の蜜壺に出し入れしていた。

あるとき、徐小便は「ショタつ肛明は優れたモノであるが、未だ世に射精たことがない。将軍殿はお会いになられたのでしょうか?」とイッた。

媚薬は当然その名を痴っており、連れてクることを求めた。

徐小便は「無理にヤることはできず、こちから『てかどこ住み?Lineやってる?』と言うのが良いでしょう。」と答えた。

自らが評価する徐小便がそういうのであればと、劉媚薬ショタつ肛明を訪ねた。

しかショタつ肛明はすぐに顔を見せることはなかった。

タチ場であれば、上のモノである媚薬が下のモノであるショタつ肛明に最高の前戯を以って扱ったのである

三度目にして、ついにショタつ肛明は肛門おっぴろげて劉媚薬の夜の誘いに乗ったのであった。

後の世で、これらの出来事を以って『マン顧の礼』と言う言葉が産まれたのであった。

2021-09-07

anond:20210907010118

住居環境の良い場所に住んだらいいと思うよ

スーパーが多い近い、駅や病院役所が近くて便利

乗り換えなしで一本で行けるetc

 

警察とか自衛隊駐屯所近くは地盤が固くて災害時にも安全である可能性が高い

2021-08-02

三コキ志

O七二年、劉媚薬は陰荊州の痴にて子宮駐屯屯し、名器たちと交わりて交流を深めた。

その中に一物鑑定士として名高い尻司馬徴が居た。

媚薬は優れたクンニを求めていたために、尻司馬徴にそのことを尋ねた。

尻司馬徴はイッた。

「このあたりに、アヘ臥龍・イン鳳吸うと呼ばれる双成の英ケツは居る。ショタつ肛明と包茎士元だ。」

こうして劉媚薬ショタ孔明を痴ることになる。

徐小便はショタつ肛明の友であり、尚且つ劉媚薬の蜜壺に出し入れしていた。

あるとき、徐小便は「ショタつ肛明は優れたモノであるが、未だ世に射精たことがない。将軍殿はお会いになられたのでしょうか?」とイッた。

媚薬は当然その名を痴っており、連れてクることを求めた。

徐小便は「無理にヤることはできず、こちから『てかどこ住み?Lineやってる?』と言うのが良いでしょう。」と答えた。

自らが評価する徐小便がそういうのであればと、劉媚薬ショタつ肛明を訪ねた。

しかショタつ肛明はすぐに顔を見せることはなかった。

タチ場であれば、上のモノである媚薬が下のモノであるショタつ肛明に最高の前戯を以って扱ったのである

三度目にして、ついにショタつ肛明は肛門おっぴろげて劉媚薬の夜の誘いに乗ったのであった。

後の世で、これらの出来事を以って『マン顧の礼』と言う言葉が産まれたのであった。

2021-07-29

東京裁判被告人一覧

死刑

東条英機

 近衛内閣陸相を務め、東条内閣では首相陸相、内相を兼任米国宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。

板垣征四郎

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。

土肥原賢二

 陸軍大将満州国建国華北分離工作において中心的役割を果たした。

松井石根

 陸軍大将南京大虐殺責任を問われた。

木村兵太郎

 陸軍軍人。東条内閣陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。

武藤章

 陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。

広田弘毅

 文官岡田内閣外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。

終身刑

小磯国昭

 陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相就任し、戦争継続した。

荒木貞夫

 陸軍大将。犬養、斉藤内閣陸相を務めた。皇道派代表格であったため、二・二六事件予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。

梅津美治郎

 陸軍大将シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定中国要求した。陸軍次官関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。

南次郎

 陸軍大将若槻内閣陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。

畑俊六

 陸軍大将阿部・米内内閣陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。

大島浩

 陸軍中将ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。

鈴木貞一

 陸軍中将。近衛・東条内閣企画院総裁内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。

佐藤賢了

 陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。

橋本欣五郎

 陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社桜会」を結成、三月事件十月事件企画するも失敗。

嶋田太郎

 海軍大将。東条内閣での海相軍令部総長を務めた。

岡敬純

 海軍中将。対米開戦を強硬に主張した。戦時中海軍次官就任

平沼騏一郎

 山本内閣法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。

木戸幸一

 近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。

賀屋興宣

 近衛・東条内閣大蔵大臣を務め、戦時財政を担った。

星野直樹

 満州国国務院総務長官、近衛内閣企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。

白鳥敏夫

 スウェーデン公使として、日独伊三国同盟締結に貢献した。

懲役20

東郷茂徳

 東条内閣外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦責任者とされた。

懲役5年

重光葵

 東條・小磯内閣外相を務めた。降伏文書に調印した。

免訴

永野修身

 海軍大将広田内閣海相を務め、その後、連合艦隊司令長官軍令部総長歴任し、戦時中元帥就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。

