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はてなキーワード: 陶磁器とは

2017-09-26

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岐阜県現代陶芸美術館で開催中の「浦上父子コレクション引き継がれるコレクター魂」展に

行ってまいりましたわ。

観る順番を間違えて子のコレクションした北斎漫画を先に観てしまいました。

本来冊子の形式であるもの額縁に入れて展示しているので

一度にたくさんの作品を観ることができるそうですわ。

「鯨・鮫ほか」の絵が完全にクリーチャーで、むしろ獏の方が現実動物に見えました。

観察する機会の差なのでしょうか。

有名な「富嶽百景」では、「田面の不二」が物凄い構図で仰天しましたの。

ピンホール原理で障子に富士山が写った場面らしき版画もありました。

他の展示では前後の漢時代の銅鏡が興味深かったですわ。こちらも息子さんのコレクションです。

篆字で書かれた銘文がメーカー宣伝文章だったのですわ。

「新」時代の銅鏡のひとつだけはプロパガンダが書いてありました。

単于文字があっても居丈高異民族政策が失敗したことはおくびにも出していませんわ。

陶器関係では地中の緑釉陶器が白っぽく変色する現象のことを「銀化」と

呼ぶことを覚えましたわ。

同じ建物の下の階では「国際陶磁器美濃」が開催されていました。

白木千華氏作品が実にファンタジーしていましたわ。

同時開催の多治見工業高等学校専攻科の展示にも白木千華氏作品があって、

卒業制作以来、同じ作風を続けていることが分かりましたわ。

世界各国の方が出展されているのですが、

コンセプトの説明をされる方とされない方がいて興味深かったですの。

トルコの方はみんな無言で、韓国の方は説明してくださる傾向でしたわ。

セルビアの方が内戦経験を反映した作品が重かったです。

https://anond.hatelabo.jp/20170709000534

2017-09-17

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土岐市美濃陶磁歴史館で開催中の「お茶美濃焼」展に行って参りましたわ。

お茶と一緒に発展してきた焼き物歴史時系列順にまとめられていて、

わかりやすかったですわ。

最初は禅僧の修行用の眠気覚ましだったお茶が、だんだんと娯楽になってきて、

夢窓疎石という偉いお坊様が「最近若い者は」と闘茶の風習を、

足利尊氏の弟相手に嘆いていたそうですの。

それより兄弟喧嘩を注意したほうがいいですわ。

越前朝倉氏の一乗谷で出土した陶磁器に、国外品を尊びながら国産品にも

注目する当時の姿勢が現れていましたわ。

余談ですが、館内で閲覧できた一乗谷の展示会の本が興味深かったです。

京都府で出土したお店で売っていた国内外陶磁器も、

陶器グローバルな流通を感じさせてくれましたわ。

あと展示されている四耳壷のひとつが、きちんと耳を通したワイヤーで

固定されていました。

現代になっても耳が実用されるなんて大層愉快ですわ。

https://anond.hatelabo.jp/20160717215759

2017-05-14

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岐阜現代陶芸美術館に行って参りましたわ。

コレクションクロニクル展と「国際陶磁器フェスティバル美濃」の歩み展が開催中でした。

現代アート陶芸作品を展示する常設展的なものでした。

口を塞いだ壷のような実用性をかなぐり捨てて奇をてらった作品が並ぶ中で、

実用性を意識した作品も平行して存在し続けているところが陶芸おもしろさだと思いますの。

現代アート的な作品の影響を受けながらも実用性を確保した作品もつ

緊張感がよいのですわ。

実際に使ったら、どんな気分かしらと想像しながらカップや皿を観賞しました。

ただし脳内作品に盛りつける食品野菜350gやデトックスウォーターしか

出てこなかったのですわ・・・・・・

モザイクタイルミュージアムに寄りましたわ。

企画展ではタイル画家作品が展示されていました。

焼いたタイルの色は変わってしまうので大変なのではと想像していたら、

わりと描いたそのままの色で焼けている様子でしたわ。

でもやっぱりプロの目からはその苦労があるとも説明されていましたわ。

タイトルに入っている大坪高明氏の作品は、他の作品比較することで、

解説にある透明感の高さがいっそう強く感じられました。

タイルで作った額縁越しにスマホ自撮りする企画があったらしく

館内はカッポーで溢れていましたわ。

ですけどわたくしはもちろんおひとり鯖でしたわ。おひとり鯖でしたわ。

2017-04-02

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瀬戸ミュージアムに行ってきましたわ(二度目)

ポイントカードがありますけど、

頻繁に行くなら年間パスポートを購入した方がよさそうですわ。

目玉の企画展は「陶磁器図案家 馬淵利貞 展」ですの。

昭和の長い期間にわたって陶磁器デザイン活躍された方でした。

スケッチブックが9冊遺されていて、内6冊の504ページに

約890のモチーフが描かれているとの説明でしたわ。

残りの3冊はよくわかりませんわ。

晩年まで民間に移って活動された馬淵利貞氏の言葉

「筆をとる仕事なら70歳をこえても手がふるえることなくできる」

という主旨のものがあって、

葛飾北斎名言富嶽百景あとがき)を思い出しました。

もうひとつ企画展として、瀬戸市の若手陶芸家作品が展示されており、

パンダペンギン意匠に使った作品のあざとさと

二種類のモノトーンの人気動物陶磁器の絵付けに向いていることを

痛感しました。

2017-03-26

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本日はお日柄もよく、瀬戸市美術館に行ってきましたわ。

市内の他の博物館美術館でたくさん陶磁器を展示しているか

差別化してくるでしょうとの予想を裏切って、やはり陶磁器

二階は絵画の展示でしたけど、よくみると水墨画家の作った黄瀬戸が部屋の端に!!

なぜかメキシコ風の洋画があふれる部屋にある陶器人形

蛙がお相撲を取っている作品が微笑を誘ってくれました。

一階の現代陶芸家作品の中では加藤土師萌の萌葱金襴手葡萄文壷に

ポストカードで見覚えがあり、兄弟作品を他の美術館でみたようですの。

美濃焼ギャラリーでしょうか。

岡部嶺男の窯変翠青盌のポリゴン状の釉薬変化は、

同じ効果もつもの安価に買った覚えがありました。

展示案内を読んだ感じでも開発した技術工業生産に広げられているようですわ。

瀬戸市は珪石がとれるため、ガラス産業も盛んとのことで、

ガラスアート作品も展示がありました。

メキシコヘクター・M・フローレス作の「トロンポ」がとても面白く、

観る角度によって薄い色ガラスの層から出る色が作品全体に広がって

真っ青に見えたりします。

これは写真では伝えられませんから、とても美術館向きの作品だと思いましたわ。

2017-01-21

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新春絵画「酉展」の開かれているミュージアム中仙道に行ってきましたわ。

昨年は300週年で各地で催し物が開かれた若冲の絵が目玉です。

けれども個人的には柳沢淇園の白孔雀図にひかれました。

木に止まった白孔雀がこちらを見返る構図の気品と威厳。

かい足の鱗の描き込みと鎧の札のように規則正しく並んだ羽根表現

聖闘士星矢白銀聖闘士みたいでしたわ。

大名土岐頼芸の鷹の屏風絵は正直クドかったのですけど、

作者の鷹に掛ける強すぎる思いは伝わってきました。

藤田嗣治の飛び魚を獲る海鳥の絵が、鳥と植物の基本を押さえた日本画の中で

ひどく異色でした。植物がないうえに、とても躍動感が溢れています

海鳥が水面に突入した後を示す水滴の表現写真のようで見どころですわ。

飛び魚が鯖でしたら、海鳥返り討ちですのに。

絵画の他には地歌舞伎と陶磁器甲冑刀剣の展示室がありました。

陶磁器コーナーでは仰韶時代のとても古い土器から始まる中国陶器歴史

追うことができます

ここに展示されている水色で縁取られたバウムクーヘン型の水滴がとっても素敵で、

熱のこもった眼差しで観てしまいました。

2017-01-12

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平日しか開いていない多治見市文化財保護センターに行ってきましたわ。

もはや意地ですわ。

博物館設備は一室のこじんまりとしたもので、常設展はないようです。

現在は「カミさまホトケさまお医者さま」展として医療と祈りに関する

文化財が展示されています

迷信と笑うのは簡単ですけど、原理のわからない病気に人々が感じていた

恐怖から救われたいという思いが伝わってきました。

平成23年になっても自分の患部と同じ部分に濡らした紙を貼り付けることで

治癒を祈願する紙貼り地蔵というお地蔵さまが作られているそうで驚きました。

以前も行ったとうしん美濃陶芸美術館にも立ち寄ってきました。

ちょうど「西浦焼展」がはじまったばかりで明治に新しく生まれ

繊細な絵付けの陶磁器を鑑賞できました。

同じモチーフの器でも、花の描き方や配置が違うことで

一個一個手作りであることが分かります

金魚の絵がついた一輪挿しが特に素敵で、表面に網を浮き出るように

釉薬で立体的に描いた手仕事の見事さに惚れ惚れしました。

最後多治見修道院を観てきました。

西洋風の立派な建物ですが、大きな窓の下の隅に力が集中するらしく、

そこから亀裂が走っている様子が目立ちました。上はアーチで受けているので大丈夫です。

もっとも、すべて丁寧に補修されています

裏庭にとても雰囲気があって、西洋歴史舞台に立った気分にひたれました。

たいへんな面積があるふどう園はすべて葉を落とした状態で、

修道院正面のぶどうはすでに綺麗に剪定されていました。

ここのぶどうで作ったワインは有名だそうです。

わたくしお酒は苦手なので、売店でクッキーセットとニック・ナックを買いました。

クッキーバタの味を活かした素朴な味わい、

瀬戸ドミニカ修道院の薄くて堅いクッキーがとても美味しゅうございます

ニック・ナックさらに素朴な「ぼうろ」みたいな味わいでしたが、

後味がとてもよかったです。

少量のジャム紅茶と一緒にいただきましたわ。ジャムは余分でしたわ。

わずかですが、炊き出し募金をしてきました。

2016-11-26

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荒川豊蔵資料館に行ってきましたわ。

こちらは道沿いの駐車場から林の中に100mほど歩いて、

さら山道の段を登った先にあります

荒川豊蔵アトリエの近くなのですわ。アトリエも再建中ですわ。

隠れ家的なおもしろさはありますが、日の射さな林道は寒かったです。

小さくても立派な建物を造るための資材の搬入方法が気になりました。

わたくしでしたら財力に物を言わせてヘリコプターで下ろさせますけど、

林道の突き当たりに臨時の軌条を設置させて斜面の上まで運んだのでしょうか。

それとも人力任せでしょうか。

館内では桃山時代陶磁器を復活させた荒川豊蔵作品が、

コンパクトな展示室に並べられています

瀬戸瀬戸黒、志野と単色の作品ばかりなのに、

全体をみるとバラエティに富んでいて鮮やかな印象を受けました。

荒川豊蔵の創意工夫のおかげでしょうか。

割れた竹を、焼いたとき割れが見事に再現した形の黄瀬戸破竹花入など、

不完全なものおもしろさがあると思えば、

1200℃で窯から取り出して急冷させることで漆黒にした瀬戸黒には高級車の風格がありました。

金で飾られた(あるいは継ぎを当てられた)作品特に豪華な印象を与えます

荒川豊蔵作品の茶碗や大きめの向付の中には赤い丸が入っていて、

これは中により小さな作品を入れていた跡とのことです。

生涯この庶民的なスペース節約術を使って、作品を作ったらしいので、

荒川豊蔵作品を鑑定するときには要チェックですわ。

2016-10-09

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美濃焼ミュージアムに行ってきましたわ。

お祭り中で入館料100円(通常は300円)、福引きができました。

から6番目、下から1番目に良い景品のポストカードが当たりました。

美濃陶芸明日展(あすてん)として現地の若手陶芸家作品特別展示されていました。

「せんぱい」と「ふれっしゅ」に分かれて別の部屋におかれているのですが、

つの間の展示室には巨匠荒川豊蔵のコーナーが存在していました。

創意を表に出さざるを得ない若手作品をみた後の

しぶい荒川豊蔵コーナーでは思わず「いいしごとしてますわね」と呟きました。

巻物に墨で書かれた彼の作品論も興味深くて、

「古いものに名品が多いのは時代を通じて淘汰されているからで、

 古いから良いものではない」と言い切っていました。

直感を信じることの勧めには銀と金美術商編を思い出しました。

「あすてん」では単色の陶磁器に無数の小さな穴をあけた新里明士氏の作品

やはり存在感があります。この方の作品は各博物館に長く展示される気がします。

時間のかかる緻密な仕事ができる精神作品を通じて触れることで、

自分が恥ずかしくもなります

ふれっしゅ部門では白木千華氏の壷に魚をたくさん張り付けた作品ユニークで魅了されました。

鯖もいたと思いたいですが、魚がカラフルすぎたので怪しいです。

後、常設展示の総織部の茶碗が気に入りじっくり眺めました。

げんだいの緑釉作品はいささか緑色がきれいすぎて、

ひ色が混じったこの茶碗のわびがなかなか出せていないように感じます

ひたすら眺めたところ胎土も赤色のようでした。

鳴海織部では別々になっている赤土と緑釉が一緒だから

総織部と言うのでしょうか。

休憩コーナーにはへうげものの全巻がおいてありました。

2016-03-03

[]日本大邸宅の庭の置物として売られていった…高麗初期の石塔が80年ぶりの帰郷

1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国

朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代違法な持ち出しの規模は把握されず


1935年11月26日東京上野公園で大規模な展覧会が開かれた。

タイトルは「時代民芸石灯籠展覧会」。

日本朝鮮陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。

見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。

高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。


世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。

山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。

最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。

威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。

そのコレクターは、佐賀にある邸宅庭園石塔を運び、生涯これを鑑賞した。

当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。


植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。

学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月韓国へ持ってきた」と語った。

石塔研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。

石塔運命は数奇なものだった。

朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。


『石造文化財、その受難歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔宗教的意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。

また、石塔研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代違法に持ち出されたもの」と語った。


当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。

石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫知識人官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。

1933年11月大阪で開かれた山中商会主催競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。


現在日本韓国石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。

1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。

引用ソース

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851



>>植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。

>>石塔運命は数奇なものだった。朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。

矛盾認知できない」という病気


>>1933年11月大阪で開かれた山中商会主催競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。

チョン・ヒョンピルとは朝鮮人と思われる。

1933年というと日韓併合の真っ最中

そのころの朝鮮人はひたすらニッテイに収奪され、創始改名強要され、過酷植民地支配にあえいでたのでは?

なんで競売普通に参加してるのか?

矛盾認知できない」という病気

2014-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20140313180236

勘違いしてる奴が多いからハッキリ言っとくが、「金をかけていない状態」と

ロハス」とか「スローライフ」とか「丁寧な暮らし」とかって、全く違うからな。

おまえんとこのお嫁さんがだ、デートの時はオシャレしてくるが、家ではUNIQLOのだるだるの服着てたとか、

一人暮らしの時は100均プラスチック製品ばっかりだったのに、結婚したら百貨店陶磁器揃え出したとかなら判るよ。

そりゃ男の金が使えるようになったから欲望全開になったんであって、揉めてもしょうが無いと思う。

違うだろ。

単に「このバックなら1万円はしないな」とか見積もった金額が違ったわけだろう。見積もりミスだろ。

おまえのオカン子どもと同じリンスインシャンプー使ってたかもしれないがな、染めてない黒髪でもお嫁さんの髪質違うだろ。

いや、別にオカンを貶める必要はないな。

金遣いが荒いっていうのは、金銭感覚の違いというか、金を使うべきでないところに使っていると感じた時に言うセリフだろ。

別に良いんだよ。金使わなくても。

髪がボサボサでキューティクルが無くなって、上下ジャージで肌荒れのままコンビニ行くような女になっても良いんだったら。

金をかけてない状態と、丁寧な暮らしとか、清楚で可憐お嬢様な状態ってのは、違うんだよ。

良い年した女がな、肌荒れしてなくて髪が綺麗だったら、そりゃ手入れしてるに決まってる。

おんなじようにな、離乳食だの自炊だのを無農薬だのオーガニックだので揃えたりとかな、

掃除重曹を使うだの、わらで編んだ鍋敷きを使うだの、良いお茶を使うだのっていうのはな、

カネがかかるんだよ。直接マニーじゃなくても、時間を使うんだよ。

宝塚に行って化粧ばっちりしてバッグ取っ替え引っ替えしてる奴のほうがな、上手くオークション使って入れ替えしてたりとか、

近所にはUNIQLOノーメイクごまかすマスクで出かけたりとかして、金使ってなかったりするんだよ。他で使うから

おまえさんが書いてるようにな、カネ使わないってのは、

100均で揃えた食器で、スーパーの特売で買ったものを食べて、カット1000円カットってやつだよ。

オマエのお嫁さんはQBハウスカットしてるって恥ずかしそうに告白したりしてたか

お客さんがたまにしか来ないからって、紙皿に特売の人参入れたカレーを食わせてくれたりしたか

家具は全部ニトリで、あたしのブラウスしまむらで買ったの、とか言ってたか

言ってないだろ。

地味清楚系って、地味ニトリ系とか、地味バリカン系とかじゃないだろ。

清楚だの綺麗だのってのはな、金がかかるんだよ。

まあ、モノを見る目がなかった、自分見積もり下手だったと思って諦めるんだな。

人を見る目はあるみたいなんだから

良い物使ってテンション上がったお嫁さんに作ってもらった美味くて体に良いもん食って長生しろ

馬鹿なことで喧嘩した挙句別れて、四十路になってから100均製品に囲まれて袋ラーメンすする生活に後悔しても遅いぞ。

まあ、釣りマジレスな感じもするが。

2013-02-23

Korea意味

Japan漆器China陶磁器意味を持っている

から素晴らしい文化を持っていたならKorea古来より他国との交流が盛んで

その手の意味があって当然だと思うんだけど、なんかないの?

2010-06-29

書評 A・Gフランク 「リオリエント」(藤原書店

著者はドイツアメリカ人原著の刊行は1998年で、世界中専門家の間に論争を巻き起こした。

本書におけるメッセージは、冒頭書き出しの1文に凝縮されている。

本書において私は、既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論グローバル学的パースペクティブを用いて転覆しようと思う

西欧先進国アジア発展途上国」という、我々が慣れ親しんだ世界の図式は、たかだかここ200年程度のことに過ぎない。西欧諸国はむしろほとんどの期間を通じて世界の傍流にあった。本書において、著者はこのことを繰り返し強調する。

 フランクは、まず1400~1800年の交易データを検討し、次のようなことをインプリケーションとして述べている(2章)。

 最大の経済大国中国だった。中国は絹織物、陶磁器水銀、茶の生産などで圧倒的な輸出競争力を誇っていた(全地域に対して貿易黒字)。インドも負けてはおらず、綿織物という輸出産業があった。東南アジアも同様、香料や胡椒があった。一方で、ヨーロッパアジアに対してほとんど何一つ輸出競争力を誇る製品をもち得なかった状態で、一貫して貿易赤字を計上していた。その結果、欧州から中国などアジア諸国への銀(貨幣)の流出が常態化していた。しかもこの銀も、もともとはアメリカ産のものを奴隷貿易でぶんどってきた物だから(当時、銀の主要産地といえばアメリカ大陸日本ぐらいしかない)、ヨーロッパ自体は、実は世界交易について何ら価値創出に寄与しなかったともいえる。

 また、大航海時代以降、海上ルートユーラシア大陸の隊商交易にすぐさまとってかわられたという主張も、誤りとして退けられる。アフリカ周航のルートは陸上輸送とくらべて決してコストが安かったわけではなく、ポルトガル喜望峰周りの交易も短期間しか続かなかった。(223p)

 定量的には複数の歴史家の推計を引き合いに、アジア諸国の生産性の高さにも言及する。曰く「アジアは1750年において、依然として世界人口の66%未満であったが、世界生産の80%を生産していた。つまりアジア欧州アフリカアメリカよりも生産性が高かったことが示唆される」(p305)

 科学技術についても、近世以降は西欧アジアを優越していたという”常識”を西欧中心主義の誤謬だと批判する。例えば、当時の「ハイテク産業」でもあった造船業中国の船は、ヨーロッパよりずっと数が多く、かつ大規模で、長期り輸送が可能な代物だった(342p)。印刷業も、中国世界のどこよりも早く木版印刷を開始し、1500年代の早くには5色刷りの技術存在し、日本朝鮮技術を輸出していた。

 そうにもかかわらず、「世界経済の中心国が16世紀はポルトガルで17世紀にオランダに移り18世紀にイギリスに映った」などという、まるでヨーロッパ人によって一貫して支配されていたかのような馬鹿な議論(ウォーラーステインの「近代世界システム論」])がまかり通っている。しかし「1688年に、アジア間の交易ボリュームは、いつかのインドの港からだけでも、すべてのヨーロッパ交易を合算した交易よりも10倍も大きかったのである」(p320)

 であるならば、なぜ近代以降の世界経済をの主役はアジアではなくヨーロッパだったのか。この点についてフランクは6章で100ページにわたる議論を展開しているが、正直ピンとこなかった。その骨子は「アジア景気循環的な衰退期がたまたま西欧の勃興期と重なった」というもの。まさかここで「コンドラチェフの波」を引き合いに出すとは思わなかった。これはひどい

その他、素人目に見て反射的に気になったのは4つ。

1.「一人当たり生産性近代までアジア西欧だった」という記述について。これの反証となるようなデータは俺でもすぐ見つかる(例えばアンガス・マディソンの推計「The World Economy」)。むしろ地域間の一人当たり生産性は、まだ優劣に決着がついていないとするのがおそらく妥当なところではないか。

2.貿易収支の考察について。1400~1800年までの2章の部分、「中国はどの国に対しても貿易黒字だった。その背景には圧倒的な輸出競争力があった」と著者は言い切っているが、ここもまた留保が必要だろう。中国貿易保護策の影響はどうだったのか。そもそも、中国がそれだけ例外的な貿易黒字を確保していたのならば、中国マクロ的な貯蓄率はかなり高かったといえるだろうが、その辺は、当時の中国史の中で言及はされているのだろうか。

3.フランクはまた「アメリカ豊富な銀資源搾取してアジア世界交易に割り込んだだけ。ヨーロッパ人自体に富の増大をもたらすようなものは何もなかった」と強調する。これも逆差別の感がある。資源や強力な輸出産業はなくてもヨーロッパ人は知恵を絞って自分のところに富を惹き寄せた、という解釈もできる。「ビジネスの仕組み」を考案した彼らの力については、それ自体十分競争優位になっている気がするがどうだろうか。

4・「オリエント地域にあるヨーロッパの支配地域インドにあるイギリスの所領など)を考慮にいれても2章の結果はロバストか。

5. では、近代以前のヨーロッパにおいて、オリエントに(経済力軍事力、知識等で)負けているという認識はどれほどあったのか。NOならばそれはなぜ?YESならば、彼らはその状況をどういった風に克服しようとしたのだろうか。


http://twitter.com/zaway/status/17259932271

2008-09-25

ショッピングモール集客力を、リアル商業地に喩えると何市?

なんか適当に立地条件を喩えるならば、

楽天市場東京都原宿に喩えるなら、Yahoo!ショッピング大阪府の南のあたりかもしれない。

Amazon名古屋市ならば、ビッダーズ兵庫県神戸市くらいかなぁ?(あってるかな?)

ブログASPなんかは田舎町のタバコ屋みたいなもん。

ネットのどこに、店をだそうか迷っているよ。取り扱い商品手作り陶磁器にする予定。

商品の内容は大事だけど、立地条件による集客力も大事だよね。

しかし、どこも場所代が高いw

テナント料は楽天市場の5万円が一番高いけど、続いてビッダーズの2万円とYahoo!ショッピングの9000円。その次がAmazonの定額5000円プラス売上の15%。

集客力に見合うだけのテナント料ならば良いわけだけど、売れなければ大赤字だ。

良い場所探します。

追記、私の家は九州の端っこの田舎だから、普通に自分の家に商品並べているだけならば、夏と冬は全然売れません。

今年の夏は特に極貧だったよ。

でも、なんとかネットは繋げているからネット希望を託したい。

忘れてたけど、ライブドアデパートの立地条件は何市にあたるかな?

自分でブログASPやってみたことあるけど、売るって難しいよね。

逆に自分がお客様の立場ならば、ブログで買い物とかよほどのことがないと買いにくいもんね。

せっかく自分の手元に商品があるならば、ASPよりもそっちをやるほうがいいように思う。

ネット開業するだけならば今は無料でも始められる。でも、ただネット開業するだけならば広い海に浮かぶ小舟みたいなもん。

 
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