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はてなキーワード: 憐憫とは

2018-10-19

anond:20181019110928

よっぽどKKOっていうネタがおいしいと思っちゃったんだろうなあ。憐憫の情を禁じ得ない。

2018-10-03

anond:20181003110045

もっとこう、自分正当性のみを押し通そうとするんじゃなくて、彼女がつらいのはわかる、わかるけれども、だけれども、だけれども自分彼氏との会食も大切にしたいんじゃ、どうか責めてくれるな、そういう流れの方が憐憫がにじみ出ていいともます。あと実際りあるに感じられるともいます

2018-09-30

anond:20180930211806

ああ、そうやって自分に都合のいい「事実」の世界に閉じこもって歪んだ色眼鏡世界を見続けてればいいさ。

我々の真正なる正しい世界認識構造理解できないとは哀れなものだね。全く最大限の憐憫に値するよ。

2018-09-27

anond:20180925104434

そう読んだとしたら、申し訳ないが誤読しか言いようがない。三段落で私は、いま弱者とされている人の生きづらさを解消することが社会全体にとって「利」なのだ、という話をしている。福祉行政目的、そして、私がLGBTの権利主張に同調するのは、それが「社会全体にとって利があるから」=公益のためだ。

そもそも福祉は「かわいそうな人のためにみんなが損をして『あげる』」ために行うのではなく、社会全体に安心(セーフティネット)を与え、無意味偏見を取り除いて社会の風通しを良くするために行われる。それに対して、既存社会のありようをただ守りたいというノスタルジーから反対する(つまり偏見に基づく差別肯定する)のは、率直に言って社会悪だ、と私は述べている。そこでは主に保守主義的な立場から批判に対する意見として述べたわけだが、仮にあなた立ち位置リバタリアニズムにあるのだとしたらもう少し違った説明をした方がいいかもしれない。

あなたの「弱者の側が社会に損させてでも自分利益だけを求める」という捉え方、言い換えれば「福祉は『お上から下される憐憫』」的な捉え方に基づけば彼らへの支出を絞るのが「公益」となるのだろう。だが、政治行政とは慈悲ではなく現実に即して行われている。社会弱者へのセーフティネットもLGB支援も、徹底的に「公益」に適う視点で行われているのだ。

もちろん、社会弱者に手をさしのべることが公益となる根底には、人間他者への想像力、同情、などの心情が働いていることは否定しない。それはたとえば、孤島に流れ着いた10人の集団が生き延びようと努力するとき怪我をした1人の仲間をどう扱うか、という問題に似ている。あなた、あるいはリバタリアンは「安い同情はやめろ。こいつはもう歩けるようにならない。ただの足手まといだ。せめて崖から突き落としてやるのが慈悲だ。」と主張するかもしれないが、リーダーがそのように振る舞えば、そこは弱肉強食バトルロワイヤル舞台と化すだろう。だがもし「歩けなくても、可能範囲でこいつにできる仕事を回して、協力して生きのびよう」という意見を述べるリーダーがいたら? そこでは弱い人間安心して社会の維持に協力できるし強い人間も周囲との競争リソースを裂くことな社会全体に貢献できる。バトロワ化した集団後者社会、どちらがサバイバルに有利かは明白ではないか

福祉とは公益に適う視点実施されているのであり、それに反する意見は端的に言って社会である」というのはつまりそういうことだ。後者リーダーの下で我々が安心して働けるのは、確かに我々が想像力を駆使しているためではある。また、そのような想像力の働きは「同情」という形で現れるかもしれない。しかしながら、人間がそういう生き物である以上、それを前提に社会制度は設計されなくてはならない。福祉実施されなくてはならないのは、先のように社会を一つにするための徹底的にリアルな「公益」に基づいている。このような認識に立つとき…つまり個人善意などには信頼したり頼ったりしない」という冷徹立場の上に、福祉実施されるべきである、というリベラリズムが成立しているのである

もう少し言えば、「同情」という心情が生き物としての我々の「心」にセットされているのは、おそらくそれが生存に有利だったからだろう、ということもたやす想像できる。ほ乳類進化していく過程のどこかで「同情」という心性が生まれ特に集団形成するタイプの生き物の中で生存に有利に働いた。たとえば犬、ウマなどは「同情」するし、サルはもちろん深く「同情」する生き物である。そのように私たちは「同情」する生き物なのだ。「同情」によって数百万年の間、過酷自然生存してきた生き物なのだ思想理論に偏らず、このように人間という生き物そのもの性質を踏まえた上でなければ、現実に生きて働く政治形成することはできない。

2018-09-19

無法や無責任の正体がただの無能だと分かった瞬間

怒りが憐憫に変わるマンスプレイニングおじさん現象

2018-09-17

anond:20180917002800

おじいさんに憐憫の目を向ける観察者。おまえはどやねんという心にまとわりつく後味悪い読後感。ここは増田なんだぜ。

ニーチェ言葉を贈りたい。

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

2018-08-27

anond:20180827163838

とりあえず同情憐憫でもなにか思うところがあればいいと思う。無関心よりまし。

発達障害という宗教

発達障害にはAという特性があり、自分にも当てはまる。

ではなく、発達障害である自分がBという失敗をした。Bは発達障害特性に違いない。

そういった理屈で、発達障害はこの世の上手くいかないこと、不条理の心の拠り所となっている。

そして、Twitterでお互いの失敗談を共有しあい発達障害という不幸に見舞われた自分達を憐憫しあう。

発達障害という不幸に見舞われなかった運の良い人達は、全てがうまくいっている。

(こういった0か100思考に陥ってしまうのも発達障害特性である…)

発達障害という概念によって、何も上手くいかない自分という存在が救済される。

まさに宗教のものではないか

2018-08-17

働いても、働かなくても、しあわせになんかなれない

貴重な連休をクソみたいなネットサーフィン死語)で溶かした

今日一番心に残ったことを書き留めておく

年代で30近くのオジサンが顔出しyoutuberとして身の上を語っていた

曰く、親の会社に雇われ定額をもらっているけど辞めたとかなんとか

なんか途中で心に何かが引っかかって見るに耐えなくなり再生を止めた

そして、彼のことが羨ましくもあり、彼のような悩みと葛藤こそ正しいと思えた

ここで自分語りはしない

だけれども、かつて学生時代に生きる意味とか定年まで続く無意味労働やらにぶち当たって悩んでいた自分が遠くなり、日々の仕事に追われ悩まないが疲れているばかりの自分に気付き嫌悪憐憫を感じた

疲労は、悩む自由さえ人から奪う

例えるなら、抗不安薬のようなもの

タマがボーッとして、何もかもどうでもよくなる

だけど、それって幸せなのかな?

自分には何もできないのだけれど、悩み続ける彼に賛辞を送りたい

そして、加齢と劣化というのか、成熟感性というのかわからないが、変わってしまった自分を哀れに思う

一歩でもすすむんだ、絶望に追いつかれないように

2018-07-13

知らないおばあちゃんが尿漏れパッドを買うのを見た話

今日仕事の帰りに駅前ドラッグストアに寄った。

天井が高くて、夜9時でも照明が煌々と明るい、そこそこ広めの店舗だ。

私は今、妊活をしていて、中々結果が出ない中、今後の身の振り方を考えているところだった。

ブライダルチェックをした病院不妊治療を申し出るか。冷え性を治すためにマッサージをするか。漢方を試してみるか。

そんな漠然とした気持ちドラッグストアに寄っただけだったので、目的のものもなく、しばらく店内をうろうろしていた。

介護用品などが並んだ商品陳列棚の列に入った時、80〜90歳くらいのおばあちゃんが目に入ってきた。

よくある靴下につっかけサンダルスタイルで杖をついている。

ぎりぎり自分身の回りのことが自分で行えているのだろう、という雰囲気だった。

そのおばあちゃんは、尿漏れパッドを選んでいた。

私は、その姿を見て何故か胸が苦しくなった。

そのおばあちゃんの身の上のことなんて何もわからないくせに、自分勝手に推測をした。

『おばあちゃんは、自分使用する尿漏れパッドを自らドラッグストアに買いにきた』

『でも、おばあちゃんの年齢くらいなら、認知症を患い始めてもおかしくないし、そうでなくても尿漏れ簡単には受け入れられないはずだ』

『そういうものは、家族が購入するんじゃないだろうか?独居老人なのだろうか?』

『もし独り身なら介護必要かどうか行政相談をしているのだろうか?そういう考えになるのだろうか?』

『このままだったら誰にも助けてもらえずに、孤独死なんてこともあるかもしれない』

勝手に膨らませた想像で、私は頭がどうにかなりそうになった。

うその時点で、嗚咽が喉から漏れそうになっていた。

結局、自分の買い物については、何も考えられず、居ても立っても居られなくなり帰宅することにした。

けれど、店の出口にさしかかって、レジでおばあちゃんがお会計しているのを見てしまった。

会計は1300円とちょっと

おばあちゃんは、どうやらお金が数えられないようで、レジバイト男の子に、トレイに出したお金がまだ足りません、と事務的に指摘されていた。

少し時間がかかって、多めのお金を出したおばあちゃんは黒いビニル袋に入った大きい荷物を持ってレジを去ろうとした。

そこで、片手に持っていた杖を床に落としてしまった。

ほんの一瞬、手を貸そうかと思った時には震える足腰でしゃがみ、おばあちゃんは杖を拾った。

わたしは、見ているだけだった。

勝手に見ず知らずのおばあちゃん憐憫まなざしで見て、『もしこのおばあちゃんに手を差し伸べていたらどうなるのだろうか』と夢想した。

私にできる精一杯優しくしたとして、精々手を取って荷物を代わりに持ち、家まで見送るくらいだ。

その先、家族のように振る舞う資格はないし、そもそも求められていないかもしれない。

私の祖母は、今軽度の認知症で両親に介助されながらデイサービスに通っている。

家ではリハビリパンツを履くように促さなければならないので、母親の労力は相当のものだと思う。

から家族介護する本当の大変さや、覚悟を私は知らない。

どんなことをしたって自己満足は得られないだろうと結論づけて、私は逃げるように店を去った。

駅前ドラッグストアから自宅のマンションまで、およそ10分の道のり、ただ意味もなく悲しくて頭が混乱していた。

帰宅して玄関のドアを閉めた途端、私は嗚咽を漏らして泣いてしまった。

家には誰もいないので、大きな声を上げた。こうしないと、自分気持ちを収めることができなかった。

何故か涙が止まらなくて、初めてはてな登録してこれを書いている。

書いては見たものの、気持ちの見当は全くつかない。

自ら尿漏れパッドを買うおばあちゃんへの憐れみでも、社会的孤立を防止できない行政への憤りでも、将来遠距離介護をしなければいけないかもしれない両親への不安でもないと思う。

偽善者以下。

煌々と明るい夜のドラッグストアで、たまたま大勢のお客さんの前に照らし出された、普段なら見えかった影のような部分に、違和感と恐怖のようなものを感じている。

だれか、これの正体を知っていたら教えてほしい。

2018-06-26

私も第二の低能先生かもしれない。自戒を込めて。

まず私はhagexが大嫌いである。

なぜなら学校での激烈ないじめ時代フラッシュバックさせるからだ。

どこかもブコメで見かけた、

hagexはイジリを洗練させて、相手を追い詰めながら自分ダメージを受けない手法に長けていった」という指摘があったが、

これこそが私がhagexが大嫌いな理由だ。

学校いじめ加害犯の奴らは、そういうやり方が異常に狡猾なのだ。

先生から絶対に叱られない。むしろ良い子というアピールに長けている。

また社交術を駆使して「私以外の全員」というコミュニティを作る。

から、私以外のみんなが楽しく過ごすのが教室という場所だった。私にとっての永遠地獄である

こうなったら、私がすべて悪者になる。やることなすこと一挙手一投足が、キモい死ねなのだ

---書いてて涙が止まらない

反抗すれば、より一層激しい死ねが飛び交う。猛烈な憎悪屈辱

死にたいが、死ねコイツラが喜ぶ。地獄だ。この世の生き地獄だ。

そんな人生を過ごせば、当然誰も信じられない。世の中のすべてがにくい。

だが腹も減る。住む場所も要る。

最強伝説黒沢バイブル必死底辺を這いずり回った。

そして、---ここが私が低能先生シンパシーを感じるところだが、

ネットでこの憎悪を発散することこそが、私にとってガス抜きだった。過去の惨めな復讐を細やかながらはらせた。

ネットがなければどうなっていたかからない。


低能先生がどうかは知らない。私が勝手に憑依して意思を代弁する。

低能先生は、その居場所を奪われたのだ。

あの教師に媚びる術に長けたいじめ加害犯によって。

ただ低能先生と違って私は殺害という選択肢はあり得ない。

そんな勇気もないし面倒だからだ。

ただ、殺されたところでああいいじめという人生破壊を行う人間などに憐憫などひとかけらも感じはしなかった。

そこからだ。またうんざりするのは。

いじめ加害犯を、やたらどいつもこいつも慰めるのだ。

まあそりゃそうだ。

あいつらは社交術に長けている、

いじめ被害者以外のコミュニティーでぬくぬくと楽しくやっていく人生術を身に着けているのだから

これも私には許せなかった、到底受け入れられない現実だった。

何がRIPだ、何が合掌だ。クソが。クソが!!!!!!!!


この一件があっていらい、私は精神が浮遊している。

いいたくもない過去不愉快感情だったが、

低能先生意思を寄せて、また私の感情が妙な動きをしないよう、冷静になるために、書いた。


追記

dogear1988 まるで低能先生罵倒された人は「いじめ」じゃなかったと言いたげだな。君も「過去清算しているつもり」なのだろうが「新たないじめ」をやっていないか?その視点が抜け落ちてると思う。

正直こいつみたいなヤツが一番堪えるんだよな…。

いじめじゃなかったといいたげ?馬鹿にするなよ、いじめにきまってんじゃないか過去の忌まわしい屈辱的な恨みつらみをネットで晴らしてるんだよ。

ゴミクズキモいカスゾンビ死ね死ね死ねと言われつづけてきた人間が、どうして他人に思いやりなんか持たなくちゃいけないわけ?

負の連鎖だ、うん、そうだね。で、それを私に止めろっていうの?私をいじめぬいた人間たちには、だれ一人やめろなど言わなかった。

ここらへんまでくるとおそらくうんざりしてくる人間も出てくる、あーそうかいわかったじゃあ憎悪に塗れて野垂れ死ねよ、と。

そう。そうするつもり。

死ぬのも殺すのも怖いし憎悪を振りまいて野垂れ死にを待つしかない。

で、無敵の人って言うんでしょう?

からすれば、いじめゲラゲラ笑ってやってきたやつ等が世間成功を収めるほうが、よっぽど無敵に思える。

2018-06-02

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ソーシャルゲームや、スマホゲーなどのCMで、実際のゲーム映像が短いのはなぜですか。

ゲームCM系譜さ。

別にそういったゲーム特権というわけじゃない。

今でも珍しくはないが、昔のゲームCMではプレイ画面よりも、イメージ映像が長かったものが多い。

実写化させたり、アニメにしたり、作中のキャラを前面に出して宣伝し、実際のゲーム内容とは関係ない映像に尺を割いた。

ゲーム映像だけ十数秒見せても大衆の購買欲を煽れない、という考え方が主流だった説が有力だ。

現代だと有名なゲームにはブランド力があるからだとか、色々な面で技術も向上したりして、変な小細工に金をかけるよりも、プレイ映像だけで面白そうに見えるものを流すことが可能だ。

だがゲームデザインによっては、未だに効果的な手法でもある。

それが現代では、そういった類のゲームに多かっただけ、という話だ。

面白ゲーム面白そうに見えるかは、また別の話だからな。

逆も然りだが。

私も昔は、どんなゲームかも知らずにCMに出演したものさ。

知り合いの傭兵たちは、ほとんど地雷でやられたよ。

Q.スペース増田は色んなところに出没するのに、なぜホッテントリにならないのですか。

句読点を用いず、代わりにスペースを空けて文章を書く増田総称のことか。

そういうのは時の運もあるから一概には言えないが、「街角インタビューや、ニュースロケ番組で目立とうとするタイプから」という説がある。

ほら、いるだろ?

変な格好とかしてたり、妙に特徴的な喋り方やセリフ存在感を示そうとしたり。

それが事件現場や、何らかの催しがある場所で、常に徘徊していると考えてみてくれ。

テレビに映ってやろうと、あっちから絡んでくるわけだ。

だが、そういった人間に限って大したことを言わないので、テレビは使いたがらない。

まり、悪目立ちしてるだけって説が有力だ。

だが、私から言わせれば、かの増田は“インディーズアイドル”だと形容したほうが適切だと考えている。

デビューしたての新人だ。

そういうアイドルテレビに出てきたとき、陥りがちな失敗があるだろう。

とりあえず衣装第一声のキャラ作りで目立ったはいいが、素養がなければ研磨も足りないから後が続かない。

気持ちばかりが逸って、声を張り上げたりして存在感アピールするが、底が浅いか薄っぺらいことしか言えないし、できないわけだ。

結果、場の空気を考えずに番組の進行をグダグダにしたり、他の出演者に鬱陶しがられるような言動ばかりしてしまう。

新人というバイアスによって守られた微笑ましさは、痛々しさやウザさに変わっていく。

視聴者には眉をひそめられ、テレビ側もそんなアイドルを使いたくない、となるわけだ。

そう考えると、スペース増田にも多少の憐憫の情は湧いてくるだろう。

正直なところ、私も他人記事トラバで絡むようなスタイルでやっていたら似たようなことになっていただろうから、あまりバカにできないのだ。

Q.担ぐ御輿を間違えたと思ったとき、どうすればいいですか。

降ろせばいいだろ。

意地になって、そのまま抱え続けていても疲れるだけだ。

今回、学ぶべき教訓は「御輿は軽いほうが担ぎやすい」。

楽をしたいというのは、人間本能だ。

もちろん、はじめから何も担がないのが一番楽だが。

おんぶに抱っこなら、なお良し。

だが、楽をしようとするばかり、道を間違えやすいのも確かだ。

そんなことする必要に迫られないよう立ち回るのがベストではあるが、人が選択を誤る可能はいだってある。

開き直れとまではいわないが、ほどほどに気に病む程度でいい。

間違った御輿だと初めから分かった上で担ぐ人間だっているし、壊れても無理して担ごうとする人間だっているからな。

一般社会から隔離された状態なら尚更だ。

はてブユーザーにも、そうやって担がれているのが何人かいるだろう?

担がれるような御輿は、得てしてそういうものということだ。

からといって、担がれない御輿が上等かというと、それはまた別の話なのだが。

2018-04-22

とっても高尚で高潔なボクとネットリンチ

とっても高尚で高潔なボクはネットリンチに加担したことがない。それどころか、ネットの皆さんが批判してる記事人物でも、

(叩くには早計じゃないか?養護できる観点がいくつもある、長期的に考えれば必要な失敗であった可能性は?)

などと、数分思索を巡らせ、その検証のためにまた数分の検索作業をして、表象に隠された他人思想や構想といった背景を納得できるレベルまで紐解いてからブコメを書く。そんな時間があるのはニートからだが、ともかくだいたいブコメの主流派とは反対の意見になる。それでむしろリンチが飛び火して降り掛かってくることもあるのだが、それはさておき。ネットリンチはさぞ中毒性のある快楽行為なのだろうなあと思うが、その体験はできないままネット20年を迎えた。

だが、考えようによっては自分も同様の行為に参加していたかもしれないと思う瞬間があったのだ。たとえば、ゲームアニメ公式ツイートVtuberツイート等のうち、祝うべき発言に出くわした時。それを展開すると、現在進行系でいいねカウンタが増加中だ。ツイートを読んだ時点で「いいね!」と思ってはいたが、その勢いにも後押しされ、自分も、といいねボタンを押す瞬間。これも一種の「いいね」による袋叩きなのでは、という思いがよぎった。実際に嫌がられてはいないと思うが、考えようによっては、だ。この「いいね機能だが、一般人が急にバズったときなど、いいね爆撃に困って通知を一時無効にした、と発言をする人を最近よく見かけるのだ。今日フォローしていたIIJmio中の人が、スパムと思しき複数アカウントから過去ツイートに「いいね」される怪行為迷惑だとこぼしていた。本来は人を笑顔にさせる機能でも、使い方によってはかくも複雑な状況が発生しうるものだ。自分では、ネガティブで非建設的な思考ブーストする投稿は一切せず、ポジティブ建設的な感情だけブーストしてあげるネット妖精でいたつもりだが、それを守るのにも広範な知識想像力必要ものだ。

そこで、ネットサービスアプリケーションインタラクティブ性そのものが、折衝を増やしているのだと思い至った。昔のネットはそこまででもなかったが、今は技術が発達してリアルタイムに人々の反応が集まってくる様子が見られる。そしてネット人口も増えた。このライブ感こそが、人に大胆な行動・発言を誘う要因になっているのだ。そういう場では、常軌を逸した言動をするおかしな人も乗ってこれるし、そういう鼻つまみレベルの人が力を得る場にすらなる。

めまぐるしく流れていく世界を尻目に、自分はその流れの速さに合わせずに、本来自分能力に見合うだけの時間をとって深く息を吸い、深く息を吐く。それができる度胸のある人はなかなかいないのだ。それでも遅れを取ることはない、と自分に自信がないとなかなかできない。それができない人々が、短文で直情的なレスポンスを山のように積み重ねていくのだが、一種キョロ充を見るような憐憫がそこにはある。どうにかしてあげられないだろうか。

例えるならば、自分2chスラングコピペなんJ語、淫夢語録などに精通していて、ほとんどを認識できるが、決してリアルどころかネット匿名の場ですら使うことはしない。元ネタ認識できるだけで、好意を持ってはいない。むしろ下品だし嫌いだ。それを使うことで通ぶったりする欲求はない。けれど、こういう言葉を躊躇いなく使う人がいる。「知っている」ことと「使う」ことが同一化していて、その間にあるべき判断が抜け落ちている人々。そういう人々が多すぎて、「そうじゃないんだよ」と言えなくなっているのが今のネットだと思う。あとは堀江貴文に対してどういう印象を抱いているか、なんかでも分かる。ネットに浸かるほとんどの人が、ネットミーム人格を呑み込まれている。そして、こうした集団同化バイアス的なものネットリンチは繋がっているのだと思う。

2018-04-18

anond:20180418230412

ブスという無敵弱者フィールドにこもってればネットいくらでも憐憫を誘いつつイキれるんだから余計な横槍を入れるな

問題を切り分けて原因を明確にして解決なんて求めてないんだよ共感だけくれ

2018-02-28

冬なのに両隣の風鈴がうるさい

2月の風の強い日なのに風鈴の音が聞こえてはらわたが煮えくり返る。

右隣は縁側に、左隣は玄関風鈴をそれぞれ2つづつつけている。それもこの時期に、だ。

そもそも風鈴は風が弱い夏の昼間に楽しむものである

秋も冬も春ものべつ幕なく風鈴の音を聞かされたら気が狂いそうになる。

また、風鈴を楽しむには以下のマナーを守るべきである

 

これらのマナーを守らない風鈴愛好家のせいで、最早風鈴バカ発見器に成り下がった感が強い。

風鈴をつけっぱなしの家を見ると「あの家の人たちはかわいそうな人しかいないんだな」と憐憫まなざしを向けてしまう。

近隣住民上記マナーを守っている愛好家はたまったものではないが。

ついでにウィンドベルとかは屋外で絶対に使うな。伝統でも何でもないし他人迷惑しかならないぞ。

2018-02-24

anond:20180224015700

窓口の人は非正規組だからねぇ

ちょくちょく新しい人に変わってて、クレーム応対で心が病むから使い捨てなんだろうなって憐憫さある

2018-01-20

そうか私愛されたかったのか、と泣いた話

いや、泣いてないんだけどね。

父親から体罰受けて育ったんですよ(唐突)。私だけでなく、母親家庭内暴力受けてまして。母が父に蹴られて吹っ飛んでタンスに頭ぶつけて頭割れて縫ったこともあったなぁ(遠い目)。私もグラスで殴られて頭割ったなぁ(遠い目2回目)。

まぁこうやって思い出してもやっぱり胸がザワザワするぐらいキッツーな思い出、たんもりの我が父ですが、孫も生まれ自分も老けてすっかり角が取れ、優しい爺さんになりました。たまに実家に帰るともんげー厚く出迎えてくれますわ。

でもね、私父が普通に戻ってからもずーーーっと父が大嫌いだったんですよ。いやいや、少なくとも育てて貰ったんだから優しくしなきゃ、とかでもあんなこともされたこんなこともされたくそ、お前のせいで性格ねじ曲がった許せねぇとかね。うちなる天使と悪魔が戦い続けてた訳。丸くなった父に対してもなかなかこちから優しくもできなかった訳。それほど不自然にツンケンもしてないけど、なんかあれば不親切な対応を取ってた訳。

毒親とか流行ってるやん?

はてなに限って見回しても、某トイアンナ女史とか、某ずんずん女史とか、某蜜の国の蜜さん(最近更新ないけど元気かな?)とか、某元鈴木さんとか、おしなべて自称毒親に育てられたけどわたくち頑張って生きてまちゅ☆やん?

でも、私それを読んでもイマイチしっくりこんかったのよねー。

いや30いくつの女が、今更今の自分人生を親のせいにするのはどげんかぃね...ちゅーかんじで!

でも、つい最近私このモヤモヤした感情名前を付けることに成功したの!(じゃじゃーん)それは、「あぁ、私もっと普通にあいして欲しかったなぁ」です!(えっへん)

私今まで父親に対して、憎しみと軽蔑が強かったのね。自分自身に関しても軽蔑(私はこんな暴力さらされてしまうぐらい価値のない生き物)と憐憫(私は親に味方してもらえない憐れな生き物)が強かった。

でも、根元にあったのはもっと愛して欲しかった!という愛への渇望。(ピュアか。)これに気づけて私はすごーく楽になった。そっか、愛して欲しかったのかー、じゃあ過去は消せないけど、私がその分もこれから自分の息子を愛してあげよー、って素直に思えた。

これまでは父が憎い..あぁでも毒親(笑)に育てられたせいで歪んだ私の性格ではきっと同じようなことを息子にしてしまう...という呪いがかかってたのね。その呪いもとけた。

毒親とか言ってると、その定義からして、帰結するところは「憎い親と可哀想で哀れな私」だからね。でも、憎い親も可哀想で哀れな私も、必要ない。

私、愛されたかったし、私これから息子を愛するよ!

これに気づけるまで30年かかったよ。ちなみに気づけたのはなんか昔の暴力を受けてるシーンがばぁーって夢に出てきて、それをそのまま目が覚めても覚えてて、横を見たら息子が寝ていて、アァ可愛い。って思ったんです。で、「あぁ、愛されたかったのか。もっと普通に愛されたかったなぁ」と素直に思えました。

暴力を受けて育つと、愛して欲しいなんて思えなくなるんすよ。あんな憎い奴、こっちが元からクソ嫌いだしね、って思うのよねん。まぁ多分嫌いな奴から暴力受けてると思った方が楽なんでしょうね。脳の意図的エラーでそう思い込んでしまう。その方が楽だから

とゆー話。タイトルはその日の朝でした。

誰かの為になったら良いな。

そして、暴力ダメゼッタイ

2018-01-09

anond:20180109152028

親の代の晴着まで奪われて社長上海高飛び

旅行とは異なり一生に一度の機会ってあたりが憐憫を誘ったのかな。

2017-12-24

睡眠依存症から障害者手帳生活保護くれ

毎日時間寝ないと次の日調子悪くなっちまうんだ。

寝てない状態が30時間ぐらい続いただけで頭がガンガンしてきて寝ることしか考えられなくなる。

完全に依存症だ。

依存症定義は詳しくは知らんが、毎日やってないと頭が変になるのは流石にどう考えても依存症だろう。

障害者手帳を貰えるような医者を教えてくれ。

俺は生活保護暮らしたいんだ。

こんな……毎日時間も寝ないといけないような人間じゃ社会じゃやっていけないからな……皆に迷惑をかけてまで真人間のフリをするつもりはない。

畏怖と憐憫侮蔑嘲笑をこめてフリーライダーと呼ばれるような蛆虫として社会寄生して生きていた方がまだマシだろう。

さあ俺に生活保護をくれ。

我が名は睡眠依存症患者

anond:20171223203237

別に馬鹿にされるべきとか、だれだれと比べて悪いとか、何々を経験していないといけないとか、そういう事は思わない。

読んで面白かった。そして、そういう生活の人が反応が欲しいのは分かる。

ただ、日々のインプットがない相手と会話しても精々数回で話題は尽きる。それ以降こちらは会話相手として面白くない。

日課の料理はきっと本人にとっては良い挑戦課題で、少しのやり応えを以って無職の負い目の感情ごまかすのによいだろうが、本人と家族以外にはどうでもいいこと。

ならその状況では憐憫以外の感情を向けられることがないはず。

俺も似た者だけれどそんな事を考えて日々様々なインプットを心がけているよ。

2017-12-17

童貞のままでいるよりも非処女が怖い

のだった。

アラフォー突入し、このまま自分は人の温もりも知らないまま死ぬのかと考えると恐怖に襲われ、いても立ってもいられずせめて風俗ぐらいには行こうと決意したのが約1年ちょっと前。

真性包茎自力で脱するのに3ヶ月かかった(余談だが、風俗嬢達の真性への憎悪ベルリン蹂躙した赤軍蛇蝎の如く忌み嫌ったという武装SSもかくやと思わせるほどの怨念に塗れていることが様々な掲示板で伺える)。

全国各地のソープから候補リストアップするのに2ヶ月、勇気を貯めるのに3ヶ月、予約に一週間を要した。もう季節は初夏だった。

多少のフォトショ修正や騙しは覚悟していたが、むしろ良い方向に騙された。仮名渋谷凛と呼びたい。心の中でそう叫んだ。

初めて触れた女性の、渋谷凛仮名)の掌も唇もただただ、温かく柔らかかったのを今でも憶えている。しかしそこが限界だった。服を脱ごうとしたところで激しい悪心に襲われた。当然、そのような状態で立つものも立つわけは無くひたすらに体調不良を詫び切り上げた。7万円は15分で消えた。

数日、いや2週間ずっと落ち込んだが考えてみれば自分Lv.1にも満たない雑魚なのだひのきのぼうしか持たない雑魚渋谷凛仮名)に勝てる訳なんて無いのだ。まだ、夏は終わってない。

二度目の挑戦で同じ店に行く勇気はなかったので、普通的な魅力のある(と思われる)島村卯月仮名)の元へ行った。どうして普通に若くて可愛い子がこんな仕事をしているんだろうかとこの世界不条理に疑問を抱かずにはいられない。

結論から言えば立たなかった。手や口や、触れたことも無かったような場所が触れているにも関わらず、だ。彼女自分のせいだと落ち込み、様々な提案をしてくれたが実を結ぶことは無かった。何かをしてくれる度に「島村卯月仮名)、頑張ります!」という幻聴が聞こえてくるようでただただ、辛い時間だった。だが彼女は本物の島村卯月仮名)ではなく、やはりソープなのだ。立たない男とソープ嬢の二人きりというのは虚しさを越えた何かを感じる時間だった。2/3ほど過ぎたことを確認し、非礼を詫びて退出した。5万円が消えた。

三度目について語る言葉は少ない。流れで言えば本田未央仮名)になるのだろうが、予約が取れたのは城ヶ崎美嘉仮名)だった。

立たないのは禁欲が足りないのだと、二週間溜めて臨んだが女性を目の前にするとあれほど溜まった欲が何処かへと霧散してしまう。

笑い飛ばしてくれる分、気は楽だったが職務に忠実な彼女時間無駄に奪うことは自分が許せなかった。3万円が消えた。また、冬が来た。

私はずっと童貞を捨てたいと思っていた。ただの素人童貞でも構わなかった。童貞揶揄小馬鹿にして消費する非童貞の仲間入りを果たしたかった。

しかし愚息はそんな心の卑しさを見抜き、真の心を映しだした。

待合室に並ぶ男の容姿を憶えているだろうか。カロリー消費効率が著しく悪そうな体躯白髪すら生えずに禿上がった頭、同性でも距離を取りたくなる男たち。彼らにすら抱かれなければならないアイドル(仮)を貶めたいのではない。彼らと比較され、剰え憐憫の情を抱かれたらという恐怖が澱のように沈殿していたものの正体だった。

あの客よりも小さい、あの客よりも下手、そんなことを客商売人間が口に出すわけも無いが、そう思うかもしれないという可能自体が恐怖だった。

一時の感傷だと割り切るのは容易いのかも知れない。だがこの気持ちを失えば、私は今よりもさら底辺に沈むことを半ば確信している。

温もりなんて知らない。だって、もう触れない。

童貞なんていらない。だって、もう立たない。

2017-12-14

未来なんてありえない

大学を出るとき就活で失敗して、そこから10年ほど酒とかリスカに費やした

リスカあるあるなのかもしれないけど、夏場は露出するからしないんだよな

冬になるとせっせと手首にオルファを押し当てた

目立つから首に移行したりもした

血が止まらなくて焦ったり、傷跡が目立たないように湿潤治療を施したりした

自分で切っておいて

それから色々あって実家に戻って病院を変えたらカウンセリングを薦められて

二年間のカウンセリングで見えてきたのは、自分母親の何気ない言葉に傷ついてきたことだった

母親にも何か精神疾患可能性があると言われ、当時は否定したけど今では何かあるんだろうなって思う

母親の抱える出どころ不詳の不安自分に濃縮されて連鎖してる気がする

これは自分のものではない、手に余るもの

濃い不安を抱えてきたせいでずっと何かに酔ってたような気がする

何が言いたいんだろう

自らが憐れで仕方ない

両親はこれが普通だという

子供心配するのも夫婦仲が悪いのも普通だと

だったら自分が手首を切ってきたのも働こうとしないのも結婚したくないのも普通じゃないのか

10年を失った

それに対して悔しいような惨めなような感じがする

過ぎたことを悔やんでもしょうがない

これから先の未来を考えて生きていけ

みたいな言説を見ると嫌悪が生まれ

とりあえず10

取り返さないことには未来なんてありえない

未来自分の手の中にあると感じるまでは

後悔と憐憫悔恨を繰り返す

2017-11-21

anond:20171121233609

サイコパス的って、

他人暴力的や、手加減とか憐憫感情なしで接することでいいの?

 

それならフラストレーション解消すること、

 

掲示板上でも良いから、他人と温和な交流ができる場を見つけること、

 

物事を単純に考えないこと(物事がそうである理由や、他人がそういう行動を取った理由には裏や事情が有るかもと何時も考える)、

 

聞きかじりの知識経験談をそのまま自分言葉の様に使わないこと(ちゃんと資料や本で見たり、実際に自分が試してから言う)

 

このくらいか

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