松岡洋右

 ジュネーブ国連会議全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。

大川周明

 学者満州事変二・二六事件五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判梅毒による精神異常のため免訴された。

その他

本庄

 陸軍大将関東軍司令官として満州事変承認戦後戦犯指名されたが自決した。

石原莞爾

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機対立したため予備役編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。

近衛文麿

 第一内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯指名されたが、服毒自殺した。

2021-06-08

anond:20210607234817

満寵

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

満 寵(まん ちょう、? - 242年3月)は、中国後漢末期から三国時代の魏の武将政治家。字は伯寧。兗州山陽郡昌邑県の人。子は満偉・満炳・満氏 (司馬榦の妻)。孫は満長武・満奮。『三国志魏志「満田牽郭伝」に伝がある。

目次

1 生涯

1.1 酷吏として出世

1.2 軍人として活躍

1.3 呉との攻防

2 三国志演義

3 脚注

生涯

酷吏として出世

身長は8尺(約190cm)あったと伝えられる。18歳の時に県の役人(督郵)になった。郡内で私兵を率いて乱暴していた李朔という人物は、二度と乱暴しなくなったという。高平県令を代行した際、督郵張苞張飛の子とは別人)の横暴を見てこれを逮捕し、その場で拷竟(=拷問致死)した上で、そのまま自ら官職を捨てて帰郷したという逸話を持つ。

その後、曹操に仕えた。曹洪配下の将が曹氏の権勢を笠に着て略奪を行った時、満寵は速やかにこれを逮捕した。そして曹洪から曹操への働きかけがあった事を知ると、直ちに処刑した。この行為曹操に大いに賞賛された。

楊彪逮捕された際、荀彧孔融に手心を加えるよう頼まれたが、満寵は規則通り(注によると、笞打ち)に訊問した上で、曹操に「処罰するなら罪を明確にすべきである」と直言した。このため曹操楊彪赦免した。

これらの事からわかるように、満寵は于禁と同様に誰に対しても公明正大で法に厳しかったが、傲慢ではなかったので人からまれることはなかった。

軍人として活躍

官渡の戦いの時期には、袁紹郷里である汝南太守を務め、袁氏与党の軍を滅ぼし、農耕に従事させた。

曹操荊州征伐に従い、曹操が帰還すると奮威将軍兼務し当陽県に駐屯した。

孫権国境に攻め入ると、曹操は満寵を召し還して再び汝南太守とし、関内侯の爵位を与えた。

後に、曹仁参謀として樊城に駐屯した。219年、劉備軍の関羽が攻めて来た時は、救援に来た于禁ら七軍が洪水により壊滅し、樊城も水没して崩壊しつつあった。ある人が曹仁降伏を進言したが、満寵は「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」と反対した。曹仁は満寵の意見を良しとした。徐晃の援軍を得て関羽撃退されると、満寵は安昌亭侯に進封された。

呉との攻防

曹丕(文帝)の時代には揚武将軍となり、三方から呉を攻撃したときも、それに従軍した。呉との江陵での戦いで功績を挙げて伏波将軍に任命され、新野に駐屯し仮節鉞となった。半年曹真・夏侯尚・徐晃張郃・文聘らとともに朱然交戦したが、戦死者も数多となり、江陵を攻められなかったので撤退した。また、曹丕の南征に従って、敵の夜襲を見破り散々に打ち破ると、南郷侯に進封されたが、最終的に魏軍は呉に敗れた。224年には前将軍に昇進した。

曹叡(明帝)が即位すると昌邑侯に進封された。

228年、曹休司馬懿・賈逵が揚州荊州豫州雍州涼州の五軍の指揮を執り、石亭・江陵・濡須東関三方から侵攻した。満寵は賈逵の軍に胡質達と共に監軍として従軍し、武昌を目指し進撃していたが、揚州方面の軍の指揮を執っていた曹休孫権の計略にかかり大敗したため、犠牲者も数万人以上となり、敗れている(石亭の戦い・「賈逵伝」[1])。また、司馬懿張郃らも江陵を攻め落れずに退却した。

同年、曹叡は濡須東関に賈逵・満寵らを命じて再び攻めてきたが、陥落させることができずに負けた[2]。

曹叡は呉・蜀漢に対して完全に専守防衛に行い、賈逵の死後に豫州刺史兼任し、曹休の死後に都督揚州軍事となった。揚州への転勤の際、汝南の民や兵士の多くが満寵を慕って勝手についていったため問題になり、詔勅により親衛兵千人を率いていく事が許され、その他一斉が不問とされた。

230年には征東将軍となった。冬に再び孫権合肥に攻め寄せる気配があったため、兗州豫州の軍を召集する事を上奏し侵攻に備えた。孫権撤退する気配を見せたので、こちらも撤退するよう詔勅が下ったが、満寵は孫権撤退偽装と読み、引き続き備えを怠らなかった。孫権10日ほどしてから再び来襲したが、合肥を攻められなかったので無事に撤退した。

231年、呉の孫布という武将投降を申し入れてきた。王淩がこれを出迎えたいと申し出たが、満寵は投降偽装と読んだため、王淩に自重を求めた。偶然入朝する用事ができたため、留府長史には王淩が兵士要求しても与えてはならないと厳命しておいたが、王淩は自らの督将軍に僅かな手勢だけを与えて孫布を出迎えに行かせた。王淩は呉に敗れ、孫布の夜襲により兵の多く失うことになった。

満寵と王淩はこれ以前から対立しており、満寵が召喚されたのも、王淩の息のかかった者が満寵を老いと疲れにより耄碌していると讒言たからであった。満寵と目通りした曹叡は、満寵が壮健なことを確認できたため[3]、任地に返そうとした。しかし満寵はこのまま朝廷に留まることを願った。曹叡は満寵を馬援・廉頗に準え鼓舞した。

232年、呉の陸遜が廬江に侵攻してきた。部下達がすぐに救援に赴くよう勧めたが、満寵は落ち着いて対処すれば良いとした。軍を整え、陽宜口まで赴いたところで呉軍は既に撤退した。

233年、孫権は毎年のように合肥侵攻を企てていた。合肥城は寿春の遠く南にあり、江湖に近接した位置にあったため、過去の攻防戦においては呉の水軍の機動力の有利さが発揮されやすい展開が多くあった。満寵は上表し、合肥城の立地の欠点を指摘した上で、北西に30里の地に新たに城を築くことを進言した。蔣済がこれを弱気作戦であり、味方の士気を削ぐことになると反対したが、満寵は重ねて上奏し、兵法道理を引きながら築城長所を重ねて主張した。尚書の趙咨は満寵の意見を支持し、曹叡の聴許を得た。こうして合肥新城が築かれた。建設に莫大な費用がかかることもあって、合肥城ともども廃れていった。

同年、孫権合肥に攻め寄せたが、合肥新城が岸から遠い場所にあったため、敢えて上陸しようとしなかった。しかし満寵は、孫権武威を振るっているので、必ず陸に上がることに違いないと判断した。伏兵として歩騎兵を6千用意したところ、果たして孫権上陸したため、伏兵により百人の首を斬った。

234年、孫権は十万の軍勢である呼称合肥新城に攻め寄せてきた(「明帝紀」)。蜀漢諸葛亮の北伐(五丈原の戦い)は孫権呼応して(「満寵伝」)、二十万の軍勢である呼称し祁山に攻め寄せてきた。合肥魏軍が苦戦に陥り、これを恐れていた満寵は合肥新城放棄し寿春へ撤退する作戦を願い出たが、曹叡に拒絶されている(「明帝紀」)。満寵は、合肥新城へ救援に赴き、数十人の義勇兵を募り、松と麻の油を用いて風上より火をかけ、呉軍の攻城兵器を焼き払った上、さら曹操孫権の甥孫泰を射殺した。張穎達とともに力を尽くして戦ったが、呉軍は依然として頑強に猛攻した。魏の中央大軍が迫ったので、孫権は大損害を受ける事を避けて、曹叡の援軍が到着する前に撤退した(合肥新城の戦い)。

235年春、孫権江北に兵を送り屯田を始めさせた。満寵は、収穫の時期に屯衛兵達が各地に点在し、陣が伸びきったのを見て、これを襲撃すべきと判断した。また各地の県長に軍を率いて東上させた。さらに各地の屯衛を撃破させ、穀物を焼き払った。詔勅により軍功が称され、鹵獲品は全て将兵恩賞とされた。

曹叡が没し曹芳(斉王)の時代になった238年3月[4]、老年のため中央召喚され太尉となった。家には余財がなかったため、詔勅により特別物資が下賜された。加増による領邑は9600戸になり、子と孫2人が亭侯とされた。

242年3月[5]死去した。景侯の諡号を贈られた。

子孫の満偉(子)・満長武(孫)・満奮(孫)もまた、身長が8尺あったと伝わる。満偉は人品に優れており衛尉まで上り、満長武は満寵の風格を有していたという。しかし、司馬昭に疎まれ殺害され、父の満偉もまた失脚し、平民に落された。満奮は満偉の弟の子であり、やはり満寵の風格があったという(『晋諸公賛』)。西晋時代尚書司隷校尉となった。

また、満寵のもう一人の子満炳は別部司馬となった[6]。

三国志演義

小説三国志演義』では、劉曄の推薦を受けて曹操の家臣となり、楊奉配下だった旧知の徐晃曹操陣営に引き入れることに成功するなど、物語の初期においては弁舌の士という描かれ方がされている。

2021-01-20

anond:20210120204556

アメリカは常に戦争しないと国を存続できない

世界中に展開して駐屯しているのを突然撤退したら反アメリカ勢力が勢いづくからできない

暴力で作った国は暴力をやめると死ぬ

2020-08-11

anond:20200810210552

基本こちから手を出さなければええんじ

ところが大日本帝国は「自存自衛」と言い張りおった

昭和以前すでにして満鉄沿線とか北京公使館周辺とかは

建前上は合法日本軍駐屯しとったか

その周辺の日本人’(民間企業含む)の権益を守るという口実で

(実際には中華民国から借りとる土地だけど)占領地を広げることを

自存自衛」と言い張ることが正当化できると本気で思っとった

幸か不幸か現代日本日本列島の外に領土を持っていない

こちから外に出ず日本列島に入り込む外敵を退ける分の武力があれば充分じゃ

2020-05-19

anond:20200519112922

憲法9条がなければ自衛隊の気分で国民銃殺される世の中になる

 

https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B3%B6%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

第2次世界大戦太平洋戦争/大東亜戦争末期の沖縄戦久米島には鹿山正曹長率いる日本海軍通信隊・守備隊が駐屯していたが、わずか34人という少人数であった。これに対して久米島人口は約1万人。

1945年6月23日組織的戦闘終了後、6月26日久米島にも米軍上陸するが、久米島守備隊は島民が米軍に協力したら自分達はひとたまりもないと恐れ疑心暗鬼に陥りスパイ狩りを始めた。

6月27日には米軍降伏勧告を持ってきた安里二郎氏を射殺。これを皮切りに久米島守備隊はスパイと疑った人物殺害を繰り返し、女子供わず一家皆殺しにしたこともあった。8月15日ポツダム宣言受諾以降も虐殺は続き、直接の殺害だけで26人は死亡した。

久米島守備隊は9月7日投降屋嘉収容所に送られた。鹿山曹長収容所久米島島民からリンチを受けたようだが、住民虐殺日本人朝鮮人を含む)内輪の事件として罪を問われることはなく、本土へ帰還した。

事件表面化

1972年虐殺事件が明るみになると鹿山氏は進んでマスコミ取材を受けた。

処刑住民ではなく部隊を守る行動であったとして正当な業務行為であった」

「少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人道的に悪いといわれても、それは時代の流れとして仕方がない。いまは、戦争罪悪視する平和時代から、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。」

2020-05-06

anond:20200506041006

旭川は、戦前は旧陸軍第7師団戦後陸上自衛隊第2師団駐屯する日本代表する軍都の一つ。

最北の医科大学があることもあり、並の県庁所在地以上のポテンシャルがあるよ。

2020-03-29

う~ん、ヤクザVS在日駐屯米軍

・・・そんなラノベ(三、四十年まえの娯楽小説でも)ないかな。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん