はてなキーワード: 名鉄とは
上から2番目について。
マイカルやダイエーが立ち行かなくなったたのは知ってると思うけど、マイカルもダイエーも駅前などに多層階のビルを建て、そこに食品のほか衣料や生活雑貨、場所によっては家電を加えてワンストアで済むように作った店が多かった。でも平成になってロードサイドの専門店、たとえばユニクロやしまむら、洋服の青山あたりの専門店がカジュアル衣料やスーツなどの顧客を奪うようになり、くわえてヤマダやケーズのような家電量販店が家電の顧客を奪いはじめた。特にダイエーは家電販売では有数の存在だったんだけど、価格競争についていけずあれよあれよと傾いていった。一言で云えばダイエーやマイカルは専門店に勝てなかった。それが90年代後半から2005年くらいまで。
ヨーカドーは創業者がうるさい人で財務体質がよく同時にロードサイドの専門店が攻めにくい首都圏の肥沃な市場を押さえてて、イオンは創業家が「大黒柱に柱をつけろ」と店の閉鎖と移転を厭わない家風で号令をかけて地方の競争の少ないところにバカでかいSCを作っててそこにテナントを入れ賃料収入があった。ので専門店の攻勢を受けても自社の店の売り場を再構築する余資があってマイカルやダイエーとは違う道を行くことが出来て、ヨーカドーは赤ちゃん本舗やロフトを自陣営に引き込み、イオンはウエルシアを拡大できた。
増田のいう中型スーパーというのがイマイチよくわかんないんだけど、食品にいくらかの生活雑貨と肌着などの実用衣料を売ってる店を指すのだとしたら、ヤマダやユニクロなどの専門店に勝てない分野を削ぎ落したらああなったにすぎない。
食品は日銭が入るからどこも強化したい。問屋に対してはやはり規模がデカいと値引きしてくれるから、和歌山地盤のオークワが名古屋の名鉄パレを買ったり、新潟の原信ナルスが群馬のフレッセイと統合したりしている。この流れはしばらく続くと思う。
(追記)ブコメ等を参考に追加しました。所要時間、費用は参考程度で。
「"同じルートを考える人多数で明らかに混雑しそうなルート"をできるだけ避けられないか?」という点をちょっと考慮しています。
東京⇔成田 スカイライナー 1時間 成田線・バス 1.5時間
あと一つは?
JR名古屋駅のことだけど、いつ見ても有人窓口にサラリーマン風のスーツ男が10人くらい並んでるよね。
自動券売機に不慣れな老人や子供だったら有人窓口に並ぶのはわかるよ。
でもなんでサラリーマン風の男が並んでるの?
ICカード持ってなくて普段電車使わなくても、自動券売機の使い方くらいわかるでしょ。
東京や大阪へ行くにしても、新幹線の自動券売機がずらっと置いてあるからそこで買えばいいのに。
俺は名古屋⇔豊橋を往復したかったから、豊橋往復切符を買おうとしたよ。
https://railway.jr-central.co.jp/tickets/toyohashi-round/index.html
上記WEBページの販売箇所に「きっぷうりば」またはJR東海ツアーズの窓口と書いてあったから、とりあえずJR東海ツアーズの窓口に並ぼうとしたらそこでも10人近く並んでいたよ。
行列に並びたくなかったから自動券売機で豊橋往復切符を買ったよ。
自動券売機で探しても分からなかったら行列に並ぼうと考えてたけど杞憂だったよ。
それとも、探したけどわからなかったから有人窓口にならんでるの?
それとも、俺が知らないだけで、名鉄とか近鉄とか他の私鉄と乗継ぐ切符とかも取り扱ってるの?
はたまた、ホテルの予約とか観光地の案内とか、コンシェルジュサービスも有人窓口で扱ってるの?
わからない。
工場労働者の俺なんかより遥かに稼いでいて、学歴もあって知識も深くて計算能力も高いはずなのに。
俺なんかよりも遥かに時間単価が高いはずなのに、時間の使い方に無頓着なのはなんで?
ちなみに俺は豊橋駅からJR飯田線に乗り換えて某駅に行って、紅葉狩りと低山登山を楽しんだよ。
豊橋駅での有人窓口はどうだったかというと、豊橋から行くときは急いでいたから見ていない。
豊橋駅に帰ってからは、電車待ちで暇だったから改札近くで有人窓口を見てたけど、そこでもスーツ男が行列を形成していたよ。
スーツ男が行列を形成するのは名古屋駅限定じゃなかったんだね。
名古屋以上に鉄道網が発達している東京や大阪では、仕事のできるサラリーマンは有人窓口なんか使わずに、ICカードやスマホを駆使してスマートに改札を乗りこなしていることだろうけど、まさかね?
ちなみに、名古屋⇔豊橋の往復だけど、JRよりも名鉄の方が安いことがこの文章を書く際にいろいろ調べてる時にわかったよ。
なごや特割2平日・なごや特割2土休日|でんしゃ旅・おトクなきっぷ|名古屋鉄道
https://www.meitetsu.co.jp/plan/discount/1268869_8040.html
名古屋からJR飯田線の駅に行くから、経由する豊橋駅までもJRを使うのが当然だと思い込んでいたよ。
名古屋からJR飯田線の某駅への切符を直接買うよりも、JR東海の豊橋往復切符を買った方がお得だと気づいたのは良かったんだけどね。
もう少し調査を広げて、名鉄のWEBページでもお得な切符を調べてみればよかったよ。
でも、こんなことはJRの有人窓口で教えてくれるはずはないよね。
「それなら名鉄の方がお得ですよ」って答えてくれるのかな?
そんなわけないよね。
それにしても、わからない。
まだ地元の田舎住んでいた時に、東京へは小さい頃から時々遊びに行っていた。田舎と違って移動の手段は電車。四方八方から聞こえてくる電車の接近メロディや発車メロディは新鮮な都会の音だった。
30になって仕事で東京に住むようになって、そのメロディを当たり前のように耳にするようになった。昔は駅に溢れるメロディを聞くたびに都会に来たという感慨とワクワクでいっぱいだった。…のに、今はむしろげんなりする。ときめきどころか、いまは現実の音でしかない。聞くとただただ辛い。
いや、こうなるのはわかっていたし、よくあることなのだ。
学生時代に愛知県に住んでいたときは地下鉄や名鉄ユーザーだったんだが、たぶん当時は聞き慣れた駅の音にウンザリしてたと思う。とくに学生時代は辛いことが多かったし。でも、愛知を離れた今は地下鉄も名鉄の音も懐かしくて恋しくてYouTubeで時々聞いちゃうんだよね。
研修で大阪に行ったときは御堂筋線の接近・発車メロディがインパクト強くて(関西にあまり行ったことがなかったので色んなことが新鮮だったのだろうけど)、今もYouTubeで聴いてしまう。でも、きっと大阪に住んで地下鉄を使うようになったらその音にうんざりするんだろうな〜。
トヨタ自動車が日本で有名な自動車メーカーであることは言うまでもないことだが、その前身が食器メーカーであったことはあまり知られていない。
豊田市は愛知県の北部に位置しており、瀬戸市や岐阜県多治見市と隣接している。
瀬戸市は日本六古窯の一つである瀬戸焼で有名であり、東日本では陶磁器全般を瀬戸物と呼ぶほどに広く流通していた。
多治見市もまた陶磁器の名産地であり、アニメ化もされた「やくならマグカップも」の舞台と言えば説明が早いだろう。
豊田市・瀬戸市を中心とした猿投地区は古代から窯業が盛んであり、日本の三大古窯の一つである猿投窯跡群を形成していた。
今でこそ豊田市に窯業のイメージはあまりないが、トヨタが自動車製造を事業化する以前は、瀬戸市や多治見市と同じく窯業を主産業とする町であった。
窯業は縄文時代(縄文土器)から存在する生活に不可欠な産業で、時代と共に需要は大きくなっていき、明治維新によってさらに窯業製品の需要は大きくなる。
西洋建築の勃興による煉瓦(れんが)の需要、石油製品や化学薬品を保存する甕(かめ)の需要、送電線を支える碍子(がいし)の需要である。
しかしながら、瀬戸焼はこうした需要に応えることはできなかった。
常滑焼もまた日本六古窯の一つだが、愛知県知多半島に位置する常滑市は伊勢湾に面しているので、海運で日本各地の需要を支えることができたからだ。
一方で、瀬戸も常滑に対抗しようと流通力を強化するために鉄道を敷設したが(後の名鉄瀬戸線)時すでに遅く、近代産業から撤退して食器作りを中心とした伝統産業へと回帰していった。
常滑では明治時代に伊奈製陶が創業して、INAX・LIXILと企業名を変えながら国内の窯業で高いシェアを誇っている。
トイレや洗面器ではTOTOに次いで国内シェア2位で、タイルについては国内どころか世界で1位のシェアである。
一方で瀬戸からはそのような大企業は生まれていないことから、愛知県内の窯業で近代産業を担ったのは常滑ということが理解できるだろう。
ここでようやくトヨタの話になるが、明治時代に豊田市は存在しておらず、その前身である挙母町でも近代産業を支えるほどの陶磁器製品を生産することはなかった。
佐吉は小学校を卒業後に家業の食器作りの修行をするが、父が伝統製法に固執して経営が伸び悩んでいることに苦心していた。
18歳のころ、家業を立て直す唯一の道は最新技術を学ぶことと考え、東京方面へ出奔する。
その折で、東京上野で開催していた内国勧業博覧会を何度も見て、最新の窯業技術を目に焼き付けた。
そして東京から帰郷し、当時最新鋭の台車式トンネル窯を製造した。
それ以前の窯は、製品を人力で運び入れてから予熱・焼成・冷却の全工程を何日もかけて行った後に、人力で運び出す必要のある代物だった。
種類にもよるが陶磁器の焼成に1000~1400℃まで加温する必要がある一方で、人力で搬出入する際はもちろん窯の中に入れる温度まで下げなければならない。
これでは、温度の大幅な上下が必要なので時間がかかるだけでなく熱効率も悪い。
一方で台車式トンネル窯なら、製品を乗せた台車をレールに沿って動かすので、人が窯の中に入って搬入出する必要はない。
窯は温度分布のついたトンネル状の部屋になっており、台車がトンネルを進行することで自動的かつ連続的に予熱・焼成・冷却ができるので、温度管理も簡易だ。
この台車式トンネル窯により食器を自動的に大量生産できるようになったので、佐吉は豊田自動食器株式会社を設立することとなった。
会社設立後の経営は右肩上がりだったそうだが、明治から大正へと年号が変わる頃には製品の輸送に悩まされることになった。
歴史的に挙母町の物資輸送は矢作川の船運が担っており、豊田自動食器の食器工場で製造した食器類も例外ではなかった。
しかし、知多半島方面への用水供給を目的とした愛知用水の開発により、矢作川の水量が減り船運が困難になった。
食器の生産量は増える一方で矢作川の船便は縮小していき、代替としての馬車や人力車の輸送にも限界があった。
それでも、当時は三河鉄道の敷設中であり(後の名鉄三河線)、開通によって挙母町から国鉄刈谷駅へ鉄道輸送が可能となるのは決まっていた。
しかし、それまで待ちきれない佐吉の息子の喜一郎は、自動車を独自に製造して食器を自動車輸送することを考えた。
喜一郎は食器販売の滞りで需要の無くなった台車式トンネル窯を分解して自動車部品にした。
そして、窯の燃焼ガスを動力に台車を運転する機構を応用して、台車に燃焼機関を乗せることで自動車の製造に成功した。
さらに、食器を自動車輸送するだけでなく、自動車を製造・販売することにも思い至った。
それだけでなく、喜一郎は将来自動車が大量生産されることを予測して、食器を台車に乗せて連続的に生産するように、自動車も台車に乗せて連続的に生産する仕組みを考案した。
これが現在自動車生産で主流となっている、ライン生産方式である。
このようにして豊田自動食器に設けた自動車製作部門が分離独立したのが現在のトヨタ自動車株式会社であることは、もはや説明するまでも無いだろう。
なお、食器工場は第二次世界大戦の空襲によって焼失し、喜一郎の経営判断により食器製造部門は切り捨てて自動車生産へと舵を切ったので、豊田自動食器株式会社は現存していない。
話は少しそれるが、トヨタ自動車の前身は豊田自動織機である、という誤記をネット上でよく見かける。
もちろん正しくは豊田自動食器なのだが、「食器」と「織機」で読みが同じなので誤変換してしまうのだろう。
それだけならまだいいが、トヨタはミシンを製造していたというヨタ話(トヨタだけに)も一緒に流布していることもある。
豊田市(挙母町)で窯業が盛んだったことは地理的にも考古学上でも明らかなのに、なぜそのような勘違いをしてしまうのだろうか。
カラフルタウン!
カラフルタウンは岐阜羽島ICから県道1号線を北東へ直進8.0km、13分!
カラフルタウンは駐車台数3,000台!
境川らくちゃんバスなら名鉄柳津駅より赤ルートで30分!青ルートで40分!
カラフルタウンのATMコーナーは三菱UFJ、ゆうちょ銀行、十六銀行などの取り扱いがある!
カラフルタウンには世界的に有名なケンタッキーフライドチキンがある!
カラフルタウンのロフト前のスペース使用料金は平日1日4万円!
カラフルタウンはトヨタオートモールクリエイトのショッピングモール!
トヨタオートモールクリエイトはグローバルゲートの8階に入っている!
つまり、デ・ラ・ファンタジア!
みんなも、都心からデ・ラ・ファンタジアを撮ろう!
なんでそんな名前にしたんだお前は
こちとら出身地聞かれたときに静岡県って答えるのがイヤで浜松って答えてるんだよ
当たり前だろ俺はしょっぺえ浜松生まれ浜松育ち、なんやかんや駅前がにぎわってる静岡とは文化が違うんだよはんぺんだって白がいい
そこへなんだお前は、浜松町お前、関東圏の人らに出身浜松ですって言ったとき「あっモノレールあるとこですね~」って返されるけどねえわなんだモノレールって、名鉄より赤くない赤電のことか?
そりゃお互い様だと思いてえよ、でもお前その地名こっからとってんじゃねえかマジかよどの辺が浜松なんだ?行ったことねえけど浜松町は都会だろ、ブラジル大使館もうなぎパイ工場もないだろ?アカウミガメの産卵だって見たことねえようなビル街なんだろ?なんで浜松名乗ったんだよ、どうした?浜松出身の田舎者がごめんな