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2021-07-04

anond:20210703214918

千葉県上総南側)と下総北側)は…

直線距離だと確かに上総のほうが京都に近いけど、そういう考え方はしない気がするよ

2021-04-27

anond:20210427100328

それって下総上総の名付け方を思い起こさせるような話だね。

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2020-07-24

日本競馬史上の名種牡馬及び記憶されるべき種牡馬

1899-1922 インタグリオー

 1907輸入 小岩井農場

1905-19?? ダイヤモンドウェッディング(ダイヤモンドウェッヂング)

 1909輸入 奥羽種畜牧場

1905-1928 イボア

 1910輸入 十勝種馬牧場

1909-1930 ガロン

 1912輸入 奥羽種馬牧場

1911-19?? トリニチースクエーア

 19??輸入

19??-19?? ラシカッター

 19??輸入 奥羽種馬牧場

1912-1934 チャペルブランプトン

 19??輸入 下総御料牧場

19??-19?? ペリオン

 1921輸入 日高種馬牧場

1919-19?? クラックマンナン

 19??輸入

1922-19?? ミンドアー

 19??輸入

1922-1946 トウルヌソル

 1927輸入 下総御料牧場

1923-19?? レヴューオーダー

 19??輸入

1924-1953 シアンモア

 1927輸入 小岩井農場→1949移転 岩手県畜産試験場

1927-1951 ダイオライト

 1935輸入 下総御料牧場

1928-19?? ハクリュウ(父・ラシデヤー)

 19??供用

1929-19?? 大鵬(父・シアンモア

 19??供用

1930-1951 カブトヤマ(父・シアンモア

 1935供用 東北牧場

1930-19?? レイモン

 19??供用

1932-1956 月友(父・マンノウォー)

 1936供用 下総御料牧場

1931-1955 プリメロ

 1936輸入 小岩井農場

1932-1950 セフト

 1937輸入 日高種畜場

1936-1956 ステーツマン

 1936供用 社台牧場

1936-1953 クモハタ(父・トウルヌソル)

 1941供用 日高種馬牧場

1936-19?? トキノチカラ(父・トウルヌソル)

 1941供用?

1938-1965 セントライト(父・ダイオライト

 1942供用 小岩井農場→1949移転 岩手県畜産試験場

1939-1962 ミナミホマレ(父・プリメロ

 1943供用 太平牧場

1940-19?? トシシロ(父・ダイオライト

 19??供用

1946-1968 ヒンドスタン

 1955輸入 荻伏種馬

1946-1970 ソロナウェー

 1959輸入 

1947-1966 ライジングフレーム

 1953輸入 

1949-1974 ガーサント

 1961輸入 社台ファーム

1953-1982 チャイナロック

 1960輸入 

1953-1965 モンタヴァル

 1961輸入

1960-1985 ネヴァービート

 1963輸入

1960-1985 パーソロン

 1964輸入 新堀牧場

1961-19?? ファバージ

 19??輸入

1963-1987 テスコボーイ

 1967輸入 

1967-1991 アローエクスプレス(父・スパニッシュイクスプレス

 1972供用 マツケン農場

1967-1989 ディクタス

 1980輸入 社台ファーム

1971-2004 ノーザンテースト

 1975輸入 社台ファーム

1972-1994 ブレイヴェストローマン

 1979輸入 

1976-2004 モガミ

 1981輸入 シンボリスタリオンステーション

1973-1992 トウショウボーイ(父・テスコボーイ

 1978供用

1974-1997 マルゼンスキー(父・ニジンスキー

 1978供用

1975-2007 ミルジョージ

 19??輸入

1979-2004 リアルシャダイ

 1983輸入 社台ファーム

1983-2000 トニービン

 1989輸入 社台ファーム

1983-1999 ダンシングブレーヴ

 1991輸入 日本軽種馬協会

1984-2014 アフリート

 1994輸入 北海道ブリーダーズ・スタリオン・ステーション

1985-2013 ブライアンズタイム

 1989輸入 早田牧場→2002移転 アロースタッド

1985-2020 フォーティナイナー

 1996輸入

1986-2002 サンデーサイレンス

 1990輸入 社台ファーム

1988-2016 オペラハウス

 1994輸入 日本軽種馬協会

1989-2011 サクラバクシンオー(父・サクラユタカオー

1992-2015 フジキセキ(父・サンデーサイレンス

1993-2020 ダンスインザダーク(父・サンデーサイレンス

1994-2015 ステイゴールド(父・サンデーサイレンス

1998-2009 アグネスタキオン(父・サンデーサイレンス

1998-2015 マンハッタンカフェ(父・サンデーサイレンス

1998-____ クロフネ(父・フレンチデピュティ

1999-2020 シンボリクリスエス(父・クリスエス

1999-2017 ゴールドアリュール(父・サンデーサイレンス

2001-2019 キングカメハメハ(父・キングマンボ

2001-____ ハーツクライ(父・サンデーサイレンス

2001-____ ダイワメジャー(父・サンデーサイレンス

2002-2019 ディープインパクト(父・サンデーサイレンス

2006-____ ハービンジャー

 2011輸入 社台スタリオンステーション

2008-____ ロードカナロア(父・キングカメハメハ

 2014供用

2020-04-02

利用規約 - 背景透明化 for インスタ

当社は、個人情報保護重要性について認識し、個人情報の保護に関する法律(以下「個人情報保護法」といいます)を遵守すると共に、以下の利用規約(以下「本利用規約」といいます)に従い、適切な取扱い及び保護に努めます。なお、本利用規約において別段の定めがない限り、本利用規約における用語定義は、個人情報保護法の定めに従います

1. 個人情報定義

利用規約において、個人情報とは、個人情報保護法第2条第1項により定義される個人情報意味するものします。

2. 個人情報の利用目的

当社は、個人情報を、以下の目的で利用いたします。

美容医療アプリその他の当社のサービス(以下総称して「当社サービス」といいます)の提供のため

当社サービスを円滑に利用できるようにするため

当社サービス利用に関する統計データ作成するため

現在提供しているサービスまたは今後提供検討しているサービスに関するアンケート実施のため

当社サービスに関するお問い合わせに対する対応のため

当社サービスに関する情報等または当社以外の事業者広告主となる広告情報等をメールマガジン等により告知するため

今後のサービスに関する新企画立案を行い提供するため

キャンペーン等の抽選及び賞品や商品発送のため

お問い合わせ時など、本人確認を行うため

当社の契約する病院へ予約した際、予約やその後の診察が円滑に進むようにするため

当社サービスに関する当社の規約ポリシー等(以下「規約等」といいます)に違反する行為に対する対応のため

その他当社サービスに関する重要なお知らせなど、必要に応じた連絡を行うため

雇用管理、社内手続のため(役職員の個人情報について)

株主管理会社法その他法令上の手続対応のため(株主新株予約権者等の個人情報について)

当社のサービスに関連して、個人識別できない形式に加工した統計データ作成するため

その他、上記利用目的に付随する目的のため

3. 個人情報利用目的の変更

当社は、個人情報の利用目的を関連性を有すると合理的に認められる範囲内において変更することがあり、変更した場合には個人情報主体である個人(以下「本人」といいます)に通知し又は公表します。

4. 個人情報利用の制限

当社は、個人情報保護法その他の法令により許容される場合を除き、本人の同意を得ず、利用目的の達成に必要範囲を超えて個人情報を取り扱いません。但し、次の場合はこの限りではありません。

法令に基づく場合

人の生命身体又は財産保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき

公衆衛生の向上又は児童健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき

国の機関もしくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき

5. 個人情報の適正な取得

5.1 当社は、適正に個人情報を取得し、偽りその他不正手段により取得しません。

5.2 当社は、次の場合を除き、あらかじめ本人の同意を得ないで、要配慮個人情報個人情報保護法第2条第3項に定義されるもの意味します)を取得しません。

第4項各号のいずれかに該当する場合

当該要配慮個人情報が、本人、国の機関地方公共団体個人情報保護法第76条第1項各号に掲げる者その他個人情報保護委員会規則で定める者により公開されている場合

本人を目視し、又は撮影することにより、その外形上明らかな要配慮個人情報を取得する場合

第7.1項但書によって第三者提供にあたらないものとされる態様にて要配慮個人情報提供を受ける場合

5.3 当社は、第三者から個人情報提供を受けるに際しては、個人情報保護委員会規則で定めるところにより、次に掲げる事項の確認を行います。ただし、当該個人情報提供が第4項各号のいずれかに該当する場合又は第7.1項但書によって第三者提供にあたらないものとされる態様でなされる場合を除きます

当該第三者の氏名又は名称及び住所、並びに法人場合はその代表者法人でない団体代表者又は管理人の定めのあるもの場合は、その代表者又は管理人)の氏名)

当該第三者による当該個人情報の取得の経緯

6. 個人情報安全管理

当社は、個人情報の紛失、破壊改ざん及び漏洩などのリスクに対して、個人情報安全管理が図られるよう、当社の従業員に対し、必要かつ適切な監督を行います。また、当社は、個人情報の取扱いの全部又は一部を委託する場合は、委託先において個人情報安全管理が図られるよう、必要かつ適切な監督を行います

7. 第三者提供

7.1 当社は、第4項各号のいずれかに該当する場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人情報第三者提供しません。但し、次に掲げる場合上記に定める第三者への提供には該当しません。

当社が利用目的の達成に必要範囲内において個人情報の取扱いの全部又は一部を委託することに伴って個人情報提供する場合

合併その他の事由による事業の承継に伴って個人情報提供される場合

個人情報保護法の定めに基づき共同利用する場合

また利用者が当社の契約する病院見積もりや予約、問い合わせをした際に、当該病院情報(氏名、性別、年齢、メールアドレス電話番号カウンセリング希望日、当該病院への来院歴の有無、生年月日、診察券番号、施術部位の写真相談内容等)の提供を致します。

7.2 第7.1項の定めにかかわらず、当社は、第4項各号のいずれかに該当する場合を除くほか、外国個人情報保護法第24条に基づき個人情報保護委員会規則指定される国を除きます)にある第三者個人情報保護法第24条に基づき個人情報保護委員会規則指定される基準に適合する体制を整備している者を除きます)に個人情報提供する場合には、あらかじめ外国にある第三者への提供を認める旨の本人の同意を得るものします。

7.3 当社は、個人情報第三者提供したときは、個人情報保護法第25条に従い、記録の作成及び保存を行います

7.4 当社は、第三者から個人情報提供を受ける場合には、個人情報保護法第26条に従い、必要確認を行い、当該確認にかかる記録の作成及び保存を行うものします。

8. 個人情報の開示

当社は、本人から個人情報保護法の定めに基づき個人情報の開示を求められたときは、本人ご自身からのご請求であることを確認の上で、本人に対し、遅滞なく開示を行います(当該個人情報存在しないときにはその旨を通知いたします)。但し、個人情報保護法その他の法令により、当社が開示の義務を負わない場合は、この限りではありません。

9. 個人情報の訂正等

当社は、本人から個人情報真実でないという理由によって、個人情報保護法の定めに基づきその内容の訂正、追加又は削除(以下「訂正等」といいます)を求められた場合には、本人ご自身からのご請求であることを確認の上で、利用目的の達成に必要範囲内において、遅滞なく必要調査を行い、その結果に基づき、個人情報の内容の訂正等を行い、その旨を本人に通知します(訂正等を行わない旨の決定をしたときは、本人に対しその旨を通知いたします)。但し、個人情報保護法その他の法令により、当社が訂正等の義務を負わない場合は、この限りではありません。

10. 個人情報の利用停止等

当社は、本人から、本人の個人情報が、あらかじめ公表された利用目的範囲を超えて取り扱われているという理由又は偽りその他不正手段により取得されたものであるという理由により、個人情報保護法の定めに基づきその利用の停止又は消去(以下「利用停止等」といいます)を求められた場合、又は個人情報がご本人の同意なく第三者提供されているという理由により、個人情報保護法の定めに基づきその提供の停止(以下「提供停止」といいます)を求められた場合において、そのご請求理由があることが判明した場合には、本人ご自身からのご請求であることを確認の上で、遅滞なく個人情報の利用停止等又は提供停止を行い、その旨を本人に通知します。但し、個人情報保護法その他の法令により、当社が利用停止等又は提供停止の義務を負わない場合は、この限りではありません。

11. 匿名加工情報の取扱い

11.1 当社は、匿名加工情報個人情報保護法第2条第9項に定めるもの意味し、同法第2条第10項に定める匿名加工情報データベース等を構成するものに限ります。以下同じ)を作成するときは、個人情報保護委員会規則で定める基準に従い、個人情報を加工するものします。

11.2 当社は、匿名加工情報作成したときは、個人情報保護委員会規則で定める基準に従い、安全管理のための措置を講じます

11.3 当社は、匿名加工情報作成したときは、個人情報保護委員会規則で定めるところにより、当該匿名加工情報に含まれ個人に関する情報の項目を公表します。

11.4 当社は、匿名加工情報(当社が作成したもの及び第三者から提供を受けたものを含みます。以下別段の定めがない限り同様とします)を第三者提供するときは、個人情報保護委員会規則で定めるところにより、あらかじめ、 第三者提供される匿名加工情報に含まれ個人に関する情報の項目及びその提供方法について公表するとともに、当該第三者に対して、当該提供に係る情報匿名加工情報である旨を明示します。

11.5 当社は、匿名加工情報を取り扱うに当たっては、匿名加工情報作成に用いられた個人情報に係る本人を識別するために、(1)匿名加工情報を他の情報と照合すること、及び(2)当該個人情報から削除された記述若しくは個人識別符号又は個人情報保護法第36条第1項の規定により行われた加工の方法に関する情報を取得すること((2)は第三者から提供を受けた当該匿名加工情報についてのみ)を行わないものします。

11.6 当社は、匿名加工情報安全管理のために必要かつ適切な措置匿名加工情報作成その他の取扱いに関する苦情の処理その他の匿名加工情報の適正な取扱いを確保するために必要措置を自ら講じ、かつ、当該措置の内容を公表するよう努めるものします。

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以上

2019年1012日 制定

2019-09-20

千葉市花見川区に住んでいる

幕張なんだけど。

千葉県、大災害らしい。らしいと言うのは下総/東葛地域は、普通に日常生活が送れているからだ。

ここに住んでいて、南下することはまず無い。千葉市役所界隈に行くことすら無い。行くなら西。

南房総なんて行ったことが無い。

千葉県の中でも、東葛地域とそれ以外では分断があるような気がする。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2018-10-18

千葉の弱点

標高500m以上の山がない唯一の県というのもあるが、城しょぼすぎない?

当時、あるいは現在残ってる遺構、あとは合戦などでの有名さとか加味すると全都道府県歳弱レベルじゃない?

佐倉久留里大多喜亥鼻国府台やら館山勝浦あたりなんてかなり戦国江戸に詳しい人でも「え?何それ?」レベルじゃね?

北海道五稜郭あるし、沖縄だって首里城青森弘前とか有名だし、千葉城郭ちょっとしょぼ過ぎだろ。

もう、下総の国だから古河城はもらう!と宣言したいくら

2015-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20150225163124

多分ご当地創作の話をしたいんじゃないのかもしれないけど。

千葉県だって勝浦とか成田山とか下総安房とか面白そうな場所あるとこはたくさんある。

地域性ありすぎてまとまらないんじゃないのかなと思うくらい、あとふなえもんとふなっしー確執とか。

2014-06-22

女性専用列車バッテン救援会 ブログ

女性専用列車バッテン救援会 ブログ

警察男性逆差別抗議への弾圧をやめろ〜女性専用列車バッテン救援会声明

○○さん宅に麹町署警部補・鬼瓦権蔵以下総10名ほどからなる警官隊が突然訪れ、家宅捜索を行いました。「女性専用列車に×(バツ印)をつけた貼り紙をした」ということについての軽犯罪法違反を容疑とするものです。

まだ就寝中の○○さんの私室に上がり、携帯電話パソコンなど合計28点を押収していきました。

その押収品には、障害者手帳学生証、健康保険証、旅券など、○○さんの生活に欠かせない身分証明書類(それも所持するもの全て)が含まれます

寝起きに私室で警察と対面するという精神的ショックは想像に難くありませんし、保険証もうばわれては病院に行くこともできません。また、調剤薬局から出された薬の説明書きまで持って行きました。さら警察署への任意同行を求められ、携帯電話押収の際には「パスコードを教えれば早く返すよ」などと脅されましたが、○○さんはともに拒否しました。

なんの前触れもなく訪れ、被疑事件に直接関係のない身分証明書類や携帯電話保険証など生活必要ものを全て持ち去ったこの不当な家宅捜索断じてゆるすことはできません。

今回の家宅捜索は○○さん個人へのいやがらせであると同時に、周りの住民や周囲の人間関係での孤立をねらいダメージを与えることを意図したものです。

○○さんは精神障害者認定を受けていることを知りながらこのような精神的圧迫をかけ、その上健康保険証なども奪って行く無茶苦茶な個人攻撃、生活破壊はあまりにも不当です。

被疑事件とされる軽犯罪ーーつまり女性専用列車への貼り紙ーーの捜査目的にしても、著しくバランスを欠いているし、法的な整合性すらも疑わしい権力暴挙と言わざるをえません。鉄道の日JR新宿駅構内での抗議行動であったことや、

女性専用列車バッテンなどのメッセージを問題にした政治弾圧であることは明らかです。

○○さんが主張しようとしたのは「男女平等社会に反するシンボルたる女性専用列車は粉砕されるべきである」ということです。

こうした主張に対して、セロハンテープ女性専用列車に紙を貼ったことひとつだけで家宅捜索まで行い生活破壊するという過剰な反応が出たことに注目する必要があります

隷属を強いる装置としての女性専用列車は、公然と抗議する者にはその暴力性を露わにして迫ってきます与党政治家歴史修正し、女性を美化し、男性列車利用者への恫喝すら進める現在にあって、

歴史的経緯とともに日本男女平等体制との連続性を指摘し、抗議する声がこうしてひとつひとつ攻撃されています

私たちは今回の○○さんへの弾圧事件に抗議し、警察に以下を要求します。

・○○さんから押収28点全てを、今すぐ返すこと。

・○○さんへのあらゆる捜査や連絡を今すぐやめること。

男性逆差別抗議への弾圧をやめること。

2012-05-05

反原発放射脳sugeeeee

福島事故から1年ちょっとで全原発停止

トンデモだとか陰謀論だとかバカにしてた情強な人らは科学的な論争には勝利しても政治的に完敗

このまま橋下総誕生も止められずに衆愚ポピュリズム連呼するしかないよな

2012-05-04

10年以内に橋下総理は既定路線

国歌起立条例案の時と同じように、無理目の提案をドカンと出して、自民公明チキンゲームを競わせて、適当妥協点で可決ってとこでしょ。家庭教育支援条例

大阪W選挙の時は「維新の会vs自治労日教組財界関電自民民主共産公務員マスコミ連合」だったけど、次の衆院選でもほとんど構図は同じでしょ。

そこから関電が抜けたとしたってさ。

流石に国政選挙自民民主共産連合はないだろうけど、自民民主連合くらいはやるぜきっと。

だって大連立の話がしょっちゅうでるくらいだもん。

自民民主もどうしようもないだろ。

討論に出れば負けるし。出なきゃ言われっぱなしだし。

経済学は苦手っぽいけど、短期決戦なら池信をフルボッコするんだぜ。

誰が勝てるの?

きっと衆院選前に対維新大同盟みたいなのを作るんだろうな。

で、チキンビビって寝返るんだろ。

マスゴミ暴言失言を拾おうにも、主戦場ツイッターに移しつつあるしさ。

ツイッターでの暴言失言を拾ったところでさ、さんざん炎上ビジネスで喰ってきた小林よしのり池田信夫がそれになにか言ったって

お前が言うな

じゃん。

衆愚政治」「ポピュリズム」「ハシズム」言えば言うほど有権者の反感を買うだけじゃん。

馬鹿なの?死ぬの?

どう考えても、10年以内に橋下総理は既定路線

2007-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20071120221256

千葉」の名は、「茅(ちがや)」が生い茂る土地で「茅生(ちぶ)」と呼ばれ、転じて「ちば」になったとする説や、葉が多く重なる意味で「千葉」になったとする説。

「ちば」の語は、侵食しやすい地や侵食の激しい地に見られる地名で、潰れる意味の「つばゆ」に由来する説などあるが未詳。

この地の当主であった千葉氏から「千葉」になったとする説もあるが、既に『和名抄』には「下総千葉千葉郷」の地名が現れているため、千葉氏の名に由来するとは考えられない。

埼玉」の名は、武蔵国多摩郡の奥にある土地の意味で「さきたま(前多摩・先多摩)」が転じて「埼玉」になったとする説。

埼玉郷は現在行田市付近にあたり、「さき(前)」「たま(湿地意味)」の意味で、転じて「埼玉」になったとする説。

その他、「さきたま(幸魂)」が転じて「埼玉」になったとする説があるが、いずれの説も根拠となるものがあるわけではなく、埼玉の由来は未詳である。

ただし、奈良時代の『万葉集』には「前玉(さきたま)」「佐吉多万(さきたま)」の例が見られ、「さきたま」が転じて「さいたま」になったのは間違いないようである。

この地に水源地が解からない川があり、「上無川(かみなしがわ)」と呼ばれていたため「神奈川」になったとする説。

「金川」もしくは「狩野川」と呼ばれていた川の名から、「神奈川」になったとする説。

朝鮮系住民が多かったことから「韓川(からかわ)」と呼ばれる川があり、転じて「神奈川」になったとする説。

その他、地形から見た説では、神奈川「かな」は「かま」が転じたもので、「岸の崩れやすい川」「急流の川」を表しているといった説もある。

 
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