はてなキーワード: マチュピチュとは
シャーマニック・エレクトロニカ・翁
[話] [アイディア]
・マチュピチュのシャーマンの末裔がエレクトリカル・面を装着してサイバー・能を舞う
・ドレッドヘアー。ドレッド部分はサイバーなケーブルでもいい。ケーブルはエレクトリカル・面の付属品でもいい。
・常に面をしている。ジャパニーズで構成された能の継承団体は彼を正式な構成員としていない。彼に何も教えていない。
・彼は完全に面のヒストリーをシミュレートする=民族を超えた普遍的・超常的シャーマニズムの発現
・能の継承団体にとって失われた演目すら再現する、非ジャパニーズである彼の完璧な所作をリスペクトせざるをえない
・彼はそこまでジャパニーズ文化を理解していないし、若者特有の不遜な態度で接する。しかし、物語の理解度、所作については欠点がない
・彼が面を外すのは完全秘匿楽屋、あるいは「エレクトロニカ・翁」の舞台上で「翁」の面を機構装着するまでの間のみ
・500年後の能の継承団体は2024年現在の能から見ると、色々な文化や資料を喪失している
・完全な「エレクトロニカ・翁」が執行されると13世紀ごろに戻るとされている
参考
「能」ではリスペクトに欠けるので「NO(飾り字)」(Nohだと英訳になってしまい、普通のフォントだと否定のNoになってしまう)
「能にして能にあらず」 https://www.the-noh.com/jp/trivia/039.html
翁を1.75倍速で見よう(提案)(参考 https://www.youtube.com/watch?v=2pH-0tAcARI
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
チッ
わざと聞こえるように舌打ちを打つ。
いくつかポップアップブロックのフリーアプリを試したけど今回の射精通知だけはスルスルとすり抜けて来やがる。
日本中の人が眼球装着式インプランタブル端末を着けて社会生活を送るようになりもう10年以上経つが、この迷惑コードが社会問題になりはじめたのはつい最近だ。
コンタクトの識別範囲と認識性がどんどん向上するのを逆手に取って、街中の標識や店舗の壁などに透明に加工した旧来式のrMQRコードを貼り付ける迷惑行為が多発してる。
数十年前の日本でよく見かけたという電柱等に色紙で貼られた違法不動産広告の現代版である(こっちはポップアップブロックで弾かれる事が多いが)。
私が踏んだコードは悪質で、肉眼では判別できない身体的特徴と電子情報化後の誤差を修正した個人判別機能を悪用し、24時間以内に私で何人の奴が抜いたか通知してくるアホみたいなブラクラだ。
私が生まれるずっと前、まだ世界中の人達がスマートフォンという小さな板越しにしかネットワークにアクセス出来なかった。
AIの進化も貧弱で、まだまだ紙の媒体が様々な場面にあったという想像もできない社会。
その頃も盗撮が大きな社会問題となり、2023年には刑法が改正され厳罰化が進められたはずだった。
恐ろしい事にその頃の盗撮というのは実際に小型のカメラを人力で運用する非常にアナログなタイプで、中には学校の教師が逮捕された事も沢山あったという。
もう人間には手をつけられないレベルで加速度的に自立進化を続けているAIは、誰でも簡単に購入できるこのコンタクトレンズ式情報端末上に地球一個分の情報をネットワーク接続なしで瞬時に再現できる。
ディズニーランドも、マチュピチュも、国会議事堂の中も、パブリックスペースに関してはエアコンの通風口に貼られてる少し剥がれかけたメーカーのシールまで簡単に目の前で360°再現可能だ。
レンズ登場後はその日視界に入ったデータを完全にバックアップする事が日常となり、盗撮という概念は希薄化した。
荒い画像からも簡単に個人を特定し、修正した画像から様々な描写を行うフリーソフトが無数にダウンロード出来る。
静止画も動画もなんならデフォルメしたキャラクター化を行って漫画やアニメーションやゲームまで音声と音楽付きでAIがものの数十秒で作り上げる。
もちろん無料だ。
つまり、いつでも誰でも簡単に好みの人物や空想の人物を登場人物としたエロ本やAVやゲームやアニメを作成できるという事だ。
相変わらず自動車の自動運転はまだ実現していないのに、こういう進化は実に早い。
射精通知のコードを標識に貼り付けたバカ男は既に通報済みで逮捕されているのだが、警察も私もポップアップの消し方が分からない。
犯人も海外製の怪しいフリーソフトを使っているので、自分の欲求を満たす以外の事は知らない。
本当にクソだ。
ネットではちょっと名の知れたタレントや有名人になると、この回数が24時間で100万や1000万の大台に乗ると言うのだから恐ろしい。
人工子宮の一般化で母体出産と性行為の斜陽化が進む現代では、このようなアナログ式の性行為への欲求を隠しきれない願望が変態男に渦巻いているのかもしれない。
ボロブドゥール。俺はそう口ずさんだ。小気味いい感覚が口元を吹き抜ける。
ボロブドゥール。清涼剤のような言葉。ボロとブで生じた違和感をドゥールで開放する快感。
ボロブドゥール。ドゥールだけではこうはいかない。ボロブのおかげでドゥールが映える。
ボロブドゥール。なんて清々しいんだろう。心の中の雲が消え、一気に快晴になる
ボロブドゥール。ジャワ島の香りがする。遺跡のストゥーパ(仏塔)が目に浮かぶ。
いや、ちょっとまて。ストゥーパだと?ストゥーパ。こいつも悪くない。
ボロブドゥールのストゥーパ。たまにストゥーパを挟み、またボロブドゥールに戻る。
ボロブドゥール。みんなも口ずさんでほしい。
※追記)もちろん、ボロブドゥールじゃなくたってかまわない。
ブエノスアイレスでもマチュピチュでもマルクス・アウレリウス・アントニヌスでもいい。
自分だけのボロブドゥールを見つけて欲しい。
それではよい旅を。
調べてみました!
ほとんど確実。何故なら、人口統計調査により、ユダヤ人の戦前戦後の人口差は550万人程度はあり、人口統計調査の誤差を踏まえれば600万人程度のユダヤ人が殺されたことはほぼ確実である。別々の研究機関や研究者によって何度も推定は繰り返されているが、めちゃくちゃ極端に低く見積もっても約450万人程度とされており、大差はないと考えて良いだろう。ちなみに、否認派向けに言っておくと確認できる限り、否認派できっちり人口統計調査をした人は存在しないようである。否認論が嘘であるとバレるからか?w 出典は、『ホロコースト大事典』(柏書房)、芝健介『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』など。
これは数字は概ね合っているが、明らかに死亡者数ではない。英語圏でいう「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡ったアフリカ原住民は1500万人以上と一般には言われているが、学界では900万人-1100万人という、1969年のフィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった[注釈 2]、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。ただし、カーティンの説(彼自身は900万人強を提唱していた)には、一次記録が存在しない16世紀 - 17世紀初頭に関しての推定数が少なすぎるという批判もあるが、そうした批判を踏まえても1200万人を大きく超えることはないと考えられている[7]。
んー、これはよくわからん。以下では1000万人は正しいかのように思えるが、はっきりしない。
その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した[29]。
何故はっきりしないかというと、こんな記事を見つけたからである。
さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオの犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。
たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代の研究者の評価でもその人口は100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオが征服戦争の犠牲になったとしているが、当時の人口調査や統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。
16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった[橘玲の世界投資見聞録] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
何にしても一体、1000万人はどこから出てきた値なのか知識がないのでよくわからない。ここに書いてあるように、正確な統計値があるとも思えない時代の数字にどれほど信憑性があると判断すれば良いのだろうか?
んー、これも上と同じで、正確な統計があるとは思えない時代の話だし、ちょっと調べた程度ではさっぱりわからない。しかし以下のような記事を見つけた。人口がもしそうだとするなら、1000万人はあり得ない。
インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在の南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。
追記;↑と思ったが、Wikipedia「インカ帝国」によると、上の記事は間違いの可能性が高いように思われる。
前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ
しかしこの記事でも、虐殺の話はまるで出ておらず、「伝染病が壊滅的な打撃」ともあり、「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」の疑いが強い印象。
英語版Wikipediaを調べた。英語版は流石にやたら詳しい。これによると、1000万人は完全な出鱈目・デマである。デマ源を突き止めたいんだけどなぁ。
2010年のアメリカ合衆国の国勢調査では、自らがアメリカインディアンまたはアラスカ先住民であると認識しているアメリカ人は293万2,248人で、アメリカ人口の約0.9%でした[50]。 2011年のカナダの国勢調査では、自らがファースト・ネーション(またはイヌイットやメティス)であると認識しているカナダ人は183万6,035人で、カナダ人口の約4.3%でした[51]。 ヨーロッパ人が到着する前にアメリカ大陸に住んでいた人の数については意見の一致を見ていませんが、広範な研究が続けられています[52][53]。 52][53]現代の推定では、ヨーロッパによる植民地化以前に北米大陸に住んでいた人々の数は210万人から1800万人とされているが[54]、アメリカ国勢調査局は1894年に、1492年の北米大陸はほとんど何もない大陸であり、インディアンの人口は「50万人をはるかに超えることはなかっただろう」と主張している[55][56]。
インディアンの数は、感染症、ヨーロッパ人との衝突、部族間の戦争、同化、カナダやメキシコへの移住、出生率の低下などにより、19世紀には50万人を下回るまでに減少したという。主な原因はヨーロッパの探検家や商人が運んできた伝染病であった[57][58] 米国国勢調査局(1894年)は1789年から1891年までの102年間の戦争による特別な死亡者の推定値を示しており、その中には「個人的な問題」で殺された8,500人のインディアンと5,000人の白人が含まれていた。
米国政府の下で行われたインディアン戦争は40回以上にも及びます。彼らは、個人的な戦闘で殺された人を含めて、約19,000人の白人男性、女性、子供の命を奪い、約30,000人のインディアンの命を奪ってきました。実際に死傷したインディアンの数は、この数字よりもはるかに多いに違いありません。5割増しというのが安全な見積もりだろう[59]。
スターリンが粛清により大量の処刑者を出したのは史実であろうが、一千万人はいくらなんでも盛り過ぎである(実際には明らかにあり得ない非現実的な無茶苦茶誇張された数字もあったくらいであるが)。これは冷戦末期以降にソ連・ロシアが情報公開をしていて、確定はしていないが、概ねの数字はわかっている。おそらく粛清で処刑されたのは90万〜120万人程度と考えられる。
ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフの時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が「スターリンが支配した1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたこと」を公式に認めた。さらにソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年に作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年と1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。ソ連時代の統計[16]の開示[17]や、第三者による検証[18]を経ても、粛清された人物の合計数は今もなお公式に確定していない。
ウクライナへの人工飢餓として、ジェノサイド認定をしたらしいが、ジェノサイドと言えるのかどうかは議論の余地がある。しかし、何にしても、ホロコーストのように殺戮を目的とはしておらず、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉の犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある[7][2]。
この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナのユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同調を募った。一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。
全然知らない話だが、以下を読む限り、「2000万人」は盛っていると思われる。しかもその大半は天然痘などの疫病であるようだ。しかし、相当規模の残虐行為を働いたのは事実であろう。
自由国政府は当初は象牙を、後には貴重な商品となっていったゴムなどの天然資源を開拓した。自由国の軍隊である公安軍(Force Publique)の支援を受け、その領土は複数の私的な採掘利権に分割された。英白インド・ゴム会社(英語版)はとりわけ、その領土から利益を得るために武力と残虐行為を用いた。コンゴにおけるその政権は強制労働をさせ、ゴム収集のノルマを満たしていないコンゴ先住民を殺害し切断した。何百万人ものコンゴ人がこの期間に犠牲となったが[4]、死者の多くはコンゴ川下流地域の人口の半数近くが死亡した天然痘を含む、ヨーロッパ人入植者との接触によってもたらされた新しい病気が原因だとも特定されている[5]。
自由国時代には過剰死によってコンゴ人口が急減したが、死者数の推定値にはかなりのばらつきがある。数字は推定値であるものの、この時期に死亡したコンゴ人は人口のおよそ5分の1にあたる1000万人にのぼるとされている[6][7][8][9]。最初の人口調査が実施されたのは1924年であるためこの期間の人口減少を数量化することは困難であり、ウィリアム・ルービンスタイン(英語版)のように、アダム・ホックシールドが引証した数値はほとんど証拠に基づかない推測であると主張する者らによって、これらの数字は議論されてきた[10]。
これは適当な解説サイトが見当たらないので、自分の知識だけで言うけど、これも飢餓でしょ。数値は知らないけど、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」。
残り二つの中国のは自分で調べて。文字数制限で書けない。ともかく、人数の精度に問題あり過ぎだし、ホロコーストと同レベルで比較対象にできるものはない。ホロコーストはほんとに民族抹殺を狙った大量虐殺で、そんなものは人類史上見当たりません。かのアドルフ・アイヒマンは「欧州すべてのユダヤ人、1030万人を殺したかった」と述べたアルゼンチン逃亡中の録音記録があったりしますが、そこからもわかるようにユダヤ人絶滅は本気だったのです。
柄も肌触りも良い、パンティーの代替品が工場で生産されるようになる。
実際マチュピチュではそのような商品は生を嫌がる人達に浸透してきている。
実物と遜色ないのであれば、パンティーを穿く必然性が無くなる。
今は大義名分があるものの、パンティーを穿かなくても良いならば、パンツの色をきく意味がない。
原料となる蚕を養殖するなど、一定の生殖は行われるかも知れないが、規模は大幅に縮小するのではないだろうか。
パンティーは文化だから、技術が発達してもすぐに切り替わることはない。自分が生きているうちにはそんな事にはならないだろうが、数百年もしないうちにそういう時代が来るだろう。
いつの日か、「昔の人はパンティーを穿いていた」ことが驚きをもって知られることになる。
結局パーティーで出会った人と結婚したアラフォーデブスの増田が婚活パーティーで考えたあれこれを備忘録に。
●メリット
ネットで良くいわれるのはたくさんの人に会えるとか、気軽とか、安いとかだと思う。
それにプラスして自分が思ったことは、アプリや相談所だとプロフの段階で足切りにする容姿、年齢、収入などの中にいる『アタリ』と話が出来る。
逆に本来なら自分を足切りするであろうスペックの人と話せてワンチャン狙える。
マッチング後のやり取りに関して「相手への感情が少なくとも0以下では無い状態」で始められる。
全く知らない人ととりあえずやり取りがスタートして、いけるとかいけないとか、どうやって切るかと考える時間が無い。
アプリの「いいね」から「初アポ」までを一日でこなせるので、忙しい人や、不規則な仕事でアポが整わない人でも一気にいける。
婚活のこと考えるのがほんとにほんとにしんどい人も「この日一日だけ!」って頑張る日を月に一日作るだけでも出会いになるから、そういうとこはいいところだと思う。
まー忙しい人だと結局その後のやり取りが難しくなるかもだけど。
人数が多いので双方印象に残り辛い。
男女共に妖怪がいる。
本当にやばいやつはたぶんパーティーでモテるやつの中に潜んでいる。
素の自分を出しにくい。
女性は特に無意識に「合コンさしすせそ」をしてしまうので、「さあ?」「知らね」「すごいと思ってんの?」「セコいね」「それ無理」で挑んでください。
●いい人を探す方法
じゃーそんなとこで印象に残ったり、見極めたり無理じゃない?ってなるけど、やり方でなんとかなる。
正直に言うと印象に残る最善策って良く分からない。
ルッキズム100%で自分をジャッジした時に「アラフォーのデブス」に類するので、印象には放っておいても残ってしまうから。
増田はこれを別に卑下したり悲観したりしてないよ。低い位置から始まったら上がるだけだから。
だから身綺麗にして明るくにこにこハキハキ喋って少しでも「お、いいな」って思われるよう心がけた。
でも「さしすせそ」はしないので、婚活男にちょいちょい説教かまされた。
相手の魅力・性格を短時間に引き出す方法は婚活でするであろう会話の中に試金石の質問を混ぜること。
例えば「デートでいきたい場所に世界遺産と書く」で目を引いて、それについて質問させる。
聞かれなかったらこっちから相手が行きたい場所の話題を振ってこっちの話題に持ち込む。
増田はこれで「知識・興味の方向性」「相手の趣味に対する反応」を見た。
あとこれは、予想していなかった話題が出てきたときの「相手の態度」も見ることができる。
「世界遺産ってマチュピチュとかですかww」ってバカにした感じで笑う人とか、「そんなことより僕の好きな物の話を聞いて」みたいになる人は、お互いに最初から合わないなって思えるので分かりやすい。
実際増田は古い建物とか神社仏閣とかの世界遺産が好きだから、そういうとこに一緒に行ってくれなさそうな人はナシなので。
そんなトンチキなワードじゃなくても自分の趣味とかで「一目見たら気になるワード」をプロフ用紙に書くのがコツ。
登山趣味とかでも一言「標高○メートルの山に登ります!」とか添えると目を引くと思う。「標高○メートルってどれくらい?」とか聞かれたらこっちのもの。
キャッチーな単語かコメント添えるとそこはやっぱり話題になりがちだから、なにか考えてみよう。
できるだけ当たり障り無いフックを用意すると逆に繕えないので人間性出ると思う。
究極「今日天気良いですね」って突然いうだけで相手のこと少し分かるよ。
自分で言ってかなり難易度高いんだけど、試金石の質問を用意したら「模範解答を用意したらダメ」です。
「言われたら嫌な解答」は意識していていいけど、言われたい返事を用意してると手練れのヤリチンとかモラハラには見抜かれると思う。
女性なら大概「意に添わぬが相手が求めている答え」を言った経験があると思うけど、女が出来るなら出来る男もいる、を忘れない。
言われて初めてグッと来たらそれが正解。
変な言葉書いておくと試金石にもなるし、印象にも残るので割りといいと思う。
番号表に「世界遺産」と書かせたら勝ち。
やっぱり身も蓋もないけど、自分が若く見える年齢ゾーンに飛び込むの大事。
年齢の幅が大きすぎず、人数も少なめなパーティーを探そう。
あとは選びたい条件の男性の場所より、自分が選んでもらえる場所に行く。
あと女性が安すぎる、無料になってるのはやばいのホイホイになるからやめた方がいい。
男女ともに同じくらい取られるとこの方が変な人いない。
趣味縛りのパーティーはあんまりディープに趣味を楽しんでる人はいない。特に男性。
「旅行好き」が全然旅行しない男だらけでガチ旅行勢のお姉さんが絶望してた…。話題のフックにすらならなかった。
映画とかなら違うかもだけど、それはそれでマウント取男が来そう…。
街コンとかカップリングを作らない形式のパーティーは「いい人を探しに行く」より「いい人に繋がる人脈を探しに行く」つもりで。
「付き合いたい!」までならなくても「友達なら」みたいな人がいたら友達になる。
その人の友達が運命の人かもしれないから、お互い合コン開くための人脈とかにしたらいい。
「人の世話まで出来るか!」って思うかもだけど、自分にちゃんといいこと返ってくるはずだから。人脈大事。
●まとめ
パーティーで頑張るなら「とりあえず行く」より、綿密な事前戦略が必要だと思う。
逆に事前に作戦とか指針が決まってたら他の日は婚活のこと考えなくていいから楽だけど。
リサーチ力を唸らせよう。
パーティーは結局「この人」っていう人が参加してる可能性という「運要素」がどうしても高くなると思う。
全部の婚活で運要素は無視できないけど、パーティーが一番運要素に左右される気がする。
実際増田も結婚相手と出会ったパーティーは「もうパーティー辞めよう」って思った直後に友達に誘われて、最後のパーティーのつもりで参加したし、相手は生まれて始めての婚活パーティーだったから。めっちゃ運!!
あとねーお金払ってパーティー行くと「せっかくだから成果が欲しい」って無意識に思って「マッチング出来そうな番号」書いたりするんだよね。
「なんの成果も得られない帰路」を恐れてはいけない。
うっかりアレなのとマッチングして後で断るのに困るより、手ぶらで帰って好きなコンビニのホットスナックでも食べた方がいいよ。
●余談
増田が見た女妖怪は合コンみたいなモテテクをパーティーのルール無視で繰り出してた。こっそり連絡先渡すとか。
マッチングが目的じゃなくて、アプリの「いいね稼ぎ」に近くて、どれくらいの人数からマッチング希望が来るかが肝なんで、会で一番高収入な人とかとマッチングだけして連絡先ブロックとかしてた。
「モテた」気になって「自己肯定感上げたい」って言われてビックリ。
たぶんやられた男も「あんなモテ系と俺はマッチングできる」っていう勘違いこじらせる気がするから後の婚活大変そう。
罪深いぜ…。
みんなも気を付けよう!!
今の友人とはもともと3人グループで遊んでた。
ようになったのだけど。
ずっと気になってることがある。
暮らしているのもあって(旅先で仲良くなった)
旅行や近くに寄った時についでに会うことがメインだった。
持ちかけてくれては私たちが付き合う形。
という形がデフォルトになりつつある。
んで、私、中国地方なのね。
遠いの。交通費すごいの。
そりゃ、仕事で行くことも多いけど、自腹なの。
私の地元に誘っても良いけど、何もないとこなので
誘ってもこねえな、とわかってる。
貯金もなく、あまり裕福な生活をしてない彼女とUSJに行った時は
一泊2千円の宿にするか千五百円の宿にするかでだいぶ相談した。
払えなくはないんだけど、って五百円くらい、あんた・・・と内心
思ったけど黙ってた。
でも、一番イラついているのは、最年長が誘った(私たちにしては)
私が誘うといつも「行きたい」としか言わないこと。
行きたい、というけど、お金のかかることなので、何ヶ月も前からプランと予算を提示してんのに
「行く」か「行かない」かを明言しない。
その「行きたい」ってただの希望?
私は一人でも行けるので、自分の都合で日程決めて行こうかと思うけど
「行きたい」と言い続ける人を無視して良いのかわからないし、かといって
優柔不断なだけならまだいい。
なぜ他方にはどんな遠い場所でも直前でも行くと即答したのに、近場の
私の誘いには何ヶ月も返事はぐらかすの?
何度も「無理にこなくていい」といってるのに、「気持ちとしては行きたい」って
なにそれ?
私が聞きたいのは「いく」か「いかない」かだけ。
希望なんて聞いてない。
そして何で他方には即答して私にはチンタラ答えはぐらかすの?
下に見られてる?
普段仕事の相談とかですごい世話になってるのは自覚してるから堪えてるけど
何年もずーっともやってしています。
そして、関東は好きだけど、何度行っても、地元民のあなたがきちんと
私が行きたい場所調べて、そこに連れて行くだけ。
宿貸してくれるのはありがたいけど、でも、私が遠方から友人来たら
私も地元調べて案内くらいするよー?
何でそんな受け身なの?
都会に来るだけで喜ぶ田舎もんだと思うなよ。
もう行けるところはほぼ行ったわ。
最年長の子が今まではうまくリードしてくれてたから、スムーズに
旅行できてたのに、二人だとガタガタ。
正直、プラン決めからこんな引き伸ばされるともううんざりだわ。
余裕で楽しめるけど、近場だから誘ったのに。面倒くさいやつ。
世界を支配した大はてな帝国は内部分裂により破綻をきたし、増田共和国とはてな帝国へと分断された。
のちに増田共和国は1000年の平和を得るが、資源枯渇により現在の地球上では生命維持が難しいと判断。
言語エネルギー変換装置と10000名の人間、動物数種をのせた巨大なタイムマシンを可動させて過去地球へとタイムワープを敢行した。
過去世界の地球においても増田共和国の人間は揶揄や中傷により大量の言語を発し続け、
しかしある時のこと、氷河期を越えた地球の氷は急速に融解し始める。
彼らは科学者野亜を筆頭にして様々な種を保存したカプセルを大海へとはなった。
残った増田共和国の人間は言論で闘う相手が減ったことにより、大量の嘘松を変換エンジンへと投稿。
人工的な山脈を形成することに成功する。この山脈の山頂の一部は、後になまって嘘松からウソウマチュとなり、
やがてマチュピチュとして名を残すことになる。