「瀬戸焼」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 瀬戸焼とは

2021-03-20

4月開始「やくならマグカップも」の放送を今からでもやめてほしい(地元出身意見)

「やくならマグカップも」という女子高生たちが陶芸部で活動する日常系アニメ4月から開始する。

アニメ化が決まった時、原作知らなかったけど俺の出身地多治見舞台になるのか〜とワクワクしたしアドレナリンも上がった。

とりあえず、原作Webサイトに公開されているみたいだがら10話まで読んだ。

だが、2,3月ごろになって「後半は実写が15分」「市長痛車を作って日常的に運転している」ってニュースを見て...????ってなった。

そして、dアニメの先行上映会で1話を通してみたが、もうあらゆるものが込み上げて放送しないで欲しいって思った。

自分の率直な意見なのでこの作品が好きだ!って人や期待している人は見ないでください。批判する人もいるだろうけど承知の上で衝動になって書いています

なぜそんな風に思ったのか、以下の通り

多治見ゴリ押し

アニメ化が決まった時はたいして気にならなかったけど、2,3月になってニュースアニメ公式サイトをみたら

「<やくならマグカップも>“聖地多治見が「やくも」一色に 話題の“痛公用車” トラックも」

アニメ「やくならマグカップも」オリジナルデザイン公用車登場 多治見市」

「<やくならマグカップも>多治見市でコラボ続々 ロケ地マップ キャラが案内」

陶芸の町、多治見舞台に繰り広げられるほんわか青春ろくろアニメ

もうね、多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見多治見

とそればかり連呼して「ここが聖地多治見だ!」「多治見に必ずこいよ!」的なアニオタから金儲けと目立ちたがりの典型的Youtuberな感じで見るたびに痛々しくなった。

勝手多治見市を聖地にして押し出しているけど、聖地って最初から全面的に街を押し出すのではなくてアニメの中で見ていて場所と魅力が伝わるから聖地になると思うんだよね。

ゾンビランドサガは舞台佐賀だと知らないで見たけど、作中に出てきたドライブイン鳥やガタリンピック回が面白く一度は行ってみたいと思った。

ゆるキャンキャンプ場やログハウスの魅力も伝わったし、実際にアニメで出た場所に行って見た人の動画も調べて見るほどだった。

だが、このアニメ放送開始前から聖地ゴリ押しコロナ禍だからか一攫千金狙おうという感じがしてアニメを見る前からゲンナリしちゃったんだよね。

日本アニメーション可哀想

アニメ化は地元暮らしていた?日本アニメーション社員さんが企画して始まったものらしい。

当然アニメ化のための原作多治見市とプラネットにあるから打ち合わせとかするんだろうけど、アニメ会社からしたら30分のアニメにしたかったんだろなあって思う。

このアニメは後半15分が声優さんたちの実写パートって本当に限られた声優ファンとかなら嬉しいかもしれないが、一番メリットあるのは多治見市側でしかないんだよなあ。

これも多治見市側の利権大人の都合としか思えないし、アニメ放送開始前からやらかしているなあっていうのと嫌な裏が見えてしまって...としか思えない。

一番可哀想なのは、見ている視聴者よりも日本アニメーションかもしれないわ

自分たちのやりたいようにやれず、アニメ会社にはお金が入らず、広告屋多治見市やプラネットお金を吸われちゃうのかあと考えるとマジで可哀想

陶芸多治見舞台だけど、多治見だけと思わないでほしい

大した理由じゃないけど、陶芸って多治見だけじゃないんだよね。

陶芸美濃焼が題材だけど、多治見じゃなくても土岐、瑞浪可児とそれが伝統の街は周りにもあるんだよ。

しかも、愛知県瀬戸市には瀬戸焼というの焼き物存在するし

美濃焼だったら生産量1位でTOTO工業もある土岐市舞台で相応しいかなあという気はするし、多治見美濃焼イメージにはしないでほしいとは思う。

地元の人はそこまでこのコンテンツ応援している人は少ないのでは?

2010年からこのコンテンツが始まって、2012年原作となる漫画が始まったようだ。

俺が多治見市を2018年に去ってから3年程度経つけど、この原作マジで知らない。

何十年も多治見で暮らす父親はよく地元スポーツ大会で優勝した時や街中で気になったものを見つけたら、家族LINEに報告することが多い。

俺のことはオタクとして見られているかアニメコンピュータ話題を尋ねられることが多いけど、「やくならマグカップも」について振られたことが本当にない。

父親だけじゃなく母親も兄も親戚のおじさんも地元同級生も知らないみたいだった。

そこまで地元向けに展開していて地元の人が知らないまたは興味が薄いって状態なのに、「地元の期待を寄せて...」みたいなニュースになるのが嫌で嫌で仕方ない

市長痛車運転しているってニュースの通り、なんか地元が可笑しな方向に進んでいるなあという感じがしてなんか盛り上げさせられているっていう...

アニメ1話をみて、あっこれは... うーん...

dアニメの先行上映会で見たが、情報通り前半はアニメで後半は実写だった。

前半のアニメパートギリギリ許容範囲程度で普通という印象だった。

陶芸ろくろ回すシーンはそれなりに手触り感の効果音作画は良いとは思うが、全体的にそこまでキャラの動きを描写せず背景だけを写してごまかす感じの印象があった。

原作と展開は厳守しているが、オリジナル演出や展開とかはなかなかよかったかなって思った。

でも予算足りてないのかな...と感じる部分はどうしてもあった。

で、問題なのはやっぱりというか実写パート

声優4人組が多治見観光したり陶芸するっていう内容。

突然実写パートが始まるからアニメの事前情報ない人なら「!?!?」って感じになるだろうし

実写パート成瀬家のモデルはこれ!みたいなこと言っていたけど、アニメだったらほんの一瞬だから「おおっ」「へぇー」みたいにはならなかった。

多治見観光じゃなく、声優4人の家族の話がなんやかんや始まって、この話いる?って思ってしまった。

このままアニメだけを続けたほうがよかったのでは!?という感想


笠◯々っていうアニメレビュー動画あげている人いるけど、

このアニメもぶったぎって酷評するとなると、個人的に嫌になってくる。

色々と汚い部分(手が陶芸で汚くなる方ではない)が見えて、それを補えるほどのアニメの内容が良いって訳でもない。

このアニメ税金をかけるくらいなら、市民コロナ禍に対する給付金補償金などそういうところを注力して欲しい...(今のゴリ押しGOTO五輪を進める政治家と似ている...)

2016-08-14

行動でキャラが立つ(シン・ゴジラ名作の条件【※ネタバレ注意】)

ご都合主義を排するというのは確かに名作の条件。だが同時にシン・ゴジラが名作である条件として「行動できちんとキャラが立つ」という点も指摘しておきたい。たとえばゴジラへの攻撃を例にとって言えば、

避難する一般人(ばーちゃんを背負うじーちゃん…)を見て攻撃タイミングを逸する「日本政府

これはもうやむを得ない。この国は戦後ずっとそういう建前でやってきてその頂点にいる人があそこで人命軽視の判断したらリアリティがない。パシフィックリムの1作目で「怪獣の近くに漁船が…」→「構わん、やれ」みたいなやり取りしてるのを見ると、「ああ、アメリカさんね」と思うあの感じ。ここは"ニッポン"で、prime ministerだからね。仕方ないわね。というカヨコさんの声が聞こえてきそう。

とりあえず最大火力を一斉集中して大敗する「自衛隊

これも、「一発も外さない」という「本質ではない部分の質を高めること」に終始して、「成果をあげる」という本質をついた発想から逸脱している軍隊戯画的に描いている。ぶっちゃけ手りゅう弾の外郭に瀬戸焼の上物を使ったり、小銃をピカピカに磨き上げることに必死になってた旧軍と、いまだに大して変わらない日本人の悪癖をよく描いている。そのせいで引き際を見間違えて無駄犠牲を兵に強いるところまで、旧軍から変わってないなと思わせるシーン。現場の一人一人が少し呑気だとか、「訓練通りにやれば大丈夫だ」とかの無意味な楽観主義とか、でも一人一人は仕事にあたってはホントに真面目だとか(でも報われないとか)、まあいろいろな実態を踏まえて、よくまとめて描かれているなという印象。

バンカーバスターぶっこむ「米軍

それに対してB2(だっけか?)つかってバンカーバスターぶっこむ米軍の「兵の安全優先」「容赦なく物理重視」的攻撃は実に米軍らしい。結果論はいえその『後始末の悪さ』も含めて、実に米軍らしい。そもそも、バンカーバスター用意している時点で「通常兵器はたぶん効かない」という予測があっただろうに、自衛隊になんのアドバイス情報提供がなさそうなところといい、自衛隊のことをぶっちゃけ自分らが使い捨てできるコマ』かおとり部隊だと思ってるよね、みたいな。日米安保下の日米関係に対する皮肉を込めて、リアル?あるいは巧みに戯画的に描いているなという印象。結局「9条砲(=「日本戦争しません」アピール)」ってほかの何よりもまずアメリカに向かってるんだよねーっと思う。

攻撃を受けてのたうつあくまで受け身の「ゴジラ

生物として、ある方向に進むという動機不明な「意図」をもつだけで、積極的意志をもった攻撃姿勢を見せないゴジラの「生物としての在り様」がまことゴジラらしい。それが人間の作り上げた都市にとって壊滅的な打撃であることも含めて。「腕をふるってビルを壊す」とかそんなシーンもない(そもそもふるえるほど手が大きくない)。ビルは歩いていてただぶつかるだけのしかかるだけで壊れる。見ようによっては、あまり大きく物をつぶさないように歩いているとさえ見える。巨大なしっぽも、地面を薙ぎ払うでなく、躾の良い健康ワンコのように宙に浮かせてる。中盤の大破壊だって背中バンカーバスター撃ち込まれてびっくりしたからだし、ビームだって飛んでるハエを払う程度の反射的行動として描かれている。つまり生まれたての、ただの無邪気な生き物」としてキャラ立てされつつも、その一方で振る舞い自体さながら破壊神悪魔のものしか見えない…という高難度な演出をしているところは高く評価したい。『あくま受身だが、こちらから手を出せば出すほど災厄そのもの』。だからこそ、ゴジラが「世界が手を取り合って解決すべき課題のもの」として立ち現れてくるという仕組み。すげーな。


…と、たとえばゴジラ攻撃シーンだけをとっても、皆のキャラが立ちまくってる! こういうところも、やはり名作の条件なんだと思った次第。

http://anond.hatelabo.jp/20160813162338

ついでながら、こういう風にあの映画を見た自分から見ると、キープレフトな方々の一部から出ている批判に「ああやっぱり『政治』の世界に『表現』の味方などいないんだよな」という感想を抱いた。結局、作品作家のものに寄り添うということが全然できないで、自分らの立てた運動綱領とかが全て。でも、それはもう直しようがないんだろうね。「『人間』を信じましょう」という、あの一言が彼らからは出てこない。それがなければ、たとえば新興宗教と比べて、その主張に何の違いもないというのにさ。ダメだよほんと。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん